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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は11月3日、木曜日です。
お休みのところが、文化の日ですよね。
近頃の大学は、結構祝日に授業をやることが多くて、今日もあるのかなと思ってましたけど、
今日は、私の勤めている大学の小読みは、お休みになっていました。
今日ですが、この1週間くらいも、あまり配信できてなかったんですが、
先週あたり、話題になっていた渋谷事件、または渋谷暴動事件についてお話ししてみようと思います。
時々、最近、裁判が行われていて話題になっていますが、
正直なところ、私が東京で暮らしている間、渋谷を歩く機会は結構あったと思うんですけど、ほぼ知らなかった事件ですね。
1971年の11月14日に渋谷で、中核派のメンバーが暴動を起こしたという事件です。
なぜ暴動が起きるかというと、この時は沖縄返還問題、沖縄返還協定批准の審議が行われていたのですが、
この辺がもうわからないですね。今の2022年には、なかなかこの文脈がよくわからなくなるんですが、
つまり沖縄は返還されるということで、話は進んでいるのだが、
しかし、米軍の駐留はそのまま続くじゃないかということですね。
これに対する反対運動が盛り上がっていくというか、盛り上げていくというか、
日本本土がそこで盛り上がっていたとは思えないんですけども、
中核派のような人たちもそうだし、社会党や共産党ももちろん反対していたんですが、
それで中核派が暴動というか、彼らは暴動というふうには言わないと思いますけど、
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騒乱を起こして、何を起こすって彼らが言っているかわからないけど、暴動って言ってたんだね。
宮下公演で全国総結集、東京大暴動闘争を行うんだという話だったんです。
中核派ってどっちかというとそっちなんですよね。
暴動を起こすみたいなことを積極的にやる人たちなんですけど、
渋谷で暴動が起きる、今wikipediaで見てますけど、渋谷だけじゃないですね。
いろんなところで暴動が起きていて、上北沢の上北沢駅交番とか、
慶応線千川駅、井の頭線新線駅を火炎瓶で襲うみたいなことが行われていて、
警察は全国の警察官を動員して渋谷の抑え込みにかかっていくんですが、
この時に新潟県警の機動隊員も動員されて、
渋谷で中核派のメンバーと激突するということになるんですけど、
中核派のメンバーに囲まれて21歳の巡査、中村巡査が21歳で亡くなっています。
wikipediaの記述が本当にひどいですよね。
殺せ殺せと叫ぶ中核派に取り組まれて、鉄パイプでランダされて失神状態に陥って、
ガソリンをかけた上で投げろという号令を合図に火炎瓶を投擲して、ということですね。
今では本当に考えられないですけど、こういうことをやって亡くなっているという事件ですね。
なぜ今更その裁判をやっているのかというと、
この中村巡査を殺害した件で逮捕状が出ていたメンバーのうち、
1人だけ潜伏していた大坂正明という容疑者が逮捕されるのが2016年で、
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2017年から後半前整理が行われていたんですけど、
これにすごく時間がかかり、後半が始まったと思います。
そういう状況だそうです。
でもこの騒乱の中でどういうことが行われていたのかということが、
1971年ですかね、50年経って半世紀経って、
事実関係としてどのように認定できるのかというところも争点で、
おそらく関係者、目撃者、そういう人たちも亡くなった方が多いし、
亡くなったり、記憶が定かでなかったり、いろんなことがあるんだと思うんですよね。
事項が途中で制度が変わったことも背景にあって逮捕されているんですけど、
だから事実関係を確定していくのも非常に難しい裁判なんではないかなと思います。
そういうことがあったんだねとか思って、
ウィキペディアをさっき眺めていたら、
橘隆さんが1974年から75年にかけて、月間現代に連載した内容を本にまとめた、
中核vs角丸っていう本が1975年に出版されているって書いてあって、
読んだことありますね。中核対角丸って、今でもよくわかんないですけど、
大学に入った頃はまだ中核派とか角丸派とか、
大学の中でほぼ自分たちが関わることはないけど、運動は結構目に見える形で運動してる人たちいましたから、
だから何なんだろうこれはと思って、読んだ記憶がありますね。
たぶんどっかにあると思うんですけど、全然記憶ないです。
中核対角丸って読むと、中核派の人と角丸派の人が最終的には内げばってて、
運動している人たち同士で鉄パイプを持って戦うみたいなことになっていくっていう悲惨な話で、
救われないなと思って読んだ記憶がありますが、そういう時代ですよね。
社会にこうやって出てきてやってしまうと、今の目線から当時彼らにとっては大変な問題であり、そこに正義はあったんだとは思いますけど、
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それにしても渋谷でいろんなところに損害を与えながらやるわけですよね。
そして警察官も犠牲になりというような話で、今の人たちの感覚からするとリアリティもなければ、
そこに正義があるのかと言われて、そこにはそれなりの正義があったよねとも何とも思えないですよね、今ね。
とは思うんですが、という話です。
これは後半が始まったということで、10月25日に私シェアしているんですけど、
51年目の裁判に対して行われたということは、新潟県でも話題になっています。
中村巡査は佐渡の出身で、犠牲になった中村巡査のお父さんお母さんは保健剤だったでしょうか。
インタビューも見たことがあります。社会の中ではもう忘れられていったけれども、やっぱりというようなことでインタビューをしていますし、
新潟県警の中でも警察学校3階に渋谷暴動事件の展示場というのがあるんだそうです。
実は警察学校研修の講師で行ったことあるんですけど、見たことなかったですね。
今度行く機会があれば見てみたいなと思います。
今コメントをいただきました。1971年生まれる前。
私は生まれていますが、もちろん全く知りません。記憶にはもちろんない時代ですよね。
解決とは何かでしょうけどね。
大阪容疑者が何をしたのかということについては、もちろん何を解決かということではあるけれども、裁判の中では一定のことは明らかになり、それは事実関係としては認定されると思います。
でも事実としてこの中村巡査というのが、さっきお話ししたように滅多打ちにされてガソリンかけられて殺されたと。
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この事実そのものは揺るがないと思いますね。
それについて、暴動を起こした人たちの中で誰がどのように関わったかということの認定が難しいということなんではないかなと思いますね。
裁判官はもちろんそこは勉強するでしょう。そこはプロですから大丈夫だと思いますが。
世代的にはそうでしょうね。リアリティはあまりないというか、昔そういうことがあったんだねというようなことになるんじゃないかなと思います。
慰霊碑の話に戻りますと、先ほど新潟県の警察学校に展示場があるとこれも知らなかったんですが、
実はこの中村巡査が亡くなった渋谷区の現場、渋谷区上山町11-9って書いてますけど、
ここに慰霊碑が建っているんだそうです。知りませんでしたが。
この間テレビで映像で見ましたけど、すごく小さくて知らないと気がつかないようなものではあるんですが、慰霊碑が設置されています。
これwikipediaの記述はそうなんだと思いましたけど、
新潟県警が年に1回現場付近でお参りをしているということが続いていたんだそうですが、
特に路上ですので、特に何もお参りするようなものもなく、現場付近のマウンホールを慰霊碑の代わりにしてお参りしていた。
このことを警視庁の渋谷署勤務の警察官が聞きつけて、警視庁の中でお金を、寄付金を集めて慰霊碑の建立を行ったというような話は知りませんでしたけど、
その慰霊碑が建ったのが2000年だそうです。
なので、私は2000年に東京を離れていますので、そういう意味では私が知らないのもしょうがない。
あっても気がつかなかったと思いますけど、というようなことがあったのだそうです。
慰霊碑は当初ビルの谷間の目立たない場所に設置されていたが、隣接地の工事に留まらない2019年3月20日一時的に渋谷署に保管されて、2020年には誰の目にも見えやすいビルの前の道路脇に設置された。
見えやすいところに来たのは最近なんですね。
だから知らなかったのもしょうがないかなというような気がします。
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先ほど言ったように10月の終わり頃に新潟県でも報道があってという話をしましたけど、
新潟県の報道の中に中野隆さんという人が出てきて、あれ見たことあるなと思ったんですけど、
最近いろんなメディアでも活躍されている元警察官のタレントというか元警察官のお笑いっていうか、お笑い芸人って言わないのかな。
お話がすごく上手なタレントとして活躍されている中野幸治高麻呂さんという方がいらっしゃいますが、
中野幸治高麻呂さんと亡くなった中村巡査というのは同期なんですね。
警察官入職同期ということで、本名でニュースにも登場されていました。
当然若い警察官21歳ですかね。若い警察官の人たちにとってはこういう形で警察官が亡くなるんだということで非常に衝撃的な事件であったでしょうし、
やっぱり警察官というのはこういう仕事なので命を落とすこともあるんだということを非常に強く感じた事件であっただろうなというふうに思いました。
と同時にこの時亡くなった中村さんの同期の中野さんも警察を退官されて、そして今70代かなということでありますし、
それから先ほど言った逮捕された大阪容疑者も73歳と言いましたかね。とにかくみんな老朽に差し掛かっているわけですよね。
しかしながらその若き日にそれぞれの正義がぶつかったというか、その後始末というのが50年間続いていたというのもいろいろ考え深いところがありましたよね。
今言った通りで結局渋谷の人たちももうほぼ気がついていないですし、新潟の人もこの渋谷暴動事件についてよく知っているかというとあんまり知らないですよね。
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やっぱり自分たちの街で起きているという事件であれば結構強い印象を残しますけど、残念ながら中村淳さんは応援で渋谷に行って亡くなっている、東京に行って亡くなっているということもあり、やっぱり記憶が風化するのは早いよねというのも感じるところでありまして、
警察学校に行ったことはあるんですけど、警察学校の関係者にもご案内されなかったということは多分私が行っても関心は持たないだろうと思ったんだと思いますけどね。
そんなようなお話で、今日休日ではございますがあまり明るい話ではありませんでした。また次回お話ししていたいと思います。今日も元気にお過ごしください。