2021-01-07 50:06

【GMV 292】グッドバイブスで分かったこと

以前からそうではないかと疑っていたことの一つ一つが明らかになってきたということです。
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日、久しぶりではないのか、でも年明け初めて、
クラザノケイゾーさんと収録してですね、
ここでやっぱりですね、私のグッドバイブスに、
私のグッドバイブスっておかしいんだけど、
リセットがかかるんですよ、多少。
これ、再起動みたいな感じで、
これ結構、私の中では大事だなと思うんですね。
なんていうのかな、タスクシュートとかもそうなんですけど、
私は非常に恵まれたポジションにいてですね、
開発者のタスクシュート、青橋立夫さんと、
頻繁にコンタクトを取るので、
そのタスクシュートについての解説とかを、
してもらうことはもうないんですけど、
話聞くと、話の端々にやっぱり、
自分と合ってないところがあるわけじゃないですか。
人の考え方だから、もうそれは本当に、
緊急事態宣言についての話であっても、
そこにはズレがありますよね。
認識のズレがそもそもあるし、
僕もそうなんですけど、青橋さんもそうで、
世間のことについて興味がないと、
ほとんどの人が知っているであろうことを、
知らなかったりするわけですよね。
そうすると、知らないということを一つとっても、
タスクシュートのヒントになるわけですよ。
これは相当、
ノンバーバルコミュニケーションも含めて、
相当話し合っていないと、そんな風にはならないですけど、
この人がこれを知らないということは、
私はこれを知っているということは、
どういうことなんだろうと考えたりするんですよね。
それでタスクシュートというものが、
ちょっと見えるということがあって、
そんな感じでリセットがかかるんですよ。
そうすると、今までの自分のタスクシュートについて、
こういうふうに思っていたけど、それとちょっと違うんだな、
みたいなことがわかるんですよね。
今のは相当わかりにくかったと思うんですけど、
要は、例えば私が緊急事態宣言について、
割と詳しいのは、奥さんが、
ワイドショーとかをすごく見るからなんですね。
そもそもワイドショーをすごく見る奥さんと、
多分大橋さんは結婚されないと思うんですよ。
こういう違いが、
同じツールを同じように使っていても、
同じような価値観は決して抱かないんですが、
そういうところからもですね、
何をそのツールでやっているのか、
みたいな話、ことが見えてくるんですね。
そういうことが多々起こるわけです。
なので、
グッドバイブスもですね、結局、
03:01
創始者じゃないですか、倉園さんは。
だから創始者の人と話すということは、
話さなくてもですね、会うということは、
あれに関して言えばですね、
あの、
そういう、
自分がそれまでこういうふうに思ってきたこととは、
少し違った方向があるっていうのを、
汲み取ることになるんですよね。
そういう話が、
そういう、なんていうのかな、
影響があるかなと思います。
思いますので、宣伝なんですけど、
1月30日に、
グッドバイブス勉強会という、
新しく、
新規巻き直しするんですね。
同じ名称で去年もやってたんですけど、
今年からシーズン2ということで、
新しく新規巻き直しして、
1から、1からっていうのは、
わかんないですけど、
最初の方から、
一通りグッドバイブスを、
やり直していくというか、
語り直していくみたいなものになるかなと思うんです。
いくというのも、
それなりに何かあるかもわかんないですけど、
やっぱりグッドバイブスは、
倉須野さんにダイレクトでお話を伺うのが一番ですよ。
なので、これは、
ぜひお勧めしたいかなと。
3000円なんで、手軽ですし、
しかもオンラインで全部まかないので、
家から一本も出ずにやれます。
このご時世、ちょうどぴったりだろうという風に思います。
私、この番組でよくですね、
グッドバイブスを知る前と知った後という話をして、
極力知る前から知っていたことから、
話をスタートしているんですね。
これはね、どうしてこれを
一生懸命頑張って言うかというと、
実はですね、めんどくさいんで、
こういうことをせずに済ませられると
楽だなとは思っているんですよ。
全部グッドバイブスの言った話を
していくという方が絶対に
整合性という意味でも、
現在やっていることとの
釣り合いという意味でも楽なんだけど、
タスクシュートからこうだったみたいな話を
するのはですね、なるべく
聞いている方にとっても、
手近なところからグッドバイブスに入れるほど
いいんじゃないかと思うんですね。
全部グッドバイブスから始まりますということになると、
一からインストールして、
全部グッドバイブス流に切り替えて
頑張りましょうみたいなのだと、
人によってはすごい大変になるじゃないですか。
06:00
グッドバイブスの考え方が
今日の朝日新聞に書いてあることと
そっくりですと言うならば、
そんな大変なことはないと思うんですけど、
特にライフハッカーとか、
ほとんど逆のことが言われてたりするわけですよね。
これを取り入れるのは
結構大変だということもあると思うんです。
ので、
全然関係なさそうなところにも
実はほとんど同じことが言われてたりしてるんです
という話をするの方が
きっかけとしていろいろ
得やすいかなと思ってしゃべってます。
ただですね、逆にそれをやるから
よいよやりにくくなるという
こともあるのかもしれないです。
私のやってるみたいにタスクシュートとグッドバイブスで
整合性みたいな話になってくると
別に整合性取らなくてもいいのに
無理やり整合性取ろうとするから
そこで余計な足かせをしてしまう
みたいなのもあると思うんですけど
ただですね、これも話が一層複雑になってきてますが
そこの足かせってのは
本当にあるんですよ。本当にはないんだけど
イリュージョンなんだけど。でもイリュージョンこそ足かせなんですね。
つまり一生懸命今まで
ライフハックとかタスクシュートをやってきたということは
そういうことをしたかったわけじゃないですか。すごく。
そこをいきなりぐるっとひっくり返す
みたいな話になったとき
例えば割り込みを一切受け付けず
タスクシュートに書いてある通りにやって
自己実現に向かって邁進するんだってやってたのは
そうしたかったからじゃないですか。
それをいきなり依頼に全力で応えて
とか
そういうふうに
個人主義みたいなのに
突入しないでひとつ意識で
みたいなのは割とぐるっと逆を向くことになるわけですよね。
そのことに納得して
一気にいけると
思うんだけれども
それまでそうじゃなかった方向を向いていたのには
それなりに理由があるわけですよ。
それなりの歴史もありますし
だからぐるっと回り右して
逆に向かって走ってるつもりでも
やっぱり辛くなってくるというか
どうしても
違和感が強すぎるというシーンが出てくると思うんです。
人によってはね。
というわけに
自分はタスクシュートをしていたということ
つまりそれが
Good Vibesのネックになるということは
ここで整合性を取ろうとすることが
自分にとっては
09:00
Good Vibes方面へ向かう上で
大事だろうと思っているわけですね。
皆さんが聞かれている
これを聞かれている方が
多分私のこれを聞かれるということは
私と似た状況にあるんじゃないかと思うんですね。
だから私は回り右をする上で
私の場合は
発信する情報の整合性みたいな
これは取りませんけれども
いざとなったらGood Vibes以来
ぐるっと180度変わったんですと
言って済ませますけれども
それでそういうことを言うやつは信用にならないから
というのはやむを得ないと
私は今は思っているので
それは良いんですけれども
整合性を取るというのはそこの部分だけの問題ではないと思うんですね。
やっぱり
今日まで毎日毎日お酒を飲んできたけど
明日から禁酒しますというときは
するときは気分よくなったり
やってよかったと思うんだけど
私の経験上ですよ
飲んできたこととの整合性って
自分の中で取らなきゃならないと思うんですよ。
だからそういう意味で
Good Vibesをやる前からやってきたことと
Good Vibesの
なんていうのかな
もともとそういうGood Vibes的な方が
いいんじゃないだろうかと思ってきたことについて
いちいち掘り返すという作業を
これはしている面があります。
昔から思っていたこともあったわけですよ。
例えばタスクシュートで言えば
先々のリストまで作り込んでしまわない方がいいんじゃないか
ずっと思ってたんですよ。
一方で先々まで作るべきですって
言い切る人が現れるとやっぱり先々まで作った方がいいかな
そういう風に少なくとも言っておいた方がいいかなとも
思うわけじゃないですか。そこにタスクシュートに答えはないわけですよ。
タスクシュートならればツールが上に
先々まで作らなければこれを使えるようにはならないとは
どこにも書いてないし
そもそもそういうマニュアルはないんですけどね。
最初からそういう風に設計されているとも
言い切れないしっていう話が
Good Vibesと整合性を取るところで
一つ新しい方向性を打ち出せるわけですね。
Good Vibesがこう言ってる。そしてそれにはこうこう
こういう理由があるから
こっちの方はやらなくても大丈夫だよね
ということが言えるようになるみたいな
こういう整合性の取り方を
一つ一つしていくという感じなんですね。
ということがあるので
タスクシュートを
それまでも使っていなかった
12:01
倉園さんのお話とかを聞かれると
きっといいと私は思うんですね。
やっぱり私はずっと使ってきた
わけですよ。
自分でGood Vibesまで行こうという風には
考えてなかったわけですね。
後から考えてみると
Good Vibes的なところはあったとか
あるいはGood Vibes的な方に行った方が
いいんじゃないだろうかという
そういうなんていうのかな
こういうのありますよね。
そっち行った方がいいんじゃないかなと思いながら
そういうところがいっぱいあったことに
後から思い出すわけですね。
精神分析がまさにそうなんですよ。
今日はその話をしたいんですけれども
精神分析というのはタスクシュートですけど
Good Vibesと全く何にも関係がないような
特に私はGood Vibesを読んで
タスクシュートでもこういう風に思ってたことって
あったなというのは結構どんどん出てきたんですが
精神分析は最初の頃は全然よぎらなかったんですね。
あれこれフロイトそのものじゃないかというのを
本の後半の方で
時々一瞬かすめたみたいなのがあり
グラゾーさんがその後ブログを
連日更新されるようになって
それを読んでいるうちに何度も何度も
フロイトがすごいしかも強烈に
頭の中を駆け巡るみたいなところがあって
それで
読み直すことになったんですよ
バンドフルネスとか仏教とかならば
禅とかね
これはもうすぐによぎりました
多分グラゾーさんも全く意識せずに書かれたとは
私は思わないんだけど
精神分析になってくると
人によって全然あれは違って読めるものですし
グラゾーさんがそういうのを
意識していたかもしれないんですけど
あるいはどこかで聞いた話との
なんて言えばいいのかな
そういうのが
禅意識みたいなところに留意されていた
ということが書いているときになかったとは
誰にも言い切れないという意味ではそうなんだけれども
とはいえ
全く見えてこないという
言い方もできるラインだと思うんですね
多くの人は例えば
精神分析が何か関係があるとすら
ほとんどの人は思っていないと思うんです
でもこれもですね
それこそグッドバイブス囲碁なんですけど
精神分析というのはマインドフルネスを先取りしているんですよ
しかも精神分析の方自身が
そのことを明らかにしてくれていないものだから
明らかにしてくれりゃいいんだけど
15:00
明らかにしてくれてさえいないものだから
気づかないですよね
なんかその関係性は
見えてきにくいようになっているんですよ
多分
多分といいますか精神分析というのは
今ここなんですよ
書いてありますそういうこともちゃんと
今ここでやるものなんだと
気づかないですけどねはっきり言って
これって似たところいっぱいあるなと思って読んでいるうちに
今ここっていっぱい書いてあったなということに
マインドフルネスというのは精神分析を
真似ているところもある
ということを言っている精神分析の人もいます
いるんだけどそんなことは気づかないです
はっきり言って似ても似つかないと思っている間は
無理ですね
マインドフルネスの方ではそういうことについての断りも
多分ほぼないと思うんですよね
あまり似たものと思われるのも嫌なんじゃないかという気がしなくもない
そういうことを精神分析側も意識しているのか
似てますなどとわざわざ言わないし
わかんないんですよ
でも今ここでやるものなんですとはちゃんと書いてあったりするんですよ
そうしてくると
グッドワイブスを私は触れてなければ
まず絶対気づかなかったことなんだけど
でも精神分析はフロイトの
フロイト全集持っているし全部読んでいるんですよ私は
やっぱり好きだったんですよねすごくね
ということも後から大事だったと思うんですよ
変なものですけど
タスクシュートについて
グッドワイブスと意外に
成功性が取れるというふうに思ったことを
遥かに超えて精神分析はですね
私にとっては
すごい同じには決してならないんだけれども
2本柱があって
その2本は両方ともすごく
関連し合うことになる自分の中ではですね
ということに
唐突に気づいたんですね
だから以前と以後というのが
僕にとっては結構大事なんですよ
以前はある意味では精神分析は
もっとのめり込んでいたわけですよ
留学中もずっと英文で読んでいましたしね
やっぱり心理学と違うものなんですけれども
あまりにも密接に関係しているし
やっぱり一番面白い部分でもある意味あるんですね
あとは脳なんでしょうね
私はだから最後の最後で大学院に行ったときは
精神分析と脳科学を
マッチさせるところをやりたかった
ところで帰ってきたわけですね
非常にいろんな意味で私は中途半端な人間なんですけど
この中途半端さというのも留学している方はよく言われます
今私がちょっといろんな企画で
18:00
お手伝いしている方がですね
その人はバッチリアメリカにいて
バッチリカンセラーにもなって
すっごいもうなんていうのかな
とことんやり抜いているように見えるんですよ畑目には
でも中途半端でどうしようもないっていつも言うんですよね
なんかねこの独特なものがありますね
留学してしまった人々には
その人は大学院も出てますし
カンセリングの資格も取ってますし
カンセリングしながら食ってますし
アメリカ人と結婚もしてるんで
人生のようなところがあります
あるんですけど私もそういうところがすごくあって
タスクシュートも自分のオリジナルじゃないし
グッドファイブズも
僕がそうしたものでもなんでもないし
しかも私は大学院途中で辞めてるし
持ってるのはただの心理学の学士だけですからね
そういうのってあるわけですよ
何についてもなんかこうちゃんとしゃべるというには
なんかこう一つ物足りないものがあるな
みたいな
これが自分なんだなって思うようになったんですけどね
40過ぎたあたりでようやく
それで本題に入る前に20分経ってんですが
本題に入るとですね
今相当全く読まれていない
ブログで結構時々扱うんですけど
フェアバーンという人がいるんですよ
ロナルドフェアバーンという
イギリスの小児会をやっている人が書いた
本を勉強して
非常にこの人も独特で精神分析のトレーニングを
十分積んでないようなところがある人で
本で勉強しちゃうタイプなんですよね
多分孤独に頑張っちゃうタイプなんだと思うんですけど
人格の精神分析だったかな
人格なんだかな
そういうようなタイトルの本なんですけど
非常に受け入れられなさそうな話なんですよ
その人がしてるの
私はああいう話が出るところが
何だろう
人間活動の価値かなと思ってます
グッドウェブスでよく
ただ本当のことは分からないって言うじゃないですか
まさにそういう感じなんですよ
多分この人間違ってるんじゃないかなって感じがするんだけど
すっごいなんかこうですね
確信に近づいているものを感じさせる
精神分析ってそういうところがそもそもあるんですけどね
自分のことからしてそうなんで
彼の言ってることには多分間違いがいっぱいあるんだけど
すっごく大事なことを言ってるんで
間違いも含めて全部読んでおかなきゃいけないような感じがあるんですよ
こういう考え方って
いわゆる正式な
物理科学みたいなのにはないじゃないですか
21:01
間違った学説をいっぱい読む価値ってない感じがしますよね
プログラミングとかでもきっとそうだと思うんですよ
ところが精神分析ってそうじゃないんですよ
こうかもなあかもなあみたいな感じのものを
ずっと探っていくことに価値があるんですよ
この考え方だけではきっちりと整合性が取れないんだけれども
きっちりとした理論として打ち立たないんだけれども
でもこういう考え方を持っておくと
例えば患者さんは良くなるとか
そういうことが起こっちゃう世界なんですね
何て言うんだろうか
何て言ってもどうにもなりませんけれども
例えばフロイトが言ったような
超自我と自我とリビルみたいな話をしても
それでじゃあ全部きちんと説明がつくのか
矛盾なくいくのかというと
そもそもフロイトの言ってること自身に矛盾があるんですよ
超自我の定義とかも
途中で何か良くなったり悪くなったりしたりしてますし
ナルシシズムとかの概念もそうなんですよ
にもかかわらず超自我と自我とリビルという概念で
ある患者さんに当たってみると
ひどく良くなっちゃうみたいなところがあるんですよ
そういう話が出てくるんですね
それは普通のお医者さんでは治せないみたいな
そういう当たってるんだか当たってないんだか
分かってないんだけれども
こういうふうに当たりをつけていくとうまくいきそうだ
というような
当たりをつける論みたいなのが山のようにあって
それが大事なんですね
つまり本当のことは分からない世界なんですよ
本当に
ありとあらゆる意味で
同じ用語を違った意味で平気で使っている人たちが
二人とも退化だったりするということも
多々起こる世界なんですね
経済学にちょっと似たところある気もちょっとするんですけどね
とにかく人間の能力が
限界があるなということをつくづくよく
思い知らせてくれる面もある話です
要するにちゃんとしてないんですよ
ちゃんとしてるようで
ちゃんとしてないようにも見える人もいると思うんですけどね
で、なんで私がフェアバーンがすごく大事だと思うかというとですね
一つはそういう間違った学説が
ドーンと打ち立つという
ちゃんとイギリス人が書いたものなのに
そして誰も読みそうにないものなのに
講談社学術文庫みたいなところに
がっちり翻訳されて出ていると
そういうことも起こっちゃうというところの
面白さがあります
私がそもそもそれを読めているという段階で
すでにそうですよね
精神分析の主流としても彼は受け入れられているとは思えないし
しかも日本では
なんであの人の本を読んだからといって
何になれるというのが一切ないわけですよ
あれを読んでおくと論文書くのに有利だとかすら
たぶんないわけですよね
24:02
でも面白い。なぜ面白いかというと
私は時々言いますが分裂気質だからなんですよ
で、フェアバーンという人はですね
全ての病気の根底は分裂病だと言い切っちゃう人なんですよ
分裂症一元主義者みたいな感じで
全部分裂症なんですよ
何でもかんでも分裂症にしちゃうんです
脅迫症だろうと
ヒステリーだろうと
自己悪いだろうと
欲打つだろうと全部元は分裂症なんだということにしちゃうんです
一理あると思うんだけど
たぶん間違っているんだと思うんですね
ただ私は自分が間違いなく分裂症質なので
彼の言うことはすっごくしっくりくるんです
この人の言う通りだなという風に思うところが随所に出てくるんですね
日本人が書いたもので
うんとあれを柔らかくしたというか優しくダイジェストにしたようなものが
和田英樹さんが書いたジゾイド人間なんですけど
あれではですね、やっぱ浅すぎて
私としては少しも面白くなかったんですね
もちろんそうなんだろうけどねっていう程度で終わっちゃうんですよ
フェアワンはもうむちゃくちゃ
嘘でも間違いでも何でもいいから奥の奥まで明らかにしましたみたいな本を書いてるんで
本当に
なんていうんですかね
ある意味では中二病の人が書いた世界地図みたいな感じで
世界の真相はこうだみたいなこと書いてあるんだけど
嘘ばっかりみたいな感じなんですけども
すっごく面白いっていうようなものなんですね
そういうものが学術として残らないじゃないですか
普通の世界だと
要はニュートンが錬金術やってましたと
彼はやってたんですけど
この錬金術理論の体系みたいなのが本になっているようなもので
なってるのかなそういうのって
面白半分に本にするってことはありますよね
でもそれが本当に学術の一種であるかのような雰囲気を持って登場するんですよね
で当たってる部分が結構あると思うんですよ
私に響くということは
この響くってのがすごく
分析の世界とか臨床の世界では大事で
正しい
なんていうのかな
真実の心の体系としてこう言えるっていうことじゃないんだけど
あなたはこうこうこういうふうに思ってて
ここがこうだからこうなんですよねって言われたとき
相手がああって思うっていうのが大事なんですよ
そうすると症状がぐっと軽くなったりするんですね
この影響力を持ち得る言葉と解釈っていうのが大事なんですね
私の場合はヘアバーンの本を読むと
全ページからそれが伝わってくるんですよ
自分って本当分裂症なんだろうなと
27:02
分裂症室なんだなと
親は確かにこういうところあったなという感じなんですね
だから赤桃の頃から繰り返しこういうことが起こり
こういうふうになってきたと
これは非常に私はただ個人的に受け取った本
個人的にしか受け取りようがない本だったんでそうなんですけど
個人的に受け取って非常にためになったんですね
その頃から自分が分裂症というもので
あんまり悩まなくて済むようになりつつあって
それまで非常に自分の分裂症室というのに
本当にもてあまし気味だったわけですよ
分裂症というのは
なぜそれが分裂症なんだと言われるよりも
特徴だけしゃべっちゃったほうが簡単だと思うんですけど
人に打ち解けないという特徴があります
例えばあれですね
宴会芸とかすごい嫌なんですよ
やりたくも見たくもないんですね
なぜそうなのかも説明できるんですけど
それを説明すると意外と面倒くさくてですね
ただ気恥ずかしいとかプライドが高いとかだけでは説明できないんですよ
説明できるんですよそれでも
和田英樹さんのジゾイド人間に近いこと書いてあります
マザコンということも関係があります
ありますけども
マザコンでプライドが高いというと
それで説明した気になっちゃうじゃないですか
説明が済んだ感じに
でもマザコンでプライドが高いから
宴会芸のとき宴会芸ができませんというのを
説明になってないと思うんですね
マザコンというのはお母さんとセックスしたいということですよね
なぜそれがプライドの高さと関係があるのかと
プライドが高いというのはそもそもどういうことなのか
何でそれが宴会芸ができないことになるのかと
何か分かるようで
はっきりは私は説明されてないと思うんですね
しかも私は自分がお母さんとセックスがしたかったですというのは
自覚できなかったんですよ
気持ち悪くて
したくなかったと思ってたんですよ
このしたくなかったもすごく大事だと思うんですけどね
こういうことがフェアバーンの本だと
延々とがっちり
こうこうこうだから
こういうふうになってこうなるんだということが
ものすごく理細に渡って書いてあるわけです
しかも彼は小児会なので
小児というものがお母さんとどういう関係を持つかというのを
よくよく知っているわけですよね
500も1000もそういうのを見てくるわけじゃないですか
そしてほとんどの小児が
お母さんがどう扱うと分裂症になるかということを
見ているわけですよね
精神分析家でもあって小児会でもあるから
すごいこれは大事な資料になると思うんですね
論としては厳密に言えばたぶん
ほころびだらけなんだけど
その人が真剣に
書いた
症例みたいなものを読んでいくのは
30:01
大変有意義なんだと思うんですよね
私はそういうふうになるほど
きっと育てられたに違いないと思うわけですよ
そしてその結果
この打ち解けなさというものに
どんどんどんどん進行していくに違いないと思えるわけですよ
だからタスクシュートに手を出すんだというのは
自分の中では実によく分かる
すごくしっくりくるんですよ
なるほどこれでタスクシュートなのねと
ついでにどうして
だからタスクシュートをせずにいると
財布を落としたり
鍵を落としたり
家の鍵を付けっぱなしにして
して出て行っちゃったり
そういうしょうもない
今でいうと発達障害と言われそうな注意欠陥が生まれるのも
全部説明がつくんですよ
自分はその説明をされて
なるほどそうだなって思えるんですよ
これがまた
非常にあるんですね
だからタスクシュートに手を出すんだと
夢の中で駅でパスポートを落として
青ざめる夢とかを見るわけですよ
全部ちゃんと分かるようになっている
一つあえて説明するならばというか
全部説明すりゃいいんですけど
本当にこう
300分くらいになりそうなので
一つ二つ簡単に説明しておきますと
サジ、さまつなサジですね
生辞
どうでもいいようなこと
どうでもいいと
それはどうでもいいんだよ
大事なことをやりなさいね
っていう風にお母さんが言ってくれる
財布の管理とかは
してくれてないんですけどね
でも身の回りのことは結構やってくれる
お母さんも
結構やってくれる
お母さんは早く男の子を自立させたい
そして少し古臭い観念を持ってる
お母さんはそれを半分否定してるんだけれども
今の時代だから
結局は心の底では
そういう自立心を養いたい
そこで身の回りのさまつなことはやってあげる
それはできなくてもいい
私が代わりにやってあげるから
あなたは男らしくやるべきことをきちんとやんなさい
こうは言いませんよ
言いませんけど随時そういうものが
私に伝わってくるわけですよ
それは勉強であったり
サッカーであったりするわけですよ
サッカーは下手でしたけどね
そういうのが強烈に入ってくればですね
多分もっと進行してたと思うんですけど
私の場合中途半端に入ってきました
母は中途半端だったから
それは良かったと思うんですけどね
そして進行していくわけですよ
さまつなことはしない
そしてさまつなことができなくなっていく
さまつなことは何かに頼ってしまいたい
33:00
預けてしまいたい
ツールとかね
そういう心理が入ってくるんですよ
その時に代わりにこれをやりなさいと
これは価値あることだからそっちやりなさいと
その時にさらに
母親的な甘さみたいなものと一緒にそれが入ってくる
勉強とかが
私母が勉強見てくれてた時代のことをよく覚えてるんですよ
3歳児でした
足し算とかね
楽しいわけですよ
しかも気持ちがいい
解けると非常にうまく褒めてくれるわけですよ
で、さまつなことはしなくていいわけですよ
例えば哺乳瓶洗うとか
哺乳瓶飲んでた時代なんですよこれ
で、計算ができるわけじゃないですか
そうすると何か特別なことをしている気がしてくるわけですね
こうして私の分裂ってのが進んでいくわけです
どうしても身の回りのことをしてくれるという
ここにもう一歩進むとですね
例えばお手伝いさんがいて
身の回りのことは全部してくれるってなると
この稽古一段と進むと思うんですよね
これは一例です
ほんの一例です
そういうことがありとあらゆるところで
身の回りを覆っていくんですよ
そうすると
要するとですね
人と打ち解けにくくなっていくんですよ
どうしてもね
人と打ち解けなくたってやっていけるわけですから
例えば計算とかを人よりはるかに早くこなさい
することによって
しかもそういうことをするってことに
独特の甘美さがあるわけですよ
お母さんに甘えたい年頃に
一番甘えられるのは
計算問題を解くことだったりすると
これを根式でスパルタやってるような感じで
見ないほうがいいと思うんですね
そういう感じじゃないんですよね
むしろね
ちっちゃな子供を
やっぱり僕どうしても
この古臭さが母にあったと思うんですけどね
母は多分それが嫌だったと思いますけど
ちっちゃな子供を
なんかこう
武士らしい格好とかさせて
喜ぶお母さんとかいそうじゃないですか
あっちに近い
なんかハチマキ巻いて
苦問式の問題解くような感じじゃないんですよ
そういう感じではない
だから私はここに
精神的な謹慎相関を見るっていう
フロイト飲み方というのは
ものすごく正しいなって思います
誰かが言ったじゃないですか
フェミニストの言ったことだと思いますけどね
日本の男は
フェミニストは
日本の男は
セックスさせてくれるお母さんが欲しい
お母さんが欲しいんだって言ったのを
と思うんですよね
誰が言ったのかちょっと忘れちゃったんですけどね
あれは正しいと思うんですよ
実に
だけどそこが大きな問題だと思うんですよ
その言い方が正しいだろうけれども
意味のない話だなとも
ちょっと僕は思ったんですね
それはみんなそうなんですよ
36:00
言ってしまえば
フロイトの言を借りればね
あれフロイトが言ったことを
ただ生々しく言い直してるだけとも言えます
セックスをさせてくれるお母さんが欲しい
で、それは本当のお母さんであったらいけない
っていうのがエリプスじゃないですか
で、私あれ日本の男がっていうのは
大きな間違いで
世界中の男がだとしか思えないんですけどね
それをフロイトがすっぱ抜いたっていうのが
大事だったんで
日本人じゃないところから考えたって
ドイツ人は絶対そうなんですよ
ついでに言うならば
フロイトがそこでえらい苦労しちゃったんですけど
私が思うに
今特にそれこそAKBとか
みたいなのを見ていて感じることですけど
あれは日本の男が間違いで
世界中の男がだと思うんですけど
セックスさせてくれるお母さんが欲しいのは
男だけじゃないと思うんですよね
世界中の男女がだと思うんです
で、この言葉は意味なくなると思うんですよね
つまり人間っていうのは
そういうもんだと思うんですよ
あれ、エロいとは
男の子はお母さんが好きになるけど
女の子はお父さんが好きになるって言っちゃったから
一生懸命頑張らなきゃなんだかだったと思うんですけど
もうちょっと幼児の2歳児のところを見ると
女の子だってお母さんに恋しちゃうんだと思うんですね
それで何も問題ないと思うんですよ
もちろんセックスはできませんからね
だからそこで
結局エディプスの壁には
ぶつかるわけじゃないんですよね
お母さんを奪い合うみたいな
奪い合わないんですけどね
私が育てた限り
そういうことは現実には起こらない
起こらないですけど
起こりそうになるというシーンは
出得ると思うんですよ
お母さんは私だけのものみたいな
それは女の子だって考えることですよね
別に日本の男とかに限定できる理由は
どこにもないと思うんですよ
たぶん世界中の男女が
全て同じことを考える
そういうのを私は何かの漫画で読んだんですよね
だから結局
その話に戻っていくんですけど
私が分裂症だったのは
非常に珍しくも何ともない出来事だったんだなと
エアマンがはっきり書いている通りで
男の子の自立を早めて
いろんなことはしてあげるけど
甘やかして
ナヨナヨした男にだけはしたくないと思っている
お母さんの子は
分裂症的な傾向を必ず示すようになる
そうだとつくづく思います
結局
美球という言い方をよくするんですけど
リビードは何でもいいですが
愛情欲求が満たされる形が変なんですよ
愛情欲求というのは
特に2歳だ1歳だ3歳だの頃は
黙ってそれを満たしてあげておけばいいんだけれども
早まってしまう
39:00
早く社会的に自立させたいという
意識が働いてしまう
そこで社会的な活動には価値があり
そっちで愛情を満たすときは
私の愛情を満たしてあげるという態度を取ってしまう
だいたい武具をつけて刀を
刀を使って
抜くというのはそういうことじゃないですか
そんなことを3歳児で
ちゃんとできるはずはないわけですよね
江戸時代であろうと
でもそういうのを急ぐお母さんは
江戸時代になったらますますいたと思うんですよね
そうすると
人間誰しもそうだと思うんですけど
その時代は愛情が欲しいわけだし
現に愛情に依存して生きているわけですから
例えばですけど
家計簿がつけられるようになると
お母さんが家計簿をつけて
お母さんがとても優しいとかね
そういう奇妙さが出てしまうわけですね
ここで何が起こるかというと
ベタベタしない
そして社会的に有意義なことをしているときは
甘えていられる
すごい不思議なことが起こるわけですよね
その世界ってアンマッチじゃないですか
私はこのアンマッチさに
すっごい悩んでいるわけですよね
そこで何が起こるかというと
ベタベタしない
そして社会的に有意義なことをしているときは
甘えていられる
そして私はこのアンマッチさに
すっごい悩んだんですよ
いろんな人が多分
いたと思うんですけど
みんなが私のようになったというわけではないです
これやっぱり
特殊な状態を作り出してしまったんですよ
私は小学校時代は特にそうだったけど
計算問題とかすこぶる早い
って言われてたんですよ
アンマッチなんですよ
計算問題がすこぶる早いというのは
社会的な意義ですよね
だけどそれはお母さんに褒められたいから
やっているわけですよ
そう思うことはダメなんですよ
自分の中で
そこまで意識してました
小学校1年の頃から
これによって親に褒められると思う
親に褒められたいから
こうやっているんだと思うという
自分は許せなかったんですよ
このこともフェアワンは
きっちり書いているんですけどね
これ全部そういうところに
行き着いていけるんですよね
お母さんに甘えたいと思わないことが
お母さんが優しくしてくれる
一つの条件
一つの条件になるんです
ここが多分最大のところだと思いますね
できればお母さんを
ここまで言うと言い過ぎですが
召使いのようにする
メイドのようにする
そうするとお母さんが褒めてくれる
こういう関係性を作ってしまうんですよね
母はこれを許しませんでしたけどね
私には
母はいろんな意味で独特の
それこそ中途半端さを持っていたので
こういうことは許しませんでしたけれども
そういうことがあったわけです
こういうことが
全部
二重三重に自分を許さない形を
作っていくんですよ
自分が許せないという
42:00
そうは言っても
私は非常に
武士らしい人間じゃないですからね
本質的には
よく女の子と間違えられた
って言うんですけど
それは非常に私にとって
非常に許しがたいことでした
正直言って
ところが
私はこれを許しがたいとか
そういうふうに言われると
嫌だということを
お首にも出さないんですよ
そういう態度は
本当に小学校の低学年のうちに
身につけていたんですよ
親類とか母とかが
しょうがよく女の子に間違えられて
って言われたら
笑って受け流せるようにする
恥ずかしいとか責めんするというのを
そういうことを
繰り返しやるようになると
無表情になっていく人の前では
こういうことが
全部私の中では
グッドバイブスと非常に
絡んでくるわけですよね
わけだったんです
この種の許しがたさって
本当独特なんですよ
一瞬聞き流せば済んじゃうじゃないですか
でも許せないとは思っているわけですよ
かなり奥のところで
無意識じゃないです
意識もしてます
奥にも出さないわけです
奥にも出さないことが
私が私に求めたことなんですね
実は母が私に求めたことなんですけどね
だから
人の愛情に応えるためには
最も愛情を表現せず
またそれを受け入れないことだ
っていう態度を身につけたんですよ
すごく社会的だったわけですね
それが
超然としてるっていうのかな
超然とするっていう
その演技ですよね
だから分裂症なんですよ
一番奥のところでは分裂している
一番優しくしてほしいと思ったときほど
絶対にそれは表現しない
そのことが
すごく大事なことだったと思ってたんですね
実は全然大事じゃないんですよ
これは
母の気が引きたくて
これやってただけですからね
そして果たしてこれが
母の気を引くことに
自分が
母の気を引くことに
十分に繋がったのかどうかすら
今となっては相当疑わしいと思うんですよね
相当疑わしいと思う
でも私はこれを疑わずに
少なくとも17、8年は
これを生き続けてきちゃったから
もう完全にそれが一つの
自分の性格のコアみたいになっていったわけですね
これでタスクシュートまで行っちゃってるんですから
あれできちっと
何にも思わない
何にも面白くもおかしくも
楽しそうにもないように
やり続けることが
母が喜ぶだろうと
もう無意識ですよ
もう無意識です
母が喜ぶだろうとは
大体母は目の前に居もしないんですから
思ってたとは自覚できてないですけれども
45:01
完璧に
1分のずれもなくですよ
それこそ
日本の新幹線みたいにやれば
でもですね
結局
誰に褒められるのか
母になのか
父になのか
何なのか
社会になのか
さっぱり分からないところに行っちゃうんですよ
あまりにも過去の話しすぎて
無意識すぎてですね
ということなので
これ
何て言うんですかね
それだけがタスクシュートの価値ではないですよ
一層ややこしいんですけど
その通りにやることで
自分の社会生活が成立するし
人との約束も守れるようになるし
お金にもなることもある
だからもう分かんないものになっちゃうんですよ
結局
元々は何だったのかなんてね
ただ
分裂はあったわけですね
この場合の分裂というのは
表裏って意味ではないですよ
そういう意味ではないです
ただ
自分でもどうにもならないくらい
一番奥底にある欲求というものを
素直に満たすということは
もうできないということです
だって今はね
母に甘えたいとは思いませんもん
本当に
そりゃ
無意識の
ゼロ歳児くらいのところの
何かが思っているかもしれませんが
それはもう私の中での最大限ではない
コアであったとしても
勢力が弱すぎて
そっちに向かえませんよね
そして母はもともと
そういうのを嫌うわけですよ
難しいわけですよね
最初からこの話は
この難しさが
分裂消失なんですよ
っていうことに
グッドファイブスを読んで
気づくわけですよ
読むまでは気づかないんですよ
なぜならこの子のことは
思い出したくもないからでしょうね
こういうことがあって
私は夢を見てもですね
誰だかよく分からない人が
出てくるわけですよね
部活の先輩みたいな人が出てくる
みんなどっか
例えば部活で
何回会ったんですよね
科学部の慰安旅行みたいなのに
行くんですよ
ところが僕だけ時間も知らされてない
とか起こるわけですね
つまり仲間外れにされている
っていう感じを持つわけです
なぜなら打ち解けないですからね
仲間外れにされている
今言いましたけど
仲間外れにしているのは自分ですよね
自分の心の中の人たちです
今さっき
科学部の先輩らしきって言ってたのも
でも顔がよく
同じじゃないんですよ
多分これは科学部の慰安旅行っぽいなって
夢ってそういう感じがありますよね
そこでの登場人物は
全部自分でこしらえてるものです
つまり自分なんですよ
48:01
その自分たちに自分が
のけものにされている
これはすごく分裂的だと思うんです
自分がですね
和解できないわけですね
これを私はずっと
なんとかしなきゃなと思って
生きてきたわけです
長い間夢の日記つけてたのも
そういう部分が非常によくあります
だから9年も10年も
夢日記がついてるわけですが
毎度毎度似たような
似たような嫌な感じの夢を
見てるわけですね
似たような嫌な感じの夢を
見てるわけですよ
それが嫌だなーって
毎回夢日記を見ながら
思ってたんだけど
何がどう嫌なのかがよく分かんない
フロイトの夢判断を読んでも
さっぱり分かんない
これがグッドバイブスを
やるようになってから
悪夢がグッド悪夢感が
減ったんですよね
同じような夢は見るんですけどね
いまだにね
でも悪夢が非常に悪夢らしく
なくなっていって
これでいろんなことが
起きてくるんですよ
悪夢らしくなくなると
日記はつけやすくなるんです
私の中では
こういうふうにして
グッドバイブス以前と以後って
私にとっては大事な意味を
持つんですよね
グッドバイブスを知ることによって
初めて精神分析が
なんていうんですかね
私の中で繋がっていくという
感じがあるわけです
これをとにかく
皆さんに
お伝えしていると
つまり多分
グッドバイブスで知るようなことは
既にいくつかは
絶対どこかで知っている
自分がそうじゃないんだろうかと
疑ってきていることも
結構あると思うんですよ
それが
なんていうんだろう
活性化されるのが
いいんじゃないかなと思うわけです
今日は長くなった
50:06

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