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2025-08-22 37:22

投影すれは「何か」が起きる【1235】

投影同一化と「引き寄せの法則」は異なるものだと私は思います。
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サマリー

このエピソードでは、メラニー・クラインの投影同一化の概念とその影響が語られています。投影が人々の生活や防衛システムに与える影響や、その背景にある心理的メカニズムが探求されています。赤ちゃんの空想機能を通じて、空腹や不快感を外に出すプロセスが、成人にも影響を及ぼすことが語られています。特に、ナルシシズムや自己中心的な世界観が、他者との関係にどのように影響を与えているかが探求されます。また、無意識の欲動が人の行動や周囲の現実に与える影響についても考察され、投影という心理的メカニズムを通じて、個人の感情が他者や環境に反映され、コントロールしようとする様子が語られています。投影の概念を用いて、人間関係や恋愛のダイナミクスについて考察し、理想化のプロセスが探られます。

投影の概念
おはようございます。朝っぱらから精神分析、第1235回をお送りします。8月22日、金曜日、8時17分です。
ちょっとなぜなのか、なんとなくイメージをつくるんですけど、なぜなのか、スタイフの視聴者さんがですね、フォロワーさんというのかな、ちょっとだけ、5名ぐらい増えたんですよ。
すいません、ありがとうございます。この番組、超弱小番組なんですけど、毎日聞いていただいた方には大変感謝したいと思うんですが、
5名増えたじゃないですか。じわりじわりと減ってきて、今はもう前より3名増えたぐらいになっているわけですね。
なんかこう、さもありなんて感じがするんですけど、やっぱり毎日面白くないよなっていうのを考えつつ、自分はこれ以上面白くできないので、ここがやっぱり自分の限界だなと思いながらですね、
最近こう、いろんな方々のご活躍中の、割と昔なじみの人たちを見ていて、自分は結構頭悪そうだなって思うようになったんですけど、
これが何の話をしているかというと、投影の話をしているわけですね。
明日、明日だよな、タスクシュート完全活用術というのをセミナーで一応やりますんで、一応というか割とがっつりやるんですよ。
で、このがっつりが異常に早く満席になっては、こちらも大変ありがたい限りなんですが、これだったらもうちょっと続編やろうかっていうか、続編はない気もするんですけどね。
一回で伝わるかどうかわからない話をするので、しかもそれが2つあるんですよね、最低でもね。もしかすると3つかもしれないんだけど、
そのうちの1つに、1つにというか、どうせ投影の話は絶対しますから、最近ちょっとまた松木さんの投影の本を、割と基礎的なやつを読み直していて、
すげえ勉強になるんですよ。非常にびっくりするんですよね。びっくりしたわけです。
防衛のメカニズム
で、私は古株の、古なじみの人たちの中でも必ずしも私とそんなに縁の深くない人たちの活躍を見て、
自然に松木さんもそうなんだけど、彼は身近ですけどね。そうか、やっぱり、つまり投影してるんだなってことに思い当たってですね、
この投影というやつがですね、私たちの人生には、もしかすると投影ばっかりなんですが、仏教とかそう言いますよね。
全部陰だぐらいな勢いで言ってますけれども、ところが、これが、ここがすごく難しいところなんですけど、
いかにオカルトでないかの説明に不信した人がメラニー・クラインという人だと思うんですね。
だから対照関係論、これがメラニー・クラインの率いてきたイギリス学派っていう精神分析の中でも非常に主要な学派なんですけど、
最大規模なのはアンナ・フロイトの自我心理学派ですけど、ナンバー2が多分対照関係論だと思うんですよね。
ラカン派がいますけど、ラカン派はそんなに非常にデカいってわけじゃないと思うんで。
あとコフードの自我心理学があるけど、あれ精神分析なのかな、難しいところだと思いますけどね。
でも彼、会長だったけど波紋された人ですからね。難しい人ですね。
そんなこと言えば、クラインとアンナ・フロイトは全然仲良くはないんで、多分難しいところはあると思うんですけど。
で、私は多分にクライン寄りなんですよ。
僕は歯に入れてもらってないからクライン歯ですってわけにはいかないんだけど、
まあその寄りなわけです。何が寄りかって、やっぱり投影というものの扱いなんですよね。
つまり、カンバーグっていう超有名な人がいるんですけど、
まあ私もアメリカで留学したからカンバーグを知らねえってわけにはいかないんで、
カンバーグは名前は知ってるわけですけど、この人の貢献って非常に大きくて、
いわゆるボーダーラインとかパーソナリティ障害といったものを、
体系的に紐解こうと思ったら、この人に出くわさないわけにはいかないっていうね。
先日、ナシー・ウィリアムズさんという辞典みたいな本を書いていて、
この人の本も大変読みごたえがあるんですけど、
ただ、自我心理学派の人たちの非常にまとまりというか整理のついた感じというのは、
最初読んだ時は感銘を受けちゃうんだけど、
現実に人のセッションでお話を伺っていますとですね、
濃いめの話を伺ってると、あの整理のムリムリブリがあっちに合わせようとすると、
話がわけわかんなくなっていき、話をよく聞いてると話はわかるんですよ。
人がしてくれる、言うならばその人の老いたちの話ですから、わかんないってことはマジないんですよ。
ところが、あのまとまりの良さはどこいったっていうぐらい、話に対する整理づけとしてはおかしいわけですよ。
ムリが、すごくよくできてるんだけどしかしムリがってことがわかってくるんですよね。
どうしてもわかってくるんですよ。
要するに枠はきちんとしていて、この枠組みでいけそうに思うんだけど、
現実にその枠を当てはめようとすると、どうしてもハマらない部分が出てきて、
よくあるじゃないですか、過去にちょうど入りきらないんだけどみたいな、ああいう感じが強く感じさせられるんですよね。
自我心理学派の整理ってやつは。
で、今はもうああいう整理づけが、Xとか見ててもね、なんかなんとかの週刊15みたいなのをインフォグラフィックで美しくやってるじゃないですか。
あっち受けいいんですごく、みんなあっちでやっちゃってるんだけど、
でも本当に臨床の現場でやってる人、この枠組み使っているのかなっていう風な気がするぐらい、
どんな人の話を伺っていても、なんかね、混沌としてるわけですよね。
人参とじゃがいもと鶏肉がきちっと分けられているケースがあっても、それではカレーはできないですよね。
混ぜることになりますよね。
混ぜたものが出てきたときに、いちいちそれをまた枠に合わせて分類する意味って何だったろうみたいな感じが感じられてしまう。
中でも一番重大な問題を引き起こすのが、ナルシシズムって概念とボーダーラインって概念と、
あと東映のような、いわゆるカンバーグさんが未熟なとか、原始的な防衛規制。
あの人防衛規制の枠にはめることをしたがる。自画自賛は基本そうなんだけど、
空想と具体性
否認と、それこそ東映ですよ。
あるいはスプリッティングとか全て防衛、つまり心を守るためにやっている。
それは確かにある程度以上そうなんだけど、防衛というのはいろんな、
これがメラニー・クライン的なんですけど、システムなんですよね。
否認しつつ回避するみたいな感じなんですよ。
否認という防衛があります。回避という防衛があります。
で、こういう人は回避的な人、回避性人格障害みたいな人の枠組みになって、回避という防衛を使うんですみたいな。
それは使うんだろうけど、なんかこの、何て言えばいいのかな、要素分類のしすぎっていうのかな。
まあそういうことを、だからこの辺もすごい込みったことについて、
外側から素人が言ってるから、素人だから言ってられるっていうところもあるんで、
そこはもうちょっとこの際、振り切っていきますけど、
要はついていけないわけですよ。要はついていけないわけです。
投影というのがカンバーグ的に言うと投影という防衛がありますになっちゃうんだけど、
投影という防衛はあるけど、それはやっぱり投影同一化になっていくようになっていく。
で、投影同一化っていうのはメラニー・クラインの極めて主要な概念なんですよ。基礎概念なんですよ。
で、投影同一化という基礎概念はですね、防衛の一種みたいに扱うと、なんかすごいつまらないものになってしまうんですよ。
しかもちょっとオカルティックだし、オカルトじゃないし、単なる一防衛の手段ではないように投影というものを考えていくと、
投影同一化というものが起きる。これがね、一人歩きするんですよ、また。
なんかちょっとスピっぽくなったり、自己啓発っぽくなって、引き寄せの法則みたいな話になっていくんですよね。
そうなんだけど、そうじゃないんですよね。なんかこう、反復と投影同一化、ほんと引き寄せの法則の話に非常に簡単に入るし、
自己啓発の人は、知ってる人も知らない人も、精神分析とか精神力度とかを知ってる人も知らない人もわかるんですよ、引き寄せの法則を言っておきたくなるのは。
どっかオカルトっぽい方が受けがいい面もあるでしょうし、そもそもこの方が話がわかりやすいから。
そういうね、人の悪口ばっかり言うと悪い運を引き寄せますよみたいな。近いんですよね、ものすごくそれは。
でも、人の悪口ばっかり言ってると悪い運勢を引き寄せてしまうみたいなのは、何て言うんだろうな、話が大きすぎるんですね。
投影同一化はもともと、絶対あれは投影同一化から来てる話なんだけれども、あるいは、そうだな、投影同一化でなければ反復脅迫か、でもそれはほとんどラインの世界ではものすごく酷似したものになっていきますからね、やっぱりね。
システムなんですよね、それは佐藤している。で、未熟な防衛ってカンバーグのような人は言うんだけど、防衛を分けてるから、いろんな否認とか回避とか、知性化とか合理化は成熟している大人の防衛みたいな。
だからその、単にスプリットしたり、単に排出、うんこ投げるみたいな、それは子供の防衛だねみたいな言い方をするんだけど、メラニック・ラインは絶対そういうことは認めないんですよ。
彼女は卒業できない世界観を見てますから、いや、あらゆる関係に投影同一化が起きてるんですよって言っていて、私はそこにものすごい感銘を受けてるわけです。
なぜなら私は大博会で投影同一化を何度も何度も目の当たりにしてきて、これだけ理知的で、いわゆる有名大学を出ていて、社会適用もちゃんとしていて、何なら私なんかより全然高額を稼いでいる人が、
普通に投影同一化を引き起こすし、防衛のためにばかりやってるわけじゃないなという防衛システムなんですが、しかしそれは、なんて言うんですかね、無意識に作動してしまっている、そういう製造戦略みたいな、あるいは心の構造の繁栄であって、
決してそれは、備塾だからやってるとかいうレッテルに使えるようなものではないんですね、っていう話は土曜日にもかなり突っ込んでやることになるんですけれども、どうしてそういう話をするかというとですね、
暗い意味の説明は必要なんですよ、どうして、まず赤ちゃんは空想でですね、空想で空腹に耐えがたくなってくると、暑さにでもいいんですけど、空腹がいいんですね、お腹の中に悪いおっぱいがあると、そういう空想するんですって話をしてるんです。
これがなんかセクシャルで気持ち悪いって言われるもんねけど、気持ちが悪いのはセクシャルだからじゃなくて生々しいからなんですよ。
この生々しさがめちゃくちゃ大事なんですよ。なぜならば、ここで変な言葉が出てくるんですよ。具体的な空想だから。具体的な空想っておかしいじゃないですか。空想っていうのは具体性がないから空想なんだけど、でも赤ちゃんは自分の体の状態と連動した空想をしてると言いたいわけなんですよ。
これが投影同一化というものなんですね。万能空想でもいいんだけど。つまり空想に違いはないんですよ。間違ってるから。悪いおっぱいとかお腹の中にないじゃないですか。ただ赤ちゃんは何かお腹、空腹ってものがまだわかってない赤ちゃんは何かお腹のあたりがおかしいんではないだろうか。
そして何かとにかく不愉快である。で、不愉快という概念も知らない。お腹という概念も知らないから、感覚的に生々しく空想することしかできないわけですよ。抽象的な空想はできないわけだから。だから、この何かとにかく良くない、何か辛い。
赤ちゃんの空想と空腹
我々はこの辛さを感じたら、物を食べればいいってわかるんだけど、赤ちゃんにはそれすらわからないから、これは辛い。だから出そう。だって悪いものがあるんだから外に出しましょうと。そしておしっこすると。こういう風に空想してるわけです。おしっこするとすっきりはしますよね。
そして、あー良かったと。お腹空いてるのにおしっこしてあー良かったはおかしいんだけど、そこは空想の世界なんで。これを万能空想というわけです。辻褄を自分の心の中で勝手に合わせてしまっていますから。でも、それが具体性を全く持たないわけではない。むしろ赤ちゃんには具体性の全くない空想とかはできないわけですよ。
めちゃくちゃ具体的な世界に、つまり自分の体の状態というものと連動し、こうし、おしっこしたからすっきりする。だから良いことが起きた、みたいな。ここはおかしくない。ただそれは、空腹をきっかけにしてるところも、はなはなおかしいわけですね。
で、クライーンはさらにそこをなまなましくするために、大便という有害な臭さみたいなもの。何言ってんだって話になるんだけど、そうじゃないんですよ赤ちゃんは。だっておっぱいくらいしか知らないもんって彼は。彼は彼女は。人生の中でまだ。だからおっぱいを取り込んで、あ、あれは悪いおっぱいだった。悪いってものを食べちゃったみたいな感じでね。あれは悪いおっぱいだったと。
そういう概念もないんですけど、言葉がないから。悪いおっぱいを何かを心、お腹の中で食い荒らすみたいなことをしているから、だからあのあれですよね、キシボジン、食人鬼みたいなイメージが出てくるんですけど、そんな具体的なイメージはなくて、とにかく悪いおっぱい的なものが体の中で悪さをしているから、これを大便として排出して、おっぱいを吸えばくれたあいつがいたから、母親ね、あいつのところに投げ返せばいいの。
これが万能空想というものなんですよ。そうして空腹というものを撃退し、空腹を撃退するっておかしいですよね。でも空腹を撃退し、ついに勝ち取りましたみたいな。だから赤ちゃんの世界は桃太郎みたいな、悪い鬼をやっつけるみたいな世界が大好きなわけですよ。
こういうふうにいろんなものが混ぜこぜになって、しかし現実の状況と何かどっか定食している感じで関係して、交互して対応しているという空想をしている。これが投影同一化というものを生み出す。つまり全体的に投影なわけですね。
おっぱいに悪いものを投影する。母親に敵というものを投影する。あるいは悪意というものを投影する。そして攻撃対象というものを母親に投影し、攻撃する武器としてうんこってものを使って、うんこを武器にするっていう形で投影ですよね。うんこは武器じゃないじゃん。
うんこを武器というものにして投影し、お母さんにミサイルのようにぶつけると。そうするとお母さんの体の中にうんこが入っていて、ついにお母さんは悪者として撃退されるっていう、こういうわけわからぬナラティブを考えていて、自分の空腹の苦しみというものを撃退するわけです。
その時にたまたまですけど、赤ちゃんもその時大騒ぎしてんで、このようなドラマを自分の心の中で演じながらぐわーって泣いているわけですよ。そしたところに、なんか知らないんだけど、口の方からおっぱいが、つまり撃退が先だって言われます。
空腹というものはすでに撃退されている。その後、おっぱいというものを飲んでみると、なんか気分が良くなってきた。やっぱりこれは正しいやり方だったんだということで、安心して眠りにつくと。こういう話をメラニー・クライマーはしているわけですね。
で、なんかそんな馬鹿みたいな話は何のためにしてるんだっていう人もいるかもしれないけど、これを我々は成人になってもバッチリやってますぜって言ってるわけですよ。これ赤ちゃんだけが未熟な防衛規制としてやってるわけじゃないんですよって言ってるわけですよ。我々一生これをやり続けるんですよと言ってるわけ。
で、特に精神病状態、つまり精神病の人がいるというか、ボーダーラインの人がいるとかいうよりは、そういう状態になると我々はみんなこれをやりだすと。で、これをやり始めると意味不明じゃないですか。全然合理的なナラティブにならないので、不合理なナラティブを口走って病院とかに連れてかれちゃったり、昔だったらね、昭和だったらするよねっていう話。
例えば非常に極端な場合、このうんこに相当する何か悪いものっていうのが、もっと空想力が働き出すので、大人になると。なんかこう、悪意みたいなものとか、人を攻撃してやりたいみたいな気持ちみたいなものになっていくわけですね。
だって不愉快。この不愉快さを外に出さない。この心の中にある不愉快さを外に出したいという点では、赤ちゃんが空腹を外に出したいってやってると変わらないわけです。不愉快って外に出るはずないじゃないですか。外とか家がないじゃないですか、不愉快に。不愉快に外も家もないわけですよ。
だけど不愉快になると我々それを外に出したいと。そういう、なんていうんですかね、何度も何度もその外に出した成功体験という間違った成功体験を持っちゃってるから、不愉快を外に出したい。これに対して自覚的である人は、つまり正気ってことなんだけど、そんなことはしないわけですよ。
なんかこう、せめて、あんまり良い方法じゃないかもしれないけど、なんか鎮静になるような飲み物を飲むとかそういう、これは取り込みなんですけどね、結局。おっぱい飲んでるのと大して変わらないんだけど、まだマシなわけですよ。
でもこの不愉快を外に出したいぐらいに、無自覚になってくると、無意識ってことですね。無意識で外に出すを外に出そうとするわけ。うんこを出したように、外に不愉快を出しちまえと。
その不愉快さをしかも母親の中に投げ込む、これは分かりにくい例えかもしれませんが、我々はこれに相当することを実はしょっちゅう認識、認識中が誤認してますね。
例えば、うちの奥さん、いつも機嫌が悪いんだよって言っている、とても不愉快さを抱えた旦那さんっていらっしゃいますよね。
これは、人の顔色を伺ってる人っていうのは、赤ちゃんがうんこを母親に投げて、母親は不愉快に一瞬なりますよね。だって赤ちゃんはグーッて鳴いているから、そんなにいつもいつも笑ってられないじゃないですか。
やっぱりこのうんこを投げたのは命中したんだと。だからあいつはあんなに不愉快そうな顔をしているんだと。
これ赤ちゃん何をやっているかというと、コントロールしているわけですよ。このコントロールを我々は気づかないんですよね。
だって、奥さんはいつも不愉快だとか、私の恋人はいつも不愉快だって言っている人は、自分の影響力について絶大な、だからこれをナルシシズムって言うんですけど、絶大な信用をしているわけですよ。
私は奥さんを不愉快にさせるだけの力量があるというか、これはしょっちゅうしてますけど、力があるというか、影響力があると。
全然関係ない、なんか私もそう言ってましたけど、若い頃全然モテませんでした。はっきり言って女性は私に何の関心を寄せませんでしたから。
私、不愉快にする力とかないわけですよ。近寄っていってアプローチかければ不愉快にさせるんだけど、それすらできなかったから。
基本的に私は露毛の石ってやつですよね。気がついてないに等しいレベルなわけです。不愉快にならないわけ。
不愉快に私のせいでなってるとか言っている人は、あの人は本当に不愉快で私つらいみたいなことを言ってるんだけど、つらい方が先なんですよ。
空腹になったのは先。うんこを出したのは先。それによってお母さんが不愉快になり、私がうんこを出したから不愉快になり、そうしてこの空腹を撃退することに成功したから、なんかおっぱいがやってきてスヤスヤと眠れるっていう。
しり滅裂なストーリーだけれども、こうすると自分の中心の世界というものが描き出せるじゃないですか。この考え方によって私たちは何か私がつまらないことを言った。
ミスをしたから上司は不愉快になったっていうふうに世界を作っていくわけ。そうすることによって何をやっているかというと、無意識はこれでつらいけれども、つらいのはもともとつらいんだから、
ミスとかをしたり、会社に行くとか、暑い中、通勤するとか、辛さはずっとあるわけですから、この辛さっていうものが撃退されることこそ大事なのであって、
そのためには世界というものをコントロールし続けなければいけないのでありまして、上司がランダムに不愉快になっちゃ困るわけですよ。私がミスしたから上司は不愉快になる。
上司は実は多分何も関係ないんですよ。上司は上司で全然違うことで不愉快になってるんだけど、これの方が怖いんですよ、多くの人にとって。特に赤ちゃんにとってはこれは怖い。
我々はつまり無意識で精神病状態に近い水準においては、自分のコントロールというものをものすごく大事にしているので、
いきなり上司が不愉快になりました、激行しましたっていう世界で、そういう会社にはとても言ってられないので、私が○○したから、私が何かをしたから不愉快になる。
ってことは、私が何かをしなければ不愉快にならないという、実にナルシシスティックな、これはナルシシスティックって言うんですよ。
俺素晴らしいじゃないですか。大体ナルシシズムの人っていうのは特に適応水準が高いナルシシズムの人は、人の顔色をめちゃくちゃうかがうわけですよ。
これを薄皮のナルシズムってちゃんと名前がついてるんだけど、あるんですよ、そういう世界。
何でもかんでも私がコントロールできちゃう世界。だから万能空想であり、万能空想は怖いわけ。
あれですよね、よくこう、すごい難しげなシューティングゲームで、コントローラーをそんなに触るなみたいなことってあんまり言われないか。
人間関係と自己中心的な世界
あるんですよ、シューティングゲーム、なんかすごい高速で自分の飛行機が移動して、ミサイルを網の目のようにくぐり抜けていかなきゃならないゲームって、
ちょっと触るとすぐに移動しちゃってドカンってなるから、下手にやたらと触らないことが大事。これとよく似てるんですよ、万能空想は。
ちょっと空想するとガラッと世界が変わってしまうので、だから自分の世界というものをむやみやたらと動かさないほうがいいんで放っておけばいいんですけど、
これが難しいんですよ、このナルシズムの人の世界っていうのは万能空想の世界なんで、ちょっとしたことで、
ちょっと自分が不安になることで、その不安を投影した怒っている上司とか不機嫌な上司というものをパッと作り出してしまう。
これがポンポンポンポン動くんで不安定なわけですね、世界というのは。それは自分の心に応じて動いちゃってるから不安定なんです。
世界はもっと安定していて、つまり自分と独立し、ある意味自分と関係ない自律的に回ってるんだけど、そのことがバランスとして少ないんですよ。
ナルシズムの世界に住む人ほど少なくなっていくわけです。自分の心次第で世界の動きが変わっていってしまうので、自分の心の動きは現実よりも簡単に多くじゃないですか。
太陽とかじっと見ててもそんな動かないじゃないですか。いずれは夕日になっていくんだけど、長い時間がかかるし、現実ってそうそうホイホイホイホイは動いてくれないんだけど、
自分の心っていうのは割とカチャカチャカチャカチャ目まぐるしく動くんですね。これに少しでも交互させ、交互させることを投影ドイツかっていうことに話をしましたよね。
この交互が起きるから上司は機嫌が悪くなると。だから私が何かを排出、ミスとか不機嫌を排出したから上司の機嫌が悪くなったんだっていう世界に生きているわけですね。
で、現実にそういう世界観を持ちながら動いていると欲動ってものがあるので、だから欲棒じゃないんです。欲は動かすんですよ。自分を動かすし、人を動かす。
なるべく自分が想定した世界に沿っていくように、現実に働きかけを始めてしまうんですね。
投影だけでは済まず、不機嫌な上司っていうものを投影したら、自分の不快感っていうものを上司に投影してるわけですから。
赤ちゃんが自分の空腹からの大弁という有害なものをお母さんに投影したように、お母さんにねじ込んだように。
自分の中の心の不快感っていうものを上司にねじ込んだから、上司は不快なはずなんです。不快でなければいけないんです、無意識的に。
そうじゃないと、現実の意識を誤っていることになるので、現実は違うかもしれませんよってそういう人に言うと、だいたいあっさり否定されるじゃないですか。
現実はそのようなミスであなたの上司は怒ってないかもしれませんって、あなたは私の上司っていうのがわかってないっていうふうに、必ず反論されるはずなんですよ。
これは、無意識がこういう欲動を持ってるってことなんですよ。世界を作り出したいってこと。
メラニ・クラインが言ってる欲望とは全然違う世界、欲動ってのはですね。欲動ってのは世界を作りたいという欲求なのであって、しかも作れる分だけは自分で頑張って作っちゃおうってことをやるんですよ。
つまり何をやるかというと、可能ならば上司を本当に不機嫌にしようと。
何故ならそうすることで、私の世界の中で私は生きている、私の世界観に合わせて世界は動いていると思った方が安心できるからなんですね。
これをやることによって、だからしなくていいミスの報告を上司にあえてするとかいう、ある意味では不思議な、正直なようなんだけどある意味では不思議な。
だって黙ってると罪悪感があっていうように、無意識がちゃんと働きかけをしてくれるんで。
で、必ずしもいらない報告。やや早すぎる報告。
つまり間の悪いタイミングでする報告みたいなものをやって、これを引き寄せと呼んでるんでしょう、多分。
これは引き寄せではないと私は思う。てか、引き寄せとかいう言葉がいらない。
党営と同一化を万能空想的に、その方が面倒くさいか。
でもこの方が言葉は節約されてるんですよ。万能空想ってのは悪者にでもできることですから。
我々絶対できるんですよ。引き寄せってなってくると、なんかちょっとかなり神秘的なものが必要になってくるけど、万能空想ってアホみたいな空想ですから。
現実にこうしてる空想をやってるだけなんで、非常に簡単な、うんこを投げてるだけですから、という空想をしてるだけですから。
赤ちゃん実際何もしてないんだけども、心の中ではうんこを出した。
お母さんにねじ込むっていう空想をして、あ、スッキリした。よかった。
しかもなんだかんだミルクも手に入った。ラッキーだ。
これで寝られる。うんこのしますもしませんからね。それはお母さんがしてくれるんだから。
万能空想というのは環境としての母親ってものとやっぱりセットなんですよね。
そうしてうまくいくシナリオを描き、原理を描く。
うまくいかない部分もシナリオを描くんだけど、最終的にはうまくいく。これが大事なんですよ。
だからなんで上司をわざわざ自分で不機嫌にしているかというと、
これは自分がコントロールできている世界だからこそ最終的にはめでたしめでたしになる。
桃太郎の話みたいになるから。だからここはちょっと辛いけれども、
無意識が総力を上げて世界をコントロールして、自分が描いた悪い筋が起動する。
だって筋が途中に鬼とか出てくるじゃないですか。そういうものなんですよ。しょうがないんですよね。
嫌なことは起きたわけだから。空腹とか、暑いとか、猛暑とか、通勤とか、上司とか、
全て嫌なこと。夫とか、ろくでもない恋人とかね。あるんですよ。
すでに不穏の種は最初から。で、全部それは自分の不安を投影してるっていう言い方もできるんだけど、
人間そこまでなかなか択感できないので、この自分がコントロール下における、
最終的に破滅しないシナリオというものに沿って、現実を少しでも自分のできる範囲内で動かしていく。
その途中で上司をあえて不機嫌にするということも矢塚ではない。
そういう心理が、無意識の方からの欲動が絶え間なく動いているために、どうしても上司は怒る。
ということが起きちゃうわけです。オカルトではないんですよ。
自己コントロールの欲求
この方が安心できるから、わざわざこういう事態を、投影という手段を使って引き起こしているという話なんです。
で、これが進行していくとですね、ここまでは正常の範囲内ですよ、はっきり言って。
こういうことは正常の人はみんなやってます。
だからですね、これをやるから未熟だとか言うカムバーグは、お前はどれだけ成熟しているんだってむしろ言いたくなるわけで、
彼は彼女から成熟しているのかもしれないですけど、あれ?どっちだったっけ?
カムバーグは男だったような気がするんだけどね。
すいません、僕の知識はこんなもんな。
私が言いたいのは、何の話をしていたんだ?
カムバーグの話ではなくて、未熟な投影という原始的な規制を、防衛をしているわけではない。
無意識にする防衛なんだし、防衛ではあることはあると思うんです。
これは心を守るために世界をコントロールできるというふうに信じたいから、これをやっているわけで。
めっちゃ普通ですよ、これは。普通にやってます。
私はやってませんとか言うのとか、あの人はやってない気がするとか、そんなものはないです。
これが本当にね、信用されてないらしいんですけれども、そんなものはないです。
だから私は引き寄せの法則っていう言い方は、何て言うんだろうな。
なんか、そうすると引き寄せられるみたいじゃないですか。いいことも引き寄せられるみたいな。
嘘ではないとは思うんだけど、なるべく人にお礼を言うとか感謝をするとか、多分いいことになっていくでしょう。
が、無意識にやってるってことも忘れちゃいけないんですよ。
意識的にできる領域はかなり限られてるんですね。
しかも具体的だってことも忘れちゃいけないんです。
なるべく本当に上司を怒らせようと、何らかの形でしていると。
だから引き寄せてるっていう言い方がどうもですね、
引き寄せてない人がいるんだったら引き寄せでもいいんですけれども、
だからこういうところに自己啓発の宗教的な問題って僕はあると思うんですね。
まるで教祖は引き寄せの法則をうまく使えてるみたいじゃないですか。
僕はそんなことは信じないんですよ。
優れた人はいますよ。
でもその人だからポジティブなことを引き寄せているんですっていうことになってくると、
ものすごくいかがわしい感じがするんですよ。
無意識ってのはそんなものではないし、我々の力量の差っていうのは、
これは個人的な意見の差があるんでしょうけど、
私はそんなに絶大なものではないと思うんですよ。
つまり言うもおこがわしいですが、
私は自分と小谷翔平の差って美さだと思ってますから。
藤沢でもいいですよ。
ここが大差だと思っているっていう人が多分多くいらっしゃるんでしょうけど、
私はそうは思わないんですよ。
この美さを努力で埋めようとしたらものすごい大変ですよ。
でも差は小さいと思ってるんですよ。
あれですよ、チンパンジーと人間は遺伝子の差が2%もないみたいな話とよく似てます。
そんなことを言えば、私と小谷翔平さんは多分0.1%をはるかに下回るぐらいしか差はないと思うんですよ。
その差によって稼ぐ金額が1000億円以上になるってことは十分考えられるだろうなって思ってます。
なぜならば、あれは抽象概念ですからね、お金ってのは。
結局はラジオ体操のスタンプとお金ってのは50歩100歩なんで、
それはものすごい集めようという努力をすればですね、
今の私よりは集められると思うんですよ。
ただ、微差だとしても、ここを努力で埋めようとしても多分埋まらないです。
無意識ってのはそれほどのものでもあるんですよ。
で、この先進病水準ってところまでいくと、
例えば自分は不快だっていうのがもっともっと無意識に進行している。
不快なんですよ、意識の上でも。
でも無意識の不快は増大なんで、排出しなきゃとてもやってられないんですよ。
すげえ嫌なことがこの世の中にはあるっていう信念があるわけ。
これを排出する先に、例えばATMとか自分のパソコンとかを選んでしまうわけ。
そうするとですね、お母さんにうんこを投げ込んだためにお母さんが怒ったように、
ATMが怒り出すわけですよ。
こういう世界に生きているからこそ、非常に話が分かりにくい。
だけども、これがほとんど完全に無意識の作動によっているために、
頭の上では、頭では分かるんですって言うじゃないですか。
ATMが自分を攻撃するはずがないのは分かる。
しかし、あのATMは現に私を攻撃しているっていうような言動が普通になされるわけです。
これを統合失調症って言うんだろうと思うんですけれども、
私たちはですね、ここまでは大体にはいていかない。
いかないんですが、何らこれと変わらないぐらいのことは普通に職場でやります。
だから僕はそこを50個、100個と言ってはいけない気がするんです。
そこには何かしらの診断上の区別はつくだろうと思うんだけど、
差は微差だと思う。
ただこの微差は、そう簡単には埋まらない微差だと。
差は小さいかもしれないが、そんなに簡単に埋まるわけではない。
実際にATMが攻撃するのは我々の水準で言えば、
多くは睡眠中の夢においてのみだろうぐらいなことは言えると思うんです。
夢思考、それも非常に現実原則を欠いた夢思考ですよね。
やっぱりATMは私を見張ったりはしないので、私の世界においては。
しかし、例えば奥さんが不機嫌になって私を睨むということは起こるんですよ。
私の世界においても。
どっちも同じメカニズムに基づく。
多分奥さんは私を睨むことはないし、不機嫌でもないんですよ。
それは私が作り出したものなんです。
しかし私がそれを繰り返し繰り返し無意識がそれを信じようとすれば、
私はそれをコントロールできる状態、家の中をコントロールできる状態にしたいから、
奥さんは私のせいで不機嫌になる。
ということは、私が気を付ければ奥さんは不機嫌にならないというマイナスKを作り出してしまうわけです。
つまり、いかがわしい命題ですよね。定義的仮説ですけれども、実にいかがわしい命題ですよね。
現実との相互作用
そんなことないからね。奥さんは私から自立した存在なので、
そういう私のナルシシズムの一部ではないわけですよ。
私が何も悪いことをしなければ、問題行動を起こさなければ、
きちんとした皿を使い、皿洗いをきちんとすればいつもニコニコしているなんて、
そういうバカ桁世界はこの世の中にはないってことです。
そんなことあるはずがないんですよ。
実際には、秋田の実家の方から緊急のお父さんに関する、私の岐阜で、
キリンのお父さんに関する何かが起これば、
私がどういう皿の配置にしようと奥さんの機嫌は不安定になる。
それはそうに決まってますよね。
当たり前のことなんだけど、この当たり前がナルシシズムの世界から見えなくなっていくっていうのが、
東映ドイツ科の世界であり、メラニー・クラインの描き出した世界なわけで、
万能空想的な世界なわけですね。
これと、もっと言うとトラウマみたいな話と関係が出てくるんですけど、
今日はその話を膨らませると、現在35分なのが70分なのでやめます。
またこれはですね、明日の私のセミナーで一通り喋ってみて、
改めてですね、頭の中のセリがついたら、今度こそ動画みたいな活動にも広げていきたいなという、
これも私の東映なんだけど、それが実現すると、もしかするといいこと、
東映ドイツ科っていうのは悪いことばかりではないので、
あれですよ、恋愛って東映ドイツ科です。間違いないです。
自分の中の最高にいいものを異性なり同性なり相手に投影します。
するとその人はとても素晴らしい人に見え始めます。
というアプローチをする以上、相手の人も好意を多少持っていてくれるならばですね、
それほどのよく見えている相手というものを無限にはしたくないので仲良くなれます。
ということが起こり得ます。
それは東映ドイツ科の結果ですよね。
つまり相手を欲動によって突き動かしています。
実際相手はそのように動いていきます。おかしくないじゃないですか。
ここにオカルト的な要素は何もないです。
普通にそうやって子供も友達になっていったりするじゃないですか。
相性抜群だからとか、前世からの因縁で付き合うわけではないわけですよ。
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