高鳥城はほんと登らない感じですね。
橘城もそこそこありましたけどどうでした?
橘城はそうですね、登っていろいろ見ようと意気込んで上がったんですけど、
途中の石垣とか見て上がっていって、もう体力の限界を迎えて、
もうそれこそちょこちょこっと石垣見て車見て、ほんで帰ってきました。
山頂は?
山頂行きました。
行きました、良かった良かった良かった。
山頂からの景色がね、やっぱここを取り合ったんだろうなと。
そうですよね、そうですよね。
福岡市内が一望できてって、まさにその通りですもんね。
そういうことで、ああいう石垣を見ると、おーおーっていう話になるんですか?
そう、やっぱり石垣が山の中にあると心躍るものがありますよね。
そうですよね、あれでも、歴史とか山城のことを知らないで登ると、
なんやろかっていう程度のもんでしかないんですけどね。
そういう意味では岩屋城も面白い?
岩屋城も…
あれは登らんでいいけんいいですもんね。
かなり楽さしてもらったんで。
それはやっぱ、あ、創立岩屋城ですかね。
ちょっと驚々しい地文字というか、結構石垣有名なんで、
あれ一回見たいなと思って入って、登って、確か登った時雨やったっすよね。
そう、雨でした。
僕登った時、快晴だったんで。
いいですね。
180度、300何十度くらいかな。
そうですよね。
もう全部見えるんで、こっちのあの…
一番左って言ったらあれですけど、西…左かは?
国立博物館とか、ラザイフ展望部とかって、水木が…水木こっちかな?
そうですね。
完全音痴があって、こっちが博多方面なんですかね。
その辺がもう一望なんで、これはいいなと。
で、高橋城のわからんところに行くと、やはり黒岩っぽいのがあって、
なんとなく…
ねむじろっぽいなと、かすかな知識でも思い入れて。
そう、僕ら行った時雨が降ってて、
それでも、途中雨が止むというか、霧が晴れるみたいな感じで、
遠くまでは見えるには見えたんですけども、
左手はそれこそ九州国立博物館と、法満山から。
で、正面には美濃連山ですよね。
そうですね。
確かにね、島津とか南から上がって黒になったら…
あそこが…っていうことで戦場になりますよね。
晴れたら最高ですね。
そうですね。
基本的に岩屋城というか大野城までは車で登れるんで、
中腹に車を止めて岩屋城は、車を止めるところにもよりますけど、
登るというかちょっと下るみたいなところで…
大野城の範畜もすごいですよね。
そうですよね。
範畜どおり。
絶壁ですもんね、追従というか。
そうですね。
あれも結構剣で刀で打っても火花が散るようなカッチカチの範畜どおりで。
カッチカチの…
改めて範畜どおりとあっていくとどんなの?
土をいろんな層で積み重ねていってミルフィーユ状にしていった、
作ったどおりで強度が上がるんですよね。
土を積んでいく、持っていくんですね。
持っていくんじゃなくて多分土のいろいろ質が地層みたいな、
あれのいろんな土を重ねていって。
そうすると強くなる、固くなる。
固くなる。
それは岩屋城時代の話?
それこそあれってあそこって結局太古の昔の大野城で呼ばれてた頃っていうの?
多分…
ここは難しいところですか?
多分大野城時代からあると思う。
なるほどですね。
あそこはね、さすが太宰府というだけあって、
歴史も何層にも、それこそお城時代が、
高橋城運が激闘を繰り返し、激闘したとしますと戦ったという、
いわゆる戦国時代の最後の方の話もあれば、
かつて朝鮮半島からみたいな時代の話もありますからね。
それこそ全国つつうらうら回ってこられた藍島さんなんですが、
前回は四国の松山城、高知城、丸亀とか、
あの辺りよかったよね。
高知はやっぱり残ってる城が多いよねみたいな話をされたんですけど、
結局プロ野球担当なんで、その辺りから行くとよく行ったというか、
球場に近かったというか、どこかよく行ったよみたいな。
別の四国を離れたところでの好きな城とか。
プロ野球担当でよく行ったっていうと、
広島城になるんですけど、
昔の旧広島市民球場はほぼ城と隣接してるというか、
そこの裏のホテルに巨人が宿舎で、
当時90、僕が行ってた頃は98年ぐらいは、
藍島さんが毎朝広島城を散歩するというんで、
担当記者はほぼ朝集まって、
それこそめちゃくちゃ早い時間で集まって、
広島城内をイスターン散歩で途中までついて行って、
そこでうらさがって話をなんとか聞こうと。
1998年、長島茂雄監督時代。
もちろんですね。
に、いわゆる巨人広島戦で、
当然三田を訪れて、
朝から散歩コースが決まってるんです。
そうですよね。
あの辺の五穀神社のところを回ってたはずですね。
当時の広島市民球場と、今は松田スタジアム、
あれ別の場所にあるんでした?
あれはもう変わったんですよ。
広島市民が、昔はその、ほんと蘇豪の横の、
要するに天神にあるような感じだったんですけど、
ちょっと離れて、線路の近くをね。
そうですね、新幹線乗ると今見えるのは、
新しい方の球場ですよね。
当時は天神の真ん中に野球場があったみたいな感じなんですか?
そうですね。
広島というところに。
隣が蘇豪だったんで、
試合前の、泣いた前の食事は、
その蘇豪の地下に行って、
弁当買ってきてっていうような、
もうそれぐらいの日々でしたよね。
で、そこに広島市民球場もあったし、
広島城もあったと。
そうですね、広島城もありました。
で、広島城は、それこそ原爆で焼けて復元された。
そうですね。戦前は国宝ですね、確かね。
旧国宝になりますね。
原爆で焼ける前までは、
まんま本物があったってことですね。
そうです。
ただ、実はヤグラがくっついてて、
3階建てのヤグラが2つくっついて、
平ヤグラと一緒になってたんですけど、
そこは確か取り壊されて、
微妙な形に残ってて、
当時の被爆者の方の証言であるんですけど、
原爆が落ちた瞬間に、
倒れていく様子を見た人がいるらしくて、
河原が吹き飛びながら、
徐々に倒れていく様子を見たっていう方の証言を見たことがあります。
焼けてないんですよね。爆風で倒れたんですよね。
そうです。
なるほど。
その写真とかも残ってますもんね。
爆風で倒れたりとか。
倒れていく。
そうなんですね。
燃えたというよりも、
風で倒れたみたいな話なんですよね。
確かに。だったと思いますよ。
へぇー。
で、今は復元されてる。
それこそさっき収録前に、
復元と読むのか、復興と言うのか、
はたまたまたそれとも違うのかみたいな話になるんですけど、
そういう意味では、
広島城は今復元されてるという言い方で、
外観復元。
外は昔のままだよになってる外観ですから、
そういうことなんですね。
中はもう鉄筋。
ただ外から見ると、ある種復元と言える当時のままだと。
そうですね。
で、それこそしかもさっき、
それで言うと復元ではなく復興だというような城も、
もちろん今はあると。
復興化で言うとそういう城もあるんです。
それが小倉城になって、