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2023-01-11 15:31

Vol.211 「日本初」の公園、白山公園の「歌」があるらしい


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はい、おはようございます。新潟のへラジオの一戸信哉です。今日は1月11日、水曜日ですね。道が3つ並びましたね。
今日は久しぶりに朝の配信。年明け1回お話ししましたけど、変な時間に喋ったような気がします。
ようやく大学のホーム、連休も明けて成人式も終わって、平常運転ですけど、実はもう1週間、2週間で授業も終わってしまいまして、
試験集中講義、ちょっとイレギュラーなスケジュールの時期に入ってくるところです。
今日は白山公演の話題が出ていたので、ちょっとその話をしたいと思います。
今回出ていたのは、1月9日付配信、新潟日報デジタル。白山公演が150年、都市公演認可から150年です。
白山公演は新潟市中央区にある国内初の都市公演ということなんですが、1873年に都市公演として定められたということです。
都市公演って何だろう、よくわからないけど、新潟市のページで言うと、何か言ってたかな。
この時は人口の多い都市の古来からの継承地、旧籍など、人が多く集まる場所で年貢徴収の対象になっていないところを、長く万人開楽の地として公演にしているということで、
良い場所で仕打ちになっていないところを公演にしていったということなんです。
ここで25箇所ということで、新潟市のページによると上野公演、浅草公演、水戸開楽園公演、住吉公演、大阪、五福島公演、広島県といったところが指定されている。
これと並んで25箇所ということなんですが、これでよく話題に出るところで、新潟市で日本初の公演とか、日本初の都市公演というふうに言うんですけど、
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じゃあ日本初25箇所もあるじゃないか。というような話なんですが、ここで日本初という話がどうして出てくるかというと、これ新潟日報の記事にも書いてある。
1872年に県令、今の県知事です。県令の靴本正隆という人が、今写真に入れてますけど、靴本正隆という人が開港場にふさわしい、開港場というか港を開いた土地である新潟市にふさわしい場所として公演を設置しようと。
ということですでに1年前に造営を開始していて、その後の公演が73年翌年に上野公演などとともに都市公演に指定されたということなので、若干微妙な問題があるんだけど、先にやってたよと。
靴本正隆さんが先にやっていたので、したがって日本初である。そういう理屈でしょうかね。あるいは少なくとも1873年に25箇所の一斉に日本初であるということは間違いないので、日本初でいいんじゃないかということかな。
若干、あまり大きな声で言いにくい日本初みたいなところもありますが、いずれにせよ全国25箇所であったとしても、新潟市としては当時の都市の規模とか、
どうだったのか。今の都市としてのポジションからして、新潟市は実は市民としては誇らしいものとして取り上げたいというところもあるんでしょうね。
だから割といろんな文明家で、日本初の公演というところは何かと強調されるところであります。今回は1873年から150年ということでしょうね。
なので、新潟市では色々イベントを予定していて、歴史を学ぶクイズラリー、夜間ライトアップ、写真パネル展といったものを予定しているということだそうです。
どうでしょうね。皆さん普段白山公演って、ご近所の方は散歩したりするとは思うんですけど、私もそんなに普段白山公演に行こうかということはそんなにない。
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以前ラジオ棟というのを喋ったことがあったかもしれない。ラジオが流れている棟が公演の中の波数池のところに立っていて、これは珍しいものというか、
かつてラジオ受信機が普及する前に、ある意味ラジオのPRとして全国各地に立てられた街角ラジオですよね。
街角ラジオの一つなんですが、これが残っているのは非常に珍しいものなので、それのことを調べたことがありますが、それぐらいかな。
記事の中で書かれているのでは、明治天皇巡行の際に築かれた山、波数池、氷炭池、今写真にあげた楠栞の像がひっそりあるんですよね。
昭和天皇が皇太子時代に植えた松の木、中堅玉口といったようなものがいろいろポツポツと立っている場所です。
今日タイトルに入れたもの、歌の話ね。これ今、博山公園の話をしようと思っていろいろ調べていたら、
2019年に大人プラスの中で、私の知人のコマタさん、フリーライターのコマタさんが大人プラス、新潟日本の大人プラスに書いているんですが、
博山公園って実は歌があるという話で、またこういう渋いところをコマタさんが発掘してくるんですけど。
明治の40年頃にインドキュウケイ、また難しい名前ですね。インドキュウケイ、犬、藁は玉、キュウですね。
インドキュウケイという人が博山公園という歌を残しています。ということを発掘しています。
この記事、2019年1月の記事ですが、この中ではこの博山公園という歌を新潟市の歌のサークルの人たちが歌っているみたい。歌う動きが広まっているみたい。
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この後、コロナ禍になって歌のサークルの活動がしにくくなる時期が長く続いたと思いますし、今も色々やりにくいところがあると思いますが、どうなっているかわからないんですが、博山公園という歌があるということが発掘され歌っている人もいるんだそうです。
ちょっと検索してみましたけど、音源はすぐには見つかりませんでした。
音の三連チャンみたいなやつを挟めたような歌詞で、そんなに難しい歌ではないですが、こういう歌が作られています。
このインドウ・キュウケイさんという人は音楽家なんですよね。
なぜこの人が博山公園の歌を作ったかというと、インドウ・キュウケイさんは東京音楽学校を卒業した後、26歳の時に新潟高等女学校の先生になって、新潟に赴任してきているんですね。
県立新潟高等女学校というのは現在の新潟中央高校になります。新潟中央高校であった県立高等女学校で音楽の先生をしていた時に、たぶんここの歌を作ったんですね。
女学校近くの博山裏に住んでいたので、博山公園を散策したおりに、特徴が浮かんだのかもしれない。ここは記事を書いた小股の推測です。
インドウさんは元々熊本県の出身で、後に熊本工場に転任していますが、熊本に戻るまでの間、2月2年間をしていて、その間にこの曲を書いているということです。
聞いたことがないので、ちょっと歌ってみることができませんけど。
この曲は歴史博物館館長の伊藤助幸さん。
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伊藤さんと以前お会いしたことがありますが、2019年当時ニュアトピアの館長だった伊藤さんが発見したと。
30年ほど前に新潟市市偏山室で仕事をしているときに、明治39年に、ある方の蔵を探していたら、蔵からノートに書かれたこの歌のことが出てきました。
これは多分、伊藤先生から直接習ったという方が、自分の新潟工場で書いたノートをそのまま蔵の中に残していて、そこから発掘されたということです。
本当ですか。それを市市新潟の中で紹介している。伊藤さんが紹介しているんですが、手書きノートにしかないんですよね。
ここで記事に出ているのは田辺さんで、田辺ふさこさん。
田辺ノート。この他にも、多分、伊藤さんが作った他にも多分有名な歌がいっぱいあるんだけども、それも多分書いてあるんでしょうね。
いろんな歌の歌詞を授業のときにノートに取っている。その中の一つに白山公衣があったということなのかと思います。
こちらは、大人プラス2019年1月28日号に書かれていますので、データベースなどを探している方は見てみてください。
というわけで、白山公演は今年、新潟市としては盛り上げていきたいということのようですが、果たしてどうなるかね。
いろいろなストーリーがあるんですよね。この今写真に出た楠本さん像を見るだけでも、楠本さんのところに像を売って、この頃公演を作ろうって話になったらどういうことなのか。
新潟市の作っているブックレット、かつて作っていたブックレットの中でも、この白山公演というのはどうやって作られていったか解説したって結構面白いので、その辺も見ていくといいんじゃないかなと。
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また私のこちらの方でも紹介していきたいと思います。
というわけで、今日はここまで。日本初の公演、白山公演の歌についてお話ししていただきました。どうもありがとうございます。
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