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おはようございます。働く人の精神分析チャット、1037回です。8月14日、水曜日、7時34分ですね。
ちょっと作戦が失敗してですね。悪くはないんだけど、骨伝導イヤホンを買ったんですよ。
これにマイクも一応ついてくるというやつだったので、これを使うと今ほど頭が熱くならないっていうのを期待したんですけど、
マイクの性能がどう考えてもこれに比べると遥かに落ちるということが分かりまして、
あれは聞く専用になっちゃいました。もともと娘と共用で、しかも是非とも必要なものではあったんで、
もうイヤホン壊れちゃったんで、これ必要だったんでいいんですけど、マイク性能が良いやつはもっと高いんだなということが分かりまして、諦めました。
まだそこまでの財力は余裕がないので、ちょっとここは熱さを我慢して収録しようと。
それについてちょっと今日はお話ししようと思うんですけど、改めましてといいますか、繰り返しのお知らせですが、
あさって16日にいよいよですね、タスクシュートクラウド2、公式リリースとなります。
高機能だよって言ってても仕方ないので、具体的にいくつか機能を言いますと、まずカレンダービューがあります。
これは私の使い方ではですね、開始時刻の決まっているものだけをピックアップすることで、
カレンダーにタスクから残すことで、リピートタスクと1、2日分のタスクですけれども、
の中のいわゆる開始時刻が決まってるもの、これを私は予定と呼ぶんだけれども、
つまりタスクの中で開始時刻の決まってるものだけを予定と呼ぶんですが、
その予定だけをカレンダービューで抽出するといったことも割と簡単にできます。
というか簡単にできます。
簡単にというのはですね、コードを書く知識、プログラムを書ける能力は一切必要なく設定できるという意味ですね。
つまり用意されている設定の欄から設定していただくことができます。
これが1点、私はこれがでかいと思ってます。
マンスリビューでもウィークリビューでも、さすがにね、
ちまたのカレンダーの特に地名どころほどデザインがこなれてないとかあるかもしれませんけど、
そんなのは多分その気になって修正していけばいくらでも効くと思うので、
いずれは問題なのはそれができるかどうかってことだと思いますので、
それはできます。
これがね、Googleカレンダーと連携したらいいのにと思う人が出てくるのはよくわかります。
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というのは結局、例えばカレンダーの共有機能みたいなものはまだ到底無理だし、
現実的じゃない感じがするんですよね。
カレンダーの共有機能を可能にするということだったら、
タスクの共有機能も可能になってしまうという話になってきて、
セキュリティの話まで出てきますし、
共有っていうのは非常に誰がどこまで何を権限を持っていくかっていう問題が発生するし、
あんまりタスク管理、私はタスク管理にチーム共有っていうのはすっごい向かない考え方だと、
以前から思ってたんです。
これも一歩間違うと炎上まではいかないけども、
議論を呼ぶネタだし、
私の働き方の問題だとも言われるんで、
私はそれにも最近はあまり同意してないんですけれども、
つまりこれはチームで働くツールは別に用意しなきゃダメだと思うんですよね。
そこに一元化されているのが便利なのがよくわかるんですけれども、
そういう話ではないと私は思うんですよ。
これをタスク管理ツールに投入してしまうと、
力関係に必ず発展するというか、
そもそも会社って権力関係がありますから、
権力がある人とかうまく立ち回れる人はそれでいいんでしょうけれども、
あれは心理的に圧迫するものになってしまうので、
よしといたほうがいいと私は今は非常に思いますね。
誰がこれの権限を持っているのかを明示するってやつもそうで、
明示したほうが安心するっていう人もいらっしゃるでしょうけど、
私は基本タスクシュートというのは非常にプライベートなツールだと思っておりますので、
この話が次の機能に関係してきます。
つまり私もこれは意外だったんですよ。
まさかそんな機能がつくとは思わなかったんですけど、
ぼかし機能がデフォルトでついてます。
タスクシュートクラウド2は。
これは大橋列夫さんのタスクシュート、
Excelベースからタスクマを経て、
今日に至るまでこの発想はなかったなって私は思うんですね。
いらないですから。
だってあれはプライベートなツールなんで、
自分で自分にマスキングを入れてもしょうがないじゃないですか。
何のタスクかわかんなくなるだけで、
ハテナみたいな感じになって、
何の意味もないんですが、
人に見せるということがやっぱり非常に多いわけですね。
認定トレーナーさんしかあり、私たちもそうですが。
だからマスキングをかけられるというのは、
新しい発想だなと。
これは何とも言えない気持ちになるんですけれども、
あると非常に私なんかには便利ですね。
私にはとてもとても便利です。
ただ、だから必須だったかって言われると、
何とも言いようがない気分にはなります。
私はスキッチっていうEvernoteについてきている、
画面スクショをとってそれを加工することのできる、
非常に便利なツールがあるんですけど、
これにマスキング機能ついてますし、
これを多用しておりました。
そのためにほとんど使ってたと言ってもいいほどで、
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意外な感じがしましたね。
デフォルトでついてくる。便利ではありますが、
タスクシュートに、タスク管理にマスキングがつくという、
だからこれはプライベートなツールなんですよ。
非常にいつトイレに行くかまで記載が残っていくというものを、
人に見せるのは、ある種の人には大変抵抗が強いと思うんですね。
だからこれとチーム共有というものは、
はっきり言って全然向かないと。
だって思わず何を共有するか分かったもんじゃないじゃないですか。
っていう気持ちになってしまいますよね。
それ自体がタスクシュートでは、
私は好ましくないと思うんですね。
ここには何を書いてもいいっていうのが、
絶対原則として働いてこないと、本当は良くないんですよ。
やっぱり何を書いてもいいんです。
この心理状態のまま使っていかないと、
本領発揮できないツールだと私は思うので、
そう信じておりますから。
それなりの理屈もありますんでね。
ここを共有にしないほうがいい。
ここは頑張って手動にする。
そうするとコピーすることになるから、
間違いが発生するではないかっていうのもあると思うんですけど、
最近の発達障害系の話ですね。
でも私はこの間違いが発生する可能性を、
排除しないという意味でも、
ここは手動でなければいけないと思ってます。
これは自動で記録を取ってはいけないっていう話に近いところがありますね。
この2つは目玉というか非常に意外性のある新機能。
3つ目が、これは意外性はないけれど、
サイドピークというところでノートが使えて、
ここにプロジェクトモードをタグで、
いくらでも分類が可能というのが、
3つ目のおそらく大きな目玉ですね。
ここにコンテンツを入れるっていうのは、
私のかなりラディカルに近い使い方かもしれませんけど、
ちょっとしたメモを取っておきたいというのはあると思うんですよ。
いくらでもね。
これはメモツールを他に、
例えばEvernoteにNotionなりを使っていたとしても、
サイドピークのほうに何かメモを取っておきたいとか、
チェックリストを置いておきたいというのは、
十分考えられる話なので、
そしてそれをノートデータを残っているタスクだけを抽出するというのも、
現在はついてませんが、
今後つく予定だという話なのでですね。
これが非常に重要な機能だと私は思います。
かつてやっぱりノートというものをタスクシュートにくっつけるというのは、
発想としてはありましたけど、
このレベルでは実現してこなかった話ですし、
何よりもですね、
これができるようになることで、
アウトラインみたいなものも作れるんですけれども、
やっぱり私のようにコンテンツをここに置けるという、
要するに仕事の成果物をここに置いておけるというのが、
まず一つありますね。
もう一つは、
これもありきたりといえばありきたりなんですけど、
既にGoogleカレンダーなどには実装されていますけど、
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ファイルを置いたり、
ファイルそのものが置けたかどうかちょっと今覚えてないんですけど、
ファイルを置けたりすることで、
やっぱり予定と何かちょっとしたPDFなり、
画像なりといったもの、画像を貼り付けられます。
を置いておくことができると。
さっきのカレンダービューとの連動を合わせてですね、
ここを一つ見るだけで、
特にGoogleカレンダーでなければいけないといった事情を持ってない人はですね、
カレンダーに直接新規のタスクを追加することもできますから、
これビューのマスキングについて、
フィルタリングについてちょっと多少意識を回しておかないと、
入れた瞬間に消えるっていう事象が発生しちゃうんですけれども、
消えて見えるってことなんですけどね。
予定だぞっていうことを明示しておくっていう必要はありますけれどもね。
だけれども、そういうことをすることで、
予定にちょっとしたメモ書きなり、資料なりを挟んでいくことができるので、
事実上カレンダー代わりにできるんですよ。
特にタブレットサイズがiPad mini以上のサイズであれば、
十分これは可能です。
もちろんAndroidでも動きますんで。
そうですね。
6インチ以上ならば、実用性に耐えるんではないかと思いますね。
この辺まで来れば、
だいぶやっぱりいろんなツールを横断しなくて済むっていうメリットは、
十分享受できていくんではないかなと。
ここに例のあれですね、タスクシュードクラウドライトが、
今年中に入ってくればですね、
通信環境があまり良くないところでも、
使うのにさほどの苦労はいらなくなるっていう状態が実現できるかなと。
多分ユーザーからの要望次第だとは思うんですけど、
Googleカレンダーとの連携がここに加われば、
予定表形、つまりいわゆる手帳でやりたいことは、
ほぼ何でもできるという状態になるんではないかと。
仮にタスクシュード、これも本末転倒な話ですが、
タスクシュードしないとしても、
これでプロジェクト管理というものも、
プライベートな場合ですけどね、
いわゆるパーソナルマネジメント系は、
これでできないことはほとんどないんじゃないかなと、
私は思いますね。
そういったものになってます。
月額1000円程度なので、
一般の人とこれまで長らくタスクシュードクラウド1の方を
使っていただいた方との価格差が若干あるんですけど、
これは当然あって自然かだと思うんですけど、
いずれにしても1000円前後でお使いいただけるので、
月額ですね。
試す分には言うことないんじゃないかと思うんですよね。
2ヶ月試しても2000円なんで、
私は当然ですが、お勧めしておけると思います。
これほどこの種のツールでこういうことが全部できるっていうのは、
あんまり近頃見ないんではないかなと思いますね。
12:01
やろうと思えば、
ブラウザ上にデータベースを置けば、
近いことはできるって話になってくるんだけど、
これやっぱりデータベースを構築するってこととは別の話なので、
仮にそういうものを構築できたからといって、
iPhoneでまで使うってなると、
結構知識を要求されると思うんですよ。
そんなことをやってられないという人の方が自然に多いと思うんで、
月1000円前後ならばありなんじゃないかという気はします。
特に私は課金系で苦しいというか、
思いっきりがつかないという方にお勧めしたいのが、
さっきのエディタとして使うっていう部分ですね。
これはダイヤリーっていうのとはまた違うんですけれども、
エディタとしてタスクに紐づけておくというのは、
私たちの頭が必ずしもアウトライン的にできていないっていう現実から考えて、
非常にやってみると分かるんですけど便利なんですよ。
デイリーのダイヤリーとは違って、つまり毎日つける日記とは違って、
タスクごとに何かが走りがかれている。
例えば夢日記なんてまさにそうなんですけど、
夢日記は日記上につけるっていうのはかなりの労力を要します。
そんなに覚えておけるもんじゃないです、夢ってのは。
だから夢日記をつけるっていうタスクを用意して、
そこに夢日記が入っていくっていうような使い方をしてみるとですね、
どうしてタスクごとという記録が役に立ちやすいのかが、
多分実感していただけるんじゃないか。
ただ夢日記って簡単じゃないんで、あんまりお勧めしにくいんですよ。
カウンセリング受けてると役に立つんですよ、夢の記憶っていうのは非常に。
だって夢ってのはまさにナルシズムじゃないですか。
一人よがりの世界じゃないですか、一人しかいないんですからね、そこにはね。
しかも自分がやってることに対する現実検討も書いていると。
私たちはどんなに健常な人でも精神病水準が心にあるのは、
夢を見るという事実一つで明確なわけですね。
夢には二つの精神病的な特徴がありますよね。
一つは質検討式、つまり現実検討が完全に失われて。
一つは他者になってしまう。
その中では他者が、存在しない他者が出てくる。
夢の中で人が出てこなくても、それはそれで病理ですけど、
で、こなくったって夢というものは他者が出てきてるんですよ。
だって自分は木でも花でもないわけです。
家でも道路でもないわけです。
家も道路も全部出てくる。
自分で越しられてるものですからね。
しかもそれが世界そのものだと勘違いする。
これが私たちの精神病部分。
これを私たちは持って生きてるっていう話は、
スクーシューとクラウド2のCMとは何の関係もないんで、
ここから本題に入っていきたいと思います。
で、夢の話はしない。
あの、今日したいのはですね。
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えっと、なんていうんですかね。
嫉妬と扇望みたいな話なんだけど、
感謝に近い話なんですよね。
で、この感謝ってやつは多分、
受けが良くないと。
私は思うんですよ。
何かというと、
自己啓発とかスピリチュアでも感謝しなさいって言うじゃないですか。
結論としてあれは、
私は全く正しいと思うんですけど、
あれを言われて納得する人は、
まあ、ほとんどいないんじゃないかなとは思いますね。
特に一番これに納得できないのが、
やっぱり妄想性の方々だと思います。
妄想性ということが、
病理の名前としてあるということは、
この人たちにとって感謝が困難であるというのは、
決して、あの、
感謝が困難であるということは本当はないんですよ。
なぜなら妄想を見ていらっしゃるわけだから、
現実に感謝ができるかできないかはまだわからない。
ここですね、ポイントは。
現実に感謝ができるかどうかはまだわからないんですよ。
ただ、ご本人は妄想に感謝する気には到底なれない。
それは、妄想というものがいいものであることはほとんどないからですね。
くぶくりん妄想というのは悪夢なんですね。
悪夢には感謝しません、人はね。
当然のことで。
ただ、それが現実に対して感謝できるかどうかの話は、
また別なんだけども、
妄想性というものの特徴は、
妄想すなわち現実なので、
だから、妄想は悪夢であり、
悪夢が現実であり、
現実は悪夢である以上を、
それに向かって感謝しろなんてナンセンスだというのは当然です。
これはもう、全く反論の余地はないと、
私は思うんですね。
感謝しなさいというのが、
この種の人に向かった場合、
意味のないアドバイスになってしまうんですよ。
なぜこの悪夢に感謝ができると言うんだ。
あなたはこの現実を見たことがないんだ。
というふうに反論されて、
つまり、排出に対する排出、
東映同一化が進行して終わってしまう。
終わりはしないと私は思うんですけど、
この種のディスカッションでも、
全くないよりある方が、
マシなケースはあると思うんですけどね。
しただ、この種の議論はあまり意味をなさないので、
カウンセリングの世界では避けられる。
普通は避ける。
要するに、
道外報復を繰り返しても、
不毛であるということですね。
カウンセリングが不毛な場になることは、
多分多々あると思うし、
私だって十分経験済みだと、
自分が受ける場合、
自分が言ってみればいいと話を伺う場合でも、
どちらにしても、
道外報復になってしまったなというのはありますよね。
残念ながら。
残念だとしても、
道外報復を完全に回避できるなどということは、
私はあまり意味がない話だろうなとは思います。
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避けたいというのは人情ですけどね、もちろんね。
義理人情の人情ね。
すいません。
ちょっと飲み物を飲まないと、
やっぱりこの辺で苦しくなってきますね。
カットしておきたいんですけどね。
回路をつなげないので、
今ミュートしてもよかったんですね。
飲んでる音とかを聞き苦しいと思いますね。
先日と言いますか、
つい最近、ある方とお話をしましてね、
ある会社では水源地というところに
お参りに行くそうなんですね。
どうしてその水源地にお参りに行くかというと、
結論だけ言いますとですね、
その水源地はダムとの関係があって、
水力発電といった格好で恩恵を受けているので、
その水源は昔から地元の人に、
言ってみれば祀られていた。
だからそこの水源を使って商売するならば、
この会社でもそこのみんなのお祭りに参加して、
一緒に盲でるべきだというか、
大事にするべきだという。
これが感謝ですね。
私はこの話はものすごく、
ものすごくというか、
いろいろと資産に富んでいると思うので、
今日お話ししたくなったわけですが、
まず会社で、
いわゆるちょっと一歩間違うとスピの入った、
一歩間違わなくてもスピの入ったオカルト行事をすると、
どうなのという意見は、
特に社内ではありそうだなと思うんですね。
だから盲でているのは、
多分自由参加かもしれませんが、
役員クラス以上ということになるでしょうね。
私はこの話に非常にいい話だと思ったのは、
いい話だということで聞かされたという部分もありますが、
いい話だと思ったのは、
この会社は存続していて、
しかもそこそこ成功していると。
少なくとも傾いてはいない、現段階では。
私があまり読めもしない能力で、
ギリギリ読んだ決算報告書を読む限り、
事態はそんなにまずいことにはなっていない。
非常にそのことと関係ないかもしれませんが、
少なくともそういう盲でを、
恒例用事のようにしていても会社は傾かない、
というのは大事だと思ったんですね。
まず最も消極的に言って。
で、水源に感謝するということに、
どういう意味があるのかという人はいると思うんですよ。
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ただ、水源がなければ、
その会社の事業は少なくとも大きな事業の一つはない。
これは確かなことだと思うんですね。
だからこの話は、
精神分析的にエグい表現をとると、
父母のセックスを最高のものだと見なせるかどうか、
という問いがあるんですね。
これは非常に大事な問いだと私は思うんですよ。
それがどれほど自分勝手でエゴイスティックで、
いやらしいものだと感じたとしても、
それがなければ、今の批判は出せないわけですよ。
自分の父母のセックスは最低だ。
もう考えるだけでも気持ちが悪いし、
ろくなもんじゃないっていうこの言葉は、
その行為がなければ出せないセリフなんですね。
他の人が言うことはできますよ、もちろん。
でもそれは父母のセックスはとは言えない。
これを言えるのは子供だけです。
だから前がなければ後がないってやつなんですね。
哲学的に言うと。
これがさっきの水源の話に近い。
つまり感謝をしないというその言葉すらも、
感謝抜きには出せないよっていうような話ですね。
世の東西問わずこういう議論はあります。
だからこれはよっぽど気に入らないことがあるんですよ、
このところのところには。
つまり煽謀ですね。
クラインが言うところの煽謀がある。
プロメテウスの話ですよね。
ゼウスが言いますよね、プロメテウスに。
誰がお前を作ったんだと。
お前さ、だけどお前は大きな間違いをしでかした。
俺を自由に作ったことだって。
子供が親に言いそうなことですね。
思春期あたりになってくると。
これが接触障害みたいなものとの兼ね合いに出てくるなとは思うんですけれども、
それは良いとしまして、
つまり感謝できないというのは煽謀があるということになってしまうんですよ。
表裏一体なんですね。
嫉妬ではないですね。
クラインが言うところの嫉妬ではない。
つまり嫉妬というのはお母さん愛してくださいなわけですよ。
あなたが愛してくれない悪いお母さんだから私は怒っているんです。
お父さんでもいいんですよ。
お父さん私を愛してくださいなわけ。
嫉妬ってそういうことです。
兄弟がいて、兄弟が妹ばっかりかわいがる。
お父さん私を愛してくれ。
お母さんがいるやっぱりね。
お母さん愛してくれと。
妹ばっかりかわいがるんではないと。
私のことも見てくんないと嫌だと。
だから私は家出をしたりバイクに乗ったり盗んだバイクに乗ったりするんだよって言ってる。
これは愛してほしい表現なんで。
三者関係における愛してほしい表現なんで健全なんですよ比較的。
どうこすとかなり厄介なことになるけど基本健全なんですね。
二者関係しかいないのに。
お母さん私はあなたを壊したいです。
なぜならあなたは私を愛してくれるから。
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これが煽謀。
こっちは非常に問題が大きい。
だって自分に良くしてくれるものを壊そうって言うわけですからね。
あなたはきっと下心あるんでしょうとかいろんな猜疑心がこの問題を引き起こすんだけれども。
最大の問題はやっぱりお母さんに敵わないってことが許せないってことなんですね。
お母さんは何でもできます。
これ接触障害の本の中に本当に出てくるんですよこういうセリフが。
あなたは何でもできるからそれでいいだろうけれども。
俺はこの息子さんなんですけどね。
俺は食欲ぐらいコントロールできなきゃこの先やってけないんだよって言って挙手に走っちゃうというケースが私読んだことがあって。
これはまんま煽謀の煽謀がセリフになって出てきてるねと。
気持ちはありますよね。
お父さんは何でもできますっていうかわいはやおさんがよく書きますね。
お父さん成人君子みたいでね。
地域の人にも愛されて会社でもよくできてエリートなのに息子はなんかろくでもなくて盗んだワイクで走ってますっていう。
これはお父さんが良すぎるだけなんだっていうこれ煽謀なんですよね。
非常にわかりやすい。
あと何をやっても自分が何て言うんですかね。
例えばなんかねものすごい家庭内暴力を書いてる漫画があるんですよ。
これも非常に古ったセリフがあって万引きをしてめちゃくちゃ手に殴ったりして歩道される男の子がお母さんがですね呼ばれてですね泣いてるわけですよ。
お母さんがごめんなさい私の育て方が悪くてって言ったらめちゃくちゃ息子が激怒するんですよ。
ふざけるなと。
俺が万引きしてもあなたのコントロールかなのかってこういうセリフなんですよね。
つまり俺が万引きする理由すらあんたなのかと。
こういう心理っていうのは確かに私は思春期にはあった気がします。
自分にも間違いなく。
口には出しませんでしたけどこれ口に出すのは恥ずかしいんでね結構ね。
非常に苦しい状態なんですよね。
何でも自分の親の意図というものの結果になってしまうというこの何て言うんですかね。
自分の自立性というものが鼻からどこにもないという状態ででもなんかしろとは言われる。
例えば勉強しろとは言われる。
つまり何をしたって相手の意図と相手の成果になってしまうのに私が苦労しなきゃならないというこの心理の辛さなんですよ。
これをクラインは戦亡と名付けたんだと思うんですね。
だから羨ましいっていうのはちょっと違うと思うんですけどニュアンスとして羨ましい訳じゃないなっていう。
この何て言うんですかね。
一挙一投足すでに親発であるって。
ただ私はそこまで戦亡で苦しむような親子関係ではなかったんで幸いね。
これがもう手取り足取り本当にこう親のおかげだってことになってくると子供は辛いよなって思うんですよね。
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だから飛行もしたくなりますよね。
つまり親は望んでないことを親が望んでないことを親が望んでないことをやりたいわけですよ。
だってそうしないと自分の意思でやったという感触がつかめませんね。
だから何としても親が望まないことをやりたいから結果として消去法的に飛行になっちゃうんですよね。
飛行じゃない方がいいとは本人思ってると思うんだけどこれをやったとしても
例えば英語ができるようになりましたって言ったらそうかお父さんも英語得意だったからなんか面白くないですよねこれはね。
将棋強くなってもそうかお父さんも名人だから。
だからこういうコンプレックスって昔からお父さんがすごい火出ているケースでは多々見受けられるんだけど
これが感謝できない最大の理由になってくるわけですね。
あなたが素晴らしいからあなたを壊したいんだっていうこの真理。
これが思春期の真理でプロメテウスの真理ですね。
だからゼウスはお父さんだし誰がお前を作ったんだっていうセリフが出てくるわけですね。
作られた方としては作られっぱなしでは困るわけです。
自立したものとして作られた以上は自立していかなきゃならないんだけどそれが難しいわけですよ。
親を超えるのが自立だとすると何でもかんでもできる親を超えるのは至って困難じゃないですか。
だから親がろくでもないと子供を育ちやすいっていう割と有名な言い回しがあるんだけれどもそういうことになるわけですよね。
親がろくでもないとそうでもないですけどね。
でも難しい私が一番難しいなと思うケースが親はろくでもないんだけどスキルだけはものすごい優秀な場合の子供の立ち位置ですよね。
例えば明らかに上級を意識した子育ての仕方をするんだけど両親とも東大出てます。
スポーツも優秀です。音楽もできちゃいますみたいな。
だけど何か言ってることとやってることがむちゃくちゃですっていうケースは辛いと私は思いますねやっぱりね。
なんかこの世で評価されることで親を超えていくことは難しいのに家ん中はかなりめちゃくちゃな道徳観とかむちゃくちゃなモラルみたいなむちゃくちゃな長寿がに支配されているっていうケースは厳しいという感じがします。
必然的にそうなってしまうところがあると。
気にしなきゃいいって言われればそれまでなんだと思うしまさに気にするから気になるってやつなんだけど。
だからとっても脅迫的なとここともここにはよく出てくると思うんですね。
で、水源の話ですよ。水源に感謝するっていうのはいいじゃないですか。
なぜならしやすいからね。水源が素晴らしいから私は水源を壊したいっていうのはもう完全に病理の世界だと思うんですね。
水源素晴らしければ素晴らしいほどいいじゃないですか。
ここに水源の素晴らしさを祭りたくなるという人の心理は至って健全なもので、その結果としてですね。
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いろんな会社のような特に営利組織の場合にはいいことが起きそうだなって感じがするんですよ。
例えばその地域のすでにある産経なり水源に感謝を捧げる祭りに参加するというのは明らかに地元からは歓迎されると思うんですよ。
やりようによってはだけど。
これは明らかにその地域で営利活動を行う上ではプラスに働くだろうなって感じがします。
ちょっとあざとい言い方になってきますけどね。
ここでもう一つあるのはですね。
私が思うにどんな組織でもその組織のない人たちがある程度納得して行う活動はすべてその組織にとってはプラスに働くと思うんですよ。
だから昔の日本企業っていうのはある意味有効機能してたんだと思うんですね。
だって戦争中のむちゃくちゃ動員されていた時代だって結構日本人は前のめりだったわけじゃないですか。
我々は相当むちゃくちゃな動員の仕方で組織化してたから結構組織の中は崩壊気味だった話は後からいっぱい出てきましたね。
その後の自由な中で復興していくっていう時にはやっぱりやる気になると思うんですよ。
とっても。
だからすごく前のめりで後から考えると奇妙な組織ってもの組織活動がどんどん出てくるんだけど。
多分やってる方はですね。
結構楽しくやってたと思うんですね。
例えば会社でやる運動会とかそういうやつですね。
これは中の人たちが全然コミットする気持ちがなければほとんど有害なものでしかないんですけども。
中の人たちがそれなりに納得してやっていた場合、この種の活動っていうのはですね。
利益を生む前と関係なくプラスに作用するとしか思えないんですよ。
まあ利益生むでしょうけどね。
大きな会社の規模でやればですけれども。
だけども全く利益を生まない運動会だとしても多分プラスに働く。
だから学校は言って年から年中行事やりたがるんでしょうね。
あれは非常にこううまくないやり方だと思うんだけれども。
まあ仕方ないですよね。
何がしたいかはよくわかります。
ただし学校は営利団体ではないっていうネックを抱えているというかネックというか。
しょうがないですけどねこれもね。
だから全部の目的がキレイごとになってしまいがちだっていう困難を抱えていると思う。
さっきの何でもよくできるお父さんとよく似た事態を生じさせるんですよね。
この種のことっての。
でも甲子園とか見てるとそうじゃないですか。
やっぱり利益も生み出しますし、
教育目的という非常に建前的な建前はありますけれども、
ものすごい引力そして組織力と価値観というものが提示できてますよね。
ああいう運動というものは。
あれは言ってみれば運動会じゃないですか。
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あれは厳密には国体ということに高校総体か。
こういうような位置づけだったと思うんで。
だからNHKで放映してもいいわけで。
非常に何かが矛盾しているような気がするんですけれども。
非常にうまくやれている。
極度にうまくいっているために。
しばしば何か突っ込みどころが増えてしまうというケースだろうなとは思うんですけど。
ああいうものってのはそういう意味です。
こういうところから僕は水源のモーデルというのは、
うまいことやりたくてやったわけではないんですけど。
多分そんなことは何も考えてなかった可能性が高いと思いますけど最初は。
うまいこと言っていると。
私この種の話が聞くたびに。
聞くたびにこれこうやって人は戦亡を乗り越えるしかないなというふうに思うんですよ。
戦亡というのはとても不毛で。
赤い以外の何者でもなくなってしまうんですね。
だって親を倒すわけですから。
しかもその親が超強力的な親という場合に親を倒すわけですから。
多分それがうまくいった時には何もかもを失いかねないという状況なわけですね。
戦亡を乗り越えるというのが私たちにとっては一番最終目標みたいなところ。
メラニ・クラインはそれを最初の目標に置いているところがありますけれどもね。
最初の目標だし最終目標でもあると。
必ずこの戦亡の背景には無力感というもの。
グッドファイブスならば罪悪感というでしょうし、
罪悪感は最もなんですけどやっぱり無力感というものが。
だって赤ちゃんが母親を見て、母親が素晴らしくて許せないというのは完全に自分の無力感なわけですよ。
叶わないというのが問題なのであって、
自分にはできないということがその背景にあるわけですね。
だからとっても抑圧的になってしまうということですね。
この自分の能力の無さ、それは簡単な話ですよ。
例えばハイハイしないと立つことも難しい。
お母さんスイスイ走って歩いている。
もうほとんど神ですよね、お母さんなんて。
自分の身の回りの戦後もバッチリやってくれる。
なんだかさっぱりわかんないけど、すごいわけですよ。
この凄さというものに対して、自分というものが現実に直面すると、
いかに無能で無力かと、煩悩であるかと。
こういうことがですね、大組織とかに入ると人はよく直面するんですよ。
昔からそうですね。
私は大組織の歯車でしかないとかって、そういう話が出てきたりする。
あと対象喪失が起きやすくなりますよね。
お好み警護さんも書いてましたね。
私はM社の課長だと。
ここからM社の課長というのを取り除いたら何が残るっていう、そういう話ね。
これはもともと同じ問題から来てると思うんですよ。
後の方は対象喪失による抑圧。
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最初の方は戦亡を、抑圧を防衛するための戦亡だったんだけど、
結果としては同じですよね。
要は親が凄すぎるという子供の悩みなわけです。
大組織で働く人ってのはそういう気持ちになりやすいですよね。
自分なんかいてもいなくても同じなんだみたいな。
だからM社の何とかって言えばみんなが色々と良くしてくれるけれども、
そのM社を取り除いてしまうと何にも残らない、
ただのおじいさんになってしまうっていうこれ。
でも私たちはただのおじいさんなんですよ。
私はまだこの日本においておじいさんを使用することはもはやできないわけですけれども、
でもただのおじいさんなわけですよ。
何にもできないというのが大事なんですよね、一番。
ここに立ち戻るということ。
私はここであんまりクラインが言うように感謝感謝でいくと欲打つ的になっていくと思うので、
世の中が素晴らしいが私はただのちっぽけなおじいさんだみたいな。
浦澤直樹さんのモンスターにありましたね。
バイエルの吸血鬼とか呼ばれている金儲けがめちゃくちゃ上手いおじいさんが、
名前はこんなにバイエルの吸血鬼ですからね。
名前は随分大層だけど私はこんなにちっぽけだって。
あれは欲打つをよく表現してますよね。
自分の評判という親にかなわなくなっていくんですよね。
バイエルの吸血鬼ってそれほどいい、名誉な評判ではないと思うんですけど、
全部そうなってるんですよね。
自分というものの寄って立つというか、水源ですよね。
まさに源が光り輝いていると。
そこから出てきている自分というもののしょうもなさというものが耐えられなくなっていく。
そしてそこから結局何にも独立するメリットが何もない。
まさにさっきのM障子の私だから、M社の佐々木だからみんな偉い人回ってくれるみたいな。
そこから佐々木だけになっちゃったら、要するに親元から切り離されると、
子供はうつうつとして、しょぼんとして、しぼんでいくしかない。
この老人になってもそれに直面する。
これは中年の危機でよく扱われるテーマではあります。
昔は日本では良い大学を出て大企業に勤めるというのが人生のゴールみたいに言われてた時代が長らくありましたから、
その後で困ったことが起こるということですね。
そこまでは全力疾走してきたのに、そこから人生長いんで。
一方違うのが22歳でゴールに到達して、その後M社の佐々木になっちゃうわけですよ。
アイデンティティそのものがですね。
だから40くらいになって、つまり定年が見えてきた頃に、
いやこれM社取ったらどうなるわけっていう、別にどうもなんないんですけどね。
だからこれは不在論に近い話でもあるんですけども、どうもなんないわけですよ。
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何か自分が素晴らしいものだというのが幻想だったって話でしかないんだけど、
別にそれでいいはずなんですが、よくはないんですよね、やっぱりね。
こういう話が水源に感謝するっていう話なんだろうと、非常にスピっぽくはなるんですよ。
なぜなら昔はそこに竜神がいたとか大蛇がいたとか、そういうふうにして、
つまり類象徴ってことですよね。
象徴そのものだと、一般的な人が特に地元の文字もおそらく読まないっていう人だったと思うので、
そこで暮らしていた人の竜神様を祀るっていうのは、それは水源を祀るってことなんだけれども、
類象徴ですよね。何か具体水準ってものが必要で、だから偶像を崇拝するしかないわけですね。
そうしないと何をすればいいのか分からなくなってしまうわけです、多くの人はですね。
だからそういうことが分かっている人、大体の場合坊さんなんですけど、
現実にそこでは坊さんがそういうことをやってたわけですけどね。
象徴水準を理解できるお坊さんが具体水準にそれを変えて、
多分そこからいろんな逸話が出てくるはずなんですよ。
日本にはそういう逸話がいっぱいありますからね。
民間伝承みたいなやつですね。
そこでいろんな話がありますよね。何でもいいんです。
大体蛇か竜です、水にまつわる話はね。
それを祀ると、ここで象徴的な行動というものが引き継がれた場合、
現代に引き継がれた場合、水にまつわる話なんで、非常にいい話が多いはずなんですよ。
水にまつわる話なんで、当然非常に致命的な話も多かったと思うんですよ。
今の時代と違いますからね。水で今だってお亡くなりになりますけど、
昔はもう水っていうのは半端ないレベルなんで、
特に地域が地域であればゼロメートル地帯とかになってくるとですね、
大変なことが起こる。だから非常に恐れられもするんですよね。
この辺の話なんだと思うんですよ。
この辺にまつわる話の中で、人が集まる理由が出てくる。
少なくともですね、最もミニマムに言っても人が集まる理由というものが、
口実が作ったやつですよ。私よくこのポッドキャストで言うじゃないですか。
東京来発研究会というのは引き合いに出して申し訳ないんだけど、
もう他の何でもいいですよ。最近やってる手帳術の会とかも色々ありますけれども、
大事なのは、人が集まる口実になるかどうかってこと。
祭りってのはやっぱり、そういう意味では依然として機能してると思うんですよね。
人が集まる理由になってますから。人が集まる理由が、
最も集まりたくない人すらも集まる理由がある行為ってのがあるわけ。
例えば葬式がそうですね。集まることによって、色々、
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営利活動ってのは一番分かりやすいんだけど、お葬式ですらビジネスにはなりますから。
だから営利活動ってのは分かりやすいですが、
とにかく人が動いてくれないことには、組織勝手決してできないので、
何らかの理由がいるんですよね。理由というのはつまり、
とってつけたような理由でもいい場合はいいんですけど、
それは集まりたいという気持ちがよっぽど強い場合、
集まりたいというだけで人は集まれないじゃないですか。
実はここには扇棒が働いてるんだけど、
人は集まりたいという理由だけでは決して集まれない。恥ずかしいわけですよ。
いや、自分は別に寂しくないし、
そんな集まりに行くのはちょっと気恥ずかしいし、
喜んでいくというのはみっともないので、
好かしていたいですって昔の言葉で言うとね、そういうことがあるわけですよ。
そういう好かしていたい人でも、いやそれだったらしょうがないなっていうこれがいるんですよ。
これがないと、人を動かす前という力というのが必ず働く。
人を動かす前にする力というのはその人の独立心なんですけれども、
つまりいいダクダクと動き出すということは、
つまり親の支配から抜け出せてないってことじゃないですか。
自立にこだわればこだわるほど、その人は家からは出ないはずなんですよね。
特に自分が建てた家からは一歩も外へは出たくないという意識は強く働くはずなんです。
それは無意識に働いている力であって、表向きは何とでも言えるんですよ。
簡単に動くような人間だと思われたくないとか、軽いやつだと見なされたくないとか、
人と話し合うのは疲れるとか面倒くさいとか、いろんな理由はそこに出てくるんですけど、
それは大体において、いわゆる統制風の表現をとっているにすぎなくて、
やっぱりその人は自立していたいという、自立というのは二つともある、どっちの感じでもいいですね。
立つ方でもいいし立する方でもいいんだけど、
とにかくセルフコントロールじゃなきゃダメなんだという、
そういう親元から切り離されていなければダメなんだという、
だからそこには扇望があるはずで、扇望があるというのはつまり、
自分より優れたものというものに従っているだけではダメなんだという気持ちですよね。
だから自分より優れているものに対して攻撃的な気分になるというのは、
当然といえば当然の話なんですね。
この気持ちというものがある人すら動かすという、
何らかの理由というのはですね、結局は扇望を超えていくしかない。
そのためには感謝というものはできるほどのものである必要があって、
そこにはやっぱりコンセンサスというものがいりますよね。
やっぱり水というのはでかいんで、みんなやっぱり水には感謝するじゃないですか。
だって水がないと自分は良くてもみんなは良くないですから、
やっぱりみんなが感謝したいと簡単に思えるものほど良いわけですよ。
引き合いに出して申し訳ないと言ったらこういうことなんだけど、
ライフワークだって良いとは思うんですよ。みんなが感謝したくなってもそう悪くはないだろうと。
ただ水ほどじゃないなとは思うんですよね。やっぱりね、水はすごいよね。
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水はすぐに命にかかわりますから、今みたいにめちゃくちゃ暑いと。
東北の方で台風来ましたね。そして断水しましたね。
水浸しになると水が切れるというのはとても怖いことなんだけど、
そういう断水が起きると一日も生きていけないですよね、今じゃ。
という風に言ってましたもんね。
本当に来た時は感謝しましたという言葉が出てきて、そういうもんだよなって思うんですよね。
どうやって自分が生きているかという、これはガイドインタビューみたいなやつですよ。
どうやって自分が生きているかということに目を向けさせられるという事態が発生すると、
これが生じるんですよ。
でも私はやっぱりですね、私を水なんかに追っかけて走るような人間でありたくないという人にしてみると、
少々これは面白くない事態かもしれないんですよ。
だから備蓄をバッチリやっておくと。
つまり戦防というところには脅迫という脅迫神経症の脅迫ですよ。
なんで脅迫か。
例えば南海トラフみたいな話があるとですね、災害グッズというのが飛ぶように売れるわけです。
そして災害チェックリストみたいなのもみんなが保存していくわけですよ、Xで。
ここから非常に自分が困った事態になるというものに対して、
先々手を打っておくという発想が非常に細かなところに目を向けさせるようになるじゃないですか。
つまり気が済まなくなるわけですね。
これは結局のところは私たちはいかに欲打つというものを恐れているか。
未来にやってくるであろうまずいこと。
それによってSを満たすことができない。
水を飲みたいというSだったり、柔らかいベッドで寝たいというSだったりSはいろいろありますが、
そういうものを将来満たすことができずに、自分は喉がカラカラだとか言って
惨めな状態になるんではないだろうかというその惨めな状態を
全部未然に防いでおきたいと思うと、当然脅迫的になりますよね。
つまりこの種のことというのは最終的にはやっぱり欲打つ不安なんですね。
自分が無力であるという事態を直面したくないんですよ。