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2020-10-12 41:33

【GMV 235】なぜ鈍感な人の住む世界の敏感な人が自分なのか?

内面を表に出せないのは何歳から?
00:04
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。 ここのところですね、あの
チラフコラートではありますけれども、なんかアクセスが割とこのポトキャストも 伸びておりまして、大変ありがたい鍵
なんですね。ありがとうございます。で、あの ちょっと CM したいんですけれども
今、私はクラゾノ刑事さんという方とグッドバイブスファクトリーという オンラインサロンをやっております。
で、これかなり格安な サービスだと思うんですが、思ってるんですけど、えっと
クラゾノさんがFacebookで 投げ込まれた、書き込まれた質問に
いや、相談にお答えすると。私も答えられるものは答えますが。 あと
TVですね、YouTubeなんですけれども、非公開のものが 私とクラゾノさんの、主に私から質問をするという
本読んでいただいた方、不安ゼロで生きる技術を読んでいただいた方は、あれの動画版だと 大体思っていただければいいかなと思うんですが
というのを配信しております。これ週一ですね。 これだけでも結構、あともう一つ、月に1回ですね、オンラインでセミナーに
開始してるんです、あの、実施してるんですよ。 Zoomになりますけれども、オンラインセミナーに参加することも
参加することもできるというサービスですね。この3つですね。
質問にお答えすると、相談にお答えするというのと、
YouTubeでの動画配信と
オンラインセミナーと。で、これもオンラインセミナーをちょうど昨日 開催して
何名か
参加いただいた中でですね、 やっぱりこう、なんていうのかな
世の中はいろんな、 その
ストレス源というのかな、ストレッサーというのか、 あるじゃないですか。
で、これに倉園さんが主に答えていくわけですけれども
あの 最初に聞いた時は全く自分の悩みとは似ても
似つかないなと大体思うんですよ。 私はこういうことで悩んだことはないなと最初は必ず思うんですよ聞いていて。
必ずでもないけどまぁ98%ぐらいは実質そうなんです。 ところが
倉園さんが話しているうちにですね、これは私の悩みそのものだなところが必ずこう
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あるんですよね。そしてだんだんだんだんそっちにチェンジされていく感じがあって、 チェンジされていくというのはおかしいんだけど
その視点を取るとそういうことになるんだっていう
不思議さというのではないんですけどね、そういうなんかこうどこかで軌道の変更みたいなものが
自分の中で感じられるんですね。 つまり私の視点が動かされたという感じが
その時に質問者の悩みと自分の悩みが実は一致していて、そうするとですね
話がぐっとわかりやすくなるというのか
自分もそういう問題で
かかずらったこともあるし、 物によっては解決してきたこともあるしということで
そういうことが起こるんですよね。 一般にカウンセリングというものは密室で行うものじゃないですか。
昨日のセミナーはセミナーでありながらオープンなカウンセリングみたいなものになってるんですよ。
そういうのってイメージしにくいと思われると思うんですけれども、私も最初このようなものが果たして成立するかなという懸念を持っていた時期もあったんですが
あれの良いところはですね、あらゆる悩みが同じように
同じように解決していくことができるということを実地で知ることができるというところにあると思うんですね。
今これからリアルで大阪とか東京とかでのセミナーも再開するので
そちらの方も チェックしていただくといいと思うんですけれども
いずれにしてもですね、GOOD VIBESの公式ウェブというところを見ていただくといろいろ情報があります。
これはCMだと捉えていただいて結構なんですけど、私自身ここのところフォトキャストでずっと
自分がどういうふうにGOOD VIBESで
ストレスというのかな、悩みを
ない方向に行けるようになってきたかという話をしているつもりなんですが
こういうのってですね、何と言えばいいのかわからないんですが、昔はもうちょっと違う形で解消されてたに違いないと思うんですよね。
今本当に良いことだと思うんですけど、産業カウンセラーとか診療内科とかになってきたじゃないですか。
心の悩みなのに醸剤とか飲むじゃないですか、本当に。効くんですよ、あれは。効くんだけど
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何と言うんですかね。
進歩したけれども、ある種の辛さがある生活スタイルなんだなと思うんですね。
他の自己啓発もいろいろなものもあると思うんですけど、私はGOOD VIBESの一つの良さがですね、ほとんど生活スタイルを変更することなく済ませられるというところが大きいと思っているんですね。
良いところは2点あって、1点ははっきり言って格安だなと思っています。
月2000円ですからね、オンラインサロンにしても。
で、セミナーとかでも最大1万円はしないんですよ。
だいたいこの種のものは、全部が全部とは言いませんがアプセル的なものがあるじゃないですか。
それも何もないんですよね。
かつですね、一番の問題は効能だと思うんですよね。だから私一生懸命ここで喋ったりしてるんですけど、果たしてそれ効くのかって話なんですけど、
効きはするんですよ、実は。どんな自己啓発でも、私の今の考えではね。
なぜかというと今の私たちの生活は過重なほどに技術寄りであり、
かなりの程度ライフを書く寄りなんですよ。これについてどっかでですね、まとめたいと本にしないとちょっと書ききらないほどの分量だなとここで喋ってまとめるのは無理なんですけれども、
言うならば能力主義で個人主義なんですよね。それってあらゆる人にとって辛いんですよ。
野球を見てたらすぐわかりますよ。
お化けフォークとかって言うんですよ。
ソフトバンクフォークスのエース、センダーが投げるフォーク。あんなもん投げれても打たれるんですよ、打たれる時はですね。
辛いですよね、この種の生活は。
これが合理的で人が幸せになるのの唯一の道だと信じるのは本当厳しいと思うんですよ。
最近そういうコミックエッセイみたいなの、女性が書いたのが多いんですけど読んでいても、
ただ生きていくだけでこんなに大変なのは大変すぎないかというトートロジーみたいなセリフが出てくるんですけど、
要するにその方は何にも自分は偽量がない。ここら辺のイリュージョンも色々と議論の余地はありますが、偽量がなくて、
免税捨てでやっていないとプー太郎になってしまうという強い恐怖感をもとに頑張っていらっしゃるんですけど、
辛いですよね、この個人の能力が全部だという話になってくると。
よく76億の個性という言い方もしますけど、76億も人間がいて個性が別々でみんなで競争したらそれは大変ですよ。
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それはやっぱりあれですよね、箱舟に乗り損ねた人はどうなるんだ的な話をみんなが考えちゃうから、
一番船の底でいいから居させてくださいみたいな話になって大変なんだと思うんですよね。
このいう心理状態にあって自己啓発というのは要は、その反対側にいって色々とそのストレスを
どうにかこうにかする色々な考え方とか先人の知恵的なものがありますという話なので、
まるで効かないとは思えないんですよね。むしろ今の時代だから一番効きやすいんじゃないかと思うんです。
ただ、効くだけあって高かったり、効くだけあってその…
なんて言うんですかね…
生活スタイルを過度に変えなきゃなんなかったりですね。
コーランってあるじゃないですか。夕方この時間だったら何としてでも飲んなきゃいけないみたいな。
生活スタイルに支障をきたしますよね。 なんでああいうことが起こるかというと、
徹底的な能力主義でやってきたためにですね、切り捨ててきたものが色々あるわけですよね、私たちは。
道にしてもそうですよ。 なるべく直線がいいわけじゃないですか。
生活スタイルも同じでなるべくルーティンがいいわけですよね。そうやっていく度に色んなものを変化させてきたわけですよ。
そうすると色々なものがですね、切り捨てられていくしかないんですよね。
諸事情あって曲がりくねっていたものとか、諸事情あってルーティンが破壊されてたのとかがですね、
全部極力合理化されていく中で、捨てるしかなかったものがあるんです。
それを自己啓発というのはある意味拾ってるんで、生活スタイルに変化を起こしてしまうんですよね。
それも良くない変化ですよ、多くの場合。祈るとかって無駄ですよね。
その合理主義の観点から言えば、祈ってる間にも株式売買した方がいいわけですよ。
今の話は極端ですが、要はそういうことなんですよ。
だからそうすると、祈りの効果がというものはあるんだけど、心理学的にも宗教的にも説明はできますけれども、
そんな説明を聞く暇もないですよね。 だから聞くんですよ逆に、そういう時代ほどですね。
多分私の感じではですね、宗教的な時代ほど自己啓発などというものが効果があったとは思えないんですよ。
なぜならみんなそういうことはしてましたからね、何らかの形で。
年々しなくなっていくわけですよ。 だから逆に効果があるんですよね。
逆に怪しいというのはつまりですね、合理主義で僕らは判断、ものを判断してるんで、
怪しいと言えば全部怪しいんで、それって判断できないってことになるじゃないですか。
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自己啓発や宗教は全部怪しいとなったら、とはいえ頼んなきゃなんなくなったらどの宗教を頼ればいいのって時に判断力がないわけですよね。
最近私非常に、私実家が寺だと何度も言っていますけれども、
実家が寺だとですね、どうしても見えてくることってあらざるを得ないというのかな。
私はライフハック大好き、ガジェット大好きで、個人主義大好きで、能力主義万歳な人間だったんですよ、結構ずっと長いことね。
20代は全部それで生きてます。宗教というのが無駄だという議論はですね、
聞かされるまでもなく、僕の中では自然に染み付いている常識みたいなもんですよ。
でも親父は坊主をやっていると。しかも私が20代の頃は一番親父も元気でいろいろ頑張ってたわけですね。
両立しちゃうんですよ、僕の中では。これを無くすと大変なことになるなというのは目で見て知っている。
僕の人はこれを無くしても何も問題起こらないだろうと思ってるんだけれども、そうはいかないということが目の前で分かるんですよね。
一方で自分の価値観はそれとは全然相入れないところにあるという、
そういう、ある種の自己矛盾感満載みたいな運転だったわけですけど。
先日テレビで見てですね、孤独死されているおばあちゃんが、おばあさんだったと思いますね。80歳くらいかな。
ものすごいゴミ屋敷に住まわれていて、あれどうするんでしょうね。孤独死だからね。
死であれを片付けきるとは思われないんですよね。
つまり、ああいうところがまずあったりするわけですね。
そこに行ってまず何をするか。まず何をすると皆様は思われるでしょうね。
部屋を片付けるのが先ですかね。死体を何とかするのが先ですかね。
葬式をするのが最初だと僕は思うんですよね。
多分そういうことになるしかないんじゃないですかね。私たちの心境から考えて、葬式をせずに済ませられないでしょう、多分。
みんなすごく心理的に重くなりますよね。身内の人もいらっしゃるわけだし、葬式一番最初に来ると思うんですよ。
そういう時に孤独死ですからね。身寄りも全然お金なかったり、団家さんが全然違うところだったりした場合、
一体その葬式は誰がするんだっていう話になるはずなんですよ。
坊主が行くしか僕はないと思うんですよね。そういうケースは山のようにあります。
いやいや、友人層でいいじゃんって。友人がいればそれでいいですよね、別に。
私もそう思います。でも80何歳だということを忘れちゃいけないと思うんですよ。
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中には今の時代ですから90何歳だったり100歳だったりするケースもあるわけじゃないですか。
その時ですよね。 その時に
葬式は一切なくてもいいんですと、誰がそれを言うのかって話もあるわけですよ。
こういう話がですね、全部どこに最後に持ち込まれるかというと、寺なんですよね。
まあ宗派いろいろありますけれども、そもそもその人の宗教がどこだったのかがわからないというケースや、存在しないというケースがあったりもするわけで、
非常にこう、この種の問題というのが問題なのかどうかわかりませんけれども、どっかにでも行くわけですよね。
その時に、まあ普通に行くのは役場と葬式屋さんと寺と相場が決まっていて、この3点セットは絶対なんだと思うんですよ。
あの場合はですね、専門の清掃業者も絶対必要ですけど、じゃあその金誰が出すんだって、師ですかね。
そういうこともあったりします。
で、長々とグッドバイブスなのかどうかわかんないような話をしてきたわけなんですけど、
それを見て私は、その孤独死のお婆さんを見てですね、私はすごくこう、被害者目線というものを考え込んだんですよ。
で、そのお婆さんがどうだったかはわかんないです。わかんないですけど、孤独死というものの一つの特徴として、
物を言わないっていう感じがあるじゃないですか。
そこにはこう、物を言わない批判みたいなものを感じるんですよ。
わざわざ報道されてる、テレビで取り上げるのは、絵的にゾッとするみたいなのが絶対あるにせよですね。
そこにはこういう物を言わない批判みたいなものがちょっと感じられたんですよね。
で、物を言わない批判って、最近じゃ本当はないけれど、昔からこう一つの大きなややこしさを生み出しがちだなと思いまして、
最近で言うとHSPってあるじゃないですか。
あの、敏感な世界、ごめんなさい、疑惑だ。
鈍感な世界に生きる敏感な人たちっていう、非常に売れてますよね、今でも。
この鈍感な世界に生きる敏感な人たちって、どうしてその鈍感な世界にわざわざ生きてしまうんだろうという疑問をまず最初に抱いたんですよね。
あの、よくあるんですよ。小説とか、今ではさっきのコミック衛生みたいなものでもよくあるんだけれども、
あの、大体の場合、夫ですね。
夫が鈍感なわけですよ。
で、テレビ見て笑ってると。
で、例えばその女性がなかなか子供ができなくて悩んでると。
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この悩みがですね、全部漫画の中ではわかりやすくモノローグとなってるわけですよね。
モノローグってことは無言ですよね。
で、夫は鈍感であると。
私、HSPにはですね、ほぼ同じ構造をいつも感じるんですよね。
あの、なんて言えばいいんですか。
コミックの中でも、吹き出しになってたらそれは音の出ている声じゃないですか。
でも吹き出しにないものは音が出てないですよね。
つまり内面の声ってやつですよね。
どうして気づいてくれないんだろうとかって書いてあるじゃないですか。
どうして気づきうるんだろうって僕なんかはむしろ思うわけですよ。
えっと、だってこれは音になってないから誰も気づきようがないですよね。
でもこのモノローグがものすごい長い。
昔は詩小説にはそういうのいっぱいあったんですよ。
気づかない周り対気づきすぎている私っていう対比で
モノローグが延々続くわけですよね。
で、私の気持ちは誰も知らないっていうわけなんですけれども
非常に詩小説的じゃないですか。
この誰も知らない私の気持ちというものをずっと読んでいると
非常に私なんかはすぐ簡単に同情しちゃうんですけど
ああいうコミック絵線読んでてもすぐ同情しちゃうんですけど
よくよく考えてみると不思議だなと思うことがあって
この世界ではこの主人公の気持ち以外
気持ちを持ってる人間がいないんですよね。
みんな鈍感なんですよ。
なんかテレビ見てアハハハって笑ってるだけなんですよ。
その中で唯一気持ちを持って内面をローグしてるのは
主人公だけなんですね。
それは主人公は自分の気持ちしか分かんないからなんですけど
ここに違和感があって
いやでも考えてみると鈍感な夫の気持ちなるものは
どこかにあるんじゃないのかって思ったんですよ。
よく思うんですけどね。
詩小説読んでても思うんですけど。
もうちょっと考えてみると
そもそもこの鈍感な夫となぜ結婚したんだこの人っていう
疑問が湧いてくるじゃないですか。
これはグッドバイブスでもおなじみの
発泡ふさがりというやつなんですが
先日倉園さんがYouTubeで
西武劇というキーワード出されてたんで
これは大変面白かったんで
その回はぜひ公開されると思うんで
見ていただければいいと思うんですけど
要するにですね
このモノローグやってる人はいつも
発泡ふさがりに陥ってるんですよね。
夫は鈍感だと。
例えば今で言えば妊活というものをしてるとしましょう。
子供作りたいというやつですね。
先生は無神経だと。
無神経にちゃんとセックスしてますかとか
平気で聞いてくるけれども
してないから困ってるんだっていう
モノローグですよ。
音がないんですよね。
それを言わないから。
実家に帰るとですね
子供はまだなのとか孫の顔が見たいという
お決まりのセリフを投げられて
21:01
ハの字になってる主人公が
いろいろモノローグを言うんです。
ここでも同じことが起こっている。
音がない。
セリフに吹き出しになってないから。
親はそれがわかる理由がないんだけど
なぜ誰も私の気持ちに気づいてくれないんだろう
とか書いてあるわけですよ。
いや、それ気づいてくれないんだろう
せめて口に出さないと
でも幸せそうな結婚生活だと思われてるんだから
そんなことは言えないとかって
モノローグが書いてあるわけですね。
発泡ふさがりっていうのはまさにこういうことで
どこへ行っても
自分の問題は解決されないんですね。
だからカウンセリングを受けようと
何をしようともうダメだということで
親孝だな、鬱になっていくというわけですね。
鬱とは発泡ふさがりの病気だなと
ツクツク思うんですけどね。
これは大変難しい問題ではあります。
周りが無神経だと言えばそうだと思うんですよ。
私はだから最初も言った通り
すぐこういうものに同情して
全く言うのがひどいなってすぐ思っちゃうんですけど
なんですぐ思うかを考えたんですね。
なんで私はすぐそういうことを思うのかというとですね
私がこういう人間だからなんですね。
すぐ内面モノローグに走るんですよ。
サイト中ポロって言いましたけど
被害者目線っていうものがあって
無言の批判を人にぶつけるんですね。
無言ですよ。
だって内面でいくらモノローグしても
それは聞こえませんからね、誰も。
周りから言うよ、無言ですよ。
で、無言の批判というものを投げつける癖があったんですよ。
で、たまに主人公は意を消して
いろいろ喋るんですけど
人から見ると突然なんで
なんか対応が不適切なわけですね、主人公から見ると。
で、誤聴者やってるしに喧嘩になって
もういいとか言って頭を閉めて
主人公出ていくんですが
ここにですね
どうして誰もわかってくれないんだろうって
またモノローグが始まるんだけど
ここにですね、罰があるなって思うんですよね。
主人公はただ
わかってくれないからもういいと言って
席を立ったつもりなんでしょうけど
このもういいというシーン
書いてても、主人公の人も
書いてる人はみんなわかってると思うんですけど
どう考えても相手に
一定の心理的負荷をかけてますよね。
もういいというのはちっとも良くはないですよね。
で、頭も大体バタンって閉めてますよね。
つまり罰を与えていると思うんですね。
で、こうやっていろんな人に罰を与えるか
無言であるか
立ち去るかを繰り返していて
発砲塞がりになるのは
まあまあ自然なことかなという気もするんですよ。
同情してるんで可哀想だなと思いつつ
これを繰り返していると
多分孤立していくしかなくて
24:00
その運といった先が鬱だよなという感じが
どうしてもしちゃうんですね。
で、どうすりゃいいんだろうと
HSPの人も同じこと言ってるじゃないですか。
周りの人が無神経で音を立てたり
無神経なことを言ってきたりすると
モノローグで言ってますよね、大体。
口に出さない。
そういう風にしつけられてきたっていうようなこともあると思うんですよ。
私も非常によくわかる気がするんです、それ。
どうしてもモノローグになってしまう。
モノローグになると本音というものが
隠されてある本音というものがあるので
表面的な世界として見える現実に対して
心の中の現実というもの
そこに真実みたいなものを見る癖がついていて
表面には嘘ばっかりだっていうか
本当のことは表面に現れてないんだっていう
ものの見方がつくんですよ。
私、さっきグッドバイブスファクトリーで
たぶん出している
倉園さんとのTVのやり取りの中で
本音という話をしたことがあるんですけど
まさにこういうような文脈で
本音というのが後ろにあるっていう感じを
僕は結構強く持ってるんですよね。
この感覚と被害者目線というものが
一致するんですよ。
どうしても自分は被害を受けている感じを
受けるようになってくるんですね。
内面のモノローグを繰り返しているっていう
生き方をしていると。
外に出せない何かがあって
それに気づかれないみたいなですね。
こういう目線の中にはですね
自分はすごく働かされているっていう目線もあったり
これはやっぱり女性がよく書かれる
コミックに多いんですけど
現実にこれをですね
カウンセリングとかオープンカウンセリングとか
セミナーで話題になるときは
結構男性もおっしゃいますよ。
会社で人の5倍、3倍働いているんだけど
誰もそのことに気づいてくれない。
やっぱ内面モノローグ的なんですよね。
無言の批判がそこにあるわけですよ。
周りの人たちはお気楽で
このままでは立ち行かなくなるのにプロジェクトがですね
テレビ見て笑っている人たちと同じなわけですよ。
何も考えていないと。
自分は人の3倍働いてもう潰れそうだという話が
倉須野さんのところに放り込まれるんですね。
ちなみにこれはイリュージョンではありませんとか
いろいろと予防線が張られていたりするんですけど
意味付けもしていないっていう話を
必ずセットでグッドバイブス読まれた場合はですね
そういう話になるんですけど
要は発砲塞がりだということなんですね。
結論がないままズルズルと喋るのが
俺の特徴、この番組の特徴ですけど
今日は一つ僕、この被害者目線について考えてきたことがあって
行き着くところは親なんですよね、これ。
27:02
全部じゃないかもしれませんが
この週のコミックエッセイも
最後に何か解決を見るとすれば
親のところに話が行く。
私自身もよくわかるんです。
行き着くところは親なんですよね。
親に対してどこかでこれをやり始めた瞬間があって
それを独立だと考えた人たちによく共通する現象なんです。
内面モノローグを始めちゃって
お母さんはわかってくれないんだみたいな
そういう内面モノローグを始めちゃって
こういう自我が生まれた時に
自分は大人になったって考えた人たちに
強く共通する傾向のような気がします。
はっきり言ってこれはですね
年がかなり幼いうちからかなり大人になった子のやることですね。
多分早い子で6、7歳、小学校1年生程度の時に
これを開始したんですよ。
お母さんはわかってくれない。
もういい、わかったみたいな
勝手に自分で納得してですね
それがすごく自分が大人になったような気がしてくるんですよね。
だってそのお母さんの手の届いていない
自分の本心というものを持ち
しかもそれは多くの場合悩みに彩られているじゃないですか。
自分だけで悩みを解決していくぞっていう
一定の決意みたいなものもそこにありますよね。
それと被害にあってもですよ、この子は
何らかの形でストレスを抱えていて
親が一緒になって解決するべき年ですよね。
6、7歳ですからね。
だけど親がなんか独特の教育方針を持ってたり
うちの母がそうだったんですけどね。
早く男の子は自立させたいみたいな
あるんですよ、うちの親には。
そういうなんか古い武士道みたいな考え方を持っていると
私みたいな人間は内面モノローグに走るんですよ。
喧嘩強いとか口先が上手だということがないんでね。
内面モノローグに走ると。
これなんだなと。
で、いくつかのコミックエッセイでは面白い解決策があって
お母さんなるものを仮定するんですね。
そのお母さんなりお父さんなりに
手紙を書くとかそういうやり方を取るんですよ。
言いたいことを全部言う。
これだけでだいぶ違うっていう話になるんですけど
興味深いなと思うんですね。
何が興味深いかというと
要はコミュニケーションを取らないと
この種の問題って解決しないんです。
だいぶ前の方で言いましたね、今日。
グッドバイブスの一ついいところは
生活スタイルをほぼいじることなく
自己啓発的な恩恵を受けることができると思うんですけど
その一つにコミュニケーションというものがあるんですよ。
コミュニケーションって普通の生活の中で取ることができるじゃないですか。
むしろ取らずに済ませようとしてたりするケースが多いんで
そこでちゃんと取るようにするっていうのが
グッドバイブスではかなり大事なポイントになるんだと思うんですね。
30:03
なんでかっていうと
倉園さんの言葉を借りれば
人は一人では生きられないからって話になるんだけれども
例えば最近私が気づいたこととして
依頼をすぐにやるということの大きなポイントに
何が依頼で何が攻撃かを見分けられる能力がつくんです。
妻の依頼なり娘の依頼なり聞いていると
娘の依頼に攻撃みたいなのが混ざるケースないんですけど
人はですね、この依頼をしないことによって
何か私に抗議してるんじゃないかとか
そういうことを密かに考えていることがすごく多かったりするんですよ。
例えば早く帰ってきてっていう話もそうですけど
早く帰ってきてというのは依頼なのか
いつも帰りが遅いことに対する抗議であるのかわからないわけですよね。
ところがこれって依頼に答えていくとですね
相手の依頼に確実に即座に可能な限り答えるということを繰り返していると
すぐに何が依頼で何が攻撃なのかの見分けがつくようになるんですね。
つまり依頼というものに対する反対力が上がると同時にですね
自分の攻撃がイリュージョンだということを見分けることがすごく上手になるというか
すごくできるようになる。
そうするとイリュージョンの攻撃に対して身構えるということが減っていくんですよ。
これだけでも非常にグッドバイブス的に自体が改善していくんですね。
こういうことってでも何も生活スタイルある意味変えたりする必要はないわけですよ。
満月の夜になったら断食するとかしなくていいわけなので今これは適当ですよ。
何かの宗教でこれをやってるって話じゃないですけども
そういうようなことは一切せずに済むので
しかも自己啓発で言っている導かれるというような話とか
一つ意識という話はちゃんとそこに含まれるように考えられているんですよ。
今日はその説明までは一切入りませんけれども
ここがいいところだと思うんですね。
私の場合のそれもそうなんですけど
母に架空の手紙を書くとかはちょっと特殊感が出てきて
スピーっぽいさも出るんですけれども
要はそういうことよりもですね
コミュニケーションから攻撃というものを取り除いた上で
言いたかったことを言うというのはですね
これかなり難しいですが攻撃になっちゃいますからねどうしてもね。
でもこれができると問題が大きく前進するというのは
とてもよくわかるんですね。
私なんかの場合の内面モノローグは
いつ始まったのかというと
33:01
多分僕の場合では5歳ぐらいに始まった気がするんですね。
つまりそれは母に言いたいことがいっぱいあるってことになるじゃないですか。
全部しまってしまいましたからね、以後。
いや全部はしまってないですよ。
言いたいことを言ったことはあります。
多分多々ありますが
でもかなりしまい込んでしまった。
そのかなりしまい込んでしまったということを
自覚するだけでも違うんですね。
これを自覚することにより
ここからちょっと飛躍して聞こえると思うんですけれども
簡単に言ってしまうと
母に対して言うべきことを妻に対して言わなくて済むんです。
だいたい母に対して言うべきことを妻に対して言うとかおかしいじゃないですか。
でも必ずそれをやってしまうんですよ。
この内面モノローグをやっている人というのをですね。
その人格なんていうのは非常に良い例だから
漫画になったりしやすいんですね。
なんで人格が良いかというとですね
同じテーマで全ての人が攻撃してくるような感じがするから
自分の両親、相手の義理のお父さんお母さん
夫、無理解な
あるいは新しく結婚して妊娠したというお友達も
攻撃しているような気がする。
こういうふうに本当はそれぞれ別個で
お互いに連携を取っているわけでもなんでもないのに
まるで連携を取っているような表現の仕方ができますよね。
そうしてそれを全部つなぐのは自分が被害に遭っているという
その目線なわけですよ。
クラゾンさんがよくグッドバイブスで
私たちは現実を見たいように見るって言うんですけど
まさにそれが起こるんですね。
被害者として現実を見るという習慣がつくようになる。
これも世の中赤いように見れば赤くなるとかいう話とは違うんで
ものすごく分かりにくいと感じられることも多いと思うんですけど
まさに私たちは
本当に臨床でも認知心理学でも社会心理学でもいいんですけど
まさに私たちは世の中を見たいように見るんですよ。
これもさらっと説明してしまいますけれども
今のアメリカで白人の人が黒人を見るとき
黒人の人が白人を見るとき
特定の目線を必ず持っていて決して同じようには見てないという
また私たちアジア人が見た場合も同じにはならない。
アメリカに長く住んでいるとよく分かるんですけど
絶対違うように見てます。
それは違うように見るという目線に
自分の生きている生活のポジションというのかな
が合致するようになっちゃってるんで
それを離れるのはすごい大変だということがあるわけです。
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被害者目線というのはやっぱりですね
その特定のテーマについて
自分が苦しんでいるということがまず背景としてあるので
だって夫もですね
バラエティ番組に笑ってる。
大声で笑ってるとか
今日も笑ってるとか全部意味付けですよ。
私がどんな気持ちかも知らないで笑ってるとか完全に意味付けですけど
全部意味付けなんですよ。
これはせずにいられなくなるじゃないですか。
そうすると必ずそこには
その目線には被害者的なものが入って来ざるを得なくて
そのテーマでまとめて世の中を見渡すということが
可能になっていくわけですよね。
そうするととても孤立するわけですね。
孤立はしてないんですけれども
孤立した感じにだんだんなっていくわけです。
医者とかは明らかに赤の他人にも関わらず
お金払うにせよ助けてくれるんだけど
医者が敵になってしまうじゃないですか。
この医者は分かってくれないとかですね。
そういう視点を取れよ。
問題は少なくとも問題は旦那にあるわけだから
医者にはないわけですよね。
だけれども医者にあるという視点を取ろうと思えば
いくらでも取れますよね。
もっと違う言い方があるとか
お母さんの話を聞いてくれてもいいとか
いろんな視点があり得るわけですよ。
でもですね、ほとんどの問題は旦那にあるにせよ
究極的な問題は旦那にはないんですよね。
究極的な問題はほとんどの場合
読んでいくとそうなんですけど
お父さんにあったりするわけです。
私もこうなんだよなとつくづく思うんですね。
究極の問題は私の場合は
お母さんにあるということになるんですよ。
これは多分こういう気質の方が
ご自分でやってみるとつくづく分かると思うんですけれども
つまり言えないということを自分で決めてしまうんです。
どこかのタイミングでですね。
私は自分の本音を言うわけにはいかない。
言えば嫌われるとか攻撃されるとか
叱られるとか殴られるとか
あるいは恋人ができても振られるとか離婚されるとか
いろんなイリュージョン、恐れと不安がそこにあって
でも一番大元までたどると
そりゃ親が出てくるんですよ、この種の気質の人はね。
だって5歳児にとって母親って怖いじゃないですか。
うちの母ははっきり言ってめちゃくちゃ怖かったんで
本人はそういう自覚はないですよ、もちろんね。
めちゃくちゃ怖いというのはどういうことかというと
39:01
めちゃくちゃ怯えてたんですよ、うちの母はね。
めちゃくちゃ誰に怯えてたのかというとですね
めちゃくちゃ私の祖父ですね、お父さん
DVでやたら殴る人だったらしいんですよ。
珍しくないですけどね、明治終わりでは。
これに大変怯えていたわけですよ。
ものすごい憎しみを持っていて
実家亡くなった時静かに喜んでましたからね。
普通の人で実家亡くなって静かに喜ぶって
その時50歳とかでそうそうないですよね。
そういうことが起こるんだけれども
そのめちゃくちゃ怯えていた母は
私にめちゃくちゃ怒るという形をとる。
でももはや祖父もいなくなっているので
母は怯える理由がなくなったじゃないですか。
どうなるかというとその記憶は全部消えるんですよ。
母は私が怒ったことは一度もないと心の底から信じていて
そのように私に言うんですよ。
これはすごいなと思うんですけれども
記憶ってそういう作用を持ってるんですよね。
母は怯えてたので怒ってたつもりは全くないので
怒ってないわけですよ、母の中では。
だから怒ったことは一度もないってことになっちゃうんですよ。
私の感じではほとんど毎時間怒られてたんですけどね。
そういう感じなので
一番大元をたどると母なんだけど
僕の場合はもっとたどると結局祖父ってことになっちゃうんですよね。
大元の原因はね。
こういう風に僕はなってるんだろうなと思うんです。
一種の世代関連さみたいなやつですかね。
そういうものがあるんですよ。
ただ祖父までたどっても私の場合意味ないので
祖父なんか会ったこと2回しかないですからね。
たどるとすると母であり
結局今更母に手紙書く気は私はないですけれども
多分そういうことなんだろうなと。
そういうのが有効になるんだろうなと思うんです。
みんながみんな内面モノローグやるわけでも
被害者目線で世の中見てるわけでも決してないと思うんですけど
大事なのは言えないという思い込みから
これは全てが始まる。
言うわけにはいかない。
私がこれを言ってはいけない。
だいたいコミック読んでるとわかるんですよ。
それは嘘っぽい。
その人の思い込みでしかない。
絶対に言えないっていう風な言い方をするけれども
多分絶対にということは絶対ない。
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