1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol.129 宮古島で人頭税廃止に..

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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は6月1日、水曜日になりますね。
5月も終わりまして、6月に入りました。今日はちょっと涼しいような感じがしますけど、まだこれからね。
ちょっと今日早めに配信、7時に発売させていただいて、まだ相当出てないんですけど、この後ね。朝早く今日出かけていく予定になりました。
今日の話題ですが、昨日ですね、いろいろ調べ物をしてたら、たまたま見つけたので、ちょっとお話ししようと思ったんですけど、
中村住作という人のことをお話ししたいと思います。知りませんでした。
いろいろ資料が出てくるんですが、新潟日報も教育というところでも、3月に漫画で紹介されていたりして、
それなりにね、新潟のいわゆる偉人と言われる人の中には入っているんだと思いますが、なぜか私は全然知りませんでした。
どういう人かと言いますと、宮古島、沖縄の宮古島で、人頭勢と書いていたりしますが、廃止のために貢献したというか、
その運動の先頭に立った人という形で紹介されています。どういうことかというと、これ人頭勢と言われるものもですね、ちょっと説明すると長くなるのですが、
もともとこれはあれですよね、薩摩藩が始めたというか、薩摩藩が琉球王国に貸したということなんですね。人頭勢だから1人当たりいくらという税金がかかるわけですよね。
という制度が八重山の人々に課された、八重山と宮古の人、要するに離島の人たちに課せられた税ということになりまして、
その制度は琉球時代からさらにそのまま明治時代に入っても信号もそのまま続いていたと。これは極めて高い税率で、生産したものがみんな持っていかれるぐらいの税制で、
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非常に皆さん苦しんだ、これはあれですよね、粗鉄地獄というのもこの辺のことが確か理由になっていたんだと思いますが、本当に要するに収入に応じて税を課すというよりは、人間1人に対して課す、しかもそれがすごく高い税制ということで、
みんな奴隷労働のように働かされるということで、非常に悪評高い制度である。これがですね、そのまま残っているということに、宮古とか石垣とかを訪れた人たちは気が付くわけですよね。
みんなそれはこんな酷い制度が残っているのか、気が付くんですが、それを変えようと一生懸命運動したのが中村住作ということですね。中村住作さんはどこの出身かというと、稲増村というところの出身だそうです。
現在は、上越市板倉区稲増村。板倉区って言ったことないですよね。板倉区っていうのは元々は板倉町ですね。板倉町で上越市に合併して2005年に上越市板倉区というところですね。ここの出身です。
東京専門学校ですね。後の早稲田大学になる東京専門学校を中退して海軍に入って、その後、海軍の時ですかね、とにかく宮古に縁があって、宮古で新住養殖を始めようと思って宮古に行くんですが、宮古でそういう実態があるという、人頭税を課されている人々が苦しんでいるという実態を知り、
人頭税の廃止運動というのを始めると。沖縄県にそれを申し出るんだけど、沖縄県の方があまり積極的に動かず、のらりくらりという状態であったので、東京まで出て行って帝国議会への請願を行うという流れになる。
途中に宮古の求譲を訴えようとする流れの中で、もう一人、増田義一というこの人も新潟の出身の人なんですが、この人が読売新聞の記者としていたので、この人を通じて求譲を訴えるということを行い、
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最終的に農民たちとともに請願書を提出するというところまで至って、そして九雪十年で1903年に人頭税制度の廃止というところまで込めて、ということで活躍された方です。
後にそういうことがあったということが知られるんだが、でも長らく本人もあまり語らなかったので、あまり知られていなかったんだけど、
何が起きたか、何をやっていたかがわかった。谷川健一さんという方が1970年代に研究をして、中村住作が何をやったのかということを明らかにしたんだということが、とりあえずそこまでわかりました。
谷川さんの書いた論文とか本まではまだたどり着いていないんですけど、そういうことになっています。
石碑が板倉区の稲増ですが、稲増というところに建っていて、あと記念館もあるのかな、記念館もあるとどこかに書いてあったと思います。この辺ももう少し調べてみようかなと思います。
1903年に人頭勢の廃止にこぎつけた後は、真珠の養殖をやっていた。
戦時中に病気で亡くなるということで、ひっそりと生涯を追い越えるのですが、
1963年になって宮古島の校長先生から家族に手紙が来て、それでそういう活動が行われていたということがわかり、そこからだんだんわかっていくようになりました。
2005年に中村住作記念館というのが板倉区にできているそうです。
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今日はあまり情報がありません。ただ、中村住作という人のことは知りませんでしたし、少しここは折り下げてみたいなと思った話題なので取り上げてみました。
新潟日報は2009年の10月に「日は語る」というシリーズでこの中村住作のことを紹介しています。
それから先ほど最初に言ったように、子供向けのコンテンツ、中学高校生向けの新潟ゆかりのめげない偉人たちというシリーズを作って、漫画のシリーズを作って、その中でも解説をしています。
今日は中村住作という人についてお話ししました。ありがとうございました。
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