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2025-06-30 44:35

38|【特別編】九州プロレスのTAJIRIさん登場「プロレスの味わい」書籍化記念イベント(前編)

西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。

西日本新聞社は、プロレスラーで文筆家でもあるTAJIRIさん(九州プロレス所属)の新聞連載「プロレスの味わい」の書籍化を記念したトークイベントを6月15日、中洲の飲食店「酒一番」で開きました。聞き手は文化面デスクの小川祥平さんです。2回にわたってトークイベントの模様を配信いたします。

◆出演:TAJIRI(九州プロレス)、小川祥平(報道センター文化セクション)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)


◆収録日:2025年6月15日

◆新著「プロレスの味わい」を3人にプレゼント
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◆新聞連載「プロレスの味わい」
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サマリー

このエピソードでは、TAJIRIさんが西日本新聞社でのプロレスに関するエッセイ連載の書籍化を記念して行ったトークイベントについて話します。イベントは中須の飲食店で行われ、プロレスや作家としてのTAJIRIさんの経験が共有されます。九州プロレスのTAJIRIさんが出演するイベントでは、プロレスの楽しさについて語りながら、書籍化の経緯や自身の経験を伝えます。また、質問タイムを通じて参加者との交流が深まります。TAJIRIさんが海外での試合やプロレスの魅力、さらには作品の執筆過程についても語ります。最近の移動を通じて九州や国内での活動の楽しさを再発見し、プロレス文化の重要性を再認識しています。さらに、TAJIRIさんがメキシコでのプロレス体験やアサイ・ヨシヒロとの出会いについても話します。彼の小説化に関するエピソードやプロレスの魅力についても触れています。最後に、TAJIRIさんが新しい書籍「プロレスの味わい」について語り、エッセイや読者へのプレゼント企画も紹介されます。

特別編の導入
西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回からは2回にわたって特別編です。
6月にあったトークイベントの様子を配信いたします。
どんなイベントだったかと言いますと、
西日本新聞社は、プロレスラーで文筆家でもあるTAJIRIさんの連載、
プロレスの味わいの書籍化を記念したトークイベントを6月15日、中須野飲食店酒市場で開きました。
ということで、今回お話しするのはTAJIRIさんと文化面のデスク小川翔平さんです。
それではお聞きください。
本日はありがとうございます。
私、西日本新聞社の小川と申します。
TAJIRIさんの連載を担当したのと、
今回この本の担当をさせてもらって、
今日こういう形で出版記念パーティーという形で取り行うことができて、
皆さんご参加いただきありがとうございます。
弊社で出している本の記念パーティーとか結構あるんですけれども、
大体イベントスペースとか、あとはカフェでやることはあるんですけど、
さすがにここでこういうような飲み屋さんでやるというのは初めてで、
スタッフとかも初めてのことばっかりで、
ちょっと至らないところが多々あると思いますけれども、
それは何卒ご容赦願いたいと思います。
まず、主役のTAJIRIさん。
平均年齢が高いからびっくりしちゃいました。
なんか同窓会みたいになっちゃったんですけど、
一言も何もないんで恥ずかしいから次行きましょう。
ちょっとお酒が来るまでに時間がかかるんですけど、
いやなんかこの空気に押しつぶされそうなんですよ。
この本になったのは今年の3月なんですけど、
連載自体は2023年の、調べてきたんですけど、
2023年の10月に始まってるんですね。
それで最初、2023年というとTAJIRIさんは福岡に来られた年なんですけど、
実は私が頼んだわけじゃなくて、違う担当者が頼んだんですけど、
その最初の経緯みたいなところって。
会社にその方が来られて、一本書いてくださいです。
それだけです。
それが最初に前書きになっているやつなんですよ。
俺リングの上だと別に普通に喋れるんですけど、
こういうところダメなんですよ。
だから先に飲んでますんで。
人が3人以上集まったところで喋ると、もうそこからダメなんですよ。
だから結構苦手なんですよ。
どうぞ続けてください。
今日お会いいただいた方もいるんですけれども、
まだの方もおられると思うんですけど、
最初、駆け巡る自由のママチャリというエッセイがあって、
これが一番最初、うちの新聞にTAJIRIさんが載せていただいたエッセイで、
東京から福岡に来て、ママチャリを買って、
今までは電車ばっかりの生活だったけど、
自由気ままにしているという、ちょうど。
この表紙に書いてあるママチャリは本当に載ってるやつなんですよ。
書いてもらったんですよ。
写真をイラストレーターに貼って。
いつもこういう格好をしてます。
元々でもあれですよね、
こっち側に来たっていうのはそもそものあれなんですけど、
東京から福岡に来たというのはどういった理由があるんですか?
それはここに来られるようなコアな方は多分知ってるんじゃないかなと思うんですけど、
こっちのほうがよかったからですよ、簡単に言えば。
東京より。
東京のどういうところがよかったですか?
こっちの。
田舎のほうがいいじゃないですか、都会より。
それが理由ですね。
九州プロレスとの出会いも関係はしてるんですよね?
まあ、そりゃそうですね。
あと九州プロレスのやってることが、
日本のプロレスで一番素晴らしいと思ったんで、
九州プロレス以外でプロレスをやる気がなくなっちゃいましたね、だから正直。
それ、九州プロレスのYouTubeを見られたとかそういう話ですか?
最初の九州プロレス。
もう相当昔見てて、その時からここは何か違うぞってのは思ってたんですよね。
で、ちくんさんとたまたま再会する縁があって、話が一気に進んだ感じですね。
具体的にどういうところが?
いや、もう一般層のためにプロレスを見せてるってことですね。
この辺の話は、またそれだけをテーマにした特集をやったほうがいいと思うんですけど。
長いですよ、これ。
結局ね、誰かプロレスマニアの気分を害しちゃうんで、またの洗脳だとか言われちゃうから。
なるほどね。
それで、最初にこのエッセイをやったんですけど、
内情の話をすると、だいたい最初に1本エッセイをいただいて、
面白い人の中から、これは50回連載という50回エッセイを書かないといけないというアレなんですけど、
そのエッセイを見ながら、この方だったら書けるんじゃないかと。
選んでたわけですか?
そういうわけじゃなくて、毎週代わりでいろいろな方が最初から書き換わりでのエッセイを書いていただいて、
そういう中でも、この方のエッセイ読みたいねとか言うときは、50回エッセイを頼んでいるケースがあるんですよ。
それだけではないんですけど。
それで田尻さん、50回エッセイ誰がいい?って聞くときに、
田尻さんいいんじゃないかということで、最初のエッセイからたぶん4、5ヶ月後ぐらいにお願いをしに行ったと思うんですけど、
そこで、この方のエッセイを読みたいねとか言うときに、
最初のエッセイからたぶん4、5ヶ月後ぐらいにお願いをしに行ったと思うんですけど、
それで50回っていうのが。
もう1回やってほしいですね。
100回ね。
50回で毎日だったじゃないですか、だから毎日原稿料が入ってきて非常にありがたかったので。
一応、月締めであげるんですけど。
カレンダー丸付けながら計算してましたもん、毎日これで書けるいくつって。
間違いはなかったです。回数とお金は。
それで50回を頼んで、最初の頃に出てきたエッセイに、中須の酒場の話が出てきて、
それで名前は出してないんです。
それで中須に行きつけになった酒場があると。
それでいろいろこの中に詳しく書いてあるんですけど、名前は出てなかったんですけど、私は原稿を受ける立場で、
これは酒一番じゃないかと思っていて。
それで私も酒一番好きな店だったんで、ただその時は直接やり取りは全くしてないですよね。
一人を介して原稿のやり取りをしてて。
新聞に載って店の名前書いてないけどすぐに新聞持った人がここでしょうって何人も来た感じがする。
ですよね。私も一人でここじゃないかと思っていて。
それで好きな店だったんで、なんかいいなと思いながら見た。
それで親近感湧いたのが一つと、あと最初ここの店を見つけた下りがあって、
端向かいのホルモン屋に入ったら忙しそうで、一人客は相手してられんみたいな話で追い出されたじゃないですか。
その後は九州プレイスのスポンサーさんの社長の関係で、ある社長さんがあの店をすごい気に入ってて、
その後何回も行くことになっちゃって、結構呼んでなきゃいいなと思って。
それで端向かいで行ったけどダメだったんで、逆端向かいの店に行ったらこれが当たりだみたいな。
それでやり取りする中で色々修正が赤が入ってきて。
最初は多分違った表現だったんですよ。
端向かいから逆端向かいみたいになって、そういう手の入れ方もなかなかいいなというか、
偉そうなことであれなんですけど、直し方もすごいいいなと思いながら。
それでプロレスもやりながらこういう文才もあるんだっていうが最初の印象というか。
そこからだんだん田尻さんという人物だったり文章に引き込まれていったっていう形で50回がスタートした。
イベントの参加者と反響
そうでしたか。
どうでしたか、この50回。
50回書いてる間にこの本にも出てくるんですけど、ヨーロッパに行ったりとか1ヶ月以上行ったりとかしたんでですね、
結構書き溜めたんですよ実は。最初に20回分ぐらい書いてまとめて送っちゃったんですよね。
その後ヨーロッパから現地で書いてだんだん追いついていった感じですね。
でも楽しいだけでしたね。
そんな50回で皆さん他の方で50回お願いするときやっぱり大丈夫かなとか、
毎日ある週5回あって10週基本は続くんで、
大丈夫かなとかすごい警戒したり心配される方がほとんどなんですよ。
それはなかったんですか。
全くなかったです。
どれぐらいで、どういう感じで書くんですか。
早いとき30分ぐらいですね。
後で見直したりする時間は少しですね。
今日はちょっと中断しますけど、
皆さん私たちスタッフもお客さんとしてイベントスペースじゃないので、
ここ定員があってスタッフもお客さんとして数えられていて、
一応スタッフとかも6人ぐらいいるんですけど、
ちょっと飲みながらというかお客さんとして飲ませていただきますのでよろしくお願いします。
ちょっと乾杯。
もう恥ずかしいから岡田さんでやってください。
いいですか。
ではすいません、失礼いたします。
じゃあいいですか。
今日は本当にありがとうございます。
田次さんのトークに私も。
お母さんのトークみたいな。
もうちょっとエンジンがかかっててあれですけど、
今日はよろしくお願いします。
乾杯。
あとドリンクの注文は本当に遠慮なさらずどんどんやっていただいて結構なので、
声を上げていただければこちらが伝えます。
あと食べ物も焼き鳥とコロッケが来るんですね。
なので卵は1人1個でコロッケも1人1個で焼き鳥は1人3本ずつ来るので、
適宜分け合ってよろしくお願いします。
あと落ち着いた時に追加注文の時間も取りたいと思いますので、
その時は白い紙とペンを置いてますので、
お席の番号と横にお名前書いて注文。
早めに頼みたい人どんどん頼む方がいいですね。
紙に書いてスタッフらしき人に渡していただければ注文しますので、
3本ずつです。
3本ずつ載ってあります。
注文もいくらでもしてください。
今日集まった皆さんは何を見てこられたんですかね。
最初新聞で告知をしたんですけども、
新聞を見てきてくださった方っていうのは。
こんなにいるんですね。
ありがとうございます。
ほとんど新聞で。
その後はネットにもあげたりしたんですけど、
今回すごい多数の応募がありまして、
ここ26人しか絶対入ったらいけないと言われていて、
スタッフが6人いるので、
20人だけしか入れなくなって、
それでかなりたくさんの応募があって、
イベントの概要と進行
厳正な抽選をした系。
5倍ぐらいあったんですね。
5倍はちょっと多かったです。
でもそれなりに結構来てます。
それで今日は7時には撤収をしないといけなくて、
大体1時間半ぐらいのトークがあって、
あとはサイン会みたいな形と、
あと追加注文した場合はその分の会計をして、
30分でしてみて、
7時ぐらいには終わりたいなと思っているのと、
あとトークだけで全部じゃなくて、
質問を寄せいただいて、
こういうイベントをやって質問も合わせて募集するんですけど、
今回質問率が異様に高くて、
普通は多分4割3割ぐらい、
質問もどうぞと書いて応募してくるとき4割3割なんですけど、
今回9割5分の質問率があって、
皆さんの質問も書き留めてきているので、
後半は質問タイムということで、
読み上げるプラスその質問をされた方で、
さらに問いたいときは手を挙げていただけると。
これ後日世界に配信されるんですよね。
その後、ポッドキャストとYouTubeで。
YouTubeで撮ってる映像も流れるわけですか。
映像も。
基本はこちらを撮ってますけど、
流れますので、後半は質問タイムにしたいと思ってますので、
よろしくお願いします。
書籍化の裏話
それで戻しますと。
連載は大変じゃなかったと。
全然大変じゃなかったです。
そうなんですよね。50回連載ってだいたい、
原稿用紙2.5枚ぐらいが1回で、それが50回あって、
50回連載、西大審務で歴史あるコーナーなので、
その後本を出される方は結構いるんですけど、
その50回だけだったらだいたい足りないんですよ。
本にするとこれの8割とか6割ぐらいになっちゃうんで、
50回プラス何個か書いてもらうっていうのが普通。
あと2人で話して、やっぱりあまりセコいことはしたくないということを言って、
それで本にするときに書き足してほしいとかお願いしたら、
すごいいいですよと言って、それもすごい早かったんですよね。
そうですか。
30数編書き足していただいたんですよね。
それもやっぱりすごいですね。
どっからネタというか。
どっからというか、経験してきたことを書いてるだけなんで、
いろんなことを味わってきたわけですよ、僕は。
だからまだまだ多分7冊も書けると思います、これくらいだったらって。
じゃあ今までの経験が積み重ねて、これを書こう、これを書こうって思ってるわけじゃないんですよね。
はい、もう次々出てくるんで。
1個書くと何か思い出すわけですよ。
また次のをすぐ書いちゃうわけですよね。
九州の印象と個人的な歴史
なるほど、すごいですね。
すごいですね。
それで30分で書ける場合もあるじゃないですか。
なるほど。
水耕とかしてどれくらいブラッシュアップされるものなんですか?
まあ、酔っ払って書くともっと早いわけですよ。
そして翌朝だいぶ直すわけですね。
まあいろいろです、だから。
こっち側に来てからの生活というのは、毎日基本的にはトレーニング、ジムに行って。
いやもう大したことしないです。
だから九州プロレスの道場で若い子を教えて、その時は自分のことは一切しないんで。
で、終わった後自分でパーって道場でやって、あとジム行ってウェイトやって。
多分ね、自分の稽古1時間もしないですね、僕。
でもこの歳になったらあんまりいっぱいやると体がね、もう痛くなっちゃうんですよ。
で、鍛えればそれだけいいことが起きるかっていうわけでもないんですよ、歳とると。
例えば野球の当初が、もうインターマギアに毎日300球投げてたら多分肩すぐ壊しちゃうじゃないですか、そんな感じですね。
じゃあそれがわかったのは何十代とかあるんですか?
ここ10年ぐらいですかね。
じゃあWWEに2度目に行って戻ってきたぐらい?
その後ぐらいですね。
わかったっていうか変わってきたんですね。変わったから変えなきゃと思ったんですね。
なるほど。それで今はそんなに自分のトレーニングはしないけれども、書く時間っていうのは?
何か書かなきゃいけないものがあれというときはいっぱい書きますけど、そうじゃないときは適当ですね。
全く何にもやらない。でね、最近ちょっとね、毎晩飲んでてですね、すごく夜の時間無駄にしてて、
なんとかこう自分回復を起こさなきゃなと思ってるんですよ。
だから今日も酒飲んで多分書かないと思うんですよ。
で、なんかね、ツイッターに変なこと書いちゃうわけですよ。
で翌朝起きてハッとしてすぐ消しちゃうわけですけどね。
前は意地でも消さなかったんですけど、最近どうでもいいと思って消しちゃうんですよ。
結構SNSのことで書くじゃないですか。批判的に書くことが多いとは思うんですけど。
そうなんですか?そう思いますか?
なんかそれは自戒を込めてっていうところもあるんですか?
ああ、SNSに対してですか。だからこの本にも書いてますけど、なくなればいいと思ってるんで。
この世からインターネットがなくなったら、昭和に戻ったら暮らしやすいなと思ってるんでですね、いつも。
でも思わず酔っ払ったらやっちゃう。
はい、やっちゃうね。なきゃない方が俺はいいんですよ、本当は。
もう余計なことも起きないから。
なるほど。それでもやりながら、酔っ払ったらやっちゃって、次の日ちょっと後悔して。
けど人間のイソハミってそんなことばっかりじゃないですか。
余計なことばっかりやっちゃって、また3歩歩いて2歩戻って、ちょっとずつしか進めないっていう。
そういう昭和に先ほど戻りたいというか、最初のこのチャリンコの話も、変な親父が昔はいたんだとか、
先ほども高輪駅で変な親父がいたみたいな話もされてましたけど。
やっぱりそういう風景というか、そういう憧れじゃないけど懐かしみっていう。
そうですね。
それがあるんですか、樋口さん。
チャリンさん自身の原風景ってどういうところにあるんですか。
ちょっと難しいですね。
もともと熊本を生まれるんですよね。それで玉投げを。
その時の記憶っていうのはあんまり。
その時はね、俺幼稚園の年長までいなかったんで、正直そんなにないんですよ。
けどそんなにないんですけど、お城の石垣がでかい石が下の方にいっぱい固まってるじゃないですか。
あんな感じであるんですよね。
それが上まで積み上がってるわけじゃないんですけど、すごくかっこたる自分の土台としてはあるんですよ。
やっぱりそういう原風景が。
それは具体的にどういうイメージで残ってるとか。
いろんなものがあるんですけど、やっぱり年取ると新しいものよりも、
昔のことの方に戻ってっちゃう人もいるなと思って。
俺たぶんそういうタイプじゃないかなって最近すごく思ってる。
無刀刑事さんが思い出と勝負しても勝てないよってよく言うんですけど、
あの人もだからたぶんそうなんじゃないかなと思うんですよ。
そっちの方が尊いというか、すごいものとしてあって。
例えば熊本自体で、何か自分のそこに溜まってるもので、
口に出せるものではないけど、言葉で表現できるものであるんですか。
あとね、俺が若かりし頃の父ちゃん母ちゃんがいる光景、熊本しかなくてですね、
それがすごく残ってですね。
それは何を言われたとか。
何にもないんですけど、そういうキャストがいる光景っていうのがすごく良かったんですよね。
なるほど。それで今回ですね、30周年記念で、去年であるんですかね。
タマナでやりましたね。
この中で九州プレス見に来たことある人どれくらいいらっしゃるんですかね。
皆さんこれはもう読まれたんでしたっけ。読んだ人、あれあんまりいないんですかね。
今日結構お買い上げいただいて。
じゃあまだまだ売れますねこれ。ここに来るような人でもまだ読んでないんだから。
さっき売れなくて困ってくるって言ってたじゃないですか。
言ってないですか。
いや順調に売れてます。
タマナにやろうと思った。まあ多少触れてるんですけど、読んでない方も多いということで。
タマナでやろうと思ったきっかけというか、実現したきっかけというか。
あのなんというかですね、九州プロレスってもう選手みんな営業活動すごいわけです。
僕だけこうなんか、地下絵屋さんはそういうのをあんまり僕に期待してなかったと思うんですけど正直。
だけどなんかやんなきゃなこれと思って。それでやっぱタマナだったらなんとかできるんじゃないかなと思ってですね。
それが一番の理由ですね本当に言うと。別に自分の周年とかそういうのはもう恥ずかしいからどうでもいいんですよ。
なんか自分の誕生日祝ってくれみたいな感じでちょっと恥ずかしいじゃないですか。
だから俺なんとか先週何十周年記念とかああいう工業なんかこういうのよく自分でやんなとかよく思っちゃってたんですけど。
なんか俺もやっちゃったってやっちゃったよって感じで。
その時は恥ずかしがらずに。
タマナ ちょっと恥ずかしかったんですけど、だんだん薄れてきましたそれが。
でも実際どうでした?実際やってみて。
タマナ やってよかったっていうのは自分がよかったじゃなくて、タマナの体育館で千人近く来たんですよ。
タマナの体育館の人たちが、タマナにこんなに人がいたのかっていうくらい集まっちゃって。
実は来年、今年じゃない。今年やる予定だったけどちょっとある理由で来年にしたんです。
来年の早々にやるんで。また皆さんにお伝えしますそれは。
九州プロレスって九州各地に回ってるじゃないですか。そういう生活になってもう2,3年なんですけど、どうですか?九州各地を回っての印象だったり。
タマナ 九州って各県によって色々全部顔が違うなと思ってですね。
福岡と熊本も違うし、長崎も違う。大分も全く違うし。
すごく九州だけで独立したほうがいいんじゃないかなって思っちゃいますね。
大学生の時も福岡に。熊本は幼稚園から横浜の方に行かれて。
大学だけまた福岡に来て。
その時は鮮明に記憶がある時期だとは思うんですけど、どうでした?どういうような大学生?
大学の4年間、4年間住んでいただけだけど、とうとうずっと4年間旅をしてた感覚が抜けなかったんですよ。
それぐらい遠くへ来てる感が薄れなかったんですよね。今も実はそうなんですよ。
もう3年経つけどまだ全然抜けないですよ、それが。
だから例えば北九州文字とか道路標識見るじゃないですか。こっち側。
あれ見るとまだ遠くにいる感じがすごくしちゃってね。
だから多分皆さんより楽しいと思います。
こっち側に何か。
海外での経験と挑戦
旅に来てる感じなんですよ。
その関東がふるさとみたいなイメージもないんですか?
もうないですね。
そうなんですね。
それで九州各地回りながら海外にも行かれてますけど、海外もやっぱりそれももちろん旅というイメージなんですか?
そうですね。旅先からまた旅先へ行く感じですね。
どういう落ち着かないとかないんですか?
普通だったらホームに戻りたいとか、家に一旦戻って。
前は全くなかったんですけど、最近は海外へ行くと早く福岡、九州に帰りたいなって思っちゃうんですよ。
だからあんまり行きたくないんですよ、正直。
韓国ぐらいなら全然いいんですけど、もうヨーロッパとかきついですね、正直。
飛行機に十何時間も乗って現地着いて知らない人と初めましてって会って、
なんとか知らない人たちと愛想笑いしながら試合もして、うまくみんなと仲良くやって帰らなきゃいけないじゃないですか。
結構大変なんですよ、それが。
昔はなんでもなかったけど大変になってきました。
今回のこの本でも途中海外生があって、そのことが途中の深夜。
この頃までは楽しいだけだったんですけど、この書き終わった後ぐらいからだんだんきつくなってきて。
これ2023年なんで。
去年から。
年取ると変化が早いと思うんですよ、だから。
この人とか面白いですよね、この方とか。デンマークの役で。
それも遠い昔の話な感じしますね、僕。
実は今月もイタリアを中心にヨーロッパ3週間もあるはずだったんですけど、ある事情があってキャンセルしたんですよ。
キャンセルになったんですよ。
もう良かったと思ってて。
その代わりに九州プレスの五島列島大会も行けるし、あと茂野さんが持ってきた新潟のお祭りにも行く。
初仕事で行く話があって、よかったこっちのがよかったってほっとしちゃいますね。
じゃあ今海外より九州とか国内を巡るほうが楽しくなっている。
そして九州プレスが、先々週熊本視野ができたんですよ。
それをおきに、なるべく偏比なところでプロレスやりたいんですよね。
プロレスが一回も行ったことのないような、熊本のすごい隅々まで行きたいなと思っちゃいます。
九州プロレスは結構お子さんも多いですし、雰囲気も全然違うじゃないですか。
そういうところは実際に入ってみてどう?
そういうプロレスをそういう人たちに見せたくて、俺は九州に来たんです。
だから東京で甲羅県ホールに毎月同じ人たちしか来ないわけですよ。
こういうことをやり続ける人生って何なんだろうと思っちゃったんですよね。
そういうことって書いてなかったでしたっけ、この本に。
ちらちら書いてましたね。
こっち側の方がもうちょっと書いてあります。
これはそんなことばっかり書いてますからね。
僕は最初コロナとかが影響があったのかなと思って。
そんなの何もないですけどね。
無観客試合があれば別に関係なくやっていたけど。
今思い返すと、コロナの時期とか本当に楽しいこと何一つなかったですね。
真っ暗ですね、その時期の思い出が。
それは別にコロナでプロレスができないとかそういうからではなくて。
そういうことじゃなくてですね。
これじゃあ本当に何をやってんだ俺はって。
だから何をやってんだパワーをその九州へ向かわせるための時期だったかなコロナはっていう気もちょっとしますね。
じゃあ実際来られてそのパワーが解放されている時期っていうことですか。
プロレスの地域活性化
だいたい週というか月で4,5回ぐらい行かれるんですよね。
どこにですか?
大会はだいたい毎週?
だいたい毎週末なんですけど、ここのところちょっと5月の中旬まですごいあったんですよ。
こんなの今までなかったぞってくらいあって連続であって。
それからちょっとパタって開いてですね。
昨日試合だったんですよ。
イオンモール、カセヤのあそこで。
久しぶりに、ちょっとメンタイキッドが引退しちゃったんで。
ちょっと張り切ってやっちゃったんですよ。
体中痛くてですね。
それでイオンモールってあれなんですよ皆さん。
試合終わってすぐリングばらして帰れないんですよ。
お客さんがいっぱいいるんで。
ちょっとすく時間まで待機ですって言って。
それからみんなでばらして帰るんですけど。
家着いたのが7時ぐらいだったんですよ。
それでちょっとまた酒飲みたくなっちゃうわけですよ、試合終わったら。
それで12時ぐらいまで飲んでて、もう寝ようかなと思ったら昨日バッテンブラブラから
アントニオニクさんの弟が書いた本を借りちゃって。
あれ読んだら面白くてですね、朝5時まで読んで全部読んじゃって。
今日起きたら俺2時15分だったんですよ。
さっき打ち合わせ3時にまだあったじゃないですか。
だから45分前に起きたんですよ。
で、もう酒ですよ。
五木博之さんみたいなあれですね。
五木博之さんも10年ぐらい前までは昼夜逆転して
6時ぐらいにうちの主催する文学賞の先行委員やっていただいて。
起きたてで夕方ぐらいに来て食事飲んで、お酒も飲んで。
五木博之さんといえば青春の門の田川に先週行ってきましたよ。
それは舞台を巡りたいっていう。
聖地巡礼ってやつですね、いわゆる。
そういうのもされるんですね。
なんかね、あんまりそういうのしなかったんですけど
オウムタを舞台に書いた単行の小説を書いた人と知り合いになっちゃって
本いただいて、すごいその本が面白くてですね。
で、オウムタに聖地巡礼行ったら面白かったんですよ。
聖地巡礼って面白いですよ。
西村健さんの一の卒の絵。
オウムタもそれ見て、その店に出てくる店に行ったりとか。
田川はちなみに。
田川は青春の門の山。
あそこから始まり。
あとはそんなになかったんでもうないんですけど
ここを主人公が歩いたのかなとか思いながらですね。
そういうやっぱり昔から本を読まれるんですか?
読む人に比べたら全然読んでないと思います。
文章を書こうと思ったのはWWE時代?
WWE時代に書かなきゃいけなくなっちゃったんですよ。
日本の週刊プロレス、ベースボールマガジン社から
別冊でちょっとアメリカの今の生活を5ページくらい書いてくれないかってきて
それで書いて、そしたら赤が入って戻ってきて
それのやりとりが面白くなってきちゃってですね。
それが結構好評で、これちょっと連載書いてくださいって話になって
それで週刊プロレスに書き始めたんですよ。
それが最初、文章を書き始めて。
それこそ読書感想文まともに書けなかったような子供だったの、僕は。
最初はやっぱり苦労したんですか?
苦労しました。
そしてその頃ですね、インターネットがその頃から走り始めて
誰かが貧乏暇な下尻選手の掲示板って勝手に作ったんですよ。
そこに毎日書いてるうちに、だんだんちょっと書けるようになってきたなって
そらそら言いたいことが書けるようになってきたなって気がして
それがその週プロから依頼があった時と被ってて
それで、何の話でしたっけ?
文章を最初書くのに苦労したかった
それでこれなら苦労しないぞって連載の話が来て
これは余裕で書けるよと思ったら、いざ連載となると書けないんですよ、それが。
だから実はですけど、この西日本新聞さんから依頼があって
最初に書いたら書けなかったんですよ、俺。
天下の西日本新聞に何があるんだこれはって書けなくなっちゃったんですよ、実は。
結構書けなかったんです、最初は。
しかも山上さんが最初、今までこういう人が書いてましたってリスト送ってきてくれたら
すごい人たちが、もうすごいわけですよ。
日本文化芝生に登場するような、そういうとこに書いたんですよ。
で、ビビって書けなくなっちゃったんですよ。
それは何か克服した、何かあるんですか?
いやもうね、勝負にならないからもう何でもいいやと思って書いちゃったんですよ。
それがあれです。
自由のママチャリですね。
じゃあ最近まで苦労はしてたんですか?連載だったり。
日本語で書かれてはいるんですけど。
けどね、やっぱり今でもですね、どっからか何かちょっと名前のある、例えば
去年も何かいくつか週刊誌あったんですけど
やっぱ最初躊躇して止まっちゃうんですよね、やっぱり。
だからその程度です。
でも小説まで書く、これがですね、初めての小説なんですけど。
小説、これ2023年ですよ、式典からですね。
小説まで、そのエッセイとかシュープロで書いてたのは、まあ滞在期というか自分のエッセイですけど
フィクションまで書こうと思うっていうのは何か変化があるんですか?
えっとね、フィクションは昔書いてたんですよ、実はもう。
小池和夫先生の漫画原作学校にハッスル時代に1年通ったんですよ。
なんでかっていうと、僕ハッスルで裏方もやってて
ちょっとそういうキャラクターたちを動かす裏方の仕事もやってたんで
ちょっとこれはこのままじゃちゃんとできないぞと思って、そういう勉強しようと思ってですね。
そしてその学校出た後、たまたま知り合った漫画家とちょっと2人で合作をして
飛び込みである出版社に持って行った。
それが即採用になっちゃって、それでちょっとそれが良かったんですよ、評判が。
その後、各州で2ヶ月間連載も書かせてもらったんですよ。
だからそういうフィクションをやったことがあったんです、実は。
漫画の原作ですか?
原作です。
今も実は漫画の原作を本当はやりたいんですよ、一番。
何とかいつか書いたものがならないかなと思いながら、何か探ってる感じですね、今は。
じゃあ小説もどちらかというと、結構映像をイメージして書かれてる感じですか?
だからまだそういう作品はできてないですけど、
一時期スマッシュっていう団体をやってて、そこでもういろんなキャラクターがいろんな人間の心の動機で
いろんなドラマを2年間やり続けたんですよ。
だからそれはうまく書けたなと思いますね。
もう弱小メンバーなんですよ、それこそ。
だけどもう有名なのなんて、僕とアキラさん、野上アキラっていう新日本の人がいたんですけど
その人くらいで、あとはもうみんな若手だけ。
2年間、高楽園ホールを札止めし続けたんですよ。
だからうまくできたなと思います。
役に立ったなと思います。
最初はハッスルの時に、あれも一つのストーリーじゃないですか。
執筆活動と創作の背景
ハッスルはどっちかっていうと、なんていうかな、バラエティ番組だったんですよね。
俺はちょっと見た後、深刻な要因が残るドキュメンタリー番組みたいなプロレスを作りたかったんです。
それがそのスマッシュだったんですよ。
ちょっと戻りますけど、もともとメキシコに行かれたじゃないですか。
メキシコに行きたいと思って。
大学時代の話なんですけど、運命的な出会いというか。
はい。
ウルティモードラゴン現の中身が当時、アサイヨシヒロっていう素顔でやってて、
その人が博多スターレーンで試合をしたんですよ。
その姿に憧れてプロレスラーになっちゃった。
プロレスが好きで。
もともと好きでした。
当時みんな好きじゃなかったですか。
小川さんと俺と同じ歳でしたっけ?
違います。
違う?
若いんでしたっけ?
7個ぐらい。
7個上?下?
下でした。
下でしたっけ?
小川さんの時代は昭和52年生まれですか?
はい。
もうそんなにプロレスって?
いや、まだテレビでもやってたし。
そうですか。
親が好きだったんで、連れられて前日とか死日とか見に行ってましたけどね。
小川さんは一回九州プロレスの笠ヶ谷大会にお子さん連れてきてましたもんね。
そうそう。
じゃあ同じことをしてるわけですね。
そうですね。
それでちょっと話またずれますけど、
笠ヶ谷大会で私見てたんですよね。アリーナ席で。
そしたら前の席の女性の方がこの連載の切り抜きをノートに貼って、
それをずっと待ち時間読む。読まれなくて。
けどそこで読まなくても家で多分読んでるじゃないですか。
谷地さんが出てくる前の待ち時間。
ちょっとまた気持ちを上げてたんじゃないですか。
ここにいいんじゃないですか、その人。
いるかもしれないですね。
いや、それがちょっと今。
それでプロレス好きだって、実際大学生の時に行って。
なんでその人がメキシコから逆輸入されました?
メキシコはルチャーリブレで。
メキシコプロレスのどういうところに他にいろいろプロレスあったと思うんですか?
なんかね理由はわかんないですけど、とにかくピタッとハマったんですよ。
もうそれだけですね。
いっぱいアクロバティックなとかそういうわけでも。
そういう細かいことじゃなくて、何かアサイさんっていう人が日本でレスラーになれなくて向こうへ渡って、
執念というか運命が逆元したわけですよ。
そういうのがかっこいい。
アサイ・ヨシヒロとの出会い
だからメキシコのプロレスがどうとかっていうより、アサイ・ヨシヒロが行ったメキシコに行きたかったんですね、僕は多分。
それでいずれ会うことになるんですよね。
その時はどうでした?
最初初めてメキシコで会った時は相手にされなかったんですよ。
ショックでしたね、俺。
アサイさんに今聞いたら、そんなことはないって言うんですよ。
俺は手厚く君を歓迎したはずだって言うんですけど。
多分当時アサイさんも、まだメキシコで自分の地位を確立するために必死だったんだと思うんですよね。
だから少しでも、メキシコで活躍してる日本人ってね、やっぱ日本人が来ると嫌がるんですよ。
どこの国でもそうだと思うんですけど。
だからアサイさんも多分まだそういう時期だったと思うんですよね。
じゃあその後、別の機会にまた会うようになってっていう感じなんですね。
だからね、アサイさんがやっと本当にちゃんと人間として扱ってくれてるなっていうのは、
WWEで再開してからですね。
だからあれですよ、そんな人の世界に食い込むのは大変ってことですよ。
誰でもね、だから今の世の中、誰でもなんか人権だ、なんだ平等だとか言うじゃないですか。
そんなことじゃないと思うんですよ。
なんか大日本時代に審議室に行かれてた人。
すごい同胞じゃないですけど、すごい周知を受けたみたいな。
書かれてますね。
そういう経験もいっぱい。
そうですね。
あんまりそういうところは言う?
いや全然いいですよ。
こっち側にすごいパソコンがこれに書いてある。
これをどうなんですかね。これ読んだことある人いますかね。
結構。
いやこれしかいないですよ。
ボトルを入れてですね。炭酸と氷と。
ボトルキー。
言えばわかると思います。
一番最初は、その後取材を田次さんさせてもらったときに、ボトルで思い出した話なんですけど。
これに書いてますかね。ボトルの名前が今度小説に出て。
偽名を書いてるわけですね。
偽名で書いていて。
最近もわかってるみたいだから本名で呼ばれたり偽名で呼ばれたりして。
小説化とプロレスの魅力
それ偽名、当時は偽名で書いてる。女の子の名前を書いてるって書いてる。
男か女かどっちかよくわからない。
って書いてて、ここで待ち合わせしたんですよね。最初は取材のとき。
あの頃はまだ店のおばちゃんもね、これ男か女かわかんない素敵な名前ねっていい名前つけてもらったわねとか言われたんですよ。
恥ずかしくなっちゃう。
それで僕が来たときに、僕の方が先に到着して、田次さんで予約してるんですけどって言ったら、わからなくて店員さんが。
それで、そういえば偽名で通ってるんだったと思って。
それでちょっと読み直したんですよ。男か女かわからない。
なんか名前が書いてるかなと思ったら、男か女かわからない名前。
いや、男か女かわからないような名前の人ですって言ったら、ますます通じなくて。
この前ね、先週明太キッドとこの店で飲んだんですけど、僕より先に明太さんが来ちゃったらしくて。
田次さんのあれで来たんですけど、そしたらね、誰誰ってちょっと言われたらしい。
まだ未だにわかってない。
一旦わかんない人に。
それで出せしてしまったんですけど、そういうプロレスの話。
かなりメキシコからアメリカに行かれて戻ってこられても団体をいろいろ自分でやられたりして、
すごい変わるというか変化する方だなっていう印象があるんですけど、
そういう普通変化ってやっぱり荷の足を踏んだりとか、ちょっと思い留まったりとかするとは思うんですけど、
そこらへんの変化を厭わないのってどういう?
ああ、ボトルこっちください。
名前を見されたくない。恥ずかしいんで。
そういえばね、昨日バッテンブラブラから猪木さんの弟が書いた本を借りて読んだんですけど、
アントニオ猪木一家っていうのはブラジルに移住する前全然裕福だったんですって。
なのにわざわざ移住したんですって。
なんでかって言うと猪木家のDNAが変化を求め続けるからなんですって。
そういう人っているんじゃないですかね。
でもなんか弟はちょっと迷惑だったみたいな話も。
書いてます。
弟みたいなメンタリティの人ももちろんいると思うんですけど。
けどあれですよ。大丈夫です。適当にやります。
いやけど別に、なんてか今メキシコだって飛行機で十何時間で行っちゃうじゃないですか。
そんなの遠くない?
例えば今回東京から九州来ることなんで1時間で過ぎちゃうじゃないですか。
なんでもないと思うんですよ。
だから環境の変化を自分が続けてる感じがないですね。正直。
自分の中が変化してるところはあるんですね。
そこにつながって動いていくというだけですね。
そんな環境がすごい変わったっていう意識は。
全くないですね。これからまだまだどんどん変わるかもしれない。
来週、後藤列島へ行って、後藤列島住みたくなっちゃうかもしれないなと思って。
この小説も、小説読んだ方おられます?
小説もやっぱり結果的にどういう変化かっていうのは、
結果は成功するかどうかっていうわけじゃなくて、変化っていうのはですね。
変化することの大事さっていうのは陳腐な表現ですけどね。
変わることっていうのを厭わない気持ちというか。
変われないことの残念さみたいな方が好きなんですよね。
そういうことを書いたりとか。
ちなみにこの小説、今韓国で翻訳されて発売されてるんですよ。先月韓国語になって。
小説を書くときって、自分自身の固くしてるところってあるんですか?
今は何でもハッピーエンドに終わるものが多いんですけど、
愛のところで嘘だと思ってるんで。そうじゃないようにしたいなって。
じゃあ結構プロットじゃないですけど、結末みたいなのを見据えて書いていって。
いやそれがですね、これも最後どうなるか分かんないまま書いちゃったんです。
これ実はですね、第1話を短編のつもりで書いて、ある知り合いの出版社の編集者に見せたら、
これちょっと連作で書かないかってことになって。
そしたら良かったら本にするからって言って、3話だけ書いてって言われて。
3話書いたら本になることになったって言って、それで書き始めたんですよね。
最後決まってなかったんです、僕の中で。
これ計5話でしたっけ? 計4話? 5話ですか?
5話? 6話? 7話くらいだったんじゃないですか?
5話ですか? 6話。
じゃあ最初だけ1回書いて。
3話までも、とりあえず1話までしかなかったから、相談しながら書いてったんですよ、これは実は。
女の人が編集者だったんですけど、もうその人辞めちゃったんですよ、編集。
すごく合いましたね、そのキャッチボールが。
言われたところ、そうだなと思って。
その人の心にすごく影を持った人だったんですよ。
そういうのが合いますね、僕は。
小説は難しいですか? 絵とは違いますか?
プロレスの文章はすぐ書けちゃうんですけど、全然難しいです。
もうなかなか進まないです、もう。
今も書かれてるんですよね?
ノートでちょっと書いてるんですけど、今第18話まで半年くらいかけて書いてるんですけど、
フィクションでなかなか書かないんですよ。
5倍くらいエネルギー、頭使うっていうかですね。
だからちょっと一旦全部その話を書き終えたら、全部見直して形を整えて、
ちょっと誰かに話をしてみようかなと思ってるんですけどね。
ノートでは暇な時じゃないですけど、時間が空いた時に書こうという気持ちになる時があるんですね。
あとノートってすぐお金が月末にはなるじゃないですか。
最近レスラーでも、タレちゃんノートって儲かるんですか?って聞いてくれる人がやたら多いんですよ。
丸宇宙さんが昨日始めてましたね、映像。びっくりしました。
実際どうなんですか?
なる時もあればならない時もあるっていう。けどまあ、まあまあですね。
そうですね。今いろいろですね、昔は本とか。
本の中でノート買ってくれたことのある方っていらっしゃるんですか?
書籍の紹介とエッセイ
あとで見てください。メンバーシップ入ってください。
もう500本近く書いてて、全部読み放題ですからそれで。
この本たちを読むよりいろんなこと書いてあると思うんですよ。
ノートで一番読まれたとかわかるんですか?
わかります。
どういうのが今までは一番読めた?
やっぱりWWEのエディ・ゲレロっていう一緒に組んでた人の話が一番で、
新日本プレスの話だとノアの小沢選手って今いるんですけど、
彼の話を書くとめちゃくちゃ売れますね。
それでもあれですよね、見てなくて見出しというか最初の冒頭だけ見て。
冒頭とタイトル大事ですね。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
最後にプレゼントのお知らせです。
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それから田尻さんは今も西日本新聞にエッセイ、俗プロレスの味わいを書いてもらっています。
西日本新聞もしくはスマホアプリ西日本新聞民のご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
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