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2025-05-11 23:15

15|天守台の下に古墳?天守台発掘調査で期待される成果とは。【福岡城天守台編】

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

福岡城天守台の発掘調査に伴い、天守の有無が注目されていますが、天守台の下に古墳が眠っていること分もかっています。近世城郭と古墳。意外な関係性に迫ります。

◆出演:清田進(郷土史家)、坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)

◆収録日:2025年3月30日

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Summary

福岡城の天守台に関する学術的な発掘調査が行われており、天守閣の存在やその構造について新たな知見が期待されています。調査の結果、古墳時代の遺物が出土する可能性があり、地域の歴史理解が深まることが見込まれています。福岡城の天守台の下に古墳が存在する可能性が取り上げられ、発掘調査が実施されることになります。この調査により、歴史的な遺物やその周辺の神社との関係が明らかにされることが期待されています。福岡城の天守台周辺での発掘調査は、古墳や航路館などの歴史的遺産の発見を期待させています。歴史の再評価と地域の宝の保護の重要性が強調されています。

福岡城の天守台とその意義
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力を、現地を歩きながらお話ししてまいります。
山城の研究は、地理や歴史だけでなく、軍事や地域経済など、いくつもの側面があります。
かつてその地で暮らした人々の息吹を、一緒に感じてみませんか。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞民の横山智則です。
そして今回、福岡城シリーズ第4話。
西日本新聞の坂本さん、りょうさん、それと、京都市下の清田進さんとご一緒です。
今日もよろしくお願いします。
いよいよ天守台の下まで。
天守閣を攻めろと思ったら登れない。登れんかったですね。
無念でござるが、ここでお話を。
今ちょうど天守閣再建、新築同行で話があってまして、
学術的にと言いますか、天守閣がなかったと言ってらっしゃるのは旧代の服部秀夫先生で、
私は服部秀夫先生の文章論文をだいぶ読んでまして、
いろいろ参考にさせてもらいますから、大変申し訳ない言い方なんですけど、
なかったというのはですね、いろいろこの資料等から考えるとですね、
ちょっと無理があると。
服部先生は、黒田さんお金がなかったから建てんかったじゃないとということなんですけどね、
ちょっと無理があると思います。
私が一番参考にしているのは、工科士博物館の館長になられた旧代の先生でありました中野人志先生ですけども、
中野先生は館営15年頃までにあったけれども、
何らかの理由で天守閣は失ってしまったんだということであります。
それは、そこまであったというのはですね、
黒田忠幸の具体的な命令の書上なんかも残ってましてですね、
天守閣の面倒を見てました侍であります郡正太夫と野村駿、
この二人が忠幸時代と天守閣の面倒を見させられてたようでですね、
二人に対して天守閣の内部にありますいろいろなものですね、
もう再度改めて一覧にせよという書上が残ってます。
それとあともう一つは天守閣に置いているお金金銀をどうこうしろという司令の書上を残してます。
ですから忠幸時代まではもうはっきり天守閣として書いてですね、
ですからあったということですね。
関原後の1601年くらい以降に建てられて、
丹永15年、1638年、
建てられて30年後くらいまではあったのではないか。
亡くなった理由はですね、中野先生も何らかの理由でという、
ちょっとそれまでのですね、やっぱり忠幸の書上などに、
雷が落ちてどうのこうのみたいなのもあるからですね、
一番可能性が高いのは天才じゃないでしょうかね、
発掘調査の開始と目的
消失したというようなですね。
その後ですね、歴代藩主は再建しなかったということなんです。
ちょっとこれ打ち合わせて今話してなかったので思い出したんですけど、
変わってですね細川藩熊本の場合はですね、
何度天守が焼けても地震で崩壊しても再建してます。
だから細川藩はですね藩主の意思で明治10年に再び焼け落ちるまで、
西南戦争に焼け落ちるまでですね、維持されたということなんですね。
まあ福岡の藩主はですね、やっぱりその辺天守に対する
執着心がさらっとしてたんだと言えます。
実際長政がですね、今ちょっと話題になっている長政の天守閣についてのですね、
考え方を細川忠祐がですね記した書上、
これがですね、天守閣再建したいという方の中でですね、
まあ天守はあったんだと証拠に挙げられる書上なんですけども、
その中で長政がですね、忠祐いわくですね、
長政はもう天守閣を壊すらしいぞと、
息子に対してそういう書上を送ってるんですよね、細川忠祐が。
どうも黒田の長政は天守閣を壊すらしいと、
その壊す理由の中に、いやいやもうこの太平の時代になって
攻められても徳川様が守ってくれるから天守閣はいらないんだと、
長政は言ってると、忠祐が書いてるんです。
それは事実であればですね、
長政自体その天守閣に対するそのこだわりがなかったとも考えられます。
ちょっとその忠祐と長政はまたある理由で大変対立してましたからね、
忠祐がまあ膨らまして書いてるかもしれませんけども、
事実であればですね、長政候補の時代から
黒田家は天守に対する執着がなかったんじゃないかと考えられます。
江戸城もあれですよね、かつて天守閣がありましたけども、
大火で焼けた後に再建するかどうかってなった時に、
その国家良さの当時点で再建するよりも、
その民を救ったりとかその国の安定に使ったほうがいいということで、
もはや戦国の時代ではないので天守閣は必要ないということで
再建しなかったということなんですよね。
天守台だけが江戸城に残ってます。
だからまあ私はですね、細川藩と比べた場合ですね、
やはりこういくら天才にあってもですね、
こだわって天守を再建してきたと、
それはまあ細川家の反風と言いますかね、反のあれですよね。
一方、長政がそう言ったと事実かどうか分かりませんけども、
天守の後不要であるというのが黒田家に伝わる反風であると、
それを無視して現在の私たちがですね、
無視して再建するということはどういうことかという点も、
実は私は考えております。
ちなみに福岡市、福岡城跡は国の史跡ですけども、
天守台で初めてとなる学術的な発掘調査が今年6月にも着手されると。
福岡市によると国の史跡に指定されている天守台での発掘調査については、
今年2月に文化庁から許可が出たということで、
6月にも初めてとなる学術調査をすると。
発掘調査は東西に25メートル、南北に22メートルの天守台の一番の頂上部に
半年ほどかけて進められますと。
天守台が天守閣の重さに耐える強度があったか、
それだけ重い建物が乗るだけの強度があったかどうかとか、
手掛かりとなる出土品がないかを調べるために、
レーダー探査やボーリング調査も実施すると。
少し掘り返してみるってことでしょうね。
新年度中に調査が行われるので、期間中は天守台への立ち入りが制限されます。
それで、今日もたくさんの方が調査始まる前に行ってみようということで、
行列を作ってて、我々に乗って。
人が多くて、我々は天守台に攻め登ることができなかったということですね。
実際、調査の意義というか。
文化庁側はですね、
古墳時代の発見の可能性
結局、あったかどうかを確かめる調査なんですよね。
文化庁側が進捗させない理由というのは、
再建ではないからなんですよね。
結局、構造上の確証がないということなんですよね。
あったかなかった問題じゃないから。
ちょっとこれ以上は言いませんけど。
ちょっと今、大変失礼な単語が頭に噛んだんですけど、
申し訳ませんけども、ちょっともう視点がずれてるんですね。
それで私としてはですね、それより調査するんだと。
実は学術的な、いわゆる高校学的なのは調査されたことないんですね。
これまでね。
ないんですね。
ないんです。ないんだけども、
実は昭和39年にNHKが学者さんに先駆けて、
実は天守台を掃除しよったら、
古墳時代の石棺が見つかったという報道をしたんです。
それを高野孤六というザイヤの研究者がニュースを見まして、
石棺が天守台にあったのかということで、
翌日だからすぐ見に行ってですね。
見に行くと、なんとその石棺がですね、
それを割ろうとしてたんですよ。
お前どうするかって言ったら、
重いのを残土処理所に持っていくのに重いから3つぐらいに割ろうと思うんだけど、
実はちょっと待ってくれた高野さんはそこで止めてですね。
有名な航路勘を発見することになる道を開いた平山定次郎先生を呼んで、
お医者さんですけどザイヤの研究者とですね、
航路勘などを研究してこられた平山先生を呼んでですね、
いやこれはもう古墳の間違いなく石棺であると、
火継ぎってことですね。
火の火継ぎであるということで、
それでなんとか救われてですね、石棺救われて、
これ何がわかったかと言いますと、
高山五六さんのレポートでは間違いなく地山の上にですね、
地山の上にこの天地台はあると。
地山の上に石棺が乗っているということは、
古墳時代の地面が残っているということなんですね。
ということはですね、今回の調査で掘るとですね、
古墳の遺物が出てくる可能性があるんですよ。
なるほど。
かつてさっき平山次郎と言いましたけど、
ここは丘、丘陵、山があって、
そこに天地台ができたんですけども、
そのもっと前にさらに古墳時代、
航路勘の時代よりもさらに前に古墳があったと。
頂上部分だからということですかね。
一番山の上に。
古墳の丘陵ですね。古墳の墳球化。
墳球をほぼ削らずに天地台の床というんですかね。
があるということですね。
天地台の床というのは専門用語で何て言いますかね。
天地台の床ですね。床面があるんだということですね。
古墳の存在の可能性
じゃあ古代の古墳の墳球化ですよね。
その丘陵のところに天地台を作ったという。
で、高山五六さんのレポートでは、
もうほぼそれを掘り下げてないと。
せっかくある位置、せっかくどろんと残ってたということですからね。
掘り下げてればそのせっかくは
どこか持っていっているというか、
それがそこに残っているということは掘り下げてないということですね。
墳球の周りを石垣で固めて天地台を作るということですね。
そうですよね。あと周りを整えて。
けこ神社が今もう天神のあそこにありますけどね。
けこ神社はその辺にあったんですよ。天地台の下にあったんです。
この辺は最初の空間であったと言えるんですよね。
けこ神社についてですね。
茅原意見がなんかよくわからん神社みたいなことちょっとあれですけどね。
書いてます。はっきり言うとなんかよくわからんなーみたいな。
で、おそらくですね。高山五六はですね。
五六氏はそのそれをレポートしてるんですよ。
そのレポートの150ページ程度のですね。
平和大の考古資料というレポートしてます。
手書きでですね。副題に唯一その残ってまして
この間コピーしに行ったんですけど。
自分がその石鹿を救ったという記事の後にすぐ
けこ神社のことを書いてるんですね。
で、けこ神社はここにあってみたいな。天地台の下にあったみたいな。
調査の背景と歴史
書いてるんですけど。おそらく熊本の秩父参考分がそうなんですけどね。
近世になるとお乳が出る神様として
秩父参考分の現出自体がお祭りの対象になってるんですよね。
それを考えるとけこ神社の前身があって
古墳があったということは。もしかしたら古墳をですね。
お祭りする拝殿がけこ神社とであったのではないかと。
まあその高野五六がですね。石鹿を発見した後に
けこ神社のことも書いてるんで。
高野さんもそれを骨化したかったんじゃないか。
そういうことではないかという見合いで
その順番で書いてるんじゃないかと思うんですよね。
石の棺ですよね。それはどこにあるんですか?
普通に考えて福岡市博物館あると思うんですけど
ちょっとまだ確かめてないです。
坂本さん今度聞いてみてください。
その天地台を掃除しようとしたら手が出てきたって。
それを割ろうとしたけど。
それを止めたまでは書いてるんですね。
高野さん考えて福岡市博物館あると思いますけどね。
面白いですね。
それがもしかすると今回の発掘調査で
何らか分級跡がつかるかもしれない。
負草品が出てくるかもしれない。
その時にちょうど五六さんが止めた時に
石工の親分にですね。
当領にね。他なんかなかったかと聞いたら
なんか壺みたいなのがあったか何かみたいな。
なんて書いてたか。要するに何かあったけど
よくわからんことを言うとったっていうから
どこか持っていったってことですよね。
石工って石工のことですか。
そうですそうです。
その時ですね。
なんでNHKの記者がそれを見たかと。
整備してたんですよ。
全体として福岡城が多分その時が
福岡城が公園として整備された最初じゃないですかね。
その中の一つの工事と言いますか。
整備の中でこの天守台の中に入って
石工さんが石垣と触ってたんじゃないですか。
そこをNHKの記者がたまたま来て
これ石幹だって言って
だからそれは全く工工学に詳しい人だったんでしょうね。
記者が。それで報道したのを高野さんが見て
たまたま見てこれはもしかして石幹がね
どっかに持っていかないかもしれないと思って
見に来たってことです。
実はこの給料はですね。
コフン実は福岡市博物館の方としては
このケゴ給料とこの給料
福岡城の給料を名称してまして
ケゴコフン群と呼んでます。
だからこの天守台は福岡市博物館の方では
天守台コフン群と名称してます。
もう少し南の方に行きますと
実はこの赤坂山がありますけど
赤坂山の横には築地用ワーキングがありますけど
築地用ワーキングの中は2つ丸山コフン
チャウス山コフン2つ60メーター級のですね
長さがコフンが確認されてます。
その近くにはもう1つチャウス塚コフン
というのがありましてですね
実はこれ3つですね
江戸時代から確認されてたんですよ。
築地用ワーキングの丸山コフンの方は
貝原一軒がですね
丸山ってところでたくさん円筒状の川崎が出てると
それは円筒埴輪のことですね。
あとはその後は築前色不読記
不録を書いた加藤一巡という人がですね
一軒の続編を書いた人がですね
やっぱりチャウス塚コフン
チャウス塚っていうのがあってみたいな
その後また築前国族不録周囲っていうのがあるんですよ
これは青山完全に延ぶって書いてあります
そこはやっぱりチャウス山っていうのがあって
って書いてありまして
それを平成7年の高価値の調査でですね
コフンと確認できたんです。
それがこの天守台のですね
天守台古墳の南側にありまして
この北側に行くと航路間の周りからですね
古墳の副葬品と確認されるものがいくつも出てまして
航路間の周りからはですね
調査への期待
航路間確かABC古墳
少なくとも3つから4つ古墳があったってことが
確認されてます。
渡しました資料になります。
だから私はですね
黒田のことも知らせますけどね
今回の調査は本当は古墳時代の新しい知見が
出るのを楽しみにしております。
楽しみですね
天守閣の瓦みたいなのが出てくるかもしれないけど
さらにもっと
頭とか
谷はみたいなのが出てくるかもしれない
歴史的な意義があるものが
出てくるかもしれない
面白い
さらにですね
これがですね
福岡城が建設される前の
福岡城
黒田がこの辺の地形を扱う前の
創造図なんですよ
これ福岡市博物館の図に
私がいろいろ書き加えてるんですけど
このアルファベットで示してるのが
古墳の
まさにこの周りに先に
天守台がありましてですね
それとですね
さらにこのBC
ここは
よくある博多古図というのに
ありまして
これが埋め立てる前の
お堀子の入り口なんですけど
大築市小築市というのがありましてですね
貝原一見が
築前古墓付属に書いてるんですけども
ここには
毎年
秋だったか
春の大祭でですね
墨尾神社さんの御御徒が来てお祭りをしてると
それは
墨尾神社さんというのは
祖骨像の神が
最神ですけども
しかわむのみ神社さんは
渡積神の神が最神ですけども
同じ時に生まれた神様
孟積みの神
というのがですね
この大築市小築市
この大堀公園の
かつて
入り口であった岩床
大築市小築市に
孟積みの神が降臨して
そこに墨尾神社さんが来てですね
来て
お祭りをしてたという記述が
貝原一見やってます
ということはですね
赤坂山
もっと南行きますと
現在
動物園等があるですね
江戸時代は大旧山といった山から
赤坂山
そして福岡城の天守台
大堀公園の出口
ずっと
お祭りの空間だと
いうことが言えるわけでございます
まあ以上
学士のとこは以上ぐらいですかね
いやーどうもすみません
調査がどうなるか
楽しみですよね
楽しみだと思いますね
調べたことが今までなかったというのは
それはそれで不思議だなと思いますけど
これは多分ですね
天守台の組織もあるんですよ
天守台としては
それ以上の調査の必要がない
ということだと思いますけどね
組織も16個ぐらい
天守閣の柱を支えた組織が
16個ぐらいありますからね
並んでますから
まあ調査は必要ないという感じだったんですよ
天守台ということですね
そうです
それ以上の
まさか古墳があるというようなことは
想像もしなかったでしょうか
天守閣があったのかなかったのか
そしてそれを再建するべきか
新築すべきか
いろいろ議論がありますけども
天守台を調べること自体は
すごく意義があります
私の興味はもうそっちのほうに
もっと奥
薄い歴史のところがね
古墳時代の何が出てくるかなという
面白いですね
古墳時代からこの辺りは
発掘調査の重要性
だから王様が住んでたから古墳があるってことでしょ
そうですね
住んでたらそれの平地でしょうけど
祭祀の空間
住宅があったってことですね
それがその後航路館となり
そして福岡城となって
なるほど面白いな
4話に続いて福岡城
届きましたけど
いかがでしょうか
それで言うと今回のこの地域の話題として
一個取りこぼしてるのは航路館なんです
航路館の話まだしてないんですよね
なので航路館の
あの頃の博多の街の話っていうのも
ちょっと戦国山城ポッドキャストからは
ちょっとまたずれるかもしれませんけど
まあまあしていきたいのか
どっかのタイミングでしたいなと思いますけど
航路館っていうのを簡単に言うと何なんですか
地域の文化保護
いきなり航路館来ますね
外国施設ですよね
元は畜生の室積みと呼ばれてまして
対外施設が出てくるとき
あるいは対外施設が来るときに
受け入れ等をやった
モテなしで
やっぱりということです
モテないと同時に
いろいろな対外的な事務処理を
やってたと思います
ありがとうございました
沢山いかがでしたか
福岡城を実際に
京都地下の教授さんと一緒に歩いたことで
より歴史が見つかりにくく感じたというか
また知らなかったこともたくさんあって
地域の宝だなと改めて思いました
本当めちゃくちゃ良かったですね
そうですね
面白かった
大事にしていかないといけないですね
そうですね
大事に
できるだけ施設に乗っ取った方で
大事にしてもらいたいと思います
なるべく思い
あとググヤクラの再建
やっぱりこれぜひという
福岡城という点では
とにかくググヤクラなんですよ
あれほどの規模で
資料も残ってる
余計な方に精力を
私に合わせれば全く取ろうと思いますから
文化庁がこれで許可を下ろすと
例えばもうちょっと飛んでしまいますけど
日本の世界遺産ってどうなのって
ユネスコが思うと思うんですよ
なるほどね
日本の文化庁のユネスコに対する
方向というのは信用できるんじゃないとって
私は大変飛躍しますけど
そこまで思ってます
いろんな意味で調査を見守っていきたいですね
面白いですね
ありがとうございました
ありがとうございました
それではエンディングでいいですか
一つお知らせをさせてください
西日本新聞のポッドキャスト番組は
また一つ誕生いたしました
番組のタイトルは
西日本新聞ゆるり政治講
永田町で日々取材をする東京報道部の記者たちが
政治を身近に感じてもらえるように
ゆるりとニュース解説や裏話をする番組です
毎週土曜日配信です
それではエンディングです
ここまで聞いていただきありがとうございました
堀切さんが全国各地のお城を
ドローンで撮影したYouTube番組
空から攻めるは好評配信中です
それから堀切さんの空撮と
専門家の解説で九州のお城を紹介する
城九州戦国ドローンは
西日本新聞とスマホアプリの
西日本新聞MEで連載中です
ご購読の方ぜひよろしくお願いいたします
本日はありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
どうも西日本新聞MEです
このアプリではあなたの知りたい記事から
福岡の経済社会子育て教育イベント情報
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そう福岡の味方西日本新聞ME
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