1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 精神分析の難しさをまた考えた..
2025-08-21 49:00

精神分析の難しさをまた考えた【1234】

今回はまた、いかにも私のインターネットラジオらしいグダグダな語りだなと思います。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

精神分析についての新たな視点と、その難しさを考察しています。このエピソードでは、特に「悩める社会人のための精神分析」という本を取り上げ、精神分析の理論や実践がどれほど挑戦的であるかを論じています。精神分析の難しさについて考え、エディプスコンプレックスなどの共通の前提が受け入れられないことがその原因とされています。また、ナルシシスティックな傾向が人間の見方に影響を与え、精神分析への理解を妨げていることも述べられています。このエピソードでは、精神分析の難しさとエディプスコンプレックスについて深く考え、社会人としての経験がどのように影響しているのかを探っています。特に上司との関係性や社会の中での権威についての葛藤が取り上げられています。さらに、ナルシシズムと現実とのズレについても考察され、精神分析の重要性とその理解の難しさが論じられています。夢を通じて現実を理解するプロセスが人間に共通する特徴であることが強調され、傷つく原因を調整する手段として精神分析が取り上げられています。精神分析の難しさについての考察を通じて、理論や実践における課題が明らかにされています。

精神分析の導入
おはようございます。朝っぱらから精神分析、第1234回をお送りします。
8月21日、木曜日、朝の7時52分です。
ちょっと多分ね、寝ぼけているんですよね。
夏休みなんで、ここまで早く起きることは滅多にないことなんで、やっぱり早く起きると5時半に起きてるんですけど、
821、これは日付ね、8月21日、753、これは今の時刻なんですけど、
あれ今、自分8時21分って言っちゃったっけみたいな、そういう風に頭の中が混沌としてる感じがあるんですよ。
なんかめまいがするみたいな。
こういう時に収録するのもどうかと思うんですけど、
まあまあ、別にね、最近は本当に思うんですけど、
頭の使い方なんてほとんど無意識がやってくれてることで、
僕今本当に821と753がもう混ざり合うぐらい、
8月21日と7時53分が混ざり合うぐらい、
自意識の上はこう、めまいがしてるのに、
多分普通にしゃべれると思うんですよね。
だから基本的にこの種のことは無意識に任せとけばいいかなと。
先日そんな話を盛んにグループセッションで3ヶ月チャレンジをした記憶があるんですけど、
その記憶も今の私には驚くほどあいまいになっていて、
なんだかさっぱり思い出せないんですけど、多分大丈夫なんですよ。
書籍の紹介と批評
で、一つお知らせがありまして、
今週の末におかげさまで満員になったんですけれども、
そして増額してさらにそれが満員になるという、
相当、全然想定していないことになりまして、大変ありがとうございます。
タスクシュート完全活用術ですね。
こちらはお申し込みいただいた方へのメッセージになってしまいますけれども、
これ結局のところ公式に歌いますけどね、
アーカイブ視聴も配信させていただきかつ、
これをどこかで販売をさせていただこうかなと思いました。
のでですね、販売させていただいたものに関しては、
今回お申し込みいただけなかった方にもお求めいただけるという形にしますので、
続編やってもいいかなと思ってるんですけど、
それはもう確実じゃないので、
そしてできたとしても秋になってしまうので、
とりあえずは販売させてもらえばそれで大丈夫なんじゃんって思うようになりました。
合わせてですね、私これを考えたんですけども、
いい加減動画やろうかなみたいに思ってるわけですよ。
全然実は全く動画をやりたいという機運が高まってこないんですけれども、
つまり私多分ですね、
雑誌社持ちたいとか出版社持ちたいとかいう感情は持ったことの多分にある、
今はないですけど、人間なんですけど、
テレビ局が欲しいと思ったことって1回もない気がするんですよね。
結局そういうことだと思うんですよね。
手軽に個人でも○○ができます。
それが出版社だったらブログとかだろうし、
メルマガとかになってくる。
これはイメージつくんだけど、
テレビ局って全然ないから、
動画作りたいって思わないんでしょうね、多分ね。
ラジオは全くなかったんですよ。
なかったんだけど、でもラジオはなんとなくまだあるんですよね。
なんとなくまだあるんですよね。
でもテレビは全くないんですよ。
自分がテレビをやりたいと思ったという気配すらないんで、
多分これが動画というものになかなか私、
こういうごくごくしょうもない理由でしかないんだけど、
でも動画やらなきゃいけないかなというふうに思っていて、
やるんなら、でも自分がやるんならどうなんだろうっていうことを
まだ考えているうちに2年ぐらい経過しているような気がするんで、
いい加減経過させすぎだろうと。
あわせてメルマガがやっぱり、
メルマガっていうよりは3ヶ月チャレンジ通信みたいなものを
出さなければいけないって思っておりまして、
それについて考えるようになったわけです。
今日はその話から入るんですけど、
なんでなったかというとですね、
ここにあるわけですよ、悩める社会人のための精神分析。
精神分析からの処方箋ね。
悩める社会人のための精神分析からの処方箋。
昨日興奮してたと思うんですけど、私。
この本の紹介でね。
基本的に中身を先ほど読んで大体7割読んでみて、
だんだんわかってきたんですよ。
この種の本を書くのはとても難しい。
この本は記念で買いましょうぐらいな勢いで
僕が喋ってるわけですよ。
でもいい本なんですよ。
そして僕にこういうものは書けないし、
ぜひぜひこういう本が
世に自然と浸透していってほしいと思うんですけど、
それにはやはりかなりのまだ何かが必要だと。
それが何だかはよくわからない。
ただ、東方さんを連想したんですよね。
すごく連想しました。
やっぱり彼は何かよくわからないんだけどすごいんだな
っていうことがわかりました。
つまり、どうして彼の本はあんなに売れるんだろうっていうのをまずね、
そこにはものすごい努力があるような気がするんですよ。
でも彼の本が売れているという現象は面白い、
すごい良いことだと僕は思うんですが、
彼の本だけが売れている感じもするんですよね。
これは何でなんだろうと、
面白おかしいからなのはあると思うんですけど、
そもそもなぜ彼は面白おかしく書けるんだろうっていうのが
ちょっとやっぱり非常に気になり始めたわけですね。
これからちょっと適当に私が読んできた本を羅列するんですけど、
まず私がですね、さっき悩める社会人のための精神分析からの
情報戦をトイレで読みながら考えていたことというのはですね、
私は精神分析って確かにわかるようになったんだって思ったんですね、
この本を読む。
わかってないときにこの本を読んでいたら、
この本の意味と価値は全く理解できてなかっただろうって思ったんですよ。
それはもう多分確実だと思うんです。
しかしじゃあダメじゃんっていう気も少ししたんですよ。
なぜならばこの本を手に取って読まれる方の大半は、
というかターゲットの読者さんは精神分析をよく知らない方だったんですね。
知らない人も読めばわかるっていうセンスと感の鋭い人もいらっしゃると思うんですけど、
それはかなり期待しなければならない部分がたくさんあるんですよ。
で、わかってる人が読めばこの本の意味はわかるんですけども、
でもそれはこの本の狙いとするところではおそらくないと思うんですよね。
ナルシシズムの話
という問題ってでも、はっきり言ってあらゆる本に出てきてしまうことで、
ビジネス書でもあるんですよ、この問題は。
ビジネス書だから簡単っていうのは、あれはかなりステレオタイプな一つのものの見方であって、
別にビジネス書なら何でもかんでも簡単なわけではないし、
ビジネス書って定義が相当曖昧です。
私の本なんて、小難しいという、これは批判なんですよ、100%。
で、大体私の本に関する批判って90%は小難しいなんですよ。
だからそれさえ言っとけば佐々木の批判になってるぐらいに思われてるんだけど、
考えてみればそれって相当不思議なことだなと思うんですよ。
で、小難しいって言ってる方は、自分にはわかんないとは言っていらっしゃらない。
まあちょっと意地の悪いこと言ってますけど、
自分にはわかるけど一般読者には難しいだろうって言わんばかりなわけですよ。
つまりそこにはかなり、さっきの本読んだ影響があるんですけど、ナルシシスティックなものがあるんですよ、その批判自体。
いや、これは俺にはわかるけど一般には難しいだろう。
そのようなことを言うことがどうして普通に批判つもりなんだろうっていうのがあったりしたわけですね。
ただこの批判は1理はあって少なくとも、もっとあると思うんですけど、2理あるかもしれませんけど、
なんで1理はあるかというとですね、難しかったんですよ。
で、私はこれが不思議だったんですよね。
つまりみんなもっと簡単なものを読みたいんだろうかと思うんですけど、私にはとてもそうは思えないんですよね。
ここにはですね、やっぱり専門書は難しいという吹き込みがあるんですよ。
でもこれはね、まあそれこそナルシシティックな問題なんで、ややしょうがない気もするんですよ。
つまり専門書というのは読む人も書く人も大変な思いをある意味してるんで、
この本にまさに書いてあったことなんですけど、
傷ついた人はナルシストになるみたいなそういう書き方をされていて、
全くそういう、つまりトラウマとナルシシズムの関係のことを書いてるんだけど、
つまり結局ですね、ナルシシズムって幅広くて、コフートとか、まあコフート出てきましたね。
コフートあんまり出てこないじゃないですか、この番組で。
私はコフートがそんなに好きじゃないからという、しかもそれはかなり史上が入っていて、
実はコフートを日本で大いに広められた第一人者の人が、
僕はただ個人的にあまり好きでないからなんじゃないだろうか。
それは私が要するに東大に入れなかったあの人、つまり東大に入ることでミリオンセラー出した人だから、
全然東大に入れなかったじゃん、その本読んでもという、そういう支援があるんじゃないかと思うわけですが、
まさにナルシシズムの傷つきなんですけど、これはこれで。
まあだって東大に入ろうと思ってなかったくせにですね、本読むだけで東大に入れると思おうとしているところにそもそもどうかと思うわけですけれども。
あのー、なんというかな、その、コフートなんですけど、
まあウィニコットのナルシシズムってあるわけですよね。
環境としての母親に全面依存している時代のナルシシズム、一時ナルシシズムですね。
クラインは一時ナルシシズムは認めてないんですけど、でもクラインの世界ってすでにナルシシスティックじゃないですか、ものすごく。
いいおっぱいと悪いおっぱいに一人のお母さんを勝手に分けて、しかもそこを部分扱いして、もう完全に人をですね、
自分のこう、まあ生理的欲求ですよね。
男の人が普通に成人でやっているとよく批判されているやつを赤ちゃんはみんなやっているって言ってるわけですから、
お母さんをおっぱい扱いしてあげく、しかも都合のいい部分だけをいいおっぱい扱いするっていうね、
これ非常に態度としてはナルシシスティックな態度ですよね。
クラインの考え方の中核にこれはあると思うんですけど、まあ少なくともベーシックなところにあると思うんですけど、
これを一時ナルシシズムとクラインは認めないんですけど、私にはこれこそ一時ナルシシスティックな態度だと思う。
何も分かってないからこれが平気でできるっていう部分はあると思うんですよね。
赤ちゃんはそもそも非常に視力弱いんですし、全体像が輪郭なんてものは勝手に作るものであって、
世の中に輪郭なんてないわけだから、輪郭というものをあまりはっきり捉えられない赤ちゃんからすると、
いいおっぱい、悪いおっぱいっていうのはしょうがないことですよね。やんも得ない。
都合が悪ければそれは悪いおっぱいなんだよっていう。
この都合が悪いっていうのは自分の都合がすごい入っていて、
お前が吸う力が足りないんだみたいなこと、それはもうおっぱいのせいになるわけですよ。
ナルシシズムの理解
自分の吸う力なんて知らないんですから、そんなもの。
だから当然なんですけれども、当然とはいえナルシシスティックなんです。
てかナルシシスティックって当然でございますよ。
で、外部に遭遇するじゃないですか、いずれをね。
そして傷つくわけですよ。
うわ、なんかお母さんとかすごい厳しいし嫌な人だったわってことによって自分の世界に閉じこもる。
これが二次的なナルシシスティックですよね。
でもフロイトはすでに、最初は赤ちゃんは生まれてきたときは余裕がないからリビドが全面的に自分に向く。
これが一次ナルシシスティックですね。
でも外に向けていくと。
お父さんお母さんとか好きな人とか言って、でなんか話飛びますけど、
校舎の裏とかで告白とかして、いきなりものすごく嫌な目にあって、
もう二度と人を好きになったりはしないぞって思って自分の部屋に閉じこもって出てこなくなって、
正午ご飯用とか言われてももうなんかシーンとしてる。
これが二次ナルシシスティック。
つまり撤収するってことですね、二次は。
この撤収っていう言葉を用いているのはフロイトであって、
だから結局クラインとかウィニフッドとかコフードの言ってることも、
非常に新しい知見がそこに入ってるんですけれども、
別に結局元の言っていたことに限りなく近いといえば、
つまりパッと考えつくレベルで言うとフロイトの言ってる通りだなって感じがしちゃうんですよね。
リビドウの有無って話になってくると、ちょっとね、
藤山直樹さんも書いてましたけど、リビドウってそもそも何色なんだみたいな、
そういうね、なんか考えてみると変なわけですよ。
自分にエネルギーが向くとか、心理的エネルギーとか、
SFじゃないんだからっていう感じもものすごくするんだけど、
でもなんかこう、自分に向かっていたエネルギーが外に向かっていき、
しかしそれが傷ついたから撤収し、また自分に籠るようになりました。
説明としては雑ですが、大体なんかそれで理解できるじゃないですか。
要は傷つきがあり、自己愛になったんですねっていうことですね。
つまりそういうことってやたらあるわけだと思う。
僕なんかには非常によくわかる気がするんですよ。
で、このイニジナルシシズムね、だから傷ついて撤収すると。
つまり、難しい本とか読むと傷つくわけじゃないですか。
難しいからわかんないってことになってくると、
俺がバカなのかって思いたくはないじゃないですか、別に誰も。
だから撤収するわけですよ。
で、優しい本に向かう。
でも私はどうもそうは思えないっていうところもたくさんあるんですよ。
だからといって、なんかもう本当にですね、
専門書というものが難しい、難しい、難しいって言っておけば、
読まずに済むみたいな、そういうよくわからない世界ってよくわからないなって思うんで、
私はビジネス書の中でも、わりと容赦なく簡単には書かないっていうよくわからない態度。
わりとこう、無理やり貫いていて、僕にはたぶんそういうところあるんですけれども、
はいはい言うことを聞いているふりをして、全く言うことを聞かないというね、
そういうことをやってきたわけですよ。
で、やれるところまでとことんやったっていう本が何冊かあるわけですけれども、
当然、佐々木の本は小難しい論っていうのが出てくるわけですけれども、
でも絶対にその本を読んでる人は理解しているわけですよ、こんなことを言うってことはね。
途中で投げ出して小難しいって言うって結構勇気がいることで、
なんかというか、やっぱり多くの人はこの辺のことでは、
わりと一定の身を払わざるを得ないところがありますからね、
特にブログの時代とかですね、結局こう、最後に苦言を呈するが小難しいと思ったみたいなことを書いてるときは、
もう十分理解できるわけですよ。
ってことは、難しくはないと私は思うわけですよね。
その人のナルシズミは申し訳ないですけれども、
傷つきに対する予防線を張るっていう意味はわかりますけれども、
やっぱりそれは難しいはずはないんですよ。
精神分析の難しさ
そんなに短時間で読み終えて理解できたってことはですね、
難しくないから理解できたんだろうって思うわけですよ、著者的にはね。
そんなに簡単にされたいかっていうことがあったわけですね。
で、なんかこう、やや際どいことを言ってるようなんだけど、
なぜこれをしつこく言ってるかというと、
精神分析というものをですね、本当に難しいんですよ、残念ながら。
で、なんで難しいんだろうっていうことをこの番組でも一生懸命喋ってるんだけど、
はっきり言ってよくわからないんですよね。
よくわからないんですよ。
ただ、考え方が独特であるというのはわかりますね。
あと、結局のところ、我々の常識的な世界観にどうしても反するから。
で、我々はこの常識的な世界観に対して信頼を置きすぎているんですよ。
だけども、人間の世界っていうのはある意味、人間の見る世界ですね。
この例えば、風景に色がこんなに鮮やかについて。
何度も言いますけど、このような風景を見ているのは人間ぐらいのものですからね。
先日そう、Xで非常に面白い投稿がありまして、
隕石をしてきたじゃないですか、最近、九州高山の中に。
めちゃめちゃビカビカって光ったときに、
青空っていつもそこにあるんだっていう投稿を見て、
なるほど、そう考えるよねっていう風に青く見えるんですよ。
ものすごく隕石で光って明るくなるところ、空が。
まあそれは当然なんですけど。
なぜならば、地球の上にあるこの大気というものは青を反射しない。
違う違う、青は吸収できないというか反射してしまうからですよね。
つまり空が青いわけじゃないじゃないですか、みんなご存知のことのはずなんです。
それはつまり、反射している光の波長が青だけだから、
我々の目に届く色が青だということに、それは脳の解釈によるんだけれども、
つまり反射しているその物質そのもの、地球上の大気は青という光を吸収できないから、
むしろだから逆なんですよね。
青じゃないから青く見えるんですよ。
だから青空がそこにあるわけでは決してないわけじゃないですか。
光があるから青く見えるわけですけども、
それにしたってその光の中の青だけを受け付けないのが空だから、
その波長だけ跳ね返しているから目に届いているわけじゃないですか。
その目に届いたのはしかも光子であって、いわゆる色ではないわけですよ。
光子エネルギーに対する解釈が青という色になっているわけであって、
青なんてどこにもないわけですよ、この世の中に。
人間というのは、しかし世界には青色というものがあったり、
赤色というものがあったり、緑色というものがあることになっちゃっているので、
そういうふうに超安定した世界を見て、
世界とはこういうものなのかと信じてしまっているからナルシシストなんですよ、完全に人間というのは。
それはお前が勝手に解釈している世界なんだけど、
世界とはそういうものなのかというふうに考えて、
この先にいろんな問題を引き起こしているわけですよね。
正しい人間の在り方とか、正しい現実の理解の仕方とか言い始めて、
客観性がそこにあるとでも思い込むようになっているわけですよね。
ここの安定度に増して加えているのが人工的な手入れですよね。
最近もそうじゃないですか、異常気象異常気象言って人間はエバっているわけですけど、
気象が異常だとか言っているのは人間だけですよね。
だってそんなこと他の動物には考えつかないわけだから。
人間だけがこの現在の気象は異常です。
しかもその原因は人間にありそうなんだけど、
それでも全然意味を返すことなく正常な気象っていう状態があるとでもいいだけなわけですよ。
ゴリラでさえですね、なんか額の汗を拭って、
いや今年の暑さは異常だとか言ってないわけじゃないですか。
人間だけがこの今年の暑さが異常である、つまり正常な気象とはこうあるべきだっていうのを、
地球に何の相談もなく勝手にそういうことを決めてですね、
そこから外れると異常だっていうふうに。
そしてそのことをお互いに一生懸命言い合って、
メディアを使って異常です異常です異常ですってみんなで言い合ってるっていうこの不思議な現状を、
我々はナルシシスティックだと全く思わずにやってられる生き物なんですよね。
そういう生き物なんだと思うんですよ。
で、話は精神分析はなぜ難しいのかということなんですけれども、
精神分析の難しさっていろいろあるんですが、
やっぱりですね、一つ一つの前提が既に共有されていない。
例えばどれだけ言ったところでですね、間違いなくそうなってるにも関わらず、
エディプスコンプレックスっていうものを受け入れてないんですよ、我々は多分。
大半の人は別にそんなものは。
これは小難しい話ではなくて、おそらく気持ち悪い話なんですね。
エディプスコンプレックスって多分気持ち悪いんですよね。
で、フロイドはこれを前提だと見出したわけですよね。
私はこれ前提だと思うんですよ。
人間の心理的傾向
じゃなきゃ法の支配って成り立たないと思うんですよね。
他の動物、法の支配って明らかに成り立ってないじゃないですか。
文章読めないんだから当たり前ですけど。
我々はこの文章をみんなが受け入れてるんですって信じてしまったら最後、
それに逆らうの相当困難になりますよね。
逆らった上で罪悪感を持たないことは、もう至難な技ですよね。
この種のことは気に食わねえと思ってる人いっぱいいるにも関わらず、
木刀とかを持って昔ですよ、バイクとかに乗っていた少年たちでさえ、
上の者には従うとかって言い出すわけですよ。
すごくそこのところには法の支配が出てきてしまうわけですよ。
なんか非常に不思議ですよね。
法の支配とかいうものが起源前からあるわけじゃないですか。
法の支配って言われて。
だから人間っていうのは、
このやっぱりいわゆる象徴的な意味の父親というものに逆らうのが至って困難で、
逆らうために何を始めるかというと宗教を作り出すんですよね、結局。
だから、こんな世俗の法のお金とか儲けとかくだらねえとか言い始めて、
悟りを開くみたいな世界に行くわけじゃないですか。
あるいは神の正義とか言い出すわけじゃないですか。
それは新しいお父さんじゃないですか。
ここから逃れられてないですよね。
この三角関係からいつまでたっても逃れられないですよね。
私、私を裁く人、それを承認する人みたいな関係がとっても好きですよ。
というか、そればっかり追求してしまうっていう癖があります。
男性支配はダメだっていうふうに、
フェミニズムってものって結局そこにあるのはイズムですよね。
新しい法体系ってものをそこに持ってくる。
ここから出よう出ようとするんだけど出られない。
エリプスコンプレックスの考察
結局なんか全てを捨て去るみたいなところに行っても仏教みたいなものが出てきて、
全てを捨てたはずだったのにどっかに入ってるじゃんってことが起こる。
こういう組織化をするっていうこと。
そして真理に使えるってこと。
フランスにフランス語を私全然わかんないからなんですけど、
革命が起きた後最後のところに一番戦役化したとき、
最高理性の崇拝とかって言い出したじゃないですか。
最高理性を崇拝するのと神崇拝するのとどう違うんだよっていう感じなんだけど、
そういうふうになっていくんですよね。
神捨てたはずじゃなかったのかと。
あの話を言うとマルキド・サドですね、サディズムのサド。
あの人が正しかったと思うんですよね。
フランス人民に向かって変なパンフレットを配ったじゃないですか、あの人。
本当の共和国民になるためには神を殺せっていう。
あの人はああいうの大好きだから。
でもあの人は結局父親を殺して自分が父親になるタイプの人だと思うんですけどね。
サディストってそういうことですよね、多分に。
結局出られないわけですよ、ここから。
で、この出られないものを見出したのがフロイドの説明として、
一番僕は三角関係がそこのベースにありますよというふうに言ったのが、
ダトムだと思うんですよね。
お母さんからの、お母さんと愛し合いたいからお父さんを殺したくなるんです。
これはつまり、自分が何かリソースになるものを得たいから、
要するにそれまでの権威と戦うことになるっていう話に直結してると思うっていうのは、
僕は全く妥当だと思うんですよね。
そこから、この小林さんの悩める社会人のための精神分析からの処方箋もここから入ってるわけですよね。
で、部長にめちゃくちゃ怒鳴られると。
結局部長が権威なわけで、部長が権威ってことは会社が権威ってことに決まってるわけで、
この人は外部に遭遇したわけですよ、小林さん自身なんですけどね。
やはり公認心理師さんだけあってですね、
研修が終わったらやれやると思って、お家に帰ってコーヒー飲んでお菓子とか食べちゃって、
後でめっちゃ叱られるわけですよ。
研修受けさせてやったのに、なんで挨拶にも来ないんだっていう、いかにもな話じゃないですか。
いかにも僕もやりそうなことなんだけど、そういうことをのうのうとやらかして、
お父さん役の部長が、我はいつまでのうたらこうたらとか言って、
関西弁で怒鳴られるっていう、本当かよって気もするんだけど、
多分本当なんでしょうね。
つまり社会人、外国生気分でいるなっていうような話と同じなんだけど、
それはエリプスコンプレックスの話をしてるわけですよね。
第一章エリプスコンプレックスですし。
で、これが伝わらないと僕は思ったんですよね。
でもなんでこれは我々には伝わりにくいんだろうとも思うわけですよ。
これはどこにでもある光景だし、何ら小難しいことはここでは語られてないと思うんですよね。
社会人の経験
学生気分でいるなって怒鳴られている、学生気分な新卒社会人。
山のようにいて、それを理不尽に怒鳴りまくって、
普段使わないような関西弁を無理矢理使って怒鳴りまくって、
顔真っ赤にしている上司。
いかにもじゃないですか、なんかもうつまんないぐらい簡単な話ですよね。
で、これをエリプスコンプレックスなんですって言うと、
とたけ難しくなるって話ではないと本当は思うんだけど、
ところがこれが、一体これは何のためにそんな話をしているんだっていう話になるわけですよ。
いや、これこそまさに我々が困っていることじゃないですかっていうことを、
多分小林さんは書いていらっしゃるわけで、確かにそうだと思うんですけど、
この話が直接扱われることがほとんどないんですよね。
この部長は本当に怖いのかとか、
この部長が怖い理由は、
あなたが子供だった時にお父さんに虚勢されそうになったっていう不安なんじゃないかって話を、
全然我々は受け入れようとせずに、
この話を違う話にしてしまうんですよ。
パワハラとかね、あるいはジェンダーとかね、
そういう、あるいは世代観なんとか、
そっちの方が僕はよっぽど小難しいと思うんですよね。
直接その問題に当たってないわけですから。
だって、これをジェンダーの話にしてみたところでですね、
怒り役になる人が女性になったらもう少し理不尽じゃなくなるのかどうかとか、
そういう話をしてみたところで、
怒られて、コーヒー飲んでお菓子食ってて怒られた、
この気持ちに関しては当分解決できないじゃないですか。
私はそこがあったわけなんですよ。
なんでみんなは社会問題にして平気なんだろうって思ってたんですよ。
社会問題にするのは立派なほどかもしれないですけれども、
でも、私の問題を解決してくんないじゃんっていう。
世の中が、それは男女平等になって、
こういうなんかタコみたいな、すいませんね、
部長とかに怒られなくなる。
それはいいですけど、それは何年後に解決するんだよっていうね。
いや、それは100年後でもいいんだよって言われるかもしれないけど、
そりゃ、解決、その線で解決したい人にとってはそれでいいのかもしれないけど、
僕は嫌だなって思うんですよね。
そんな問題が100年後に解決したって、
その時私死んでるじゃないですか。
そういう先駆者がいてこそ世の中は良くなるのかもしれないですけど、
知ったことじゃないっていう面もどこかにあるわけですよ。
さすがに僕は知ったことじゃないとは今は思わないですけど、
新卒社会人だったら絶対知ったことじゃないと思う。
俺のこの傷つきをまず何とかしろっていうふうに私は思いました。
精神分析の重要性
で、世代間とか言ったって同じですよね。
いつかその団塊の世代が新属団塊ジュニアの世代になった時に、
もっとそういう関西弁で怒鳴りまくる上司でいることはやめましょう。
それは怒鳴る側に入った時の話じゃないですか。
私は今怒鳴られてることを問題にしたいわけじゃないですか。
だから、なぜこの問題を違う問題に当てたりして人々は納得できるんだろうって、
人々は納得できても私は納得しないぞっていうのが多分にあったんですね。
だから私がそれは発達障害だからとかって言い出しそうですよね、いかにも。
この小林さんだって、いやいやそれはエディフスコンプレックスとかじゃなくて発達障害なんですよ。
しょうがないんですよと。コンサータ飲みましょうと。
嫌だなって思うんですよね。
だってコーヒー飲んでお菓子食ってたって別にいいじゃないですか。
なんでコンサータ飲まなきゃなんだかなるんですか、そこでっていう。
そういうですね、私なら思います。間違いなく思います。
いや、それはみんなが部長にお礼を言いに行っている中で自分だけ行かないというのは、
何かどっか問題があるとみなされうるとは思います。人間社会においてね。
でもそういうことはあり得ることだと思うし、別にそういうふうに、これ営業職の話なんですけど、
知ってる人の方が営業成績が良くなっていったりするってこともザラに起こることだから、
まあその時は怒鳴られとけばいい。
つまり僕は最終的にはですね、この問題って結局傷つくかどうかの問題が問題なのであって、
傷つかなきゃいいのであって、別に発達障害なのかHSPなのかとかいう問題にすることもないと思うんですよ。
それだと解決が遅れる。ましてジェンダー世代とか文化とか言い出して日本文化の男。
日本文化の男言ったって会社すぐ辞めてアメリカの会社に行くことできないじゃないですか。
だからそこにいるのが日本なんだから、日本文化変えましょうって話になるともっと時間かかるし、
いずれも僕は受け入れられないと思ってたんですね、特に若い頃は。
今ならばその種のことを自分に直接の利益が何にもなくても少しずつ進めていくということの意味もわからなくはない。
でもみんながこっちをやりたがるから、むしろそっちは人に任せておこうというのが私の立場なんですよね。
私はダイレクトにその傷つきに向かっていきたいと思うわけですよ。
その時にまず思うのが、なんで傷つくんだってことなんですよ。
ここにエリフスコンプレックスとナルシシズムっていうのがとても有効に作用するし、
すでに言葉にもなってるし、ある意味それに対して直接扱う精神分析というルームまで用意されてる。
なんでこれを全部かなぐり捨てて、やれ発達障害とか文化館問題とかそういう問題ばっかりにして、
精神分析はないものにしようみたいなのが流行るんだろう、不思議だっていうのが私の意見なんですね、たぶん。
私はとてもこれが不思議だと思うので、さっきリストアップしようと思っていた本を和訳者読んできた。
私は和訳者読んできたんです。系統立てて読んできたわけじゃないし、系統立たないなっていう。
系統立てようと思って、こういうね、ポッドキャストのタイトルも変えて、変に鼻息荒くなっていたわけですけれども、
系統立たないなって思ったんですよ。
悩める社会人のための精神分析からの処方箋を読むじゃないですか、読みましょうと。
で、次に、そうだな、遠畑さんの何でも見つかる夜に心だけが見つからないだったっけ、あの本。
自転車で薄暗い、ちょっといい感じの本、あれを読んで。
で、次に、どっちかな、やっぱり成り立たないんだよな。
集中抗議精神分析ですかね。
もうこの段階で上下もんだし、小難しいとかってなってきそうな気がするんですよね。
でもこの3冊はちっとも難しくないんですよ。
で、この3冊の後に、できれば山崎孝夫さんの精神分析の書き方を読むと、
まあ、いいよなっていう気はするんだけど、いや待てよって思うんですよ。
そんなことする必要あるかっていうのがまず思うことの一つと、
そうしたからといって何か得られるだろうか、得られるんですけど、でも何かですね、違う気がする。
その、こうまでしなければいけない理由が一個も、今の話、さっきの、
要するに悪いお父さん役をやっている部長に怒鳴られて傷つくっていうことを、
私は悪いお父さん役っていうふうに考えるんですけど、
これを考えるだけで済むのに、4冊も本読む、実質5冊なんですけどね、上下本だから集中抗議は。
5冊も本読む必要あるって思うと、私は何か違う気が。
この5冊は、僕は大学生必読書に絶対するべきだと思うんですよ。
でも、少なくともフロムの自由からの闘争よりも先に読むべきだと思うんですけど、
でも、何かピンとこないなって思うんですよね。
少なくともその必読書リストとかを上げたくはならない、やっぱり。
だって私はもっと和訳者に読んできたし、和訳者に読んできたのは訳があるんですよね。
松木さんの本とか藤山直樹さんの本も、何かこう、集中抗議を先に読み切ったわけではないんですよね。
間に違う本が入ってる。
で、難しいのも優しいのも、オグデンとかビヨンとかクラインとかも、フロイトはもちろんグニャグニャグニャって読んでるんですよ。
ナルシシズムと現実の関係
で、それを、これがつまり3ヶ月チャレンジでやっているつもりのことなんですけどね、私はね。
について触れて、だから勉強するとか本を読むとかではないんですよね。
触れ続けているってことなんですよね。
で、何でかっていうと、さっき言ったように、世の中には色もなければ客観という世界はないのに、
あるって僕らが思い込んでいるこの思いを常に突き崩し続けていないと、すぐにこのナルシシズムにはまり込む。
それは良いんですよね。ナルシシズム自体は気持ちいいから、それで。
だけどナルシシズムは現実とすごくずれているので、はっきり言って。
現実には色はないんですから、現実にはそういう悪いお父さん役の人がゴロゴロいるんですから、
このナルシシズムに入っていくと必ず傷つくことになるんですよ。
こっちが問題なんです。ナルシシズムの傷つきが問題なんです。
これは避けられないんですよ。
私の観点では、これを文化的な何とかとか政治的な観点とかで避けられると思っているのがおかしいと思うんですよ。
やってることが夢を見ていて壁にぶつかって、夢見てるんだから壁にぶつかるんですよ。
そしてここに壁があるのが悪いみたいなのが、僕から見たところの社会運動に近いものなんです。
でもそういうことは確かにあるんですよ。確かにそこに壁があるのは良くないみたいな。
でもこの壁を壊して家を建て直していくというのはかなりの手間なんで、
少なくとも壁にゴチンってなって頭に炭鉱布できましたら炭鉱布はこの壁を撤去することによっては直らないので、
私は炭鉱布を直すことの方に力を注ぎたいですっていう立場なんです。
で、この炭鉱布を直す方法については世の中の人は忘れようとしてるっていうふうに僕には見える。
あるいは概要訳以外は認めないみたいな。
僕の感じで言うと炭鉱布に対してはMRIによって炭鉱布を解析するみたいな世界に入ってるんですよね、私の知る世界は。
それは確かにそうすると治るんだけど、そんなことしなくてもいいじゃんって感じがするわけですよ。
そうじゃなくて、そこに特に痛みに向かいましょうって言いたくなるんだけど、これが流行らなくなってるんですね。
一番流行らなくなってるんですよ。痛みに向かう論。壁的挙論の方がはるかに受けがいいんですよ。
そこは僕はどうしても不思議なんですけど、どうしても不思議なんですよ、ここはね。到底納得できない。
だって目をつぶって夢を見ながら歩いていれば、絶対何かにぶつかるからって思うんですよね。
でもそれを言われること自体が気に入らないって言葉ここにはありますかな。
不思議じゃないのかもしれないんですけれども、とにかく我々はみんなですよ。起きてる人はいないんです。
夢をみんな…夢を見ることによって現実を理解するっていうのが人間のすごい特徴なんで、天才的としか言いようがないと思う。
他の動物はみんな違うことやってるのに、我々だけがこの夢を通じて世界を理解しようっていう、そしてその方法が一番上手くいったっていうですね。
あれサピエンス前紙に書いてありましたよね。人間の取った戦略というのは、最初取り出した時には正気の差だと思えないほど馬鹿げていたんだけど、
実はこれが正解だったっていうことはすごいことだよねっていう、あの本はそういう本なんですけれども、
要するにチンパンジー対人間で、人間は知性というものを使うことにしたと。
しかしチンパンジーに対して人間の知性の優位性を説いている間に、あなたはチンパンジーによってぬいぐるみのように引きちぎられるっていうふうに書いてあって、そうだよなと思ったんですよ。
これが上手くいったの不思議ですよね本当に。でもこれが上手くいったんですよ。面白いことにですね。つまり夢を通じて世界を理解する。
これに近いことはアピール戦士に出てきますね。夢を通じて世界を理解するっていう。
しかもその夢を集団で見るっていうね。これがあのあれですね。吉本バナナさんのお父さん、吉本タカキさんの集団原始ですよね。
本当にそうですね。集団で夢を見る。超危ないじゃんって思うんだけど、だから超危ないんですよね。戦争とか始まりますしね。超危ないんだけど上手くいくんですよねこれがね。
でも夢を見ておりますから傷つくんですよ。変な衝突に必ず遭遇する。そしてその衝突は変なんですよ。
だからこれを精神分析という、またこれも変なものですよねそういう意味では。極めて変な方法論によって一時的に目を覚ますというか、
夢を見ているということを自覚して、この夢を調整することで現実に対して調律するみたいな。そういう感じなんですよね。
傷つく原因の調律
というふうに書いてあるんですよ。この悩める社会人。そういうふうに書いてないですよ。
でもこの悩める社会人のための精神分析からの処方箋で書いてる処方箋なるものは完全にこれを言ってるんですよね。
で、これ本読んで自力でできるかなと思うと、そうはとても思えないので結局何をするかっていうと、という方法がこの世の中にはあります。
興味を持ってねっていうことなんであって、確かに私なら興味深いとめちゃくちゃ思うんだけど、これがなかなかどういうわけか。
それはだからさっき言ったような事情で、これを言われること自体がナルシシズムに対してトラウマになりうるから、これに対して多くの人はできるだけ意識したくないっていう否認的な態度がここにあるんだろうと思いますね。
で、優しく優しく書くということを通じてなんですが、そうすると何て言うんだかな、産業でナルシシズムの説明が終わってしまうんですよね。
だから赤ちゃんはお母さんに何でもしてもらえる時代があるっていうふうに書いてあって、これを一時ナルシズムと呼びました。
いやー、なんかこう、その説明に嘘はないじゃないですか。嘘はないんですよ。で、その説明でわかるわけじゃないですか。
あ、そうだよね。赤ちゃんってね、おっぱいとかもらってちゃんと面倒見てもらえない。そう、フロイトは一時ナルシズムと呼んだんだ。
ってなっちゃうと思うんですよね、なんとなく。でも、じゃあ他にどう書けばいいんだよって言われると、私には何のアイディアもないです。
で、専門書の方に行くと、この内容だけで丸々100ページぐらい使われています。で、こう難しいとかって言われるわけですよ。
それもなーって思うんだけども、たぶん100ページも読んでられねえっていうふうに思われるのはもっともだと思うんですよね。
100ページ使われなくても50ページぐらい使われて、2行で済むのも50ページですからね。それには十分な理由があるんだけどでもなーとは。
どっちにしてもでもなーって思うんですよ。でも理解するためには、てか、何なんですかね。理解するためにはどっちも必要だなとは思います。
そして、どうしてこれが理解しにくいかというと、こういうシステムになっているんですっていう前提を受け入れられないからなんですよね。
そうじゃないと我々は思ってしまって、パッと見たこれが世界であり、このように世界を理解するのは簡単だと思ってしまってるわけですよ。
調律とか不要だと、自分は客観的に見ているこの主観的な世界がほとんど客観と変わらないっていうふうに思えてしまうようにできていて、
だから正常な在り方っていう、この正常に対して鍵かっこも付けずに済ませてしまうっていうような、そういう観点が私たちの中にたぶん組み込まれちゃってるんですよね。
藤原直樹さんは、ナルシシズムというのは究極神的な死であると。神的には死んでるんだと。だから人間というのはもしかすると、もうデフォルトで神的には死んでる。
これは完全に客観から切り離されてるってことを言ってるわけですよね。誰も客観なんて見てない。これをそもそも認めていませんよね。往復の人が認めていません。
大谷翔平は客観の世界に生きてるとか、スティーブ・ジョブズは客観の世界に生きてるとか、そういう世界の方を好む。
自分はそうではないかもしれないかみたいなことで自信を失ったり、あいつらはそうじゃなくてダメな奴らだっていうふうに考えてみたりして、
私たちはここから外に、なかなか外にっていうか、この外がそもそもあるということをですね、認めたがらないんですよね。認めたがらないというか、わからないですもんね、そういうのってね。
さっきの、なぜ青空はそこにはないのか論ですら、わかりきったことだと思うんですけれども、だって空に色がついてるはずないじゃないですか。
それに、明らかに一個一個の粒子は透明じゃないですか。あれはうっすらと青色という色がついていて、それが集合体を出してるから青くなるとかでは全然ないはずなんだけど、てかないんですけど、
そうは我々はなかなかそういうふうには感じられないものだから、そんなこと感じてたらめんどくさくてしょうがないですしね。
そしてメリットもないですし、そういうふうにいちいちいちいち、それはこうかでとかって考えて生きていくことのメリットって何もないので、結局は色がついてることにしてしまったほうが手っ取り早いので、そういうふうにしちゃうんですけどね。
しちゃうんだけど色はないわけですよ。それは実装としてはそうなんですよ。だから我々は傷つかざるを得ない構造を持っているはずなんですよね。
ということが、なんていうんだろう、政治分析の中には前提として組み込まれてしまっている感じがするので、とてもわかりにくくなってる。
で、もう別に難しい話はここでは何もなされていない。母子関係とかの話してるばっかりですし、難しい話がなされてるわけではないんだけれども、
わけわからん話になってしまっているっていうことだなと思うんですよ。でもこれが、私たちの傷つく原因というものを調律してくれるほぼ唯一の方法。
だって、そうしようとしてますから。傷つく原因というものを調律しようとしてますから。他の方法論とか他の治療論の中ではあんまりないことのような気がするんですよ。
ライフハックとかにはこの発想は全く基本的にないです。ライフハックってのは現実は現実であるっていう前提を持っちゃってますからね。
現実は現実でないっていう前提を、しかもそのせいで私たちは傷つくんだっていうこの前提を持たない限りで、それを持ち始めると行動を修正すればいいって発想にはならなくなるはずなんですよ。
あるいは行動をチェックすればいいって発想にはならなくなるはずなんですよ。チェックそれ自体が夢の中でやることなのに、どうしてそれがチェック機能を果たすんだっていう議論は永遠につきまとわなければならないはずなんで。
そう、だから無情に怒鳴りつけられたからといって、心は本当に傷つくのか。この言葉はウッドバイブスでクラズマケルオさんが、心は傷つきません、形がありませんからってこういうふうに非常にプラグマティックにあるように言ったわけですよね、おっしゃってるわけですよね。
で、これも私は受け入れられんと思ってる人がいっぱい出たなって感じがするんですよ。でも、これはやっぱり言葉を厳密に運用するっていうやり方で一つのアプローチとしてあったなって思うんですよ。ちょっと仏教的になるんですけどね。
で、最後にですが、要するに私はこの小難しい話は、一つには大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
精神分析の難しさ
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
で、これも大前提となる部分の説明だけでも発症をかけてしまうことによるところがあるんだろうと。
49:00

コメント

スクロール