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2025-03-09 17:38

06|戦国時代から古代へ!古代山城、大野城の歴史を振り返る【岩屋城編①】

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回は太宰府市、大野城市、宇美町にまたがる四王寺山の駐車場から古代山城、大野城の歴史をお届けします。当時の国家事業として築かれながらも謎が多く残る大野城。ロマンあふれる歴史に魅了されました。


◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(販売部)


◆収録日:2025年3月2日


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Summary

このエピソードでは、古代山城である大野城の歴史と、戦国時代の岩屋城について詳しく掘り下げられています。700年代の朝鮮半島での戦争とそれに伴う日本の動き、山城の重要性や分布についても解説されています。また、大野城や古代山城の歴史に関する詳細が語られ、特に城塞都市としての役割やその運用に関する謎が焦点となっています。

古代山城の魅力
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地田んぼを交えて厚く語り合ってまいります。
山城の研究は、地理や歴史だけでなく、軍事学や地域経済学など、いくつもの側面があります。
かつてその地で暮らした人々の息吹を、あなたも一緒に感じてみませんか。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞MEの横山智則です。
こんにちは。お城映像クリエイターの堀木烈之です。
こんにちは。西日本新聞社の鹿之助こと中山光一郎です。
さてさて、新シリーズが始まります。
はい。
前回は、橘山、寒かったですね。
そうですね。寒かったですね。
橘城を特集したんですけど、今日はどこに来てますか。
今日は、前回の橘山城で守っていた、橘宗家の父親にあたる高橋定雲が守っていた岩屋城に来ております。
それこそ岩屋城は、太宰府市ですね。岩屋城自体は。
はい、そうです。
ですよね。
で、今日はそこ、岩屋城も大体車で行けるんですけど、
その上の潮汐山までの、おそらく山頂付近の駐車場まで、
ここ車で上がって来れますんで、そこでお話をしたいかなというふうに思っているんですけども、
まず潮汐山とはから行きますか。
そうです。
潮汐山っていうところは、山登り的に言うとですね、
4つの山があって、だから4つの山で、3つ4つ5つの4、
王様の王、お寺の山と書いて潮汐山というふうに言われてるんですけども、
そう言いながら潮汐山っていう山はなくてですね、
4つの山っていうのは今言った大野城、大木山と岩屋城、水亀山、大原山っていう山がこの山域にありまして、
自治体で言うと太宰府、大野城、海町あたりにまたがる山域なんですけども、
この4つの山があるからっていう意味で潮汐山というふうに言われてるところですね。
そこまで今来てますというところなんですよね。
歴史の話で言う潮汐山っていうとまた別の意味合いが出てくるというか、別の話ですね。
この潮汐山一帯地裁が岩屋城の広報に当たるんですけども、
その場所が現在で言う特別史跡の大野城という場所であります。
大野城という漢字はまさに自治体名の大野城氏の大野城と同じで、
一見私も数年前お城興味ないときは全く何のことかわからなかったんですけど、
戦国時代の緊張
その大野城という巨大な古代山城がこの潮汐山一帯に築かれているんですね。
ということなんですね。
なんで今回は今の流れでいくとですね、
橘宗重の父ちゃんが作った岩屋城の話ではあるんですけども、
同じ岩屋城があったところには遥か昔また別の歴史が眠っているということで、
今日は岩屋城のさらに昔の別の歴史の話からしようかというようなところでよろしいですかね。
大野城の築かれた背景を簡単に言いますと、
7世紀、西暦600年代なんですが、
隣の朝鮮半島では白城と九田羅という国が争っていて、
白城は九田羅を倒すために隣の中国、昔言う東の国と同盟を結んで、
攻撃して九田羅を滅ぼします。
和国、いわゆる日本は九田羅復興運動を支援して出兵をするんですね。
九田羅を助けようと。
それで663年に白月の絵の戦い、漢字いう城に村に江戸の絵と書いて、
白月の絵の戦いで起きるんですけども、
ここで大敗をして朝鮮半島から日本は和国として撤退をするわけなんですね。
この時代日本は海を渡って、いわゆる中国・朝鮮の戦争に河西に行ってたってことなんですね。
そのスケールもでかいですね。
それすごいですよね。
どんな船で渡ったんやろうとか思いますよね。
なかなかですよ、限界ならってはっきり言ってね。
すごいですね。
ただせっかく応援に行ったんだけど、
河西下側の九田羅は負けちゃうんですね。
負けちゃうんですね。
それを機にですね、そこで終わればよいんですが、
特に勝田白木もそうなんですけど、
同盟で配ったこの東の国の陸海軍がすごいので、
その勢いで日本に来襲する可能性というのが高まってきたわけなんですね。
それで663年に白スキノイの戦いがあり、
翌年の664年には津島一騎、またこの今いる畜死に
飛ぶ火、のろし台ですね。
いわゆる何か起きた時に煙を焚いて通信的な代わりをするのろし台と
先森、いわゆる防衛隊ですね。
これが設置をされまして、
さらに現在遺構として、地名としても残ってるんですけど
水木が設置をされます。
兄弟や奴隷ですね。長いですね。
665年、さらに1年後なんですけど、
負けた九太良の国から亡命貴族が実際始動にあたって、
この大野城と現在、木山という名前になってますけども。
佐賀県木山。
そうですね。佐賀県木山町なんですね。
木山に木の木、木城と書いて木の木と呼ぶんですけど、
大野城は大野城と書いて大野の木と呼ぶそうなんです。
これが築かれるわけなんですね。
お城が築かれるんですね。
そうすると、白村公の戦いで663年、負けたぞって言ったら、
翌年には柿森を置いたり、
津島とか行きに呪し台みたいなのを設置して、
またその翌年には、
九太良からの亡命貴族の始動によって、
この今いる一帯をお城に変えていくっていう、
結構スピードありますよね。
相当緊張状態だったんでしょうね。
いつ攻めてくるかと。
火星に行ってるからどんだけ強いかを知ってるってことでしょうね。
大野 そういうことでしょうね。
もうおそらく、これは自分が勝手に思ってるだけなんですけど、
九太良にそうやって応援に行ってるので、
いわゆる兵団、兵の補給ルートというか、
それが一気に津島と行ってるはずなので、
おそらく逆に逆道で絶対そこに来るだろうという部分もあって、
防衛を一気に強化しようとしたんでしょうね。
今もあれですけど、
古代山城の役割
当時の中国の文明、軍事力と日本と比べれば、
それはひとたまりもないとは思うでしょうからね。
山城っていうのは視野を広げると、
いわゆる今言った檜山で大野城だけでなくて、
全国各地にもやっぱりあるんですか?
そうですね。この古代山城というんですけど、
この古代山城というのは近年でいきますと、
去年とかで広島県東広島市で長寿山城というのが発見、
おそらくそうだろうと確認された場所がありまして、
それを含めると25ヵ所とされています。
山城って山のお城で、
山城山城って僕言い方するけど山城って呼ぶんですね。
そうですね。古代山城と呼ぶそうでございまして、
特に場所はここにいる九州北部、中部と、
あと瀬戸内海沿いというところに分布してまして、
特に九州北部あたりはかなり古代山城が
いくつものに築かれている状態でございます。
それこそ九州北部はわかるわけですよ。
それこそ中国である朝鮮から攻めてくるぞといったら、
それは当然津島に渡り、
駅に渡り、福岡の博多の港にやってきて、
というところまで、だからそれこそ当時は
太宰府政調があった、いわゆる政調を守るために、
ちょうどそれこそこの大野城っていうのは博多からいくと、
港である博多に仮に大陸からの兵隊さんたちがやってきたとして、
まずはじゃあ太宰府政調を攻めようかっていうと、
ちょうどその間に大野城、いわゆる山があるんですよね、結局。
だからそこが守れると。
だからそこに城を築いて守ろうかと。
さっき言った水城っていうのはちょうど山がない部分なので、
そこに奴隷を築いて、
そこからそれこそ入って今後としようというところまでは分かるんですけど、
広島とかはそこでいうと優先順位で守らないといけない場所になっていくんですか?
おそらくですけども、いわゆる日本の当時の中心、
大和朝廷とかも、奈良とか京都とかあちらの方だったので、
そこに至る大きい動線で考えれば、
内海の瀬戸内海が穏やかですので、
そこから京に昇っていくという、
おそらく国内のルーツルートから考えてもそこ沿いに作っていって、
最終的に大和朝廷全体を含めた防衛という意味で作ったのではないかと考えられています。
そういうことですね。
まずは言ったら福岡だけど、
その後京都まで奈良まで昇っていくというと、
当然中国地方であり瀬戸内海というのは重要な場所ということになるので、
その辺りにも同じように古代山城が作られた。
25箇所ぐらいあったんじゃないかと。
やはりスケールが大きい分謎がかなり多くて、
実際名称とかで日本書紀とか、
書句日本儀とかに残されてはいるんですけど、
詳しい機能とかってよくわからない部分が多々ありまして、
共通点としては国府、現在という省庁とか、
あと政治経済の中心地である場所がそれぞれ、
今でいう太宰府も太宰府省庁がありますし、
その国府の比較的近郊に古代山城というのは築かれているのが多い形でございます。
近郊といっても国府から5キロ10キロ離れているケースも一般的に全体的に多いんですが、
使い方という部分でも、
いわゆる日本の史上で言う矢倉があって、
局地的な戦闘というよりかは、
もうちょっとスケールが大きい戦い方みたいな形で、
朝鮮半島ではよく敵国が攻め込んできたら、
向こうにも古代山城みたいな形態の城がたくさんあるんですけど、
そこに兵や人民たちが一回、おそらく何万人かも知れないですけど逃げ込んで、
それで敵国が牢城をしている間に、
敵国と城への平坦の補給ラインが伸びていくわけなんですが、
その横を攻撃していくというスタイルが朝鮮半島とかではよくあったそうでございます。
いわゆる当時の戦争のスタイルとして。
古代山城、いわゆる逃げ城というか、
逃げ込んでカウンター攻撃をしているみたいな形でありまして、
そういう使い方で日本に各地に作られたのではないかという考え方もあるそうです。
そうなんですね。ありがとうございます。
鹿野先生、何か言いたいことあるか。
大陸の方だと城壁都市みたいな、建築地層で作られる街を、
壁だったり堀だったりできていこうという建築地層がありますけど、
それに似たようなものを感じますね。
そうですね。一見そういうイメージもすごくあるんですが、
この古代山城25箇所それぞれもそうなんですけど、
大農場自体もそうなんですけど、
中は平坦地とか町とかがあったという感じはなくて、
そうなんです。倉庫とかがあっただろうという場所、
古代山城の特徴
一部そういう建物があった基礎みたいな跡は出てはいるんですけど、
大半の古代山城は中は自然地形のままで、
周りだけ囲っとけみたいな感じのところが多い。
なので本当にこの目的がどうだったのか、
それとも未完成なままだったのか、
いろんな考え方があるのですが、
規模で言ったら本当にこの城塞都市というイメージって
ちょっと取っつきやすいかなという感じはあるかと思います。
じゃあこの大農場も囲ってはいたけど、
中に何か町があった、城があったというと、
そこらへんはなかったっぽいというか、
ようわからんというか。
そうですね。
ああ、そういうことなんですね。
そうですね。そもそも仮にそうやって守るにしても、
奴隷船があまりにも長いので、
当然その奴隷船に沿って兵とかを置くとしたら、
もう膨大な人がいるわけでありまして、
なので本当にどう使おうとしたかって謎がかなり多いところでございます。
それでいうとどう使おうとしたかですけど、
結果攻めて来なかったから使わなかったわけですよね。
そうですね。
あの時代結局大陸から軍は来てないからですね。
そうですね。
現在は大農場、潮邪魔一旦に築かれているわけなんですけど、
その奴隷船は実に約8キロにわたって築かれておりまして、
その奴隷船沿いに遊歩道も現在はきれいな道作られていまして、
先ほども朝ここで皆さん集まった時もそうですけど、
何人もの皆さんが登山の格好をして歩かれてましたけど、
その集会制とかを使ってクロスカントリーの練習とか、
あと散策に歩く人が結構今も多く市民に親しまれた、
親しまれすぎて多分古代山城って気づいてないんですけど、
そういう遊歩道となっております。
ポッドキャストの成長と告知
ありがとうございました。
ぼちぼちエンディングにしようかなと思うんですけど、
その前にですね、
それこそまだ番組開始から数回しかあれしてないんですけど、
結構聞かれおりましてですね。
ありがとうございます。
西日本新聞ではいくつも番組を作ってるんですけど、
トップクラスです。
一番後発組の戦国、今のところですね、
戦国山城ポッドキャストが一番後発組なんですよ。
他の番組は大体去年の10月ぐらいからスタートした番組が多いんですけど、
もう今3月4月じゃないですか。
だから後発でスタートした番組なんですが、
早くもトップクラスの西日本新聞の番組の中ではなっておりまして、
歴史ランキングっていうのもあるんですよね、
ポッドキャストランキング。
それもですね、日によっては10位ぐらいに組み込むぐらいの日もある。
ポッドキャストで歴史の話をする番組って実際問題山のようにありまして、
トップはですね、もう不動のトップで古典ラジオっていう超有名な、
ポッドキャスト聞いてる人多分みんな知ってるっていう超有名な番組があるんですけど、
それが1位だけど、それ以外にもいっぱい歴史の話をする番組がある中で、
早くもやっぱり堀切さんのお話が聞きたいという方たちの多くてですね、
上位に食い込んでいるおりますと。
で、メッセージも早速来ておりまして、
それこそ堀切さんの解説がすごくわかりやすくてよかったです。
しんのすけさんの声が個性的で声優みたいです。
ちゃんこっこさんっていうかわいらしいお名前の方から早速メッセージも届いておりまして。
ありがとうございます。
鹿之助さんって俺言ったよね。しんのすけさんって言ったかね。
しんのすけさんって言ったよね。
鹿之助さんって言ったね。鹿之助さんすみませんでした。鹿之助さんの声が個性的で声優みたいらしいです。
今日はあんまり喋ってないですけど。
そうですね、ちょっとそういう需要があるんだったらガンガン喋っていきたいなと思います。
しんのすけさんって言ったね。鹿之助さんって俺ちゃんと書いておるのにすみませんでした。
あともう一つ二つ喋らないかんことがありましたね。
次回予告ですね。
次回はですね、さっき言いましたその7世紀頃になる、まだ岩屋城まで全然岩屋城の命もない時代の話なんですけど、
その7世紀頃の大野城の遺構が、それこそここからすぐそばの場所にありますんで、
そこを見てきて、そのあたりの話をしたいなというふうに思っているところですんで、またよろしくお願いいたします。
それではですね、エンディングの前に二つお知らせがございます。
堀木さんが全国各地のお城をドローンで撮影したYouTube番組、空から攻める。
それともう一つですね、堀木さんの空撮と専門家の解説で九州各地のお城を紹介する、
西日本新聞の城九州戦国ドローンというコーナーもありますんで、こちらの方もぜひご覧ください。
それともう一つ、西日本新聞MEの宣伝です。
この度ですね、会員特典として天神ビジネスセンタービルの飲食店街8店でお得なサービスが受けられるようになりました。
生ビールやハイボールがいっぱいビールを無料になったり、ランチが10%引きになったりとかなりお得な特典です。
すべてリンクは概要欄に貼っておりますので、ぜひご利用ください。
それではエンディングでございます。ここまで聞いていただきありがとうございました。
山城のことをもっと知りたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、
ぜひ西日本新聞、もしくはスマホアプリの西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
調べてほしいことあったらどうします?検索する?それもいいけど?
新しい方法を西日本新聞が作っちゃいました!パチパチ!
新聞記者に直接SNSで聞いてみる?
みんなの何で?に答えるあなたの匿名取材班です。西日本新聞で検索!
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