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2025-01-10 47:08

タスクシュートに「反発」したくなる心理【1118】

理想化と脱価値化は人でなくても起こる。
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サマリー

タスクシュートに対する反発心理や、働くメンタルの回復に関する洞察を探っています。特に、男女間の働く環境やメンタルの問題がどのように影響し合っているのかについて考察されています。タスクシュートへの反発心理に関する議論が展開され、時間の使い方やその重要性、緊急性についての考え方が明らかになります。また、精神分析の視点から自己の行動を理解する方法についても触れられています。タスクシュートにおける反発心理を探るエピソードでは、公認心理師と臨床心理師の違いや、理想化と幻滅のプロセスがカウンセリングにどのように影響するかが論じられています。タスクシュートに関連する心理的反発や転移について考察され、特に親子関係がどのように影響を与えるかが分析されています。また、掃除や片付けにおけるアドバイスの受け入れが感情的な反発によっていかに阻まれるかが説明されています。タスクシュートに対する反発心理が考察され、自己反省やナルシシズムとの関連が探られています。

働くメンタルの回復
おはようございます。働くメンタルを取り戻すグッドモーニングボイス第1118回をお送りします。
1月10日、金曜日、朝4時45分です。
ちょっとね、今週は音したり、やったりで、ちょっと目が、なんていうのかな、わたわたしているんですけれども、
新学期始まった早々で朝がどうしても、なかなかやることが急に出てきたりで、安定しないんですね。
たぶんこれがしばらくすると疲労感は出てくるものの安定はする。今は全然疲れてないんだけど、調子が定まらないと言いますか。
ちょっと前までは冬休みだったから、もっと遅かったわけですよ、収録時間がね。
今度は早いんだけれども、早いから余裕はあるんですけれどもですね。
いろいろとミスもあったりするんですよ。
いわさらスタンドFMの収録でミスってどうかって思うんですけど、あるんですよね。不思議なことにね。
ちょっと眠いってこともこの時間帯はあるのかも。
だからやっぱりちょっと今まだつかめてないと言いますかね。この時間帯の調整に追われているといったところでご了承いただければと思います。
引き続き3ヶ月チャレンジなんですが、ありがたいことに第8期、今期が過去最高のご参加いただいていまして。
継続される方って結構多くいらっしゃるんですよ。
なので来期もこの流れで行ってくれればですね、新しく2,3名入っていただくと過去最高更新できるんではないかという。
それは非常に運営側の勝手な言い分で参加される方にとっては何の関係もないんですけれども。
むしろ最大人数でない方がいいぐらいに思われるかもしれませんけどね。
とりあえずそういうことで2,3名の枠が、枠としては4,5名、4名はいけると私は今のところ計算しておりますが。
もしよろしければですね、お試しの方からやってみていただくと。
お試しの方はお試しなんで、4回とりあえずお試しいただければですね、そこでやめることもできますし、あんまりダメージ負わずに積んでよろしいのではないかと。
そのうちというか1回のやつも儲けようと思うんだけど、1回はもうお試しにはせず、これは1回きりっていうやつで、1回きり終了っていうのを作ろうと思ってます。
これは1回きり1万円みたいな、きりのいい感じで、時間をちょっと90分ぐらいにしてっていうのを考えております。
1回では本当はですね、何ができるかっていうのはあるんですけど、とりあえず1回でいいっていう方もいらっしゃると思うんですよね。
今ちょっと緊急で1回だけやってみたいな、そういうのもあると話を聞いてくれみたいなのもあると思うんで、1回用意しますけど。
1回はちょっとね、1回でお試ししたからその分をっていう感じにはできないので、4回は少なくともお試しのにしようかなというふうに思っておりますので、
この4回のお試しをまずとりあえず、もし興味ある方はそれこそ試していただけると一番ちょうどいいんじゃないかと。
そこでその後のことについてとか、最初にお支払いいただく必要ないんで、いわゆるストライプとかで決済したところからの申し込みじゃないんで、
お申し込みはいきなりできます。お申し込みいただいたところから口座振り込みみたいな格好にしておきますので、
よろしければ是非というところですね。第9期に向けてちょっとリニューアルをかけてます。
男女間のメンタル問題
100日チャレンジほどの大リニューアルはできませんので、私一人でやってるものなのでね。
一つ思うのは、働くメンタルを取り戻すというサブタイで一生懸命やってますけど、
このサブタイは別にね、3ヶ月チャレンジという名前さえ固定すれば、あとはもうサブタイトルなんで変えていけばいいかなと思っておりまして、
もっとね、働いている人が働いてはいるが、働けてはいるが、働くことに不安があるとか、きつさがあるとか、
職場がしんどいといった方向けにもっとPRできる名前にしようかなというのがある一方を、
働く周辺環境、特にこれはですね、体感というか、そもそも3ヶ月チャレンジは微妙に65%ぐらいが女性って感じなんですよね。
63分の2、2対1で女性。女性が圧倒してはいないんだけど、半々ぐらいのケースもある時もあるんですけどね。
大体2対1、4、6、2対3ぐらいで女性が多いなって感じなんですね。
この女性が多いというのはですね、この種の相談というものに範囲を見出すのは、女性の方が長けている雰囲気が日本では少なくとも感じられるというのと、
やっぱり周辺環境と働くということの兼ね合いが食い込んでくるのは、現段階では残念ながらまだ女性だということになるんだと思うんですね。
これはやっぱりこれまでの、要するに男性中心社会の名残っていうのかな、名残と言っては怒られるかもしれないんですが、そういうものが多く引いてるんだろうなという感じがするんですよね。
男の人にとっては働くということは働くということであって、働くことだけに意を集中できるんだろうけれども、女の人はなかなかそうはいかないということですよね。
結婚すれば結婚したで、子供ができれば尚のことっていうことがあって、周辺との兼ね合わせで話が決まってきてしまうので、だから周辺のことがこじれると、その影響が大きいんですよね、多分男性に比べると。
男の場合でもですね、これが非常に大きなものを言いかねなくなるということが、特に今の時代、どんどんこれからますますその傾向は白車がかかると思うんですけど。
あと僕はもう一つ、これは男性のむしろ側にある、というか男性の方で悩みがちな問題として、一旦そうやって体制をですね、周りの環境が幸いにも恵まれているとか、そもそも独身で実家から仕事をしているといった場合には、環境的には申し分なさそうなんですけど、この申し分のない環境というのが癖もので、
仕事中毒みたいになっていくっていうのが男の人の働くメンタル問題には大きな課題になるなっていうのは、これはもう昔からだし今もなおあるんですよね。
働けることにすべてが整ってきて、自分の趣味も例えばガジェットとか今特にそうですけど、スマホとかガジェットとか、働くのに都合のいいツールっていうのは当然のことながら資本社会では都合のいいツールなわけですよ。
だから働き尽くしになってしまって、働き尽くしがいいときはいいんですけれども、働き尽くしている中でその働きのことが苦しくなってくると、全人生が苦しくなってくるじゃないですか。
さっきの女性の課題というか問題になってくるのは、働く環境がその人の働くということそのものに悪影響を及ぼす形だったんだけど、働いていることが悪影響だと人生全体が同じ色になってしまうという働き尽くしている人はそうなりますよね。
これは男性だけの問題じゃなくて、おそらく女性にもあるんだけど、今のところ3ヶ月チャレンジではですね、女性からこの問題はあまり訴えられてこないと、100%働いてますがそんな働きが苦しくなりましたから、人生も100%仕事なので人生は同じように苦しくなりましたっていう話は今のところまだないんですよね。
仕事環境の影響
これは本当に鶏卵でどっちが先なんだっていうのは当然あります。
仕事がつらくなってきているのはそもそも実はライフがつらかったからなんです。
潤風万般っぽく見えるとですね、それがわからなくなってくるんですよ。
それこそ頭も良かったし、いい大学に入ったし、働き尽くしていて、ついに親からも独立して、言うことなしなんだけど、実はその親との関係は実に難しい関係を含んでて、それを会社に投影しているから会社ではつらくなってきて、それが人生全体の色を塗り替えているんです。
もともとそういう色だった気がするみたいな話ってあるんでね。
そういう話の方が多分普通だと思うんですけどね。
つまりこれは人生の色って急激には変わらないってことなんだけれども、本人にはそうは見えないんですよね。
だって潤風万般だったじゃんって感じがしますよね。
その、客観的にそう見えるということと、実はそういうことであった試しがないというのは両立するって話ですね。
両立しないと思われてるってところに、精神分析の出番というか出どころがあると僕なんかは思うんですけどね。
両立しているじゃんって思ってるんだけど、実は両立、客観的なものは主観的であるみたいになってしまっていて、
幸せそうに見える私の人生なんだから当然幸せなはずだっていうね、そういう無理な理論がそこにもあったりするわけですよ。
理論というのか思い込みなんですけど。
まあいったわけで色々あります。結局はいろいろあります。
これに男女論は僕はあんまり本当のところ意味がないと思っていて、
思っているというか、だってそもそもNが少ないのが3チャレの良いところですから、
N100とかだったらね、ある程度の一般的なことが言えるんでしょうけど、
Nが10に前後しているという程度で、そこまでは言えないと思うんですよね。
男女比なんて12期あたりから逆転している可能性も十分ありますからね。
とはいえ、今のところはそういうのが散見されて、そこに不思議さはないということですよね。
だから家庭環境が悪くなって、そのことが仕事に直接の悪影響を及ぼしがちなのは、
現段階のところまではまだ残念ながら女性の可能性がありますが、
実はそれは男性にとっても何ら変わらないことであって、
そもそも仕事に万全で全集中できるぜという環境を整えることが、
良いことばかりは生み出さないということですよね。
それができるから男性は恵まれているんだということになるんだけど、
恵まれているのはあくまでも仕事をする環境が恵まれているという話であって、
仕事そのものがブラックになりましたって場合は、
全集中している以上、全ブラックになるわけですから、
そういうことは僕は何しろ仕事術のところにいるんで、
しょっちゅう見かけるんですよ、しょっちゅう。
女性でももちろんこのパターンに入り込むということはいくらもあり得ます。
いますから、いらっしゃいますからね。
あの独身です、実家からやってます、仕事に全集中できてますが、
仕事が真っ黒になってしまいましたっていうケースは、
そんなに珍しいことではないです。
そういった方向けでもありますし、
この先仕事のことが不安であると、
この不安の二つの一つは迫害不安、もう一つは欲愛不安、
どっちでもない破綻恐怖もありますが、
ここでは一旦置いておくとして、そういうことがあり得ます。
この話の延長を今日はしていこうと思いますが、
ファンチャレの休憩はご検討ください。
2月1日から、2月、3月、4月ですね、始まります。
ここまで仕事始めに入ったばっかりなので、
仕事と考えたときに、このようなサービスいるかなっていうのは、
あるかなとは思うんですけれどもね。
本当のところは僕は仕事だけではない。
あくまでも仕事のメンタルを取り戻すとか、
働くメンタルを思い出すとか、いったふうにしたいんですけれども、
もうちょっとこう、ライフ一般に話を広げることもしてますから、結局。
そういう話をするよっていうPRもいるかなとは思い始めたところではあります。
とはいえ、8期は過去最高だったんで、
あんまり名前をポンポン変えたくもないかなと、
ポンポン変えるのが私ですけどね。
まあまあそんなことを揺れながら、
常に揺れるのは、これも私の今心情なんでね。
ブレないとか固定するとかは絶対やめておこうというね。
そういうのはあります。
もうしょっちゅう変えるっていうね。
ちょっとわかりにくくなるのは申し訳ないんですけど、
しょっちゅう変えなきゃいけないだろうと思うんですよ。
しょっちゅう変えないからどこかで大きく変えることになり、
人に余計な混乱を大きく汚すという、
タスクシュートと時間の使い方
そっちはもう僕はもうごめんだと思っているんで。
昔ということ全然違うじゃんみたいな。
最近調べ始めたんですよ。これ余談ですけどね。
昔と2013年4年の頃とあるいは2009年と、
まあ2009年あたりとは違うんですけど、
それは15年前ですからね。
違うじゃないですか。少しは諦めて、
それかご勘弁いただくしかないと思うんですけど、
でも9年10年の頃の見てみたるわけですよね。
スピードファックスとかチームファックスとか、
一瞬でやる気が出る脳の作り方とか、
いろいろと読んでみてるんですけど、
そんなに違わないんですよ、僕の言ってることって。
そんなに違って見えるっていうのも不思議だなっていうね。
もちろんシミュレーションをもっとしましょうみたいなことを
言ってるあたりは少し違うとは思うんですけど、
でも書いた通りに実行できますとか、
書いた通りに実行しなければダメですとは、
どこにも書いてないんですよ、僕の見つけられたところによるとですね。
言うほど違ってないじゃんねっていう、
時間は大切にしましょうみたいなことは言ってたから、
時間なんて湯水のように使っちゃいましょうみたいな、
でもそれだって2020年よりは前に言ってるんですよね。
だから言うほど僕の言うことが180度展開したっていう、
探せばあると思いますよ、180度変えたことだって。
でも僕の中ではそれは結構些細な話だなっていう感じもするんですよ。
昔からPDCA回せとか、PDCAやってもいいよねみたいなこと書いてはありますよ。
でも書いたことありますけど、PDCA回しまくろうみたいにどんどん改善しようとは書いてない。
どこにも書いてる気配がないって、
ブログにも1回も書いたことないかって言われると困りますが、
あんまりないんじゃないかなって感じがします。
日経ビジネス、日経ウーマンオンラインっていうのに長らく連載させてもらったこともあるんですけど、
それ読んでもですね、あんまりそれ読む気しないんだけど、
それ読んでもガジェット紹介とかツール紹介はしてるなってのはわかるんだけど、
そんなに別に時間について今ということが第二領域すごく大事ですとかって1回も書いてないですし、
そう思ったこともそう書きたいと思ったこともないんで、
緊急性と重要性の認識
重要だけど緊急じゃないことを先にやりましょうとかって書いたことはないんで、
なぜなら私はそうは思ってなかったんで、一瞬も。
まるまる嘘は書かないっていうのは昔から一応心情的にあったんですよ。
緊急時代放置して何かできないじゃんっていうのがあったんですよね。
私のタスクシュートっていつ見ても緊急事項だけで埋まってたんで結構忙しかったんですよ、2010年代は。
だから緊急じゃないことやってる暇なんてどこにもなかったっていうのが正直なところだったんですよ。
その中でも絶対遊んだりファン座見たりしてたんで、
その時僕が思ったことはいやこれ緊急だからって思ったんですよ。
ファン座見てそれこそねちょっとトイレ行って抜くの緊急ですから、
露骨な表現使ってますけど僕に言わせるとあれが緊急じゃないとか言われるのは結構ふざけんなって感じがあったんですよ。
緊急でもなければ重要でもない、それはお前の言い分であって私の言い分じゃないよねっていう、
この忙しいのにそれをやってるということは緊急だってことなんですよ、それは。
僕はそう解釈するんですよ。
なんでそれをやってる暇もないときにやってることを緊急じゃないなんて平気で言い出しちゃうのかっていうのが僕は気に入らないんですよね。
それを天皇陛下とかが決めるんなら少々しょうがないかなって思うんですけれども、
なんかねそこらへんの聞いたこともない私は仕事で成功したキャリアコンサルタントですが、
あなたのやってるファンズは緊急じゃありませんとかそんなこと知ったこっちゃないよねっていう感じがしますね。
いまだにします。
当時はめちゃくちゃしてたんで、第1領域以外は存在しないっていうのは結構あったんですよね。
第1と第3ですよね。緊急であるが重要ではないことはやりうる。
まあこれはしょうがないからねっていうのもありますよね。
それだって重要じゃないっていうのは結局のところ他人が勝手に決めることであって、僕が決めることではないですよね。
僕はこれは重要だと思うからやってるんで、第1しかないと思うんですよ。どう見ても。
第1をさらに4分割する論とかあったんですけど、意味ないことやってるなって感じが僕はするんです。
あれは4つに分けてるところに意味があるのであって、4つ以上に分けてしまったらもうなんか違うものになってしまうと思うんですよ。
7つの習慣の理屈から考えてみてもですね。
まあまあそういうことで時間を費やしたので先へ行きますね。
先へ行くというのはどこへ行くかというと、今の話と少し近いところもなくはないんですけれども、
私がここで言いたいことはですね、私は精神分析をまず参照したり、
言ってみれば精神分析フリークというか精神分析オタクに話を持ちかけたいという人向けに参照をやってるっていうこういう感じなんですね。
3ヶ月チャレンジの中で精神分析はできません。
ただこれはだから精神分析が理解できないって話に時々なっちゃいがちなんですけど、それは変だろうと最近思うようになったんですよ。
例えば私はテニスとかって60歳のお婆ちゃんとかまあ達者な人いっぱいいますからね。
全然勝てないんですよね。なんちゃってテニスみたいなのやってても。
でもフェデラー対西コリとかを見てわかるんですよ。わからないはずはないですよ。
5時間もねテニスの試合5時間とかでも長い奴あるな。
でもまあ2時間とか絶対行くわけですけれども長い奴は。
5フルセットやったらそのぐらい行きますよね。
絶対1時間は見てるわけだ。もっと見てますけどね。
絶対分かってないってことはありえないと思うんですよ。
分かってるんですよねやっぱりね。これすごいよなと。
分かってることとできることは絶対関係ないじゃないですか。
極論言うと、例えば皆さんスキーの男子大回転とかってあるんですけどあれはものすごい技術なんですよ。
あんなことできっこないですよ絶対に。
男子大回転とかなんか普通に滑ってるように見えるかもしれませんけど、
あれはもう僕はあの世界はそこそこわかるんですよ。
だから皆さんがご覧になってるよりはわかってるだろうなと思うんですよね。
ここを取ったらもうダメだなっていう金ベダルは無理だなっていうの。
もうなんか最初の滑り出しからちょっとこのライン取っちゃったらもう無理だなっていうのはわかるんだけど、
別にそんなことわからなくてもいいんですよ。まして滑れなくてもいいんですよ。
あれずっと見てればほとんどスキーやったことがない人でもわかるんですよ。
わかれば滑れるかっていうとそれは滑れないですよ。わかったところ。
でもわかることとわからないことの違いはあるはずで、
現にわからない人は面白いと思わないから見ませんからね。
全然つまんないじゃないですか。スキーってある意味ではただ滑ってるだけだから見てても。
やっぱあれ僕はすごい面白いんだけど、それはわかってるからなんだけど、
わかってればあれができるかというともろんできませんよね。
そういうことってあるから、精神分析もそうで多少はわかるはず。
わからずにクラインとか読めません。最近私クラインの本立て続けに読んでるんですが、面白いです。
でもそれはできるっていうこととは違うんですよ。できなくてもわかるってことはある。
だって女性で相撲なんてほとんど、もしかしたら幼稚園の頃以来取ったことなんかないですって方でも、
相撲を見ててわからんってことはないわけじゃないですか。
どこでみんながワーって言うっていうのはだいたい一致してるし、
プロの相撲さんと見どころは基本変わらないんですよ。
すっごい詳しい人はカイナここで返して上手取ってとかって言い出しますけれども、
その人にじゃあカイナ返して上手取れるかってそんなことできるわけないんですよね。
まあできないですよ、そんなことは。やったことがないって人すら中にはいると思うんですね。
でも見てればわかる。そういうことはいくらもあるというのが、
これの3ヶ月チャレンジの大事な立て付けなんですよ。
精神分析について分かろうとしたり分かっているところが出てきたり、いっぱいある。
でも精神分析ができるとかやったことがあるってわけではないという立て付けですね。
これがまず一つなんですよ。で、もう一つはノラカウンセリングっていう要素なんですね。
これはもう僕は今は思うんですよ。絶対あると。
ノラカウンセリングって何かって言うとですね、これはもう特殊な定義です。
純金コンプレックス丸出しの定義ですが、ノラカウンセリングとは何か。
自覚なくあるいは非常に不器用にしか扱うことができないまま天位を扱っているってこと。
それが僕のノラカウンセリングの現段階の定義です。
例外的ケースはあります。それなりにあります。
例えばものすごく器用に扱えちゃっているケース。
しかもほとんど無意識にやってるというケース。これもあります。
もう一つはほとんど全て分かっている。これもだからね、何て言うべきなのか分かんないですけどね。
いますじゃん。やっぱりプロとやっても勝っちゃうことがあるアマチュアのアリアスリート。
ないことになってるけどそれは嘘ですよ。ないスポーツもあると思いますよ。
絶対アマチュアじゃプロに勝てないっていうのが。
でもアマチュアがプロに勝つスポーツってありますかな。
いくらでも言い訳ができるんですよ。100回やれば90回は勝つとかね。そんなことは言えるんですよ。
でも例えば何式のボールを使っちゃったら、すごい上手い草野球みたいなチームにはプロが負けるってこと。
現実には起こるんですよ。まあそれはしょうがないと私なんかは思いますけどね。
例えばですけど、だって国が違えばあり得ることですよ。
日本の社会人野球がイタリアのプロのチームに昔勝つとか全然別にそこに驚きはないですから、はっきり言って。
絶対プロの方が強くなければならないという理屈は成り立たないと思うんですよね。全然。
だからこういうケースあります。ありますが、ほとんど数多く見ていけばですね。
アマチュアというか、要するに野良カウンセリングというものの問題でもあり特徴は、知らずに店員を扱っているというところですね。
この知らずに店員を扱っているというのに最近すごく意識が回るようになったというのが、
それのどこがリニューアルになるんだということになるかもしれませんが、第3ヶ月チャレンジと第9期のリニューアルの大きなポイントなんですよ。
店員をどのように扱っているかを少なくとも意識できるようになってきたっていう。
だから扱わないっていう方向性で基本最初はスタートするんですよ。
精神分析と自己理解
でも扱わさせられ始めちゃってるなということを認識するようになったんですね。
それはやばいでしょっていうのが精神分析的な見方なんですよ。
これが純金コンプレックスなんですよ。純金コンプレックスと野良カウンセリングは表裏一体なんですよ。
野良カウンセリングの問題というのは何かというとそれは僕の感じでは店員を扱ってしまうことなんですよ。
扱う技術とか知識とか準備とかが不十分なまま。
でもそれはあくまでも精神分析の言い分なんですよ。
ちなみにここは言わない方がいいことなんですけど、精神分析家と公認心理師はイコールじゃないんですよ。
今後これはどうなっていくんだろうっていうのは僕は注意して見守っていきたいというか見ておきたいとは思ってるんだけど。
まず臨床心理師と公認心理師は今のところはほとんど同じようなもんだと思っていていいような気もするんだけど同じものではない。
異なるものなんですね。
だって違う名前なんだからある意味死の字すら違うんで心理以外は全て違うじゃん。
公認と臨床でしょ。心理師の死が侍なのか医師の死なのか師匠の死なのか。
公認心理師は公認の心理の医師みたいな師ですから医師じゃないんだけどね。
臨床心理師はそのままですよね。
しかも日本では今多分主流というかメイン公認のものは臨床心理というか心理臨床っていうんですよ。
この辺の話は込み入る上に別にジャレ的に面白い話でもないのですっ飛ばしますが、
気になる人は山崎孝明さんの書かれた精神分析の歩き方とかを読んでいただくとこの辺の錯綜した事情がよくわからない。
大まかにわかるようになります。
興味あればですよ。別に興味も持たなくてもいいことだと思うんですけどね。
いずれにしても心理臨床というんですよ。臨床心理とは言わない。
言わないわけではないんだけど臨床心理という言葉もあるんだけど、臨床心理師もいるんだけど、でも心理臨床と言うんです。
で、公認心理師と言うんです。
でもそれは精神分析家とはまた違うんですよ。
だから精神分析家って実はノラなの。定義上ノラになっちゃう。
その場合もしかして一方が違うとっていうことがあり得る気がするんですよね。
ここをあんまり言うと炎上ネタにしかなり得なくなっちゃうし、つまらない炎上になっちゃうんで。
関係ないですからね。はっきり言って。
私のように臨床心理師でも公認心理師でも精神分析家でもない人間に。
このことは局外の話なんで。他人ごとなんで。
ただそういうことがあるんですよ。
カウンセリングにおける理想化
とはいえ私の定義の仕方はノラカウンセリングの定義の仕方って精神分析側からのものなんですよ。
でもその精神分析って日本では実はノラ扱いなんじゃないの。
カッコつきで小声でって感じなんですけどね。
だからその定義の仕方おかしくねえかっていう感じは僕の中でもめちゃくちゃするんだけど、しょうがないよなという。
この辺の作装した話は本当にただ作装してるだけな気もしますけどね。
いずれにしても僕が思うのは純金コンプレックスとノラ問題というのは表裏一体の問題なんですよ。
どっちかがどっちかを勝手に定義するからそういうことが起こるっていうことですよね。
だって何をもって公認とするかって、公というのは日本がってことなのかっていう。
でも精神分析ってそもそも日本勝ちのものじゃないですからね。
だから公とかっていう客観的にそれは正しいんだっていうのは常にどこかに政治的な嘘が、権力が勝手に決めてる部分って絶対あるってことなんですよね。
恣意的なくせに客観性を持ってるよ、それは正しいんだよ、基準なんだよって言えてるという。
だからここは最終的にはどこに行き着くかというと結局はエディプスに行き着くしかないんですよね。
この権力の後ろ盾は誰ですかっていう。だから一本は違うとなんとか組の世界になってしまうわけですよ。
誰の許可でそれをやっているんだみたいなことを、権力を背景に言ってるもの勝ちみたいなところがどっかにあるということですよね。
ここもあんまり言っていくとあれなんで、カッコ好きの小声でなんですけど、その場に私はガンガン喋ってますけどね。
これ非常に聞いてる人の数の多くないもんなんで、そう簡単には炎上ネタにはならないという。
これをツイッターで下手につぶやくと本当に炎上ネタになりかねないところ。
でもこれのどこが炎上ネタなんだろうなっていう、そこまで面白くないじゃないですか、スキャンダル的な意味で。
芸能人の不倫とは違うんだよって感じがするんですよね。面白い話は実は言い難いような気もします。
まあいいんですけど。で、何が表裏かっていうとですね、結局これは私の偏見だと言われれば偏見ですが、
コーチングであろうと、何々コンサルタントであろうと、全て僕の感じではそこに転移が挟まってきます。
転移と盛んに言ってるのは、東映ドイツかと言いたいところでもあるんですが、転移と盛んに言ってるのはですね、結局転移の解釈はやっぱりそこは技術力なんですけど幅が出てくるわけですよ。
どんなのだって転移と言えば転移なんだけれども、でも幅は出てくるわけですよ。
非常にわかりやすいところというか、割と典型的なパターンとして、それこそその精神分析でも心理現象でも、
カウンセリングの事例とか臨床例を見ていて、まあよく出てくるというか、それは当然こうなるよねっていうのが、
一つはやっぱりカウンセラーの理想化ってやつなんですよね。
カウンセラーを理想化するところから入り込みやすい。
全部じゃないと思うんだけど、これがなかったらその100回もセッション受けてられないじゃないですか。
お金もかかるし時間もかかってるわけだから、どっかでカウンセラーを過度に理想化していくんですよ。
で、これはカウンセラーだけじゃないですよね、絶対。
それこそオンラインサロンだろうと、グルーみたいな人とかコーチングのコーチとか全部理想化は、理想化を望みませんという人はいっぱいいらっしゃるだろうけど、
望むと望まざるとにかかわらず、理想化は起きるわけですね。
で、この理想化というのは何を背景に持つかというと、
私も理想化されてるって話なんですけど、最初はやっぱり親子関係がスタートにあるわけですよ。
で、よっぽどひどい親であったと仮にしても、やっぱ一歳児の頃はパパみたいな感じなわけで、パパは理想の人なんですよ。
神と親と恋人がセットになったような存在ですよ。
それはもう素晴らしい存在ですよ。
だってまず第一に背が高い。
アホみたいな話に聞こえるかもしれませんけど、あれ取ってってやつはパパに頼むじゃないですか。
ママに頼むかもしれませんけど。
だから母親父親は、しかも北山治さんあたり、もっと前かな?がよくよく持ち出されていた両親結合像。
あのあれですね、セックスしたまま歩いてるような像ですよね。
ちょっと奇妙な感じなんですけど、両親は二人で一つなんで、幼児から見ると。
でもすごい存在ですよね。似たような話ありましたよね。ギリシャ神話かなんかに、プラトンかなんかの話に。
プラトンかアリキスソテレスか。
まあプラトンだったような気がする。
ソクラテスか。
あのあれですよ、手足が8本ある怪物ですよ。
すごい存在だったんだけど、あまりにもすごいんで。
神様がその2つを切り落として4つ足になった途端に、その動物は半身を探すのに急々としていて、神にとって脅威じゃなくなった。
これ両親結合像の神話ですよね、完全に。
もともと男女一体であったというわけです。
まあ嘘ですけどね。
そんなはずないだろうっていう。
だって動物はみんな4つ足じゃんっていう感じで。
8つ足って言ったらオクトパスになってしまって、あれはどう見ても男女一体論ではないじゃないですか。
ただ足が8つあるだけでね。
つまり両親結合像っていうものほどすごいものはないわけです。
かわい早尾さんも書いてましたよね。
重いものは簡単に持ち上げるし、走ると超速いし、高いもの取れるし。
高いもの取れるってなんか子供の頃すごいなって思ってましたよね。
両親っていうのはそういう理想の存在なわけですよ。
神であり、恋人であり、絶対であり、家であり、守ってもくれるし、何でもできるわけですね。
0歳児ですからね、01歳児ですからね、から見た人ですからね。
これを投影するわけで、この定義関係に最初入るわけですよね。
大体その両親にもう飽き飽きしている人とかもううんざりしている人とか、
もう教育ママで毒親で宗教にかぶれてどうしようもないんですよっていうところに、
そうなんですね、大変ですねって言ったカウンセラーが素晴らしい人に見える。
ああ、ちゃんと話聞いてくれる。
すごい、ちゃんと話聞いてくれるだけですごいわけですよね。
理想の存在ってことがここから始まるわけですよ。
これ定義なんですよね。もう一回始まったってことなんですよ。
昔やったんですよ、これをね。
それをまたやりたくなっていて始まる、スタートすると。
で、その頃って働くメンタルとはちょっと違いますけど、やる気がないとか全然ないじゃないですか。
お父さんがちょっとなんとかくん、何々取ってきてくれるって言ったらすっとんでいくわけですよ。
大概子供はね、すっとんでいくんですよ。
もうやる気に満ちてるわけですよ。
その割にすぐ寝ちゃったりしますけど、やる気に満ちてるわけですよ。
あのメンタルを取り戻しましょうみたいな話にも近いんですよね、私が言ってるのは。
で、これはカウンセリングを最初に受けに来た頃には抜群なんですよね。
いやもう先生の頃にすぐ来ます、毎週来ます、絶対遅刻しません、お金も毎回1万円払いますみたいな。
そういう感じになってるわけですよ。
だから続くんですよね。
これがないとちょっと続かないですよね。
まあでもこれなかったりも最近もするし、全部が全部こういうパターンじゃないんだけど、
でも何かしらの理想化みたいなものからことは始まる。
で、幻滅が起こると。
転移と逆転移の影響
この幻滅ももうお馴染みのものですよ。
親に幻滅したことあるじゃないですか、子供は。
なんだこいつ、背が高いだけで俺が背が同じぐらい高くなって、
ていうか俺抜いたし、みたいな。
高いもの全然俺の方が取れるし、みたいになってくると。
理想化した分だけ幻滅はでかいわけですよね。
脱価値化というふうに専門的に言う。
これも起きますよね、必ずと言っていいぐらい。
なんだカウンセラー何もしてくんないじゃん。
なんかただ喋ってるだけ。
一方で言うとただ話聞いてるだけ。
これに金かけようと思っていた俺がバカだったわ、みたいになるわけですよね。
これも同じことがもう1回起きてますよね、転移ですよね。
逆転移も起きますよね。
この人理想化してるな、みたいな。
でも理想化されれば、初心者じゃないんで大抵の人は、
理想化されて嬉しいとは思わないかもしれませんけど、
やっぱどっか嬉しいわけじゃないですか。
理想化されて嬉しいということは、脱価値化されれば悔しいじゃないですか。
これが逆転移ですよね、ごく単純に言うところのですね。
で、例えば理想化された中でアドバイスしちゃうでしょ。
アドバイスをしないといくら言ってても何か喋るじゃないですか。
そして理想化された以上それは全部アドバイスになっちゃうじゃないですか。
この辺に転移ってものがありますよね。
心理と反発の関係
だから極端に言うと別に精神分析っていうのは、精神分析とは何の関係もないところから始まるんですよ。
このことが意識されていなければいないほど、それはノラカウンセリングっぽくなるじゃないですか。
でも絶対これは避けられない。
これをなぜノラというのか、それは転移って言葉を僕は使ったから。
つまり純金コンプレックスとノラカウンセリングは表裏一体なんですよ。
例えばですよ、その人に片付けができないんです。
カウンセリングの、理想化したカウンセリングの素晴らしい先生何とかしてください。
じゃあ片付けをするためには物を捨てなければいけませんね。
なるほど、さすが、みたいになるわけですよ。親子なんて。
何を言っても変異の中で起きちゃうわけですよね。
このことをきちんとっていうのかな、非常に平水準でやっちゃったのがフロイトによるドラの奨励の失敗ですよね。
だからみんな失敗してるわけですよ、そういう意味では。
精神分析的に見ればですよ。
だってこれやっちゃうじゃないですか。
というかやられ、行われてるじゃないですか。
捨てなければ片付かないですね。
いやーそこですよね、みたいな。これが精神分析ですよね。
やってる人はそう思ってませんよ。
家事のアドバイスをしてるというぐらいで。
アドバイスにもなってないような、これ常識でただ喋ってるだけだよなってことかもしれないけど、
何か言っちゃってますよね。
言っちゃってるのはもう転移の文脈で聞こえるんですよね、来てる人に。
だからこれがさすがだと。
これで片付くぜって思うということが既に精神分析の世界では精神分析なんですよ。
でも精神分析じゃない世界なんて別に構わないんですよ。
精神分析的に見るとこれは転移なんだけど、
あくまでもこれは家事のアドバイスなのかもしれない。
家事のコーチなのかもしれない。
ライフハックなのかもしれないんですよ。
その文脈で見る限りそれはライフハックでしかなくて、転移なんかじゃないんですよ。
だから純金コンプレックスを持ちいない限り、野良であるという指摘はできないし、
純金コンプレックスが発生しちゃったらそこに野良だという指摘が発生しちゃうということなんですよね。
私は絶対これは業界に関わらず、
医者と患者であろうと、医者と患者なんか特に先生と生徒でも家庭教師でも、
学校の先生でもコーチングでも、産業カウンセリングでもキャリアコンサルタントでも何でも起きている。
税金の関係でも弁護士でも絶対これは起きていると思います。
でも別にそれを精神分析的に見る必要はないってことですよ。
敵に見ると変異が発生、変異が動き出したということは言い得るという感じがするってことですよね。
で、しばらくしてですね、掃除だとしましょう。掃除ですよ。単なる掃除。
何とかアドバイスとかって言う必要はない。掃除です。掃除のアドバイス。
エヴァノートでもいいんだけど。
で、ダンシャリをしましょうとか、デジタルダンシャリをしましょうとかいろんな言い方があるじゃないですか。
何を言ってもいいんです。理想化されてるんだから。
でもいずれ、えーと、思春期になるわけですよ。
いや、先生全然片付きませんよ。
いや、だから言ったじゃないですか。捨てなきゃ片付かない。
でも捨てられないんですよみたいな。反抗期みたいになるわけですよ。
だいたい先生だって捨てられてないじゃんとか、先生だってこういう時は例外だとか言うじゃん。
大事なもの取っとけとか言うじゃん。
全部捨てればいいとか言ったのは嘘じゃんとかいうことになって脱価値化が起こるわ。
この脱価値化も、脱価値化が起きてるから、もう何を言っても無駄なんですよ。今度は。
あらゆるアドバイスがバカくさく聞こえる。
全部クソバイスになっちゃうみたいな。
で、そこで治療が中断すると、完全にドラの症例と似たようなパターンになって、
つまり失敗ってことになるんだけど、
掃除における課題
ここを持ちこたえるみたいな話ができるかできないかというのを精神分析や課題にしてるわけですね。
別に精神分析じゃないんで、ここでも打ち切られてしまったら、
それはそれでそいつが悪いってことにするっていう世界もあると思う。
それはそれでありなんですよ、別に。
だって精神分析で何かを見る必要ってないわけですからね。
どんな基準においてはそれは失敗で成功なのかっていうのは、基準の持ってき方によって変わるわけですよ。
ちなみにサンチュアレは精神分析ではないけれど、
この段階で打ち切られたものは良かったとは思わないっていう程度に精神分析をリファーするというのか参照するんです。
リファレンスしてるんですよ。
でもこれをそのまま症例ドラのような失敗だとは見なさない。
だって同じことはやってないわけだから。
で、大事なのは、この場合所詮定員だとも言えるんだけども、
親子関係のやり直しだとか、修正情動体験だとか、修正感情体験だとか言ってもいいんですけど、
育て直しだとか言ってもいいんですけど、僕はそうは思わないですね。
やっぱりいろいろ読んできちゃったんで。
ここで大事なのは、確かに親子関係の焼き直しみたいに見えるんだけど、そうじゃないよねと。
ズレがあるよね。
だって佐々木とその人の関係じゃないですか。
親子関係じゃないじゃないですか。
定位は定位であって現実じゃないわけですよ。
このズレをどう扱うかというのを、私は意識したいと思っているわけですね。
で、どっちみち意識させられてると思うんですよね。
コーチングであろうと、何だろうと、アドバイザーであろうと、何であろうと、
アスクシュートであったとしても同じことは起きる。
ズレはそこには絶対ある。
親じゃない。
その時に親子関係だという情動がどれほど優勢になってるかで、
やっぱりその現実検討式というかな、現実検討能力の上下動ってのがあると思うんですね。
そこがすごく大事だと思うんですよ。
このズレを認識できるかどうかというのが。
お互いが何をどれくらい意識しているかの中でも、
特にそのズレをどのくらい意識できているかということと、
ズレでありながら共通項になってるっていう部分は、
僕はそこに着目するんですけど、
共通項になってる部分っていうものを当事者が感知できればですね、
それは親子関係というものが反復されていて、
一体自分がどういう親子関係の問題を持っていて、
それをどれくらいあらゆる現実の人間関係に適応してきて、
従って職場であろうと、家庭内であろうと、人間関係がこじれがちになっている、
その大元の理由が、それは親が悪かったとは限らなくて、
その親子関係を反復する以上は、
そのこじれなりトラブルなりもまた反復されざるを得ないと、
これに気づくかどうかというのを私は重視していると。
ケースによっては、だから全然そっちは重視しなくて、
掃除がうまくいくかどうかだけを重視するってケースもあると思うんですね。
僕はこのこじれが片付けば、
整理・収納だろうと、エバーノートだろうと、タスク収納だろうと、
何かのキャリアだろうと言っていることに、
それほどおかしなことはないはずなんだから、うまくいくと思うんですよ。
この浄土的なトラブルに巻き込まれさえしなければ。
でも普通は絶対巻き込まれるので、そこでストップする。
多くの場合はストップする。
片付かないのは片付けてはいけないという、そこにルールがあって、
心の中のルールみたいなものがあって、
例えばそのまま親の言いなりになって片付けていたら、
親からいつまで経っても自立できない。
だから片付けないという気持ちが、
そこで再燃しているということはあり得るのであって、
だから私は片付けないんです。
あなたの言う通りにはしません。
だってお前嘘ばっかりじゃん、
っていう風に思春期が再燃するってことはあるわけですよ。
そしたらもう片付かないですよね。
アドバイスがどれほど的確で正確で理にかなったものであろうと、
ときめこうと断捨離であろうと、なんであろうと、片付かないですよ。
言われた通りにしたくないというのが、
その人にとって一番大事なポイントなんだから。
もっとここが複雑になるわけですよ。
言われた通りにして、お母さんが満足して、
感情的な抵抗の認識
お母さんが安らかに天国に行く。
絶対それだけは嫌だ。
これは極端ですけれどもね。
私が片付けられるということは、
私はもう一人で生きていける、自立できると。
私はお母さんを安心して天国に行けるわ。
いや、それが嫌だと。
私はお母さん大好きだから、いつまでも片付けずに
ダダをこねて、本当にしょうがないのねって言って
一緒にいてほしいというケースもあるわけですよ。
こうなってくると、浄土のことを意識したとしても、
話は簡単ではなくなっていくわけですよね。
こういうことを僕は、僕の方としては扱いたいのであって、
テクニックの方は、この後にはいくらでもついてくることができると思うんですよ。
こっちの気持ちが片付けば、
実際には並行して動くしかないだろうなと思うんだけれども、
実際に並行して動くしかほんとないんでね。
でも私はこっちの方だけを話の主軸には置きたいわけですよね。
なんでかっていう、なんでそれをしたくないのかという。
すること自体は難しいことじゃないんで、
スクシュートだろうと記録取るとかね、エヴァノートだろうと、
ものを捨てるだろうと、やること自体は簡単なんですよ。
少なくとも本腰入れてやればできることなんですよ。
本腰を入れたくない理由があるぞっていう話は、
この番組ではしょっちゅうしておりますよね。
ここを意識しなければしないほど、精神分析から見ると野良っぽくなる。
でも意識どれほどしなくったって、
こういうことが起きてないということはあり得ないと僕は思うんですね。
ただここを無視できるというケースもあるだろうし、
無視してうまくいくというケースももちろんあるでしょう。
だから別にこれを全て分析的に見る必要というものがあるわけではないんですよね。
あるわけではないけれど、私はそこを見ずにやるということに対して、
非常に何か不備が大きいと思うので、
ここを見ながらやっていきたいという話でした。
だから純筋コンプレックスと野良問題というのは表裏一体なんですよ。
そしてどんな世界でもこの転移ということは厄介かもしれないし面倒かもしれないけど、
起きないということは考えられない。
私最近思うんですよ。
コーチとかアドバイザーとかトレーナーとかは人間ですから、
これはもう転移が起きて当たり前です、ある意味ではね。
でもツールにさえ起きるなって思うんですよ。
例えばタスク修道を理想化するってあるよな。
いずれタスク修道を理想化した人はタスク修道を出す価値化するでしょう。
なんだよこのトニーだったってどうせルーチンしか回んねえじゃんって言い出すじゃないですか。
タスクシュートへの反発
記録なんかいつまでも取ってられないんですよって言い出すじゃないですか。
ここに出す価値化って起きるよなと。
だから人間じゃないんで、タスク修道は何も言いませんけど、
ちゃんとやりなさいとか言いませんけど、
でもタスク修道を勝手にお父さんのようにお母さんのようにして、
タスク修道に勝手に反抗してってことを人はそこまでするよなと思うんですよ。
これは僕はナルシシズムの世界、だってその人しかいないんでそこには。
いると思ってるところに人間はいないんで、いると思ってるところに他者はいないんで、
タスク修道が他者に見え始めるという、
これは不思議な投影なんですけど完全に投影なんですけど、
でもそれ定義だよねっていう感じもしなくはないわけですね。
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