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2021-08-05 34:33

【GMV430】恥ずかしいことをすると愛想を尽かされるという恐れについて

子供にとっては死活問題
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日、久しぶりに、倉野さんとですね、水曜日のぶっちゃけ相談のYouTubeのですね、収録をやって、
これをやると、私のこのグッドボイス実践に若干の充電が、
まあ、完璧にイリュージョンですが、充電が入る感じで、
わりと、しばらくグッドモーニングボイスは困らずにいけるという感触を得るんですね。
これが万能感というやつでして、
つまり、この番組で喋ってるから、説明抜きでいっぱい言っちゃいますが、
じゃあ、あのぶっちゃけ相談は意向対象なのかというと、たぶんそうな、僕は思うんですね。
で、まあ、それはいいとして、こういう話をダイレクトに、私に何の話をしてるんだというふうに思った方はですね、
ぜひ、あさって土曜日のグッドバイブス勉強会に参加いただいて、聞いてください。
あの、まだ残石多数でして、なんか異常な、僕の感じではちょっと異常なくらい動かないんですよ。
で、そんなはずはないなと思ってですね、毎回20名ぐらいいらっしゃる、15から20のぐらいいらっしゃるんで、
少なくとも10は超えてるんで、たぶん当日猛烈にいらっしゃる可能性もなくはないと思ってるんですけど、
とにかくオンラインだからなんですよね、こういうことが。
当日参加を決められるみたいな、そこはいいところだと思うんですけどね。
で、ぜひ、イリュージョンの倉澤さんのお話も面白いんで、
そっちがメインだと思っていただいたほうがいいですが、
何か私に聞きたいことが出てきたら、参加いただいて聞いていただくのが今の段階では手っ取り早いかと。
Twitterとかで投稿していただいてもいいんですけど、これもパタッと止まりましたね。
視聴者数の数は変わってないんで、挨拶化されたとかいうわけではなさそうなんですけれども、
増えませんけどね、この番組の視聴者数って。
昨日、倉澤さんにこの番組は、たぶんある種の人にとっては、
ほぼ継続していないとダメらしいんで、頑張ろうと思うように少しなりました。
この際、イブニングでもいいやと思っていて、
別に朝にこだわりは何もないんでね。
朝は僕がグッドバイブスになるのに容易であるということはありますが、
グッドバイブスじゃないときも喋るべきだと思っているので、
昼でも夜でもいいんですが、
なかなか一人で収録、やっぱり一人じゃないとできないなってところがあるんですよ。
03:01
これが人が聞いていると、たぶんモードがガラッと変わっちゃう。
最初の頃はそうでもなかったんですよ。
妻が聞いている可能性があるときでも喋ってられたんですが、
今は無理ですね。
イリュージョンが現実になるというのはこういうことなんですけど、
これイリュージョンなんですけど、難しいなというのが本当のところあります。
というわけで土曜日ですね、よろしければセミナーの方、
別に場が高いわけじゃないんで、参加いただければと思います。
あいそつかされるで思い出したんですけど、
昨日その種の質問をいただいていたんですよ、ぶっちゃけ相談で。
このぶっちゃけ相談でいろいろなネタっぽいものが仕入れられるというのも、
人の考えているグッドバイブス的な悩みというのは、
この辺のところにあるんだというのが、少し私の持っているそれとは違うんですね。
そういうのが微妙に常にずれていて、タスク修度とかもそうなんですよ。
少し修正しなきゃというのがあります。
ちなみになぜ佐々木はこういうことばかり最近しゃべっていて、
タスク修度とかエヴァノートの新しい機能とかについて、
もっとしゃべればいいなと思われているかもしれませんが、
そっちはタスク管理トレーニングセンターという方でやっていて、
こっちもバンバンそういう質問が飛ぶのかというと、別にそういうわけじゃなくて、
意外と夜になった時に仕事が進まずモンモンとするみたいな、
どっちかというとグッドバイブスっぽいなというのが少なからず散見されますが、
そういうお話でしたら、専門の機関ではないですけれども、
私は青橋哲夫さんという方とやっているので、
仕事のという方をチェックしていただければすぐ出てきます。
もしよろしければそっちはすぐ出てきます。
もしよろしければそっちはそういう方面で僕はしゃべると答えるということにしておりますので、
別にエヴァノート使うのやめたとかいうわけじゃないので、
すごい脱線しているうちに5分経つんですね。
戻しますと、愛想使われるという表現をどこかで聞いたなと思ったんですよ。
そしたらですね、今日は人名がよく出てきますが、
東京来訪研究会の北信也さん。
最近YouTubeで長々と僕が人生相談に乗ったみたいな形式で、
多分僕はあれ設定にお互いの何か誤解があったような気がしているんですけどね。
多分僕が何か彼が言っていたことのいくつかを理解できていなくて、
僕はそういうことがしばしば起こるんですよ。
で、僕が普通にこうやるもんだと思っているやり方をやっちゃって、
多分後からそういうわけではなかった的な話があったんですけども、
しょうがないんで、あれはしかも盛大に割と出回っちゃっておりまして、
しかも僕の予想に関しては割と好意的に受け止められているところがありましてですね。
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それはいいんですが、北信也さん、通称ベックさんと呼ばれる方が大変お忙しいんですよね。
で、あのやりとりの中で人生相談みたいになっちゃったというところがあったんですけども、
私も後で見直すのちょっと嫌だったんで、完全には見直してないんですけどね。
これこのまま放映されるんだみたいに、でも確かにそう言われていたような気も確かにするんですけれども、
一言で言うと、自分がなんとなくなんですが、
あのベックさんが最近の仕事状況の厳しさについていろいろ語ってくださったんですが、
私はそれに対してタスクシュートなり、タスク管理なりの有効な使い方とかをお話しすればよかったのかもしれないんですけど、
そういう話をする気分にはならなかったんですね。
で、この北信也さんがよく中でもお話になるのがもう一つですね。
昔、自分がライフハックブログをやっていたときはもっと盛り上がっていたという話をよくなされるんですね。
それは確かにその通りで、第一回彼が主催した東京ライフハックブログで、
もう懇親会だけで60人近い人が来て、僕も行ったんですけどね。
渋谷の結構おしゃれな中華レストランみたいなところで食べた記憶があってゴージャスだったなと思うんですけど、
僕はあれはイリュージョンみたいなもんだと。
今から見ればイリュージョンそのものなんでね。
そういう良い時代もありましたと思うんですけど、
北信也さんはその頃ブログのPVがすごく伸びていて、
非常に良い話だと思うわけですよ。
今ではそういうイリュージョンみたいなもんだと思うんですけど、
僕はその頃のイリュージョンみたいなもんだと思うんですけど、
僕はその頃のイリュージョンみたいなもんだと思うんですけど、
非常に良い話だと思うわけですよ。
今ではカンコ鳥が鳴いているような状態だみたいな。
そんなことを言ったら僕のこの番組とかどうするんだって思うんですけれども、
そういうことじゃないんだなって思うんですね。
ベックさんがおっしゃりたいのは多分この階層を使われているんじゃないかみたいな、
そういうところもありまして、
この話が昨日のぶっちゃけ相談のTVで全く違う文脈で出てきてですね、
僕はそのことがすごく引っかかったんですよ、昨日。
ちょっと見たくないYouTubeをチラッと見てね、
なんかこの時僕は感じるところがあったなと。
一言で言うと、ベックさんの親変わりみたいなのをさせられている気になってたなと。
この辺が精神分析的な部分でもあり、
その精神分析がよく嫌がられる部分でもあるんですけど、
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それって私の思い込みかもしれないし、思い込みである可能性も多分あるじゃないですか。
でも、そしてそれを否定する材料なんてないんですよ。
大事なことはですね、これがあれは一回きりだったけど、
これをですね、繰り返し繰り返しやって同じようなことが、
同じような気持ちに何度も何度もさせられるかどうかというのが、
まずとても大事な一つのポイントなんですね。
もしそういうことが起こるなら、やっぱりあれはですね、
僕はそう感じてるんですけど、今でも東映同一かというふうに考えるべきなんですよね。
親変わりというものを、私があそこに持ち込まれてしまうんですよね。
それは私は嫌なんですよ。
私は北信也さんと長い付き合いになりますが、
彼との関係に上下関係があるとは全く信じられないんですね。
言ってしまえば社会的地位とか彼の方が上なんですよ。
大手の企業に勤めている時代も長かったし、
僕とかなんちゃってな人間、これも僕のイリュージョンですけどね。
ただラッキーに帰国したら大橋哲夫さんが何とかしてくれて、
僕の中ではこういう工夫になっちゃってるんですけど、
一応社会人としてそこそこやってますみたいな顔ができるようにしていただいてるから、
そういう顔ができてるんだけど、
ほとんどプー太郎もいいところだなっていうようなところがある人間なんで、
北信也さんの親代わりでアドバイスするとかいう、
そういう人間じゃないんですよね。
とはいえ、いろんな理屈をゲットしているのと、
楽しむ状況が起こるときは、
多分こういうことが起きてるんだろうなということについて、
いろいろ考える時間がたくさんあるから、
何か喋れるときは喋るけれども、
そしてそういうところから対価をいただくことによって生活するしかないんで、
そうしてるんですけれども、
そこに別段、私の方がアドバイスできる立場を持ってるとかいうことはないんですよ。
なのに、無料のYouTube番組でドーンとそういう形になって出ちゃうというのは、
本音を言うと、対等関係でありたいわけですよね。
対等ではあったんですよ。
いくら社会的地位が僕の方がプー同然でも、
下だっていうのはやめておきたい。
そういう微妙なものを考えながらやっていて、
ところが気がつくと親代わりみたいな気分になってる。
ここは自分がそうしたいと思ってないのにそうなっていくっていうのは、
北信也さんが、ベックさんがそれを望んでいるとは思わないんですよね。
こういうのを私はやっぱり力動って思わざるを得ないんですよ。
12:00
力が働いたんだと。
無意識の力がお互いのですよ。
私の無意識、無意識なんで分からないんですよ。
どうしてこうなっていくのか。
ベックさんの無意識とそういうものがああいう中で融合していって、
一種の親子関係。
おそらく北さんの親というものの代わりを、
なぜか私が体現するようなハメになっていくというのかな。
ハメになっていくって別にそういうのが嫌だって。
やっぱり親子ってどうしても上下だから、そういう意味では嫌なんですよね。
ベックさんの親御さんご両親を私が知っているわけないし、
全く知らないんですよ。
多分すごくちゃんとした方だと思うんですよね。
分かんないですよ。
非常に勝手な想像です。
こういう想像をしないわけにいかなくなるから、
それはそれで大変なんですけれども、
カウンセリングみたいなのってね。
私が言っているのは、あれはカウンセリングではなくて、
あくまでもコンテンツで番組なんで、
そういう力動が働き始めると、
ある意味居心地がちょっと厳しくなってくる。
だからそれをやめるようにやめるように頑張ると、
一時的にはやめられるんですが、
また気がつくとそういう感じになっている。
これはやっぱりですね、
同一化というものを、
どうしてもね、私の読みかじった知識から、
そういう風に考えていかなきゃならなくなってくるんですね。
そしてその時、ふと思うことがあったんですよ。
そういえばどうして、
ベックさんは自分はこういう風に仕事ができ、
仕事を休まなきゃならなくなったりして、
情けないとか、
ブログが流星を誇っていたのに、
今ではみんな離れていって、
情けないみたいな、
なんで全部自分の罪悪感みたいなところに
持っていかれるんだろうっていうことを考えたんですね。
考えてたんです。
それと自分が親代わりの状態にさせられているっていうことも、
私はその後で、
その時にはなかなかですね、
ふと気がつくとそうなっているみたいな感じなんで、
その後で考えたんです。
このパターンが、
ぶっちゃけ相談で相談された内容と告示していて、
恥ずかしいっていう感じなんですね。
恥ずかしいことをブログでは書けない。
なぜならばブログで恥ずかしいことを書くと、
そのブログに自分が愛想をつかされて、
無知であることがバレたり、
愚かだということがバレたりして、
ブログに人が寄ってこなくなる。
そうやって人がどんどん離れていくというのが、
自分はとても不安なんだっていうような、
ぶっちゃけ相談のご相談内容でした。
それはベックさんじゃないですよ。
この内容については、
倉澤さんが昨日お答えされていたので、
そっちを見ていただければ、
これ無用なんで、
YouTubeで見ていただければいいんですが、
私はこれとベックさんとの対話の、
15:01
YouTubeの時の対話でですね、
そっかと思ったんですよ。
やっぱりこれは親なんだなと。
ただしこれは、
親が育て方がうんうんとかではないです。
ベックさんとの親子関係がどうこうって話でもないです。
ただ、そういう感じを僕はですね、
考えたんですよ。
本当はそうじゃないかもしれないから、
難しいんですよ、この人の話は。
僕が勝手に考えたことなんです。
これ万が一ベックさんは聞いていないと
僕は思って喋っているんだけど、
聞いていたらですね、
そうじゃないんだということであれば、
全然そうじゃなくても、
当然そうじゃない可能性も多々あると思います。
ただ、私が感じたのは、
なんていうんですかね、
そういうちゃんと話をしている、
そういうちゃんとしたことをやれる自分というのを見せないと、
親を安心させられないという感じを、
結局僕はその時に持った感じって、
そういうことなんだなと思いました。
ベックさんはご両親を安心というのか、
満足というとちょっと語弊があるんですよ。
満足と言ってしまうと、
ちょっと先日お話したアダルトチルダリンみたいな話になるんですよ。
私はそういうこととは限らないと思うんですね。
親の期待に応えられないみたいな話あるじゃないですか。
それは子どもが勝手に感じているだけというケースも少なくないんですよ。
親のせいじゃないと。
でも、親のせいなんですよ。
ここが大事なんだと僕は思うんですね。
私自身すごくそのことを考えたんですね。
この番組では性癖まで喋っていると福田園さんに現れたことがあるんですけど、
その通りなんですね。
私は母との間に確実はないんです。
確実はないんですけれども、
私は母に愛想使われるということを非常に恐れていた時代があったんですよ。
たぶん5歳か、もしかすると4歳か、あるいは3歳ぐらいだった可能性があります。
3歳だった可能性もあるんですよ。
私は六市というところに住んでいた時代があって、
短い時期でしたけど、その時の記憶がいくらかあってですね、
いずれも母の認識が強いんですよ。
妹も少し記憶にありますけどね。
浅川に引っ越してきたのは4歳だから、
その前である可能性が、六市にいた頃に私は母に愛想を使われるということを
ひどく恐れていた時代があった気がするんです。
わかんないんですよ、これも。
母の育て方がすごい厳しかったとか、
家から追い出されたことがあるとか、そういうことはないんですね。
だから難しいんですけど、確かにそういう感じを抱いたことがある。
だから私の性癖というのはどういうものかというと、
女性に母を投影しがちなのは、これは世の中一般で逆も普通にあるんですけど、
18:02
私はその時にどうしても恥ずかしい思いをさせたいというのは、
性欲の主流を占めちゃうんですね。
これが僕はなんでこういうふうになっちゃうんだと思っていたんですけど、
恥ずかしいってどういうことなんだろうと。
これも非常に難しいテーマで、
土井たけおさんがお前の構造とかでいろいろ書いているんですね。
恥ずかしいとかはにかむとかね。
恥ずかしいとかはにかむというのは、
たぶん一つには非常にわかりやすいところで言うと、
自分の本性がバレるということですよね。
さっきのブログで言えば、
ブログに下手なことを書いて、
本質的に無知で愚かだということがバレて恥ずかしい思いをする。
ということは自分の本体は恥ずかしいということですよね。
理論無双をしておかないと恥ずかしいと。
そういえばベックさんが時々ブログで書かれるんですよ。
神のことみたいなふうに書かれて、
自分はいろんなことを無知で恥ずかしいから、
日本の文学とかもたくさん読まなきゃいけないしというのを書いていて、
不思議な感じを抱くんですよね。
いや、そんなの読んでないとブログがもてはやされないという話は
聞いたことも見たこともないなと思うんだけど、
これはそういうことじゃないんですよね。
親としては、
そういうことじゃないんですよね。
親というものが意識されていなければ、
そういう発言にはならないと思います。
意識はされていないかもしれません。
ただ無意識なんだと思うんですけれども、
それでも何らかの形で親というものに向かってベクトルが、
フロイト的に言ってしまうと親というものの、
自分の中の親の対象というもの、これも意識されていません。
リビドが向かうというのはそういうことなんですよね。
リビドが、エネルギーが向かっていく。
無くなったら、多分そんなことに興味は無くなっちゃうんだという、
そういう対象というものです。
だから対象はイメージじゃないんですよ。
こういう話をババババババッとして、
分かりにくいことをおびただしいと思いますが、
あと5分から10分で切り上げるぐらいで、
この週の話をモリモリで喋っているから、
やむを得ないと思ってください。
そもそもこの番組で何度も言いますが、
精神分析を勉強しようというのはダメなんです。
私は適当に喋っているので、
この適当がすごい大事だと昨日も思ったんでね。
私が母との間に恥ずかしい思いをさせるとか、
自分がひどく恥ずかしい思いをあいそつかされてするというのは、
つまり自分の本体って何なんだろうと、
3歳児だ4歳児だの頃、2歳児とかならもっと言えるんですが、
自分の本体などというものを自分一人抜き出して考えません。
また歩くのもままならないのに、
自分一人だけで誰かの前に立って恥ずかしい。
ありえないんですよね。
21:01
恥ずかしさというものは、
自分という認識がやっとできた頃に、
むしろ一番感じそうな感情じゃないですか。
だって自分という意識がなければ、
自分の本体という意識も当然ないわけですよ。
生まれてきたばかりの時に自分という意識はもちろんあるはずがないので、
名前も自分の名前知らないですからね。
あるはずがないので、
自分という意識を作り出せた頃に、
一番恥ずかしいという意識もセットでついてくる可能性が高いと思うんですよ。
この段階では、私が思うに、
母から分離して自分一人になったという状態は、
全部恥ずかしいと思います。
自分そのものであるというものが、
外にさらけ出すにはまだ早い。
この段階では、
自分というものがさらけ出されるのは、
非常に抵抗があると思うんですよね。
ものすごくプライベートな自分というものは、
母と一緒にしかありえない時期ってあったと思うんです。
親って変なもんで、
変なもんと言ったらおかしいかもしれませんが、
これと全く逆転した視点というのを持っていて、
自分の子供が例えば外でやらかすと恥ずかしいじゃないですか。
何か自分がそこにさらけ出されたような気になるわけですよね。
そういう感じって多分、
大概の親は持っていると思うんですよ。
子供がすごい、
例えばですけど、
侮辱的なことを外で喋ると、
親の顔が見てみたいとかって言うじゃないですか。
つまり、親子関係というのは、
そこに子供のプライバシーなんですけど、
主にですね、
含み込んじゃっているので、
それが外に一人でどんどん歩いていったら、
暴走してしまうんですよね。
どんどん歩いていったら、
暴走なんですよね。
だからこそ、
子供の方はそういう親の意識を気にするようになるとですね、
というか理解できるようになると、
自然とですね、
親というものを安心させようとか、
満足させようとか、
一人でできるものってやつですよね。
一人でできないのは恥ずかしいんですよ。
私が性的に逆転してそれを感じかえたのは、
親に恥ずかしい面を見せたいってことですよ。
これが女性への性欲のメインを占めるんですよ。
私の場合きっと。
本当は私は多分そういう親か、
私のことを恥ずかしがるということに対する、
そういうことがあって不思議ないですからね。
あんたあんなことして恥ずかしいっていうことを、
母が言うことはあり得ると思うんですよ。
あり得たと思うんです。
その時復習心を僕は持ったと思うんですよね。
ふざけんなと思ったと思うんですよ。
それだったら、私の考えそうなことですよ。
それだったらお前に恥ずかしい思いをさせてやるっていう気持ちに、
僕はなりそうなタイプの人なんですよ。
あえて私が恥を晒すことによってね。
24:02
この感情が極めて屈折して、
恋愛感の時に出てくるんですよ。きっと。
そういうことなんだろうと。
そういうふうにいろんなことを考えていくとですね、
結局恥っていうのを考えた時、
分離ってものが自然と出てくるんですね。
だからそこには寂しさってものが必ずあると思うんです。
そして罪悪感は、これはもうありますよね。
私も申しました。
外で恥ずかしいことをすると、
親に対して申し訳ないという気持ちを持ってしまう。
親がそういうことを言うからね。
しかも、ここでアダルト中ドレイン的な話すぐ出るんだけど、
私はそれはおかしいと思うんですよ。
そんなことを言う親は、
結構普通で、子供に対して良くないことかもしれませんけれども、
そして後々僕がこれだけ引っ張っているところを見ると、
その影響が小さいとは言えないかもしれませんが、
だから私は娘にやらないように気をつけてはいるけど、
多少はやっちゃうわけですよ。
親であればね。
だってやっぱりどう考えたって、
どう育てられているのかを外の人が見る時は、
親がどう育てたのかを見る。
少なくともそういう視点を持っちゃう人が
世の中にいるのは避けようがないんで、
その点を親がついほとんど本能的に、
と言ってもいいと思う。
本能的はダメかな。
無意識的にそこを気をつけちゃうのは、
やむを得ないと思うんですよね。
うちの子が外に行って、
おじさんがハゲとか言ったらまずいじゃないですか。
だから恥ずかしいことをするなっていう、
そういう表現を昔の人が取ったというのは、
すごく当然のことであって、
ただしそこには一末の寂しさが出る。
そして悔しさも当然出る。
で、罪悪感も出る。
そういうものをひっくるめて考えていくと、
これを陽性に出すとですね、
陽性日はつまり、
これをポジティブに考えると、
親を恥ずかしい思いをさせないではなくて、
親を反対側に満足させようという気持ちになりうると思うんですね。
そうすると、
これがどうつながるんだって話だと思うんですけど、
僕の中では一応つながってて、
例えば100万PVにしようと。
親は満足する?
しないですよ。全然。
そんなことはネクさんだってわかってる。
だから多分無意識なんだと僕は思うんですよ。
ただそういう感情が少しでもある関係上ですね、
意外に何万PVに行っても、
実は十分な満足が得にくい構造にもなってるじゃないですか。
私の感じで言えばね、
私が恋愛した女の人をどんなに恥ずかしい思いをさせても、
絶対にこの種の復讐は果たし得ないんですよ。
だってそれは親だったんですからね、もともとね。
そういう人関係ないんでね。
PVもよく構造として僕の中では似てるんですよ。
何十万PVに行ったって、
満足するべきは親であって、
ブログ視聴者じゃないんですよ。
これを聞いてですね、
納得されないと思います。
今僕も喋ってて、
27:00
説得力があるとは思えないなと思ったんですよ。
でも僕の中では対談の経験がありますからね。
親代わりというものの意味ってでかい。
少なくともその定義ですけれども、
二者でぐーっと密な会話をしている中で、
親子関係みたいなものが出ていたら、
やっぱりそこには、
親に対する欲求不満と、
親から来ている期待だと誤解しているものが
猛烈に上がってきている感じって、
猛烈に上がってきている、
そうだな、やっぱり猛烈に上がってきている感じって、
考えざるを得ないんですね。
そうすると、
愛想つかされて去っていく。
それは、こういうことだと思うんですよね。
親に捨てられると、
恥ずかしいことがあって、
お前はもうダメだと。
この家から出ろと。
怖いじゃないですか。
実にね、子供時代の自分として考えれば、
死んじゃいますよね、そんな目にあったら。
だからそうならないように、
最大限気をつけるのは当然だし、
全く逆の、
非常に周囲から賞賛に次ぐ賞賛みたいにされれば、
私で言えば、
本が20万部だ、30万部だと、
売れれば、不思議なものなんですよ。
僕も最初に親に報告したくない。
よく言うじゃないですか。
昨日も日刊線とかで言ったけど、
ウィーニングボール誰にあげますか?
お母さんにあげます。
あれ、よく考えると、
野球ならまあわかるでしょうね。
でも私が、
このなんとかという本は、
タスクシュートの本は7万部いったので、
はっきり言ってその価値は、
親には理解できないですよね。
これは、だから私がやっぱり無意識だと思いますし、
内的対象ってやつなんだと思うんですよ。
内的対象を喜ばせるということは、
非常にある意味虚しいことで、
内的対象って自分ですからね、結局。
いくら内的対象を喜ばせてみても、
誰も喜ばないわけじゃないですか。
結局それだったら、
良かった、何万部も売れて良かったと、
ただ思っておけばいいんですよ。
でも、
人間ってのは子供の時にひどく複雑な
心理操作をやっちゃったもので、
多分やっちゃうんですよ。
子供は命かかっていると誤解してますから。
本当にそういうケースもありますが、
あまり日本ではちょっとね、
僕なんかの場合は全然ないですよ。
命かかっていたわけでは全くないんだけど、
そういうふうに思っちゃったんで、
そういうふうに思っちゃうところに、
こういうややこしい話があって、
こういう命かかっていたわけでは全くないんですよ。
そういうふうに思っちゃったんで、
そういうふうに思っちゃうところに、
こういうややこしい話があるところに、
そういう全く筋違いのですね、目標を。
こういう言い方をすると、
この欲求が筋違いなのかと、
そこは考え方だと思うんですね。
これ上手くできてるじゃないかと
言えなくもないと思うんですよ。
会社で頑張ろうと、
ウィニングボールを投げようと、
ウィニングショットを打とうと、
30:01
100万PV取ろうと、
むなしいっちゃむなしいじゃないですか。
それで何になるんだっていう人いるじゃないですか。
でもそれは、心の中の幼かった頃の親を
満足させたいんだっていう、
そういうからくりになっているとすれば、
これはこれでよくできていると思うんですよね。
世の中のありとあらゆることに
価値があるわけじゃないですよね。
でも、このからくりを使えばある意味、
世の中のありとあらゆることには
価値があるというふうにも持っていけるわけですよ。
いずれは、私はここを分離しなければならない
ということなんですね。
結局親と分離しているわけですからね。
一人で生きているわけですから、
このくらいの年になれば当然。
ただ、その時でもこういう一体みたいな、
疑似一体みたいなものが蠢いていて、
結構それで私たちは喜んだり、悲しんだり、
寂しくなったり、罪悪感を持ったりしている。
そういうところがあると。
だから、この話は決して
アダルト・チルドレンだけの話じゃないと、
僕は思うんですし。
だからといって、この種の苦しみを
全部アダルト・チルドレンに持っていっても、
それでは何かを言ったことにはならない気もしますし。
そういうケースがあるんですよ。
親がこれをあからさまに言うというケースですよね。
私は結局そういうことだと思うんです。
お前は私の期待に応えるために生まれてきたんだと。
これをあからさまに言うケースが、
僕はアダルト・チルドレンを生むと思う。
これは、安に言われるケースが普通ですよね。
安に言われるか誤解でそう子供が思い込んでしまう。
健全なケースはその辺りだと思うんです。
私のケースとかレクサのケースは健全なケースだと思うんですよ。
多分、親があからさまにそんなことを言ってこなかったし、
だから誤解なんだとある意味思うんですよ。
多分ですけれども、
レクサの親御さんのような方はきっと
お前の好きなようにやればいいかなって言ったと思うんですよ。
これが子供がある意味忖度するんですよね。
そういう子を忖度するんだと思うんです。
私のようにひどく屈折した忖度の仕方をするケースは
あり得るとは思うんですよ。
3、4歳児ですからね。
しかも忘れてますからね。
だから、お母さんがほら100万PV撮ったよと。
うちの母に100万PV撮ったと分かんないし、
そんなことはやっぱりさっき言った通り分かっているんだけれども、
でもこれは非常に幼かった頃の
構造化した記憶の中の出来事なので、
そこに情緒含みで、
情緒含みなんですよ。
これ、情緒以外の何者でもないと思います。
逆に出ると、
内装をつかされて100万PVだったのが
7になっちゃいましたと。
寂しくて、つらいと。
罪悪感もひどいと。
まるで外でですね、
言っちゃいけないことを喋った子供みたいな気持ちになっちゃうんだと
いうような話なんじゃないのかなと思うんです。
33:01
グッドバイブス流に言うと、
それはもう今のは盛大なイリュージョンだったじゃないですか。
イリュージョンだし、
恐れや不安を手放せば、
何もそこに問題は実は起きていないし、
7人だっていいじゃないですかっていう話も、
これはグッドバイブス的っていうわけじゃないですけど、
あるわけですよね。
結局その、
なんていうんですかね。
それはそれで大変なことだから、
そういうふうに持っていくっていう心理は当然あるわけですよね。
私はネガティブなほう、ネガティブなほうに出るけど、
ポジティブなほう、ポジティブなほうに出たとしても、
大変なことは間違いないと思うんです。
だって大手のIT企業で夜中まで働くとか、
全然楽じゃないですよ。
親に褒められるというだけでは、
物足りない、
親に褒められるからといって、
やってられるとは限らないんだけれども、
だからなんだと思うんですよね。
だから、
これはそういう過程の上でしゃべっていけ、
実は全然違う話かもしれませんけれども、
だから、親というものの内的対象というものに、
意識をはっきり向けてみるということが、
やっぱりどうしても必要なことがあるんだと。
私はそう思って自分の性癖というものを
一生懸命見に行っていると、
そういう感じの話なんです。
34:33

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