西日本新聞ポッドキャスト。
西日本新聞スポーツ余聞。
この番組は、記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。
西日本新聞社の大久保翔一です。よろしくお願いします。
西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
1回目の配信から間もなく1年です。
もうぼちぼちそうですね。
おかげさまで、おかげさまでですよね。
1年経ったからではないんですが、1回目の配信。
どなたが話題の主役ですか?
知らない。小久保監督ですよ。
そうなんですよね。
ちなみに、YouTubeでは、1回目の小久保監督が再生回数は。
めちゃくちゃ多いですね。
圧倒的ですね。
多くの人に聞いていただいている、見ていただいているということで。
今年も1周年記念を、小久保監督の話をご案にしていただこうかなと思っておりまして。
今日、それこそサムネイルもかっこよく作ってもらって。
本当にかっこいいサムネイルですね。
本当、今シーズンですね。
日本ハムとペットフィギュアのような感じで。
おそらく9月に入って、ここからが勝負どころになってくると思うんですけど。
監督って非常に孤独だと思うんですね。
上に立つものっていうのは孤独と思って。
このメンタルというかですね、そこの部分っていうのは結構大変なんだろうなと思いつつ。
私自身も国防版記者をやってたので。
じゃあ現役時代の時はどうだったかなというふうなことを、
ちょっと振り返りながら話しできればなと思っております。
ちなみにこのYouTubeの背景なんですけど。
これせっかく1周年で小久保監督なんですが。
この小久保監督が辛い小久保監督の写真なんです。
ちょうど切れてますけど、これでサンタ小久保。
梵太したような感じの写真ですね。
そうなんですよ。
だからそういう時もある意味西スポンをこれだけ大きく飾るという。
どんどんね。
本当に西スポン時代はもう国語っていう見出しでどうなろうとおっしゃるように参進であるが本番だよ。
それだけ結構存在感の大きい立場だったから、
逆に言えばプレッシャーもすさまじいものがあったんですよね。
だからすごくやっぱり小久保さんその現役時代、体のケアすごくなさってましたけども、
心のトレーニングっていうのもすごく怠らなかったという印象が残ってます。
実際にメンタルトレーニング非常に小久保さんやってらっしゃったんですけども、
その中でも私自身が覚えているなとすごく印象に残っていたのが、
その瞑想みたいなことですね。
そこを大事になさってたってことを覚えてます。
そしてその一端のトレーニングとして私が実際に13年前になりますかね、
実際その瞑想トレーニングをしていた場所に私自身行ってお話を聞いたりして、
そこでこうやって小久保さんやってたんだなというのを取材に行ったので、
それもちょっとお話しできればなと思ってるんですけどですね。
小久保さん、心の修行という形で栃木県の山の中にですね、
瞑想の森内観研究所っていうところがあるんですよ。
ここに小久保さん足を運んだことがあったので、私そこに行ったことがあるんですけど、
そこ山の中で実際に入ったら、すごい和室の部屋なんですけど、
その畳の部屋の中に周囲を屏風で囲んで、
もう自分一人座れるか座れないかぐらいの風に、
あとはもうこう屏風で囲んだ繁盛ぐらいの部屋の中にですね、
ずっと座って目を閉じて思いを巡らすという、
そういうことをオフシーズンに小久保さん何とかされてるんです。
私が小久保さんにお話聞いたときは、そのときの命題は3つあったとおっしゃって、
一つが母親とか身近な存在に対して、これまでにしてもらったこと、
して返したこと、迷惑をかけたことを可能な限り細かく絵を描くように思い出す作業。
その繁盛の中でですね。
日常のあらゆる情報を遮断。スマホとか携帯のああいうのはもう遮断。
出して自分の内面を見つめる集中内観という収容方法をそこでされてたんですね。
で僕実際に行って、その所長さんが清水さんって方なんですけど、
お話を聞きましたけども、実際に私自身が取材で確認したのは、
2002年のオフと2006年と2010年。
この3回、瞑想の森内観研究所で、いわゆる山御森みたいな形で。
そこに座ってってイメージが湧きにくいんで、ちょっともう少しお話聞いたら、
要は朝6時からです。朝6時から夜の9時まで。
もう1日15時間そこに繁盛の中に座って、食事だけその中に運ばれてくるんですけど、
15時間ずっと先ほど言った3つの命題ですね。
あれを考え、見つめ続ける自分と。
これを1週間。
何もしたらダメなんですか?それ考えるだけ?
考えるだけ。
字とかも見たらダメ?
ダメなんです。もうとにかくそこに座って考えるだけ。
これを1週間でやって、その15時間中に2時間ごとに清水所長が来られて対話するんですって。
自分自身が人に支えられて生きていることに気づき、そういうのを実感すると。
国母さんも1日中ボロボロ涙を流していました。
そういうことをお聞きしましたですね。
自分との対話で、犯人に対する意識も国母さん変わったとおっしゃいました。
2001年、金鉄のローズ、2002年に西武のカブレラが王会長に並ぶ55本のシーズン咲いた本類だをマークしたんです。
この2人に国母さんは負けたくない思いが強くて、打たれた党首に対して、要は打たせた党首ですね。
に対して、なんであんな球投げるんだと心を乱していた時期も国母さんあったんです。
だけど、この内観、これをすることによって、自分を高めてくれる存在なんだと。
カブレラだと、ローズだと、競争相手と思えるようになっていった。
そういう心の修行を見る。
国母さんここで、実は座右の銘もここで掴んだんですね。
内観中にですね、講話が流れてくるんですよ、ロックオンで。
考えてる間にですね。
その時に、その中にあったフレーズで、この一瞬に生きるっていうフレーズが心に響いたそうで。
この言葉をお借りしたい、清水所長の方に言っていいですよということで、国母さん座右の銘、一瞬に生きる。
本もこれで出しましたよね、タイトルがね。
その、要は結果を先に考えるんじゃなくて、その瞬間瞬間に全力を尽くした結果であれば、良くても悪くてもいいじゃないかと。
この言葉を反数することで、国母さんシーズンでも苦しい場面とか、そういうのを心を落ち着けていったというお話を聞いたことがありますね。
だからこそ、2003年オープン戦でですね、右膝の大怪我がありましたけれども、あれも人生に無駄はないんだと。