収録環境とタスクシュートの紹介
おはようございます。朝っぱらから精神分析第1239回をお送りします。
8月29日はもう29日ですね。金曜日10時半です。
やや涼しくてですね。やや涼しいですよね、昨日あたりから。
おかげで、これを撮れてるわけですよ。
でも30分ぐらいで切り上げているというのをちょいちょい皆様に話題にしていただくというか、
何名かの聞いてくださっている方から言われるんですけど、単に暑いからなんですね。
クーラーがここ効かないんでね。30分が限界なんですよね、この気温で。
涼しいと言っても30度ジャストぐらいで、暑いと言っている日は多分36度ぐらいになっちゃうんですよね。
36度って無理なんで、収録できる温度じゃないんで。そこは無理やりちょっとだけクーラーを入れてくるんですけど、
まあでも30分が限界でして、頭にアイス飲ん巻いて首にネククラやって、さらに交風してやってるんですけど、
もうなんか、額に汗するっていうのは違う意味だと思うんですけど、額の汗だけは出てて止まらない状態で、これが30分の理由なんですよ。
だから夏が終わればその事態は解消されるであろうと。
冬は全然いけるなって、最近何か言ってることが昔と真逆になってきましたね。
冬はもうめちゃくちゃオッケーだぜって思うようになりました。冬のほうが全然仕事できますね。
お知らせはありません。だから本題に入りますと、そうそう、これね、先日スクシュート完全活用技術というのをやりまして、
まあ好評だったのか不評だったのかアンケートを取らない私には統計的な事実が分からないから、もう感性で決めるしかないんですけど、
両局に触れてるんですよね。なんか偉い予感だと言ってくださる方2、3名。
今なんかこう全然期待してたのと違ってたって言われてる方が2名。だからこの両局はあって、
で、これだと判断はできないじゃないですか。
で私はこの話もう1回やろうと思ったんですね。というのは、僕の感じではですね、まあこんなこと何回も言ってますけどね、どうせね。
タスクシュートというものをなぜ完全活用するのかが、ようやく分かったんですよね。
喋ってて分かったんですよ。喋る前も分かってるつもりでいたんだけど、分かってなかったなと思ったんですよね。
話す内容は珍しくスライドまで用意してあったんで、決まってたにも関わらず喋ってるうちに分かったんですよ。
こういうことがこれはすごい精神分析的なんですよね。
喋ってることの内容を喋りながら理解するって変じゃないですか。しかもそれがスライド用意してあるわけですよ。
別にスライドすっ飛ばして、まあこのスライドはもうダメだから使わない、そういうことをやることはあるんですけど、
今回は使ったんですよ。なのにあれの内容の意味が完全には理解できてなかったんですよね。
今度は理解してやるぞっていう、だからあんま内容変えられないんですけど、
これが多分私が思うタスクシュート完全活用する私の理由だなと。
でね、他の人にはもう言うようになっちゃったんですけど、別にどっちでもいいんじゃないかと。
完全に活用しようと、そうでなかろうと。
もちろん私は協会の理事なんで、いやいや使いましょうねとはどこかで言う必要があると思うし、
別に使って悪いものを使えば有用に作用すると思ってるんですけど、でも私が使ってる使い方、
これが私は王道だと実は内心では思ってるんですよ。
でも私が何と思っても無駄だなこれはっていう面も出てきたんですよね。
別にこれは私の使い方は何ら特殊じゃないということも、これも喋ってるうちにわかったんですけど。
トラウマの理解とタスクシュートの役割
なんですけど、にもかかわらずこれは説明としては特殊すぎる説明になっちゃってる。
私はこれ一般だと思います。
タスクシュートを使う人がなぜタスクシュートを有効活用されるのかは、私の説明は一般的な説明になってると思います。
ちょっとおごった言い方かもしれませんけど、なってると思うんですよ。
思うんですが、でもこの説明の仕方は一般的ではない。
でもこの話は話としては通るっていう感触を得たんで、もうしばらくはというか最終的にはこれでいけばいいんじゃないかと思いますね。
で、もったい振ってるわけじゃないんで、端的に言ってタスクシュートを使う理由はトラウマを癒すためです。
で、トラウマとは何かというと、未消化の、消化しきれない、この辺だからいきなりもう松木さんが入っちゃってるんですけど、松木さんというかビオンなんですけどね。
コンテーナーってやっぱり、このコンテーナーも生々しいとか不評だと思うんですけど、でもね、本当にご容赦くださいっていう感じなんですよね。
そうがないんですよ。コンテナーとは質なんですよ。
だってこう言わないと変形できますっていう部分をビオンが言いたかったわけですよね。変形ですよね。コンテインド。コンテナーはコンテインドを変形するんですよ。
だから私胃袋に例えた。胃袋も変形するじゃないですか。変形するんですよ。大きくなったり小さくなったりするんですよ。
まずこの変形できなくなるというのが、打つの極めて重要な重大な課題なんですよ。
打つ症状がひどくなってくると、コンテナーの変形が効かなくなってくる。つまり硬直化っていうわけですよね。
ある方が自分のコンテナーと言われるものをフラスコに例えられたんですよ。私これは非常に衝撃を受けたんですよ。硬いですよね。硬い。透明である。割れる。
非常に考えさせられる話だなって思ったんですよね。
はっきり言って実に例えているBionに逆らってまで他のものに例える意味ってないと僕は思うんですよね。そういうことをするのはBionに対して大変おかしなことをやってることになる気がするんですよ。
で、なんでコンテナーとコンテインドは一つ変形する、二つ包み込む、三つ新しいものを作り出す。この三つの作用を完全に言えるのは心かそれかしかないんですよ。
今のところ。何か考えてるんですけどね私。胃袋だって生々しいんですよね。入れたものを消化する、そしてって話になってくるじゃないですか。新しいものを作り出せますけどね。
栄養かな。だから胃袋は私よりいい例えだと思ってるんですけど、こういうものがそこら中にありますよね。例えばといっていきなりカウンセリングルームが出てきたんですけどね。
カウンセリングルームがコンテナー。で、入ってくる人は精神分析家とクライアントですね。っていうコンテナーが入ってきます。コンテインド、中身ですね。入れ物があって中身が。お皿だってそういう意味ではそうなんだけどね。お皿に何かを盛ると料理ができますからね。一皿か。
ただ変形はしないよなとは思うんですけどね。形を変えるというのは非常に流量なんですよね。で、形を変えて新しいものを作り出せる。これが非常に大事なんですよ。で、あなた何を言いたいんですか。今の話の中でって言われると思うんですけど、こう言いたいんですよ。タスクシュートはコンテナーである。タスクはコンテインド、中身である。ここから新しいものが生まれなければ本当じゃない。
しかもタスクシュートは常時変形している。これも非常に大事なことだと。で、実際にはタスクシュートって何をやっているのかというと、心がタスクを取り扱うその様をモニタリングしているんであるって私は言いたいんですね。きっと。っていうか言いたいんですよ。で、これをやることによって特に未消化のタスクを抱えている人たちのトラウマというものが徐々に死亡することによって、今何が起きているのかを把握するってことによって、
消化が進んでいき、トラウマが癒されている。一言で言うならば、こういうことです。これだけだと多分伝わらない方の方が多いと思うんで、これを確実に伝えていくのが私の役目であると思いました。で、私がやってることは間違いなくこれだということが分かりました。
私がやってるのは24時間体制というのは、なんぜなら胃袋は、心は24時間動いてるから。寝てても夢を見てますから。だから私はタスクシュートに夢の記録つけたいんだなってことがこれで分かりました。コンテインド、中身は夢、思考だったりするわけですよ。その中身がどういうものであるかまでタスクシュートに記録が残るということは、私は胃という心のその消化活動をモニタリングしているわけです。
こういう説明を進めていくためには、やっぱり1時間半以上は絶対必要だなと。だってビオンって知らないですよねっていう話になります。松木さんも知らないですよねって話になります。
いわゆるコンテナとコンテインド、これを性行為に例えるっていうこの例えは確かにセンシティブであれなので、説明をしっかりしないと怪しいものになってしまう。だからこれも説明しないわけにいかないですよね。
それをここの文脈に一切出てくるはずもない、ビオンも松木さんもおそらく絶対知らないであろうタスクシュートに例えてやがるという、それは私の事情ですが、これをするとなってくるとやっぱりタスクシュートを私がどう使ってるのかの説明は欠かせなくなりますよね。
思考の変形と人生の活動
ここまでくっつけて全部説明して、かなり高速にやって1時間はかかるはずなんですよね。やっぱり1時間半はいるなって思うんですよ。
今回はZoeさんと一緒にやりましたから2時間ですよね。余裕を見て3時間ですよね。質疑応答と休憩時間を考えると2時間半でも限界ギリギリでいけるかもしれませんが、常識的には3時間ですよねっていう話になって、これがやっぱり3時間ですよね。
この次は2時間半でもいいかなぐらいには思っておりますけど、2時間プラスアルファでいけるかなと思うんですけれども、それは頭の中でまとまったからであって、この話、頭の中でまとめながら僕喋っておりましたから、あの日は土曜日はですね、私はこれを考えながらこれを喋っていて、これが出てきたんですよ。
これこそまさにコンテナとコンテナ。私はコンテナーだったんですよ、あの日。で、変形して新しいもの、私のタスクシュート、完全活用というリアルを生み出したんですよ、の説明を生み出した。これがブレインチャイルドと呼ばれるものなんですよ。
だからこれらのことをどこかを端折るとか外すっていうわけにはいかないと思うんですよね。特にこの変形という部分がものすごく重要だと思います。
こうでもいいんですけどね。いずれにしても思考変形消化。これがないと、あの私たちの人生ってものすごくこう直化して、それこそフラスコみたいになってしまって、そこをただタスクが通過していく。なんかこうあれですよね、ダストシュートみたいですよね。
なんかこう刻んで粉々にしてタスクをね、なんかそれをもって仕事とする。そこを通過していくのが私の心であるみたいな。なんかこうですね、そんな機械的なって感じが。しかもそれは生きてる感じが全くしないじゃないですか。
とても厳しい人生だよね。それどんどんどんどんフラスコに入ってきて、フラスコ割れるんじゃないかと心配して、なんかカッターみたいなのでガーって刻んで、それがなくなればまあオッケーすっきりみたいな。いやいやいや、まずいだろそれっていう感じがする。
なぜそういうことが起きるのかっていうと、一つにやっぱり消化機能が低下するかなんだと思うんですよね。心の変形が行われない。変形が行われないっていうのは胃が食べ物に合わせて形を変えられないということですから、当然機能がしているにせよ大変弱ってますよね。そしてそれが溢れ出ることをとても恐れている。つまり破綻恐怖に近いものがありますよね。
この場合は仕事が破綻するっていう恐怖なんで、非常に言葉としてもマッチしているわけですけれども、やっぱりそういう恐れを抱いているわけですよ。これはもう別にこういう例え話を使わなくてもみんなが恐れていることなんですよ。タスクリストがいっぱいになりました。狂気の美景ですとかそういうことを言ってる奴はすべて同じことを言ってるわけですよね。
この同じそういうことを言ってる内容という奴は、奴っていうのはつまり内容ってことね。破綻するという仕事が溢れ返るという奴ですよ。この種の主張というのはすべて同じことを言ってるんです。タスクシュートであってもGTDであってもその他のトゥードゥリストでなくてもスケジュールカレンダーいずれも溢れるということを皆様恐れている。
当然溢れれば仕事が終わらないわけです。それに対する釈明もどこかに対してなされねばならない。多くは上司でしょうけれども、上司の人とかお客さんとかクライアントさんこの場合はね、私の場合も私は溢れることを恐れることはほとんどないですけれども、やっぱり溢れるということは自分の手には負えなくなるということであって、これを恐れるわけです。逆流ですよ。
胃で物が逆流するというのはやっぱり嫌じゃないですか、あれ。それが致命傷になることは滅多にないですけど、嫌なものはものすごく嫌ですよ。あの感じを心でも当然やりたくないわけですよね。従って我々は心を強くするとかいうことをやり始めてしまうわけです。で、私はそれは強くなるのではなくて固くなるだけだという感じがするんですよね。変形が効かなくなっていく。変形が効かなくなっていくということは受け付けなくなっていくってことが胃が受け付けないって言い方します。
心と体の関係
けれども、やっぱり心が受け付けなくなっていく。受け付けなくなると何をするかというと排出することになってしまうと思うんですよね。この排出した結果が、まあいわはパーソナリティ障害じゃないですか。
意図的に排出するとパーソナリティ障害になっていきますよね。もうなんかこうこれは私のものではない。これは私の責任ではないということで、どんどんどんどん外に出すということをやっていく。
人に押し付けるっていうことをやると多分にナルシスティックな雰囲気っていうのが出てきたり、あるいは体に押し付けて体の症状として、仕事が立て込んでくると吹き出物がいっぱい出るとか。
口内炎ができるとか、これは体に押し付けているわけですよね。あるいは体に押し付けることをより一層促進するために防音防食に走るとか、寝ないとか、寝ないというのは完全に体に押し付けてますよね。
負担が体に押し付けられるっていうことは、やっぱりヒステリー的な症状、つまり身体症状を伴う乖離みたいなことが起きますよね。なんとなく乖離感あるじゃないですか。心がフラスコになっていて。
そこに入ってくるものは通過していく感じ。自分のものとしての消化ではなくて、単なる被災活動みたいになってしまうわけですよね。
しかも、ゴミになったみたいなものは体に押し付けるってことになってくると、体に何か症状出ますよね。これが身体症状、心身症における身体症状みたいな感じになっていくと思うんですよ。
こういったことが全て、私はまず大橋哲夫さんの発案によると、そこをモニタリングしろって記録しろと。どういう状態で今あり、どういう順番でこれが消化されていくのかな。
言ってみれば見通しみたいなものを自分に示し、今どういう状態で、これまでどういうことを消化してきたから、次のこれを選択できるのかということをモニタリングしろと。
かなり理にかなった方法だと思うんです。なんかこれは食事計画みたいなものを感じさせられますよね。やっとお腹が落ち着いてきたから、次はちょっとおかゆにしてみましょうみたいな、そういう雰囲気の話ですね。
これって結局、我々は常時やらなきゃならないことだと思うんですよ。だから私24時間と言ってるわけですね。
これの活動が止まることってないんで、言わずにずっと活動してるじゃないですか。休んでることあるかもしれないけど、心も休めるべき時もあると思うんですけどね。
発散っていうのは私は大変微妙な感じにするんですよ、この文脈において。よくこうなってくるとストレス発散とかをやり始めるわけですよね。
でも、それ自体が時間使ってますよってことを示すこともファクトシュートの一つの仕事なんですけど、発散っていうのは排出とよく似てるんですよ。
メラニ・クラインが言うところの排出ですね。それはもう受け付けないから、外に出すからねっていうあれですよ。
外に出すと何が起きるかというと、さっき言ったように身体に出すと身体がそれを引き受けなきゃならない。
松木邦弘さんはこれをかなり厳しい言葉で身体搾取って呼ぶんですけど、そこまで言わなくてもって思わなくはないんですけどね。
搾取、搾取と言えば搾取か。
藤野圭三さんのGood Vibesを思い出せますよね。身体に罪はない。身体に罪はないのに身体に負担を押し付けて、身体が悪い身体が悪いって言って毎日身体を出席している。
そういうのやめようねっていうあれはノリですよ。
で、身体に押し付けるっていうのが嫌だった場合、人に押し付けるしかないわけですよね。外部に押し付ける。外に出すということです。
汗にして発散するってのはまあまあ悪くないのかなと思うんですけど、人に発散するってことは、つまり怒鳴るわけですよ、簡単に言うと。
あるいはこうめちゃくちゃ上司の悪口をどっかで言うんで、つまり出席っていうのはそういうことなんですよ、精神分析的に言うと。
コンテインド、中身として自分の心に収納できないものは外に置く。
で、これって抽象的な話をしてるんで、あのドーナツの話をしてるわけでもないですからね、具体的に。
抽象的な話をしていますから、抽象世界の中では何が起きるかというと、このタスクの責任、このタスクなぜ今日終わってないんですか。
いや、だってあなたの言い方が悪いんですよ、伝え方が悪いんですよ、これが外に出すってことですよね。
このタスクがまだ終わっていないのは、私の消化が追いついていないから、これが自責ですね。
タスクシュートの重要性
これはこれであれなんですけど、他責というのは、いやいや、これはあなたのその伝達の仕方が悪いから、今日が締め切りだなんて分かってなかった。
分かるように言ってくれればやったんですよっていう、これが外に出すってことですよね。
ここで誤解されたくないのはですね、そういうことはあり得るよね、ということです。
他責というのは妄想だって言ってるわけじゃないんですよ。
どこにその苦しみとか苦悩とかを置くのかって話をしてるのであって、
他責よくないよねとか、自責もやめましょうねとか、そういうことを言うよりもまずですね、
どこに自分はお痛みだろうということを認定することの、自覚することが、何で外に置くのかということ。
外に置かなければならない理由は何なのかということ。
他責をするかどうかっていうのは、社会的には大事なことなのかもしれませんけれども、
心理的にはあくまでもこれはモニタリングの対象であって、
道徳的非難とか社会的責任の話のテーマではないんですよね。
私にとっては少なくもそうで。
この人が他責してるっていうのは、その人を悪く言ってるわけではないんですよ。
その人が他責してるというのは、心がいっぱいなのかもしれないし、
それしか扱い方を知らないのかもしれないし、自責すきゃいいってもんではないんですよね。
世の中では自責すれば他責よりはマシなのかもしれませんけど、
私はこれは基本、未消化のものがコンテナーの中で苦労をかけているという意味においては、
どちらだって同じようなもんだろうと思うんですよね。
自分の心に負担をかけるのか、外に出そうと頑張って、
他人がそのことを嫌悪するのかという程度の差でしかない。
しかも戻ってくるんですよ、これは。
例えば他責と言っても必ずしもその人に告げるとは限らないじゃないですか。
ちゃんと伝えてくれないからって心の中で苦労していると。
これは他責かもしれないけど自責に限らなく近いですよね。
自分の心のコンテナーに負担が戻ってきますよね。
この時に迫害感というものが心の中に、つまり胃の中にですね、
いやなんかこの食べ物好きで食べたわけじゃなくて、
無理やり食べさせられたんだよみたいな感じがしてくる。苦しいんで。
だから何かここにではないが食べてしまったみたいな被害感が出てくるわけですよ。
これを欲打つと言うんですね。
だからトラウマと欲打つっていうのはとっても切り分けるのが難しくて、
どっちがどっちだか何とも言えないような話だけ、お話だけ伺ってますとね、
もうこれは何かいわゆる心の傷の話になっているのか、
それとも欲打つ的な自責なのか、何とも言いようがないなっていう。
もちろんここをきっちりアセスメントすることの重要性とかも松木くんさんが書いていて、
とはいえベテランになっても実際難しいし、話を聞いていかないと分からないこともあるんだと言いながら、
きっちりアセスメントできないとダメだよみたいな感じで、
あの人はそういう意味できちんとしていて厳しいなっていう感じなんですけど、
私はそこはね正規じゃないということで、
何となく僕はいい加減なところがあるんで、
何となく曖昧なまま、でもどっちだか分かりにくいよねこれはっていう、
とりあえずでも私はどっちだか分かりにくいときにはトラウマ線で置いておくんですね。
というのはやっぱりその人は何らかの意味で私の仕事においてはビジネスメンタルの問題になっている。
つまり仕事で何かが苦しんでいるというときは、
たとえそれが真的現実だという線が色濃かったとしてもですね、
なんかあったと思う。だってわざわざ会社に行って何か被ってきてるわけだから、
悪害感を持つのはある意味、これは僕の偏見もあるかもしれないけど当然じゃないですか。
だって会社って結局競争社会になっているわけですから、
競争するところにおいて傷つきますよね人はね。
やっぱり競争って勝ち負けがありますから、
勝ち負けには責任というものがどうしても野球を見ているとしょっちゅうですね、
永久戦犯とか出てくるわけですよ。
今年の優勝を逃した戦犯は誰だという。監督が悪いのか、予判が悪いのかみたいな。
すぐそういう話になるわけですよ。競争してるからね。
で、形があれほど明瞭でなかったとしても、
委員のように会社も同じことをさせられているわけじゃないですか。
業績の競争をしているわけですよね。
営業成績みたいなのは目に見えて分かりやすいですけど、
それだってそんなこと言って戦犯とか言ったら、
売ろうとしてる製品が悪いんじゃないんですかって話になったりするじゃないですか。
何が悪いかって結局、特定できるはずはないんだけど、
でも未適する時に人はですね、
自分のミスが会社に迷惑をかけたとかそういう話になるじゃないですか。
大体僕はお話を伺っていると真的現実だなって思うんですよ。
つまり現実そのものとは相当ほど遠いな。
きっかけとしてはですね、そういうことがあったにしても。
で、心が一個そういうミスみたいなものがドーンと入ってきて、
さっきのフラスコみたいな心がガラス細工みたいになったりすると
ヒビが入るみたいな。
こうなったらもう遠景もヘッダクでもないわけですよね。
トラウマと欲打つ
そこに入ってきたものは全く消化されず、どんどんどんどん積み上がっていって、
お腹の中に食べ物が消化もされず、どんどんどんどん入っていくと
何が起きるかってことですよね。
で、これを私はこういう時こそ、こういう時になると
タスクシュートなんかやってられませんってなるんだけど、
でもこういう時こそモニタリングってものすごく意味あるじゃないですか。
言いたいわけですね。
こういう時にもなおじりっじりっと、僕はすごい好きなんですよね。
そういうのがね、じりっじりっとですね。
自体ってものはゆっくり進むときに価値が、本領が発揮されるってのが
僕の偏見、偏見ではないと思うんですけど、ある種思い込みがあってですね。
じりっじりっと良くなってくることってあるんですよ。
そうしつつ、例えばデジタルなんかでも、大きいファイルを昔のパソコンとかでコピーすると、
1%に到達するのも10分くらいかかるってこと。
でも、あれだってずっと根気よく待ってればですね、
ゲロつくと62%とかになって、おーって思わないですよね。
なんかあの、あれですよね。
あぶなれ石を穿つ的な世界で、3年かけて石が削れていきますみたいな。
でもあれは、僕は心の本領だと思うんですよ。
心は頑張ってるよっていう。
これを、やっぱ、なんていうのかな。
そこには、ある種の価値観が出ちゃうんですけれどもね。
そいつを信用しましょうみたいな。
なんか、例えばうちも、つい最近ちょっと家族旅行行ってたら、
ガーデニングのね、庭の植物が全部しおれて、つにゃーんってなって。
なかなか回復しなかったんですよ。
でもこれもね、水をやって4日経つとですね、
なぜか全てが復旧してるんです。
目に見えて動くことはないじゃないですか。
ピンと、この時ピンとなりましたみたいな。
そういうことは起きないんです。
グルって。
目に見えないところで動くんだけど、
地元どっかで何かが進行している。
頑張ってるなぁみたいなのは、こういう時に感じるわけですね。
だから、安易に心をガラス座肉にしてはいけないっていうか、
硬直しかけているかもしれない。
固くなってるかもしれないし、
消化が全然進んでないように感じるかもしれないけど、
よーくマニタリング。
ここでタスクしようと役に立つと思うんですけどね。
よーくマニタリングしていると、
なんか1%ずつそこの方で消化活動が行われていて、
これがあなたを必ず救うんですという話がしたいわけですね。
やっていかします。
この話はやっぱり大棒で、
私はやっていかなければいけないような気がしている。
全然タスクしようとの説明として、
王道にはなってないじゃないですか。
どう考えてもその説明を持ち出していくのはおかしいだろうって、
多分専門の青春ムズキの人とかだと特に思うと思うんですよ。
なんでそこで美音を出すみたいな。
松木くんにもいらないでしょっていう。
タスクシュートとPDCAの関係
でもね、いるんですよ。
じゃああれをPDCAで説明できるでしょうかと。
できるんですけどね。
できるんですけど、
でも僕の実態には全然そうはない。
昨日も食事しました。
今日も食事しました。
昨日もトイレで代打しました。
今日も代打しました。
なんでPDCAがあるっていう感じなんですよね。
より良いトイレットのためにはとかってやります?
やらないですよね。
逆になっちゃいますよね、そんなの。
セミナーで笑い取る分にはいいでしょうけれども、
私は別にそんなことはしていないなって感じがするんですよ。
記録は欠かさないけれども、
PDCAしてる間は全くないんですよね。
何かを改善しようという気はない。
ないですよ。
だってそんなこと改善の余地は別にないで。
調子がめっちゃ悪いときは改善の余地ありますけど、
そういうときはタスクシュートでPDCAやるんじゃなくて、
ビオケルミン飲むべきなんですよ。
それでこと足りるんだ。
例えば認知行動にうってつけのようにある意味見えるんですよね。
タスク、狂気のビューティア。
やりすぎているタスクを認知の歪みを。
認知の歪みってあんまり最近言わないらしいんですけど、
どうなんだかなって思うんですけどね。
とにかく認知というものが正しくありません。
適切な認知にして行動を少しずつ修正して、
マイルドな夜もしっかり寝てね。
そんなことを言えばできるんだったら、
ビジネスメンタルとか言う必要どこにもないじゃないですか。
やっぱり11時には寝て、6時に起きて朝活してみたいな、
それが全部スイスイスイスイできるように、
タスクシュートを使いさえすればできるようになるとでも言ってあればですね。
そして僕はもう一つ、
これあんまり言うとあれなんで、
ここの場面、ここで言ってたら世界中で聞けるんですけど、
ここだけにしておくとですね。
そうやって11時に寝て、6時に起きて朝活をマインしていて、
なんか行動的には素晴らしい感じがするんだけど、
それによって少しも調子が良くならない日々がやってきたってことが、
私の身には起きたし、しばしば起きるんですよ、世の中的には。
いやいや、そんなはずないでしょ。
それは良いことだよって思うかもしれないけど、
調子はこれで確実にくぐれていくってことが現実に起きるんですよ。
なぜ起きるのかも、今日ある程度説明できたと思いますし、
完全活用実の日には完全に説明しきったと僕は思ったんですけれどもね、
いずれにしても起きるんです、そういうこと。
11時に寝て、6時に起きて、英語の勉強して、ランニング行って、
すっきりして、何もかもが素晴らしい毎日を、
毎日確実に遅れていて、朝はAirPodsで英会話の何とかとかを聞いたり、
自分の仕事に役立つ何とかとかを聞いたりしていても、
調子は毎日のように悪くなっていて、少なくともよくは少しもならないな、
何なんだろう、みたいなことが起こるんです。
だって、ジェイン松崎さんに起きたんだから、そういうことが。
私は絶対それは起き得るんだと。今ではその説明もできるんですよ。
だけど、これを言って、それをやっている人の希望をわざわざ打ち砕くのも、
一味悪いなと思うんで、説明は捨てます。
どれがそれになっているのかの説明はしません。
別にそういうふうになさっている方が、そういうふうにする分にはいいと思うし、
必ず絶対に調子を崩すってわけじゃないです。
ただ、人間というのは生きていれば、いつか必ず調子を崩す日は来ると思うんですよ。
PDCAに邁進していて、大谷翔平のように日々を送っていれば、
調子悪くならないなんてことはないと思うんですよ。
調子の波と行動の影響
だって、大谷翔平さんだって調子悪い時あるじゃないですか、明らかに。
ないように見えるかもしれませんが、毎日見てればわかりますよ。
私結構毎日見てますからね。
ありますよ、明らかに。
あれは7月ならホームランにできてたな、みたいなものが、
なんかセンターフライになっちゃうんですよ。
そういうことは起こるんですよ。
それは大した差じゃないじゃんって思うかもしれないけど、
それは大リーガーじゃないからそう思うんですよ、我々が。
大リーガーだったらやっぱりあれは大した差なんですよ。
ホームランとセンターフライって全然違いますからね、評価が。
明らかに調子の波ってあるじゃないですか。
そのぐらいはいいんですっていうのかもしれないが、
どのぐらいが良くてどのぐらいが良くないのかを
我々は知らないことなんですよね、はっきり言って。
行動を改善するとかPBCAしますみたいな話って、
調子の波が下がる理由っていうものを説明できてる気がしないんです。
完全にPBCAすれば改善されるっていうのが本当であるならば、
悪くはならないはずじゃないですか、絶対に。
調子を崩す理由ってないことになりますよね。
平らだからですって言う方もいらっしゃる。
じゃあなぜ平らなんですか。
平らはどこから来たんですかっていう説明が
一切なされてないと思うんです。