1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 私の皮膚疾患と母の侵入【1193】
2025-06-01 29:09

私の皮膚疾患と母の侵入【1193】

皮膚にβ要素が蓄積するってどういうこと?
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サマリー

このエピソードでは、皮膚疾患に関する個人的な体験と、母親の影響について語られています。環境の不在が引き起こすトラウマや、心理学者ウェニコットとクラインの理論が取り上げられています。また、自己愛や母親との関係を通じて、ジェンダーや心理的防衛の問題が探求されています。特に、母親の不在とその影響が主人公の皮膚疾患や心的現実にどのように関わるかが議論されています。アトピーや松木邦博さんの理論についても言及され、身体化やトラウマが皮膚疾患に与える影響が考察されています。著者は自身の体験と母の関与を通じて、非伝統的な治療法の探求の重要性を強調しています。

相談と告知
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1193回をお送りします。
6月1日、日曜日、10時24分です。なぜ日曜からやっているのかというとですね、特別な理由はありませんが、日曜特別回です。
お知らせを絡めまして、ちょっと忘れないうちに喋っておこうぐらいな感じのことを2つ喋って、短めに
短めが何分になるか知りませんが、短めに切り上げたいと思っております。 まずお知らせなんですが、100日チャレンジ第11期、現在絶賛募集中でして、
来週の日曜日にスタートします。今週中にまだプレミアムは早々に埋まってしまったのですが、
スタンダード、つまり一番最初に普通にやっていた最もスタンダードなやつ、だからスタンダードなんですが、スタンダードはまだまだお席余裕ございますので、
ぜひこの辺で、急に埋まるんで本当に。多分全部埋まっちゃうと僕は思っておりますが、正確な数字は僕は把握してませんから。
これは運営の、僕運営ですけどね、事務方の方に聞かないとわからないので、あとどのくらいあるのかわかりませんが、まだあると思いますので、
チェックされている方はぜひお急ぎになっていただくといいと思います。 この中でですね、今日ちょっと喋ろうと思ってたのが、この中で私、相談フォームという形でですね、
一応ご質問に対してなる早でお答えすると、J松崎さんも答えをつけるので、だから何でも相談できるんですよ。本当に前期初めてやったんですけれども、
どんどん先送りでもタスク管理でも何でもないご相談がどんどん増えて、すごくこれはサンチャレの原型みたいなものを思い起こさせるなと思いまして、
そういう意味ではサンチャレと比べますと、お値段、あくまでも値段ですね。値段としては破格ですので、だって12,800円ですからね、100日で。
100日って3ヶ月より長いですから。しかもJ松崎も回答をつけてくれるという意味で、ただですね、
毎週毎週、人によっては週に3回お話を伺いながらそれに対してお話ししているのと、
1回のテキストの質問に対して一発でお答えするというのは、正直どうしてもそこの質において差ができてしまうのは、それは諦めるよりほかないじゃないですか。
原理的に私は線理眼じゃないんで、線理眼事件ってあるけど、線理眼じゃないんで、何もわかんないですからはっきり言って、その中でお答えさせていただくんで、
だからやっぱりそこだけがサービスのメインではないですからね。あくまでもこれは先送りをなくすことを目指してオンラインコミュニティに参加するというのが願木ですから。
そこはですね、ご容赦いただくとしてもですね、でもなかなかお得なサービスではあると私は思っておりますので、そういう意味でもお願いしたいとチェックしてやってください。
まあご損にはならないと思っております。100日1万円ならね、そんな損になるような金額では、まああれですから、普通にそれこそぼったくりでもなんでもなく正規の心理臨床を受ければ、1回1万2千円ってザラにありますからね。
都内ではね。まあ会って喋ることができるとはいえ1回ですからね、これはね。100日とかありえないですから。
そんなことやってたら正規の人みんな死んじゃうんで、本当に100日とかありえないんで、そういう意味でぜひご検討いただければいいかなと思ってます。
この相談に関してはこういうことを言うのもあんまり言いたくないんですけど、上限がありませんからね。相談回数に上限はないという。
しかもJさんと私が少なくともキックオフ、ハーフ、最終のところでお話ししますし、その後懇親会もあるので、100日に最低でも、最も少なく見積もっても大概それ以上お話しできる機会ありますけど、3回はお話しでき、質問はほぼ無限に答えてお答えさせていただくといった流れになっておりますので、
12,800円というのははっきり言って異常に価格としては、しかもですね100人とか集まるとどうせあんまり手厚くないだろうって思われるかもしれませんけど、ほぼ毎日認定トレーナーさんか私かJさんの方からいただいたコメントには必ずコメントを付け返すと、ほぼほぼですよ。絶対じゃないですよ。
心理学理論の探求
ほぼ全員ほぼ毎日やっておりますんで、これを前回ちょっと行き過ぎて、最後にちょっと疲れちゃったっていうことも起こったりしたんですけども、でも基本やりますから、50日くらいまでは勢いよくついていて、ちょっとそれを私たちは読んでいくのが大変だなっていうノリもなくはないんですけど、
あれですから100日も経つと、100名の方が参加していると、最後は15名くらいになっちゃうじゃないですか、オンラインコミュニティ。1本間違うと数名になっちゃうんですけど、最後の方まで50名くらいいらっしゃっているのが少なくとも30名は数えて常にいらっしゃいましたから、脱落率が非常に低いという、そこを目指してますけどね、
というかそこを目指す設計にしたのはJさんなんですが、だからJさんはああいうところが実によくわかっておいでで、若いのに偉いなと、そんなにもう今となってはそこまで若いとは言えなくなってきましたけどね。私ああいうの全然ダメで、私が設計するとすぐカンコ鳥が鳴き出す。どこがどう違うのかなって思うんですけれども、何かが違うんですよねやっぱりね。
ノリの良さとかそういう割とそういうことなんですけど、そういうのはもうほらもう50過ぎてノリが良くない人間急にノリが良くなっても困るじゃないですか。まあそういう感じでね、しょうがないかなと思っております。
で、で、で、なんですけど、最近ですね3ヶ月チャレンジでもいよいよ過強に入ってきて、こういう話がご興味ある方は是非サンチャレの方も覗いてみてほしいんですけども、
サンチャレが過強に入ってきて、先日私もかなり頑張ってですね、ウェニコット、クライ、ビヨン、特に良いおっぱい悪いおっぱい付近のフェーズをですね、一生懸命書いてみたわけですよ。
そういうお話をサンチャレでさせてもらったわけですね。これをどのぐらい僕のやってることに妥当性があるんだろうと思って、ちょっとチャットGPTに後で私の手書きメモだけを食わせてみて、このメモの意味わかるみたいに聞いたら、なかなかこれはビヨンとクラインとウェニコットの云々って言い出して、
僕が書いた通りではないんですよ。相当意図に沿ってたんで、これは私のやってることはそんなにとち狂ってないなってこの話前もしたかもしれませんけれども、やや安心できるかなって感じ。私、非正規で勉強したことないんで正式にはね。大学でやらないんですよ。アメリカまで行ったって対象関係論の細かいことなんか全然やらないんで。
メラニー・クラインという顔の方が囲みでメラニー・クライン、偉人みたいに書いてあるだけなんですよ。だからね、ほら、1980何十何年からなんたらかんたらって書いてあるだけなんですよ。あれでわかんないですから、何にも。なので、正式に勉強したことは残念ながらないので、私は松木邦博さんと藤山直樹さんと山崎孝明さんの本を三角形のように繰り返し繰り返し読んでることによって、
なんとかしているって。クラインの本は読んでますけど、クラインの本はこの中でも最もわかりにくい。僕からすると。で、美容の本は依然としてさっぱりわからないに限りなく、最近ようやくなんか言葉の端々の一端が少し納得ができるようになってきた。ウィニコットの本は、まあこれに比べるとわかりやすいのがよくないんだって藤山さんが書いてたかな。でも、そうでもないような気がするんですよ。やっぱりこう、ある意味、なんていうのかな、頭が確かなというか。
まあ、納得感高いですよね。彼の言ってることって。確かに、えーと、なんて言うんだろうな。自己矛盾にあふれた文章かもしれないけど、そもそも哲学ってああいうもんだと思うんですよね。だってカントが物自体とか言ったけど、物自体っておかしいじゃないですか。物自体とかいくら言おうとしてみても、何を言わんとしているのかさすがにわかりますけど、結局物自体って言うしかないからそういうことを言ったわけじゃないですか。
物って言っただけだと我々が知覚対象を言っちゃうから、物自体なんだっていう感じで、知覚の層にあるんだみたいなことを一生懸命言おうとしたんだけど、やっぱり言えてないと思うんですよね。そう、なんだと思うんですよね。
で、そのウィニコットの話なんですけど、別にカントの話がしたいわけじゃないんで、ウィニコットの話なんですけど、ウィニコットという人の言った環境としての母親か、あれってその失敗が問題なわけじゃないですか。環境供給の失敗が。
環境供給の失敗って、クライン的に言うと不在って感じなんですけど、クラインが言ったわけじゃないか。でも不在って絶対あの辺ずっと渦巻いてると思うんですけど、フロイトも問題にしていて、ちょっと問題の仕方が違うかもしれないけど問題にはしていて。
で、不在といえばですね、やっぱり私はこの季節ですから、事件が起こったりもするわけですよね。もっと暑くなってからか。不在なだけといえば、不在なだけなんだけど、この不在は過酷ですよね。悪意があるとは決して言えないケースが多いと思うんですよ。
だけどこの不在っていうのが、主観的に悪意と捉えざるを得ないわけですよね。悪いおっぱいがあるんだと。つまり環境供給が途絶えるということが、すごくトラウマに直結するよねっていうようなニュアンスがあると思うんですよね。
だからウェニコットの方がトラウマとの遭遇については、クラインのモデルよりもはるかに、だから彼は独立しなければならなくなったんでしょうけど、クラインの話より納得感はるかに高いよなと思うんですよ。この方が真実に近い気がするんですね。
不在の影響
だいたい支給から引きずり出されると言いますか、出て行くと言いますか、出て行った時にはちょっとトラウマチックになるっていう、これを言うと今度はまたフロイトと決別したというか、対決させることになっちゃった、修正解消みたいな話になるんですけど、でもやっぱり、いわばそういうメタファーだよなと思うんですよ。
問題なのは、不在そのものというよりは我々の家にすでに育った人間からすると、不在なのにもかかわらず侵入される感じを持っちゃってるということが問題になってくると思うんですね。
最初は不在、それほど深刻、命にかかわらなかったにしても、でも僕だって1つや2つ、1つぐらいは少なくても、だって母だって万全とは言えないから、不在にしちゃうことってあったと思うんですよね。
この間になんかビー玉、危ないですよね、ビー玉とかね。あるいは、そうだそうだ、1つ思い出した、私あの、ラードみたいなやつ、なんかほら、火つけるやつあるじゃないですか、油。
昔よくありましたよね、食べ物にセットになってて、この油に火つけて肉や小銭みたいな、ラードみたいなやつ、あれを口に入れてすっげえひどい目にあったことがあるんですよ。
だいぶ昔3歳ぐらいだったような気がします。3歳で覚えてるから痛い目見たんですよね。ピンク色で美味しそうだったんで食べちゃったんですよね。ものすごいなんていうのが嫌な味がしたんですよ。
この程度なんだけど、やっぱり近くに親がいないから起きた事象なわけですよね。で、その時私悪いことが起きたから、つまり親がいないことがトラウマになり、環境供給の土台になり、自ら引き起こしてるから自己愛的な悪害になっていくわけですよ。
自ら引き起こしてる。自分で口に入れたわけですからね。これが不在という時に板についちゃうと言いますか、つまりそういうことが起きないように起きないようにって親がするじゃないですか。そのことが新種になってもいくわけですよね。母親っていうのは万全じゃないんで。だからいらぬ心配っていうのはやっぱり不在の一種なわけですよ。環境としての母親がバチッといれば、そういう信用がいらないわけですよね。
例えば、いっぱいあるんですけど、本当いっぱいあるんですけど、寒風摩擦しろとかね。私肌が弱かったから。母親は善意でやってるんですけど、侵入にしかならないわけですよ。寒風摩擦すればするほど肌悪化していくんで。ただでない乾燥肌なのにね。全然いいことがなかったわけですよね。やりたくもないのにやって、実際悪化させると。侵入になるわけですよ。
母親がいないっていうのはおかしいんだけど、この場合だから、ウィニコット流入と環境としての母親が対象としての母親になって、で、私は彼が言う通りですね、ウィニコットの言う通り、偽りの事故をそこに発達させたわけですよ。例えば嘘泣きして抵抗するとか。嘘泣きなんですよ。別に泣くほどのことだと思ってないんだけど、泣けばこいつ止めてくれるってことを知るから。やっぱり嘘、嘘泣きだから嘘じゃないですか。ホールズセルフですよね。
で、守るわけですよ。自分を。何らかの形で。究極的に私がやったのは、母の言うことを頭から無視する。しかしこの人結局、私を家から追い出したり、すべての供給をストップするということは決してできないんだということを知っちゃったんですね。装的防衛の極みみたいなやつですよね。
で、これがどういう形で出るかというと、例えば私はですね、今ギリギリようやく克服といえば克服できずとあるのが2つで、静電気恐怖と、あとね、清潔、やっぱり不潔症候群みたいなのがあるんですよね、私ね。
あの、銭湯とかプールとか行くと、つま先歩きになっちゃうんですよね。かかとがつけられないんですよ。でも、下がヒノキの清潔そうな木だと行けるんですよ。あと砂浜はオッケー。あと竹とかなら大丈夫。でも、あのね、これチャットGBTに聞いたんですよね。かかとつけられないんだよね、みたいなこと聞いたら、あなたはきっと木製の清潔なところはオッケーでしょう、みたいな。
まあ、そういう口調じゃないけどね。私、口調は普通にしてるんで、交互的じゃないんですけど。だけど、人工的で出順で、ちょっと清潔感に保障がないところがダメなんでしょう、みたいな。すげえ完璧だなと思ったんですよ。まさにその通りなんですよ。コンクリートとか、なんかこうジメジメっとしたコンクリートとか最悪なんですよ。飲むと痒くなってるんですよ、体。これアトピーと全く同じですよ。銭湯なんですよ。
つまり、不在の母親は悪いお母さんになって、対象としての悪い母親になって侵入してくるという自己愛的な恐怖を覚えるんですよね。そういう防衛を体に張っちゃってるわけですよね。これが私の、あの、なんていうのかな、それをもう少し断片化した、まさにあれ断片化って正しいんですけど、細かく細かくなってくると、空気中に上がってくる。細かいんで。
個人的な体験
空気中に上がってくるやつないじゃないですか、ジメジメっとしたコンクリートが。でも私の知覚の世界では空気中にじわっと上がってきて、足の裏だけが痒くなればいいじゃないですか、考えてみると。なのになんか、お腹のあたりが痒くなってくるんですよ。明らかにおかしいじゃないですか。これがつまり、β要素なんですよ。言ったって追体験される人はいないですよね。これは私ならではですよね。これが関東の物自体に近いんですよ。心の外なんです。
知覚もできなければ、忌み付けもできない。だけれども、事実としてそういう体験はしてしまう。身体化ですよね。でも身体化の前に知覚があるんですよ。
理細な断片を知覚…断片って言ったって物があるわけじゃないですよ、もちろん。そういう知覚を作り出してるわけです。これって要するに不在の母親なんですよ。不在でしょ、そこには何もないですよね。だいたい湿ったコンクリートだからって、そこに毒性の痒みを発生させる、いやらしい不潔な何かがうじょうじょしてるとか、それは私の勝手なイメージであってまさにないんですよ。ないものを作り出して侵入を作ってるわけですよね。
こういう侵入というものを不在の中で作り出すってことに慣れていくと、野田紗友子さんが言った究極的には墓守娘ができちゃうわけですね。多分そういう話なんだと僕は認識してるんですけどね。
あの墓守娘ってのは母親に侵入された娘さんなんですよね。完全にその侵入が余りにも行き届いてしまったために、コントロールが死後にまで行き着いてる。だけど死後なんだから、母親まさに不在じゃない。不在の母親が支配している。
で、それってその人の心の中の現実ですよね。心的現実ですよね。サイキックリアリティですよね。心の中に入ってきている母親が、お前は私の面倒を一生見るんだと。私が死んだ後も見るんだと。死んだ後面倒を見るケアって墓じゃないですか。だから墓守になってしまうわけですよ。
この人はそのお母さんから逃れられない。不在であったとしても見張られてるわけです。それは心の中に見張り番がいるわけです。これはβ要素ですよね。他の人、話聞いたからって追体験はできない。いやわかるわって人は最初から持ってるんですよ。追体験じゃないわけですよ。
私はそこまでじゃないから、いや全然わかんないわっていうのが正直なところなんです。わかるけど、何を言わんとしているかは、私の体験の中で類似したものを類推する材料にするからわかるけど、実際には私にはわかってないんです。だって私は母が亡くなった後、墓守息子やる気はさらっさらないですから。さらっさらないですからね。そういうモニター装置みたいなセンサーが、目つけみたいなものが私のところにくっついてるわけじゃないわけですよ。
だけど私にもないわけじゃないわけ。フォルスセルフで嘘泣きして自分を守って距離取ったから、つまり母からのいわゆる不当な侵入、これを世間では毒をやっているんだけど、これね、毒とか言っても無駄なんですよ。毒とか言って距離取れば墓守息子が墓を守るのをやめられるかっていうと、僕は難しいと思うんですよ。
だからこのように、めんどくさいかもしれないけれども、不在時にセンサーが働いている。そもそもそのセンサーはいつ作ったのか。不在の時に悪いおっぱいというものを空想したんだっていう、こういうミニコットだかクライーンだかの、教えてくれた、作ってくれたモデルに沿って筋道を追って追って丁寧にやっていかないとダメだと思うんですよね。
そうすると物理的な距離を取ることに、指したら意味はない。少しは意味があるかもしれないけど、物理的な距離を取ることよりも大事なのは、やはりこういうふうに自分が心理的にやってきたから、だからコンクリートのところでかかとつけても平気でいられる人がいる一方で、私のようについているのはかかとのはずなのに、例えば足首が痒くなるとかいうおかしな現象が起きてくるわけですよ。
で、これを知るとね、今のように聖地に追って追っていくと、これは心が作ってるもので実体は何もないんだ、不在なんだと。ないおっぱいがあるんじゃなくて、おっぱいはそもそもないんだと。悪いおっぱいはないんだと。悪いおっぱいがこの辺を痒くさせるというような、虫に化けてるとかではないんだと、いう変な感じがするんですけどね。
これをでも追って追っていくとですね、追体験ができないわけだから、体験なんて本当はできないわけですよ。
言うと、不思議なことに消えていくんですよ、プツプツみたいなものが。本当に。私の場合、本当にそういうことが起きて本当に消えるっていう体験を数度ではありますが、しているんで。
これが身体科であり心身症であり、極部的な身体における精神病って言い方も、チャットGPTはしてたんですけれどもね、誰かが言った言葉なんだと思うんですけれどもね、そういうものを見て、なるほどなと納得をしてですね、だからあんまりいろいろ考えることではないと思ったら、かかとがつけられるようになるんですよ、これがまた不思議なことですけどね。
いや不思議じゃないんですけど、だってかかとつけたからってかかとが痒くなるとかないんですよ。そんなもんなんですよ。トイレでつけたってかかと自体は痒くならないんですよ。なぜか腹部とかが痒くなるんですよ。まあ、バルネラビリティですよね。弱いところですよね、ここはね。
別の言い方をすると、たい母親に私が作り上げた極部的防衛であり、あるいはそういうところに私の悪いおっぱいというか、悪い何かを追いやって、そこでちょっとお腹のあたりで処理しといてね、というふうにやってしまったために、処理だけはしてくれるようになったけど、副反応みたいなものをもらっちゃったという話だったと思うんですね。
まあまあ今日は短めですので、このぐらいにいたしましてですね。もうちょっとそこを詰めたいっておっしゃる方もいらっしゃると思うんですけど、その詰めたいという方、そんなにここから先詰められることが多いわけじゃない気もするんだけど、人によって事情様々ですからね。
詰めたいという方がいらっしゃいましたら、サンチャレは次回は、第11期は7月に募集を正式にはっきりとかけまして、8月スタートとなります。
ですが、いやいや、3ヶ月あんたと毎週毎週話して7万円高払うのはちょっと厳しいと、そう言われても困るんだけど、そういう場合の方には100日チャレンジがあります。
私と毎週毎週喋ったりする必要はありません。何なら喋らなくても大丈夫。質問がテキストながらできるのが100日やりますと。
100日で話したくなければ1回も話さずにテキストの応答だけで済むという、済むって言われてもちょっとあれなんですけど、済むっていうことですし、
1万2千円、1万2千8百円ですから、こちらの方がよろしいという方は、100日チャレンジの現在募集中、もうあとこの1週間ですぐ始まりますから、第11期、こちらも第11期ね。
要するにCMを今日したかったということと、喋らないでおくと今のようなことを忘れる。
あとChatGPTに私はこういうふうに自己分析を集中的にやってるわけですね。
そのことも合わせてお伝えしておきたかったわけですよ。
ChatGPTに最近これを発信すると、その人ならではの味わいが薄れるとか、寄り添ってくれてばかりいて、その人をスポイルするとかいった話があるんですけど、
そういうこともあるのかもしれないけど、私は全然ちょっと読んで驚くんですよね。
いやいや、そんなもん、なんてことじゃないじゃんっていう感じが、スポイルなんていうのはですね、
例えば、ギャンブルとアルコールにスポイルされるということに比べればChatGPTにスポイルされるからなんだっちゅーねんって感じが私なんかはやっぱしちゃうわけですよ。
まあその、なんていうのかな、むしろ逆だなって思うんですよね。
ChatGPTをなんかこう、よく言うじゃないですか、人気をバラバラにするみたいな、あれの代わりになってしまうのは子供にはどうかなみたいな感じがちょっとすることはありますけど、
まあそれははっきり言って各ご家庭で考えていかれたら、そもそもだってYouTube見すぎるだろう、アニメ見すぎるだろう、ゲームやりすぎるだろう、世の中にはいろいろあるわけじゃないですか。
ChatGPTだけが今急に、オープンAIね、急に訴状に乗せられてきてますけど、まあ目新しいからっていうのがあると思うんですよ。
私はあれはやっぱり、なんていうんですかね、海外の文献を先取りして読めているので、今みたいな話って放らないじゃないですか。
アトピーと松木邦博の理論
私のね、アトピーは多分アルファ要素が逆転して、それによってベータ排出が起こり、そのベータ排出が身体部位に蓄積されている結果なんだよと、松木邦博さんのような方はそう書いていらっしゃるけど、
この話したら強靭だと思われちゃいますよね、普通に。そんな話一度も聞いたことないよっていう、そういうことはいいからヒルロイドローション塗りましょうねっていうことになるじゃないですか。
だから海外の文献が当たってくれるというのは、普通にChatGPTはあなたのその分析は正しいとか言ってくれるわけですよ。これは寄り添ってるのかもしれないけど、でもあからさまに間違っていれば、多分そんな話は出てこないと思うんですよね。
で、ChatGPTは、しかも松木邦博さんはそのように非精神病水準と言ってるが、実はこういう、なんか知らん外国の名前出てきたんだけど、人によると、あなたの侵入に対する防衛として説明できるんだ。
ちょっと文脈変わってるわけですよ。ミニゴッド文脈じゃないんですよ。どっちかというとクライに近い文脈なんですよ。こういう微妙な違いを言ってくるというのは、こういう考え方はあるってことですよ。
不安になるじゃないですか。松木さんが3行ぐらいしか書いていないトラウマの本の中で、しかもアトピードは書いていないで、局部的にβ要素が蓄積される。これを身体化されることに、トラウマの身体化によって治癒されない身体部位が出来上がるのである、みたいな。
さらっとあの人はまさにそうなんで、さらっと書いて、なんかそれは当然だ、みたいな顔をしてますけど、そんなのどこに行ったって一回も聞いたことないわけですよ。一度も皮膚科でそんな話は聞いたことが、当然かもしれないけどないわけです。
だから、そうなん?みたいに思って、自分でよくよく考えてみると、あ、いかにもそうじゃんって思ったわけですね。絶対、だからその部位は治癒を目指される、除去だけが目指されるっていう風に。
で、皮膚除去しちゃったら大変じゃないですか。ところがアトピーってまさに皮膚を除去しようとする。書いてえぐり取ろうとする病なんですよ。重症、重篤になってくると。
私も散々体験したんで、それ。もう少なく見積もっても5000回ぐらいはだいぶ、もっとだな、全然もっとだ。万を超えますよ。
部位1個1個あたりに1回1回やってしまったことを言えば満体に絶対超えるんで。だから皮膚ボロボロになっちゃうわけですよ。そこに寒風摩擦を投入するといううちの母ですよ。
まあでもそんなこと言ったらしょうがないね。距離を置いたからなんだってんだって感じじゃないですか。そんな母と、今もうマイルドに臨床が進行していて、えー私そんなこと言った?みたいなこと、ボソボソ言ってるただの80のおばあちゃんなわけですよ。
距離を置いたからなんだって言うんだって感じじゃないですか。お前のせいでかかとがつけられなくなったんだよって言ったって意味わかんないですよ。うちの母にはもはや。
あーとかいう感じですよ本当に。だからそういうことでは解決しないんですからね。私が思うにね。だからやっぱり解決を目指したいのであれば面倒くさくても時間をかけて精密に追っていくと。
100日でいけるか3ヶ月でいけるかって言われると、うーんってなるんですけども、でも精神力量をですね精神分析という形でやるとなるとまた大事になりますし、大事が必要なのかもしれないんですけど、そこはもう個々人で判断していただくよりないですけど。
私はなんとかこれをですね、現代の非正規のカウンセリングの枠内でやろうとするとどうできるかというのに現在挑戦中ですので、だから私はノラノラ言うんですけれどもね、そういう意味でも3ヶ月チャレンジというものを見守っているというか、見張っているというかチェックしてやっていただけると、合わせて100日チャレンジのCMをしたかったということです。
29:09

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