00:05
おはようございます。みんなのセラピー心理学です。
テイク3です。なんというかですね、このアンカーって本当に不可解な動きを時々するんですよね。
さっきまで別バージョンの、すでにアップロードしてあったものに、音楽をバックグラウンドミュージックをかぶせていなかったやつがあったんで、急遽かぶせてたんですよ。
で、これを収録中、ちょうどそれが終わった時に、両方とも収録が停止しちゃったんですね。
停止しても継続すればいいんだけど、ちょっと停止したほどに気づかず喋ってたんで、間が妙に抜けて、もうどうしていいんだかわからなかったんで、テイク2、3と立て続けにやってしまったんですよ。
もうなんかですね、困りますよね。
だって、バックグラウンドミュージックを別のファイルにかぶせているのが終わったからといって、収録もしているやつも同時に終了する理由がないじゃないですか。
だからどうもこういうことが起きるんですよ。
そんなことはないっていう人もいるのかもしれないんですけど、私の現状のこの環境ではそれが起きると。
はい、ただいま12月6日火曜日の12時40分くらいですね。
12時20分くらいには始めていたにもかかわらず、1からやり直しということになってしまったんですが、まあいいや。
今日はですね、途中何を喋っていたのかよくわからなかったので主題に戻りまして、主題は久しぶりに怒られる問題について考えてみました。
最近多分このテーマであんまり喋っていない、原則これからあんまり変わらないことを喋っているんだけど、精神分析的に。
ど真ん中で怒られる問題について喋んなくなったのは多分やっぱり私が怒られることを苦にしなくなりつつあるんでしょうね、多い。
以前よりはもう圧倒的にですね、これはもう全く倉園さんのグッドバイブスのおかげというしかないんですが。
先日ね、書き上げ塾という、倉園さんとこれもやっている本一冊書き上げるための塾なんですけど、
これもオフライン参加もオンライン参加もできる、6ヶ月コースで20万円というのがベースの塾なんですけど。
これでいろんなことを喋っていて、いろんな話をあんまりここでしか言えないようなこともわりと喋っちゃってるんですよ。
これはやっぱり結構お金いただいているからサービスしようという変な私のサービス精神が出ちゃってですね。
他じゃ絶対口にできないようなこともここでは喋っちゃうみたいなことがありまして、
03:05
そういうのが聞きたければ入ってくださいっていう変なCMをしているんだけど。
その倉園さんがお話ししているのを聞いて、しかも自分もいろんなことを喋っているし、
不意に怒られるということは絶対理不尽な気持ちになるはずだということに今さらながら気がついたんですね。
これに類することは本にも書きましたし、倉園さんもお話になってますし、私も結構喋っていると思うんですけど、
でもこのように公式みたいに喋るってことはなかった気がするんですよ。
もう一回言いますと、何度も言うと思うんだけど今後、
怒られて理不尽だと思わないことはないと思った方がいいです。
ていうかたぶんないです。
なんでなのかというのが先日わかったんですよ。
そして今後も私もそうですし、これを聞きの皆さんも怒られるっていうことはたぶん人生長いんでね、あると思うんですよ。
で、その時にいやー全くその通りだなって思えることはたぶんないです。
これは断言してもいい、もしそういうケースがあるとしたらよっぽどレアかじゃなければご自分の精神状態がよっぽどマツイと思った方がいいと思います。
だから理不尽だな、なんでこんなこと言われなきゃならないんだろうって怒られて思ったらですね、
自分の精神は少なくとも今この点については正常だ、健康だ、健全だと思った方がいいと思いますね。
普通に生きていて特に精神的に問題がなければですね、怒られた場合それが最もであろうと自分が悪かろうと必ず怒られた人は理不尽な目にあっている感じがするものだと思います。
いくつか理由があるんですけど、それのいくつも書き上げ塾に行った時にですね、不意にこう、なるほどそうか、そうだなって思ったんですよ。
これもクラソノさんとやっているGood Vibes Factoryというオンラインコミュニティーがあるんですけど、ここでもやっぱりですね、なんだかんだといって話題に上がってくるのは、
やっぱり理不尽な目にあったことに対する怒り、これがどうにもならなくて持ち込まれるというかお悩み相談で上がってくるんですよね。
で、濃い目には残念ながら合うんですね。なぜならば人は怒るものだし、怒られるものだから。
それが多くの人はこう思っていると思うんですよ。私もそう思っていたんだけど、私が正しければ、あるいは相手が正しければしょうがないけれども、そうじゃない時は腹が立つよねっていう風に普通思うと思うんですね。
06:09
つまり相手が怒るじゃないですか。誰でもいいんですけど、奥さんにでも上司にでも同僚にでも仕事仲間でも友達にでも、とにかく誰かが自分に何かクレームつけてきた時、
これが理にかなっていたり合理的だったらいいんだけどねって思ってるんですが、いざ怒られてみると、合理的だろうと理にかなっていようと自分が間違っていようと相手が正しかろうと関係なく、
必ずすっごい理不尽なことをされているって感じると思いますね。
なんでなんだろうということなんですけどね。
こういう話を聞きたかったら、しかも倉園さんもきっとお話になる機会があると、そういうのを聞きたいという方は、今私は一番書き上げ塾が確実に漏れなくこういう話を聞ける。
こういう話を聞くために書き上げ塾に入るっていうのは、さすがにおかしいと思うんだけども、必ずこういう話の面白話がうまくすると聞けます。
これ2度目になりますけどね、変なCM。
なんでかというとですね、これは倉園さんのまずよくお話しされるテーマなんですけれども、100対0で自分に理があるとか、100対0で相手に理があるってことはないからなんですね。
でも私たちは100対0、つまり100%自分が正しければ怒っていいっていう風に判断するんですよ。
たまにこの判断をスルーしているような人もいるんですけれども、それは多分判断するのに時間をかけたりロジカルに考えたりするのはめんどくさいという、ただそれだけの理由の性格の人であって、怒っている時っていうのは100対0で自分が正しいことにしちゃっているんですよね。
なんでかっていうと、相手に理があると困るんですよ。反撃されるじゃないですか。
だからこの話は多分性格と喧嘩の強さみたいなのもあると思うんだけど、僕のように喧嘩に自信がない人間は怒る時は100対0じゃないととてもできないんですよね。
だって99対1で相手がその1を使ってめちゃくちゃ好戦に出てきたら困るじゃないですか。
論理って不思議なもんで、論理的に正しいって言う時って100%正しくないと正しい感じってしないんですよね。
あんまりこういう話を持ち出すのもここの場合、分かりやすくならないなと思うんですけど、三角形の合同条件ってあったじゃないですか。
100%合同である条件っていうのが大事でしたよね。
3回に2回はこれで合同になるからとかそういうことを言ってもテストで絶対罰になりますよね。
09:02
それってでもよく考えてみると不思議ですよね。我々の人生ってそういうふうにできてないですよね。
100%確実なことだけやって生きている人ってそれやろうとそれと脅迫心継承になるんですよ。
なんだけど、正しさってのはそういうことじゃなくてですね。だから正しさって架空のものなんだけど、100%正しくないと正しくないことになっちゃうんですよ。
面白いですよね、これね。で、僕ら怒る時にこのロジック使うんですよね。
100%私が正しい、相手は100%悪い、だから怒っていいっていう。
これはよく蔵野さんがだいぶ昔に渋谷で最初にセミナー一緒にさせていただいた時からこの話されていて、私すっごいこれは納得したんですよ。
この話なんかね、いつも思うんだけど、保険の話に近いんですよね。保険ってこうなんですよ。
一番よく知っているところで自動車保険がそうですよね。
何対何でどっちが悪いって話。
まずそこを割り出してから全てが決まっていくんですよね。
ちなみにテニスの仲間、昔私テニスやってた時に、100対0で自分に引きがなくても保険の下り金額は100%でいいんだけど、得することは何にもないっていうことを強調していて、
つまりお金はともかくとして事故に巻き込まれてしまう。
ここが最初に話した、怒られると理不尽な感じがする第一の理由ですね。
倉園さんのお話の中で、自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
自動車の保険の価値観について、
怒られたときにですね、どれほど私の方に火があっても、100%私だけが悪いことってないです。
でも怒られるんですよ。そして、怒るからには100%自分が正しくなきゃいけない、あるいは、怒る人が100%正しくなきゃいけないって、
私なんかは思い込んでいるところがあって、こう思ってる人いっぱいいますっていうか、多分みんなこう思ってます。
だってこうじゃないと、困ったほどにさっきも言った通りになるんですよ。
欧州にしかならないですからね。で、欧州になっちゃうんだけどね。
とにかく怒られると理不尽な感じがする第一の理由はこれですね。
自分にも言い分はあるのにって絶対思います。実際あるから。
ないんだったら、あるのにとは思わないんだけれども、実際にはありますからね。
12:01
でも相手は間違いなく100対0でこっちが悪いっていう風に言ってきます。
だからそこのところでそこが起きるんですよ。ギャップがあるんですね。
というわけで、今後怒られることは必ずあると思うんですが、
その時は必ず理不尽な目にあってるっていうのが感じるはずですね。
怒られて理不尽だと感じないはずはない。これが一つ目の理由ですね。
で、もう一つ理由があります。少なくとも私はもう一つあると思ったんですね。
それが怒られた時というのは、これもフラドノさんがよくおっしゃる通り怖くなりますよね。
多くの場合。で、怖くなった時私たちが必ず見当に入れなければならないのが反撃ですね。
最近話題になってる反撃能力の保有みたいな感じですけど、反撃なんですよ。
これはですね、私が本なんかにもよく書く返答タイムモードになるわけですね。
この時私たちは脳の普段よりは遥かに小さい部分を使うので、判断力がぐっと狭まります。
これも理由がありまして、いちいちいろんなことを判断するというのは、
反撃に差し支えるから、より効率的に、より手早く、より効果的に反撃するためには視野を狭める必要があるわけですよ。
そうすると面白いことに、面白いというのも変なんだけど、
こう反撃するのが100%正しいという心理モードに入るんですよ。
返答タイムってちっちゃいんで、ここでですね、9体何とか10体何とか言ってる能力はないんですね。
このそもそも10体何とか9体何とか言えるっていうのは、大脳の上のほうが多分頭頂用あたりの作業であってでかいんですよ、そういうことをやるのは。
このちっちゃい脳にはそういう数理的な話を持ち込むのは無理なんですよ。
返答タイムってヘビにもあるんでね、ヘビとか数学やんないじゃないですか。
これ数学じゃないですけどね、10対1とかね、でも算数できないんですよ、あの動物には。
僕らもそういう状態になるわけですね。
つまり、あえて言うならばですよ、ヘビにしゃべれるとすれば俺絶対正しいに決まってるんですよ、他の能力、他のそういう余地はないわけですからね。
面白いと言ったのは、最初さっき言った100%俺が悪いわけじゃないっていうのはまだ論理的に考えてる気配があるんだけど、
反撃しようと感じる瞬間ってのはもう100%俺が正しいになっちゃうんですよ、その状況がどうであろうと。
例えばこんなに言われたんだから反撃して当然だよねみたいな、そういうロジックになったりするでしょうね、人間だから。
つまり、怒られて怖くなっちゃったら、もう理不尽な目にあったという判断に切り替わるんですね、とっさに。
つまり、普段の私たちの判断モードとは全く異なる判断モードにスイッチされるというわけです。
15:04
それが変動体モードと僕が名付けてしまったもので、別の言い方をすると精神分析の世界で妄想分裂ポジションというやつなんですよ。
妄想分裂ポジションってすごいですからね。
いいお母さんと悪いお母さん、別人だって主張ですからね。
赤ちゃんのよく出るおっぱいと出なくなったおっぱい、自分が飲んだくせに。
哺乳瓶でもいいですよね。
さっきまでいっぱいだった哺乳瓶と、今空っぽになった哺乳瓶は別物だっていう判断ですから。
でもこれ人間だけですからね。
対象に同一性というものを認識するのが自然であるという動物っていうのは割と人間ぐらいですから。
高度な霊長類は知りませんけれども。
一部、ある程度いった自閉症の患者さんがよくこの話題を書かれていたりしますよね。
違う服を着たのも別人だから、同一人物だと認定するのはものすごい困難なんだという話。
よくよく考えてみてほしいんですよ。
全く同じものはこの世にないわけだから、そういう観点が間違っているとは言えないんですよね。
私たちはそうは言ってもですね、自分の子が何を着ていようと、どんな帽子をかぶっていようと自分の子だって言うんだけど、
なぜそう言えるのかと、見ただけではそうは言えないはずなんですよ。
とにかくこういう妄想分裂ポジションに入った時というのはですね、
もう過去の戦いとかどうでもよくなってますから、
その瞬間俺は攻撃されている、だから反撃するのが100%正しいのにできないってことになると、
めちゃくちゃ理不尽な感じがするんですよ。
これが二つ目の理由の方です。
つまり1個目の理由は、100%自分が悪いわけじゃないのに100%悪いことにされている。
だから許せない。
2個目の理由は、100%自分が攻撃するべきなのに実際には攻撃されている。
だから許せない。
結局こういうことが私たちの精神の構造からしても、頭の構造からしても、
ロジカルな考え方からしても発生するので、
人に文句を言われたり怒られたりして、
誠にその通りですと心の底から思える瞬間は多分来ません。
いつ、何度、日、どんな風に怒られても理不尽だなって思う。
しかも、しかもですよ。
理にかなっていることばかりじゃ本当にないじゃないですか。
理不尽な理由で怒られることもさらにこれに加えてあるわけですよ。
実際にね、確かに自分に日もあったかもしれないけど、
1対9で俺が正しいよねという、
ロジカルに考えてもそうだというのに、
現実には怒られているということも実際には起こるわけですね。
だからますます怒られるということは、
あるいは何か非難されるということについて、
18:02
まさにその通りだと思えるケースというのは実際にはない。
そういう日はやってこないと思います。
これが私が最近ちょっと発見した、大発見ではないんだけど、
小発見なんだけど、大事な発見だったんだと思うんですね。
だからこういうことですよ。
怒られて腹を立てるのは若げてるってことです。
そうは思えないかもしれないけど、
いや怒られて腹を立てるのはある意味、
今言った通りに当然なんだけど、
でも怒られるということが何でこう思うんだと思うんですよね。
何故俺が怒られなければならないのか。
この状況必ずしも怒られるほどのことではないし、
もしかして全く怒られる理にかなった理由はないじゃないかって思うっていう、
この思いがある意味若げていると思ったんですよ。
理にかなっていると感じることはかつて一度もなかったはずなのに、
まるで今回初めて理不尽な理由で、
つまりここを稀に見るね、
100回に1回だけ存在している理不尽な理由で怒られたというならば、
そのことに腹を立てるのは結構なことだと思うんだよ。
今まで多分1万回に1万回理不尽な理由で怒られていたにもかかわらず、
今回理不尽な理由で怒られましたということに、
特別腹を立てる理由は本当はないんじゃないかと。
そういうことなんですね。
振り返ってみると、小さな頃からこのことを発見してからね、
小さい頃から怒られた記憶というものをさらってみたわけですね。
様々、スイミングスクールで頬をひっぱたかれたとか、
様々あるわけですが、
どれ一つとして理不尽じゃなかったケースはないし、
理不尽だと感じなかったケースもないんですよ。
だから全部理不尽なんですよ。
怒られることと理不尽であることはセットだってことですよね。
だから、理不尽に怒られたからという理由では腹は立たないと思ったんですよ。
もし、まず実際には腹が立つんだけど、
もし、ただただ理論だけを追っていくならば、
そういうことになるんじゃないかと思ったんですね。
つくづくですね、
すでに怒られたということは相手が怒っているわけで、
相手が怒っているということは何か私から、私からですね。
例えばさっきのスイミングスクールでひっぱたかれたのは、
僕が喋っていたからなんですけどね、後ろを向いて。
これによって向こうが怒るというのは、
後ろを向いて喋るということによって何か侮辱されたとか、
軽んじられたとかいう攻撃を受けたと先方は感じたわけじゃないですか。
そしてそれを我慢できないというふうに感じたんですね。
21:00
あれほど激行したということはそういうことだと思うんですね。
向こうは教育の一環ぐらいに後で思うんだろうけど、
多分そうじゃないと思うんですよね。
ブチ切れたっていうのが正解だと思うんですよ。
このブチ切れたというのを向こうにしてみると、
理不尽な侮辱を受けているというふうに思ったと思うんですよね。
つまり、なぜ俺が楽しくもないのに子供に体操を教えてやっているのに
というふうに思ったと思うんですよ。
そういうのって向こうにしてみても全く同じなんですよね、事態は。
自分が侮辱されたり攻撃を受けるというのは、
例外なく理不尽な目にあっていると。
そういうことになるんだと思うんですよ。
こっちに意図があるかないかは別として。
つまりそういうことなんですよね。
意図の有無すらもあんまり関係ないんですよね、この場合。
殴るときなんていうのは100%自分が正しいと思っているに決まっているじゃないですか。
殴るんですからね。
どなるんでも、私の場合100対0じゃないと無理だから。
殴るとなると、僕人を殴ったことってないんですけれども、
殴るとなれば100%自分が正しいに決まっているわけですよ。
多分なんですが、最近ちょっと保育園の暴行がまずいと思うんですけどね、本当にね。
まずいというのは、後で冷静になって周りが言い始めたときには結構事態はまずくなっているという僕は言いたいだけなんだけど。
保育園の先生の行き過ぎっていうけど、そういうのとかもそうなんですが、
引っ込みがつかなくなるわけですよね、殴る頃にはすでに。
どなった段階ですでに引っ込みがつかなくなっているんだけど、殴ってしまうと100%自分が正しくないと困るわけですよ、非常に。
だってね、相手が30%正しいけどぶん殴っちゃいましたっていうのは、後々気持ちの上で整合性が取れないじゃないですか。
これも倉園さんがおっしゃってたお話で、書き上げ塾でね。
カラーバス効果が起きるわけです。
自分が正しいという証拠集めを開始すると同時に、もう一つあるんだけれども、
自分が間違っているかもしれないという現象についてはことごとくそれを否定できるような観点というものかな、脳からの情報の取捨選択ですね。
これがですね、高速に行われるわけです。
カッカ来ている脳は動きだけは速いんでロジカルじゃないけど、
多分大脳の方がですね、それに合わせた取捨選択を急いでやってくれるわけですよ。
あなた正しい、あなた間違っているかもしれないという情報ができたけどキャッカみたいな、こういうのをですね、超高速に行っているはずなんですよね。
24:04
それも気持ちの上で少しは意識されてくるので、ますます理不尽な感じが。
これはおかしいんですけどね、本当は脳は一生懸命あなた正しいよっていうのを作り上げるべく頑張ってるのに、これを人はモヤモヤと呼ぶんだよね、心のモヤモヤと。
本当はそれは脳の頑張りに対して言ってることがおかしくないかと思うんですけど、こういう時の心なのか脳なのか自我なのかは知りませんけれども、実にわがままなんで、
俺絶対みたいなのをなんとか成立させないと非常に難しい事態に追い込まれかねませんから、頑張っちゃうわけですよ。
この頑張りが起きているために、人によってはなんだけど、私なんかもそう感じちゃいますからね。
この脳のすごい頑張りというのは、ある意味認知的な負担がでかいんで、これがわがままだと僕は思うんですけどね。
認知的な負担って言うんだけど、それは自分を正当化していることに一生懸命なことを認知的な負担と呼んじゃうんですよね。
つまりなんで俺がモヤモヤしなきゃならないんだって、みんな言うじゃないですか。
あれは私相当な言い分だなといつも思ってるんですけど、
つまり自分が100%正しくないのに、自分が100%正しいという努力をするために精神的消耗とか認知的負担とかが起こってるんですよ、間違いなく。
土台無理なんで、何が無理かというとですね、これは脳的に説明すると、ロジックをなんとか組み立てられるのは大脳の力なんですよ。
これでさえ怪しげなロジックがいっぱいあるじゃないですか、世の中に。
数学とかの問題を自分で解いてみるとよく分かるんですよ。脳はそこまでロジカルにできてない。
のにもかかわらず、起こってる時に自己正当化するという機運の時は、変動体を中心に動いてるわけですから。
変動体のような小さくて判断力というよりは危機回避能力しかないような脳の正当化のために大脳が必死になって動けば、ロジカルは歪められることになるわけですよね。
歪めるしかないみたいなそういう構造で、この時の認知的負担がでかいとかいうのは、はなはだナンセンスなんですよ。
極端に言うとこれは正三角形なんだけど、丸だというために脳が頑張るみたいなことをやってるわけだから、それをやろうとすると真剣にですよ。
真剣にやろうとすれば負担になるに決まってるんだけど、しょうがないから脳が頑張ってるわけですよ。
なのに自我の方の言い分としては、なぜ俺がおもやおもやしなきゃいけないんだっていう話になっちゃってるわけですね。
だから私たちは怒られるという時に、クレームを入れられる文句をつけられるという時は、決まってそこは理不尽な目に合うんですね。
27:01
理不尽な目でなければ、むしろおかしいと言った方がいいと思います。
これを理不尽だと感じられないということは、三角は丸だと簡単に言えちゃうという、これ真剣にできるとすると相当まずい話ですからね。
例えば、すごいひどい目にあってるのに大いに喜べるようになるみたいな、そういう精神的な病理ってあるんだけれども、
それと何ら変わらないと思うんですよね。こういう事態を招くということは。
だから理不尽な目に合うんですよ。
ただ、それは理不尽な目に合ってるからひどい目に合っているというよりは、それはもう理不尽な目に合うという判断なんですよね。
これは結局判断できるということは、一つ肯定的に捉えられると思うんです。
あとの点は、例によって例の劣等ですよね。
それによって本当にひどいことが起きているのかどうかというのは、
言ってみれば妄想分裂ポジションを脱さないと、そういう判断・検討に向かうことはできないので、
まずはそこを、これも順番として難しいのかもしれないですけど、まずはそこを脱するところから始まるんだと思うんですね。
いわゆる抑鬱ポジションに戻ると。
簡単に言うと、偏頭体をこれ以上刺激しないために余計なイリュージョンをたくましくしないといったことになると思うんですよね。
このことは、つまり偏頭体中心に大の頑張らせないというのと原則は同じことなのかなと思います。