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2020-08-28 28:11

【GMV 214】他人が信じられないほど締め切りが厳しくなる

仕事の辛さと休暇の喜びは他人への信頼度で決まる
00:04
おはようございます。 グッドモーニングバイブスです。
よく 締め切りに間に合わないという
話がありますよね。今日ちょっとそれについて 私なりに
決着をつけてみようと思って
考えております。 今考え中です。
で、
これですね。 グッドバイブスでも
タスクシュートでも、タスクシュートというのは、あの仕事の大橋康生さんの開発したツールなんですが、
同じような 疑問を投げかけられるんですよ。
それで間に合うのかというやつなんですね。 私これに答えられることはありえないと思うんですね。
ツールが
未来を見せてくれることは絶対ないはずで。 あの野人くんのドラえもんの
タイムカメラをやってるんじゃないんで。 あの未来完全に予知できないと間に合うかどうかなんて
本当のところ誰も言えませんよね。ガントチャートはタイムカメラには大きく劣るじゃないですか。
それは誰もが納得してくださると思うんですよ。 ガントチャートで書いてあるのは仕事に関するスケジュールだけであって、それ以外の要素は全部無視されておりますよね。
パンデミックが流行るかどうかとか、 大洪水が起こるかどうかとか、
みんながね、あの関係者が熱車病で倒れたりするんじゃないかとか、全く考慮に入れられてないわけですよね。
だから無理だと思うんですね。締め切りに間に合うんですかという問いに、答えられる人がいるはずがないと。
それがあるんだけど。
戦略として2つありまして、その間に合うかどうかはともかくとして、
やることとしては、あの
ちょっとずつやるっていうのが、昔タスクシュートでよく提唱してたんですよ。
ウッドバイオスでは割と本気でやるというのを提唱しているというか、そう言うんですけど、
私この2つは、若干ニュアンスに違いはあるけれど、
結局同じ話に行き着き、かつ同じ疑問をまたぶつけられるんだなということを最近知りました。
ちょっとずつやるということは、決してですね、
ちょっとずつやれば締め切りに間に合いますという保証はできないわけですよね。
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ちょっとずつやったって間に合わないかもしれません。
ちょっとすぎてね。だいたいちょっとずつやれば間に合うというのは明らかにおかしいですよね。
でも一度に大量にやろうとすると、やる気を失うというような話もあるんですよ。
あるわけですよね。
今ちょっと考えながら喋っているためにまとまらないわけですけど、でもこれに決着つけようと思って自分一応喋っておりまして、
問題はちょっとやるかいっぱいやるかとかではない。
よくライフハックではね、分解するとかって言うんですけど、分解するかどうかではないと思う。
昔一郎さんだったかな。
宿題を先にやってから遊びましょうみたいな話をされていて、私あれですね、タスクシュートに適応すると先に仕事をやれば心置きなく
よか時間が楽しめるでしょうっていう言い方をされることがあったんですね。私そういう話したことないから。
私はそれを言うだけならばタスクシュートいらないだろうと思うんですよ。
タスクシュートっていうのは見積り時間というのを出すんですね。
今話を簡単にするために仕事1時間、夕食1時間、よか1時間としましょう。
今が19時だとします。
で、夕食を20時から食べたいとします。そうすると
仕事をやる時間が正確に見積もられていて、しかもそれが1時間で済むならば先に仕事ができるよねという考え方をとるんですよ。
でも私この考え方は大変おかしいと思ってて、これをやるだけだったらタスクシュート別にいらないんですよね。
そうですよね。別に仕事先にやったらいいじゃないですか。ただそれだけのことになってしまう。
見積もり時間を正確にとるっていう部分をタスクシュートで強調されているように思われるかもしれませんが、
見積もり時間というものはですね、少なくとも2つの意味があると思うんですね。
1つは1時間で終わるかどうかじゃなくて1時間やるって話。
これだったらですね、本当にタスクシュートじゃなくたってカレンダーに1時、19時仕事、20時夕食、21時よかって書いておきゃいいんですよね。
その通りにできるというのであれば。
一郎さんは先に宿題やって後で遊びなさいっていう話を昔された記憶が確かにあるんですけど、一郎さんじゃなくてもいいですよね。
学校の先生とかよく言うじゃないですか。彼らはタスクシュート知らないですよね。
この話をするだけだったらタスクシュートとかいらんわけですよね。
で、えっとですね。
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問題になってくるのは、その時間を自分のために使うのか他人のために使うのかということだと感じられると思うんですよ。
感じられるというのは、結局仕事をするときに、例えば原稿を書くにしてもですね、
自分のためにやるんだったら、その時間に漫画を読むんでも原稿を書くんでも同じだと思います。
ここを受け入れられないって話からすべてが始まると思うんですね。
だって先に原稿を書くのか先に漫画を読むのかが問題になるということはこういうことですよね。
先に原稿を書いてしまったら意外にそれが時間がかかって結局漫画が読めないのではないかという恐れがあるということですよね。
これはつまり、先に仕事という他人のために時間を費やしてしまったら、後で漫画という自分のための時間が残ってないんじゃないかという不安ですよね。
じゃあ逆にして、やりたいことを先にやるようにしたらどうかと、そういう考え方もありますよね。
先に漫画を読んで後で原稿を書くことにすればいい。
そうすると、さっきの締め切りに間に合わないとかいうやつが出てくるわけですよ。
自分の時間を先に使ってしまったら、後で他人のためにとっておくための時間が不足してくるんじゃないかと。
だから先に他人のためにやらないと心配だというわけですよね。
この心配をゼロにするために完全に未来の予測をしたいと、そういうことが多分言われてるんだと思うんですね。
グッドバイブスは多分僕は、ここは話をシンプルにするために前提喋りませんが、
全部自分の時間だと思ってしまい的なところがあると思うんですね。
原稿を自分のために書くようにすれば、漫画読むのと同じでしょっていうようなところがあると思うんですよ。
もうこれ全部じゃないんですけど、当然こうして考えてみるとですね、
予感のために楽しみの自分の時間があって、それまでに他人のために時間を使うという、
そういう時間の色分けが消滅しますよね。
多分グッドバイブスでそういうことになるんじゃないかと思うんですね。
で、私はタスク集とでも同じだと思ってるんですよ。
だから漫画を先に読むか、原稿を先に書くかは関係ないんですよ。
どっちも自分のための時間になれば。
で、この話になってくるとですね、
やっぱり2つ問題が出てくるわけですよね。
まずそうは思えないって話があるんですよね。
原稿を書くための時間はあくまでも自分の時間ではないと。
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心の底からどっちをやってもいいと言うんであれば、漫画を読みたいと。
という話。つまり心の底からやりたいことだけをやるなら、原稿は書かないって話。
私はですね、こうなるのは、
原稿以外のことを考えすぎているからだと思うんです。
これはいわゆる倉園圭吾さんの言い方とほぼ同じになりますが、
原稿を書いている最中に他人の評価と締め切りのことにフォーカスを当てていれば、こうなるはず。
つまり、問題なのは原稿家漫画家じゃなくて、他人のためになっているのか自分のためになっているのかということで、
原稿を書いている時に自分のために全然なってないっていうことが問題になるんだろうなと。
つまり急がなければ、全く急がなければ、急いで漫画読む人っていないじゃないですか、別に。
速い人はいっても急ぐ人はいないですよね。
全く急がないならば、多分原稿を書くことの感じってのは変わってくると思うんですよね。
仕事は全部そうなるんじゃないかと思うんです。
そうは言ってもっていう話があった時に必ずですね、仕事ごとにこういう評価であるのはもう確定しているんだっていう話があるんですよね。
つまり、急がなくてもつまらないし、自分のためだと思うとしても無理であるっていう、でも自分はそうは思わないんですよ。
急ぐ急がないというのは重大な意味を持つと思うので、急ぐのは他人のためですよね。
つまり急ぐ以上はもうその時間は自分のためじゃなくなると思うんですね。
ここを何ともいじらないで時間管理するってことは僕はできないと思うんですね。
ここを全くいじらないと全部同じになってしまうんですよ。
昔学校の先生が言ったやつと何も変わらなくなるんですね。
まず勉強してから遊びなさい、そして勉強はつまらなくて遊びは楽しいでしょうっていうこの構図でやる以上、タスクシュート使おうと他の何を使おうと何も変わらないんじゃないかと。
なぜならば結局大半の人はですね、遊びと仕事であればほとんどの時間が仕事になるわけじゃないですか。
ほとんどの時間が仕事になって、しかもそれが全部大変であるならばですね、たぶん遊びの時間とか自分の時間ってほとんどなくなるはずなんですよ。
後ろへ後ろへと倒れていって、しかも他人のために使っている時間というのはですね、長引くので楽しくないですからね。
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体感的には100%他人のための時間になってしまう。ここが理不尽だと思うから、時間管理なるものをして自分の時間を確保する方法論が出てくるんだと思うんですよね。
先に漫画を読むにしてもいいんですし、朝一では自分のための仕事をしようみたいなああいう言い方が出てくる。
でも私はそのどれも全く納得がいかないんですよね。
それをやるということは最大でも1,2%自分の時間という世界から抜け出せない気がするんですよ。
で、問題になってくるのはですね、ちょっとずつやることの一つの大きなメリットは、ちょっとだから急がないで済むってところにあると思うんです。
ちょっとでも急ぐって人はいると思うんだけど、私はですね、ちょっとなら急がないで済む。だってちょっとだと急いでも急がなくても大して違いなくなりますからね。
ちょっとしかやんないんだから。例えばですけど極めて極端なこと言うと、月光1分、急いでも59秒だと節約する意味がないじゃないですか。
つまり規模を小さくしておくことの一つのメリットっていうのはそういうところにあって、結局それは急がないということに繋がっていくと思うんですね。
で、この考え方はグッドワイブス的ではないです。しかも現行は1分では何も意味をなさないし、自分は逆に今してます。
つまり時間無制限とらえてるんですけど、同じことだなと思うんですね。全部自分の時間だと思えるようになればいいわけですよ。
そうすると1時間であろうと1分であろうと急がなければいいんですよ。急がないということは何が起こるかというとですね、1時間経ってもほとんど全く欠けてないということはただ発生するということになるわけです。
で、これが怖いというわけです。なぜ怖いかというと締め切りに間に合わないから。
で、締め切りに間に合わないうちに私のようなフリーランスは破産するから、それが怖いということになるわけですよ。
で、ですね、これ究極的には、私は決着と言ったんでもう1回頑張ってるんですけど、究極的には
締め切りがあるということによって急ぐということはですね、ちょっとずつやるであってもたくさんやるであっても同じだなと思う。
つまり怖いからやる仕事は全部絶対自分のための時間にならない。怖いから漫画読む人はいない。
つまり怖いからやるというタスクがある限りは、私はタスク管理も時間管理もうまくはいきっこないと思います。
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怖いかどうかということはつまり、2つここにもあるんですが、まあでもその2つは同じ意味になりますが、怖いというのは他人が怖いんですよね。
仕事を起こされる、怒られる、破産する、怖いわけですね。
それはつまり、終わらないことが怖いということは、
終わらない先に待っていることの恐怖があるから、そっちを優先してやる、回避するためにですね。
ということはですね、私は、それはつまり他人を信用しないということしか意味しないと思うんですよ。
他人というのは、締め切りに間に合わせることによって、それを怒らせないようにするような存在だと。
だいたい原稿なんで、例えば、締め切りを最優先にしたり、ものすごく細切れに書いたりすれば、私の考えではですね、どう考えても
自分として最も面白いものを書くのは無理だと思う。でも、ここを優先しなければならないって多くの人が言うじゃないですか。
いや私は質を取りたいんだけれども、世の中には締め切りというものがあるっていう話になるじゃないですか。
ここは、どこかに必ずですね、わからず屋がいるっていう話をしているはずなんですよね。
で、私は今ここでライフハックのセミナーをやってるわけでも、仕事術のセミナーをやってるわけではないので、はっきり言うんです、いうつもりなんですが。
わからず屋がいるということは、少なくとも良い状態じゃないじゃないですか。
そんなこと言ってもしょうがない、いるんだからっていう話じゃないですか。最高によく受け止めても。
つまり、締め切り優先して本を書いて、それが面白くなかった場合ですね。
場合でも、締め切り通りに上がることの方が良いというのは、
他人というのはその程度のものなんですよ、その世界において。
で、ここから先は宗教みたいになってるんですよ。
宗教とちょっと違うんですけど、厳密に言うとですね、これは囚人のジレンマなんですね。
人が信用できるかどうかということが全部だと思うんです。
より遅く書いたりサボったりするという話では最初からないので、つまり十分納得いくように書くと、締め切りを突破してしまうということをどう捉えるかなんだと思うんですね。
突破するか突破しないかどうせわかんないんですよ。最初からタイムカメラじゃないというのはそういう意味なんで。
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突破するかもしれないし、しないかもしれないんだけれども、とにかく時間を無制限にかけることにする。
無制限にかけるというのは、永遠に本を書いてるって話ではないですよね。見積もらないというだけです。
そうするとどういうことが起きるかというと、
死なない限りは自分としては一番良いものが書ける。完璧なものではないですよ。
一番良いものが書けるっていうだけです。
それはですね、時間見積もった場合に比べても大して違わない可能性もないわけじゃないと思います。
いずれにしてもただベストであるという。このベストは
ある人が締め切りを守られたということによって 喜ぶという人がいるかもしれないんですけど、そのベストはですね
そのようなことはどうでもいい人にとっては 重要な意味があると思うんですね。
ほとんどの読者さんは私が締め切りを守ったかどうかに重きを置かないではないですか。
この本は締め切りを守られているから星5だが、こっちはすごく面白かったけど締め切りを 大幅に超過したらしいから星2だってことにはならないと思うんですね。
ただこれは結局他人をどう捉えるか だけが問題になっているわけですよ。
他人というのは結局締め切りを突破しても待っててくれるという世界に住んでいれば
そしてそれが絶対にそうだと思えるならばこの信用の程度なんですよね。 信用できればできるほど安心してできるわけですね。
安心してできるほど多分 余暇にやることも仕事にやることも同じ意味になっていくと思うんです。
でも信用できなければできないほど怖いから 怖いゆえに仕事をしなきゃならないわけですよね。そうすると余暇と仕事の
コントラストが非常に強くなってくると思うんですよ。
で、余暇と仕事のコントラストが極めて強く、余暇を前に置くか後に置くかで悩むということはそれだけ他人が信用できないということを意味しているんだと思うんです。
ここは囚人のジレンマなんですよ。
何がいいかな。最近起こった出来事で言えば買い占めですね。 誰も買い占めないと信じていられれば
急いでトイレットペーパーなり生活支出品なりを買い出しに出かけて ごっそり買ってくる必要はないわけですよ。
でも自分が暗論としているうちにみんなが買ってしまうかもしれないですよ。ここに 絶対的な正解はないですよね。自分がどういう世界に住んでいると思っているか
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それもみんながどう思っているかに大きく左右されます。 買い占めるのが正解な
まあこういう言い方はしたくないですけどそれでもやっぱり なるべく早く帰っておくことが結局その人を有利にする世界もあれば
それがただの無駄に終わる世界もあります。現にあるわけですよね。 確かだけれども私の記憶している限りモルドバっていうのはそうなんですよね。
まあ言ってみれば辛い世界なんですよ。
で日本はそうではない方です。たぶん。 少なくともアメリカでそう起こったみたいに暴動が怖いから銃持ってなきゃならないって言うほど
日常品がごっそりなくなるっていうのは言うほど起こってない国だと思いますね。 少なくともモルドバに比べれば大丈夫かなみたいなところはあると思いますが
まあその なんていうのかな結局でもこれはみんながどう振る舞うかによって自分の振る舞いの意味が変わって
くるし自分がどう振る舞うかによってみんなの振る舞いに影響も及ぼさざるを得ないですよね。 だからまあ主人のジルマなんですけどね
それと似てるんですよね。みんなが締め切りに辛い世界であれば
仕事がなくなり干されて破産するということが 現実のものになりうる。
でそうみんなが思うんだったらば
自分だけはこっそり株をやって投資しておいて 現行がどうであろうと大丈夫なお金を蓄えておくとかそういうことが賢い選択になる。
辛い世界ですよ。 で
まあお花畑みたいな話に聞こえるかもしれませんけどみんなそういうことに緩い世界であれば
自分の仕事にずっとこう 時間無制限で没頭しておいても
すげー面白ければそれで納得されてその人はそうやって生きていけるっていう世界もある。 多分この中間のどっかでしょうね。
ただ
ある種の人にとっては この囚人のジレンマ的な生涯の無さというのはものすごく不安になるらしいんですね。
絶対自分だけは備えておこうとどっちに転んでもいいようにっていうあれですね。 そのどっちに転んでもいいようにって思う時には
決して私はですね仕事が楽しくはならないと思うんですね。 つまりどっちに転んでもいいようにしたいから
先に辛いことをやるんですよね。 この価値観はつまり
集団ダイナミズム的なところがあるんですよ。 先に辛いことをやっておこうという発想そのものが
自分の社会観を反映していて、そして自分のその社会観で生きているということが社会をそういうものにしていくんですね。
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予言の自己成就っていうやつとちょっと似てます。 というか多分同じです。
あのあれですね、みんながあの銀行潰れそうだと言って取り付け騒ぎが起きるっていうあれです。
だからみんなが危ないと思えば危なくなるということですね。 みんなが締め切りに間に合わないと仕事をされると思っている世界では実際そうなんですよ。
で、みんながそうじゃないと思っている世界では実際そうなんですよ。 このことでは納得できないっていう思考の人は少なからずいるわけですよ。
どちらにしても自分は安全なところに置きたいという発想って自然なわけですよね。 ただしそのことにはコストが常につきまとう。
で、お花畑かそれとも賢いのかっていう、つまり賢さとはこの場合保険を売っておくってことだけど、 その保険はただじゃないってことです。
で、ここをどう捉えるかですよね。最終的にはその保険はただじゃないというのはこういうことです。 その保険は仕事を辛くする。
で、仕事の時間というのは1日の少なくとも7割は締めそうな気がします。 そうすると1日の7割を辛くする。
っていうのを何と捉えるかなんだと思うんですね。
人は正解を選びたい。だから何と捉えるかというのを提示されるのは面白くないんですよ。
先に辛いことをやるのか、先に漫画を読むのかを、どっちが正しいのかを知りたい。 だけどもそれは
先に辛いことをやるという発想が浮かんだ時点で、すでに選択は終わってしまっていると思うんですよ。
僕がつけたかった決着というのはそういうことなんですね。締め切りに間に合うんでしょうかという質問が発されている段階で
すでに苦い世界に
コミットしているし、作り出している。 だからそれが気になるという状態であることが、それを気にしなければならないという結果を
少なからず生み出しているわけです。 逆にそれが気にならないという世界に行けばですね、
締め切りに間に合うかどうかという問題は、そもそも存在しなかったりする。
これはたぶんグッドバイブスでもタスクシュートでも違いがないはずです。 だってどっちの世界にも締め切りがありますし、
それに対するその自分の
選択行動がありますし、 それによって発生する
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要するにダイナミズムがあります。相互作用があるわけですね。 そしてそこに軸はないわけです。
あやふやなんですよ。 海面を押す、海面じゃないです。水面を押すようなものですね。
押すから上がってくるわけですよ。波が最初からある形で波打つように、そういう振動作成装置みたいなのありますけどね、そういうの。
水槽に入れるやつ。そういうものはないわけです。
押さなきゃ波上がってこない。 信じられる人は押さないんですよね。
でも怖いから押しちゃうと。そうすると波が発生して、自分がその波に翻弄されるという感じがある。
それが多分ですね、締め切りにそのやり方で間に合うんでしょうかという問いなんですね。
バタフライ効果みたいなもんですね。 その問いを発するから竜巻が起きるんですよ。
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