1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 心理援助を利用するリテラシー..
2025-05-30 45:12

心理援助を利用するリテラシー【1192】

気にしすぎとされるのは困るが、気持ちに寄り添われすぎるのも困る。
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サマリー

このエピソードでは、心理支援を利用するためのリテラシーについて考察されています。特に、適切な心理支援の選択や心理臨床に対するリテラシーの重要性が示されています。心理臨床におけるリテラシーについて深く掘り下げ、利用者が治療や支援の効果をどのように判断するべきかが考察されています。特に、利用者が感じる不安や疑念について、自己評価の方法が重要なテーマとされています。心理援助のリテラシーについては、個人の責任と他者からの援助のバランスを考える重要性が説かれています。特にカウンセリングにおける対話や相手の感情への寄り添い方についての難しさが議論されています。心理援助を利用するリテラシーについて、クライアントとカウンセラーの関係性や進展の重要性が議論されています。

心理支援の重要性
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1192回をお送りします。
5月30日、金曜日、8時3分です。 風が強い。
目の前にですね、ある大したもんではないんですけど、
シソのプランターのシソがですね、もうちぎれんばかりに横殴りになってて、大変心配ですね。
そういう心理状態で、これをやるのもどうかと思うんだけど、まあしょうがないんで、これはもう、このポジションでは嫌でも目に入ってくるし、
風は一向に止む感じもないし、 まあとにかく風が強いですね。台風みたいだよなっていうのはちょっと言い過ぎなんだけど、
でもこの季節とは思えないほど強くて、支柱立ててあるんですけどね、もう全部に支柱立てるんですよ、今では。
私は、バジルとかシソには支柱立てても無駄な感じなんで立てませんけど、
大体基本全部立てるんですけどね、どれを見てもちょっと不安になるという感じです。 しゃあないんですよね、こればっかりは。
ビニールハウス栽培とか減ってらんないですからね、さすがに。 そんな場所もないし。
そろそろですね、チャンネルを追加してホームページも作ったし、 ホームページも公開してチャンネルも増やしていかなければなぁと思いつつ、
風が強いとガーデニングの方に意識が回ってしまい、
いろいろと、まだなかなか、まあチャンネルを作るのはすごい簡単なんで、今の時代いくらでもできるんだけど、
一旦作れば作ったで、しばらくそれに頑張るけど、別に何が起きるわけでもないし、
ただただね、こう、SNSをやってますみたいになっちゃうのも、大して面白くないんですよね、今の感じですと。
そうなんだよな、なんかそれが損臭いとかではなくなってきたんですよ。
なんかありふれすぎていて、今さらなぁみたいな、なんかこのありふれてる感なんなんですかね。
えっと、昔、昔々、私が昭和の時代に、流し屋で、なんか色のついた、
チューブのやつで凍らせてあるやつってわかりますかね、なんかソーセージみたいなやつで、なんか明らかに間違った色がついてるやつを、
ずっとしゃぶってるんですよ、小学生。 私あれ最初に、あれね、なんかね、地元ローカルルールで、
幼稚園生はやっちゃダメってことになってたんですよ、今思うと。 言いがかりもはなはなしいと思うんですけど、なんて勝手なルールだって思うんですけど、なんかそういうのって、
昔の時代あって、私も晴れて小学生になって、危機としてしゃぶってたんですけど、最初だけなんですよ。
小学校4年、3年ともなると、もうあれをやったからと言って、あまりにもありふれている行為であって、
つまらんというのが今のSNSチャンネルだと言いたかったんですけども、なんか言わなきゃよかったような話になっちゃいました。
今ですね、考えているのは3ヶ月チャレンジの中で、どこまでそんなにニーズがあるわけでは、ニードって言いそうになった。
そんなニーズがあるわけじゃないわけだから、どうでもいいような話なんですけども、でもちょっと3ヶ月チャレンジの中でですね、この心理支援を受けるためのリテラシーみたいなものを、
なんかこう、お伝えできたらいいのかもなぁと思う時があるんですが、
なんかそれって、妙な感じが、病院に通うサポートみたいな感じなんですよね。まんまかもしれない。そういうもんかもしれないですよ。
なんか僕はそれいるなぁと思うんですよね。うまく心理支援を使う。なんか余計なお世話感満載じゃないですか。
いつもこれ悩むんですよね。公認の正規の心理師さんから見ても余計なお世話感があり、しかも利用する側からしても余計なお世話感のあるものは作りたくないですよね。
選択の基準
でもなんか畳で見ていると、いやでもなぁみたいな気持ちになることもあってですね。
なんか悩む。悩む必要もないんだけど。どういうことかというとですね。
僕は力道にしか原則、今興味を持っていないに等しい人間だから、僕は別に心理臨床をやりたいわけじゃないからですね、その心理臨床の全貌みたいなことがしたいわけではないわけですよ。
なんか分厚いですね。何だっけない。伊藤恵美さんという方が紹介されていた、なんかもう本当に辞典みたいなやつとかを読むのは良いことなんでしょうけど、それはなんか
よくあるじゃないですか。アカデミーの世界で良いこととされていることって、でもその世界にどっぷり浸ってる人にはその歌詞が過剰によく見えて、他の人にとってはなんかこうもう
関わらない方が無難だみたいな世界ってあるじゃないですか。 僕古い人間なんであれなんですけどね、一昔前は
なんかある種のマルキシストの、なんていうのかなあれはな。まあ要するにマニュアルなんですけど、なんか天下取るマニュアルみたいなものがあったわけですけれども
なんかあれをね、これを読まない奴は人間としてダメだみたいなことを言う。さらに僕から見てもおじいちゃんより上の世代の人って大学にいらっしゃったんですよね。
で、うちの大学って実は右翼系なんですよ。 あんまり知られないんだけどね。だからそういう人がちゃんとイタリティに入っているところがこの大学ってすごい面白いよなと思うんですけど
右翼の先生とかいらっしゃいましたからね。 滅多にないじゃないですか。まあ今では珍しくないかもしれないけど、昭和ではちょっとまだ考えられない時代で
うちの父が私が卒業する頃になって、あの大学に入らないでほしかったとか平気で言い上がるわけですよ。
アホだなぁと思ってたんですけれどもね、うちの私いつも父にね、冗談半分というか、だってあんた宗教じゃんっていう、宗教ってみんな死刑じゃんっていう、そういう話をよくしていて
まあ要するにあの親子喧嘩はそうやってしてたってことなんですけどね。 あの
なんていうのかなぁ。 そういう話がしたかったわけではなく、どういう話がしたかったかというとですね、要するに心理練習をやりたいわけではないので
まあそこまではいらないと思うんですよ、絶対に。 利用者は。でもやっぱ我々は
その とはいえ絶対地美科とか選びますよね。絶対選ぶと思うんですよ。この辺でももうやっぱり
あのちょっと近いんだけど平塚にいい病院があると、そこはもう朝8時に予約開始。8時1分には満席なんですよ。本当にそうなんですよ。
で一方でうちのすぐ近くにのあの 声優があるんですけど、その声優の横にねある地美科はいつ行っても誰もいないんですよ。
これがねもう本当に、でも行けばそのことの理由はすぐわかるんですよね。 とはいえ僕はそういうところに平気で行く人間なんで、
平気でそういうところに行って、ちょっと嫌なことを言われて薬もらってすぐ帰ってきて、いやーこれいいわーっていつも思ってるんですけど、でもまあやっぱ面白いことに
そんなにガラガラなくせに絶対何か嫌なことは言うんですよ。 別に僕に嫌なこと言う必要ってその先生一切ないと思うんだけど、言わずにはいられないんでね。
来た患者に絶対嫌なことを一言は言っちゃう先生。 まあ人気ないよねそりゃねって思うんだけど、でも僕は絶対行きますけどねそこにね
必要になったらそこに行く。 だって別に名医である必要ないからね。と思ってるんで。
でまあそのなんだ、何の話をしてるのかわかんなくなるな。 だからですねリテラシーってあるんですよ。みんな持ってる。
これを心理臨床の世界にはいらないんだっていうのは絶対嘘だと思うんですね僕はね。
それがどういうリテラシーである、医者の側にしてみればそんなことはないって言われるかもしれないけど、そんなことはあると思うんですよねやっぱりね。
だって混んでるところは名医ですもん。 どこに行ってもここの辺で言うと皮膚科でも、歯医者でも、名医者でも、
自美科でも小児科でも混んでるところは全部名医です。 例えば私係付けの小児科さんはやっぱやや不人気。
で例えばコロナの注射とか痛い。 絶対痛い。でも名医の先生のところ行くとコロナの注射とか全然
針の痛みを感じないという差はあるんですよ。でも僕は痛いところ行きますけどね。 だって別にどっちでもいいからすぐ終わる方がいいから。
こういうことやってる奴はダメなのかもしれないですけど、僕は大体そういう人間なんですよね。 どっちでもいいじゃんっていう感じなんで。
基本空いてるところに行きますね。 歯医者さんはさすがに空いてるところには行かない。
空いてるところあるんだけど、めっちゃ空いてるところあるんですけどね。 歯医者さんはね、僕も怖くなっちゃったんですよね。
子供の時は僕もね、歯医者さんだって空いてるところを優先して行ってた人間なんですよ。 実はね、変な度胸があるんですね私にはね。
リテラシーの必要性
そこで間違った歯を2回抜かれましたからね。間違った歯なんですよ本当に。 明らかに隣の方抜いてる矢がある。それも2回あったんで。
あの辺からちょっとやっぱり歯医者さんに対する恐怖っていうのがね、ありましたね。 まあ今で言えば明瞭に医療過誤です。今じゃなくても医療過誤な。
つまりこのリテラシーというのは何のために必要なのだろうかと考えた時に、間違った歯を抜かれないためなんですが、
あのことがえっとですね、 カウンセリングのことになってくると、
私がまあやっぱり一番何をお伝えしたくなるかというと、関係の維持を務めるためには何を基準にすればいいのかということですよね。
やっぱり行けばいいってもんじゃないと思うんですよ。 わかっててやらないといけないと思うんですよね。だから私が空いてる地味科に行くのはいいと思うんですよ。
でも空いてる歯医者には行きたくないわけですよ私も。 で、それはやっぱり自分なりの何かがあって、それで選択できている限りはまあまあいいなぁと思っているわけですね。わからんけど。
髪の毛なんてもう明らかにあるじゃないですか。 どこ行っても同じですってみんながどれほど言っても絶対信用されないじゃないですか。僕なんかどこ行っても同じだと思ってるんですよ。
どこ行っても同じだと思ってるんだけど、奥さんがそれをゼとしないためにやっぱり結構混んでるところに頑張って、しかもかなり高いところに頑張って行ってるわけですよね。
やたかいなぁ、混んでるなぁなわけなんですけどね。 しかも美容院って会話サービスをしてくれるじゃないですか。
でも僕はそこ行くとほぼ四六時中だんまりなんです。 だってなんか面白い話が振られてきた試しがない気がするんですよね。
グッドワイブス的に話に乗るっていうのもあるんでしょうけど、さすがに僕はそこまでする気はしないんですよね。
だってあれだけの金払っていて私がサービスするのはないだろうって思うんですよやっぱり。 私としてはこれも自分でやっててどうかと思うんですけど
松木さんが編集されたあの欲打つに精神分析の欲打つ なんだっけなんだっけ欲打つへの精神分析的アプローチみたいな本があるじゃないですか
を読んでるわけですよ別に僕はそんなにこうそれが何種のかな 目につくだろうなと思わなくはないんですけどやっぱりこう時間がもったいないといえば
もったいないんでまあとにかくこう 切られながら
そっかーと思いながら読んでいるわけですよねだってやっぱり3ヶ月チャレンジでは必要な 指揮なんでと思ってるんで思い込んでるんで
まあ読んでるわけですね さした難しそうな本いつも読みですねとか言われるわけですよ
つまんないじゃないですかそんな話題難しそうな本店 何も言いたいことは向こうにもないわけですえっとそんなことはわかってるからなんか考えて
言ってくれるんだろうけどいやいやあの そんなことをまでしてくれなくていいですよって感じなんであの別にねそんな難しい
とか言って持ち上げてくれなくてもあの大丈夫ですからみたいな気持ちにしかならない ので本当になんていうのか要するに本読ませてくれって感じなんで
あので向こうだって髪だけ切っとくのが一番楽だと思うんですよ絶対に何かしたくも ない話
欲打つの精神分析的アプローチなんて絶対興味ないのは158%ぐらい確かなことなんで あのいやいやあのいいからみたいなだってその人とか
あの話題にする話がやっぱり危機としている時はどういう話かというと 8スタイルとかファッションとか僕がどうしても興味の持てない話しかないんでそれを
僕一生懸命乗ってる時はほんとお互い何やってるのかわけわかんないじゃないですか だからまあそういう話はあの
僕がしなきゃなんない時は頑張ってしますけど 僕がしなきゃなんない空間では明らかにないので1万円払って頑張って話をするっておかしい
だろうと思うんで まあそういうわけですよね
もちろん僕は心理カウンセリングに行ってるって言うならまたちょっと違うと思うん ですけどね私は髪切られに行ってるだけなんで
しかも私は自分の髪がどのように切られるかにあまり興味がないね あのいつもこう
あきさんは絶対にあの ok っておっしゃってくれますねって言われるんだけど 僕の目に ok にしか見えないですからどのように切られても
親子関係のメタファー
多分丸刈りにされても ok のように見えちゃうんですよね僕の目にはですね ここ根本的に何かこの種のビジュアルに対する自分のあの見てくれに対する興味が弱いなと思う
父が極度に弱かったんですよ本当にこう 捨ててこで外を歩いてしまう人だったんでちょっと裸の対象入ってるところがあったんで
ね あの捨ててこで外を歩くなと
母がめっちゃ怒っても もう翌日に歩いてるんですよねなんか覚えてないんですよそういうこと
本当にこう行動を歩き出すんで私も驚きますからね 僕だったらあのしたいで行動を歩けません
やっぱりこうそういうそういう地域で育った人だからなんでねあれはねやっぱりね
まあ話が盛大にあっちへ行ったりこっちへ行ったりしておりますが何が言いたいか というとですね
あの関係を維持するというのはつまり何回も行くってことなんですよね で何回も倫理省に行くというのはえっとそのようには思われてませんけど間違いなくそれで
がもう治療効果なんですよ でもこういう
知識だけ入れるとある種の人は何かこう 修行みたいになっちゃうと思うんですよね
いやどんなに嫌なそれこそさっきのあの私の一言は絶対嫌味を言う 地美科になんか通い続けることに意義があるのだみたいになっちゃうと
僕はそれはそれで心理臨床的には良くないと思うし別に僕は嫌味を言われる 地美科に通い続けることには何の意味もないと思ってるんでそういうことではないんだけど
でも1回目に言っていや辛かったからもうやめますみたいなのもわかりますけど そこはなんかこう踏みとどまれる可能性というものを考えた方がいいなぁと思うんですよね
でこれってどうやって判断したらいいのだろうかと まああの
イベントで公認死にしの方イベントで呼んだ時には3回いかん いや行ってみましょうみたい3回続けたら自分のせいかもしれないと思ってみる
あれもいいんですけどなんかいかにもじゃないですか わかりやすすぎるというかさすがにもう少しないかなぁと思っているわけですよ
例えば皆さんだったら歯医者だったらどうなんですかね 麻酔が痛すぎたら変えるとやっぱりあの痛みだと思うんですよねわかんないですけどね
会社を変えるっていうのはなんか割と鮮明にあると思うんですよね まあその名医だけども渡されすぎるとね私はだからその
地美科とかが特にそうで僕は別にその花とか本当それほど困ってないんで あの花粉症も幸いないですし
自民効果は あんな1時間2時間3時間待つんだったらあの
文句とかアホみたいなこと言われても待たないところがいいですね僕だったらね がえっと
っていう風になる そこで心理印象は何なんだろうなぁって思います
利用者のリテラシー
で僕はですねやっぱり a これは
ps ポジションと d ポジションだって思うんですよ だからこの概念はやっぱりなんていうのかな
利用者のリテラシーとして持っておきたい感じがするんですよね 何も知らなくていいんだっていうのも一理あると思うんですけど
例えば私たちあの花の治療について特に何かを知らないじゃないですか でもまあ ok じゃないですか歯の治療についても僕もあんなに歯医者選ぶ割には
あの歯の治療について詳しいことは何も知らんわけですよ あのせいぜい水が出るということかあの水が出るいいですよね
あれが金属ではなくて水だということが分かっていない全く怖くなくなるという人間の 感覚って不思議だなぁと思うんですけれども
まあどんなに聞かーってられてもこれが水だと思っていると全然痛くも怖くもなく なるんですよね僕の場合ね
だからあの歯の洗浄においてもこれ水だと思うっていうのは非常にいいんですよ で
なんかそういうようなことなんだと思うんですよ 割と心理臨床に関することでもこう辛くなるとかここに来ると本当なんか追い詰められる
気がするけどこれはこういう理由なんだっていうのがわかったらある種の人はコロッ と大丈夫になる気がするんですね
で心理臨床にはいかにもそれが足りてないと私は思うんですよ 行く前は多分ものすっごくよくわからんという感じがすると思うんですよね
話してよくなるとかナンセンスだって感じの人も多いでしょうし 話してよくなるわけでもないと思うんだけど
何の意味があるのかがわかりにくいその割に辛くなるみたいな時にどう判断すれば いいのかといったことになるんではないだろうかと
で まあサンチャレは心理臨床じゃないけどワンワンはいっぱいあるし
私の方が対面していて力道だっていう意識は持ってますから ここで何が問題になってやめ止めたくなるのは何でどんな時にはえっと
提供側の問題というか提供側の未熟さが問題でどこまでそれを 利用者側現状のまあ我が国の現状においてどこまで
あの我慢してついていったらメリットが得られて早々に切り上げるのはもったいなくて でも早々に切り上げた方がいいかっていうのを考えようとした時に
いやいやー わかんねーわ
ここまで聞いて聞かせておいて何なんですがここまで考えてみるとですね 結論出ませんねっていう感じがします
そこでだからさっきた ps と d なんですね で ps というのは妄想分裂ポジションですお馴染みのですね
83つあってまず妄想つまりえっと 猜疑心
パラノイドですね つまり私は迫害されているあるいは私は酷い目にあってる
それも外力要因によって酷い目にあった おっぱいが飲めないというのは a お母さんに悪意が私におっぱいを飲ませない
ないしは毒のおっぱいを飲ませようとしている 酷いことが起きているっていう実はお母さんをただ行きたくてもうこれも問題ですけど
行きたくてパチンコ屋に行ってるだけなんだけど私は家にいてとても寂しい 一人でずっと置かれてなんかカップラーメンとか置いてあるだけだ
非常に高お母さんは酷い 私をいじめようとしているっていうパラノイドでもよくはないけどお母さんはただ
いやのショッピングに行きたいだけですからみたいなそういう場合 しょうがない悪意はない
だけど悪意を見ちゃうみたいなそういうことですね これがパラノイドみたいな話でこれは親子関係のメタファー使ってますけども
これを臨床のメタファーに持ってくると例えばですけど質問責めになった 質問責めはいけないんですけど質問しなきゃなんないと思っているのかもしれないですし
心理の人は あんまり意識せずに質問責めにもしてるつもりなく聞きまくってるだけかもしれないんだけど
いやーなんかこう質問ばっかりされて何なんだろうこの人みたいな私のことねほりほり聞いて なんかストーカーチックなんじゃないかみたいに思ったら
迫害妄想的ですよね迫害的ですよね この迫害感をまずどこにどう扱うかって問題なんですよね
もやもやしますみたいな言い方しますね 心がざわつきますとかいるもやっとするとかイラッとするといった時に
イラッとしたということをどこまで耐える価値があるかみたい結局利用者の立場としてはそう なると思うんですよ
イラッとしたものをどこまで耐える価値があるのかここでっていう スプリットは一緒に起こりますね
もやっとするのは自分の心なんだけどこれを原因を外に置くわけですよ もやっとするのは心じゃないですか
でもだんだんだんだんこれを体験しているとですねえっと迫害してくるのは外のものだ っていう意識が強くなってくるんですよ
いやそれは当たり前でしょうって思われるかも知れませんが えっとここで思い出してほしいのがの ps ポジションの基本線なんですよね
自己評価の重要性
またもとおっぱいはないだけなんですないものは自分を責めては来ないないことが都合 が悪いってのは分かるんだけどそれは都合が悪いから自分は嫌な目にあってるから
だからこのだからがおかしいわけですよね だから外の奴が悪いんだってことになるのが妄想分裂なんですよ
分裂して外に置くんですよね悪いものを外に置く だからあの
いろんな外の出し方ありますけれども 例えば私先日あの
あの 電車のグリーン車乗っててえっとあれですよ普通列車のグリーン車ってやつ
長いんで乗ってたらあの 前にもこういう話しましたけど隣のおじさんがこう
めちゃくちゃ駅員に怒りだしたんですよね なんかこう行きたいみたいなこと言って怒りだしたんですよ
で 汚いというだけであればですね
こうえっまあ駅員の責任では僕からするとないわけですよ あの駅員さんたちはただあのグリーン車にただ乗りしてないかどうかをチェックしに来てる
だけなんであの清掃係じゃないんでね まあ jr のにしろだから全く無責任かっていうと微妙なんだけれども
でもまああれほど怒られる筋合いはないだろうと思うんだけれども めっちゃ女の人ですかねめっちゃ怒られているわけですよ
であれは完全に迫害妄想的な中世界なんですよ スプリットした自分の心の中にあるもやもや
イライラってのを外に置いたわけですよね 汚いものにそのさらに汚いものを作っ作り出したいないんだけど放置していた
8職員が私をもやもやさせたということにしたわけですよ だから迫害妄想的なこれ ps 的ですねこれを臨床の
じあの現場ではどういう感じになるかなと思うんですけどやっぱりその例えば 話ばっかりしていて全然自分に有効なアドバイスをくれないとかね
くれないのは必ずしもカウンセリングアドバイスしますよって歌ってないのに くれないっていうふうになって相手は持ってるのにいいアドバイスができるのに
サボタージュしてるんだとか私のこと真剣に考えてくれてないんだこれはもう 親子関係のメタファーですけど真剣にこの人は考えていれば
にもっといいアドバイスが考えつくはずだと たらに言うとお金を私は奪い取られていると時間も無駄になっている
だんだんの外へ外へとイライラの原因が外へ外へと押し出されていますよね だからスプリットオフして外に出したわけですよ
自分がスッキリしたいわけですねでこれで8 このカウンセリングを切り捨てれば本当にスッキリするって思ってしまうのは実はおかしい
じゃないですか だってつっきすっきりするかもしれないけれども問題は1ミリも前へ進んでないですよね
ここで関係を継続する価値があるのかないのかを8判断する基準が必要だろうと だろうなと思っちゃう
でこれが多席志向だって世の中でよく言われるんですけれども 席を止めて自席にすればいいってもんではないんですよ
自席にすると今度 d になるんだけどあのカウンセラーの先生が悪いわけじゃないんだと 私が至らないせいで一歩も前へ出られないんだっていうこのこの感じですね
だから何にも良くならないのはアドバイスがないからではなく私が良くないからそれは ある意味考え方としてはまあその多席よりはいいのかもしれないし社会的にはそれこそ
立派なのかもしれないんですけどこれをやってこれもいい子いい子のメタファーなんですけど これをやることによって自席をひたすらして
8カウンセラー何も悪くないんだとお母さん何も悪くないんだとお母さん行ってらっしゃい みたいな感じでお母さんをショッピングに行ってらっしゃい私は家でカップラーメン食べてるから大丈夫みたい
になるのはそれをそれでアレなわけですよ これをやることによってその確かに多席は止まる
何死に臨床の感観現場の感じで言うとあの 相手はひたすら解釈してくれる
ありがたい本当にありがたい私こんな私みたいな人のために解釈してくれつくださって ごめんなさいみたいになるわけですけれども
そうすると抑鬱的になるわけですよね抑鬱ポジションなんですがその入り口なんですけど この自席思考によってもやっぱり1ミリも自体は進展してないじゃないですか
これをずっと繰り返すのもえっと多分 正規の人がそれによって搾取はしてないと思うんですけど
だんだんだんだん正規の人がですねえっと真面目な人であれば特にだということなんだ けどここに問いのいつかが起こるわけですよ
無力化されていくんですよ知らず知らぬのうちに立つ価値化って言ってもいいんです けど
結局はこの人はどこか本当は役に立たないんだっていうことになってるんですよね だから自分のせいにずっとしてやるわけですよ
自分のせいにする万能感なわけですよ 何でも自分が悪いことにしておくと前と親は安心してくれると
究極的には親に何も期待しないってことですよ つまりカウンセラーには何もし期待しないと
であの他席の時は逆すぎるわけですよ カウンセラーが万能的に何でも解決しなきゃいけない立場に立たされているわけですね
あのあなたがの良いアドバイスをさっさと聞いて私は強く欲しいな情報なんです っていうのが一番の究極のあの態度ですよね
ps 的な態度 原因というものは常に外にあり結果も
心理援助の重要性
投薬もアドバイスもすべて外にあり何でも外から吸収するだけなんですよね この人にしてみるとなぜなら私は一番世界で大事な人だからっていう自己愛がそこに
あって 当然先生がアドバイスをくれたってお金払ってるんだし時間かけてるんだから
当然じゃないですかっていうわけでだからこの 精神分析というのはそのものが脱価値化されやすいわけです
1年もかかりますかとんでもないと1日でやってくれ ぐらいな勢いなわけですよ
これが ps のまあある種究極形態だと思うんですけどその真逆いくわけですよ もう先生の解釈が一言でもあれば私はそれで満足しますみたいな感じで果たして
本当にそれでいいのかって感じですよね この ps と d の
つまり自分に全部を持ってくるのと他人に全部を持ってくるの間になければいけない感じで つまり問題は間に置かれる必要があると思うんですよ
やっぱりこう 一曲のところどっちも終わっちゃうと思うんですよねそれをやってると完全に ps で
相手のところに全部の責任を置いてしまって なんかこの話をしているとつい自分の用語
弁護しているようで嫌なんですけど僕は一応利用者側でイメージしているんですよね 僕だってカウンセリング行ったことは何回かあるし
あのい行きましたそして相手が相手が本当に有効なことやってくれないなって思うこと あるしそれは必要な思考だと思うんですよ
相手が有効なことをやってくれて叱るべきだっていう まあそれは結局投影なんですけど
僕は親が有効なことをやってくれて叱るべきだと叱るべきですから 子供の立場からすればね
でも子供は少しは頑張っていい子やるじゃないですかっていう子もいますよね 私が頑張って自分で問題解決しなきゃなと考えると
でこれをやりすぎるとあの例の接触障害的になっていくわけですよ お母さんのご飯を入りません的世界に入っていくわけですよね
だからあの先生何もしねくれなくていいですから私が頑張る べきですよねみたいな感じでひたすらそこで自分の問題を話し反省し帰っていって
っていうのを繰り返すんだけど必ずしも事態は進展しない こう2人の間で起きた問題特にそのそのうちこういうことをやってる必ず2人の間で問題が
起きてくると思うんですよね 例えば先生あのカウンセラーの人が言ったアドバイスなり解釈介入が
責任の所在
的外れな気がするってなった時ですよね あるいは先生が私のことを傷つけたような気がする
あるいは先生の言葉で気づき傷つきましたみたいになった場合 本当に私の辛さがわかってないこの人はみたいになった時に
多席的だったらもう簡単ですよねいやこの人は終わったあのカウンセラーなのに人を 傷つけてあり得るはと思って切る
これが多席的な一番単純に言った場合 つまり問題がまだ外にあった時はいいんですけど問題がそこで起きた時にはもう多席的
だったら切りたくなりますよね普通に多席思考が働く ps ポジションだったら切りたくなるわけです
これの時に相手が ps を返してくるってことになってくると いよいよ関係はパターンに向かいますよね
いやいやあの私別にあなた傷つけるつもりなくてそれあなた気にしすぎですよ つまり8総的償いですよね
なんか罪悪化を持っちゃったんだけどそれあなたが気にしすぎているんだ この感じって実は僕はカウンセリングで絶対あると思うよ
こういう時に昨日おとといが喋っていたような野良問題があるんですよね 野良だからやるんだみたいなこと言うんだけどそれは嘘だって僕は思うんですよね
絶対 ps の投げ合いは する時はやってくるはずだって僕はもう今ではまあまあ確信しています
これは誰だってやるはずだそれは野良の人は無自覚にいつでもやっちゃうのかもしれない けれども
正規の人がこれをやらないなんて僕はありえない僕は少なくとも自分が正規の カウンセリングというものを受けた時これは必ず起こりました
でどっちに本当の責任があるかここが多分リテラシー的な見極めどころだと思うんですよね どっちに責任があるかって問いを立ててる間は多分ダメだし
どっちに責任があるかということに肯定しちゃってるっていうのもそのなんていうかな やっぱり肯定の仕方が問題だと思うんですよね
いやそれ気にしすぎだからとスパッ 完全に総的にいや要するに親がこう慰めるみたいに
いやそれはお前お前が勝手に気づいてるんだよみたいな態度があまりに赤原様なら これはダメだろうなって思います
でもこれがですねいや傷ついたのは私の傷つきす勝手に傷ついてるんです と言って一局撤退しちゃう場合が多いんですよねこれも僕は一局のところは
あの利用 し損ねてる感じがするんですよ
なんかこうマゾキスティックに撤退しちゃうみたいな d ポジションにどっぷりハマって撤退しちゃうみたいな
そういう感じ間にあるはずですよね2人の間で起きた問題なんだから でカウンセラーの方には多分
意図したことはまあこれは a 善意のものだと考えてしかも有効なものだと考えて
意図したものではないと思うそれでも相手が傷ついたということになったのであれば ですね
問題はその間に置くべきなんですよねこの関係の間に置くべき これが昨日行った店員の話に似てくると思うんですけども
あの この人が勝手に傷ついたっていうのであったとしても
それもカウンセリングルームの設定のせい設定のおかげでそれが起きたわけだから やっぱりこのタイミングで何とかこれを8
感情の寄り添い方
最大限活用しようぐらいにはせめて考えないと総的に償うだけで a はもう気にし すぎですからみたいな以上って感じではダメだと思うんですよ
でも 公営だというのを伝えることはできないにしても声ならばですね
つまり自分が勝手にある意味傷ついたんだとそれこそさっきのあの質問ゼメがそうです けれども
質問される度に傷つくんですけどみたいなのは8ある意味その人が投影して傷ついてるんだけど 質問される度に傷つくんだけどなっていうこれを
あの これはただのそんなに普通の人だったら傷つかないような質問ですよではだ
済まされないと思うんですよ済まされないというかこれをそれで済ませてしまったら 多分何か何かが少しも進まなくなってしまうような気がするんです
せっかくのチャンスを不意にしてるって言う この感じがあれば
続ける価値あるかなって感じがします で
傷つくのすごい辛いから先生これ以上質問はいらないんです私質問いくらされても 少しも進歩しないダメ人間ですからっていうこの撤退の仕方もこれはすっごく
力動的な感じが僕なんかしますし いやここを頑張ろうみたいな感じが相手に言うんじゃなくてですね
そこで頑張りましょうよっていうのもダメだと思うんですよ そこで頑張りましょうよってさらっと言ってしまうというのはあの普通に人間関係的にありえない
だろうと思うし でもそこを何かこうそこで撤退してしまうと
やっぱりこうこれをどこかでもう1回もう2回もう3回もう4回も5回やることに なんだになっていくって感じもするんですよね
っていう話が8できる人であれば やる価値あるかなって感じが少ししますやっぱり
少しってこの辺がややこしくなってくるんだけどや続ける価値を考える上ではやっぱり この ps と d のどっちかにしちゃわないっていうある種高
中ぶらりんだ感じもやもやは絶対残るはずだしこの関係の中に8要因を置くという なんでこれが起きたのかという撤退したい気持ちが起きたのかはこの関係の中にあるんだって
いう東映だって関係の一種ですから関係の中にあるんだっていう感じを あの
まあ難しいですねスッキリしたことになってないんですけど私はでもこのやっぱり 原因とか要因店舗の
見定めようとするならば容赦の中間にあるっていうふうに考えることが考えそういう発想 が示唆されているというか
暗示されているというか伝えようとしてきているのであればそこは継続する価値 あるかなって感じがします
あのそんなことないですよみたいなセリフが作ってもあっさりとは出ないっていう 感じかな
そんなことないはずなんで多分カウンセラーが善意の人であるならば 傷つける人はなかったんですとかなんだと思う謝るにしてもですね謝り方がやっぱりある
ような気がするんですよ いやそんなつもりはなかった申し訳ないではなくてなんかそれはおかしいと思うん
ですよね だからといってなんかこう一方的に寄り添ってくるっていうあなたそういうふうに考えるんです
よね辛いですよねみたいなのも いいようだと思うんですけれども
そりゃないだろって感じがどっかするんですよ自分がどんなに悪いと思ってても あるいは自分の未熟さのせいだと思っててもなんかその
安定ばいいのかな他人事みたいな感じがするんですよ こう
いわゆる寄り添ういいな話を聞いた時の問題があるとすればですね寄り添うことに問題は ないと思うんだけど
その 寄り添われた時に
いやさせさんしの辛さよくわかりますみたいななんかちょっと違うような気がするんです よね
いやそんなに辛さを訴えたいわけじゃ私はないしみたいな 寄り添われることがこの場合大事だというケースがあるのはわかるんだけど
こうまあそのセンシティブな状況にあるからわかるんですよ カウンセラーの人が何をしようとしているのか
なんかこう本当にそれはおつらかったですねとか言われるとまあ辛いのは俺であった あんたじゃないしねっていう気持ちになるじゃないですか
なんかこう中間に置いてほしいよねっていう話ですね 私の方に一方的に置くないという
まあその私の方の話に決まってるわけじゃないですか あの何どんな目に私があおうとですね
別にカウンセラーの人生関係ないわけですよ曲曲論言うとでもそれが確かにそうだと 伝わってくるのは面白くはないなって感じがしますね
だからこうそのカウンセリングの中でえっと 私が傷ついたと感じたといった場合にしても即座に寄り添われたのではあの
まあしらけるよねっていうのぐらいかな即座に行こう 朝が過ぎた申し訳なかった私あの
ダメなカウンセラーでみたいなことを言われてもあのいやそういう話をここで展開 してもしょうがなくないみたいな感じがしちゃうという
だからを寄り添うっていうのってえっと
その僕の d ポサというものに過剰に 指示されているって感じ
まあ難しいこと言ってるような気もしてきましたし a それそれを理由にして切ることはないですけどねないと思いますがあのやっぱり
こう アンツんですかねうーんと
その気持ちはよくわかりますみたいなのもまあこれもだからそのセリフを言うことが いけないとは思わないですよ
実際も好きさんだとかの方ぐらいも言うことがあるとは思うんですよないかもしれない けどねでもえっと
まあ音具伝達ていうことあると思うみたいな感じないかああいう人はないのかもしれない んだけどまあ普通に言うことは絶対あると思うんですよ
お気持ちはよくわかりますよだから切るみたいなのってナンセンスだと思うんだけどの 中間にある感じがしなければいけないとは思いますね
カウンセラーの側にはお気持ちはよくわかる側に立っちゃっているだけだとすると おかしいだろうと思うんですよね
やっぱりこう 苦しんでるのは私だけみたいな
その苦しむべきなのは自分だけですっていうのに対してはいその通りですっていう 寄り添い方をされてもあのなんかこうやっぱり
d d マッシグラ感がある なんかこう
総的償いじゃなくて今度は強迫的償いをカウンセラーがしちゃってるみたいな 強迫的償いをカウンセラーがするということはその人はすごくいい人だから悪くはない
と思うんですよねでも なんつーのかなカウンセラーがただただいい人である
っていうのってあの 残念じゃないですかある意味
私あのこれ無料だったからあれなんですけど ある行政ので
この子あの肉身の方が10度の なんかでとか記念料とか命の手紙みたいなやつとかなんだけど引きこもりとか
では本当にお困りの方お電話くださいみたいなあって まあそこまで期待するものではないなかろうと思いながら電話したことがあるんですよ
まあ結構ねいろんなことがあって困ってたんでね 私じゃないんですけどね本当のところ本当に困ってな親なんだけど親はそういうのを動かない
人たちだからしょうがないからちょっと電話してみるかと電話した時にまさにこういう 感じだったんですよ
あのお兄様の気持ちはよくわかりますみたいないやそのそういうことじゃなくてさあみたいな まあでもそういうのを必要とする人が多いんですよね
わかりますけれどもあのなんかこう 結局それは他人事だろうって感じがするわけですよね
心理援助の課題
あの本当に辛かったんですよねみたいなことを言われても本当に辛かったのいやそんなに 本当に辛くはないしみたいなそういう不思議な気持ちになってくるわけですよ
であのなんかね最後の方は僕は向こうを慰めて電話切るみたいな意味のわからんことを してしまったんでやっぱなんかあれはちょっと
正規の方だと思いますよ c あの善意だしあの人がいいと思うのであの 申し訳ないんですけどこういうところであげつらってるのもね
ただまぁ実名とか一つ説明じゃなくてそのどこの役所かとかは一切しゃべるつもりはない からまあまあ
いいんじゃないかと思うんですけどね 席落としめるっていうつもりもないですよただこれやられてもねっていう感じはする人が
いるようなと思うんですよねだって結局 1ミリも進展がないわけじゃないですかあの
お気持ちに寄り添われることそしてよくある聞いたようなというか僕がすでに全部 実行しているようなあのアドバイスをくれるっていうだけではやっぱりこう
すごく強迫的償いみたいなしかも向こうは別に悪くもないのに 一方的にひたすら償われていくみたいな感じっていうのが
この b がですね ひたすらクライアント側に置かれるっていう事態はやっぱりこう
どこか避けなきゃいけないような気がするんですよね ある意味だったら ps で
クライアントが投げつけまくってくる方が進展があるんではなかろうかと思うときすら もそれられる結構
えっと カウンセラーの人大変だと思いますしやりたくない人は絶対やりたくないです
別に相手が悪いわけでもないのにあんた無能じゃんみたいなことばっかり言うのって 嫌じゃないですか
言いたくないと思っている人はいい別にそんなこと言いたくはないと思うんですよ だからやっぱ中間に多くっていうことがあの
せめてせめてじゃないのかなでもやっぱり利用者側のリテラシーとしては少しでも中間 に置かれる中間って簡単じゃないんで
中間に置かれているっていう感じが持てたら継続する意味は赤いと思います で実際そこまでは望めないにしてもどっちか一方に置かないように気をつけているっていうの
やっぱり継続を検討する価値が高いと思いますね なんかどっちか一方に置くのが当然であるっていうのは
えっとあんまりいいことではないような気がします
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