陰謀論の基礎
おはようございます。朝っぱらから精神分析第1251回をお送りします。
9月17日水曜日9時37分です。
少し遅くなりましたが、今日はですね、妻を駅まで送ったり、庭に水を撒いたり、9月の半ばになって、まだ撒かなきゃならないっていうのはやっぱり温暖化恐ろしいですよね。
9月16日を過ぎて、庭に水を撒いてるとかって、ここに引っ越してきた段階ですらほぼ絶対なさそうなことを、既に当たり前のようにやっちゃってますからね。
ある意味、茄子とかが秋茄子じゃなくて間違いなく夏の茄子って感じの顔をして、ガンガン育ってるわけですよ。
一方でキュウリとかさすがにですね、キュウリってツルの植物でしかないんで、いくつか実をつけると、この時期までは持たないんだなと。
あったかさは持っても、持ってくれないなって感じがちょっとありますね。
うまーくやれば持つのかもしれないんですけど、植田の5月末ですからね。
よく持ってますよね。6、7、8と3ヶ月間。茄子って木みたいになっていくみたいで、アマゾンとかで木のようになるらしいんですけど、キュウリは絶対そうはなんないですよね。
どこまで行っても草って感じなんですよね。枯れちゃうんですよね。持たないんですよ、茎がね。葉っぱとか。
まあまあまあまあそういうことはいいとしてですね。
最近ずっとこれを本題にしたいんですけど、マテ・ブランコって人の、今は出てきてないですよね、ほとんど。
心理的要因の探求
メルツァーは時々言及だけはしていて、読んでもいなければわかってもいないんですけど、次元論ってあるんですよね。
でもあの次元論はすごく良くてですね、次平章というものを理解しなければならない人は、メルツァーは、メルツァーを読まなくてもいいんですけど、日本の中のメルツァー論は読んだほうが、確かですね、
ブロッカー脳とかにメルツァーの湯戻しについて書いていらっしゃるのが、あれ、世紀の心理師の方なんですけど、間違いなくあれは読んどいたほうがいいなって感じがするんですけど、
湯戻しだけ読んでも次平のことってよくわかんないので、次元論は読まないとあれだなと思うんですけど、マテ・ブランコって人の次元論の方が僕にはわかりやすくてですね、
この話もどっかでしたいなと思ったんですけど、唐突なんで、いくら精神分析はさっぱらからしゃべるにしてもやや唐突だったんで、
でも最近あの、わかってなかったんですけど、全然。シンメトリー理論っていうのがありまして、これがわかった感じがしたんですよね。
それでちょっとね、今度、ようやくね、私、兄弟が統合出張賞なんですけど、私は考えてみるとですね、
松木さんの本によるとですけど、柔度の新気性で、身体の上に柔度の新気性っていうのは、
ベータ要素との兼ね合いでですね、結局のところ身体上に精神病発症してるようなもんだんだみたいな、心身症じゃなくてね、
僕はちょっとそこを分けてるつもりでいるんですけど、心身症っていうのはあくまでもヒステリー症状みたいな話であって、
どこまで行っても神経症水準を出ないと思うんですけど、古典的に言うところの、この柔度の新気性っていうのが、
松木さんの表現を借りれば、多分どっかにそういうことを書いている人が外国にあるんだ。
外国じゃなくてもわかんないですけど、学術論文にはあるんだろうと思うんですけど、そっちを読むと、
その話によると私は言ってみれば、皮膚の上に精神病発症してたようなもんだと。
あの状況ね、めちゃくちゃひどかったんである意味。
なんか普通の皮膚になってるのが夢見てるみたいですもん。
そのぐらいめちゃくちゃひどかったんで。
まあそりゃね、悪くもない皮膚をむしってりゃ。
だから皮膚むしりって僕読んでたんですよ、結構DSMで。ICDだったっけ?
でも読んでて、同じだろこれって思ったんだけど、脱毛ってあるじゃないですか。
考えてみると、排出して取れるところってそれぐらいしかないですもんね。
まさかなんか歯とか抜くわけにいかないじゃないですか。
いくら排出したいからって、排除か。
眉毛とかね、抜けるところって決まってますよね。
爪とか抜けないじゃないですか。めっちゃ痛いし。
つまり、分かってやってるのが、これも松木さんの精神分析2.2。
あれもすごい面白い本なんですよ。
もう絶対これはね、どうしようか考えてるんですけどね。
動画で紹介、ノートで紹介する気も起きないんですよね。
ビジネス的にダメだろって思うんですよ。
こんなにAIが完璧に文章を5秒とかで書けるようになっちゃったら、
読み分けられるっておっしゃってる人もいるけど、
絶対そんなことあり得ないって思うんですよね、僕は。
だってですね、私はやっぱり周りに異常に早書きな人を、
もの書きなんで、僕は早く書けないけど、
早書きな人知ってるわけですよ。
そうすると、ああいう人たちがAI使っちゃったらですね、
もうバーっと絵に書かせておいて、
そしてある種の構成を使うやつを使うとですね、揺らせるんですよ。
なんかAIだと揺らぎが少ないとかって書いてる人がいるんで、
それはその人が揺らぎが多すぎるっていうことを案に言っているわけで、
それからもうスタイルとか好みだから、それは全然いいんですけど、
デスマッサイとダディアルタイを混ぜるみたいな手法もありますから、
全然いいと思うんですけど、そうじゃなくて、
意図的に揺らがすことなんていくらでもできるじゃんって、
プロンプト使えば、人が見分けられないように揺らがすことなんて、
全然余裕でできますし、
今みたいになぜか心理的安全性みたいな漢字六字熟語みたいなのを、
人間が好んで書いちゃうような時代だったら、
ここをむしろ人間らしく和語を用いてですね、
心の平安みたいにそこを書き換えるとかやればですね、
いくらでもやれるんですよ、そんなことは。
たぶん、やっぱり、
これでノートで書いて人間が書きましたみたいな顔をしているものが、
当然のように日に3本ずつぐらい出てきたら、
絶対自分の読まれなくなっていくでしょうっていう感じが僕はするんで、
非常にパーソナル精神分析辞典を紹介したいですっていうだけの話で、
無駄に6分使ってすいません、
こういうことを言いたかったわけでは全くなかったんですけど、
パーソナル精神分析辞典を広めたいなと思っているという、
これは松木邦博さんの著ですからね、
編じゃないですからね、
編さんとか編集とかじゃないですからね、
著ですからね、
この人しか書いてないってことですからね、
これね、やっぱこの人は普通ではないなって気がするんですよね、
だってこれが仮にパーソナルタスクシュート辞典だったとしても、
僕一人で書く気しないですもん、
パーソナル精神分析辞典ってなんだよっていう感じがしますね、
パーソナルライフハック辞典だって編さんですよね、
普通に辞典はね、書けないだろう一人でっていう感じがする、
なんか超人的なところがちょっとあるなって思いますよね、
で、この中にあったんですけど、
自分が気が狂ってると気づいていないのが精神病で、
気が狂っていると知ってるくせに、
そうでないフリをしようとしてるのがヒステリーでって、
あ、いやいや、そうだよね、そうそうそうそう、
これはすごいやっぱ北山治さんよりも先行ってる感がありますね、
時代が先行ってるから当然かもしれないですけどね、
北山治さんも同じような比喩ですごい分かりやすくていいなと思ったんですけどね、
気が狂っていると知っていながらやめられないのが恐怖発症、
だから恐怖発症って結構重いよねってことなんですよね、
この書き方を読む限り、狂ってるわけだよねみたいなところがどっかある、
ただ知ってる以上精神病じゃないんですよね、
知らないのが精神病、この前提大事なんですよね、
で、もう一つすごい厄介で決して軽いとは言えないのが、
狂っていないと分かってながらも狂っている方、
だからヒステリーのある意味逆なんですよね、がパーソナリティ障害、
これはね、めっちゃ分かる気がします、
実生活への応用
そういうことをやるよねっていう感じ、
発狂してる方がいいじゃんみたいな感じで、
それは発狂してないってことでしょっていうことですよね、
発狂してる方がいいじゃんとか言ってる段階で、
もうあなたは発狂してないって言ってるんですよそれはっていうことですよね、
これ、このことを踏まえて、
マテ・ブランコの話を読んでいくと、
読んでいくって言ってもマテ・ブランコの本を読んだわけじゃなくて、
さすがにこれは読もうと思ってるんですけど、
マテ・ブランコの話を読んでいくと、
こういうことを引っ下げて、今度うちの兄弟に会ってこようと思ったわけですね、
会って話したって分かんないんですよ、
何を言ってなぜ怒りだしてなのかが、
兄弟でもう50年近い、
というか50年来の付き合いでありながらも分からず、
50、80問題に来年突入するわけですけど、
どうやったらいいんだよ、あれっていうね、
専門家の人は常に専門につなぎましょうって、
それは分かってんだけど、
だって絶対このことを口に出したり、
持ち出したりした瞬間にぶっ飛ばされて、
一歩も進まないと殺されかねないみたいな、
これが少しも大げさじゃないところが、
我ながら問題っていうか、打ちながら問題なんですけどね、
だって僕は、いざとなればあの家に住んでるわけじゃないから、
逃げ出せばいいけど、
下手な子として親がボコボコに、
なぜかそれを松木さんはまたボタボタって書くんですけど、
そこは先生、ボコボコじゃないでしょうかって思うんですけど、
でもボタボタの方が血が流れてる感じがして嫌ですよね。
だからボタボタが正しいのかもなと思いながら、
ボタボタにしてやったことがあるっていう人に凄まれて、
松木さんが自分この人に勝てそうにないから、
ボタボタにされるの嫌だなみたいなことを考えている、
という表現なんですけど、
あれ結構切実な問題になっちゃうんですよね。
良くないと思うんですよ、やっぱり。
無駄に刺激するべきではないと。
自分が殴られるならマクシモン。
親はやっぱりご高齢なんで、後期高齢者なんで、
しかも一緒に住んじゃってるから、
もうヤバいでしょっていう感じがして、
何とかこうしたいわけですね。
藁にもすがるっていうのはこういうことで、
でも私、ベータ要素と柔度の新規症は精神病と変わらないっていう、
これによって私の、
これは昨日話したことですからもう喋りませんけど、
アトピーにはとどめをさせたと思ってるんで、
藁にもすがる藁は大事なんですよね。
松木くんは素晴らしいと思うんですけどね。
でもなぜか、これも不思議なんですけど、
3ヶ月チャレンジで、
藁章の真似事だと思われるかもしれませんが、
ワンワンやってると藁山さんの言葉の方が出てくるんですよね。
これはすごいね、
体験してみると実に不思議なんですよ。
松木さんのはこれほどベッタリですよね。
僕多分7対3ぐらいで松木さんの文章の、
8対2ぐらいかな、触れてる量で言えば、
だと思うんですけど、藁山さんの本とか、
その量がそもそも違いますけど、
やっぱり松木さんの方に触れてる方が遥かに多くて、
理屈では完全にこっちに寄ってるのにも関わらず、
パッと、
これ言いたいって思った瞬間に藁山さんの、
彼女はずっとこのようなことを言われてきたのを、
私はやっていた、みたいなのが
サラッと上がってきたりするんですよね。
ここには2人しかいないのに客観的という彼に腹立たしさを覚えながら、
サラッと上がってくるんですよね。
そういう風に、やっぱり臨床感を伝えるっていう点において、
藁山さんって抜群なんだなっていう感じがするんですよ。
扱っている重度が全然違うんだけど、
藁山さんの方のが、
スッと上がってくるんですよ。
あれは本当に不思議な感じで、
トイレとかにいるときに、
ふと一節が、ここには2人しかいないのに客観的という、
客観的に非常識という、
彼に腹立たしさを覚えながら、
正しくない引用なんですけど、
でもこういう雰囲気なんですよね。
この雰囲気がパッと上がってきて、
分かるわーみたいな、
分かってるのか分かってないのか分かんないんだけど、
分かるわーみたいな感じが上がってくるのは、
精神分析の側面
だいたい決まって藁山さんなんですよね。
不思議だなぁと思うんですよ。
今月さんの本を読みながら追う感じなんですけど、
でも、ふとした臨床的感想みたいな、
臨床感におけるイライラみたいなものが、
すごくスッと上がってくる感じがするんですよ。
あれがスーパーバイザーだったら、
どんなにいいことかっていうのは、
結構嫌かもしれないですけどね。
こういうのもやってみないと分かんないですよね。
そういうのってね。
マテ・ブランコ。
この名前からしても南米感がありますけど、
南米は精神分析がすごい盛んみたいで、
南米行ってみたいとか思うんだけど、
南米って結構治安的に危険なんですよね。
アメリカに行った時、
南米はあんたには無理みたいなことを盛んにアメリカ人に言われて、
だいたいジャパニーズはあまりにも、
お国が平和なのか知らないけど、
とにかくメキシコとかに行ったらならない。
特に女子は絶対ダメだみたいなことを、
旅行代理店で。
旅行代理店で常に身の安全のことを問われるアメリカもどうかと思うんですけど、
それはあなたの国のせいじゃないんでしょうか?
そうじゃないんだけどね。
特にキューバとかに行くみたいな話をすると、
けちょんけちょんに言われて、
共産主義にさせられるぞみたいな。
それは絶対嘘だと思うんですけどね。
あの国は本当に面白いですね。
本当にいい感じの、
すごいいろんな食べ物とかもらったり、
だから全部すごい嬉しかったかっていうと微妙だったりもあるんですけど、
アクアツのイギリス風の、
フランス系だったかな?
スウェーデン系だ。
そういう名前の人だったんですけどね。
すごい優しくしてくれたんだけど、
キューバに旅行に行きたいんだけどって、
旅行代理店、家でやってるんですけど、
喧騒を変えて、
共産主義者になりたいの?コミュニストになりたいの?
あなたの国はソーシャリズムじゃなかったっけ?
みたいなことをまたふと無駄に返してしまって、
ソーシャリズムとコミュニズムの違いもわかんないの?
と言われて、
コロナが蔓延している国に行くのか?
みたいな雰囲気がありまして恐ろしかったんで、
早々に撤退して行かなかったんですけど、
行けばよかったんだけどね。
これはちょっと恨み事なんですけどね。
なんか今日は載ってるのか載ってないのかわからないですけど、
マテ・ブランコの話にならないな。
対照理論っていうのがありまして、
すごい私はこの話を、
なんでこの話あんまりしてないかというと、
タスク修道の話でしようって、
はっきりタスク修道にくっつけて考えてて、
あんまり統合主張書の話でもあるんで、
いよいよあまりこの番組にぴったり来ないなって思ってたんですね。
思っていすぎたんですよ。
そんな区別をつける意味、
さらさらない番組なのに、
どこか僕は色気があって、
やっぱりクラインの良いオッパイ、悪いオッパイみたいな話の方が、
ビジネスパーソン向けだなみたいなところがあって、
今までウィニコットとかの話の方が、
面白く話せるなみたいなのもあって、
なんか対照理論ってひどく面白いなと思ったんだけど、
よくわかってなかったんですよね。
対照理論っていうのは、
マテ・ブランコのは、
陰謀論に直結するんですよね。
無意識のメカニズム
そういう風に見ていった途端に、
これはいわゆる白黒思考みたいなのの、
もっとビヨンみたいに整地化した感じなんですよ。
ビヨンも、
悪いオッパイを外に排出して投影しますっていうのって、
すごくざっくりしているし、
日常っぽさがあるじゃないですか。
ビヨンはそういう中途半端なことを言わず、
粉砕した自我の断片を外に向かって、
粉砕するみたいな言い方をするじゃないですか。
ここの方がわけわからないし、
でも無視的な雰囲気って出てくるし、
科学的ですよね、ある意味。
わけわからないじゃないですか。
だいたいこの種の説明ってしないじゃないですか。
しづらいから。
かなり皮肉っぽくだと思うんですけど、
松木さんは、
アルファ要素とか使いにくいんだよみたいなニュアンスが、
そういうニュアンスは彼は徹底的に抑え込んでますけど、
どこに行っても聞くような言葉ばっかり、
学んでるんじゃないよみたいなノリがあるわけですよね。
分かりにくいわけですよ、結局アルファ要素なんて。
それと似てて、
対称理論、シンメトリー理論なんて分かりにくいんだけど、
無意識ってシンメトリー理論なんだと。
フロイトは言いましたよね、無意識って不合理だ。
不合理ですよね、はっきり言って普通の意味で言えば。
だけどマテ・ブランコは、
無意識には無意識なりの理屈があるんだよっていう。
これは私も大学でディエチローネンスなんかを専攻してたから、
サミュエル・ベケットとかも読んでたんで、
それは分かるんですよ。
無意識には無意識なりの理屈がある。
問題なのはそれが私にはよく分かんないことなんですよね。
だから私は妹が怒ったりする、そのロジックが見えなくて、
撤退しちゃうわけですよ。
30分くらいも話聞くんですけど、
言っても分かんないからですね。
分かってあげられないんで、
怒ってるってのが分かるだけで、
お母さんに怒ってますよね、それは分かるんですけどね。
なんとかならないもんですかねみたいな、
どうしようもない感じになっちゃうわけですよね。
例えばなんですけど、
なんかこうやっぱり理屈っぽくなるんですよね。
ニカ理論ってのがあって、
赤信号は止まる、私は赤信号だから止まりますみたいな、
私交差点って好きなんですけど、
赤信号だから止まるわけですが、
例えば赤信号突っ切るみたいな、
ちょっとやばい人もいるわけじゃないですか。
そういう人は赤信号だから突っ切るぜじゃないと思うんですよね。
正気であれば、赤信号だけど突っ切るぜだと思うんですよね。
つまり、そこにその人のある意味、
正気さってものがあって、我々は、
まずニカ理論で動いてるわけですよ。
これはですね、私タスク修道の話するときいつか絶対しようと、
次回のタスク修道完全活用実施しようかと思って、
こういう話をするから教会公式っぽくなるわけですよ。
なんかちょっとエキセントリックなおっさんが、
自分の趣味で喋ってるみたいになるじゃないですか、
どうしてもね、多分ね正気の人とかが聞けば、
タスク修道に興味のない正気の心理師さんとかが聞けば、
ほんとバカだなって思うと思うんですよ。
ここがいいと思うんですけどね。
やっぱりね、誰が言ってたの?
ロボットっていう技術を書いた人がね、
人間は気が狂ってないとダメですよっていう。
ロボットは気が狂えないんですよ。ロボットって技術ですからね。
人間の一番いいところは気がいくらか狂ってるところなんですよ。
そういうもんだと僕なんか思うんですけど、
精神病部分あるわけですよね、人間には。
ニカ理論ってのは結局、
言葉というものがよくわかっている人の理論なんですよ。
私はタスク修道はニカ理論で動くっていうことを、
随時自分に示すっていうことが大事だと。
これをやってるということは、
あれをやってないということではないんですよ。
これをやっている。
ポッドキャストに収録していますということは、
ポッドキャストを収録していなくはないですってことしか言ってないわけですよ。
ポッドキャストを収録しています。
だからお金を設けられていませんではないんですよ。
そういうことをあっさり言っちゃうのが対称理論なんですよ。
それは無意識の理論で、
このニカ理論から離れて対称理論に行けば行くほど、
世の中の認識はカオス化していくわけですよ。
そうですよね。
だって対称理論っていうのはシンメトリーで、
まず逆を言っていくわけです。
ここが僕はよく分かってなかったんですけどね。
分かりにくいんですよ、こういうことってやっぱり。
対称理論ってほとんど理屈にならなくなるんで。
例えば、私はポッドキャストを撮ってますって言ったときに、
あなたはそこでゴロネしていますよねとは言ってないじゃないですか。
でも、いかにもそう言いがちな人っているじゃないですか。
無意識っていうのは、
それが動地になってしまうということなんですね。
これはめっちゃ大事だなと。
症状投下物みたいな話になってくるんだけど、
ちょっとだいぶ違うな。
でもね、この分かりにくさは似てるんですよね。
つまり、それってある意味、
狭い勝手な理屈だよねっていう、
理論の応用
あるじゃないですか。
人はね、無意識化して精神病状態に近づくと、
なんかよくわかんないこと言ってんなみたいになるんだけど、
その種の話はしょっちゅう聞いて、
イラッとさせられてるはずなんですよ。
例えば、うちの母とかが、
私が料理してるのに、あんたたちそこでゴロゴロしてみたいなことを言うわけですよね。
これが対象理論なんですよ。
なんか気持ちはわかりますよね。
でもそれって言葉の使い方としてはおかしいじゃないですか。
うちの娘がよく、
第二反抗期に入ってるうちの娘がですね、
いや、ママが料理をしているというのはわかるが、
私は別にママの料理を手伝わないとは言ってない。
これは似た理論なんですよね。
うちの子らしいんですよ。
非常に合理性に向かっていって衝突する。
そういう口応えの、
口応えって言われちゃうわけですよね。
似た理論的にそれは正しいわけですよ。
ママが料理をしていなくはないしか、
これでは言えないはずなのに、ママが料理をしている。
このママの部分を入れ替えられる、対象化できるわけですね。
シンメトリーにしちゃうわけです。
シンメトリーになって、ここには白黒思考みたいなのが働いてるんだけど、
白黒思考っていうのは、はっきり言ってマクロなんですよ。
もっとこの対象理論っていうのは、
そこをミクロ化して見ているわけです。
無意識ではどう理屈が動いてるのかと。
私が働いている、あなたはサボっている。
これがシンメトリーってものですよね。
でもこの種の言葉の使い方をしていくと、
Aと言ったことは、
非Aであれば全部言える。
しかもそれが動詞なんですよ。ここが大事なんですよ。
私が働いているイコール、あなたはサボっている。
私が働いているということは、
普通のロシックで言えば、
私が働いている、あなたがサボっているってことも、
ここに入っちゃってるじゃん、よくないじゃんならまだわかるわけですよ。
そうじゃないですか。私が働いているイコール、
あなたはサボっているなんですね。シンメトリー論。
これだったら何でも入るじゃないですか。
例えばあなたの部分にあなたたちも入れられるわけです。
シンメトリックなものなら何でも入れられる。
交換可能に文法的にね、
セットっていう表現があるんですけど、
セットを入れられるところなら何でも入れられるわけ。
だから例えば、私は働いている。私は料理をしている。
あなたはゲームをしている。
この料理とゲームをシンメトリーの関係に置けるわけですよね。
だから私は料理をしているから、
世界中の表現を記述できるから、
つまりカオスになっちゃうわけですよ、文字通り。
この理屈は理屈っぽく聞こえるんだけど、
これで表記していく限り、
そしてそれを信じる限りカオス化していくんです。
しかもなんですよ。
マテ・ブランコって偉いなって思ったんですけどね。
この理屈があったから私これとタスクシュートを
使いたかったんですけど、
無意識と時間の感覚
彼は次元が落ちるって言うんですよね。
そうなんですよ。無意識の世界って無時間なんだよ。
私いつも名刺記錄を見て確認するときは時計を確認するんですよ。
でも無駄なんですよね。
さっき8時15分だったんだけど、
今13時15分になってるよねみたいな、
そういうことが平気で起こるわけです。無時間なんて。
時計いっぱい書いてあるんですよね、絵本とかに。
まさにあれなんですよ。子供の世界って多分
4次元感が足りないんですよね。
だから時系列っていう発想が弱くて、
時間が同時刻になってるんですよ。
でも我々そうすぐなりますよ、はっきり言って。
過去に起きたことなのに、それはもう過去に起きたことだから
忘れましょうよっていう、そんなことは今のとき
どんな人も言わないかも。言わなくはないんじゃないかな。
そういうことをセッションとかで言うとするじゃないですか。
正規の人は言わないと思うけど、それもどうかな。
まあいいや、とりあえず正規の人がそう言うとするじゃないですか。
だけどそれは頭ではわかるけどっていう風に言い換えされると思うんですね。
頭ではわかるということは、
意識の上では時系列というものを追えますが、
因果律もわかりますが、
無意識で納得してないんですと。
傷ついたのは過去のことじゃないんです。
今まさに心の傷はここにあるんですみたいなそういう、
ここで2つの問題がありますよね。
心が具体物みたいに言われている。
もう1つは過去のことが現在のことと混同されている。
つまり3次元感があるわけですよ。
いっぱいありますよね、夢の中では。
そういうことが夢では起きるじゃないですか。
しかもお父さんは確か80だったんだけど、
このお父さん80に見えるけど25にも見えるわみたいなことが平気で起きるじゃないですか。
無時間なんですよね。
3次元の世界、立体的で、
何事も全て現在に起きちゃってるわけですよ。
これをタスクシューターは許さないわけですよね。
過去にあったことはもう変えられないんですよ。
ログを勝手に書き換えることは許さないわけです。
あれはそういうことを守って使わないと
まっく無駄なものになってしまうと僕は思うんですよね。
あれは要するに我々を意識上で使える
意識上の時間間隔というものが
どういうものであるかを
私たちにがっちり認識させるために
過去と現在は同時には絶対を引き起こせないんだと。
防衛メカニズムと次元の関係
だからマルチタスクができないなんていうのは
序の口ってやつで、本当に今やっていることは
今やっているということしか言えないんですよね。
さっきのシンメトリーみたいなものは許さないし、
私がこれをやってますということは
私はこれをやってなくはないですしか言えない。
私はこれをやってます。私はこれをやってません。
同時に起きました。そういうことはダメなわけですよ。
許されないわけですね。だから次元論が出てくるところに
防衛も次元ごとにあるんだよっていう
発想が出てくるわけですよ。
3次元の世界の防衛は4次元の世界の防衛みたいな
知的合理化とかがあんまり使えなくて
投影同一化とか排出とか分割スプリッティングですね。
そういう種類少ないし
激しい欠陥に陥るようなものが
多くなっちゃうわけですよね。
シンメトリー理論というものをそこに投入して
投影同一化を引き起こすと完全に妄想世界に
住むことになってしまうわけですよね。
自分が料理してるっていうことはあなたはサボるってことなのね
許せないって言ってガチャッと言うじゃないですか。
そうすると相手はへそを曲げて料理してくれなくなって
実現してしまうじゃないですか。
これがシンメトリックな理論であり
投影同一化っていう防衛を使ってるってことを
同時にやった結果をその人がこう思うことになるわけですよ。
陰謀論の形成とその影響
でもその人は無意識に動いてるんで
無意識部分で作動させてるんでしゃーないわけですよね。
怒っちゃうんだよ大抵の人は。
僕も怒っちゃうことあるんですけど怒るっていうのは
つまり赤ちゃんが時間や因果率が分かってないのに
そこに向かって文句言ってるっていうのとあんま変わんないわけで
完全に投影同一化に巻き込まれてるって感じになっていくんだと思うんですよ。
もっと大事なのは私が思うに
二次元の世界っていうのがあってそれがつまり
自閉症水準っていうことになるんでしょうけれども
水準って言っちゃいけないのかな自閉症の心的状態
っていうのは非常に無理がありますが立体感がないわけですよね。
平面感の世界生きていると。
平面の世界っていう世界って
付着同一化っていうんですけど防衛する必要はあるわけですよ
心を守る必要があるから。だけどそれが全部付着同一化
っていうことになってしまって
あるいは模倣みたいなものしか引き起こせなくなっていく。
あるいは言語反響みたいになっていく。
本当に防衛の種類が少なくなるので
それを知っていればむしろ見えやすくなる部分はある
という話を書いてあるわけですね。
すみません。
陰謀論っぽくなっていくっていうのは
ある意味
多分一例であって
ならないくってもいいわけですよ。
だから何でもありになっていくわけで
陰謀論になるやつはまだロジックに聞こえるから
ご本人も割と大事にしちゃうんだろう
ところがあるわけですね。
何か陰謀論とはいえ
論っぽいなみたいになっていて
もはや論にはなってないような気がするなみたいなケースも
少なからずあるわけ。
例えばうちの私の兄弟がよく言うのが
油断すると
昔自分の部屋に
母親はヌキヌキと入ってきた
だから油断すると
いつ入ってくるかわからない
油断することができないみたいな
これだけ聞くとわかるようなわかんないような
入ってこられることが嫌なんだなみたいな
実際には何をしてるかというと
自分の部屋とそこに繋がってるキッチンがあるんですけど
そこにガッチリ鍵かけて
うちの家の親は台所に一切入れなくなっちゃってる
食事もままならないわけですね
食事をしても
今度は物を洗えないわけですよ
非常に不衛生になっていくんだけど
一切考慮されないんですよ
なぜなら油断すると
ズカズカと入られたことがあるってこと
ここで次元が落ちてるわけですね
うちの母親ならやりそうな気もしなくはない
僕が何度も見たってわけじゃないんだけど
あったとしますね
今入るなって言えば入らないんですよ
だけど次元が落ちてるんで
過去あったということは
今あるということになるわけですよね
しかも私が油断をしていないということは
イコール
隙をついて部屋に入るということなんですよ
シンメトリックなんですよ
シンメトリックで三次元なんですね
まんまだなと思うんですよ
その文脈に照らすとなるほどなって思うんですよ
だけど油断すると入ってくるって鍵かけてるじゃん
だから油断してないんじゃんっていうこういうロジックなんですよ
ロジックじゃないんだけど
油断をしていないっていうことが
部屋に入ってくるっていうことなんです
イコールなんですねそこがね
だから鍵がかかってるわけですよ
そうして油断をしていないってことになるわけですよね
これが全て同時でありシンメトリックなロジックとして
表現されてるわけですね
わかりにくかったですよね今のね
私はすごいなって思うし
わかるんですよ
以前として奇妙な感じが僕はしますけど
このロジックがロジックとして働いているから
ああいう表現を取るんだなっていうのが
わかるんですよね言われてるから何回も
実際鍵開けてくれないんで
私が
あれですよ
開けゴマですよ要するに合言葉みたいなものがありまして
後の叩き方なんだけど
すると開けてくれる私だってことがわかるからね
油断してないっていうわけなんですよね
油断していないってことは母親が侵入してくる
これは非常に親的侵入
侵襲と言ってもいいんでしょうけど
彷彿とさせはしますけれども油断をしていない
母が入ってくる鍵がかかっている
油断をした母が
だから油断はできないってことなんですよね
これはねわかりにくい
二過論理僕の場合はちょっとやっぱり
言葉のロジックによる癖があるから
二過的なんですよね鍵がかかってるってことは
鍵がかかってなくはないわけだから
誰も入れないじゃんっていうそういう
ロジックになっちゃうわけですね私の場合は
そこには時系列があるし鍵をかけた過去に
今かかっているだから人は入れないっていう
単純物理的世界を記述するのに
いかにも妥当なニュートン的世界の
記述になっちゃってるから頭の中からこれ以外は
僕はなかなかイメージすることが困難なんだよ
そういう風に頭がなっちゃいますから赤信号だけど
渡るならわかるけど赤信号だから渡るだと
もう頭の中ではそういう言い方もできるかもしれませんが
なんかよくわかりませんっていう感じがしちゃうんでね
渡ることはできますよもちろんそれはね
そういうことではなくてこれはロジックで
何と表現するかの話なんでだから
油断をしていない母が入ってくるっていうのが
イップになるっていうのがさっきのあれですよね
私は料理をしているあなたはゲームをしている
イコールになってるわけですね
イコールだということがつまり迫害されてる
ってことになるわけですけれどもこの迫害されてる
っていうのはそのロジックに基づいた上での
文章なわけですよねロジックとしては
私が料理をしている
はあなたがサボっている
あなたはゴロネをしているあなたは
ゲームをしているということと同時なわけですね
対象理論においては同時なわけですね
だから私が
腹を刺すっていうことは
私お前が腹を刺す
だから僕もお腹を刺すことがあったわけですよ
そしたらめちゃめちゃ激行されて打ち切れられて
うわーって思ったわけですよ街中だったからね
そして
お前が腹を刺す
イコール私はお腹を刺すってない
お腹を刺すれって言われているってことになっちゃうわけですよね
わかりますこれわかりにくいですよね
でも同時じゃないですか同時だから起こるわけですよ
お前がお腹刺すったって私はお腹刺すらないからね
って言うんだってわざわざ言うほどのことじゃないけど
ならわかるじゃないですかそうではないですよ
だから僕はこのロジックについていけなかったんだけど
私がお腹を刺するということは
お前が腹を刺すってるってことは私はお腹を刺すってないってことかな
私はお腹を大事にしてないんだなだからお腹がこんなに痛いんだな
そんなことを言いやがって許せないことになっちゃうわけですよ
お腹が痛かったとするとねたまたまね
お腹痛いお腹痛い言ってますからね
お腹痛いって言ってるだろうって言われるわけですよ
僕はびっくりするわけです
確かに1年か2年前にお腹痛いって言ったの聞いた気がする
次元が落ちてるから
同時に起きちゃってるから
お腹が痛いって言ってるだろう
お腹刺するんじゃないと
僕はでも全く理解できなかったんですよその時はね
マテムランコ読んで理解はできるようになって
だから今度会った時には
このロジックで喋ってるっていうことを
認識しながら話を聞こうって今思ってるわけですね
多分だいぶ違うと思うんですよね
反応としては
ただ当然カオスになりますよね
つまり何て言うのかな
言語がある言葉を発したあるいは誰かが発する
それを記述した時
その現象を記述した時
陰謀論と無意識のロジック
その対象を同時に意味しているっていう
そしてその対象の選択の仕方は
集合セットの言葉の使い方の入れ替えによって
無限に表現できるとなってしまったら
もうカオスじゃないですか
何だって起きるわけじゃないですか
何だって記述できてしまうわけじゃないですか
対象としてその人は意識してるんでしょう
どうすることになると世界が対象的に見えるっていう意味で
カオスになる上に
スプリッティング的なことが起きるはずなんですよね
同時に起きちゃうわけですよ
それは大変な世界だなとは本当思うんですよ
基本的には一個のことしか起きないわけですよね
同時には世界では
だから赤信号で渡るということは
赤信号で渡らなくはないということしか
言えないわけではないですか
しかも赤信号だけど渡るしか言えないわけですよね
赤信号ならば渡らないものっていう
規定が決まってるからそこの中で
ゴシャゴシャに喋ってるようにしか聞こえないですよね
でも私たち頭の中で思っちゃうじゃないですか
赤信号なのに渡ったっていうふうに思っちゃうじゃないですか
世の中にはちゃんと規定があるっていうことを
意識せずには人は生きていられないじゃないですか
普通はね
このがんじがらめ感を
自然と無意識で知ってるからこそ
世界のロジックというもの
世界で起きることの幅というものを
我々は理解し認識し
安心していられるんですよ
この幅が崩れ始めると何が起きるかわかったものじゃないから
落ち落ち夜も寝てられないから不眠になったりするわけじゃないですか
っていう
この無意識のロジックっていうもの
夢の中では何でもありがちですよね
割と何でもありがちですよね
8時18分から1分経ったら22時になりました
夜になったわみたいなそういうことが起きちゃいますよね
時系率無視されてるんで
不便なんですよ自由なようでこれは非常に
という話かなと
これをね私はタスクシュート絡みで
本当は喋りたかったわけですね
ということに気づいたんですよ
タスクシュートはこういうことは許されてないぞということを
絶え間なく無意識の方にも伝えていくんだと思うんですよね
許されてないんだぞ現実世界では
私が何もしないというか読書をしているということは
何もしないことはできないんだぞ
読書をしているということとダラダラしてるってことを
ごっちゃまでにしてはだめだよっていうことを
絶え間なく言ってくるんですよね
課題評価も歌唱評価も難しくなっていくんです
記述していくことしかできなくなっていく
それをしているということはそれをしていないということは言えない
っていうことを絶え間なくずっといくのがタスクシュートなんで
ある意味では
これをしたということはそれをしていないとは言えない
と言っていくものなんで これが めちゃくちゃ大事なんです PDCAでは
決してないってこと これをした ということは もっと良くできた
よねっていうのは 本当は許されて ないんですよ そんなことは言え
ないんですよね 青信号に渡った ということは 黄色信号に渡った
かもしれないんではないよねって ことなんですよね シンメトリック
な理屈ってものを基本排除して いくはずなんですね あれは 本当に
時系列でしか起きない 朝食準備 をしたから 朝食を食べて 朝食
を食べ終わったから 朝食の片付け ができるっていう こういうロジック
を徹底的に追っていくっていう そういう 面白くも何ともないと
言われればそうなんだけど 僕ら は あれが面白くないように見えて
いながら 結構 心の中ではオカルト をやっちゃっていて そいつに
振り回されているから もっと上手く できたんじゃないかとか 勝手に
反省を始めたり 勝手に腹を立て たりし始めるわけですよ つまり
我々は少なからず陰謀論に行き がちだっていうことでもあるわけ
ですよ