ということでちょっと動画をですね、
2倍速で進めていきま、
あ、中に。
そうそう。
これね、26年の1月に見せてもらったときの。
もうつい最近。
つい最近です。
収録も1月なんで。
で、これがですね、
あ、今言った感謝っていうのが僕らの背景にあって、
それこそブログを書いてらっしゃる人たちも感謝側からですね、
ここからは入れないんだけどって言いながら解説してる、
いわゆるお城のブログとかもありました。
で、ちょっとだけここを止めたいんですけど、
ある種ここだけがですね、
まさにここが自衛隊の方たちは訓練に使ってる広場っちゃ広場。
小学校の運動におけるもだいぶ狭いぐらいのイメージだと思います。
半分か3分の1ぐらいのスペース。
小学校によるとは言いながらですね、
イメージとしては小学校の運動場よりも狭いぐらいのスペースなんですよ。
で、自衛隊の方に聞いてもですね、
自衛隊が訓練に使うからここは平らなのか、
それとももともと山路だったから平らなのかっていうのは、
正直よくわからんとおっしゃってたんですけど、
どう思います?
やっぱり自衛隊の位置がそもそもいつから成立したのか。
昭和30年?
昭和59年。
ごめんなさい、34年。
1959年に旧防衛省が、防衛省が購入したと。
誰から購入したかわかんないって言ってました。
おそらくこれは僕の想像で自衛隊の方も言ってましたけど、
今はこれ周りは全部宅地になってるんですけど、
ここだけがいわゆる自衛隊の敷地だから、
そのままの森みたいなことになってるんですけど、
おそらく昭和30年頃って、
この築志野市の二日市のこの辺りって、
全部田んぼとか畑とか基地とか、
そんな感じでその宅地は周りなかったんじゃないかって、
おっしゃってましたし、
きっとそうだろうななんて言いながら話はしたところなんで、
素人だから買ったとか、防衛省がですね、
って言うでもなさそうなんですね。
偶然買ったところがそうだったみたいなのか、
なのかなとかって言いながらちょっと歩いたんですけど、
これ見ただけじゃどうなんですか。
ちょっとなんともわからないですね。
なんともなんかやはり、
お城ってよくあるのは狂わっといって、
例えば小屋があったりとか倉庫があったりとか、
あと何にもないんだけど、
戦争が起きた時に兵たちがこうやって寝転がったりとか、
兵が駐屯したりとかする。
集まっとかないといけない。
そういう意味で平坦地、削減地を狂わって言うんですけど、
そういうのは結構いっぱいあると、
江戸時代とかで明治にかけてですけど、
それを利用して畑にしちゃったりする。
なるほど。平坦だからですね。
そうですね。
もっと言ったらもうちょっと付け足そうよって言って、
勝手にどんどん山の形を変えていったり。
手が入っていって、
どこからどこまでが改編をされたかってわからない。
なるほど。
なんとも言えないんですけど、
ただこれ本当に試験なんですけど、
奴隷とかっていうのは改編をするってあんまりないんです。
後から付けて奴隷作ったとかってないんで。
もしそういうのがあったら結構貴重なんじゃないか。
なるほど。
ちなみにここは自衛隊が訓練をするから、
芝刈りは年に何回かはもちろんしてる。
めちゃめちゃ綺麗ですね。
綺麗ですからね。
じゃあちょっと待って。
これでそう言うとですね、後からね、
奴隷っぽいんじゃないってみんなで盛り上がったところも出てくるんですけど、
これね、今ずっと今話した広場なんですけど、
これ上がっていってですね、
ここすごいでしょ。
広場がいいですよね。
そうなんですよ。
これ目の前が本丸山のはずで、
今森でちょうど綺麗見えないですけど、
こっちの左側は、それこそあのあれです。
塩路山。
大野城。
大野城。
岩屋城がこっちに見えてて、
それこそ今言ったように周りはもう、
ここ以外は全部周りは住宅地になっているんですけど、
ちょっと高いんですよ、やっぱり。
ちょっと高いだけだけど見晴らしむちゃくちゃいいんですよ。
それだったら本当にどっかしらの市場とか、
でも全然あり得ますよね。
何か状況変化し、乗ろしちゃいたりとか。
そうですよね。
すごい重要な場所ってわかりますね。
標高が70メートル。
70メートル。
だそうです。
この家の屋根から行くと2階ぐらいかなと思われるんだけど、
ここ自体、この目の前の赤い屋根の家も、
少し高いところにあるんで、
本当の平地っていうところから、
ゼロメートルから数えると、
やっぱ70メートルあるだけあって、
こうやって眺望がいいんで、
確かにここ、昔の人も城作りたくなるよね、
景色だったような気がするんですよね。
乗ろしをたくだけでも、
すごい意味があるというか、
フォーマン山城っていうのもあったらしいので、
ただもうコメカメから煙が出てるぞって、
それだけでも情報が伝達になるので、
すごい意味があると感じはしましたよ。
あれなんですね、
城主がまだ、原田御神っていう城主らしいんですけど、
詳しいことは不明ですよね。
それこそ高橋城雲が作ったとも言われている、
とかいう話で、
ここですね。
落下があるんですよ。
これは当時なのか何なのかわからないにしても、
人が掘らないと、
ちょっと進めたほうがいい。
あれですね、道路のちょうど先目見。
そうですそうです。
確かにここはね、
そうなんですよ、
ここから下を見下ろすと、
誰かが掘るのか、
いわゆる削るのか、
埋めるのかしないと、
こうはならないよねっていう雰囲気ではあったんですよね。
周りの状況とか見たら、
ただの丘とかじゃないというか、
本来はもうちょっといろいろあったんじゃないかと、
しますよね、なんとなくですね。
今奥で見えているのが、
それこそ大野城というか塩尻山。
いい場所ですね。
いいでしょう。
最初にこっちに見晴らしがいいところに行って、
その後ですね、
今度は来た道を戻りますなんですけど、
ここがここでですね、
ちゃんと道になってるんですよ。
ここがね、道になってるでしょ。
ザクッといって、
軽自動車1台登ってこれそうな雰囲気だったんですよ。
なんで、
これ今向こう側にもちょっとあるので行ってるんですけど、
これ一回止めて。
結構広いんですね。
思ったより広いんですね。
今映像飛ばし飛ばしだったんであれですけど、
さっきあの門を開けて、
最初に運動場より狭いぐらいの広場がありました。
そこから本当にこれと同じ雰囲気ですけど、
軽自動車1台上がれるぐらいの道と言えば道があって、
少し登って右に行ったらさっきの景色。
今これはT字型になってて、
反対側のTの左側に登ろうとしてるんですけど、
最初僕本当にこれ自衛隊の人たちが、
何か訓練か何かのために車一台通れるようにしたんじゃないかというぐらい、
綺麗なそのくらいの道なんですよ。
ただ自衛隊の人もはっきりしたことはわからないというものの、
別に上で訓練とかしてないし、
別にわざわざ車を通すような、
整備を自衛隊がする理由も一応ないらしいんです。
通信所を作るとか。
作るとかでも全然ないので、
この道はそれこそ城跡としての通路というか、
道だったのかもしれんよねって言いながら、
ここを歩いて行き寄りまして。
結構思ったら広いですね。
結構広くてびっくりしました。
この上で何か訓練をしてます順だったら、
後から自衛隊が道にしたともなるんだけど、
別に使ってない。
この辺りってどうなんだろうと思って。
広いですねそれ。
すごいすごい。
そうなんですよ。
これ右側だってどうなんですか?
明細の方の右側に映ってるもの。
これって高まりがあるんですけど。
この一本木がそこに。
地形が高まりがこうあるんですよ。
確かにもうちょっと上った方が。
確かにここがちょっと。
もう一回上りましょうか。
上ったら大体上り切ったイメージはここまでなんですよ。
これちょっと段がある。
段がありますね段が。
この奥はここが一応上り切った場所がここ。
ありますね右側やっぱり。
そうそうここを見せたかったんですよ。
これ多分どれじゃないですか。
わかんないですけど。
多分もうちょっと進んだら。
これ一緒に行った坂本さんて記者も、
これ土類じゃないって言って今興奮して写真を撮ってるところです。
これでも写真だけだったらわからないですけど。
そうなんじゃないですか。
ですよね。
ほろっとなったんですよ。
これがね。
進みますね。
やっぱそうなんだ。
じゃないですかねおそらく。
よく例えば外側に堀とかがあったりとかしたら、
一見土類じゃなくて掘って埋め戻したとか。
っていうので土類じゃないかっていうふうに研究されている場合もあるんですけど。
多分そういうのじゃなくて普通に、
例えば北側とかのある一定の方向だけ作ったりとかっていうのがよくあるので。
それとさっき堀切さんが言った土類っていうのは、
その前の映像で流してきた見晴らしがいいねって言ったところから、
今ずっと歩いてきたじゃないですか。
その右側っていうのは、
ある意味でずっとあんな感じでちょっと盛られてる。
そうなんですよ。
わかりやすいのは今の場所でしたけど。
だからおーとかって言いながら。
すごいですね。
それこそ自衛隊の人が後から作るような話とかじゃない。
多分ここが一番高い場所です。
場所としては。
Googleマップ的に言うと、ここに印が付いてます。
米紙表跡っていうだけ。
誰かが付けられた。
誰かが付けられた。
別に自衛隊の方が付けたわけじゃなさそうですが、
ここがGoogleマップでもここを指してますよねとかっていう話で、
ちょうどこれしてるのがこの辺りなんですけども。
それこそ今坂本さんの後ろがやっぱりちょっとそうですよね。
やっぱりそうなんですね。
じゃないですか。
ちゃんとありますねしっかりと。
やっぱり見ればわかるもんなんですね。
なんつうわけですかね。
長いですもんね距離がバッて今見てても。
そうなんですよ。
1区間だけ2、3メートルだけ横にちょっとありますよね。
じゃないですかねおそらくその。
で、これあれですよね。
このドルインの先はもう。
下ってます。
はいはいはい。
じゃないですかね。
ここでちょっと盛り上がったんですよ。
そうです。
で、仮にお屋敷とかがあるんだったら今僕らが映像で立ってるところが一番高いところだし、
そうなのかねみたいな話をしながらですね。
よく山頂というかいわゆるお城で主角、メインの車っていう書き方で主角って言うんですけど、
主角のとこにはちょっとドルインじゃないんですけど、
例えばですけどちょっと高まりがあってそこに3メートルぐらいの例えばヤグラとかを作れば多分もう一望できるので。
ヤグラ台とか作ったりするんですか。
今の。
今ね。
そういう意味ではね確かにそのおっしゃる通りでちょっと広場といえばその、
家1軒立つ2軒立つぐらいのそのあたりも。
しっかりありますね。
そう。
そうじゃないですかね。
そうじゃないですかね。
よかったよかった。
多分、多分、多分ですよ。
すごいしっかり残ってるんですね。
なんかそれがやっぱり丸々こうやって自衛隊という感じで残っているのがやっぱり奇跡ですよね。
だから今僕らが歩いているのが少し獣道というか車一台通るか通らないかみたいな道になってるんですけど、
これ別に自衛隊の人が訓練のためにしてるわけでもないという言い方なんで。
使ってるのは実は下の芝生のとこだけだって言ってたんですね。
福岡県教育委員会によると山頂部に本丸それから近くに二の丸三の丸もあったっていう記録が残ってて、
広場のその先の丘に登るとその法満山とかあと住宅地も一望できますし、
山頂部は平らに整地されてるっていうところまで。
あと調べられて、これも奴隷じゃないかっていうところですね。
奴隷に囲まれてる。
一緒に来たらよかったですね。
素晴らしいですね。
今映像では右左を映してもらってますけど、
今映ってるのが奴隷があったって言ってる方の道の右側がちょっと草むられてるっていうか木が生えてるところが奴隷があったところで。
反対を向くと見晴らしがよかったところに行くと。
これがT城になっててこれを降りていくとさっきの訓練をされてる下の広場みたいなところに降りていく感じですね。
素晴らしいですね。
そういったもんではほぼほぼ、周辺のところはもしかしたら帯クラとかにしてもいじったりしてるかもしれないですね。
でもこうやってメインのところはこうやって残ってるのは奇跡的ですよね。
この道も非常に怪しいんですよ。
最初僕は車通すために作った道なんだろうぐらい思って登ったんだけどどうもそうでもないという見方なので。
だったら上に土類があって、たぶんそのあたり一番高かったところも平らになっててそこにお屋敷があったとすると、
ある一部当時からもそれに上がっていくための道だったのかななんて言いながらですね。
というところでございますね。
上核の専門家で現地を調査したことがある立命館大の岡寺教授が航空レーザー測量で、
土地のデコボコ分析できる赤色立体図を確認したところ、他にも遺構が残存している可能性があるということだったそうです。
今後の調査次第では重要な知見を得ることも期待できるんじゃないかと。
梅上城の詳細がわかるということはこの土地の戦国史を知る上でも考える上でも大事なことではないかということだったそうです。
やっぱり自衛隊が保存しているというか。
本人たちも素人だから積極的に保存しているというよりも、
自分たちの使いやすい場所だけを使ってて、残りのところを別に手をつけなかったというのが正しいんだと思うんですけど、
おかげで今ご覧になったとおりで周りは全部宅地なんで、
おそらくそうでなかったらそれは団地か家かにひょっとしてなっててもおかしくないような場所だったと思うんで、
そうするともう何もわからなかったんだと思うんですよね。
率直にこの位置、お城ファンとしてはこの映像自体めちゃくちゃ貴重だと思うんですよ。
すごいと思いますね、相当。
そうなんですね。
確かに好きな人でもこれ自衛隊の敷地だから、
今新聞社でございますで取材に入れていただきましたけども、
普通入れないんですよ。
ここも少し高くなってて、これまた別の場所に登るとしてますね。
ここはここで少し高くなっててですね。
さっき見晴らしが良かったってところのすぐ下に今出ようとしてるんですよね。
この右上のフェンスというか柵になってるところに、
さっき見晴らしが良いでしょって残ったところがそこで、
赤い屋根とかで上から見下ろしてた屋根がここのお宅で、
ちょうどここもここで掘られてるか切られてるのかなっていう感じではあったんですよね。
こっちの住宅地のもとのほうも、自衛隊の方が言うには崖みたいに急な坂になってるっておっしゃってました。
崩れないように堂々としてるんでしょうね。
本当、住宅地の中にこうやってあるからはがりにくいんですけど、
結構もう独立者っぽくて給料だったのかもしれない。
ちょっと険しい。
えーですよね。
ここ歩いてるところもたぶん、掘ったんじゃないのかなーとかいう話をしながら。
何かしらの跡を埋まって、それから改建していったのかもしれないですね。
その下のここが一番広い場所。さっき入り口からすぐ見える。
自衛隊の方たちはここで、通信の訓練、
たぶんアンテナ立てるような訓練を年に何度かはしてるんですよみたいな話をされてましたけど。
ここは本当に平らで、僕キャンプ好きなんでキャンプするには持ってこない場所なんですけどね。