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2021-04-22 09:04

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.19 万代貨物線


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はい、みなさんこんにちは。 お久しぶりですね。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はちょっと出遅れまして、こんな時間になってしまいましたけれども、
今日はですね、昨日ちょっと万代橋の方、万代橋、ごめんなさい、信濃川の方に
を通って、信濃川というかですね、八丁橋のところを通って、 古町の方に
ちょっと 自転車で
行く機会がありまして、背景の写真を入れたんですが、 万代貨物線の話をちょっとしてみようかなと思います。
新潟といえばこのですね、今日写真に入れました信濃川ですね。
長野から流れてきて
日本海に注ぐ、 新潟市内の真ん中にデーンとあるですね、大きな川なんですが
この川の 脇にですね
道路が走っているんですが、 そこにですね、鉄路があったよねっていう話をちょっとしたいと思います。
この間ちょっと新津駅の話なんかをしたと思うんですけど、 新津駅が多分
他の地域と
新潟を結ぶ拠点の駅だったというのは正しいと思うんですが、 実際大きな町は新潟市であり、それから新潟市には港があったわけで、
多分この港のつまり港湾施設と鉄道の間をつなぐ いろいろなですね、施設というのがかつて新潟市内にあって
それに伴ってかな、その鉄道の役割が変わっていく中で新潟市内の鉄道の利用も変化していったと、そういうことなんだと思います。
まずですね、新潟駅というのが現在の場所よりもより川に近いところ、 実は公衆電話発祥の地という日が経っている
万代公園という公園がありますが、特に何の特徴もないちょっとやだっぴろい公園があるんです けど、そこが元の新潟駅だったそうで、
まず新潟駅の場所が違ったということが一つと、それから 新潟市内のターミナル駅はどこかということで、港に近いところに
ぬったり駅というのが先にできて、ぬったり駅がターミナルになるべきか、それとも 新潟、今の新潟駅のあたりの
ところに駅が作られるべきかというのは、多分その地域間の争いというかですね 政治的な綱引きがあったみたいで
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最終的にはぬったり駅の先に新潟駅ができて、その新潟駅も移動するという形で今に至っているようです。
ぬったり駅を経由して新潟駅に入ってくるというので、ちょっと検索してみていただくとわかると思いますけど、
ちょっとなんというかな、これ曲がって最後に新潟駅に 入ってくるような形になっていました。
さらにこの新潟駅のところから、
またさらにですね、新潟川沿いに鉄道が走っていて、 これは貨物線だったんですね。それがバンダイ貨物線と言いまして、今の
新潟川下流の右岸というのかな、バンダイ川ですね。バンダイ川駅に近い側の川沿いの道をですね
ずっとまっすぐに貨物線が伸びていたということなんですね。 皆さん新潟に住まわれている方、来られた方はわかると思いますけど、
今は高い堤防があって、川のところに高台、河川敷があり、その上に堤防のような高いところがあって、
その下にずっと低いところに川に沿った道が走っているんですが、ここをどうやら鉄道が走っていた。
いろいろ古い写真を新潟市の昭和の時代の写真を見ていくと、そこ鉄道走っているんですね。
そこは貨物線で、この貨物線が川沿いを走っていって、
バンダイ橋という新潟市を象徴する橋がありますが、その橋の下をくぐって、
さらに河口付近に向かっていく。 今もう一つ龍東橋という川に一番近いところにもう一本橋があるんですけど、
そこのあたりにバンダイ駅という駅があって、そこで荷卸しをしていたというようなことなんだそうです。
このバンダイ駅もあれば、それから先ほど言っていたもっと手前にあるぬったり駅のところから港の方に出ていくところもある。
枝の線も出ていたようで、つまりは新潟というのはやはり港にそのものを運んでいって、その船で積み出していくための
ターミナルとして、新潟市の鉄道というのは位置づけられていたということがよくわかるわけです。
いろいろ引き合った結果、川沿いに鉄道が引かれていくんですが、
当然その低いところにあるので、すぐ浸水しちゃうんだそうで、雨が降ると浸水するって言ってましたかね。
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とにかく弱いわけですよね。すぐびちゃびちゃになりながら走っていたというような記述も見つかります。
これ最後どうなっていくかというと、1964年、新潟地震というのがあって、
新潟地震で川が逆流して、水が浸水しちゃうんですよね。
それでかなり鉄道もダメージを受けてしまって、廃止になるということで、現在はその名残はほとんど見当たらないです。
でも道路がそのまま走っていて、古くからある石造りの橋の下を道路がくぐっている。
その地震の影響なのか、鉄道の時からそうだったのかちょっとわかりませんが、
万代橋をくぐるところは下に低くなってますよね。ちょっと低くくぐってから抜けていくという感じになっています。
片屋ぬったり駅の方も新潟駅が移転したのと、どのタイミングかちょっとわかりませんが、現在はもう存在していません。
でも鉄道の線路の跡とかぬったり駅がここにあったみたいなのは、かすかに痕跡が残っていて、鉄道好きの方は訪ねていったりしますし、
私も昔、ぬったりあたりフォトウォークでみなさんと一緒に歩いたときに、その辺をちょっと見ていったことがあります。
というわけで新潟市内は鉄道の跡、それから貨物線のところは、多分小品野川といって、
小品野川が今の流れではなかったときに川が流れていたところの跡とも多分関連しているので、
多分昔の川の流れが今の道路とか区画にどういうふうに反映されているかということと、
鉄道として今の、昔の新潟駅からどんなふうに貨物線が伸びていたのかということと、
そういうところを確認しながら見ていくと、おそらく今の街並みとの繋がりというのも見て取れると思いますし、
さらに言えばそこから単に鉄道の話ということではなくて、新潟という街の役割というか、歴史的に果たしてきた役割とか、
いうところも見えてくるのではないかなと思います。
今日はちょっと始める時間遅くなりましたけれども、
新潟、バンダイ線について、
違う違う、ごめんなさい。バンダイ貨物線についてのお話をしました。またお会いしましょう。
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