1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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みなさん、こんにちは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。よろしくお願いします。
今日はちょっと遅めの時間で、少しお話ししてみたいんですが、
昨日、入学式があってという話はライブでお話ししましたけど、
その後ですね、新しい同僚を迎えて、ちょっと顔合わせ会みたいなのをやりました。
大学の教員って新潟の出身の人もいるんですけど、
割と関西、関東、大都市圏から新潟に移動してくる方が多いので、
最初、結構面食らうことも多くて、そういう話を新しくいらっしゃった同僚と話しているんですけど、
昨日も出た話で、車多いよねと。
新潟に来ると、車社会、特に車が結構スピードを出して走っているというのが都市生活ですね。
都市部で生活が長い人ほどびっくりするということのようですね。
そこでちょっと車の話題になったところで、
新潟バイパスのことを思い出したので、少しお話ししてみたいと思います。
新潟に来ると、車がビュンビュン走っているという、
昨日のビュンビュンはどこのビュンビュンかわからないんですけど、
来てびっくりするのは、高速道路のような高速道路じゃないみたいな、いわゆる高規格道路ですね。
これが非常に整備されていて、私も新潟市内から新潟まで通勤していますが、
その間ずっと立体高速道路の上を走っているわけですね。
高速道路を走っているみたいな感じで、いつも通勤をしています。
これが新潟バイパスとか、私が乗っているのは大部分は新潟バイパスといって、
新潟から新潟の間のバイパスということになりますが、
これが整備されています。
これは誰が整備したのかというと、一般的には田中角栄が力を持っていた頃に、
そういう飛び抜けて豪華なインフラを新潟に整備したんだ、みたいな話になっているんですけど、
そうじゃないと。そうじゃないのかどうかわからないんですけど、別のお話が出てきます。
この新潟バイパスは去年の12月に開通から50年を迎えたというので、
国交省の出先機関が50周年の記念サイトを作っていて、ちょっとした話題にはなっていたんですけど、
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この情勢下なので、あんまり派手にイベントが行われるということもなく、
まして道路の話題で、道路の話題を作られちゃうとみんな普通にあるものとして認識してしまうので、
そんなにみんな思いを寄せる人もいないんじゃないかなということで、地味にしすぎてしまいましたが、
一応50周年なんだそうです。もう一回説明すると、新潟から東西にですね、
全体37キロだそうですが、新潟市の西区方面と柴田までですね、
全37キロ完全立体交差と、片側3車線または2車線、非常に走りやすい道路が走っています。
これ調べていくとですね、この道路ですね、バイパスが構想されるのは1963年だそうです。
1963年で、そこから構想されて、昭和45年かな、70年に出来上がりました。
7年間かかって、最初の部分が開通するということになりますが、ここで出てくる人がですね、
土屋雷蔵さんという人で、建設省の技術者ですね。
新潟の当時の地方建設局の職員だった方ですけど、技術者で、
アメリカの高速道路などですね、海外事情にも非常に明るくて、新潟の平地が多い環境を見て、
今後の車社会のモータリゼーションの進展に適した道路が新潟にも必要だというか、
他の地域にはなかったものなんだと思うんですけど、まだ高速道路も、東京オリンピックに向けて高速道路も整備されてとか、
それぐらいの時期ですからね、だからまだあまり全国的にも高速道路が普及してなかった頃に、
新潟にこんな贅沢な道路を作ろうという構想を立てた人です。
多分いろいろな事情があったと思います。新潟平地が多いということもあったと思いますし、
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あと豊野型っていうんですけど、新潟駅の南側の方に大きなカターがあって、
多分その周辺に割と手つかずの土地があったんじゃないかなと思うんですけど、
いろんな事情があったと思いますが、作られていくということになります。
でも新潟ではそういう話で提案を上げていくんですけど、東京の方ではやっぱり、
本省の方ではそんな豪華な道はいらないんじゃないかというふうに、
かなり反対意見、脚下されそうになったんじゃないですかね。
なんだけれども、粘りに粘って何とか着工に漕ぎつけたと。
ここで政治家の力が働いていたかどうかそこはちょっとよくわかりませんが、
でもこの土屋さんというのは非常に頑張って省内を説得したというふうなストーリーで語られているところですね。
最初は6車線で構想したんだけど、6車線では認められなくて、
多分土地買収だけしてもう1車線増やせるような状態で、
4車線ですか、という形でもう1車線増やせるような状態にして建設を進めていったというストーリーだそうです。
現在は都市部、新潟市内の中心部は少なくとも片側3車線ですよね。
3車線の6車線道路で非常に走りやすい道路が整備されています。
ここは新潟全体的にそうなんですけど、砂地で軟弱な地盤であったということで、
さっき森戸の話をしましたけど、地盤を固めていくのは結構大変だったみたいですよね。
だから場所があったかもしれないんですけど、謎はちょっとわかりません。
高校生のサイトを見ると森戸も相当な量で結構大変だったんだけど、
当時建設が進んでいた新潟東高等、それから関谷分水という大きな土木事業、
大きな地水と港湾整備の事業が進んでいて、そこで出てきた土を利用したと書いていました。
それで大量の土で地盤を固めていって今に至っているということですね。
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その時に一車線ずつ隠れた状態にしておいて、それを後に拡幅していくというふうにしたんだそうですね。
それが最初市内の中心部分で建設されて、それから西区方向、それから柴田方向というのでそれぞれ拡張していって現在に至っているということですね。
現在は制限速度70キロです。一般道の60キロではないんですけど、最初からそういう風に走れる規格で作られていて、
高規格化道路という一般道の高規格化道路というのが90年代以降に導入された制度なんだそうですが、その前からそれに相当するような道路を作っていったということだそうです。
新潟においでになって車に乗られるとすぐ分かりますけど、全面立体交差で本当に高速道路のようにスムーズな移動ができると。
交通量は、以前私が新潟に来た頃は日本で一番ですとかってみんなに言われましたけど、今一番ではないんだと思いますけど、
ちょっと新潟という土地のイメージとはかけ離れているというか考えられないぐらい非常に交通量が多い。
しかもそれでいて非常にそれだけの交通量をさばけるような道路になっているということです。
これまだ交通が完全に終わっていなくて、今新潟市内の中心部からやや南側にずっと横に伸びているんですよね。
この道路なんですけど、インタークから降りて駅とか町の中心部に伸びていく道というのが今整備が進んでいて、そこは地表ですよね。
下を走っているんですけど、そこの道路も高規格道路にしようという風な構想で進んでいます。
今は栗の木バイパス、これは栗の木川といって川の横に蔵がずっと立っていたと。
かつて川の横に蔵が立っていて、そこから外に大阪の方に荷物を積み出すような役割、港の機能の一部になっていた川があったところなんですが、
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この川を暗渠にしているんですけど、この上に今バイパスが走っていますが、この川も付け替えて立体交差の道路にして、そしてそのまま新潟市内の中心部まで入っていけるという風にしていくみたいですね。
今工事がずっと何年も続いていますが、そういう方向に進んでいくと思います。
今お話しした栗の木川ですね。栗の木川の歴史というのも、ちょっと垣間見られるところとかもあったりするので、その辺のお話はまた次回したいと思います。
あの道路ね、ちょっと旅行で来た感じだと、あんまりレンタカーで走ってみようとかにならないかもしれませんけど、レンタカーなど借りて新潟市内から中辺部に走ってみたりすると、だいたいこの道路に行き当たり。
最初よく降りる場所間違って全然違う方向行っちゃったりしたこともあるんですけど、最初びっくりしました。
そういうのが整備されています。ぜひ新潟に訪れることがあれば、この新潟バイパスを走ってみていただければと思います。
それでは今日の配信は以上です。ありがとうございました。
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