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2021-10-05 31:24

【GMV470】なぜか忘れていた印象的なこと

本当のことは決してわからない
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今週の土曜日ですね。
グッドバイブス勉強会、シーズン2のもう第9回だったと思うんですけれども、
昨日も同じこと言ったな。
開催します。オンラインですね。
そう、まだオンラインなんですよ。
今年は何とか緊急事態宣言が出たりして、
結局、去年とか今を縫ってはリアルなセミナーとかを
結構トライしてきて見てるんですけど、
結果としてはオンラインのが圧倒的にオンラインに修練されてきた感じで、
気がつくと全部オンラインになってたっていう感じがします。
ある程度はですね、グッドバイブスは聞いて理解するということができますので、
これでもおおむねなんとかなるんだなということを僕は感じています。
それで、最近私はかなり精神分析の知見をつまみ食いするような形で、
かなり遠慮してきているんですよ。
でもそれも、前回のこのグッドバイブス勉強会とコミュートレイというのをやったんですね。
これは今後もやる予定なんですけど、コミュニケーショントレーニングというオンライン合宿という、
これもですね、コロナが完全に収束してもこの形で継続するだろうかっていうのは、
あんまり考えても意味ないかなと思うんですが、そこでも喋ってみて、
なんとなくこう、なんて言うんですかね、
昨日もこの番組で喋ったんですけど、
ライフハックでずっと来ていたその流れの中で、
私が一番この辺を強調、人によるんであれなんですが、
セミナーではこういったところを自分は発信していくといいかなというのが、
なんとなくこう形になりつつあるということが、なんとなく発見できてきました。
もう本当にあれなんですよ、別に精神分析をやっているわけでも、
メインがカウンセリングなわけでも、私カウンセラーじゃないしですね、
そういう知見というのは、すごくこういろんな形で僕に影響を及ぼすし、
僕自身がグッドバイブスの影響を受けたのも、
自分自身のクライシス的なところが大きかったわけですね。
03:02
中年の危機ってやつですかね。
結局これも精神分析的な発想だなと思うんですよね、中年の危機なんてのはね。
そういうミドルクライシスみたいなものとの兼ね合いでグッドバイブスの影響を受けて、
だからこの流れから考えても、僕が心理学よりにものを考えがちですし、
そういうところからも融合してきて、自然といえば自然なんですが、
そのことがなんとなく客観的にというのも不思議なんですが、感じることが出てきました。
だから次回のグッドバイブス勉強会では、
何かちょっと緩むというか、何が緩むのかと言われると難しいんですけど、
今まではかなり摂取過剰だったものが少し消化されてきた感じがあって、
そういう流れでうまくお伝えできるといいかなと私の方では思っています。
その辺のことを昨日も喋ったし、今日も喋ろうと思ってたら不意に思い出すことがあったんですよ。
なんて言えばいいんですかね、忘れてたんですよね。
だけれども嫌な記憶だから忘れてたというと非常にヒュロイト的になるじゃないですか。
でも確かに嫌な記憶なんですよ。
だから今日忘れていた話をするんだけども、忘れてたんですけれど、
別にトラウマになったというのとも違う気がするんですよね。
一定のショックがある出来事だったんですけれども、
取り乱すというかその動揺で呆然としちゃうみたいな話ではなかったし、
さっきのミドルクライシスみたいなものともあまり関係がないんですよ。
ただ思ったのはですね、そういうグッドワイブスに出会うまでに、
私の中で危機的な状況が少しずつ進行してたんですよね。
人間というのはグッドワイブス的に言ってもですね、日々変化しています。
状況ももちろん日々変化しているので、
実際には同じことのパターンの繰り返しというものはありえなくて、
この辺とタスクシュートをどう融合するかというと、
それはそう難しくはないんですよ。
リピートタスクというものは毎日同じことをするわけじゃない。
同じようなことをしますけどね。
06:00
この同じような癖もので、毎日同じような感じで筒がなくと言いますか、
うまく生きているように思っても変化というものが起きているわけだから、
ある種の生き方、ある種の方針というのかな、
そういうものに沿っていくと危機が訪れてしまうことが、
つまり自分がうまくいっているパターンが大きく何かとずれるんですよね。
単純に言っても肉体が例えば衰えるから、
毎日同じように体をケアしているつもりでも、
何かが進行してしまうということは当然ありますよね。
アスリートはその形が激しいし、自分でも自覚症状が極めて強いから、
そういう危機に見舞われるのが早いと思うんですけれども、
肘手術するとかああいうやつですね。
私のような生き方をしているとそんなに早い進行はしないんで、
危機はじわじわとやってくるわけですね、ある意味では。
そういう考え方もできると思うんですよ。
これがミドルクライスのすべての説明にはなりません。
ただそういうことがある中で、
例えばライフハック的な生き方というのは、
うまくうまく生きようとある意味しているわけですよね。
うまく生きよう、うまく生きようと。
このうまく生きようとしているからうまくいくんですけれども、
うまくいく方向に沿って総力を上げてますから、
うまくいくんですよ。
頭もいい人がお金も使ってうまく生きることに総力を上げてるわけだから、
うまく生きられるんだけど、
こういう方針でいくと、ふと何かがうまくいかなくなると。
その時のダムに溜まった水みたいなものが結構でかいっていうのも、
ミドルクライスみたいな説明の要因としてはあるかなと。
そういう中に不意にある出来事があって、
うまく対処できないわけですね。
私の思い出したことはそういうことだったんです。
うまく対処はできた気がしなかったと。
ところがよく考えてみると、よくグッドバイオス的に見てみると、
割とうまく対処してたと。
ライフハック的に考えるからうまく対処できてないんだけど、
グッドバイオス的に言うとうまく対処できていたと。
つまりこれどういうことかというとですね、
私の中の評価がライフハック評価なんですよ。
強化だったんですよ、強く。
だからグッドバイオス評価的に低いものは、
忘れたり無意識のところに抑圧したり、
抑圧じゃないな、
よく、
よ、
なんて言うんですかね。
片付けてしまっていたがいいでしょうね。
例外処理みたいな感じなんですよ。
まあまあこういうこともあるけれども、
脇にどけておいてそっとしておこうと。
こういうことはそうそうないし、
あってもらってもやだしねっていうような感じで、
太い脇によけておくとこういうことがですね、
無意識という方向に向かっていくんでしょうね。
09:02
そして忘れるんですよね、やっぱりね。
割と過急的速やかに。
それが起きたときはこんなこと、こんなにある意味嫌なことを
簡単に忘れるものではないだろうと思ってたりもするんだけど、
今気がついてみるとすっかり忘れていましたからね。
で、どういうことかというと、
実に出来事自体はシンプルでして、
私がセミナーをいつやったのかもよく思い出せないんですよ。
まあこういうこと大橋哲夫さんだとなさそうなんだけど、
私は大体こういう感じで生きているんですね。
そんなにこうカッチリ全てをよくよく認識して、
二度とそういう目に遭わないぞみたいな努力は
あんまりしてなかったんですよ、今までも。
今は指定してませんけど、今までも。
で、そのセミナーにいらっしゃっていた人が
ものすごい、なんて言えばいいんですかね、
まあ要するにネガティブだったわけですね。
僕、倉園圭三さんがよく時々
音楽の講演をしていて、
ヤジを飛ばされるとか、物を投げつけられるみたいな話を聞くたびに
若干怯んでですね、
それがそういうことをせずに来てよかったなと思っちゃってたんだけど、
実はですね、そういうのとは大分違うんだけども、
結構すごいことがあったんだな、昔はというか、
経験してきてるんだな、自分はと。
先日お呼ばれしていったところのアンケートで
厳しめのことを書かれたとか言いましたけど、
考えてみればそんなものは全然なんてことはない
というほどのこともあったんですよね。
忘れてたんですけどね。
忘れるってのが不思議なんですけど、
それにとっては正しいかなって思っちゃうんですよね。
人は忘れたいことは忘れようとしているんだということなんですよね。
別にそこをギュッと頑張って忘れようとして忘れるんではなくて、
不意に片付けてしまうんですね。
大事なものだったのにうっかり捨てちゃうっていうことって
よく聞くじゃないですか。
本当にあるのか知らないけど、ドラマとか映画ではよく出てくる。
そういうことっていうのが起きちゃうんですよ。
つまりそういうネガティブな反応だったんですけど、
思い出してみるとすごくて、まさに一言一言について
一つ一つについて批判を打ち込んでくるわけですね。
しかも他人数のセミナーってどっちでも同じだな。
多くはない中でこれをやられてるから、
信仰しないわけですよね。
12:00
一つ一つ、私が一言なんか喋るたびに
そりゃさ、みたいな感じでネガティブなコメントが戻ってくるとか、
ちょっと聞きたいんですけどとか言いながら
ネガティブな、ほとんど質問ではなく批判っていう感じで、
これがもう断続的に2時間ぐらいは続いていた感じなんですね。
思い出す限りそうなんですよ。
中でも古ってるな、その質問はと思ったのが、
質問じゃないな、その批判すごいなと思ったのが、
たまたまその時、ミュリリアの作詞ってありますよね。
矢の閉じてるのと開いてるのの長さは開いてる方が長く見えますが、
実は同じですっていう有名な錯覚ありますよね。
小学生でも知ってるやつですね。
あれ、ミュリリアの作詞で初めてそのような批判をいただいたんですけど、
その矢の長さ、上の方が実際長くないですかって言われたんですよね。
これはよく覚えてるんですよ。
今思うとこれは批判なんだろうかって思うんですけどね。
いやいや、全く最初に非常に見た時、見えるかもしれないけどって普通に喋ったんですけど、
考えてみればこれを知らないとはさすがに思えないので、
これを言ってくるっていうのはそんなことを言わせたいわけじゃないだろうなと思い入ったんですけど、
僕も結構頭が高揚してましたから、
すでにその人のやりとりで高揚させられ続けていましたから、
3、40分ずっとその後にこれが来たんで、
非常に切れそうになったわけですよね。
だけども、ちょっと切れちゃってたのかもしれないですね。
長さを測ろうぜって話になったんですよ。
僕も考えてみるとミュニティアの矢の長さを測る必要は全然ないんですよ、そのセミナーでは。
長さを測ろうぜって話になって測ったんですよ。
ちゃんと定規で全く同じに決まってるんですけどね。
だって同じ長さのサクシーのやつを僕が作ったわけじゃないんで、
拾ってきてたんで、長さが違うはずないんですけど、
全く同じじゃないですかと定規で測ってもね。
定規だったのかな?何で測ったのかな?
エクセルの方眼みたいなの当てたのかな?
とにかくそういうことをしたんですよ。
したんですけど、ほらちょっと違うじゃないですかって言うんですよね。
ちょっとも違うんだけど、デジタル的に拡大してみるとミリミリ単位で違うじゃないかみたいな、
そういう主張になったんですよ。
これは批判なんだろうか感じなんですよね。
非常に僕は驚いたんですけど、
その時は参加者の人の中からキレる人がいて、
そんなんどうでもいいから先に行きましょうよみたいな感じになって、
15:00
その場も収まったというか収まらなかったというか、先へ行ったんですけどね。
そしたらですね、その後しばらくもしないうちに、
また何かこう、中傷的な質問が飛んできて、
僕も完全にスパークしちゃったんですよ、頭の中が。
もう帰ってくれよって言おうと思ったんですよ、本当に。
始まって1時間は経ってなかったと思うんですけどね。
何かそういうことが口をついて出た感じだったんだけど、
不意に何かですね、頭がスパークしたせいなのか知らないんですけど、
不意にこう止まって、分かった。
今日はこの人のためにやろうってなったんですよ。
何かですね、何かが自分の中でスイッチが入っちゃうっていうのか、
切れちゃうっていうのか分からないですけど、
何かこう違う人になったんですよね、自分が少し。
それでもうその人とずっとやりとりしようと。
今日はそういう人ということにしちゃおうと思って、
何かですね、ありえないほど丁寧に対応するようになったんですよ、その瞬間から。
何ていうのかな、聞かれたことには完全に答えると。
グッドバイブスで今ではですね、これはグッドバイブスを知る
少なくとも7、8年前だと思うので、もっと前かもしれない。
震災の前だと思います。
倉妻恵都さんとお会いする前かもしれませんね。
分かんないですけどね、ちょっとその辺の記憶曖昧ですが、
とにかく震災の前ではあると確実に思います。
私一人の単独のセミナーなんで、この貢献を知っている人はいらっしゃるんですけれども、
私の一緒に仕事をしている人の中ではいないんですね。
まだJ松崎さんとかとの知り合いは前だったと思いますね。
そういうふうにいきなり決意して、いわゆる本気でやるみたいになったんですよ。
それまで本気でなかったわけじゃないんですけど、
本気でこの人のためにできることは全部やろうみたいになったんですよ。
突然そうなったんですね。スパークしちゃったからだと思うんですけどね。
そこから1時間のやり取りはあんまりよく覚えてないんだけど、
そんなに不愉快だった記憶はないんですよ。
愉快だったとは決して言えないんですけど、不愉快だったわけじゃないんですよ。
たださすがに懇親会とか懇親会やってたんだけど、帰るだろうなと思ったら来るんですよ。
絶え間なくまたやっぱり私がですね、
もはや批判なのか何なのかわからないような、
レクチャー今度してるわけじゃなくて、セミナーしてたわけじゃないから、
批判すると言ったって、僕が喋る前にも何か言ってくるしかないじゃないですか。
何か聞かれては答えると批判されるっていう感じだったんですけど、
18:00
それで大体2時間ぐらい経ってですね、
すごいことに帰る方向まで一緒だったんですよ。
当時ですね、朝霞っていうところに私住んでて東武東上線に乗って池袋から帰るんですけど、
何か東武東上線だって言うんですよ。
今思うと嘘なんじゃねえかっていう気がしちゃうんだけど、
ずっとやっぱり電車の中でもですね、批判的に絡んでくるんですよ。
僕は何かその時はもう、さっきのスパークの決意があったんで、
今言うところのグッドバイブス的にですね、
一生懸命こう、それはこう、こう、こう、こうでって言って納得はされないんですけどね、
でもこうじゃないですかみたいな感じで、必ず、絶対納得はされないんですけど言われるんだけど、
それに対してもこう、こう、こう、こう、こうでって一生懸命答えてたんですよね。
すごいある意味濃密な時間でした。
6時間ぐらいこの調子でずっとこうあって、
さすがに朝霞台の駅降りたところからはついてこなかったんで、
うわー終わったーって思ったんですよね。
全くキレるってことはなく、
まあ一回スパークしちゃいましたけど、
あとあのミュリー・ライアンの線とか本当測らなくても良かったものを測っちゃったりはしましたけど、
まあまあとにかくそのぐらいで済み、
キロに着き、いやー大変だったなと思いながら寝た記憶があるんですね。
で、翌日メールが来てるわけですよ。
なんかもう翌日はその決意はなかったから、
私は別にその時はグッドバイブス的には全然なかったから、
翌日はもう即削除しようと思ったぐらいでしたね。
やっぱりこう決してこうポジティブな気持ちにはなってないですからね。
平安でもなかったし、
なんかですね、そのメールを見た時、
うんざりして、
うんざりして、これ以上うんざりできないぐらいうんざりして、
絶対こう読むまいと思ったんですけど、
読んじゃうんですよね、人間ってのは。
なんて言うんだろう、こういうのはね。
よくホラーとか見てると、
登場人物ってアホなことやってるなって思うじゃないですか。
一番ヤバそうなところにわざわざ行く、
あの心理がよみがえりましたね。
なんで人間でこうなんだろうなと。
なぜ俺はこれを開いて読もうとしちゃうんだろうという風に思ったんですよ。
本当に読まずに捨てちゃえばいいわけですよね、そういうものは。
なんかこれ読まずに捨てられない心理って何なんでしょうね、これはね。
ある集団心理学でそういうのに対する一つの説明として、
ヤバそうなものを好んで見に行く人の心理は、
集団が生き延びるのに役に立つんだっていう説があるんですよね。
21:00
どうなんだろうなと思うんですよね。
遺伝系の話と心理学が混ざってる感じの考え方で、
まあまあ面白いんですけど、なんかこう説明がましい感じをちょっとしますよね。
とにかく怖いものを見たさとか、
臭い匂いを嗅ぎに行くっていうのがあるじゃないですか。
なんなのかなとは思うんですけど、
でも例えば集団で生きていた原始時代の人たちがですね、
ヤバそうなところに誰かが行って、
イケリエみたいですけど、チェックしてくると。
それ役に立ちますよね、誰かがやってくれれば。
そういうこともあるのか知りませんが、
そのメールを見たらですね、すげえびっくりしたんですよ。
謝罪してたんですよね、まず。
これに驚きました。
人が謝罪するというイメージがなかった。
絶対人に謝るってことはしない人だろうなと。
それはイリュージョンなんだけど、
そういう経験をしてみるとやっぱりそう思っちゃいますよね。
昨日は本当申し訳なかったんで書いてあるわけですよ。
ちょっと正確な文面を忘れましたけど、
あんなに丁寧に人に対応されたのは生まれて初めてのことで、
みたいなのが書いてあって、すっごい驚きました。
そんなに丁寧に接したというか、
切れずに接しようとしたに過ぎないんですよね、私の中では。
普通だったら切れるだろうと間違いなく思ったんだけど、
切れずに接しようと思ったんですよ。
とにかくそれだけ心がけたんですね。
そして誠実に接したとか丁寧に接したという認識は
私の方には全くなかったんですけど、
そんなことはできないしね、私には。
そう書いてあって、そうなんだと。
そうだろうなとも思ったんですけど、
それでも非常に驚いてですね、
私の記憶に思い出したとき、
非常にあれはグッドワイブス的な出来事だったなと。
与えれば与えた途端与えられるというのは、
こういうことだよなと思ったんです。
ああいうことだったなと。
忘れてたんですけどね、完璧にどういうわけか。
忘れてたんですが、やっぱりそういう文脈の中に
私は今いるので、グッドワイブス的な価値で
ものを測るというか、価値で理解するという
そういう判定基準からものを見るようになったので、
これを思い出すようになったんでしょうね。
こういうのはやっぱり封じていくから
来学的な巧みにいきたいという、
うまくいきたいという価値観でずっと来てたんですね。
だから多分現実と自分の戦略とのズレが
24:00
でかくなっていくんですね。
その日その日はうまくやってるんですよ、きっと。
こういうことを忘れちゃったって、
要するにこういうろくでもない経験だから
封印してそっとしておくと、
二度とこれとほぼ類似するみたいなことは
起きませんでしたからね、やっぱりね。
これは極めて特殊な出来事だったと思うんですよ。
でもこういうのを特殊だから封印しても
何の問題もないんですけども、
こういう経験をグッドワイブス的に
こういう風にすれば
人というのはこういう反応も極めて意外ですから、
つまり本当のことは分からないと。
私は結局本当のことは分かるというラインで
生きてきていたわけなので、
そういうやっぱり発想がミドルクライシスに行き着くんですよ。
本当のことが分かるはずなんだと思ってやっていき続けると。
本当のことは分からないんですよ、やっぱり。
だってその人から来るメールがまさかそういうメールだとは
少なくとも私は当時は想像だにしなかったし、
今でもそれを想像するのは無理だろうなって思いますけれども、
それぐらいああいうメールが想像しえないタイプだったんで、
タイプじゃないんですね、だからね。
そういうことがかつてあったわけですね。
あった出来事の中でもグッドバイブス的なものを
極力少なくとも意識できる記憶から排除していくとしていたために、
グッドバイブス的じゃない方向にどうしても自分は行くわけですよね。
別に人と常に諍いを起こすとかそういうことはしてないんだけれども、
やっぱり巧みにやろうと、なるべくトラブルに巻き込まれないようにしようという路線は
1年2年はなんてことはないんですよ。
でもそれを10年15年と続けていくと、
結構なんてことあるところにはまり込むこともあるんですね。
そしてそこで同じ戦略を必死にやっていても結構抜け出せなくなって、
そういうことがたぶん私がグッドバイブスに出会った時に
私がはまり込んでいた視点にあったんだと思うんですよね。
あのはまり込んでいた時にやっぱり一番今の話は思い出せそうにはない。
結局それは人というのはつい昨日まで
そういうことは絶対に言ってきそうにもやってきそうにもないと思っていた人が
何を言ってくるかはわからない。
だからそれはわからないから私の外にあるんですよ。
27:00
私の思考の中にはないものなんですよね。私の外にあるんですよ。
この外にあるものと出会うというのがグッドバイブスもまさにそうですよね。
私の外にあったものです。
蔵野さんが外在するとかそういう話ではなくてですね、
ああいう発想を私は人生に取り込もうという気がさらさらなかったという意味で
外にあったわけですね。
これを取り入れないとならないよということがある意味一つのクライシスですよね。
クライシスというのは自分のこの戦略でいけるはずだというのが
どういう理由なのかわからないんだけどある日ふと機能しなくなるということだと思います。
それがクライシスになる。
だから私がぶち当たった時に特にこれといった出来事も様々ありましたが
当時は私には自分じゃどうにもできないことばかりだって思ったわけですね。
それは一面その通りなんですけれどもね。
そのことがむしろ発砲塞がりなわけですよ。危機的なわけですね。
そしてそういう時には決して今のような、今言ったような話を思い出せなくなるという頭がですね、
そうじゃない意識内容だけで構成されたことで生きてたわけですから。
私の生きる方向性としてはそういう例外的、当時としては全く例外的な話ではどうしようもなかった。
あの時私が帰ってくださいと言ってたらあのメールは絶対なかったわけですよね。
だから言っても全然おかしくないシチュエーションだったと思うんですよ。
でもやっぱり言わなかったのが現実なんですよね。
そして本当なのか知りませんがそういうふうに扱われたことはないと。
でもなさそうではあったけどね。なさそうではありましたが。
そういうふうに扱われたことはないという。
だからそういうものなんでしょうね。
どのように人が現実として動くかはやっぱり現実を変えてしまうんですね。
その視点こそ僕がなかったものなんですよ。
現実というものは巧みにくぐり抜ける何かであって
私の視点とかありようでそうそう変わるものではないというふうに
ライフックにはこういう大前提があるような気がします。
なるべくある快適な状況の中にいて
そこで思考を巡らす方がいいと考えるのは
なるべく現実からの影響を少なくとも不可抗力的に受けたくないという意味だと思うんですけれども
不可抗力的に受けたからその激しいセミナーの中では
不可抗力的に受けたから翌日の体験があったわけです。
30:01
そういうところを私がなるべく起こらないように持って行っていたために
ある種の限界に近づいていくのを行っていたんだと思うんです。
それが多分2018年の出来事ですかね。つい最近ですけどね。
すごい昔のような日が、コロナがあったこともありますけど
コロナ禍前って結構遠い昔みたいな感じがするじゃないですか。
現実が大きくさまがわりするとそういう印象を持つ気がしますね、人は。
そういうこともあって
プレイ・グッド・ヴァイブスみたいに私は勝手に自分の人生史に名前を付けています。
これも帯状なんで本当あれなんですけどね、グッド・ヴァイブス的には。
ということをふとなんかこう、昨日の夜付近に思い出したと。
そんな感じのこともありました。
だから文脈によって記憶ってのは何が思い出しやすく何が思い出しにくいか
自分の人生の生活の文脈によって変わるっていうのは
これは別にフロイトでなくても
心理学とかでも普通に言われていることですけれども
まさにそういうことなんだろうなとも思います。
31:24

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