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はい、こんにちは、一戸信哉です。
今日はですね、おっちゃほいの話をちょっとしてみようかなと思います。
今朝ほど、どこかのサイト、なんだったかな、新潟ラーメンかなんかのサイトで、おっちゃほいのことが取り上げられていたので、
少し思い出してお話ししてみようと思うんですが、
新潟の街中にシンガポール食堂というレストランがあって、
そこでシンガポール料理というか、ほぼ一択ですよね。
おっちゃほいというメニューが提供されています。
これは何なのかということを、私、新潟に仕事をするようになって、
15年経ちますけど、その間ずっと追求しているテーマなんですが、結局のところはよくわからないということなんですよね。
シンガポール食堂、おっちゃほいというのはどういう料理かというと、
焼きそばなんですけど、平打ち麺の焼きそばですね。
岸麺のような麺の焼きそばで、ちょっと辛いというかな、という食べ物です。
これはシンガポールの食べ物だということになっているわけですが、
実はシンガポールにおっちゃほいという食べ物はありません。
シンガポールに行くとチャークイティアオという、正確な発音はわからないですけど、
チャークイティアオという中国語を語源とする用意名で呼ばれています。
そういう食べ物がシンガポール、あるいはシンガポールとマレーシアですね。
これは2つともイギリス料のマラヤと言われていたところですよね。
というところで食べられていたというのは確かです。
どこで食べられるか。
シンガポールの、シンガポールごめんなさい。
柴田のシンガポール食堂というところがあります。
街の中にすぐ見つかると思います。
そこですね。
どこまで言いましたっけ。
シンガポールやマレーシアの食べ物なんですが、
どうして柴田に入ってきたかというと、
どうもシンガポールでかつて働いていた料理人の方が柴田に戻ってきて、
そしてそこで作られていた料理。
そこでシンガポールでその料理を作っていたかどうかわからないんですが、
おそらく屋台とかで食べた食べ物を再現して作ったのがオッチャホイということではないかなと思います。
今でもシンガポールやマレーシアに行くとチャークイティオというのは定番のメニューなんですが、
たぶんさらにルーツを探っておくと、
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多分下境ですよね。
シンガポールやマレーシアに移っていった人たち。
どこだろう。
あれですね。
たぶん福建とか福建から移っていった人が、福建から船を出してシンガポールマレーシアに渡っていった人が多いと言われていますが、
たぶん源流は関東省かな。
関東省だと思います。
長州、確か前調べたときだと長州、牛尾という字ですね。
牛尾の州と書いて長州と書くところがありますが、そこの料理だというふうに確か見たような記憶があります。
そこがルーツの食べ物です。
たぶん今シンガポール食堂で出している麺はですね、おそらく前に記事を見たときにはそう書いてたんですけど、小麦粉で作っているというふうに書いています。
福建、福建というのは福建省です。
地名でいうと多分アモイとかですかね。アモイからカキオの人たちはマレーシアやシンガポールに渡っていったはずなんですが、そのルートで伝わっていったものですよね。
この間何か別のものを見てたときにベトナムの方なんかも結局同じようなルートをたどってベトナムにたどり着いたものということなんで、それぞれやっぱりルーツがそれぞれ中国大陸の南部ですよね。
南部から伝わっていった麺がシンガポールなりマレーシアなりベトナムなりに麺料理として伝わっていって、それぞれの地域でローカライズされていったと。そういうものだと思いますね。
ごめんなさい、ちょっと話を戻すと。シンガポール食堂、柴田で食べられる麺はおそらく小麦粉の麺だったと思いますが、もともとはフォーもそうですけど米の麺ですよね。
クイティアのクイというのが確か、何語でしょうね。福建語ですかね。中国語の方言で米粉っていうような意味なので米粉の麺という意味だと思います。
なのでチャークイティアの麺も米粉ですよね。ということになります。というような食べ物でして、これも柴田の食べ物としても完全にローカライズされていて、
それがシンガポールのどこでどのように食べられているものなのかとか、どうしてそこにたどり着いたのかということを柴田の人はもうあまり追求していませんが、食べに行った人はなんだろうねといつも思っているし、数年前にも朝日新聞が特集記事にしたことがあって、
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その時私も取材を受けてお話ししたことがありますが、おっちゃほいが何なのかということを知りたいなと思っている人は新潟県内以外かもしれませんね。シンガポール食堂ファンの人は結構いるんですけど、まだよくわからず。
まだよくわからずというか、もう既に仙台のお店を始めた人たちはもう亡くなっていて、お店を今やっていらっしゃる女性と息子さんからもあまり積極的にこういう料理なんですよということも語られないので、あまりよくわからない。
なぜおっちゃほいという名前になったのかはよくわからないんですけど、その源流は訪ねることができるということなので、柴田で食べたり、それをまたシンガポールとかマレーシアとか旅行に行った時に食べてみたりしていただくと、流れ流れて柴田にたどり着いた料理というものの歴史というのを少し感じながら食べることができるのではないかなと思います。
今日見た記事では汁おっちゃほいというのが紹介されていましたが、汁の方はちょっとよくわかりません。汁の方は多分、柴田でアレンジした同じ麺を使って汁麺を出した結果、できていったものではないかなというふうに思います。
今日は柴田のシンガポール食堂が出しているおっちゃほいという食べ物についてお話ししました。どうもありがとうございました。