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2025-06-08 16:57

19|鷹取城ってどんなお城?お城映像クリエーターが解説【鷹取城基礎編②】

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この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

母里太兵衛が守った筑前六端城の一つ鷹取城。鷹取城の構造を遺構や逸話などから堀切凡夫さんが解説します。
◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(販売部)

◆収録日:2025年5月11日

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サマリー

このエピソードでは、鷹取城の歴史や地形について詳しく解説されています。特に、昭二氏や大友の戦い、鷹取城の構造や遺構、山城としての役割について考察されています。また、城の軍事的な役割や、それに伴う補強の経緯についても触れられています。

00:01
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
鷹取城の歴史と背景
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる
戦国時代の山城の魅力を、現地を歩きながらお話ししてまいります。
こんにちは、福岡のゆうさぶり、西日本新聞民の横山智則です。
こんにちは、お城映像クリエーターの堀切です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山光一郎です。
どうもお疲れ様です。
ちょっと寒かったんで山頂は。一段下がったところで。
というか石垣の上に僕ら今座って喋っているってことになるんですかね。
そうですね。主角の小口のところですね。
小口のところに。で、今日はどんなお話をと。
鷹取城ここまで登ってきまして、
各所に残る遺構とかのお話ができればと思います。
前回の時に鹿之助さんが様々鷹取城の遠隔を話していただいたのですが、
一応ちょっとだけ触れますと、お城の歴史自体は前回も触れたようにちょっと古くて、
1333年とかには大友とかが旧城を支配する一部で、
昭二氏というグループが博多、今で言う佐賀、長崎とかあっちの方を支配して。
昭二氏?
昭二氏は一つ言うとだいぶ遡るんですよ。
元寇の境の時に影助が本当に超人的な活躍をして博多湾で食い止めて、
最終的に昭二氏に揉めちゃうんですからね。
いろいろあるんですが、その大きい一大勢力であった昭二氏が、
この武全鷹羽群に鷹取以上を作ったという記録が残っておりまして。
昭二氏ってあんまり知らないですね。
知らないですね。本当にこの大友とかがワーッとなってくる前の、
柳蔵寺とかですかね、その前の話になるんですが。
それで、その以降は戦国期に大友大内の戦いの舞台になり、
遺構と見どころ
また前回触れられたとおり、筑前六波城とか黒田が入った際に作られる。
その時に堀多平もここの城主として機能します。
鷹取以上、先ほど登ってきて、登ってくる途中もさまざますごい意向があったんですけど、
大きく見どころがあるとしたら3つありまして、
1つはそれぞれの各所に大きい車がお根沿いに残っているということと、
地形図にも現れるほどの巨大な縦彫りが何本も多くあるということですね。
あとはこの四角部の、まるで塔地下のような四角部の土台の意向という部分が
大きく見どころがあるかと思っております。
登ってくる途中に福知山との結成というお根を通る北東のお根があるんですよ。
北東のお根にも大きく意向がいくつかありまして、
1つは出丸といって、車で突き出したような車があるんですけど、
それがちょうどこの登山道を見下ろすような場所に。
ありましたね。
あそこの場所には土塁があって、いかにも下を全部見下ろせるような形になっていまして、
実はあの場所の車とかからは白磁の皿が出て発掘されて、
その皿って実は14世紀頃なので正に小西の頃のものだったので、
おそらくあそこの辺りっていうのは実は堀さんが入ってきた時に作ったというわけじゃなくて、
元からあったのではないかと考えられています。
その見下ろす場所に結構広い平壇地があったんですよ。
ありましたよね。
今はもう杉が植わっているからちょっと気づきにくいかもしれないですけど、
あれもし杉がなかったらかなり山頂と同じくらいの広さの平らな平地がありましたよね。
ありましたね。
あそこが貯水機能を持ったのかもしれないと言われる溝状の移行が検出されたということで、
調査でわかっております。
もしかしたらそういう山頂の部分の四角の部分ってのはそれこそ堀さんが作った
江戸とかの時代に作ったと言われているんですけども、
それ以外の部分ってのは意外と高鳥城の前身というか前の形という分ではそういう機能をしていたのかもしれません。
ちなみになんですけど、お皿が出てきたりとか貯水施設があるってことは
生活機能もある程度あったっていうふうに考えてもいいんですかね。
そうなのかもしれないですね。
おそらく自分の中では、車からは掘ったて柱の建物跡とか確認をされていました。
つまり3軒ぐらいの幅ぐらいで柱の跡とかがあったそうなので、建物がやっぱりあった可能性があるんですね。
おそらくそういった先ほど司官音声さんが言われたように、生活をしていた人たちにとっては
そういうことで堀木さん、前回か何かにもお話いただいたけど、
山頂にある山城っていうのは、いざ戦うときには使うけども、
普段は留守番がおるぐらいで、普段の生活はやはり麓でされているっていう話だったけど、
今の話でいくと、ひょっとしたら山頂ではなくて一段下にあった、
防御機能と謎
山頂にある山城を使うときには使うかもしれないですね。
お花畑、貯水施設があったかもしれない。
あの辺りっていうのは生活も含めてされていたかもしれない。
そうですね、かもしれないですね。
あと途中にありましたが、うねじょうはてぼり軍ですかね、からぼり軍ですかね、
今後もしかしたら山城をポッドキャストの中で見ていくかもしれないですけど、
ちょっと類を見ないくらいからぼり軍を使うかもしれないですね。
横幅も10メートルぐらいありますし、
一般的に考えられるうねじょうからぼり軍というのは、
登ってくる敵兵がいるとしても、
侵入を限定するためのコースを作っちゃうための規模なので、
横に本当に1、2メートルあるかないかぐらいの形なんですけど、
あんなに大規模なものをいっぱい作る目的とかは、
ちょっとわからないですけど、
その規模が20本、20本周りにあると言われています。
言ったら全部を取り囲むようにというか。
そうですね。
お城で言いますと西側半分と言いますか、東側です。
東側か。
東側で福知山の方のお根伝いの方に、
ずっと半分くらいの規模を作っています。
そういうのがあって、
国土地理院に傾斜量図というのがあって、
いわゆる角度が強ければ強くても影みたいになって、
どのくらい急か分かりやすい図があるんですが、
それで見ても高鳥山城周囲を見ても分かるぐらいに
縦振りがバーッと走っているんですね。
かといってもそれは自然地形という感じで、
その縦振りがバーッと走っているんですね。
かといってもそれは自然地形という感じでもなく、
人為的に作った可能性が高い部分もありますので、
そういった部分も含めて、
どういう目的か分からないですけど、
それぐらい守りに意識していたのかもしれないですね。
なるほど。
どういう目的か分からないというのは、
確かにその通りで、前回立花城で見せてもらった縦振りとかもそうですし、
いわゆる一般的にみたいな話をすると、
相手が下から登ってくる時に、
結局敵兵が一列に並んでくれると、
上から攻撃がしやすいと。
そりゃそうですね。想像つきますよね。
一列に並べて登ってくると、
上から順番、一番前のやつを倒していけばいいわけですから、
守りやすい。
ところが横幅10mも掘ると、
10人一緒に横一列になって登ってこれるわけだから、
本来そういう意味での目的からすると、
大きすぎないって話ですよね。
そうですね。
そこまでやる必要があったのかという感じが。
かえって困らないと守るのにって思う。
でもそういうのもあって、
そういうことを小木さん言うように、
全国には縦振りっていうのはあちこちあるけども、
なんでそうなんていうのは結構あるんですね。
はい、そうですね。
こんなに大きいのはなかなか、
しかも縦振りがあるところはあるんですけども、
こんなに20本も連続してっていうのはなかなかないので、
本当に謎といえば謎でありますし、
もしそれが根性空振り群っていうのは、
比較的戦国時代の後半とかによく見られると考えられているので、
江戸時代のそれこそ、
堀さんが緊張状態で作ったっていうことであれば、
それほどやはり細川とかが、
いつ何があってもという形の緊張の度合いが伝わってくる、
一つのものなのかもしれないですね。
ただあれですよね、今言った東側に集中してっていうのは、
いわゆるここは竹前側ですけど、
竹前側の一番東、
すぐ隣は武前の方、細川がいる。
だからそっちに向けて掘ってるわけですもんね。
だから何か守りのために掘ってるんではあろうけども、
なんでこんなにデカいんかって話ですよね。
どうなんでしょうか、遠くから見たら、
本当に一目でわかるぐらいなものなのかもしれないし、
これだけもし木がなかったとしたら、丸坊主だったとしたら、
ふもとから丸見えなくらい、バーって縦折りがあるので、
アピールだったのかとか、勝手に個人の妄想では思う。
なるほどですね。
やはりこんなにすごいんだぞと、攻めたくたって攻めれないんだぞと、
石表示なのかなと思ってしまうぐらいな希望を感じる。
また特に出てきましたこの四角ですね。
この部分も今のところ調査の結果とかでは、
上下二段平坦がありまして、いずれも総石垣で、
登ってくる登山道の途中にも石垣が一部残ってましたけど、
本来だったら高さ5メートル近くが石垣で、
廃墟のとき、一国一条例だったり、
そのときは八脚で半分以上崩壊をしています。
ただやはり登ってくるときもありましたけど、
ちゃんと生きているラインというか、ちゃんとそういうのが残ってますので、
やっぱり本当に総石垣だったんだなという当時の片鱗が残っています。
またこの平坦の場所もすごい広いんですけど、
南西隅には隅矢倉が置かれていまして、
鷹取城の構造と役割
特に南側と東側に高鳥山という看板のところにも石の素石がありましたが、
あれが矢倉の跡があったと考えられておりまして、
多門矢倉があったという、長さ50メートルなので、
福岡城に多門矢倉って長いのがありますけど、
ああいったイメージのがここにあったという一つの証拠となっております。
実際、河原も出てきているそうです。
城門もこういった形で、今座っているところが城門なんですけど、
この部分も東口城門と西口城門と、
また外側には永岸寺口城門というのと、
またもう一個南口城門という2つマス型の部分がありまして、
今のところは東口城門と西口城門と、
そのぐらい厳重な作りでありという形で、
これをおそらくここは堀さんが作っているところでございますので、
いかにすればいいのかというと、
実際にこれを見てみると、
これを見てみると、
これを見てみると、
これを見てみると、
これを見てみると、
これは堀さんが作っているところでございます。
いかにすごい努力量をかけて作ったかということですよね。
前回の話に戻ると、
10年ぐらいで壊れてしまったということです。
なかなか、今でも家建てでも、まだ新しいカバーを作っている気がしますね。
一国一条例を、様々な一つの大きな班の中で一個にしなさい。
っていうのは軍事的な軍縮という部分もあるんですけど
三冥艦隊役の教授の岡寺さんの論考にもあったんですけど
一方の軍縮ってのは各班が願い出たって言われていて
つまり部下たちの反乱をやっぱり各班では恐れていて
もし籠られたら厄介なので
そういった部分のこの四条軍っていうのも
一個軍縮という意味ではもう全部あえて潰させて
なのでそういう部分での
なんていうんですかね
建前上爆風がしなさいって言うんだけど
実は各班からもうこういう可能性もあるんで
もう1個うちの1個ここにしてもらえませんかみたいな
部分をしたのかもしれないとも言われてますね
そうですね
徳川から言うと各班1個ずつにしろと
まあそれはそうですよね言うけど
黒だけとしてももう福岡城1個あるだけで
あとはお城を気づかせないほうが
森田平強いって言うんですね
そうですね万が一なんかそういうね
なんか腹かいたりとかして籠られたりしたら
すごい厄介なことになっちゃうので
なのかもしれませんね
実際その後1640年か
原城で島原の乱が起きて
あの後もう1回また各地でまた破城をやってるんですね
もう1回しっかり残ったところとか
特に場所は違いますけど
秘前名古屋城とかそこは2回ぐらい徹底的に壊されてる
そういったのも各地で群粛の波の中で
高鳥城も破城されていったのかもしれませんね
補強の経緯と人間関係
なるほどありがとうございました
それこそ1つ高鳥城のエピソードで
ありましたね
実際この高鳥城であったり
この場所もそうだったのかもしれないんですけど
森田平が大変この地を好んだのか
高鳥城の補強を長政に願い出ることがあったそうでございまして
長政からはもう長く持ちこたえる城ではないから
人力を費やすのは無理だという
承知がありまして
そうなると森さんが以前もありましたけど
ちょっと腹をかいたというか
そんな一時的な城の上司になるんだったら
もう自分はごめんだと言って
席を腹を立てて外したそうでございまして
一方は長政では実際こういろいろ思うところがありながらも
その右右となる
栗山利安という人物がいるんですけど
彼には敵は言っても
もし戦があるとしたら補足は多々起きであり
小倉城から来るから
この市場は福岡城から援軍が来るまでの牢城用だから
しかも森田平のものであれば
建後に城を守るから
人力が過剰な人力を費やすのは不要なんだというか
森さんは信頼しての意味での言ったということで
それを結局栗山利安が聞いて
仲介役みたいな感じで
いやいや森さん実はさあってことで話してくれて
親分はこう思っての話やからと
腹が空くような話じゃないよと
でも一応森さんも最初からそう言えば
いいじゃないかって怒るんですけど
それを上回るぐらいに
栗山利安が結構叱責をして
やっと高取城の城主にまた再び落ち着いたという
エピソードで
そのぐらいこれだけ作っているので
そういう思い入れが
そうですよね
どうもありがとうございました
ありがとうございました
今日鹿之助さんなんか
そうですね
僕はいいです
僕はいいです
じゃあ一旦エンディングしましょうかね
はい堀切さんが全国各地のお城をドローンで撮影している
YouTube番組空から攻める
そして西日本新聞の城九州戦国ドローンも
ぜひご覧ください
リンクは概要欄に貼ってあります
ここまで聞いていただきありがとうございました
山嶋のことをもっと知りたい
この番組を応援したいと思っていただけましたら
ぜひ西日本新聞
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本日はありがとうございました
ありがとうございました
どうも西日本新聞ミーです
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そう福岡の味方西日本新聞ミー
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16:57

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