00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
8時15分のタイミングです。
奥さんは、8時30分に起きたい人です。
奥さんは、8時30分に起きられないでしょうと思っています。
奥さんは、7時55分に起きました。
日期によっては、だいぶ違います。
奥さんは、娘が出てからです。
奥さんは、8時30分は難しいだろうと思っています。
8時30分に起きると、僕の考えでは、7時に寝なければならないです。
奥さんは、起きないということになるはずです。
奥さんは、8時90分弱くらいは、一息に眠れます。
奥さんは、8時以降に寝てしまったら、9時半までは、すっきりしないのではないかと思っています。
1時間前後は、人の考えは不思議です。
60分は、考え方によっては、一瞬です。
60分は、とても貴重です。
しかし、奥さんは、とても眠くて、どこかでたくさん眠っています。
奥さんは、60分をすっとんでいます。
時間の損得は、どうやって測っても無駄だと思うのですが、
いつも、9時かどうかという議論が、若干起こります。
私は、そのたびに、この収録の心配が頭をよぎっています。
無駄な話をしているからはいけないのですが、
30分も40分も、何を自分が喋っているのだろうと思うのです。
内容的には、10分あれば、事は足りると思っているのですが、
なぜか気がつくと、40分とか経っていて、起こさないといけない。
今、そういう独特の着の中で考えています。
10月1日に、今の話とはまるで関係ありませんが、
オンライン合宿という、新しい試みです。
倉田の圭蔵さんと、コミュニケーショントレーニングをやります。
合宿とは言うものの、寝泊まり、食事は全部、ご自宅でお願いする。
別に、その人がたまたまホテルに行っているとかでもいいのですが、
03:03
一堂に会するわけでは全くないということです。
でも一応、一泊二日という風に銘打って、
10月1日、2日に分かる、非常に長丁場のセミナーと考えていただいてもいいです。
もちろん、途中で寝ることはできますので、
その問題はなく、参加する人はそこまでくたびれることはないと思います。
倉田さんとかは、結構大変なんじゃないかと思うんですけど、
僕もそれなりに大変なんじゃないかと思うんですけど、
そこはグッドワイブスで、本当のところ疲れることはないみたいな、そういう感じで。
でもこの話も、そのうちライフハック的なところでもお話ししたいんですけども、
疲れるって、めちゃくちゃライフハックにとっては大問題じゃないですか、多分。
起きて生産的なことをできれば24時間中やっていたい、
エバーノートの整理とか、スクラップボックスの整理とか、
オブシディアンの整理とか、ノーションの整理とか、やることがたくさんありますよね。
整理ばっかりなんですけど、それらのことをやったらですね、
240時間って全然足りないと思うんですよ。
そうすると疲れるっていうのは大敵だと思うんですけど、
疲れない方法っていうのは、疲れない工夫っていうのはあるんですよ。
非常にそれも心理的に。
これは多分私は脳の整理、心理学からアプローチしてもいいし、
行動心理学からでも全くいけないことはないし、
精神分析でもこれは言えるんだなってことが最近わかってきて、
もちろんグッドワイブスでですけどね、
私がそういう風なアプローチについてわかったのは、
これはできるんですよ。非常に簡単なんです。
ここで一言でも言えるんですよ。
実践は難しいかもわかんないですけど、
恐れないってことなんですよ。
これに尽きるんですね。
恐れなければ、恐れがたぶんゼロなら、
疲労感などというのはゼロじゃないですけど、
1000万分の1くらいまで下がると思います。
だから体感的にはゼロになります。
恐れないということに関連して、
憎まないということが必須なんですけど、
たぶん普通に無意識レベルでも、
自意識レベルでもだと思うんですけどね、
ほとんどの我々、特にライフハックとかに興味深い人は、
わけあってそうなんですけど、
そこを私つなぐのにえらい苦労してるわけですけど、
ライフハックというのに携わっている、
非常に興味が深いという人は、
たぶん恐れているし、憎んでもいます。
何を誰をというのはいろいろなんですけどね。
だから疲れるんですよ。
それはフロイトのほうもよく読めば、
ちゃんと書いてあることです。
言ってもたぶん全くしっくりこないと思うんですよ。
だから僕は毎朝40分も喋ってられるんですね。
でも僕が喋っていることの全部ではないけど、
大半はそういうことなのかと、
06:00
自分では今では思っています。
恐れるのは当然だろうというのが、
全然違う言葉によって言い直されているんですよ。
さらにそれが自分ご自身の中では、
無意識の力も動員して、
大きく変天を遂げる上で、
スクラップボックスに整理が必要だという言葉に
切り替わっているんですよ。
僕はそういうふうに今解釈しているんです。
だから私は今はエバーノードの整理とかはしないんですよ。
なぜならほとんどのことが、
少なくともかつて私が抱いていた恐怖感に比べて、
それこそ1000万分の1ぐらいになっているんですよ。
その部分についてはですね。
そういうふうになってみると、
スクラップボックスの整理とかをしようという
モチベーションは消滅するんです。
そうすると、それにかけている時間等はあまりにも、
というかそんなことはやってられなくなるんですよ。
スクラップボックスの整理とか、
これはスクラップボックスの整理を僕と同じ動機で
みんながやっているという意味ではないですよ。
全然違う人も当然います。
だってスクラップボックスの開発者っているじゃないですか。
みんながみんな恐怖感だけでやっているわけではないんだけども、
恐怖感でライフハック的なことをするというルートはあるってことなんです。
それはみんながみんなスクラップボックスの整理を
しだすわけではないですが、何かあるんですよ。
その時間がもったいないという話ではないんです。
別に整理とかもいくらやってもいいと思うんですよ。
ポイントは逆で、恐怖感がなければいいんですよ。
そしたら疲れることはなくなるんで。
だから非常に逆説的なんですけれども、
私はやらなくなっちゃったけれども、
今ならば24時間は当然無理ですが、
8時間くらいバーノートの整理とかできるんですよ。
なぜなら疲れなくなっていますからね。
でもしなくなっちゃうんですよ。
動機づけを失ったから。
そういうことをここでしゃべっているんですよね、実は。
ただこれを直結して繋いでしゃべろうとしてもですね、
まだまだ私の手にも余るんですよ。
かつそれを本当にやりだすと、
2時間くらいはとうとうとしゃべっていなければならなくなって、
聞いている人も退屈する恐れも結構あると思うんですね。
でもそういうこともおいおいやっていきたいなとは思っています。
それなりにこういうふうな活動に切り替えてみると、
切り替えに伴ういろんな出来事が、
僕も不思議だなと思うほど、
我が家の中でも実家の中でもいろんなことがやっぱり
僕が動き出すせいなんでしょうね。
直接関係ないような気がするんだけど、起こるんですよ。
そしていろんなところでいろんな時間を使っていかなきゃならないから、
スイスイとそっちに火事は切れない。
でも火事を切ってるからこういうことが起こるんだろうなっていうのは分かります。
例えば、今なぜなのか全然分からないんだけど、
毎週妹から電話がかかってくるわけですよ。
これに付き合うと1時間半とか2時間とか、
平気で飛ぶというか必要とするんですね。
なぜそうなるのか、今私には一応説明がつくんだけど、
09:00
それは本当かどうかそれこそ分からないですよ。
そんなのは。
でも多分こういうことなんだろうなみたいなのがあって、
当然それが起これば本の原稿とかをその日は書かなかったりもするわけですよ。
これから書くぞと思ったところに妹からの電話がかかってきて2時間喋ってると。
でもこれはですね、私は絶対必須だと思っているんですね。
だから今原稿を書いてるからって言えば何とかなるんだけれども、
そういうことは言わないようにしてるんですね。
そうするとでもいろんなことがある意味確かに亀の歩みみたいになっていくんですけど、
これも必要なことなんですよね。
これはですね、ライフハック的には全く説明ができないです。
ライフハックだけでは。
だからやっぱり精神分析みたいなのが僕の中にはいるなと。
ライフハックと精神分析を掛け合わせてみるとすごいグッドライブス的になっちゃうんですよね。
なっちゃうというのも変ですが。
こういうことを言ってみたところで、わけわかんないじゃないですか。
そんな電話に付き合ってたらダメだよって思うライフハック純粋的に、
純粋にライフハック好きな人はそう思うと思うんですよね。
そう言わないにしても。
なぜそんな時間の使い方をするんだって思うと思うんですよ。
ここがすごく僕の今の中で大事なポイントだと思ってるんですよね。
こういう話をしたいと。
別にこういう話をしたからって、
ライフハックの人に肉身を大切にしましょうとかいう話をしたいわけでは全くないんですよ。
これはこういう物の見方もあり、成立するんですと。
かなり頑張ってみると見えてくることもあるんですってことをお伝えできれば十分だと思うんですよね。
その人の生活行動変容って言うんですけど、しなくても全然構わないと思います。
だってこういう話は所詮は物の見方なので、
そして結局は比喩なので、本当に結局は比喩なんですよ。
言葉を使ってますからね。
一番大きなポイントは、私はそういうことをかつてしなかったことなんですよ。
私はそういうことをかつてしなかった、ほとんど。
なるべくしないように少なくともしていた。
結局電話を受けてたことありますよ。
でもなるべくしないようにしていた。
今はなるべくしないようにするってことをしなくなった。
ここが何も周りから見ると変化がなくても変化なんですよね。
大きな変化なんです。
この変化がやっぱりウッドワイブス的な方面に舵を切るということは、
こういうことを最近含むって言葉が多いなと思うんですけど、
今日も含むっていう話になるなって思っているんですけどね。
この話をしただけで10分経過してるんで、
10分では終わらないんだなというのが今よくわかりますが、
10月1日、2日オンライン合宿。
そんなにお手頃なお価格じゃないですけど、
よろしければと思います。
12:00
そしてですね、この手頃な価格ってやつも昨日思ったことなんですよね。
手頃な価格は安心だっていうのがあるじゃないですか。
それはつまりお金を失わないで済むっていうことなんですけど、
この恐怖感もですね、
私はラインハック的なアプローチのところから、
ラインハッカーの人は絶対お金大切にされると思うんで、
ぜひ申し上げていきたいことが結構あります。
だからといってお金使いましょうって話ではないんですよ。
クラウドさんと一緒にやるやや高価格帯なものにも
どんどん参加しましょうとか言いたいわけではないですけど、
そういうことを言っていてもしょうがないんで、
そういうことではないんですよ。
お金を節約するのはいいことだと思います。
ただ、なんて言うんですかね、
この失う恐怖感というものが相もでかいとやっぱり疲れるんですよね。
失う恐怖感って私は今ほとんどなくなっているんですよ。
だからといって別にお金を失うわけじゃないんですよね。
ものすごく有効活用したり、
節約されている人からすれば私の使い方は雑でしょうけれども、
大した話じゃない、ここが大した話だと思い続けるためのコストって
結構でかいということもあります。
その辺も単独来伯からではとてもいけないし、
やっぱりグッドワイフス的になり精神分析的になっていくんですよ。
だってフロイトに言わせるとお金っていうのは代弁だったりしますからね。
なんか食べながら聞いている方は申し訳ないんですけど、
フロイトの話ってそういう話非常に多いんでね。
でもそういうのって別にフロイトに限らずあるじゃないですか。
お金うんこに例えるって話に非常にありますよね。
あれ何でなのかっていう話も非常に興味深いところだと思うんだけれども、
お金は汚いとかいうことではないんですよ。
そんなに単純な話じゃないんです。
一つ言えることがあるとすると、
象よってことと深い関係があるわけですよ。
私も人の親になってわかったんですね。
娘がうんこをすると、あんまり出ないような時にですよ。
めちゃくちゃ嬉しいんですよ。
あれを象よって言うんですよ。
子育てって娘の世話とか色々してるじゃないですか。
フィードバックが欲しくなるわけですよね。
というかもう心の奥底ではフィードバックを求めてしまっているわけですよね。
だって熱が出る、看病する。
フィードバックが欲しいじゃないですか。
健康になって欲しいわけじゃないですか。
これはもう切実なものであって、
理屈じゃないとしか言いようがないんですよね。
だから何のフィードバックも来ないということも、
子育てなんて多々ありますけれども、
うんこは象よなんですよ。
そういう意味では何か差し出してそれを食べてくれれば、
それだけでも嬉しい。
こういうのっていうのは全部、
グッドバイブスの依頼をするということと、
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受け取るということは同時に発生するということと、
ほとんど同じ話がそこで実演されていくんですね。
私なんかは父親ですから直接携われてないですけど、
やっぱり母親と娘の、うちの場合は娘の、
0日10時間目みたいな、そういう時ってすごいですよ。
恋愛そのもの、大恋愛そのものみたいな感じ。
それ以上ですよね。
だからあれは象よっていうのはよくわかる気がするんです。
もうそこには何もないですよ、別に。
何も必要ないっていう状態ってありますよね。
泣けばもう、子供が泣けば嬉しい。
泣かなかったら問題ですもん。
そういう状態ってあって、
私たちはだから無意識の中でそういうのを求める部分っていうのがあるわけですよね。
その辺の話とお金というものが絡んでいるわけですよ。
僕はきっと絡んでるんだろうなって思います。
だって今私がね、例えば印税とかでお金を受け取るっていう感覚と
最初にですよ、一番最初におじいちゃんからお年玉もらった時の感覚って全く違いますからね。
本当全く違いますよね。
ああいう感じっていうののさらに原型みたいなのってお金をもらう以前にあったわけですよ。
お金もらった時に、最初にお金もらって嬉しいって思うからには、
その嬉しいって思う準備がすでにできていたってことになりますよね。
ゼロ歳児にお金を渡したって喜ばないですよ。
そういうこと、つまりどこかでそういうことを学んでいくわけですよね。
雑用ということの意味を。
そういうことを考えてみると、お金をものすごく大切にし、
自分から手放さないように手放さないようにするっていう態度、
態度というのが感覚、感覚ですよね。
これには何かあるんですよ、やっぱり。
絶対にここで止めておきたいっていう、
なんかこう、よく言うじゃないですか、血液みたいな。
話がですね、盛大に20分経ってるのにまだオンライン合宿のCMから出てないんですよ。
で、もうぶち切って先へ進もうと思うし、今の話も切っちゃいますけれども、
あのー、つまりノープランでやってるからこうなっちゃうんですけど、
私が今日話したいと思ってたことは恥のことなんですね。
昨日、オンライン合宿、今日は絡んでるな、
オンライン合宿のコミュトレの前哨戦と言いますか、
サンプルみたいな会を行ったんですね。
で、そこで私は会議室における、コミュニケーションにおける緊急事態宣言を
会議室における、コミュニケーションにおける緊張感というものが強い弱い人って当然いらっしゃるんですけど、
強い時、弱い時もあるし、関係性によっても怖いということもあるわけじゃないですか。
私なんか昔、大学に行ったのは彼女作るためと、昨日も喋ったんですけど、
18:04
にもかかわらず女の子に話しかけることができませんでしたからね。
そういう人間なんで、この緊張感の非常な高まり、
非常な高まり、ちなみに無理矢理話しかけるとわけわかんない感じになるんですよ。
まさにおかしな行動ってやつになるんですよ。恐れと不安だけですから。
もう何のために話しかけてるのかわけわかんないんですよね。
モチベーションは恐怖感なわけですよ。何なんだろうこれはっていう。
だから当然ものすごくおかしな行動になってしまって、すぐ去られていくと。
あの経験はつらいですよね。なんかそういうのを100回とか繰り返すとつらいわけですよ。
で、この恐怖感には恥って絶対関わってくるんですが、
どいたけおさん甘えの講座の、彼のすごく先進的なところ、
あの本の本当の凄みというのは、日本人は甘えがちだよねみたいに
一番適当に解釈されるとそうなっちゃうんですけど、
彼の言いたいことはそういうことでは全然ないんですね。全く違う。
彼が甘えの講座で言ってることは、日本という国はすごく先進的なところがあって、
その一つが甘えであるって言ってるんですよ。
本当は世界中にあるんだけど、これを何なのかわかんないんです。
西洋人は理解しがたいような言語体系にしちゃったと言ってるんですね。
だから彼らの中では全く違う情緒として、
だから先進的とか途上的と言えるのかどうかってのはあるんだけど、
ただ彼が言わんとしてるのは、精神分析をいたけおさんが勉強して、
彼はカンザスシティのフォームで、私もカンザスシティ行ったんだけど、
勉強したんですけど、その割にアメリカ的じゃないんですよね。
彼のはすごくイギリス的っていう、ここで喋ってるようなやつなんですよね。
メラニー・クラインとかあっちの方に近いような気がするんです、考え方としては。
なんでなのかわかんないんですけど。
その対象関係的な発想で、すごく考えてることが先行ってるなと、
1950年のことですからね、と思ったんだけど、
つまり甘えということ、もうちょっと言うと恥という概念ですね。
恥、恥ずかしいっていう言葉が日本語では甘えぶくみになってくる時があるじゃないですか。
つまり、はにかむってやつですよね。
もじもじするとか、子供が親と一緒にいるとき、
見知らぬ人の前で何か恥ずかしげな雰囲気を見せることがありますよね。
うちの子もありました。3歳とか4歳の時に。
特にその子が話題の中心になると恥ずかしがるっていうのがあるんですけど、
21:00
あの時の恥ずかしいっていうのって、人前で恥をかかされたっていうのとすごい違うんですよ、態度として。
多分内心で感じてる気持ちも随分違うと思うんですね。
心はどこに消えたで、出てきますね。
教室の中で疎走してしまったんで、今日この話もよく絡むな。
あれもすごい恥ずかしいんだけど、あの時の恥ずかしさはもっと激しいものですよね。
こっちはあるんですよ、英語にも。
この種のシェイムみたいな話は英語にも普通にあって、おそらくそんなにズレはないと思うんですね。
問題ははにかみの方なんですよ。
はにかみをシェイムと訳してしまったら、多分全然違う言葉になっちゃうと思うんですね。
ここのところをどいたけおさんは多分言ってるんだと思うんです。
つまり、はにかみとかああいうもじもじするみたいな子どもが、ああいうのに相当する部分の概念が西洋ではとても弱いと。
これに相当する言葉が事実上ないと。
このことをバリントという精神分析の一派なんですけど、人がやっぱり全くほぼ同じことを言うんですよね。
彼に言わせると、我々の言葉の中にここに相当する言葉がないと。
フロイトがそこを苦し紛れにというか、フロイトってのはやっぱりだからすごく先進的な感じがするんですけど、
この概念がないので、一時ナルシシズムというかなり分かりにくい言葉をここにぶち当てたと。
だから一時ナルシシズムというのは、日本語で言うと甘えと恥を合わせたような、だからやっぱりはにかみみたいな言葉になると思うんですね。
元初のナルシシズムみたいな、プリミティブなナルシシズムみたいな言い方をするケースもありましたけど、何にしても同じですね。
要するに年歯もいかない子供が最初に感じる、独特の周知の概念を感じるみたいなものを指している。
これとしかし、教室で訴訟したという体験で感じる感情がスペクトラムでつながっているということを日本人は知っているから、
どっちの言葉も恥になるわけじゃないですか。少なくとも恥ずかしいというケースの言葉を当てるわけですよね。
しかもここには性愛的なものが常に含まれますよね。
教室での訴訟というのは、非常に良いというのか、そういう心はどこに消えたでは、やっぱり精神分析家らしい、臨床心理師らしい事例なんですよ。
親が子供のおむつを取り替えるというニュアンスがそこにあるわけですよね。
そこで子供を恥ずかしがらせる親って普通はいないじゃないですか。
24:04
何あんた漏らしてるのとか言わないですよね、おむつの中に。
これを言われたら子供は強いショックを受けますよね。
そういうショックを受けるということと、受けない、非常にそのことが受け入れられるという状態。
そっちがつまりはにかみに相当していくと思うんですけど、一時ナルシズム的な態度なんですよね。
親に完全に預けてしまって、全然自分はそこに苦痛を感じないと。
その苦痛をでもちょっと感じ始めた時に、たぶんはにかみっていうのが出るんだと思うんです。
その延長線というのかな、同じような何かが類似している感覚のうんと強烈な、非常に敵意に満ちたものが恥だと思うんですよ。
ちょっと前に共感性周知っていう言葉をある人と話題にしたんですけど、その時も僕はすごい思ったんですね。
共感性周知っていうのはあれですよ。誰かが人前で痛いことをしていると。
見てらんねーよみたいな、ああいうやつですよ。見てるとこっちまで恥ずかしくなってくるっていう。
あれ非常に余計なお世話だと私いつも思うんだけれども、この余計なお世話だということはですね、
その人のことを世話しているわけですよね、心の中で。
ある意味共感性周知っていうのは、子供が人前でやらかして親が恥ずかしくなるっていうのとたぶん似てると思うんです。
そうすると誰か全くほとんど見知らぬ人か、かなり関係の薄い人が、
例えば舞台の上とか知りませんけれども、どっかでやらかした恥ずかしい発言をしてこっちが恥ずかしくなるっていうのは
親になっているわけですよね、その時は。
一瞬というかその瞬間に内的な親になってしまっている相手の、これ非常に精神分析的なんですよね。
そういう関係性が咄嗟に作られたわけです。
それって非常に日本的だとは私は思わないんですけれども、
はにくみというものと似てきているなと思うんですよ。
つまり親子関係がまだ完全に分離しきっていないということはですね、
完全にそこに、この番組でもよく言う母子の一体感みたいですね。
完全に二者が一体であればはにくみとかはなくていいはずなわけですね。
一体なんだから。
自分がトイレに行ってしても別に恥ずかしくないじゃないですか。
そこに自分しか絶対にいないということであれば、
もしその時恥ずかしいって言うんであれば何かそこには病理がありますよね。
普通に考えれば。
一人っきりでいる限り恥ずかしくないじゃないですか。
母子は一人なんだから、ウィニコットのやつですよね。母子は一つなんだから。
子供が何をしたからと言って子供は恥ずかしくないし、
27:03
子供が何をしたからと言って親も恥ずかしくないわけですよ。
恥ずかしくないわけですよ。
でも恥ずかしいということはどこか繋がっているわけなんですね。
はにくみというのはちょうど中間的な異向的なって言うんでしょうけど、
こういうのを時に発生することで、自分は分離しだしたということ。
分離しだすということは第三者がいるということですからそこに。
第三者がいることに気づいちゃったということですから、分離しだしたと。
分離しだすとやらかしてはいけないんだという意識が働くわけですよね。
やらかすことの最大の、何て言うんですかね。
最もやらかすこととはどういうことかというとですね、
私を愛するということだと思うんですよ。
ちょっとグッドバイブス的な文脈で言うところのと違う感じになるので、
混乱がありますがこの番組でしゃべると。
でもこれはすごく精神分析では問題とされるポイントなんですよね。
私はこれはでもグッドバイブスで言うところの愛すると、
根本的に同じところに行くんじゃないかなと思いますが、
愛するということは弱みを見せるということにつながるじゃないですか。
独立という観点から考えるとですね、独立という観点から考えると、
よく言いますよね、恋愛系のストーリーの中で、
先に愛した方が負けだみたいな。
要するに好きになるということは、相手が上位に立つということだっていう、
そこには含みがありまして、二者いるので、別々の二者がいるので、
そうするとはにかみっていうのはすごく人間の能力の高さを感じさせますよね。
子どもを親から分離しだしたということは、
子どもは親が好きだということをどこか隠してなければいけないっていう意識が
働きだしたっていう意味なんですよね、これはきっと。
だから別に親と一緒にただいるだけなのに恥ずかしがる必要は全くないんだけど、
恥ずかしがってしまうということは、親が好きだということが他人にバレてしまうという、
バレバレなんですけど、恥ずかしがる必要は全くないんだけど、
だからはにかんでいる子は正常なんですよっていう文脈になるしかないと思うんですね。
ここでは全くはにかまないということは、
あんまり親子関係が良くないんじゃないかみたいな話になりかねないところなわけですね。
親のことが大好きですということは、しかし親にもまして第三者にはバレたくないと、
でもバレてしまっているんじゃないだろうか、こう考えるということは、
自他の区分がしかしはっきりしてないんですよね。
はっきりしつつあるだけなんですよ。
自分の中の秘密なんだけどバレているんじゃないだろうかということが不安になるということは、
しゃべってもいないのにバレていることが不安になるということは、
つまり自分と他人の境界線がはっきりはしてないということですよね。
30:03
はっきりしつつあるけれど。
恥というのは、いわゆるシェイムンみたいな恥というのは、
完全に秘密にしてあるはずのことがバレたときに怒りですよね。恐怖と。
だからおかしなコーナーなんですけどね。
恐れと不安、それが怒りに変わるわけです。
はにかみには怒りってほとんどないじゃないですか。
子供が親の前でモジモジしているとかそういうやつに怒りはないですね。
攻撃的なところがない。
あそこには実際のところ恐怖というものがほとんどない。
だからある種のカウンセリングでは、
はにかみが現れればその人は大丈夫みたいな言い方があるんですけれども、
多分そういうことなんだろうと思うんですね。
それは愛情というものが正常に機能しているという証拠とみなされるんだと思うんです。
一方で、自分の秘密は何であっても絶対バレちゃダメ。
非常に病理的ですよね。
特に自分の愛情はバレてはいけない。
つまり自分が何かが好きだとか何かがしたいという時に、
意識としてはにかみが全然働かず、
ものすごく恥の意識のことばかり考えるというところに苦しさがあるはずなんですよ。
それはつまり自分の心の中にあるものが、
一つには漏れていってしまうというかバレていってしまう。
バラしたくないと強く意識しているために気になってしょうがないんですよね。
これってすでに何かを感じさせるじゃないですか。
よく統合視聴症の人、これは統合視聴症なんですけれども、
やっぱり心の対抗が表現であれなんですけど、
でも心が非常に幼児化していくとある部分が全体がじゃなくて、
自分の秘密がどんどん漏れているという恐怖感にとらわれるんですね。
私この時必ず恥の概念が通列に働いているのではないかと、
当然この文脈から考えざるを得ないんですけれども、
何にしてもよく心が読み取られるみたいな言い方をされるんですね。
テレパシー思考だったかな、そういう表現があるんですよ。
これは妙技の一つなんですけれども、要するに自分の考えが読み取られているみたいな。
これは自分と他人の、さっきの幼児がモジモジしているのと全く同じで、
自分と他人の境界というのがはっきりしなくなってくれば、
これ心の中の話なんで、はっきりしなくなっていれば、
当然こういう現象は起こるんですよね。
人を怖がっている人が、この人は私のことが分かっているんじゃないだろうかみたいに
考え始める漫画みたいなのがよくあるじゃないですか。
ああいうことが起こるわけですよね。
それは多分心の中の対抗が起こっているんだと思うんです。
対抗すれば対抗するほど、自他の区別なんてなくなっていきますから。
だって赤ちゃんのときは、自分がどこまでで、他人がどこからだなんて全く意識しないじゃないですか。
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子宮の中にいたときは、そんなものはそもそもないじゃないですか。
自他の区別などというもの自体がですね。
それは途中から作り出したものですよね、自他の区別というのは。
だからその以前の段階に戻っていけば、そういうことは起こるわけで。
つまり共感性周知というのはそうですよね。
自他の区別が曖昧になってしまっている。
自分が恥ずかしいのか他人が恥ずかしいのか分からなくなっているから、そういうことを言うわけですよね。
そのときに秘密が漏れてはいけないんだ。
一番原始的な秘密というのは一時なるシズムなんですよ。
私はお母さんが大好きですと。
何も言えないことはないんですけれども。
そこにはそうすると、そうしていたのでは自立ができないという含みがあるんですね。
だからこれはつまり、これは多分精神分析で考えるところだと思うし、
一般の児童心理学でもそうだと思うんですけど、
人は自立を思考するというのもあるんだと思うんです。
生まれつきね、生まれつき人は親から自立して生きていかなきゃだよなって思っているところがあると思います。
少なくとも一定の年齢までくればそういうふうに考えると。
だからホールディング、抱え込みというのはすごく重要な概念なんですよ。
最初はもうわけわかんないから、親が抱えていても嫌だったら暴れると。
自分が下に落ちてもいいから暴れるというか、わけわかんないから暴れるわけですけれども、
やがて意味がある分離の仕方を進めていくというか、
こっちの道は自分は安全だと思っているから行くんだと。
ここで母子分離的な話って常に出てくるわけじゃないですか。
どっち行っても危ないからあなたは家にいなさいというのをあんまりやりすぎると子供は引きこもるわけですよね。
親との間についた手を立てて、常に二人でいるんだけどもう絶対に二人ではいないような感じになっていくと。
そういう自立をする移行していく中で、お母さん大好きというのは自分の中のものだという意識が生まれるんだと思うんですよね。
つまり好きというのは自分の心の秘密だみたいな部分がどこかに徐々に形成されていくっていうのかな。
そういう側面があるので、そうやって一つ一つプライベートというものを作っていくんですけれども、
一番最初に作ったプライベートというのが一時なるシズムなんだろうと。
愛情というものを自分の心の中に収めておくと。
だからそれが漏れるということに対する恐怖感が大人になっても何かのきっかけで不意に出てくるんだと思うんですよ。
昨日のコミトレで一番考えたのはそういうところで、会話というのは相手に好意を持っていないと非常にうまくいかないじゃないですか。
36:02
相手も自分に好意を持っているという前提でいかないと非常にうまくギクシャクしていきますよね。
ところがここを秘密にしておかなければ他人に自分は牛耳られるんだとか、他人のいいようにされてしまうという、
かなり根源的な恐怖感、つまりはにかみが恐怖になっているような恐怖感がそこにもたらされるとめちゃくちゃやりにくくなるわけですよ。
プライベートで秘密にしておくことは、極力隠しながら自分の必要な情報だけは開示する。
そういうことをやろうとすると、うまくいくとなったと、もしうまくいったとしてもめちゃくちゃ巧みにやらなければならない。
一般にコミュニケーションスキルと言われているものはしかしこういうのになっちゃっている感じなんですね。
最初から恐怖感がそこにあるわけです。
本人の意識の中では曖昧だと思うんですけどね。
かにかみが恐怖になっているような、そういう恐怖感なんで、これがなくなるとすごく楽になるはずですよね。
一番最初に言ったんですけれども、恐れがなくなったら疲れることはないんですよ。
いろんなところで私たちは恐れては疲れてますから。
かにかむという頃にあった正常な感覚が、
平常が外に漏れても少々漏れても大丈夫なんだという感じというものが何らかの話ですごく損なわれてしまったときに、
自分が好きだというような心の秘密は全部しまったまま自己開示をしよう。
そもそもそれは無理という話なんですよね。
それが一番端的に強烈に現れるのが恥というやつなんだろうと、
シェイムというやつなんだろうと、あれ絶対敵意を持ってますから。
俺の秘密をばらしやがってという生きどりが完全にありますから、
少々防衛しますよ、もちろんね。
そこで怒り狂うわけにいかないですから。
怒り狂ってしまったらそれは非常にそれこそ対抗ですからね。
入業時期くらいまで戻っている感じになっちゃって、
まずいろいろ対応はするんですよ。
あれは本音ではないとか、いろいろあるじゃないですか。
でもやっぱり敵意はそこにあるわけですよね。
守らなきゃならないと思っている限りは間違いなくあるんだろうと思います。
これとはにかみが繋がっているんだと、
プライベートな部分の扱いにおいて繋がっているんだということを
甘えの構造という言葉で指摘したんですよね。
甘えですからね、どっちもね。
恥って絶対甘えと関係があるじゃないですか。
深掘りはしませんけど、すごく性愛的なものって、
恥ずかしいということと性愛というのはめちゃくちゃ関係が深くなってますよね。
39:00
はにかみも当然そういうものですよね。
そこに愛情がどっちにもないわけじゃないんでしょうけれども、
非常に少なくなると羞恥になっていくし、
非常に濃くなっていくとはにかみになっていくっていう、
そういうことを甘えの構造では多分全体として論じているんだと思うんです。
西洋にはこの繋がりというものが認識できていないと。
いないから言葉で、同じ言葉ではその表現を取らないと。
あるんですけどね、はにかみみたいなのは。
でも普通にはあんまりそっちはシェイムとの関連性では多分使われないと。
だからナルシシズムという言葉をそこに打ち当てたと。
ナルシシズムだと意味がずいぶん違うから、
一時ナルシシズムみたいな名前になっちゃったと。
で、一時ナルシシズムとシェイムっていうのは多分我々だって全然そこに近いものがある。
共通したものを感じないですよね。
一時ナルシシズムとシェイムって全然違う言葉のような感じがするんですけど、
我々はどっちも恥ずかしいってくっつけることができるんですよ。
こういうところを彼は書いていて、
それは別に日本人論とかではないんだと思うんですよね。
これはやっぱり精神分析の話を彼は書いたんだというふうに思うわけです。
ご視聴ありがとうございました。