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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今月1月30日の午後3時から、15時からですね、オンラインでグッドバイブス勉強会だったかな、
グッドバイブス勉強会シーズン2というのを始めます。つまり第1回ですね。
私は本当のことを何も知らないというタイトルで、倉園圭三さんとズームオンラインの開催となりますので、3000円税別ですね。
よかったら是非というCMなんですけれども、おそらく明日でか、今日なのかな、明日かな、緊急事態宣言出ますね。
そういうこともありますので、リアルでやるセミナーというのはですね、私もほぼゼロに、全くゼロではないけれどもほぼゼロになっちゃったんですよ。
しょうがないかなという感じがしますので、これを機会にというのか、
本当はですね、やっぱり今オンラインという手段であれば、これもそうなんですけれども、いくらでも出せるんですよね、ある意味。
情報発信みたいな話で言えばですね。
だからリアルでやるということを、どうやったってそこでなきゃできないということをやっていくというのがいいとは思うんですけど、
まあそういう中でもこうなっているので、仕方がないという面もありつつ、オンラインは大変いいところもあるので、何しろ例えばアメリカからでも聞けるみたいな、
これはどうやってもやっぱりですね、リアルではどうしようもないところなので、時差がそもそもありますから、そこを乗り越えられるというのはすごいことで、
私も留学してたんで、今みたいな時代だったら本当、まあでもこれは本当にイリュージョンなんですけど、今みたいな時代だったら本当にいいなと思うんですよ。
例えばですね、私カンザスシティに行ってたんですけど、地図を買わなきゃならなかったんですよね、どうしてもやっぱり地図を買わないと。
迷うとやばいんですよ。一回だけ歩いて迷ったことがあるんですけど、歩いて迷うと8時間ぐらい歩き続けることになっちゃうんですね。
アメリカというのは広いんで、迷った場合の恐怖感が、まあ死ぬよね一歩間違うと、あれは迷っただけでということになっちゃうので地図買ったんですけど、
今はグーグルマップになんとカタカナがついてるんですね。もう本当に時代が変わったんですよね、わずか十数年でも。
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あれがあったらどんなに良かったかと今は本当に思うんですけど、もろんなかった。
まだ私Windows2000とかを使ってた時代なんで、デルのパソコンの一番15インチのでっかいやつでですね、あれどうやってそういえばアメリカに持ってたのかもう忘れましたけど、そういう時代でした。
なんか話がすっと伸びましたけど、要するにこのGoodVibes勉強会をやります。しかもオンラインでやるし、海外からでも聞けますということで、
これを海外から聞かれている方がいらっしゃったら是非ですね、多分なかなか今は国をまたぐのは非常に困難だと思いますので、よろしければ1月30日によろしくお願いします。
というところで、話すことを完璧に今ど忘れしたんですけれども、
私たちいつも思うことなんですけれども、最近非常によく言われることとして、
人を選びなさいって、私も娘に言いたくないんですが、私は言わないですけど、言わないということが許されない女性だなという時は、
選ばなくていいと思うんだけど、いろいろな大人の言い方を総合してくださいということを娘に言います。しょうがないからね。
娘はその辺は、少なくとも私がそういう言い方をした時は何らかの形で考慮してくれるんですが、選ばないほうがいいと思うんですよ。
しかし世の数性と言いますが、もう選ぶということは最低限必要なことになってきつつあるので、
本当に子供とかはあちこちで言われるんですね。言わない人もいますよ、もちろん。でも言う人に対して言うなとは言えない。
ここで最近ちょっとまたいろいろ考えたんですけど、Good Vibesというのは本当に家族とかシンプルといえばシンプルな関係性の中で実行するときは非常にいいんですよね。
Good Vibesに私は段級もレベルもないと思ってるんですけど、にもかかわらずやっぱり奥へ行けるケースと、そこまではなかなか行かないケースというのもあるということもあるなと思ってるんですね。
この奥はないんだと僕は思うんだけど、つまりその時々では完全にできるということはあり得るし、後は何て言うんですかね、未来はイリュージョンなのでその時々で完全にできればそれは完全なんですよね。
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そういう言い方もできると思うんですけど、にもかかわらずやっぱりずっとやれるという人と、僕のように行ったり来たりを繰り返すという人間もいるわけです。
行ったり来たりを繰り返しているときに、行くのはいいわけじゃないですか、奥まで行けているときですね。
例えば私今、娘とは元々やりやすかったし、今はむしろそうじゃなかったときがものすごくクローズアップされるぐらい、何もしなくてもGood Vibesみたいな感じなんですが、なかなかそうもいかないというときは決まってですね。
アンチではないんだけど知らないに等しいから、ほぼGood Vibesと逆の価値観で生きている人と一緒にGood Vibesで行く。
そしてGood Vibesは解かない。要するに説明もしなければ、Good Vibesという用語も出さない。
というときに、なんていうのかな、やらなくてもいいのかもしれないんですけど、そこで頑張るというときが出てくるわけですね。
そのうちの一つがこの人を選ばなければいけないと言われたときにどうするかということなんですよ。
人を選ぶのをやめなさいということはできないという前提ですね。
で、人を選ぶわけですよ、その方々は。
私がセミナー下にレクチャーしているわけじゃないから、私は人を選ばないようにするとどういうことが起こるかというと、
人を選ぶと言っている人を選ばずに100%受け入れるということをしなきゃならないわけですね。
しなきゃならないということはないんだけど、これ自体はそう難しくはないんです。
ここでさらにもう第三者じゃないですけれども、登場して人を選ぶと言っている人があいつは拒絶しようと言い出したときに、
その人を受け入れるということをしなきゃならない。
こういうときに、理屈の上ではどうすればいいかわかるんですけど、流石に言い淀むなというか、
どういうふうに言おうかなということになるわけですね。
そうまでして選ばないということにどういう意味があるのかということを意識しながらしゃべるのは、
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これはどう言えばいいのか難しいところもありますが、感覚的には理解できるんですけど、
これを言葉で説明するのは結構難しいんですよ、私にとってはですね。
なぜならば、私自身が人を選ぶようにしていたから、過去の私を知っている場合は特にですね、
急にやることを180度変えるなよというニュアンスも入ってくるわけじゃないですか。
一方で過去の私を知らない人の場合、このニュアンスは入ってこないですよね。
過去の私を知っている人がそこに1人、知らない人がそこに1人だった場合、
非常にもう感覚的にしか処理しきれない部分が出てくるわけですね。
で、人を選ぶということの、なんと言いますか、すいません、途切れちゃったんですけど、
意味なんですが、いや意味ではないな、恐怖ですよね、当然、そこにあるのは。
恐怖なんですが、これがですね、一つには時間だと思います。
時間はあると思う。
その、なんですかね、人を選ばないと、その人と一緒に仕事をしたり、
仕事ですよね、仕事をすると時間を無駄にする、これがナンバーワンかな。
ところがですね、話を聞いていると、そうではないんですよね。
でもご本人たちはそう思っているので、そこもまた説明できないという前提でいくとですね、
かなり厳しい、だってそこでいきなり、いや時間は無くならないんですと言っても、
まあ、ジョークならいいというところなんですけれども、
混沌のところを喋っていたら、まあ多分その人たちと今度は分離することになるでしょうね。
なるということがあるので、そうじゃない路線でいくと。
で、しかし一番やっぱり感じるのは時間じゃないんだな、これはということだったりするわけです。
2つありますね。1つは信念のようなものですね。
人を選ばなければいけない。人を選ばなければいけないと、ここの面白い現象が起こると思うんですね。
信念として人を選ばなければいけないというふうに考えていると、
切り捨てる人を作り出していく必要が出てくるんですよ。
そんなはずはないというふうに思われるかもしれないですが、私たちってそういうところあります。
基準を1つせっかく設けたのならば、具体的に適用しなければならないと考えるんですよ。
そうすると、人を選ぶということを信念として持つとですね、
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切り捨てる人を1人や2人は作り出さないと、結局人を選ぶぞって決めておきながらですね、
世界中の人を受け入れてしまったら、人を選んでいることにならないですよね。
そういうところが私ある気がしまして、基準を設定した以上は、
切ることによってその価値が輝き始めるみたいな考え方って不思議と人ってするように思うんですね。
だからこの人を選ぶということのデメリットの1つは、
本来切らなくていい人まで切り出すんじゃないかということが1つあったりします。
もうちょっと脱線っちゃ脱線なんですけどね、今の話は。
もう1つが、人を選んでいるときに、私は私が選んでいるって思うんですよ。
ところがこの番組では散々出してきたように、問題なのは本当にそうかどうかが全うたがわしい。
番組前から聞いてくださっている人にはもう何度も登場している、
イヴ・ホワイトが選んだ人はイヴ・ブラックは選ばないじゃないですか。逆もそうですよね。
でもあの2人は同一の肉体を共有している、おそらくは同一の人物なんですよね。
そういうことが私たちには絶対ないって考えるのは、私はおかしいと思うんですよね。
佐々木と翔子と乃木場が選ぶ人は同じとは限らないんですよ。
そうすると人を選ぶっていうのは非常に危うい行為になってくるんですね。
分からないんですよ、どの人格が最優先されるべきかなんてことは。
私はどの人格が優先されるべきだということは一切問えないと思っているんですよ。
付き合ってて気持ちのいい人と付き合うようにするっていうのはものすごく分かりやすくて何にも無理がないようですが、
私は今の文脈に照らすとものすごく無理があるような感じがするんですね。
付き合ってて気持ちのいい人っていうのは一体誰にとって付き合ってて気持ちがいいのか。
私の朝の私と夜の私じゃすでにそれは同一じゃないんですよ。
自分のよく観察すれば絶対そういうことはあるはずですよ。
一日中同じこの人とは付き合ってて気持ちの良さが変化しないなんてことは絶対ないと思います。
もし全ての人にとってそんなことが言えるならば、世の中は結婚生活ってもっと遥かに簡単にうまくいくはずです。
朝と夜じゃ全然違いますね。
朝と夜じゃ全然違う。夏と冬でも全然違います。
はっきり言ってある種の喧嘩などというのは、これもアメリカに留学した時に非常に実感したんですけど、
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暖房の温度設定を何度にするかで喧嘩になりますよね、人って。
特にアメリカ人というのは厄介で、結構その辺が主観イコール客観な人たちなんですよ。
絶対今はホットだみたいなことを言い出すと聞かないんですよね。
しかもですね、厚刈りなんですよ。
カンザスの冬は大変寒いんです。マイナス20度くらいになる日もザラにあったりしますが、
ちょっと暖房を高くすると騒ぎ出す人っているわけですね。
本当にランニングとかでいるんですよ。全然違うな、我々と感覚って思うんですけどね。
そういうことなので、実は夏と冬じゃ付き合ってて気持ちのいい人は僕は違うと思うんですね。
そういう極めて表面的なところで言うならば。
だから人を選ぶかつ付き合ってて気持ちのいい人と付き合うというのは、
自明であるように見えて、ちっとも自明じゃないんですね。
これを仕事に適応しだすと、多分一緒に仕事をできる人なんていないだろうなというふうに思います。
むしろ私不思議なんですよ。
グッドバイブスを離れて、しかも遠く以前、やはり年を取ってくるとその辺なんとなく厳密にやってる場合じゃないなって感じになってくるんで、
グッドバイブスであろうとなかろうと、付き合ってて気持ちが良くなかろうと良かろうと、
人を選ぶつもりでも選んでる場合じゃなくなるんで、選ばなくなったりもしますけど、
若い頃ってまあ選ぶじゃないですか。私なんかそうでした。
で、選ぶんですが、まあよくゼロにならなかったようなのを今思えば。
ゼロになっちゃいますよね、そんなことをやっていたら。
なんでどんどん減っていくんだろうっていうふうに思ってた時期ありますもん。
なんでどんどん減っていくんだろうって思った後にこう考えるんですよね。
世の中ろくない人がいない。
これは実にすごいことですよね。
自分の主観イコール客観じゃないことは知ってるはずなのに、こういう発想を平気でするんですよ。
私はその時代だってエポケイって言葉を知らなかったわけじゃないですから、
不価値論者のくせにこれを言うんですよ。
本当のことは分からないと言ってるくせに、主観イコール客観にしちゃうんですよね。
どんどん自分と付き合う人間が減る。
世の中はろくでもない人ばっかりだって相当な言い分ですよね。
ところがこれを言うんですよね、自分で。
まあ口にするかしないかはともかくとして、脳内では言う。
気が付けば大橋哲夫さんしか仕事のパートナーいなかったみたいな時期はありましたからね。
逆に言うとよくゼロにはならなかったなっていうふうに思います。
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これが付き合う人を選ぶということの、これは付き合う人ではないんですけれども、
一つの大きなヤバさだと思うんですけれども、
ここでですね、もちろん行きがかり上とか様々なことはあるんですけど、
付き合ってて気持ちいいっていうのはどういうことなのかと思うと、
これが最近ずっと言っていることですけれども、
やっぱり対照愛なんだろうなっていうふうに思います。
対照愛っていう言葉を何度も何度もこの番組で出しますが、
やっぱりいまいち曖昧でよく分かりにくいと思われていると思うんですけど、
それはしょうがないです。
厳密に定義するのがそもそも困難ですよね。
フロイトの話ってそこが難しいんですよ。
人によってある程度言葉の使い方、その言葉の位置づけを動かしているので、
しかもそれを本で僕は読んでいるだけじゃないですか。
揺れてしまうし、誤読するし、しかも誤読が正しかったりもするし、非常に厄介なんですよ。
辞書を引けば分かるっていう話とはちょっと違うんですよね。
その辞書を誰が書いているんだって話、誰が書いているんだというのはつまり、
何派の人が書いているんだっていうことが絶対出てこざるを得ない世界なんで、
しかも多くの人が対応していませんからね。
フロイト派、精神分析やっている人だけが使っているような言葉ばっかりなので、
大変その辺が困るんですよ。
対照愛っていうのは何かというと、これは私の中の漢字としては、
私が心の中に抱いているその人のイメージで、しかも非常に愛しやすいものです。
定義としては長いですね。
例えば私が娘とやるのが付き合いやすい人を選ぶ場合に付き合いやすいですね、かなり。
非常に突出してと言っていいレベルで。
なぜか、それは私が私の娘に持っているイメージ、つまり私の心の中にいる私の娘が大変良いからです。
この良いは、何て言うのかな。
この良いは、なぜ良いかというと、そこに愛が向かっているからなんですよ。
ここで、地下同着と言えばいいのかわからないんですけど、
なぜ良いのかの理由は、良いと思っているからだし、
良いと思っているとその対象はどんどん良くなっていくんですね、心の中で。
こういう現象が起こってしまうんですよ。
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だから、鶏卵問題が常に発生するのが対照愛の特徴で、対照というものの特徴なんですね。
これを愛という言い方をする人もいれば、
リビドービキューとかっていう面倒くさい言葉を使う人もいるけれども、
要するに、愛・共・欲求のようなものがそこに向かってどんどん供給される。
そういうふうにして作り出された一つの像なんですね、イメージ。
イメージを作るためには、記憶が必要じゃないですか。
記憶を作るためには、脳内に電気エネルギーが働く必要があるんですよ。
つまり、記憶を保持するためにはエネルギーを使っているんですよ。
このエネルギーをどんどん喜んで投入している記憶は、良くなっちゃうんですよ。
良いものになっていく。
それの何も問題ないじゃんと言われれば問題ないですけど、
つまり私たちの内的世界と言えばいいのかな、思い出の世界みたいな、記憶の世界というのは、
良し悪しがくっついてきちゃうんですよ、何にせよ。
そうして記憶を持っているもので、記憶で保持していて、
いつでも思い出せて、そのイメージが全体性を保っているもの、部分じゃないもの、
部分的じゃないもの、ちゃんとしているもの。
例えば私の娘のイメージだと、娘全体を思い出せるんですよね。
いろんな娘を思い出せる。
そこにエネルギーが投入されているわけですね。
エネルギーが投入されているものは良いに決まっているんですよ。
ここには偏りがあるんです。
エネルギーをいっぱい投入していますけど良くありませんというのは非常に問題なわけです。
エネルギーは脳は節約しようと心がけているので、無限に使えるわけじゃないですから、
つまり思い出せるものには偏りがあるんですよ。
なんで私たちは受験の時に山川の日本史を全部覚えていられないのか。
実に簡単なんですよ。好きじゃないから。
この好きというのはエネルギーをいっぱい投入したものが好きなので、
ニワトリ卵なんですね。
いっぱい投入すれば好きになるんですけれども、
しかもちゃんと思い出せるほど好きなんですよ。
だから内的対称というものは中立じゃないんですね。
外界をそのまま反映なんか全然していない。
思い出しやすいものほど好きということはですね、
好きだから思い出せるわけだし、思い出しているうちに好きになっちゃうわけなので、
非力しちゃうんですよ、現実のある種の部分。
しかしこれはやっぱり当然ですよね。
私たちは例えば好きな食べ物を非力しちゃうじゃないですか。
食べられないものは非力しないですよね。
それは当然なわけです。
この非力をしまくっているということがですね、
付き合いやすい人というものが現実に存在するという誤解を生み出すもとなんです。
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ついでに言うと、好きじゃないものも覚えておかないわけにはいかないので、
生存を安全にするために逃げるのはそういう機能を持ってしまったので、
今の方面は楽なんですよ。対称愛は簡単なんです。
好きだから覚えておく。異常でいいわけですよ。覚えておくから好きになる。
そうやってどんどん偏っていくんですけど、現実の見方は。
それはしょうがないよねということです。
生きていく上にそのほうが便利だから。
けれども嫌いなものはどうするのかと。
鉢の巣を警戒するとか。
忘れてはいけない上に、これも偏らせる必要がありますよね。
そいつは避けなきゃいけない対象として覚えなきゃいけない。
部分対象みたいな形になるんですけれども、
まず恐怖と一緒に覚えます。
だからすごく怖い思いをしたことを一発で覚えられるというシステムがあるわけです。
これがあまりにもひどく怖くて、とてつもない恐怖だった場合は今度は覚えられないという、
記憶を抑制するという機能を持っているんですけど、
それはもうトラウマになっていきますね。
普通は記憶にバッチリ残る。
最初にチェットコースターに乗ってすごい嫌な思いをした人は、
そのことをきちんと覚えておく。
二度と乗らないために。
さっきの好きだから覚えておく対象とは全然違うんですよね。
これは多分憎しみの対象とか恐怖の対象とかいう、やっぱり対象なわけです。
ジェットコースター自体が、
鉢自体が、
なんというか、悪辣さを持ってそこにあるわけじゃないですから。
ジェットコースター好きな人もいますからね。
だから偏るわけですよね。
人が選ぶことの、多分デメリットの中で一番大きいのがこれだと思います。
選ぶことによってですね、どんどんどんどん、
自分の内的対象に、内的なイメージ、
記憶の世界に生きることになっていってしまいますよね。
この考え方からして。
これは私妥当な考え方だと思うんですよ。
どんな動物でも近いことは当然、むしろ動物ほどやると思うんですよね。
安全かつ快適な方法を選び、危険なものを愛する。
ただ動物は記憶力が強くないので人間みたいに、
内的世界なんてきっとないんですよ。
ところが人はそういうものまであるので、
ここがやっぱり問題なんだと思うんです。
自分の内的対象にあまりにも沿った生き方を選択していると、
やがてですね、やがてというかすぐに、
内的対象なのか、現実なのかもわからなくなっていく。
きっとそういうことが起こるはずですよね。
そもそも、蜂が怖いと思うのは当然なんですけど、
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蜂が怖い、危険な動物であるというのは現実ではないですから。
あくまでも私の考え方を反映してしまうので、
気持ちのいい人が気持ちのいいというのも現実じゃないですか。
私があくまでもそういうふうに考えているに過ぎないことなので。
ところがだんだんだんだんそうは思わなくなるじゃないですか。
気持ちのいい人は気持ちのいい人になっちゃうし、
危険なものは危険なものになっちゃうし、
危険な人は危険な人になっちゃうんですよね。
内的なイメージとその外側との区別がつかなくなっていく。
そういうことは頻繁に現実には起こっていることではあります。
たぶんですけれども、
世の中でセクハラとかで訴えられたりするという時に起こることはこれなんだと思うんですよね。
自分の内的な相手と、相手のイメージと現実の相手とがマッチしていないんですよ。きっと。
マッチしていればですね、それが一致していれば、完全に一致することはありえないけど、
一致していればですね、自分が想定した通りの反応を相手はするはずだから、
セクハラだとか言い出すはずないんですよね。
自分がセクハラだと訴えられたり、怒られたり、攻撃されたりするということが、
その予想をしながらセクハラする人っていないと思うんですよね。
だからあれが起こるということは、どっちにどういう条件やら、シチュエーションやらがあるにせよですね、
必ずそこにはズレがあるはずなんです。
相手の、例えば特にセクハラする側ですよね。
男の人が、上司なりが女の人を見ている時、見てないわけですよね。
自分のイメージの女性と何か考えている。
そのイメージのまま相手と接するんだけど、相手はイメージとは違うので当たり前ですが、
反応が違う。
で、混乱が起こるということなんだと思うんですね。
こういうことはよくあることです。
よくあることですが、不意気をもたらすと思うんですよ。
しかも、何が起こったかよくわからないと思うんですね、起きた直後には。
この種の混乱は非常に多くて、
いつもですね、内的な現実というものを私たちは見ていることを忘れてしまう。
なぜなら人間は内的現実を見ることができるんで。
気がつけばですね、
気がつけば誰かと喋ってたり、平気でするじゃないですか。
頭の中だけで、お風呂場とかで。
そんなことは本当はあり得ないことですよね。
動物には決してできないことだと思うんですよ。
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でも私たちはできちゃうので、夢の中でもやっちゃっているので。
で、そういう内的現実というものに合わせて人を選んでいくということをするわけですよね。
ここに疑問の位置がないんですよ、当人にとっては。
この人と付き合っていると気持ちいいじゃん、絶対いいということになるわけです。
なぜなら内的現実、内的対象と喋っていて気持ちがいいんですから、
それはそのまま相手に隠せているわけですからね。
少々ずれますよね、多くの場合。
少々のずれはでも、全部自分の側で修正をかけることができてしまうので、
私たちは解釈できますし、しかもそれが非常に近い相手でなければですね、
自分の内的イメージを完璧に損なうようなことを早々現実の人はしてこないわけです。
だから結婚って難しいんだと思うんですよ。
どう考えても内的なイメージの通りに相手と接してしまうのに、
相手はそういうものじゃないから、違う振る舞いをしてくる。
それが何度も何度も続くと、内的に対象の良かったままのイメージを保持し続けるための修正が
効かなくなってくるわけですよね。
そうして裏切られたような気持ちになる。非常におかしなことなんですけれども。
でもどうしてもやっぱり裏切られたような気持ちになるわけです。
多分これがですね、あらゆる人間関係で難しくなるポイントなんだと思うんですね。
だから結局付き合えば付き合うが長くなればなるほどですね、
人を選び続けるというのは難しくなると思うんですね。
ただ今言ったような話を人を選ぶぞと言っている人に対してするわけにはいかない。
私はここのところで対応することが一応できるようになってきているんですけれども、
状況によってすべてとても複雑なこともあるので、今のところ言語化では至らない。
ここを言語化していきたいなというふうに最近思っているところなわけです。