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2021-08-09 26:31

【GMV 432】一発逆転を狙う人生

ギャンブルと完璧主義
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
なんかすごい天気なんですけど、おかげさまでと言いますか、先日からずっと前回前々回その前あたりからずっとですね、告知させていただいていたグッドバイブス勉強会の方はなかなか好調でした。ありがとうございました。
引き続き、月1くらいでやっていくと思いますので、発表あったら、告知が出たらこちらでもお伝えするみたいな感じにしていくので、よろしければお参加いただければと思います。
最近はそうですね、特に告知させていただくことも直近ではないんですけど、お盆休みですしね、あんまり関係ないんですけど私には。
とはいえ、娘の方も塾も休みだし、いろいろ少しゆっくりできてるかなと。
最近ちょっとヒステリーっていう言葉を、これ本当は使うのがあんまり適切じゃないのかもしれませんが、とはいえこの概念はもともとあって結構私はまだなくならない方がいいんじゃないかと思っている概念なんですよ。
女性がヒステリックみたいな使い方をするからですね、おかしくなるのであって、これはそういうことと全く無関係じゃないけど、あれですね、エニプスコンプレックスがマザコンと全く無関係じゃないけどものすごく違うのとよく似ているんですが、
女性のヒステリーとかとは別に無くはないんです。関係ないと言うとおかしいけど、もともとはそういう話ではない。
今ではこのヒステリーの概念はオーダーライン、ディスオーダーというかな、境界例というところと乖離性人格障害、つまり多重人格のフォートに分けられて捉えられているんですけど、その2つの関連性がおそらくあるんですよね。
それをないものみたいになっちゃうと意味不明になり、むしろ安いので、こっちの方がいいと思うんですけどね、私はね。
ボーダーと乖離性って普通の人が聞くと全く全然ヒステリーとは違うものを連想しちゃうと思うんですよ。それぐらいだったら、それこそごく普通に言われているヒステリーという方を連想する方がまだマシだと私は思うんですよ。
何も連想できないですよね、多重人格なんて。普通の人は目の当たりにまずしませんからね。
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風が強くなってきたのでこういう音が入りますが、このヒステリーという概念から僕がふと、ふとというか最近立て続いてですね、話に入ってきたりニュースが飛び込んできたりして考えたことがですね、ギャンブルっていう現象が一つある。
ギャンブル依存みたいな現象が一つある。これ一つ考えただけでもヒステリーから考える方が分かりやすいと思うんですよね。
ギャンブルを乖離性とかで考えたら意味が分からないじゃないですか。
多重人格とギャンブルみたいな、もうなんか全然すごく遠い感じがしますよね。ギャンブルというのはいろんな理由があると思うんですけど、何なんだろうって思ったんですよ。
その時にギャンブルっていうのは天国と地獄だって思うんですね。
天国と地獄といえばやっぱり教会霊って僕の頭の中ではすぐパッと思い浮かぶわけですね。
それは僕が特殊なんだとは思いますよ。精神分析にのめり込むからそういうことになるんですけど、
要するにこの番組でも散々言っている良いお母さん悪いお母さんは極端なんですよね。
良い天気悪い天気も極端ですけれども、人間にとっては人間がそう考えるからそうなるわけじゃないですか。
その場合人間やっぱり特に幼い頃は二元思考するしかないんで分けてしまったらですね、
すごい良いすごい悪いどっちかなんだと思うんですね。
で、すごい良いすごい悪い。
それって非常にギャンブル思考と似てますよね。
あれは僕あんまり詳しくないけれども、少なくとも確実に分かることは、
大当たりとハズレは全然違うってことぐらいは私でも分かるわけですよ。
宝藤だってそうですよね。
で、ギャンブルっていうのはそこが極端に似てるわけじゃないですか。
借金をするとかいう話になるとまさにそうですよね。
もう確率は大変低いと思うんですけど、要は言ってみれば大勝ちか大負けになっちゃうんですよね。
これがすごくですね、ボーダーの言っている理想化と脱勝ちかっていうのは、
脱勝ちかっていうのは4文字字符語で言うとなんか分かりにくいですけども、
要するに人をやたらと軽蔑するって意味なんですよ。
で、私はすぐやっぱりこうですね、ある種の男女関係を考えちゃうんですけれども、
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すっごい理想的で、それこそソウルメイトだっていう人に出会ったと。
で、しばらくするとあいつは最悪だったって言い出すんですよね。
この極端な触れ幅が、要するにある種の相打ち的なものも連想させられるんですけど、
だからこういうことってだいたい繋がっていると思うんですけれども、
非常に良いものが非常に悪いものになり、また非常に良いものを見つけ出すっていう思考の触れ幅なんですね。
これがその人にしてみると、いやあいつは素晴らしいと最初はそういう態度をしていたと。
けれども付き合ってみると最悪だということが分かった。
何にもそこに、何度も言いますけれども不思議な点はないんですよ。
でも周りからするとですね、この人はいつも同じことをやってるなってことにだいたいなるんですよね。
つまりどっちに原因があるかが非常に理想化と脱価値化をしている人にとってみれば、
相手が全部決定的なことをやるせいなんですけど、実はそうじゃないんじゃないかっていう話を
分析の世界であるいはカウンセリングとかではしたいわけで、
ギャンブルってのはまさにですね、ある意味象徴的だと思うんですよ。
ギャンブルってやってる人にしてみれば勝てると思ったんだけど負けたって話かもしれないけど、
普通に考えるとやっぱりこれをやってるという段階でその両極端を受け入れるってことになっちゃうじゃないですか。
だけどやる前の人がそう思うとは思えないんですよ。
その確率がどうであれ自分はこれをやり確実に借金のみでになるだろうという想定を立てて
どんどんのめり込んでいくというのは不自然だと思うんですよね。
やっぱり勝つつもりでやると思うんですよ。少なくとも最初は。
そうするとこの構造っていうのは恋愛の触れ幅がやたらでかいとかそういうことと似てくると思うんですね。
ある面これしかなくなった時にこれは訴えられる手段。
つまり最後の手段的なやつなんじゃないかと。
最近配線間際の話とかよくテレビとかでもやってるじゃないですか。
やっぱり追い詰められるとどんな人でも一発逆転ということに期待をかけたくなると思うんですよ。
最終兵器とかって言うじゃないですかね。
ああいうものの中にギャンブルっていうのは入ってくるんじゃないだろうかと思うんですね。
そこにはすごく独特の人生観なり価値観なりっていうのがありまして
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私このギャンブルをやるあるいは非常にギャンブル的な人生観を持っている人というのは
なぜなのか僕はすっごい面白いなと思うんですけど
ここにモラルを絡めるんですよね。
正義だと僕は思うんですよ。
本質的にギャンブルというのは成功と失敗。
ところがここに善悪が絡んでいくんですよね。
これはまさにだから僕はここが精神分析の肝の一つだと思うんです。
ヒステリーもそうだと思うんですね。
本当は成功と失敗しかないのにそこには勝ち負けがあるだけなのに
そこに善悪が関係してきちゃうというか
その勝敗と善悪が一致していくんですよね。
つまり勝てば正義なんですよ。
そうすると大変厄介なことが起こるんですよね。
負けたというだけではなく負けると悪になっちゃうんですよね。
最近これは今日はあんまり深入りしないでおきますが
電車の中で通り間みたいな事件がありましたね。
大騒ぎになっているし
ツイッターではこれを女性蔑視だということの中にも入ってますけど
そういう側面もあると思うんですけど
僕はここにですね
犯罪者にとっては非常にギャンブル的な何かなんだという気がするんです。
なんだっけな
ひぐらしのなくころにという
萌えキャラが急に表現するというところに怖さを見るホラー漫画があるんですけど
アニメ化とかゲームにもなっているのかな
すごい売れましてね
あの中で僕はすごいこの真理はきっとそうだと思ったものに
コインロッカーじゃない
自分のロッカーの中に追い詰められていく主人公も男の子がですね
追い詰められていくんですけど
心理的にホラーだから
不意に金属バットを見つけ出して
これでこれが俺にはあるって思うんですよね
こういう感じだと思うんですよ
なんかですね一発逆転に変に期待する
これがあってこれであいつらをぶったたけば
俺の道は開けるって
不意に人が追い詰められた時っていうのは
そういう独特の思考というのかな
に走るところがあると思うんですね
私も昔なんとなくアトピーがひどかった時の経験があるんですけど
なんかですね神頼みをする人の気持ちとか
オカルトみたいなのに走る気持ちがすごくよく分かるんですよ
医者行ってもダメだし何やってもダメだし
あれやってもダメだしってことになってくると
追い詰められてくるじゃないですか
なんかですね一発逆転を期待するんですよね
その時非常に何かこうギャンブル的な思考というのかな
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当たるとでかいみたいなものにかけたくなっていくんですよ
あの時に起こっていることが
私とか倉津野刑事さんと一緒にやらせていただいている時に言う
発砲塞がりってやつで
ドナルド・ウィニコットが言った
ドックイザドックイザドックイザドックってやつだと思うんですよね
犬は犬であるは犬であるは犬である
つまりもう思考がこれだけになってしまう
思考が展開全くできなくなるという状態
この時に私たちが一つ期待するのに
一発逆転に期待するっていうのが出てくると思うんですね
つまりギャンブルという発想が出てくると思うんですよ
このギャンブルってすごい面白い
さっき言った本当は成功と失敗しかそこにはないのに
制約が出てくるっていうのはですね
よくギャンブルで失敗すると
人間のクズだみたいに言われることがあるじゃないですか
僕あれ不思議だなと思うんですよ
やってる人までそういうことを言い出すんですよね
これはギャンブルをやるのがクズなのか
ギャンブルで負けるのがクズなのか
僕はですね
僕の場合あれはお金が絡むせいでそうなるんだけど
後者だと思うんですよ
負けるからいけないんですよ
それって僕からすると
全然モラルでも何でもないような気もするんですけど
つまり同じことやってるのに
勝てば真っ当なんですよね
勝てば真っ当なフリができるというか
勝てば真っ当だということにできるじゃないですか
あれ実はそう言ったら怒られるかもしれませんが
ギャンブル的に株のトレーディングやることも
全く同じことが起こると思うんですよ
ただこの場合は負けてクズだと言われるかどうか
分かりませんけども
ちなみに私これは漠然とした感じで
法則でも何でもないんですけど
クズって言われてるのは
そういう失敗と悪が混ぜこぜになった世界で
ダメ人間っていうのは
生産性ゼロっていう意味のような気がしてます
そういうふうに言われてるなと
世の中的には
どっちもやめたほうがいいと思うんですけどね
勝つとギャンブルの場合
トレードでもいいんですけど
勝つと
体裁が整うんですよね
借金もしてないし
税金も納められるし
家もあるし
なんなら結婚もできると
負けると借金はあるし
税金滞納しているし
家族関係崩壊しているし
飲んだくれになってるみたいな感じで
負けるすなわちクズであって
ギャンブルをやってることそのものが
悪なわけじゃないっていう
これって僕はすごい過酷だと思うんですよね
つまりこれは
そんなこと言うぐらいだったら
ギャンブルすなわち
ダメ人間にしておいたほうが
よっぽどまだ安全なんじゃないかと思うんですけど
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これ要するに負けるということと
悪であるということが
イコールになってしまうんで
その人は二重に苦しまなきゃならないですよね
でもこの種の構造が妙に多くてですね
人生の排山車みたいな言い方ってあるじゃないですか
あれと似てきてるんですよね
つまり人生がギャンブル的に見える
っていうことだと思うんですよ
それは私は
つまりそこに
懐理性的なものがあると思うんですね
懐理まで言うと分かりにくくなるとすると
理想化と脱価値化があると思うんですよ
勝ったものは理想的であり
負けたものはクズである
こういう感じっていうのが
あらゆるところに適応されていくと思うんですね
その人の中で
繰り返しそういう人生観のもとで生きているので
そういう観点で物事が判断されていくと
もうクズか勝者
理想的な勝者しかないみたいな
この話がダルト・チルドレインとかで出てくるんですけど
僕はそこは逆にしたほうがいいと
常々思っております
今日はそこも立ち入る時間を惜しむんで
立ち入りませんが
そこもアダルト・チルドレインという発想で
親が子供っぽいから子供がアダルト・チルドレインになるっていう
親が同じなんですよね
理想化と脱価値化
あれをひっせりの文脈を取らずに
いきなりアダルト・チルドレインっていう文脈だけ持ってくると
全部親のせいにただなるという感じが
まず一つ発生しちゃうと思うんですよ
それである程度心の平安が得られるという面も
なくはないかもしれないですけど
じゃあその親はどうしてそうなったんだという説明が
ひどく置いてけぼりにされているというか
そういう印象を受けるんですよね
どっちかというとあれは
ヒステリーというものの
子育てへの悪影響とか
文化的な悪影響
結局100点か0点かみたいな話ってよく聞くじゃないですか
完璧主義の問題みたいな
あれも完全に理想化と脱価値化ですよね
100点以外はダメであると
クズであると
それはギャンブルだったら絶対そうだと思うんですよ
もうちょっとで777でしたとか
何の意味もないじゃないですか
一桁違いの宝くじみたいなものであって
何の意味もないですよね
だから完璧かゼロかという
ゼロサム思考って言いますが
というのはつまり
いいお母さんか悪いお母さんか
っていう話をしてるんだと思うんです
この番組でも盛んに言うところの
エディプスが成立する以前になっちゃうんですね
エディプスが成立する以前っていうのは
エディプスによって結局
いいお母さん悪いお母さん問題っていうのを
脱却しなきゃいけないって話なんですよね
最終的には
18:00
私は好き嫌いだけで生きていきます
それでいいようなもんなんですよ
お母さん大好きです
いいようなもんなんですよ
ところが
実はお父さんとお母さんが仲が良かったから
私が生まれましたってことになると
善悪一発で
つまり好き嫌い一発では
済まなくなりますよね
そこに
モラルみたいなものの始まりがあるっていうのが
エディプスだと思うんですが
そこに行き足らないんですよね
好きなお母さん善
嫌いなお母さん悪というのは
要するに好き嫌いと善悪を
ごちゃごちゃにしてしまっていて
最初はそうだと思うんですよね
つまりその最初の段階で
大人になってしまうと
そうすると大人になった段階で
好きなもの善嫌いなもの悪なので
ギャンブル的に人生観は
だんだんなるんですよね
さっきの話どおり
好きなものは善ですからね
そうすると
100点は好きなものだから善みたいな
そういう発想になっていくじゃないですか
子供が途中まで頑張って
でも今回は70点でしたとか
そういうことは一切認められないんですよね
好きじゃないものですから
それは子供は悪だということになってしまって
なぜ100点を取れないという話しかできない
これは子育てにおける
よくACで出てくる話なんですけど
僕はこれヒストリーで説明する方が
よっぽど分かりやすいと思います
その乖離がそこにはっきりとあるということですね
悪いものを見せつけられた時の
気持ちの収納のしようがないんですよね
要するに全部ギャンブルに近い視点になっているわけですから
悪いものは破壊していくしかない
悪いものを破壊しまくっていると
結局いいものを破壊しまくることになるという
これがエディプスですから
悪いお母さんだからといって
やっつけてしまったりすると
お母さんいなくなると
これがエディプスの基本形だと思うので
ところがそういう認識がなかなか
実際には破壊したからって相手いなくなりませんからね
でも例えば99点毎回取ってくる子ども
めちゃくちゃ怒り続けていると
その子ども関係が破壊的なものになっていきますよね
こういう話なんだと思います
だからギャンブルってそういう付け方は
難しいようにできているじゃないですか
ずっと負け続けているけど
いいギャンブルを楽しみます
っていうのは僕にはちょっとイメージしにくいんですよ
金属バット振り回して一発逆転とかも
完全にそうじゃないですか
一発逆転した後に
自分はいい人生を歩んでいこうっていう
そういう不思議とそういう気持ちになってしまうんですよ
アドックイズアドックイズアドックだから
だけれども実際にそうやって
自分の人生をそういう風な形で展開させようとすると
21:00
人生そのものを破壊してしまう
これはもう完全にエディプスなんですよね
良心の良い良心悪い良心で
自分が怒る時の良心は許せないから
あいつら切ってしまいましたってことになったら
自己否定そのものになってしまうと
どうして自分が生まれてきたのか
一番元のところを立ったことになってしまうので
これはアレゴリーですよ
親が良かったからとか
親に虐待されてたからとか
そういう話じゃないんですよ
ここを逆転させているんですよ
多くのケースでは
僕はこれはアレゴリーだと
常にみなすべきだと思う
そこを忘れてはいけないと思うんですよね
それ自体がエディプスっぽいですけどね
エディプスって貰えるってことなんですよきっと
つまり今起きている現象として
何かが良くなったり悪くなったりする
それは同じものなんですけれども
その同じものを悪い時だけ破壊してしまうと
そこからの得ていた恩恵が
無駄になってしまうっていう
そういう自体が人生には多々あって
そこをですね
二つにパチッと分けるっていう考え方が
ギャンブル的なんですね
自分の会社とか
行っている学校とかでは
盛んに人はこれをやりますよね
良い時もあれば悪い時も
学校もありますよね
先生も上司も同僚も会社も
そこの良い悪いを
非常に決定的なものとみなす
一度でも悪くなったら
もう絶対に許せないとか
そういう感じ
あるいは悪い時の上司の場合には
身抜きもしないとかね
そういう風に自分の対応の仕方も
すっぱり分けるとか
そういう感じですよね
そうすることで
良いものだけを引き出そうとするんだけど
そうはいかないですよね
これを両親という
私たちがおそらくみんな
そこを通ってきている
もしかすると両親がいない人だって
こういう精神構造というのを持っている
そういう風にフロイターは
考えたんだと思うんですけど
持っているから
このアレゴリーなら
多くの人に通じるだろうと
結局カウンセリングの技法ですから
言ってみれば
だからこの
私たちがついついやってしまう
親にやってしまうようにやっていること
会社とか学校とか
それこそギャンブルとかで
やっていることを
カウンセリングの場で
何度か再現してみて
あなたこれ作り出しているんですよ
という風に
理解してもらうと
だから少なくともある程度
時間をかける必要があるのと
少なくともある程度
それを理解しようという気持ちがないと
難しいという話なんですね
言ってみると
分析家の方は
何らかの形でそこを
24:00
こらえられるような人ではないと
本当に巻き込まれて
えらい目にあってしまって
成立しなくなるというような話も
あるわけですよね
それらはいいんですけれども
ということを
今日ここのところですね
ギャンブル的な話を
何度も立て続けに聞いたなと
やっぱり僕がパッと思い出したのは
日暮らしの泣く頃に
金属バット振り回し始める男の子のシーンなんですよ
何の解決にも
ならないじゃないですか
これぞ解決だって
思ってしまっている
あれがまさに
犬は犬であるは犬であるは犬である
感なんですよね
右も左も
壁だみたいなね
どうしてそこに
自分は来ちゃったんだろうみたいな
そういう時ですよね
そこで一発逆転というものに
期待かける
何度も何度も人は繰り返してしまう
一発逆転一発逆転一発逆転
気が付くと
ますます
発砲が塞がっていくみたいな
そういう感じ
最後に一つ
パッとこれを言って終わりにするのも
どうかと思いますが
ウッドバイブス的に言うと
その壁がイリュージョンだっていう話をするんですよ
この壁が
壁以外の何物でもない
って思っている限りは
どうしようもないじゃないですか
その壁がイリュージョンであるならば
実は壁ないわけですからね
そんな都合のいい話が
あるんだろうかって
思われるかもしれないんですが
僕は経験上
この種の問題が解決した時は
なぜ自分は
あそこで発砲塞がりだと思ったんだろう
と思うぐらいあっけないものなんですよ
ある意味そのあっけなさが許せないから
イリュージョンである壁を
何度も何度も
自分の心で気づき直すぐらいなことを
したくなるという
そういうはまり方を
し得るものがこれなんですよ
だから壁がイリュージョンだって
結局それは精神分析でも間違いなく
そう言ってるんだけれども
壁がイリュージョンだと
それに気づきさえすればこの問題は
最初から実はなかったという
話を
無理な
つまり伝わらない時は伝わらないんですけれども
伝わるレベルの時に
絶え間なく伝えるという
ことに意義があるって感じですかね
26:31

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