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2025-03-08 19:45

05|《ビデオポッドキャスト》立花城跡を歩く ! 急登の石垣ルートを登り山頂へ【立花城編④】

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回は、番組初のビデオポッドキャストの配信です。急登の石垣ルートを登りきると、福岡市内が見事に一望できる山頂へ!

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(販売部)

◆収録日:2025年1月11日

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
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◆城・九州戦国ドローン(関連記事)
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Summary

このエピソードでは、急登の石垣ルートを通って立花城跡に向かう様子が描かれています。立花山の美しい景観や、その歴史的な石垣の魅力について語られています。立花城跡を訪れる中で、石垣ルートを通って急勾配を登りながら、城の防御機能や地形の歴史的な役割について考察されています。また、城の構造やその周辺の環境がどのように影響を与えたかが解説されています。

立花山への登 ascent
西日本新聞戦国山城ポッドキャスト この番組は福岡県内だけでも1000近くあったとされる
戦国時代の山城の魅力を現地田んぼを交え、ひも解き厚く語り合う番組です 撮影者と言うか、今日は
適度に適所じゃない気がするけど、それでは行ってきまーす
あの立花山、今から見えるあちは立花山で登っていくんですけど、そこですね、はいはい
山頂までの道もつづら折れになってきついんですけど、一番きついのはここからこの手前のとこまでが一番きついんです
もうアスファルトがめちゃめちゃきついんです 前この間ちょっとあの身内で登ることがあって行ったら
副台だったらねラグウィーブの方がね、もうみなさんでアーッと登って降りてました。この場所。きついって分かってるんですよ
練習で、そのぐらい素晴らしい、素晴らしいきつさって言われるんですよ 最初が一番きつい
聞いた話ですけど、もしかしたらこの急流しの途中に浄水場とかがあったりして、平地があったんですけど、このあたりなんか
八幡の巨漢とかがあったんじゃないかっていう話は聞いたことがある 何らあれが起こっているわけではないんですけど
普段は上ではなくて、住んでいるところ
やばい戦いがあるときにみんな上に行くので そういうことなんですね。山地に行って
石垣の魅力
そうですよね。普段から山の上に住まれんですもんね ただ上も結構移動跡があったりするので
それが八幡の時代なのか、小林川さんの時代なのか分からないですけど、生活できるだけの
ダイグラインみたいなのが作ってあったのかもしれない
山城って普段から山の上に住まれんけん、平和なときはふもとのお屋敷に住んでなくて、いざ戦うときに上がっていくわけですね
誰かしら若干滞在したかもしれないですね。 明らかにしておくわけでもいいかもしれません
何々こうやって築くようになっているのが山地なんですね
そちらから今はあったかもしれない
すごいですね、山の上
いろいろ島の方が飾っている
あれ?図があったんだけど
ちょっと見えにくいですけど 香川玄太郎さんが描いたスカーン図で、すごくわかりやすい八幡山城の図ですね
そりゃこういった形だったのではないかと
ちょっと暗いんで見えにくいんですけどね
今はこっち側ですか?そうですねふもとのここら辺ですね
僕らはここら辺にいるんですか?そうですね、登っていって、たぶん途中からこのいわゆる道になっているところに登山道が入っていって
ちょっと見えにくいんですけど、この西郎山という西郎山とこっちに松尾山という2つあって
尾根があるんですけど、尾根の両脇を石垣でめちゃくちゃ細尾根だったのを広くしていて、面積を確保しているんですよ
すごい特殊な構造というか、意外と全国いろいろ、まだ見たことがない、ここしかないんじゃないかと思っている
素晴らしい石垣が、石垣を補強しているのがあるので、これが見えます
おそらく小林川さんの時代にやったと思われるものですね
山の山頂とか、今から歩き始めてどのくらいですか?20分くらいですね
今からちょっと分岐点で、いつも登山するコースはこの左ですね。そうですね、普段山登るときはこっちに行くと思います。こっちはなんか行かないですね
石垣跡がこちらで、どちらでも山頂には行けるんですけど、いわゆるこの山代、特にこの
そうですね、車だったり小林川さんが作った石垣だったり、それがたくさん見れるのはこちらのコースになるので
なるほど、山代好きにはこっち、普通の登山客はこっち
なるほど、そういうことなんですね。なんですけど、こっちはよく登るんですけど、わりかしこっちは登ったり下ったりで平坦なところをずっとこのすずら折れで上に行くような形なんですけど
こっちは直で行くので、わりかし200メートルは結構きついです。なるほど、まあでもちょっと行ってみましょうか
これまでもまあまあきつかったでしょ?そうですね、入り口のコンクリートはきつかったと思うんですけど、ちょっとアレクラスがちょっとしばらくあるかもしれない
両頑張ります、行きましょう
坂本さん、この番組を続けていくためには、われわれ減量しないとダメだということが
来ましたよ、坂本さん
あれはきついですね
石垣は見ないとですね
さっきの、普通の登山者は向こうに来ます、石垣を見たいからこっちに来ますと言って、5分10分ぐらい、5分ぐらいですね
ちょっと確かに急でしたね、階段が。死ぬかと思いました
で、石垣です、例の石垣に来ましたということですね、綺麗ですね
何回か見てるんですけど、改めて見ると綺麗ですね、しっかり作ってありますよね
上の面積を確保する意味での石垣で造成をしているんですけど、ポイントだけでこうやってしっかり
いろんな大きな石、小さな石を組み合わせてちゃんと作っているのが綺麗ですね
いわゆるこの上を、こうなっているものを台形にしたかったってことですよね
どこを台形にしたかというと、石垣を作ることで三角形の山を台形にした、上を広くしたかったんです
なるほどね、平面を取りたかった
ここを登ってやったらすぐ分かれてます
広いんですか?
オネって狭いんですよ
なるほど
このぐらいしかオネってないはずなんですけど、おそらくそれを平坦化してずっと
向こう松尾山っていう山がある
松尾山の建物があった跡があるんですけど、こっちがメインの平廊
松尾山で現在は
繋いでいる
こっち側にも石垣がある
こっち側にも破りになっているんですけど、そこの方にやっぱり石垣が残っている
へー
平坦地の可能性
ちょっとこっちに行くと
もっと綺麗な石垣が向こうにある
へー
ここは石垣は見えないけど、崖だった跡は分かりますね
下の方にもね、一旦面石が残っている
へー
あ、ほんとだ
あららら
ちょっとあっちに行ってみましょう
ここも結構綺麗に渡っているポイントの石垣
ほんとだ
おそらくその上の狂わって言うんですけど、平坦面を確保するために
平坦面を確保、面積を広げるためにこの石垣をあの斜面に作って
あー
広い
NHKの番組で岡田亮さんが言われてあったのもあるんですけど
こちら側の面、確かこれ北になるんですよね
こっちの面に狂わがめちゃくちゃ70くらいあるんです
狂わがわかる
狂わ
いろんな目的、兵が駐屯したり、いろんな目的があるんですけど
平地にしている平坦面の狂わ、人工的に作った狂わ
狂わって
それは寝るために
諸説あるんですけど
陣を敷くために
寝るためにあったかもしれない
雑魚寝したりとか
今この平地に来て一番最初に思うのは
キャンプできそうだな
そういう可能性がありますよね
平地で
それがいっぱい壇上にあって
秋山谷っていう谷が一本あるんですけど
おそらくそこからみんな侵入をしようとして
それに対して狂わをいっぱい作って
兵が隠れたりして
やっていたんじゃないかと思われる
この狂わのは
橘さんの時代の
古いものですよね
それにおそらく石垣栄子の小林さんがさらに
高まりを作ったりして
回収をしていると
なるほど
本当はここもあったんだけど
ちょっとバラバラになって
崩れて
これはどこにもともと
あったと思われる
この山の中に採ったんじゃないかと思う
おそらく
崩しているので
これは
もう一個下かな
ここ
段々と
なかなかの
個人的に言ったら
このラインがめちゃめちゃきれい
おそらくこれも当時のままだと思う
へー
確かに
なるほど
きれい
仕事が丁寧
この平坦地もだんだん続いている
こっち側の面だけ
あくまで家庭ですけど
あっちから窪みが
侵入してきてもどこからでもみんな見れる
向こうもこういう団地があるので
みんなこうやって
向こうが東側ですか
どっちかな
侵入してきたのが西だと思うので
西から来るんですか
この上行ったら
こっち側が福岡市川
北であり西
北西ですね
入ってきて
立花城の構造
全然やれるように
わざとそういう風に作っている
見えるようにして
ここら辺で隠れても
わからないので
なるほどね
ここで隠れて下から来たやつを撃つと
やったんじゃないかなと
面白い
これをね
させられるほうがね
いつ撃たれるかわからない
鹿之助は思うところはあるんですか
そうですね
九州の山城の
山城で起きた滑舌の特徴の一つとして
通路とか
小口の周りじゃなくて
斜面で行われることが多かったんですね
そういうのが結構色濃く残っている
城なんじゃないかなと
なるほどね
面白い
鹿之助すごいな
すごいな
よく小口が
ゆくゆくいろんな山城行っても
マス型だとか
小口があるんですけど
小口の先頭っていうんじゃなくて
小口が多かったらしいんですよね
小口も確かに
ワンクッション折れ曲がったりとかして
兵がザーッと来たら
マゴマゴしないといけない
そこで狙って撃ったんじゃないかと
考えられるんですけど
そこの先頭ではなくて
斜面とかが多かったって話
なるほど
鹿之助さすが
こんな感じで
人工的に作兵をしている
軍兵
車だったと思われる
記憶曖昧なんですけど
もしかしたら
折れ曲がっているのは
当時の流れから来ているのではないかと
そういう
小口が屈折している
この小口っていうのは
道のことを言うんですね
入口ですから
だから
虎の口
虎の口
古時代から
軍事用語みたいな
海外のお城付きの方がいて
どういう表現しますかと
デスボックス
ここで
キルゾーン
しているそうなんですけど
小口もさまざまあって
普通にまっすぐで入れる小口もあるので
それがどう有効だったかなんとも
わからない
歴史的背景の考察
突破するっていう
そういうことでしょうね
まもなく山頂です
ここを見つけた石垣山とも
この面を
持っていても
入口小口だったんじゃないかと
言われている
小口小口って言葉が出てくるので
ちっちゃな口で使ったら違うんですね
タイガーの虎の口
入口
入口です
昔は小口って言われたんですけど
最近は普通に入口って表現されている
わかりやすくされているみたいです
ここがまさに入口だった感じ
敵はここまで来れないってことですよね
ここでもたつくときに
矢が来るって言ったりする
狭くしとったところ
本当そうで
ここまで来てるってことは
何人倒したってか
ここで腹切りますどうしますみたいな
もう攻められてたね
逃げましょうかどっちか
最初の石垣があったところぐらいで
守り寄る内側
城はこの上にあったわけ
これ全部城です
これ全部城
そういうことですか
山城っていうのは
ここに最初に石垣があったよ
あたりぐらいからずっと
建物がいっぱいあった
そうですね
どこからお城にするか定義にもいれます
防御施設という意味では
もう塀で守られている
僕的には
どしろとレベルゼロの話で
全国の山城ファンの方は
怒るかもしれないけど
この上に
小さい熊本城みたいなのがあったんじゃないかなと
そうですね
そう思っちゃいますね
違うんですね
あった分もあるけど
そうじゃなくて全部城だと
なるほどね
例えば熊本城で
天守だったり
やぐらもあるんですけど
僕の中では同じ
あくまでやぐらのパーツの一種でしかない
集合体が城
そういう分では山城って
巨大建造物
単純にとんがって
デコボコにして
じゃなくて
よくわかりました
一番上にあるところが
四角と言われているんですが
手前の中で一番大きい
車だったと思うんです
冷却地で
河原が
落ちている
おそらく河原だと思うんですけど
だからやっぱり建物が
あったのではないかと思われるんですよ
河原がいっぱい落ちている
当時のものってこんな
そうなんです
ゴミが捨ててあるものごとく
あるんやね
河原の焼き物の
線状の形によっては
千年以降とかあるんです
まだ正確に覚えてないですけど
ぐらいで
そういう建物があったんだろうと思われる
さらに上に
確かにアイランドシティ
このあたりかな
公園があるんですけど
那島公園が
あのあたりに那島城がある
あそこに小羽岳
高崎はやがて市区を
廃墟に
廃墟にあった?
廃墟に築いた
新たに
那島城で
江戸時代に近い
戦国で一番
終わりがある
若干石垣というか
残っているんですけど
ほぼほぼ宅地化されているんですよ
いわゆるセームというか
そういうのはここではできないですよね
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