2021-09-22 38:32

【GMV 463】グッドバイブスを仕事に活かす

ニードをニーズに変える
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
こういう話をしたいと思いつつ、なかなかできなかったものの一つに、
グッドバイブスを生活とか仕事に生かす具体的な話みたいな、
いつも同じようなパターンになっちゃうっていうこともあるんですけど、
意外と意識に残ってくれてなかった。
ここ出たとこ勝負で喋ってるんで、たまにね、これを間違いなく喋るぞみたいなこともあるんですけど、
15回に1回ぐらいはあるんですけど、本当に少ないんで、なかなかそういうのは恵まれなかったんですけど、
昨日、ようやく恵まれたんですよ。
それは、つまり一昨日じゃないな。
土曜日にセミナーを久しぶりに東京で、しかも外に招聘していただいてですね、喋ったんですよ。
アウェイなんですね。
アウェイで喋るというのは非常に良いと思っておりまして、
というのは、辛いところもあるんですよね、全体に。
基本、好意的だとは言い切れない方もいらっしゃるじゃないですか。
私の好きで、私が自分で開催するとか、それこそ八重蔵さんとかやるとか、
倉津の慶三さんとやる場合には、よほど来た人にとって面白くない話を、
面白くないというのはある意味挑戦的な、相手の方から見ればっていう意味ですね。
内容でない回避は好意的に受け止められますが、アウェイはそうはいかないんですよ。
昔、例えば群馬県の新前橋の方の商工会議所で呼ばれて喋ったみたいな、
年代も違えば雰囲気も全く違うんですよ。
事前に、また脱線してますが、お寿司入れる立派な容器あるじゃないですか、
ああいうのにご飯入ってて、それをいただいてから話すみたいな、
これは講演やってる感じするわっていう講演、ああいうところで喋るのは、
すごく丁寧に扱っていただけますけれども、やっぱりアウェイ感ものすごくて、
なんかね、あそこでタスクシュートの話とかしたんですけど、
めちゃくちゃ間違いな感じしか自分の中でもしないわけですよね。
だってどう考えてもここの人たちの、もしかするといらっしゃるかもだけど、
タスクシュートっていうものを知ってるっていう人はいらっしゃらないだろうなっていう、
どういう季節で僕呼ばれたんだろうみたいな、そういう感じになるんですけど、
それでも一生懸命喋るんですけどね。
そういうところは大変なんですが、やっぱりいい経験だなと思います。
世の中広いなっていうことを実感させられるし、
03:02
それって結構楽しいじゃないですか。
人にもよると思うんですけど、
でもやっぱり旅行とか行くのって、
世の中広いなってことを知りに行くっていうことだと思うんですね。
そういう意味で新米橋とかは別に全く知らない都市とか、
全く知らないですけど、
そんなにね、飛行機で8時間とかかかるようなところじゃないし、
群馬県だし、私埼玉県ですけど、
大隣さんなんで、別にそんなに見知らぬ世界みたいなことはないけど、
全くそこに知らない世界があるという経験をしたりして、
面白いんですよ。
という意味で招聘されるってすごく楽しいんで、
なんか聞いている方が招聘してくださるということがあったら、
ぜひお願いします。
割とポンポン行きます。
嫌だと思ってないんで。
特にそれこそグッドバイブスを知ってから、
これを嫌だと思うことは全くなくなったんですよね。
大変なんですけどね、
中でやるということに比べれば外でやるということは絶対大変なんですけど、
いろいろ事前にお知らせしなければならないこともあれば、
誤解を生むということも多々あるので大変なんですけど、
でもいいんで、ぜひ何かあったらやります。
で、やったわけですよ。
そしてアンケートというのが来るんですね。
私はアンケートというのがいろいろあるんですが、
とにかくアンケートというものを読むと、
面白いぐらい絶対に1人ぐらいはかなり辛辣なことを書く方がいらっしゃるものなんです。
これはもうね、
だいたい、もちろん数が増えれば1が2になり2は3になるんですけど、
そういう感じなんですよね。
1ぐらいはあるって思っておかなきゃいけないんですよ。
で、私いつも思うんですけど、
50分の1とか100分の1に意識が集中するのは良いことじゃないと思うんですね。
だいたい不公平じゃないですか、それって。
自分が悪く書かれたという以外に特別視する理由何もないのに、
それってつまりどうしたって、
どこからどう見ても自分が可愛いからこれを重視するというだけでしかないんで、
良くないと思うんだけど、
やっちゃうんですよね。
これがつまり生物なんだなってことなんですよね。
死の恐怖は生きている楽しみよりも強いんですよね。
これもグッドワイブズ的には良くないバランスだと思うんだけれども、
この本能っていうのはですね、
これを死の本能とかって古い人も言うんでしょうけれども、
なんかこう僕はこの言葉だけはじゃないけれども、
この言葉はいかにも釈然と本能っていうのは
なんかこうもっと絞り込むべき言葉なんじゃないかと思いますが、
まあ良しとしてそういうことがあるわけです。
だからアンケートを全部読むのは本当は精神衛生上やめといたほうがいいという面と、
グッドワイブズ的にも私はもうやめといたほうがいいだろうなと思いつつ読んじゃったんですね。
06:00
案の定1個あるわけですね。
なんかね、この法則は名前を付けられるんではないだろうかぐらいに思う1つはある。
なんかね、絶対にそういうのが出ないようにするという努力をすればなくなる可能性はあると思うんですけど、
私はそういう努力はむしろしないほうがいいと思うので、
進羅室のことを書かれない努力とか、
それはすごく僕の感じでは不毛な感じがしますので、
読むじゃないですか。
そしてこのグッドワイブズってどのくらい来るだろうと思ったんだけど、
めちゃくちゃ来るんですよ。めちゃくちゃ刺さって、
これはこれを頑張って取ろうと思ったんですね。
これを持って仕事にグッドワイブズを生かすということだろうと思うこともできるでしょうと。
いろいろ考えたんですけど、まず不安と恐れを取り除く。
これはできなかったんですよね。
時間かければできると思うんですけれども、
いや、こんなのは大したことはないとか思うのは全然ダメだなと。
結構来ちゃってるなと思ったんですよね。
それに対して、
やっぱり、
寝る前のタイムリミットを考えても、
読んだタイミングが遅いよなと思いました。
寝る前のタイムリミットを考えても、
そのタイミングのタイミングが遅いかなと。
だから、
時間がかかっているとだんだん寝てしまうので、
読んだタイミングが遅くなると、
また寝る前のタイムリミットを考えると、
寝る前のタイムリミットを考えても、呼んだタイミングが遅いよなぁと思いつつ、
なんとか頑張ろうと思って、最終的に一番有効だったのは、
現実には意味がないというアレなんですね。
グッドワイフスでもよく出てくるし、たぶんミドリーの本にも出てきていると思うんですけれども、
不安ゼロの本には確実に出ていますね。
意味はつけない限りないと。
私たちはそう全然全く思っていないから、
辛辣なアンケートには辛辣な意味があると思っているんですよ。
誰が読んでも同じだという意識を持っちゃうんですね。
この意識が強くなりすぎた時に、この番組で言うところの妄想分裂ポジションなんですよ。
妄想分裂ポジションというのは意味の塊なんですね。
もうダメだと赤ちゃんはそう思っているんですよ。
お母さんはもう行っちゃったとは言っていないんですけど、
ただ洗濯物を取りに行っているだけなんですけどね。
妄想分裂ポジションというのはそういうものなんですね。
妻はもう激怒していると、この結婚はおしまいだと思っちゃうんですよ。
これは意味の塊なんですね。
現実はもうほとんどない、全くないということはないですよ。
現実検討式ゼロということはない。
例えば私はそれをアンケートを読んでいるんだということは意識、当然しています。
09:00
辛辣なのを書かれてすごい辛いと思っているのは既に妄想ですけれども、
だからといって、錯乱して取り乱すということはないわけですよ。
この時に大事なのは、自分はどの程度現実のところに、
現実検討はどういうところでまだ踏みとどまっているかということなんです。
自分は正気に決まっているので、
このアンケート解説は焼き殺してやりたいとか思っているわけではないんですよ。
だからどの程度まず現実を見ているのかと。
これの何が大事かというと、現実は意味がないんですよ。
現実は意味がないわけだから、
現実だと思っている部分について苦しんではいないんですよ。
苦しんでいる部分は現実以外の部分なんですね。
だから妄想なんだけど、
まずこれはアンケートであるということは分かっているんですよ。
ついでに言うと、そのアンケート全体の約2%ぐらいしか、
この辛辣なことは占めていないということも分かっているんですね。
だから冷静なようなんだけれども、そうじゃないんですよ。
結構ドキドキしたりしているわけです。
ドキドキなんておかしいじゃないですか。
心臓を早く打つメリットというのかな、
心臓を早く打つべき理由というのはないんですよ。
心臓を早く打つということは、
つまりこの危機から逃げるために走るとか、
走ったってしょうがないですよね。
アンケートは動物とかじゃないんでね。
あるいは戦うとか、戦うこともできないんですよね。
そこにあるのは紙なんで、紙すらないんで、
メールでPDFが送られてきているだけですからね。
心臓を早くなるというのは、
体の誤作動がいいんでしょうね。
でもこれはイリュージョンなんですね、結局ね。
イリュージョンに反応している。
ここからなんですが、
外側に意味がないならば、
意味は内側から作っているんですよ。
これがなかなかですね、なかなか理解できない。
こういう状態になっているときが理解できない。
他の人にはできるんですよ。
例えばこれを娘に見せてどうっていうと、
こんなの気にすることないよって言ってすぐゲームに戻る。
これが正しい反応。
これってつまりどういうことかというと、
現実には意味がないってことなんですよね。
ところが私は当事者であり、
この非難は私に向いていると思っているから、
意味をつけちゃうんですね。
この意味はどういう意味なんだろうと思うわけです。
まず、
例えばこのアンケート全体をお話しするわけにいかないので、
一部キーワードだけ取ると、
こんな講師って言葉があったんですよ。
この種の言葉はよくある。
こんなという言葉にやられやすいんですね、私は。
こんな講師を呼ぶっていう表現があって、
12:03
そういうことに対する、
これは向こう側の防衛なんですけれども、
実は下げすみがあるじゃないですか。
この下げすまれている中で立って何かをするっていうと、
僕は結構弱いんですよ。
つまりそこには意味づけがあるんですね。
意味づけじゃなくて事実だろうと思うのは間違いなんですよ。
まず第一に、
これが事実だと言うためにはですね、
これは評価だと位置づけなければいけない。
アンケートだから評価なんじゃないのって思われるかもしれませんが、
ABCDEFG。
Gまで用意しなくてもいいと思うんですけど、
Aが一番いいんですね。
Dまであったわけですよ。
侵略なのはDなんで、
Dが一個。
この一個が客観的事実であると言うならば、
全部Dじゃなきゃダメじゃないですか。
ここを忘れてはいけないんですね。
心が忘れるんですよ、僕らは。
未だにこのことを僕が喋っていられるというのは、
実は心の中で完全にそういう風に認識できていない証拠なんだけど、
これ今日のネタなんで、
覚えておこうとも思ったんでね、
覚えてるわけですけど、
ABCDとあっちゃダメなんですよ。
そんなことってあり得ないんですよ、現実であれば。
現実というのはやっぱり、
レモン水にリトマスシロップをつけたら、
絶対同じpHにならないとおかしいんですよ。
3になったり、7になったり、6になったり、5になったりするが、
全部どれも正しい評価ですってこと、
あり得ないじゃないですか。
まして、AとDでは全然評価が、
言ってることがほとんど、
昨日読んでいてもそうだったんですけど、
Aの方がしかも多いわけですよ。
180度逆に近いのに、
両方とも真実であるっていうわけにはいかないんですよ。
ここでみんな、私たちが持ち出すのは、
それをメンタルリアリティってフロイトは言ったんですよね。
このメンタルリアリティっていう話を持ち出すと、
この段階ではややこしいので、
一旦ですね、まず、
これは客観的評価として事実なんだろうかと考えると、
そうではないんですね。
ってことは、これは客観的事実としての評価じゃない何かなんですよ。
それは現実として何かあると。
でも私はそれに、
あたかも客観的に自分が評価されたような意味をつけるんですね。
そして自分がそれによって苦しむと。
これを認識することで、
一つ外れるんです。
ウッドワイブス的に。
現実には意味がなくて、私が意味をつけていると。
これ一番難しいのは、先日も言った通り、
肉体的な話ですよ。
こんな評価よりは、はるかに難しい。
取れないですもんね、私まだ。
体が痒いっていうのは、意味のような気がしている。
15:00
本当はこの痒みは私が作ってるに決まってるんですけど、
でもやっぱりなかなか取れないと。
脳には通覚はないですからね。
脳が作り出しているんですよ。
足が痒いとかっていう、
まぁデタラメな情報は、
わけがあるんですけどね、それはね。
ここを気にしろという。
つまり、気にしろってことなんですよ。
このアンケートのこの項目を気にしなさいと。
作り出しているわけです。
その構造自体は、なんか変わらないんですけれども、
やっぱり自分に近づけば近づくほど、
私の感じではね、
自分の肉体であるとより強く感じるし、
除きにくいように思う。
まぁこれイリュージョンなんですよ。
倉園さんが指摘している通りなんです。
程度の問題は本当にないんですよ。
だって、元々ないものなのに、
程度の問題があるはずはないんですよ、本当は。
あえてこれに程度の問題を付け加えている感じがするのは、
やっぱり否定しがたさというものを、
脳がどれくらい作り出せるかの勝負みたいなところなんですよ。
嘘なので、嘘なだけに否定しがたさって大事なんですよね。
簡単に否定されてしまったんでは、
お腹が痛い気がする、イリュージョンだみたいに、
全部簡単に排除されたのでは困るわけですね。
それはそれなりに困るように思うんですよ。
ほとんど困らないんですよ、これ本当は。
だけれども困るように思うので、
否定しがたさってあるわけですね。
僕の感じではこのアンケートは、
もっと簡単に否定できるはずなのに、
脳は頑張ると、
全く無駄な頑張りを見せるんだけれども、
頑張るわけです。
一つだから大事なのは、
自分の現実見当を失ってはいない。
これはアンケートであって、
しかもばらけている評価であって、
真実を指し示すことはできていない、
というところまで知っていれば、
そこには意味をつけられないじゃないですか。
真実を指し示していないだけですからね。
何か書いてあると。
それに私が意味をつけるわけです。
だから私がこれで苦しみたくないのならば、
意味をつけるのをやめればいいわけですよ。
あとはもうここまで来たらですね、
あとはもうどうするかの問題なんですよ。
私がやることに、
私がやっているという確信を
強くすれば強くするほど、
これはDで、
こんな講師と言われるということは
いけないことで、
私はとても恥ずかしいことを
したんだという意味を
つけるのをやめれば、
この苦しみは全部、
形に止まるわけですね。
そしてぐっすり寝られるわけですよ。
こっちを選ぶか、
そうじゃなくて、
一生懸命このDを
真実の意味ですというふうに
捉え続けるかの問題になる。
ここまでやれば
半分以下にはなります。
なくなっても良さそうなもんなんですけどね、
この段階で。
私の昨日の経験では
18:00
これでなくならなかったんですよ。
もう一つ大事なのが、
夢を見ている人に
罪はないなんですね。
私が昨日使って
極めて有効だったのが
もう一つがこれなんです。
現実には意味がないというのが一つ目。
二つ目が夢を見ている人に
罪はないと。
この罪はないはですね、
まず自分に適応します。
アンケートを書いた人に適応もするんだけど
まず自分に適応します。
私はこういう意味をつけて
自分が苦しんでいる。
このようなことをしちゃっている
自分は、でも
夢を見ているわけですから、
悪いことをしているわけではないんです。
私を苦しめてしまっているんだけど
それは夢を見ているんで、
つまり夢を見ている人が
壁とか叩いたり汚えとか出しても
私たちはその人を
しょうがないなと思うかもしれませんが、
基本攻めないじゃないですか。
だって夢を見ているわけですから。
基本的にそれとは変わらないんですよ。
イリュージョンで苦しむというのはですね、
幻想を見て苦しむわけじゃないですか。
そこに本当は存在していないものが
あると思って
苦しんでいるわけですよね。
目の前に恐ろしい人が
迫ってきているという
幻覚を見て
恐れているということを本当に
目の当たりにすればですね、
他の人に見えないのにその人だけに
見えちゃっているということを本当に
目の当たりにすれば、私たちはだいたい
その人に同情すると思うんですよ。
裁判でもそうなっていますよね。
責任能力がないとみなされるじゃないですか。
私は、私を苦しめていることについての
責任能力はないんですよ。
なぜなら、夢を見ているから。
だって、娘に見せても妻に見せても
見せてないですけどね、昨日は。
明らかにこれは
私が見ているようには
見えないわけですね。
ってことは、私の見ているその光景は
私だけが見ているんです。
私に関するアンケートだから
佐々木が一番、あなたが一番
正しく見ているんじゃないのっていうのは
ダメなんですよ。そのような根拠はないじゃないですか。
私、それを言える権利のある人は
この世にむしろいないと思うんですね。
自分が当事者だから
一番理解度が高いなどとは
決して言えないと思うんですよ。
逆のケースもたくさんあります。
自分が当事者だから
一番理解できていないというケースって
たくさんあるじゃないですか。
だから、私の方が
わかっているように、私は困ってしまいますが
それを含めて
夢なんですね。
夢を見ている人に罪はないわけです。
だから、私は
私に苦しみを与える点において
罪はないんですよ。
こう考えることができればですね
あとは簡単ですよね。
明らかにアンケートを書いた人だって
夢を見ているわけです。
そうなんですよ。
間違いなく。
真実を正しく
客観的に判断しているということになれば
他の人がつけている
AとかBとかは
全部間違いだってことにならなきゃいけない。
一人が正しくて
50人から60人の評価は
21:00
全て間違っている。
ここまで言い切れるケースって
まずないじゃないですか。
たまにないとは言わないですけど
まあないですよね。
だから夢を見ていることは
確実なんですよね。
その人は夢を見て苦しんでいるんですけど
そこまでは今
考えなくていいと思うんです。
私が夢を見ているけど
罪はないと。
Dをつけた人も夢を見ているわけだから
罪はないと。
これもアンケートになったんですけど
こんな講師を呼んだ
FAさんですよ。
FAさんとしておきますね。
FAさんにも罪はないんですよ。
だってこんな講師を呼んでしまったのは
夢を見ているわけですから。
2つしか考えられないですよね。
こんな講師を呼んだことは間違ってあったか
こんな講師を呼んだということは
そのDをつけた人にとっては
ともかくとして正しかったか。
正しかったなら罪はないじゃないですか。
間違ってたんだとして
私を呼んだのが間違ってたんだとした場合
それは夢を見てたんですよ。
しょうがないんですよね。
そこに罪はないわけです。
こうすると
3本どこにも罪がないですよね。
私の講義を聞いて
これについて後で
しゃべりますけど
私の講義を聞いて被害を受けた人
およびそれを呼んだ人
どこにも罪がないというのは
誰も悪いことはしてないということです。
誰も悪いことはしてないということです。
ここで
消えるはずなんですよ。
外側に意味がない上に
誰も悪くなければ
誰かが苦しむのはもはや
おかしいですよね。
どう考えてもそれはおかしいんですよ。
あえて言うならば
誰かが苦しむとすれば
それは自分で自分を
苦しめてるから
他にもう全く
どこからも
苦しみの源泉がないはずなんですね。
悪いことは
誰もしていなかった。
意味はそもそも
存在していない。
あと残っているのは
悪いという意味を妄想して
頭の中で作り出して
勝手に苦しむと
これはもうセミナーをしていようとしていないと
関係ないですよね。脳内に
悪い夢を
作り出して
自分がコロナにかかったとかね
すごい苦しいみたいに思うのは
それは確かに
かわいそうではあるけれども
だからといってそれは
誰が悪いとか言うことは言えないわけですよね。
当人も悪くないんだったら
誰も悪くはないわけです。
これで消えるはずなんですよ。
で、まあまあ
おおむね消えたんですね。
で、もう一つダメを
押すならばですね、ここまで来て
来るとですね、こう
アンケート読み直すと
違って読めるんですよ、やっぱり。
ダイレクトに刺さらないので
心に
隙間というのかな、空間が
空間が空きます。これが
よく私が言っている表現を
24:00
使えばですね、クレノンさんも
時々こういうお話はされるんですけど
多分みんなこれ言ってること同じなんですよ。
コンテナなんですね。
心をコンテナとみなして
見た時に、心に空間が
空く。空間が空くと
さっきいっぱいいっぱいに、このアンケート
を読んでいっぱいいっぱいになってた時と
全然違った感じを
解釈が生まれて
くるんです。あれは不思議なもの
ですよね。別の
言い方をするならば、妄想分裂ポジションで
ある時は
心がいっぱいいっぱいになって
しまっているので、ただただ
これを読んで、苦痛だという感じ
しか受けない。しかも
心臓まで高鳴っていくと。
心身傷に発展するわけですね。
だけれども、私は
心に余裕が、今の言った
現実には意味がないのと
夢見ている人には罪はないから
余裕ができたわけです。そして
見ると、妄想分裂ポジションから
抑鬱ポジションに移るんです。
コンテイン
できる。入れる場所ができるわけですよ。
入れたいわけじゃないけど
入れるわけですよ。そのアンケートを
心の中に入れる
隙間ができたから。しかもまだなお
余地があるので、ここで私の
解釈をそれに
その間を使って
入れることができる。
これは何をやっているかというと
ニーズなんですね。
妄想分裂ポジションとか
心がいっぱいいっぱいになっているとき
ニードしかないんですよ。
そこには。そのことが
よく見えるわけです。
最初に見たときは、自分が批判
されたという部分が刺さっちゃうから
わからないんですよ。
わからないというのは不思議なんですけど
毎朝喋っているような話なんですけど
妄想分裂ポジションに
入っているんだなというのは分かるんだけど
入っちゃうんですよね。
入っちゃうのは、私は今の自分については
もっと成熟すれば
入らなくなると思うんですが、しょうがないと
思っております。
ニードなんですよ。
このことを忘れてしまっているんですけど
赤ちゃんがぎょわーって
鳴くのはあればニードなんですね。
ニーズじゃないんですよ。
お腹が空いたのか
おむつを取り替えて欲しいのか
暑いのか寒いのか眠いのか
全部一緒になるんですよね。
わからないわけですから。
どれなのかが自分で。だからニードしかないわけです。
車のガソリンが
足りないよとランプを
光らせる。
それがニードです。
別に車は自分に何が起きているのか
知らないですよね。
それを外側の人が
運転手がオーナーが
解釈するとニーズになるわけです。
ガソリンを入れるというニーズになる。
赤ちゃんが叫ぶという
段階ではニードなんですよ。
お母さんがそれを
おっぱいをあげればいいんだと
解釈して初めてそれはニーズになるわけです。
お腹が空いているから
何か食べたいとか飲みたいという
ニーズになるわけです。
赤ちゃんはそれを明確に
理解することももちろん言語化もできない。
27:00
同じなんですよ。
このアンケートは。
読むとどこにも要求がないわけです。
こんな講師を呼び上がって
ふざけんなと書いてあるんだけど
そこは怒りが書いてあるわけじゃないですか。
叫んでるわけですよ。
これをニーズに変えるのが
僕がやることですよね。
これを読んだだけだと
ニードだけになってしまうわけです。
ニードに対して私が傷つくだけだと
ニードとニードがそこに2個できるだけで
何にも先へ進んでいかないんですよ。
ニードをニーズに変えるということは
それをコンテインデキル存在
母親のことを指してますよ。
ただしそれは比喩です。
この場合私が母親になり
書いた方が赤ちゃんになってますけど
それは比喩です。
ここに上下関係があるわけじゃないんです。
本当のところ。
大事なのはここにニードがあって
それをニーズに変える。
この比喩はもちろんカウンセリングのための比喩ですよ。
精神分析家と
雷断者がいる。
雷断者はニードを発します。
多くの場合そうです。
逆転することもあるんですけど
それを逆転移って言うんですが
精神分析家はそれに解釈を与える。
そうするとニーズになるんですよ。
普通の場合。
ただし分析家だって
その場では最初には妄想分裂ポジションに
巻き込まれてコンテインデキルできなくなる
という状態もあります。
その時ニードってはっきりするわけです。
叫ぶから。
どんなニードかは分からないわけですよ。
私も
呼んですぐに分かったわけじゃないです。
最初はニードになっていた。
ニーズになっているというところに
来ると
その方が
言わんとすることが不思議と分かるんですね。
そしてこのタイミングぐらいまで来て
初めて私が
欲打つポジションを完全に取り戻してみて
初めて
さっきどういう感じを
自分は受けたんだろうということを
内省することができるんですね。
非常に硬直した感じを
受けたし
怖いサディズムっていうんですけれども
おっぱいを噛みちぎりたいという
ああいう欲求ですね。
非常に下げすみたいという
欲求が私の方に
あったと。
このアンケートを下げすんでやりたい
という感情があったと。
そして振り切ってやりたいという。
振り切るってことは要するに
切り捨てるってことですよね。
もうちょっと言って分離してしまうということですよね。
お母さんもお母ちゃんも分離するって
捨てるってことですよね。
捨てたいという
気持ちがあったと。
これがアンケートを書いた人の
少なくともアンケートを書いた時の
気持ちとしてあったはずの
ものなんです。
これを東映ドイツカというはずです。
これがですね
不思議なんですよ。そんな証拠はないですよ。
本当のことは分かりません。
デタラメかもしれないんだけど
なんか不思議なくらい確信を持って
迫ってくるんですよ。
30:00
多分これはですね
オカルトじゃないんだと思うんですよね。
何らかの形でそういう
ウィニコットが流石に
直接コミュニケーションと読んだだけのことはあって
このアンケートによって
直接コミュニケートされているわけです。
一見したところ書いたことがあるんだから
伝えたいのは
それでしょうと思われるかもしれません。
こんな格子をFAは読んでみたいな。
それは違うんですよ。
多くの人はよく知ってますよね。
クレームというものについて。
そこに現れている言葉は
あまり意味がない。
全く意味がないわけでは
決してないんだけど
その言葉によって伝わっているわけですからね。
でも大事なのはその時の
気持ちなんですよね。
振り捨てたいと
詐欺すみたいという気持ちがあるわけです。
その書いた方にはですね
この
私を詐欺すみたいんですけど
ついでに証明した
組織を詐欺すみたいというのも
あるわけですけれども
そのことがよくよく伝わってくると。
この段階では
まだ無理ですが
多分もうちょっとお互いに
話し合えばですね
そうかなるほどなというのが出てくると思うんですよね。
これを出てくるまで
頑張るというのがある意味
精神分析なんだけれども
これが出てくるわけです。
ニードをニーズに変えられるようになる。
ニードをニーズに変えられるようになるというのは
その人の本当の欲求というか
願望というものに
焦点が当たっているという意味ですから。
そして
欲打つポジションに
入れるから
心にスペースができる。
そうそうそういう言い方するんで
ナミニコットは。スペースができる。
ミニコットじゃないかな。ビオンかもしれないです。
このスペースができれば
もう何とかなるんですよ。
多くの場合は。私たちの問題は
精神病じゃないですからね。
もうちょっと
やりやすい水準でやっていますから。
ただそれにしても面白いことに
このアンケートには
ニーズがないんですよ。ニードしかない。
ここはすごく
気がつくと重要なポイントだと
思うんです。
多くの場合きっとそうですよ。
欲求が書いてあるように
見えてそうではなかったりする。
私たちが
何とも扱いにくいなと
思うのはそこにあるんだと思うんです。
クレームとかも
そうで。クレームをつける
って言うじゃないですか。
クレームを要求するとは言わないんですよね。
要求の形式に
沿ってないようなことが多いんだと
思います。
だから私たちがそれを
ニーズに変えられるという時には
もう言ってみれば正気に
戻ってるっていう意味なんですけど。
エディフス水準を
取り戻していると言っても
いいと思うんですけれども
そういう状態になっているので
持ち運べると
コンテインできるわけです。
コンテナを
持ってるからね。
だから
33:00
一番大事になってくるのが
その時に
さっきなった自分の気持ちは
相手の気持ちだったんだということに
概ね気づけると。100%そうかどうか
わからないですよ。でもこれは
すごい確信が
感じられるんですよ。この構図を
意識するようになってくると。
さっきの私の硬直した
間違いなく硬直は
相手もそうだったと思うんですよね。
相手の方も硬直していた
に違いないと思うんです。
硬直していただけですでに
そのいきさつが
私に怒りがぶつけられていなければ
非常に
共感というのとは違いますけど
同情ということは
あると思うんですよね。
そこには。だって人は
硬直したことはないじゃないですか。
硬直
しているというだけでも
その緊張感が
和らげられたら良いのにとは
思うと思うんですよ。
この段階ではもう
怖くはなくなってますよね。
相手のことは。
結局何が
怖いのかというと
このケースで言えば
詐欺すみなんですよね。
だから私は
アンケートを読んで
詐欺すまれた中で
立つのが怖いという気持ちが
発生したんだと思います。
これをグッドファイブス的に
さらに深掘りしていくと
かつてあなたは人を詐欺すんだこと
ありますねって話になるんですけど
あるんですよ。
だからそういうことをすると
後々戻ってくるんですよ。
これは
因果応報みたいな話になってしまいますけれども
そういう価値観を
抱いていなければその価値観で
苦しむことはないっていう話ですね。
ここまで来ると仕事に生きてるじゃないですか。
このニードを
ニーズに変えるということは
多分この次の
やるかどうか分かりませんが
やるかどうかセミナーをするときには
十分役に立つと思うんですね。
アンケートの
非難的な話をどうするかっていう
話とはまた違うし
悪かったアンケートを
よく活用できるって話にすると
わかりやすくてシンプルでいいんだと思うんですけれども
私としては
それでもいいと思いますが
そこだとなんかですね
悔しさが残る気もするし
悔しさが残る気がするんですよ。
あまりにもいい子になりすぎている。
私のこの話は
結局同じような結論になっちゃってますけれども
そうではないつもりなんですよね。
確かに誤解があるんです。
たくさんの。つまりイリュージョンがあるんです。
イリュージョンにまみれてると
言ってもいいぐらいです。
相手だけじゃないってことですよね。
もちろん出発点は
アンケートを書いたところにあるんだけど
読んだ人もすぐ同じ
36:00
イリュージョンを見るんだったら
あまり変わらないわけですよ。
イリュージョンなんですよ。
これがやっぱり大事なんですよ。
矢印が閉じてる矢印と開いてる矢印を
見たとき
開いてる方が長く見える。
長く見えるんですけれども
長くはないわけじゃないですか。
イリュージョンというのはつまり
感覚が嘘をついてるんですが
大事なのは
同じ長さだということですよ。
見えるという事実はそこにはないわけです。
同じように
私が詐欺すまれたという事実は
実はないんですよ、そこには。
ないのに怒ることはないし
傷つくこともないわけじゃないですか。
ただ
そういう
長い矢印に見えますと
見えること自体は罪じゃないじゃないですか。
見えるんですよ。しょうがない。
そう書いてあるんでね。
目はそう見せるように作られているわけです。
それなりにそれにも意味がありますし
あれは立体誌の意味があるんですけれども
そういう風に
考えていけばですね
誰も悪いことはしていないし
何も悪いことは起きていないので
従ってぐっすり寝どけば
いいわけですよ。
そういうぐっすり寝てから
寝てからじゃなかったヘル機能は
起きて読んでみるとですね
そこにニードが見えるわけですね。
そしたらそれをニーズに変えればいいわけです。
それはスルッとできる
不思議なことにできるんです。
そしてその時
同時に多分
自分が妄想分裂ポジションに入った時
どういう東映同一化を
強制させられたわけですね。
強制したくて
アンケート書いているわけですから。
強制させられるのかと
こういう東映同一化が
自分に起きたということは
相手も全く同じ気持ちになっていたんだと
それはなぜなのか
そこまでは分かりません。
私のセミナーのきっかけにすぎないので
もともとおそらく
そうした何かがあって
その話をずっと追っていくと
やっぱりエリフスになっちゃうんですよ。
フロイトだとね。
ほとんどの場合例外なく
そこに行き着けるというところが
フロイトのすごいところですからね。
そういう風に
ところまで来ればですね
自分はこれをニーズに変えて
ニーズに変えるということは
そこにニーズがあるということですから
仕事に活用することが
できるでしょうと
こういうことが今回あって
グッドバイブスを仕事に活かすということが
一つできたかなと
これからの話ですけどね。
思いました。
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