2023-03-22 42:03

【757】「自分で解決すること」を求められがちな問題

自助努力でなんとかなりそうに見える問題がそう行かないのはどうしてなのか?
自分ではどうにもできない問題
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
3月21日、旬分の日ですね。火曜日の16時30分です。
あれですね、日本も準決勝に進み、これをアップしてた頃には、次の日の試合に多分やってるんじゃないかという気もするんですけれども、
まあまあ、今日は午前中はほとんど野球をずっと見て過ごしたといった日でした。
まあ危ない試合だったというか、どっちかというと僕の目にはですね、ずっとある意味押し気味なのに、
ペンは全然入らないという、なんかわりと日本で韓国戦とかでやってる時の昔の日本の野球を思い出したんだけど、
最後は良かったかなと、そんな感じでした。
ロッテファンとしてはね、佐々木隆起がああいう形で拘板してしまうと、なんか心が痛むというのはあるんですけど、
まあしゃあないよなと、彼はなんだかんだちょっと忘れそうになるんですけど、大リーガーなわけじゃないしね、
まだまだ20歳とかですからね、しょうがないよなって感じも全然するんですけれども、
野球談義をしているのもあれなんで、4月の1日のCMはもうこれぐらいにしておこうと思っておりまして、
4月の9日から始まる柿上塾の第8期というものがあります。
クラゾノケドさんとですね、共同でやっておりまして、神保町のですね、何ていうのか、
菓子会議室なんだけど、もっと非常にいい感じのところでビデオ収録をしながら、
クラゾノさんがレクチャーをしつつ、皆さんのワークをやる。
そして6ヶ月かけて本を書くと。その間に月に1回集まりがあって、6回それがありまして、
本が書き上がっていくといった定理になっております。
それでオンラインでもオフラインでも参加できて、オフラインの参加をされる場合には神保町の会議室に集まると。
まあその大きくはないんですけどね、会議室自体は。
いい感じの椅子がありまして、結構長く座ってても大丈夫という感じののが、
6人から8人ぐらいですかね、入れる人数としては。
そんな感じです。
なので、これ暫は変わるのかどうか、ちょっと今僕把握できていないんですけれども、
よろしければぜひですね、これはいろんなので、
例えばこう、何だろうな、研究論文を書けるようになるとか、
メールのやり取りがスムーズになったとか、
必ずしも書籍を書き上げるのが目的なんだけど、
それ以外の効果もあったりするので、
よろしければですね、ぜひ参加検討いただければと思います。
はい、えっとですね。
今回は、いただいたお題をちょっと元にですね、
話を考えてみたいと思うんですよ。
珍しくですね、このGood Morning Vibesのテーマをいただいたので、
これはもう100回に1回あるかないかぐらいだから、
これはもう絶対やった方が良かろうと思って、
それをちょっと取り上げるというか、
それを中心に喋ってみたいと思っております。
でね、これテーマとかリクエストとかありましたらですね、
何にどこにもらえればいいのかな、
ちょっとそれをそれから検討しようと思うようになりました。
この方、たまたま私にDMを送ってくださったんですけれども、
だからTwitterなりにDMを送っていただくとか、
FacebookなりにDMを送っていただければ全然OKですので、
今ならば漏れなく、よほど扱いにくいテーマとか、
あまりにもGood Morning Vibesと関係なきとかでなければ、
扱って取り上げさせていただくのでですね、
別にこれは昔やってた、
フラゾンさんとやってたですね、ぶっちゃけ相談とかではないので、
質問ありきで進めているわけではありませんが、
質問等があればですね、
こちらでお答えしていくことは十分やりますので、
よろしければね、お寄せいただければと思います。
で、今回のはですね、
多分理工大将とかの話を受けての質問ではないんですけれども、
テーマ案みたいなものをいただいたんですが、
そうですね、これどういうふうに言えばいいのかな、
この人が、この方が感じたところによりますと、
問題と言いますか、お悩みと言いますか、
そういったことにはですね、
大きく二つに分けられるように思うとありまして、
まず自分ではどうにもできない問題というのがあると。
例としてですね、
これは私のグッドモーニング・ボイスのテーマに沿ってのことだと思うんですけど、
例えばその自分にはどうにもできない問題というのが、
発達障害とかね、
私も散々取り上げてきたHSPとか、
そういったものがどうにもならない、ある意味ではね。
問題というか自分にとってそれは困るんだけれども、
生まれつきの持病みたいな話かな、
そういう位置づけなのかなと思います。
例えばそうですね、
昔、私これ一体どういうことなのかが、
いまだによく分かってないんですけど、
ミステリーの小説とかで、
RHマイナスのAB型だとか、
僕はAB型なんですよ、
RHはプラスかマイナスかは知らんのですけど、
だからなんかこう、
血を抜かれるみたいな、
ミステリーなんでね、
そういう話があったんですけど、
あれなんかは私なんかがパッと今思いついた、
自分にはどうしようもない問題ですよね。
だって生まれたときの血液型が、
ABなのかBなのかっていうのは、
どうにもならない問題で、
その場合、Aだったら輸血は簡単にできるけど、
Bだと難しいとかなんて、
自分にはどうしようもない問題ですよね。
その場合、Aだったら輸血は簡単にできるけど、
Bだと難しいとかになってくると、
どうにもできませんよね。
そういう問題が一方ではあると。
自分が原因となっている問題
他方では、
自分が要するに、
原因が自分発だとか、
自分で作っちゃってるとか、
いった問題。
これが私がGood Morning Voiceで、
先日取り上げた依存症。
例えばアルコール依存症とか。
これは、
実は自分でどうにかできないんじゃないかって、
僕思わなくもないんだけど、
確かに、
依存症はどうにもできない問題の上に乗っかっている
見る人が見ると、
自分で酒やめればいいじゃんってことになっちゃうと。
タバコなんかよく言われますよね。
やめる努力をしろぐらいな。
そういう、
なんていうんですかね、
同調圧力っていうんですか、
世間の圧力みたいなものがかかるということは、
これ、確かに、
どうしようもできない問題に
かかんないですよね。
マイナスのAB型を今すぐやめて、
RHプラスのA型になれとか、
誰も言わないと思うんですよ。
よほど物分かりがあってとか、
独特の主義を持ってない限り、
これを言う人は、
あまりいないと思うんですよね。
だから、
そういうどうにもできない問題と、
どうにかできる問題があって、
どうにもできない問題の方が、
ある意味対応しやすいんだっていうのが、
この方の問題提起なんですよ、
と、僕は読んで思ったんですね。
つまり、
どうにもできない問題だということになれば、
周りの人からの助けも得やすいし、
自分カミングアウトする必要があるかもしれないけれど、
そうしてしまえばですね、
その人だけではどうにもできないから、
助けてあげようという風になりやすいと。
今、発達障害とかね、
HSPではそういう動きも、
ムーブメントもありますよね。
僕はこれは悪いことではないと思うんですけど、
そういう、
発達障害の人には優しくしようとか、
HSPの人は特にですね、
潜在さんなんだから、
あんまり怒るのはやめてあげようと、
周りからの協力が得られるってことですよね。
一方で、
これがアルコールだ、
タバコだということになると、
いや、自助努力でやめろみたいなことを言われかねない。
つまり、
この方が、
自分で何とかできると一見思われやすい方が、
自分では実は何とかできると、
思われやすい方が、
自分では実は何ともできないんじゃないんだろうか、
っていうようなお話で、
なるほどなと思ったんですよ。
でも、
私がそもそも、
この話をしているときにずっと考えていたのは、
依存症というのは、
それ自体は、
ほぼ問題じゃないんじゃないだろうか、
ってことが、
まずあるんですね。
つまり、
自分が原因だという言い方をすればですね、
それは酒は自分が飲むわけだから、
血液型は自分で決めていないのに、
酒は自分で飲むわけだから、
自分が何とかすることもできそうだ、
って考え方もあるとは思うんですけれども、
大体において、
依存という問題はですね、
自分ではどうにもできない問題の上に乗っかっているんですよ。
それはこの方の問題提起とはまた別に、
僕が考えていることなんですが、
つまり、
依存というのは、
自分にどうにかできる問題、
自分が原因になっている問題と言われているもの、
っていうのは、
実はですね、
自分がどうにもできない問題の上に乗っかっている現象でしかないので、
それ自体は確かに一見したところ、
他の人に言わせれば、
その人が自分で何とかするべき問題なのかもしれないんだけれども、
実はその下に、
自分ではどうにもできない、
アレチマイナスのAB型的な問題が、
下にベースにあるから、
その結果として、
上が現れているのであって、
決して、
上単独であるわけではない、
ということなんですよね。
上だけ解決しても下にある問題は解決されない
だから、
上の問題だけ取り除こうとしてもですね、
自分がどうにもできない問題、
自分がどうにもできない問題、
自分がどうにもできない問題、
上の問題だけ取り除こうとしてもですね、
これをまず、
多くの方はやってしまいがちだし、
人に勧めがちなんだけど、
下の問題をどうにもしないまま、
上だけを解決したり、
解消したりするのは、
不可能とは言わないまでもですね、
でも多分、
今の言った言い方だとですね、
下完全に放っておいて、
上だけ解決しましょうというのは、
多分無理だと僕は思うんですね。
例えば、アレチマイナスのAB型の人がですね、
怪我絶対しないようにしなきゃって思ってですね、
体育とかはしない、
外にも出ないみたいな感じになっていったら、
だんだんだんだん、
運動不足になって、
その人に対して、
お前その運動不足ってのは、
自分でなんとかできる問題なんだから、
運動するように自助努力しなさいと、
言ったとしましょう。
そういうようなことを言われることってありますよね。
でもこれは、
下にある問題がある以上はですね、
上にある運動不足だけを解消することは、
運動不足だけが、
あるいは運動嫌いだけを解消しようとするならば、
そうできるんでしょうけど、
現実にはそうはいかない。
なぜならば、
上にあるその運動不足という、
あるいは運動嫌いに見える、
その人の行動は、
下にあるその人ではどうにもできない問題が、
ベースにあるからなわけです。
心理的な問題としての依存症
こういうことって、
心理的な話にはですね、
つきものもあるんですよね。
例えば、
自分でどうにもできない問題として、
例えば発達障害があったとするじゃないですか。
自分ではどうにか一見できそうに、
みんなには思われる、
アルコール依存症みたいな問題が、
その人抱えているとするじゃないですか。
でも発達障害の人が、
アルコール依存であるというケースは、
確かにあるんですよね。
私読んだ、
依存症と発達障害について
借金玉さんの、
アルコール依存症というのは、
アルコール依存症というのは、
借金玉さんの、
すごい仕事術、
あそこにも明らかに彼は、
何らかの依存症、
詳しいことは忘れましたけれども、
かなりそういう問題を抱えて、
いらっしゃっていて、
彼自身は発達障害者だっていうことで、
カミングアウトした上での、
発達障害のための仕事術、
という本、
たてつけの本なわけですね。
彼の訴えを見ていると、
あの依存症だけを、
発達障害そのものはスルーして、
何とか除去するというわけには、
多分いかないだろうなと思いますよ。
これも、
自分ではどうにもならない、
その発達障害がそうだとして、
自分ではどうにもならないという問題をベースに、
その上に、
自分ではどうにかなるという、
一見そう見える問題が乗っかっている。
その、もう典型的なパターンかな、
という感じがします。
で、
そうだというふうに診断されているわけでも、
証明されているわけでもないので、
これも、
あんまりそういうことを言っちゃいけないのかもしれませんけど、
東秀野さんの失踪日記を見ていると、
彼なんかも発達障害気味だし、
HSP気味、
自分で解決することについて
すっごく繊細だし、
非常に傷つきやすいものを、
あんなにちょっとしたギャグ漫画で、
全てをギャグ風に書いていても、
もう伝わってきますよね。
で、あれ、
彼がアルコール依存になっている、
そのアルコール依存という問題も、
あの漫画を読むと多分ですね、
漏洩しない人、いっぱいいると思うんですよ。
もっとなんとかなるだろう、
みたいに思われちゃうと思うんですけど、
あの性格のまま、
酒だけやめるっていうのは、
やっぱり相当困難だろうな、
という感じが、
僕なんかはしたんですよね。
どうしても、
一見したところ、
アルコール依存こそが問題に見えちゃうんですけども、
あそこまで行くとね、
そう見えますよね。
あそこまで行けるほど酒を飲むっていうのは、
相当なもんだと思うんですよね。
しかも毎日幻覚を見続けてるって感じでしたから、
ずっと毎日吐くまで飲むっていう感じでしたからね。
明らかにそれは、
お酒が好きだから飲んでますってことは、
当然あるんですよね。
どちらかというとやっぱり、
お酒の気持ち悪さを
お酒で紛らわすために
お酒を飲んでます、
みたいなところがありまして、
その一番根底のところには、
やっぱり、
HSPかどうかは別としてもですね、
何につけても傷つきやすい
心象みたいなものが
なければ、
どちらかというと
あんなに辛い思いをしてまで
酒飲まないと思うんですよ。
特にホームレスになった時は
お金もないわけですから、
どうやってこの人
お酒だけは手に入れるんだろう
っていう感じが、
その手に入れ方みたいなのが
書いてありましたけれども、
大変だなという感じを抱きました。
だからこれ、
お酒だけ辞めるわけには
なかなかいかないんですよね。
こっちの問題を、
しかしですね、
世間の同調圧力なのか知りませんが、
そういうものと
客観的に見ても解決できそうだ
という
雰囲気というか見え方が
相まって、
お酒だけ何とかしようとしちゃうんですよね。
そこのところは
自助努力だってことになりがちなんですよ。
もちろんその人の
意思による部分は
小さくはないので、
自助努力だという風な
言われ方をしがちなのも分かるんだけども、
自分でどうにもできない
問題の上に乗っかってる
自分でどうにかできそうな問題
ってのは結局自分ではどうにもできないんですよね。
どっちの問題も。
だから私はこの問題って
結局はですね、
あの、
究極的には
同じだと思うんですよね。
究極的というのかな。
本質的には同じだと思うんですよ。
どちらも
自分だけでは多分
どうにもできない問題と捉える方が
私はいいんだろうな
っていう感じがします。
これが
いただいたテーマに対する
僕なりの
考えですね。
話は先日以前のものに
だんだん戻っていくんだけれども
ここでやっぱり
問題というか
この問題の本質はですね
僕は万能感
万能感を
得なければならない
という心理構造の中にあると思うんですよね。
それは
ちょっと前にしつこく言っていた
言葉で言えば
妄想分裂ポジションから
なかなか抜け出せない。
時々抜けててやっと
妄想分裂ポジションに行っても
罪悪感まみれになってすぐ
結局妄想分裂ポジションに戻ってる。
妄想分裂ポジションって何かっていうと
やっぱりこれは
万能空想に
頼らなければ来ていけない
という思いだと思うんですよね。
そういう思いに囚われる状態。
それをスプリットオフで
解決しようとするというか
スプリットオフというのは
まさに万能空想と同じなんですよ。
いきなり
情報だらけになっちゃったんですけど
この場合の万能というのは
ストレスを
消去するほど万能だ
っていう感覚。
これが万能感なんですよね。
ストレスを消去できたぞっていう感覚。
それはどうやるかっていうのが問題で
スプリットオフなんですよ。
ストレスと万能感
自分のストレス部分を
切り離す。
これによって自分は
ストレスのない状態になれた
っていうそういう万能感なんですよね。
それを可能にする空想を
万能空想と
そういうふうに呼ぶんだと思うんですよ。
その時に使う
対象ですよね。
これが僕は意向対象なんだろうなと。
万能感を得るために
意向対象を使うって時は
そういうことをやるんじゃないかなって感じを
自分の経験上を
持つわけで。
私のこれは経験なんですよ。
私自身のストレスのある状態
ストレスがあってモヤモヤするときは
辛いじゃないですか。
これはしかもストレスの種だってのは
そこら辺にあるから
例えば今日見た
これ多分アップした段階では
昨日の話になっちゃうんだけど
今日見た野球でも
岡本一馬さんの
大飛球を
レフトの名前忘れた
キューバから亡命した
メキシカンの名手
一番の名手のレフトに取られた時に
強いストレスを受けるわけですよ。
受けなくてもいいのにね。
そのストレスを
別にそんなことはしませんが
万能感によって消去しないと
これはストレスが強すぎてだめだ
ってなると万能感に
走るわけですよ。
そのために僕は例えば
ファンザみたいな意向対象を使って
このストレスは外に
追い出そうと。
私のストレスを除去してくれる
いいおっぱいから
それをどんどん補給して
これでようやく
私はいいものになりました。
この時何をやっているかというと
するに
私の母親と私が
同一化して
私のある部分
ややしょうもない部分
ストレスを受けるとどうしても
耐えられなくなってしまう部分を
切り離すんですよね。
そうすることでいいものを手に入れ
悪いものを外に出す。
悪いものを外に出す。
そうすると自分は万能になった
感じがする。
パソコンで言うと
フォーマットしたての状態
みたいになるわけですね。
これで綺麗になりました。
嫌なウイルスは外に出ました。
その分自分は
切り離されているということを
忘れちゃいけないんだけど
そうしてストレスはなくなりました。
これが万能感の
得るための万能空想。
空想をするために
道具として
意向対象と代替対象
暗算みたいなものを使う。
そういう
代替対象みたいなものなんですよね。
母親と
同一化するのをより容易にするための
対象ということですね。
ここで
自分には
どうしようもない問題だと
思われているのが
私が万能空想に
走らなければ
ストレスには耐えられない
ストレスをどうにもできないものだ
というのが私の
どうしようもない問題なんですよね。
多くの場合そう考える。
どうにかできるだろう
って人に思われがちなのは
お前ファンザ見に行くのやめろや
ってことなんですよ。
これは僕の考えでは
無理な二文化なんですよね。
ファンザだけやめようとする
というのはおかしいんですよ。
そして大事なのは
どうにもできないと思っている方が
本当にそうなのかって
これは倉園圭三さんの
18番のセリフですけど
本当にそうなのかと
考えること。
本当はそうじゃないんですよね。
自分にはストレスというものに
対処する能力は
ございませんっていうのは
これが嘘なんですよ。
僕らはところが
心のモヤモヤとか心のザーザーとか
これが強くなってくるともはや
自覚すらなく
こんなものに自分がいつまでも
耐えてられるなんてとんでもないことだと
胃に穴が開くよって
これは先日読んだ漫画で
僕の小規模な育児で
胃に穴が開くって言うんだけど
胃に穴は開かないんですよね。
これを象徴的
なんていうのかなあれはな
具体的象徴って言うべきなんだろうと
僕は思うんですけどね。
具体的象徴ってのは分かりにくい概念で
僕も分かりにくい言葉だと思うんですけど
松木さんの本読んでて
これはいいと思ったのが
よく
松木さんの書いてる通りを書きますと
クソったれめえとかって
言うじゃないですか。人を罵って
あれ
そのまんまの意味では
全くないですよね。
あなたはクソをたれる人です
って言ってるわけじゃないですよね。
これが松木さんが書いてたことなんですけど
つまり
象徴なんですよ。あれはあくまでも
でもすごく具体的な言葉を
使ってるじゃないですか。
これが具体的象徴というような
ものであって
そういうのってありますよね。
私もだから胃に穴が空くっていうのは
ものすごく具体的で
ものすごく身体的で
さもストレスで胃に穴が空いてますみたいになる
ように思うんだけど
僕とかいつもストレスで胃に穴が空きそうだ
とか思ってたんだけど
一昨年かなその前ぐらいに
二宮の
県庁内科で
見てもらったらですね
胃はすごい綺麗だったわけですよ。
当分行くことはないと思うし
あれも2回も3回もやるのごめんだと
つくづく思うんですけれども
遠くまでわざわざ
行った甲斐があったというか
そういう非常に綺麗な
胃を見ることができまして
全然穴とか空いてないわと思ったんですよね。
つまり
言葉の上の話なんですよ。
あれは。
そういうことで
えっと
自分にはどうしようもない問題という間違った考え方
私たちがですね
なんつうんですかね
そういうついつい考える
私は弱いとか
私はストレスに弱いとか
もうこんなのには耐えがたいと思っているとき
それこそまさに自分にはどうしようもない
問題だって思っちゃうんだけど
そうではないんですよね。
この時に
ものすごく頼りがちにするというか
あてにするもの
未行空想なんだけど
未行対象と
こっちが問題を悪化させているんですよ。
そういう意味では
この犯罪はやめろや
間違っちゃいないんだけど
ここのところを知っては
いけないんですね。
自分にどうしようもできるんですよ。
こここそが役に。
こここそ私がやってることだ
っていう自覚をする
これが何より大事なんですよ。
ここを自覚をするとか
地味な話だと
だからこそ皆様は
なんだかそこはすっ飛ばしてね
気づいただけってどうにもなんないから
何々する方法を教えてください
ってことになるんだけど
ここを
問題だとか
RHマイナスの
ABだぐらいに思ってしまうと
客観的にそういう問題が
外在するんだと思ってるから
自分にはどうしようもない問題
ってそういう意味ですよね。
外在するかのような問題
発達障害微妙なんだけど
だから発達障害って本当微妙なんですけどね
いずれにしても
問題っていうのは
自分の外にあるという考え方が
僕はやっぱり
ここを逆転させるしか他ないぞ
っていう風に思ってるんですよ。
ここはいつもいつも
問題になる難しいポイントを含むので
そこは飛ばしますけど
少なくとも自分に内在する問題
だと僕は思うんですね。
スプリットオフが問題を引き起こす
それが僕にとってこの問題に
アフローチする大きな
鍵になってるんです。
自分にどうにもできない自分の弱さとか
自分のストレスに弱いとか
自分の精神的な
性質とか
性格とか
言ってしまいがちなものですね。
これが
僕の問題を
悪化させるんですよ。
この問題の
本質は僕はやっぱり
スプリットオフにあると思うんですね。
スプリットオフって性格じゃないんですよ。
何回もこの番組でお伝えしてますが
スプリットオフはスキルなんですね。
獲得した技術である以上
使わないってことは
できるはずなんですよ。
これをどうしても使ってしまうんです。
それが自分にはどうしようもできない問題なんです
っていうところから出発するから
万能空想に浸るしかなくなるんですが
そもそも万能空想で
やってることがスプリットオフなんですよ。
スプリットオフこそが
一番悪いという
一番根源にある
問題
これを私は
好きで
好きでというのは言い過ぎかもしれませんが
意思で
自分で選択して
やってるんですね。
良いものと悪いものに分けると
自分にとって都合の良いものと
自分にとって都合の悪いものと
分けると
自分にとってのストレスと
万能感を分けると
これをやることによって
僕は万能感を得ようとするんだけれども
それをそもそも
やらなければですね
ここでスプリットして
二つに分けるという真似を
極力避けるように
全部は避けられないから
極力避けるようにすれば
この問題はそもそも
どうしようもない問題として
僕の前に現れることはないわけです。
そうすれば自然と
どうにでもできるだろうと
人に言われている
アルコールに浸るとかファンザを見ちゃうとかいう問題は
起こらなくなるわけです。
ストレスというものがないわけだ。
ストレスというのは
このスプリットオフの結果なんですよ。
スプリットオフして
切り離そうとしている部分が
ストレスじゃないですか。
ストレスだとオフから
ストレスの本質と解決方法
そこを切り離すということが
必要になるわけですよね。
そのストレスというものを
その原因がそもそも
スプリットそのものにあるわけですよ。
スプリットをしない
しようという気にならないんだったら
ならない
なるのは
自分が
ストレスには耐えられないから
耐えられないから
切り離すわけですからね。
その
切り離せないと思っている
問題なり課題なり
問題ですね。
ストレスというのは
本当に事実
現実として外在するのかというと
そんなものは現実としては
外在しないんですよ。
僕この話の中で
名前忘れたんだけど
岡本一馬さんの大秘宮を
レフトの一番の
アリなんとかっていう
キューバ人の
キューバの訪問したメキシコ人の人に
ホームランをキャッチされて
ストレスだと。
それが決めたことでしょ。
メキシコの人から見れば
全然違う光景に見えるじゃないですか。
それによってむしろ万能感を得るぐらい
違うじゃないですか。
万能感を得る風景と
ストレスを得る風景は
同じ風景なんですよ。
これを意味付けというわけじゃないですか。
日本人が見た場合と
メキシコ人が見た場合とじゃ
全然違う光景が見えるわけじゃないですか。
これを自分にはどうしようもできない
って思うのがおかしいんですよ。
まさにこれ自分が作り出している
問題のはずなんですよね。結局。
で、ここの
ここをわざわざ
これをストレスですと意味付けして
ストレスを得て
ストレスの招き方
それをスプリットオフしたくなるから
ますますそれをストレスのように感じられて
スプリットオフする以外
自分には到底耐えられない
そういうのが自分という人間なんだと決めるから
一段とこのストレスが
大きくなっていく。
ここが一番の問題であって
で、そこで酒を飲んで
ウサを晴らすみたいな。日本が負けたりした
場合にこれをやるということは十分
あり得ることですよね。僕は飲まないけど。
そうすると
えーと
次から次へとですね
スプリットオフした部分というものが
えーと、なんていうんですかね
ストレス源としての
力を強めていってしまうんですよね。
現実を動かしているんで
それによって自分は気分が悪くなった
という風に現実を動かし
それによって例えばテレビを見るのをやめた
というような形で現実を動かし
さらにそれによって
これもなんか違うことを
しようという風に自分という現実を動かして
さらに酒を飲むという
結果によって現実を動かして
翌日二日酔いになったらさらに
現実を作ってるじゃないですか
一つのこう風景
そこに元々の意味
本質的で客観的で誰が見ても
そうだって言えるような意味はない
フライの大飛球という
単なる現象に
ストレス源という意味をつけてから
一連の時間が
経つまでの間ずっと
そのストレス源という意味が
強化されていって
しかもその光景自体は
もうこの世から冷えてなくなってますよね
一瞬のことですよね
ビデオで何度も何度もワイドショーでやるでしょうが
起きた出来事自体は
一瞬で終わっているわけですよ
頭の中で何度も何度も再生してるのは
その人の勝手ですよね
これを自分では
どうしようもできないという風に
思うから
どうしようもできなくなっていくんですね
やがては
それによって二日酔いが引き起こされる
自分にはどうしようもできない問題
なんていうのかな
としてですね
現実に確立してしまう
その時に僕らは
スプリットオフまでやるんだけど
ついにはオフしきれない
当然なんですよね
自分をスプリットオフしてしまったら
自分じゃなくなってしまうんで
こうしてまた戻ってくるわけです
自分
これがぐるぐる回ることを
多分
妄想分裂ポジションと言うんだと思うんですね
解決策みたいな話になるんだと思うんですが
これは僕は
今日はビオンの言葉を借りて
おしまいにしてしまいたいと思いますが
我々はストレスに耐える力を持っている
これがビオンの言葉です
これは今の文脈を
とって考えると
非常に
大事だなと思うんですよ
それだけの強さを持っていると
つまり
スプリットオフしなくても大丈夫だ
自分を信用しなさいってことですね
そうしないと
そうしないからそういう時点を招くわけだから
最終的には
自分をそれだけのものだと
ストレスへの対処法
見なせる
ということなんですね
そうしたらスプリットオフということを
実はしなくていいんじゃないかと
思えるようになる
全てが逆方向を
向き始めるわけですよ
そもそもストレス源というものは
自分が作ったものだし
仮にそれで少々
嫌な思いをしたとしても
耳穴なんか空きはしない
胃はそんなに弱いものではないですし
そういう風に
逆に
向かっていくことで
物事を
スプリットしなくて進むと
そうすれば自分を
スプリットオフしたりしなくて進むと
他者との関係性
そうすれば
自分が少しずつ
強さを取り戻すことができると
そういう流れなんです
ある種の精神分析の
考え方というのは
自分がストレスを
抱えたままでいた方が
より強くなれるという意味です
あるいはより充実した
存在であることができると
切り離して外に出してしまうから
痩せ細っていくんですよ
こういう言い方するんですよね
愚症的な言葉を使うのが好きなんで
精神の話として
痩せ細っていく
ということを招くんですよ
痩せたくなければ
吐き出さないことなんですね
むやみやたらと
むやみやたらと吐き出さないためにも
逆へ逆へと
引き込んでおいて
そこでこう
融合させていくみたいな感じ
リンキングみたいな
つなぎ直すみたいな言い方も
するんですけれども
いずれにしてもそういう方向で
そういうことができるようになりましょう
ということです
これをやるのが
多くの場合自分一人では無理なので
人に
助けてもらいながら
やりましょうねと
これはですね
人に助けてもらいながらというよりは
いうよりもというか
それができればいいんだけど
要は他人を
ストレス源だとみなさないというのが
すでに一つの
人に助けてもらう方法なんですよ
つまり
その人に対して
ストレス源だの
何かハラスメントしてくる人だの
という意味付けをしないということです
ただこの話
必ずもう一回
現実にそういう人だったらどうするんだ
っていう例の問題が
外在化してしまう問題っていうのを
かかえ
として指摘されるんで
その話は先ほど言った通り
今回はスキップしました
本当の悪人だったら
どうするのかっていうことは
今回は問わないことに
自己解決を求める心理
この話ではします
大体言うならば
手が出てきたら
ちょっと危険だと思って
避けてもいいと思うんですけども
手ではないのであれば
基本的には
その人に対して
極力意味付けをしない
ということをすれば
何らかの意味で
その人に対してではないですよ
自分自身が
より充実した存在になれる
そのきっかけになり得るような気がします
よほどひどい場合は
ちょっと一旦置いておくにしても
返して
全然ひどくないものまで
私たちはすぐストレス減にしてしまいますからね
それをやめればいいってことです
これが人の助けを借りる
ということですね
人というものに対して
多分
行為を持つっていうことまで
当然は行かなくても
全然いいんじゃないかと思うんですよね
全然よくはないけれども
ニュートラルでいいと思うんですよ
意味付けが盛んに行われている
最中であれば
意味付けを盛んに行うということは
私自身が結局
切り離して切り離して
切り離していくところが
どんどんどんどん増えるという
話にしか
多分ならないんですよ
僕らはすぐ万能感を欲しがるんで
万能感を欲しがるんで
この癖は大したものでして
みんなそうなんですよ
割とも
よほど気をつけている人でないと
すぐに意向対象を見つけては
万能感走る
これをするから
僕らはそもそも先送るんですよ
仕事からストレスを得ると
途端に万能感を得るために
何でもいいから手近なものを使って
意向対象に向かうと
意向対象は多分仕事じゃないんで
意向対象に向かっている間は
仕事にならないわけですね
それをやっている最中に
ストレス解消という名のもとに
自分の中からですね
ストレス部分を切り落としてしまう
その時多くの場合
意向対象にせよ万能感
万能空想にせよ長時間を含むんで
この辺も話をどんどん進めちゃって
すみません
長時間を含むというのはつまり
自分が偉い側に立っちゃうんで
もうちょっというと
自分の立場になってしまうんで
ストレス源を感じている
感じさせる相手なり
感じている自分なりを
叱責するんですよ
そうすることで
本当に叱責する場合もあるし
心の中だけでやる場合もありますが
自分がうんと欲打的になるというのを
しかも無意識に進行させてしまうんですね
さっきの岡本さんの
大飛球取られたのでは
ダメですね
何でもいいんですけど
何かちょっと書いちゃいけないようなことを
書いてしまったというような時にですね
辛くなるじゃないですか
私はやってしまった
これは自分で何とかできる問題だから
自分の力で解決せねばと思うじゃないですか
思ったとしましょう
ストレスを感じた時に
必ず
僕らがやろうとすることは万能感を得て
このストレスを
早く自分から除去しなければ
胃に穴が開いちゃうよ
っていう風に感じるわけですよ
そして
お酒を飲む前にですね
例えばサウナにでも行くとか
攻撃的な自己否定への傾向
するじゃないですか
そして何をするかというと
心拍を僕が高めるんだと思うんですよね
あれをやれば心拍数上がりますから
心拍数上がって
身体的な力を得て
元気になった気がしている時に
お父さんなり一緒に
サウナに入った人なりに
同一化していくんですよ
その人と一緒にやらかした自分を
出席するないしは
そのメールを出してしまって
怒ってきた上司なりに対して
でもあんな言い方はしなくてもいいはずだ
みたいな感じで
上司を心の中で出席する
その時にやってることっていうのは
ストレスを得ている
自分の心に対する
スプリットオフと
攻撃なんですね
鬼は外だから攻撃ですよね
雨ぶつけるみたいな話では
つまらないかもしれないけど
攻撃していることに違いはない
二つ問題がある
昨日も一昨日も言いましたけど
二つ問題がある
一つは自分が半分に切り落とされているということを忘れている
半分になるということは
強くはなんないですよね
心拍数が少々高まっても
次に自分を攻撃している
切り離しているって言っても
それは心理的な話なんで
実際には切り離されているわけでも
なんでもないので
自分を攻撃すれば繋がっちゃってるから
自分は辛くなります
二重にその事態が起こるんですよ
だから
自分を失敵したとしても
でもやらかしちゃうんだよな
みたいないじけた子供みたいな
心理がそこに残ってくるし
心の中の上司を
攻撃しても
上司には言葉が伝わってないのは知ってますから
結局それは自分の心の中の
話ですので結局
上司にこれが分かっているわけじゃないんだ
ということで無力感まで
得るじゃないですか
実体のない万能空想
この一連の流れをですね
万能空想だけで実は
解決できる理由がないんですよ
お酒を
飲んですら自体は
これに限りなく近いと思うんです
ただお酒を飲むと
心が麻痺するから
多分そのいじけている子供みたいなものは
もはや支え切れなくなって
眠りについたりするでしょう
でもそうしたからといって
自分は決して強くはなってはいないんですよね
心拍数がやっぱり
上がるのがせいぜいで
だから
自分にはどうしようもできない
問題というところに
メスを当てていくしか
光を当てるべきなのかな
しかないと思うんですよ
ここがまさに自分にどうにかできる
問題であるという風に
捉え直すやっぱり結局これは
捉え直すってことなんだろうと思うんですよ
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