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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は5月31日火曜日です。
5月ももう終わりですね。
今日はちょっと、さっきちょっと外出たら、ちょっと雨がぱらついたりして、気温少し下がるのかなというふうな感じがしましたが、この後どうなったか、また家に戻ってきてちょっと話してみようというところです。
今日は神原鉄道というトピックをあげてみました。
実は昨日ですね、五線高校という、五線市、新潟県五線市の高校へ行ってきまして、公演があったんですけど、
月曜日でね、月曜日でちょっと、あんまりご飯食べるところなかったりして、結構ぐるぐるぐるぐる回ってたんですけど、なかなか五線市っていうのは行く機会がないので、どこ行ったらいいのかよくわからないでうろうろしていたんですけど、
高校にたどり着いたら、高校のですね、向かい側の淡島公演、これがなんで淡島っていうのか、淡島神社っていうのがあるらしいんだけど、淡島公演と言われる敷地の一角に、高校の向かい側に神原鉄道の車両が展示されていたので、
そのお話をしてみたいと思います。と言ってもね、昨日帰ってきてから、あーと思って調べたんですけど、五線高校というところに行ったのは初めてではなくて、以前にも行っているはずなんですが、この鉄道の車両が高校の前に展示されていたというのを見た記憶が実はありません。
それはその日、五線高校に行ったときすごい慌ただしくて、そんなものを見ている余裕がなかったのか、それともこういう鉄道とか古いものに私自身の関心がなかったのか、それはわかりませんが、いずれにせよ、なんだろうあれという風な感じで初めて見たかのように見に行ってきました。
神原鉄道はここ以外、多分村松の方に向かって行く途中で見たことがあるような気がするんですが、それとは別だよねと、いろいろ考えながら移動していたところです。
五線というところと村松というところ、これが合併して現在は五線市になっていますが、結構距離が離れていて、今この神原鉄道の説明看板のところを見ると、4.2キロ。
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そんな話じゃないのかな。でも、何て言うんでしょうね。合併した街によくあるですね。2つ別々の街がある感じですよね。になっていて、五線の街と村松の街と別々にあるような印象がありますし、
街としても村松というのは独立した感じがありますよね。帰ってきて調べてみたんですが、五線村松かもって何?と思ったんですけど、繋がってるんですね。
村松という場所はですね、軍隊もあったところなので、それなりに大きな街だと思うんですが、鉄道の路線から外れたんですよね。
五線という街はですね、万越済線の駅があって、ニーツとの間が繋がっていて、万越済線に乗ったことないのでわからない。
アガ町の方に抜けていってますよね。ずっと福島の方に抜けていくわけですよね。という路線なんですが、通勤路線としてみると新潟駅までは直行していないので、五線というとニーツまで行って乗り換えなければいけない。
結構通勤で使うには大変そうだなぁみたいな。でも通勤されてる方いますけどね。というような場所のように見えるんですが、この万越済線のこの路線から村松という場所は外れちゃったんですよね。
どうもこれが背景にあるようなんですが、大正12年に五線と村松の間を繋ぐ鉄道として開通したという、これもまた地元の悲願みたいなやつなんでしょうね。
もともとだから五線と村松の間の4.2キロを行ったり来たりする地域の鉄道としてスタートするようですね。その後昭和5年に村松から鴨の間17.7キロが開通するということなんですが、
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ネットで見た限りでは村松鴨の間はやっぱり私も全然印象なかったんですけど、あんまり利用客がいなかったということのようですね。
たぶん五線から鴨まで鉄道が繋がっていると、理屈上は多分信越線まで直接出られるというメリットがあるということだったのかなとは思うんですが、
これがあんまりうまくいかずに昭和60年に村松鴨の間が廃止され、そしてその後平成に入って平成11年に五線村松の4.2キロも廃止されるという経緯なんだそうで、
だから若干村松鴨は難しかったかなというふうな感じもありますが、まとめとはいえ、もちろん昭和50年ぐらい続いてるんですよ。50年ぐらい続いてるんですけど、なかなか乗客数伸びなかったのかなというふうな印象を持ちました。
これぐらいの昭和の60年になくなってしまった鉄道なんていうのは、どっちかというと鉄道ファンの間では結構思いがありそうな。どうなってるんでしょうね、鉄道の後は。さっき見たらバス路線があるみたいだったけどね。
というようなことでした。今コメントいただきました。村松版も掘ると面白そうですね。村松という場所が、今はもう五線という街の中に含まれちゃってるというかね。
五線の中の村松マインドみたいなのは、結構五線の学生とかに聞いてみると結構面白いんですけど、やっぱりちょっと独自のマインドがある場所で、逆に言えば五線側から見ると村松は村松だみたいなところもあって、
結構ね、五線がアイデンティティーになるものが面白かったり、それは逆に言えば村松アイデンティティーだったり。なるほどね、村松版というのも面白いかもしれない。
昨日私高校では、毒ガスの話とか知らないですかねとか言って、高校の先生びっくりしてましたけど、毒ガスの話もあるんですよね。広島の方で作ってたね、毒ガスの話が時々最近ドキュメンタリーで出てきますけど、
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毒ガスは結構各地に出場されていて、戦争終わった後であちこちに投棄されて、結構水質汚染とかを発生させたみたいな話があるんですけど、
村松にもあったというふうな記述が出てくるんですよね。確か調べていくと県庁で水質を調べたことがあったみたいな、毒ガスのどこかに投棄されてたものが水質に影響してないかみたいなことを調べたようです。
というようなことがありました。話が脱線しました。
5線村松間も廃止されて、今となってはもう鉄道の路線はなく、村松5線間はバスで人が行ったり来たりしてるんですよね。
5線の人たちは、5線が起点となって村松の間をつないでいる鉄道ということで、ある種のノスタルジーの対象ではあるけど、5線の人たちの生活の足という感じではなかったのかなという印象でもあります。
昨日高校で聞いたら、5線高校に通ってきている人たちは、どの辺からの人たちですかという話でした。やっぱりニーツぐらいまでだというようなお話でした。
どうしてもバンツアイ線でさらにニーツから乗り継いでという感じになるので、このバンツアイ線の周辺の人たちが通ってくる人の中心になってくるということで、
特に高校生なんかは、5線の高校に通ってくる人たちの性格を決めているところがありますよね。
5線市というのはやっぱりここの地域の中心であり、だいぶ街の様子も変化していってるんですけど、ニットの関係の新しい施設みたいなのもできてきてましたよね。
昨日あまりゆっくり見る時間もなかったんですが、そういう街ということで、その記録をこの街のかつての面影の一つというのを留めている神原鉄道というのが展示されていましたので発表してみました。
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昨日はキムラアラモードのおかずですね。
あんまりご当地物、鳥缶っていうところの唐揚げが美味しい、いろいろ5線のことを思い出していこうと思ったんですが、のきなみ月曜日で休み、キムラアラモードやってたから、食べ物の話とかできない。
この鉄道のことを調べていたら、村松郷土資料館で神原鉄道展100年の軌跡というのをやっているんだそうで、6月12日までで終わりなんだって。
なんだ、昨日行ってくればよかったですよね。
全然行ってない、全然気づいてなくて帰ってきてから気がつきました。
というわけで、今の神原鉄道を安心持たれた方は、5線市村松郷土資料館の方の特別展にぜひお出かけください。6月12日までです。
というわけで今日はここまでにしましょう。どうもありがとうございました。