1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. 新潟のへラジオ LIVE Vol.7 ..
#新潟 #北海道 #北越殖民社 #江別

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はい、おはようございます。 新潟のへラジオ、一戸信哉です。よろしくお願いします。
今日はですね、 少し北海道の話をしようかなと
思っています。私は新潟に来て15年になりますけど、新潟に来る前は北海道の一番北の 和歌内というところにいまして、
北海道と 新潟の間のこととかですね。
あと出身地の青森のこととか、いろいろ 檻に触れて調べたりするんですけど、
調べるといろいろ出てくるんですが、そうしてですね、 人を北海道に送った側、つまり今日の文明でいうと新潟の人のね、関心はそんなに
高くないんですよね。新潟側から見ても、そんなに北海道の開拓と新潟県民みたいなことって、そんなに語られることは
なくて、私の地元の青森でもそうかな、あんまり 北海道に渡った人たちのことを檻に触れて語るというのはないんですよね。
ちなみに青森の人は北方警備に送られて、 たくさんのすがる藩士が亡くなっていたり、
その過程で初めて コーヒーを飲んだとかですね。いろんな話が出てくるんですけど、
青森の話はいずれ機会があればと思いますが、 新潟から北海道に渡った人たちも結構いたはずなんですが、
あまりこうまとまって、いわゆる文尊のような形で言っているケースっていうのは、
あまり見当たらない。その事情はちょっとよくわからないんですけど、 その中で一つ目立っているのが、
福越植民社という、これは新潟県内の博物館などでもちょっと紹介されてたりするんですけど、
福越植民社というのが組織されまして、主に新潟の人たちを募集して、
北海道の江別というところに入植者がまとまって入っていったということはわかっていますし、
江別の方に行くといろいろ史跡のようなものが残っています。
今今日背景のアイコンに入れたのが江別田っていう、 江別市の江別に太いと書いて、江別田という場所があるんですが、
江別田にある開地100年の石塔ですが、見ていただくと越後村入植の地って書いているので、
越後村として最初スタートしたのか途中でなったのかですね。
つまり越後の新潟の人たちがまとまって入植していった場所ということになります。
ここを周辺歩いてみると越後海館というのがあって、
ここの人たちはつまり新潟の出身だということを明らかにしながら、
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そういうルーツの場所であるということを明らかに意識しつつ暮らしているということだと思います。
今江別市というのは新潟、江別市は新潟でいうとどこでしょうね。
札幌市の隣の町という感じですので、
通勤県という札幌県内、札幌の都市県内というようなイメージの場所ですね。
柴田とかですね、あたりでしょうかね。
新潟でいうとそんなようなイメージの場所になりますが、
しかし江別のここは要するに何もなかったところなんだと思いますね。
ここに入っていきました。
ここに入っていった人が、要するに新潟の人ですけど、
長岡の出身の人ですよね。大橋一蔵という人がいてですね。
この人はいろんな経緯があって、
私族の反乱の萩の乱というのに参加をして、
それで一度捕まるわけですよね。
獄中から開拓に行かせてほしいというのを誓願をして、
そして出ていくのが明治の19年かな。
要するに新潟に戻って、いろんな経緯があるんだけど、
新潟で開拓に行きたい人を募集して、
そしてその人たちを連れて江別に入り、
江別で開拓をしていったという話ですよね。
途中で大橋一蔵さんはなぜかですね、
なぜ東京に行ったのかちょっと深く調べたんですが、
東京にいるときに事故で亡くなるんですよね。
なので大橋一蔵という人の居礼碑じゃなくてお墓というか、
なんかそういうのが柳原苑に建っているんですよね。
建っています。
それで途中で志半ばで大橋一蔵さんというのは亡くなります。
これは元長岡藩市ですよね。
新潟からは最初順調に入植者が行って、
さっき見たら、山越しの越しですね。
越しのグループとか、後はどこだったかな。
宇和沼とか、後はどこだったかな。
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多分長岡近辺の人が多かったと思いますが、
その人たちが出て行って、
そしてそれぞれ入植するということになります。
途中でだんだん政府の政策も変わったりして、
たぶん補助金を出してみんな北海道へ向かおうという、
国越植民者のキャンペーンもうまくいかなくなるんですかね。
それで途中でうまくいかなくなりますが、
ここだけだと思いますね。
ここにまとまって新潟の人たちが入っていって、
暮らしているとか入植したということになっています。
ここに行くと、今ここのアイコンに出ている越後村とか越後海館とか、
北越植民…バス停の名前にも北越植民者だったかな。
そういうバス停の名前がついていたりして、
新潟県民に行くとちょっと胸厚なところがあるはずなんですが、
しかしあまりそのことが、
新潟の人がフェリー乗って北海道行くとか、飛行機乗って北海道行くとかという時に、
じゃあみんなエベツ行ってみましょうみたいな話になっているかというと、そうでもないですよね。
あまり話題に昇ることはないですし、実際問題私も行ってみましたけど、
そんなに行きやすいところでもない。そんなに遠くはないですよ。
北海道の中でも札幌近郊ですので、
北海道でレンタカー借りて観光しようかなみたいな時に、
ちょっとエベツに立ち寄ってみようかと思って行けばそんなに遠くはないので、
広い北海道を観光しようとかね、
いう時であればそんなに大変な場所ではないので、ぜひ一度行ってみてください。
他にはね、北海道と新潟の関わりっていうのは、
そんなにないんですよね。そんなにないんですけども、またいくつかネタがありますので、
いずれまたお話ししてみたいと思います。
はい、じゃあ今日は朝から、新潟県民の北海道開拓ということで、
北越植民者のことをお話ししました。
案外ね、エベツの博物館とかですね、
あと北海道町もかな、いろいろ開拓の歴史なんかを調べているところの資料をちょっと見ていくと、
ウェブで見ていっても、案外と北越植民者って大きく扱われていて、
新潟県民はそんなに興味ないけどね、
新潟県民はあんまり興味はありませんが、
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ありませんって言ったんですけど、あんまり新潟県民の間では話題になりませんけど、
案外そういうところ。
北海道の人は新潟のことに興味を持っているというよりは、開拓のことに興味を持って、
多分関心を持って調べているんだと思いますけど、出てきます。
今何ですか、コメント。
あ、エブリ。エブリってあれですよね。
赤レンガ工場後で、ちょっと今話題になっているところですかね。
はい、そちらもぜひ行ってみてください。
というわけで、今日の新潟のヘナジーをここまでにしたいと思います。
朝からお付き合いありがとうございました。
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