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西日本新聞me Podcast。この番組は、西日本新聞が取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しするポッドキャストです。
こんにちは、西日本新聞社の中原岳です。 同じく、西日本新聞社の横山智則です。
今回もですね、前回に引き続いてラーメン屋さんのお話ということで、西日本新聞社が誇るラーメン記者小川さんと横山さん、それぞれよろしくお願い致します。
前回はですね、福岡の街の大開発、街の発展と実はラーメンが実は密接な関わりがあるという話をしたんですけれども、その中でですね、山陽新幹線が博多まで開業したのを機にできたラーメンの文化もあったということで、かなり興味深かったんですけど、でも実は九州には他にも鉄道とラーメンにまつわるお話があるということで、私結構鉄道が大好きなもんですね。
ちょっとむしろこっちの話ではなくて興味津々なんですけども、それは一体どういう話なんでしょうか。
当時点でやっぱり鉄道が大きな交通手段なので、鉄道のある場所に沿ってラーメンが広がっていくというのは、九州内いろいろなところでも起きてるんですけど、例えば久留米からこの前言った山急の天守は北九州に行ってきて、その後北にも繋がるんですね。
伊藤が北に来来券、それは北の九大本線を伝って北に行って大分まで行ったりとか、あと熊本行くのはやっぱり御島本線入って熊本に行くっていうのがあるんですけど、本当に鉄道とラーメンっていうのは密接につながってるんですけど、
取材する中ですごい一軒面白い店があって、延岡市の埼来券というお店があるんですけども。
宮崎の延岡市。
そうです。宮崎県延岡市の埼来券で、その方を取材した時に大野さんというのが大将なんですけども、もともとは親父は佐賀の出身だった。
それもおぎようかんの職人だった。
おぎようかん。
おいしいですよね。
おいしいですよね。
そういう話から店の歴史がちょっとだんだんわかってきたんですけども、埼来券さんというのは昭和30年ぐらい創業された店なんですけど、それでもかなり古い。
古いですね。
大野さんのお父様、お父様のご兄弟でようかん病に関わられて、最初は弟さんが電車に乗っていい場所見つけに行くらしいですよね。
ようかんを。
ようかんを売るのに、店を出したいのかどうかあれですけども、それでだんだんまず北九州に行ったの。
そこから日報線に乗って長崎市に行くんです。
なるほど。
最初は埼来駅、大分県の。
大分県の南部ですね。
で、降りたらしいんですね。
ここどうかなと思ったら、もうちょっと行けばもっとすごい街があるって言われたらしくて。
今だったらネットで調べてどこがいいかみたいな話になると思うんですけど、実際行ってみて。
最近も昔はですね、今は結構あれですけど、栄えてたと思うので、それで降りたらもっと南に行けと。
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それでもっと南行ってあるのが延岡なんですよね。
延岡と言えば宇佐飛河星。
なるほど。
それで実際すごい繁盛というか盛り上がっている街があって、そこでお菓子を売る仕事をし始めて。
で、大野さんのお父さんは、最初はお父さんですね。大野さんのおじさんがまず最初に延岡に来て。
それでお兄ちゃんに言うんですよね。
ここはすごいからあんたも来ない。
それで行って、最初は食堂かなんかの片隅で洋館を売ってたらしいんですけど。
まだラーメンじゃないから当然。
洋館屋さん、サンド洋館屋さんが延岡に行ったところですもんね。
だから今のラーメンの話じゃなくて、洋館の話。
それで食堂で洋館を売っていて、その横のスペースばっかりあるけん何かしようということになって、
食堂もつがんねというか、あんたたちがやらねみたいなこと言われたみたいで、何をしようかというときにラーメンをしようと。
それで佐賀とか久留米というのは当時からもうラーメンができ始めている頃なんで、
1回目でも言ったんですけど、まさしくコンサルみたいなラーメンを作れる人に来てもらって作り方を習って、そこでラーメンを始めた。
それが埼玉県の始まりと。
昭和30年後。
昭和30年後。
ラーメンの味も列車に乗ってどんどん行っていったってことですよね。
そうですね。
そうするとやっぱりそこのお店は佐賀っぽい味なんですか?
確かにですね。佐賀とか久留米から来てるんですけど、佐賀の作り方っていうのは呼び戻しって言って、
新しいスープと古いスープをだんだん混ぜたりとか入れ替えたりするようなやり方なんですけど、そのやり方で作ってるんですよね。
だから宮崎ラーメンって食べたことあります?ちょっとあっさりした。
確か岡田さんと一回行きましたね。
行きました。
どこやったっけ?
そこは栄養圏。
栄養圏か。
そこおいしいです。
ただ宮崎ラーメンってどちらかというとあっさりした感じなんですけど、
久留米ラーメンって熟成させて結構匂いも味も濃くしたみたいな感じなんですけど、やっぱり埼玉県ってやっぱり久留米系の味がするんですよね。
だからそういう意味では久留米系、佐賀系の味だなっていう食べても思いますね。
なるほどですね。
日本製に乗って。
日本製に乗って。
今ではですね、特急の本数も減らされてしまって。
そうなんです。
九州の最大の赤字区間がその最期から5秒くらいだってGRが公表してるぐらいなんですけど。
でもやっぱり5秒間は良いところで、昔は高千歩、鉄道。
高千歩線という路線に乗って、あそこ一応鉄道の建設点でもあったからですね、やっぱり交通の乗り換え地点でもあったから。
やっぱりうちの旭川線があったっていう存在も一回だと思うんですけど。
やっぱり乗換えのお客もちょっと途中消しだして食べてみたんじゃないかと。
なるほど。
あったんじゃないかなとちょっと想像ですけど。
せっかくなんで僕から言いますね。
中原さんがなんでこんなに鉄道に詳しいのかっていうと。
そういうことで小川さんはラーメン記者で有名ですけど、中原さんは中原さんで、いわゆる鉄茶飯、鉄道大好き記者で有名で、
ポッドキャストYouTubeを今やってますんで。
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鉄学の旅というポッドキャストをやってますので、
ぜひこの番組消えた後はですね、鉄学の旅をぜひ聞いていただければと思いますけど。
勝手に晩成しちゃいましたけど。
いやいや、大丈夫です。
洋館の話でひとつ言うと、
小城洋館で人気というか外に知られたのは、
担ぎ屋さんっていう存在があって、
洋館を担いで電車に乗って北九州に売り歩いたりとか、地区王に行ったりとか、
なんかそういう方がいたらしいですよ。
自家的に売ってるんですね、小城洋館って。
だからそういうイメージで多分この大野さんのおじさんも電車に乗って広げていこうと思ったのかなって。
そこら辺がリンクして面白いなと思ったのがあるのと、
あと昔取材したことあるんですけど、
私大分に勤めてたことがあって、今は普通なんですけど、
二重戸焼酎って、今は結構どこでも売ってるんですけど、
当時なかったでしょ、10年20年前に。
焼酎と言えば25だし。
ただ大分に初めて赴任した時に二重戸焼酎が多いんですよね。
それは何でだろうと思って調べたことがあって、
それは宮崎のある地区に沖縄からの移民の方が結構住まれてるところで、
戦後闇焼酎が青森の技術を、人が闇焼酎を作って、
そこで闇焼酎、ちょっと安いんですよね。
それで日報船に乗って宮崎からずっと売り歩くんですよね。
だから西駅行って、僕は宇佐に勤めてたんですけど、
宇佐小倉ぐらいまで、闇焼酎がすごい広まったらしいんですよ。
宮崎からね、今後は。
逆に北条村、旅館は離って。
それで北条していくんですよね。
それでこれは元々の手造会社がたまらんということで、
手税法を改正して、二重戸以下にしたらすごい安く、
税金の負担がすごい安くなるっていうような改正して、
そこからその日報船で闇焼酎が広まった地域だけ、
二重戸焼酎が普及してるんです。
だから大分でも北とかは二重戸焼酎。
日報船じゃないからね。
だから大分、宇佐とかあそこら辺っていうのは、
焼酎といえば二重戸だったんですよ。
大分いくつか有名な。
三和酒類とかそこも二重戸。
出してますね、確かに。
出してますというか、大分行ったら二重戸が普通。
そうなんですね。
低アルコール指向とかそういうのがあって、
二重戸の方がシェアがだんだん良くなってきて、
福岡とかも二重戸普通に売ってますもんね。
普通に、僕結構二重戸買います。
安くてもアルコール分は。
安くても飲みたら一緒じゃないですか。
そうなんですよ。だからラーメンだけじゃなくて、
鉄道とやっぱり食文化。
そうかもしれないですね。
すごい密接につながってるなと思って。
そういう小川さんなんですけど、
もともと小川さんのラーメン好きっていうのは、
子供の頃からだったんですか。
そうですね。
私は子供の頃からすごいラーメンが好きで、
ずっと小さい頃から何か食べに行くって言ったら、
自分で小遣いを握りしめてて、
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ラーメン屋さんに行ってました。
そうなんですね。
当時ラーメンっていくらぐらいだったんですか。
元祖が200円台とかだったりしますけどね。
今とはちょっと物価も全然違うでしょうか、
というところでしょうけど。
小さい頃というか、少年時代の一番の思い出のラーメン屋さん
っていうのはどういったところになってきますか。
僕はやっぱ赤のれ。
あそこも古いですね。
古いですね。
ただ赤のれの発祥は東区なんですけど、
箱崎ですけど、僕は子供の頃行ってたのは、
節ちゃんラーメンっていって、
天神の大丸の南側にあって、
あそこの2代目の方がやり始めた。
そこはもう2代目のお店ですね。
2代目のお店。
節ちゃん、節夫さんなんかのお名前なんで、
そこに行ってたのがちょうど中学の頃、
電車通学してたんですよ。
それでだいたい土曜日とかまだ授業あったでしょ。
でもご飯なくて、
半丼ですね。
半丼で食べたり、
中間期末講座とか、
午前中で終わったりするとか、
友達と一緒に赤のれ行って、
それでラーメン定食食べて、
カレー玉もして。
馬鹿意見ですね。
なんか雰囲気がすごい良かったんですよ。
雰囲気っていうのはやっぱり、
彗星の雰囲気っていう感じですね。
なんかいろんなものが積み重なってきているような、
雰囲気的な意味での雰囲気。
そうですね。
なんかいっつも喧嘩してるんですね。
中学の中で。
えー。
修道士もね。
えー。
なんか今ってあんまりしないじゃないですか。
家族経営って結構すること多いですよね。
客の前で。
客の前で。
あとだいたいテレビついてるんですけど、
テレビ画面が店員向いてるみたいな。
お客さんファクトじゃないです。
そういうことですね。
そういうの好きなんですけど。
なるほどですね。
だからどっちも自分たちの空間じゃないですか。
まあそれを見ながら画面を頂けるっていう。
そういう趣味っていうのが多分未だに続いてるかなって思いますね。
元祖もすごい好き。
元祖長浜屋さんも好きでよく行ってて。
あそこもすごいじゃないですか。
そうですね。
当時ってもっと、今職権制なんであれなんですけど。
あ、そうか職権じゃなかったですね、昔。
昔はだから2人で行ったら2杯って言われてたじゃないですか。
注文せんでも勝手に出てくる。
半塊玉ってあって。
半塊玉。
半塊玉ってあって。
今ありますね。
今も多分あると思うんですけど。
半塊玉結構びっくりしてたのが一玉茹でるんですよ。
それで半分床に捨てるんで。
なんかもったいないなーと。
半分茹でる。
今やったら怒られてる。
だからそういうのが好きなんですよ、ずっと昔から。
だんだん大きくなってくると行動範囲も広がってくると思うんですけど。
福岡以外だとか、もしくは九州以外とかそういったとこも開拓されていったんじゃないかなと思う。
あと久留米も電車で通ってたので。
久留米ラーメンと博多ラーメンの僕はハイブリッドで育ってて。
当時は花畑駅の前に大流ラーメンが。
今結構いろいろなところにある大流ラーメン。
花畑の駅の前にあって。
そこもすごい好きだったり。
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あとたまに電車じゃなくて遅刻するときとか親に送ってもらったりとかしたり。
そのときは高速乗って国道3号線とか行ったら丸腰ラーメンが。
そこは昔は警察犬とかポスターがいっぱいあって。
たぶんブリーダーみたいな人がやってたと思うんですけど。
あともともと果物屋さんなので。
大流ラーメンも。
丸腰ラーメン。
丸腰ラーメン。
だからスイカとかバナナとか売ってたんですよね当時。
ラーメン屋さんのラーメン。
そういうザックバランの雰囲気というか。
そういうのもすごいなと思って。
ラーメン屋さんに行くだろうと思って。
それで福岡のラーメンと久留米のラーメンっていうのが中高時代にすごい好きで。
それで東京に行ったとき。
学生時代はちょうど神奈川ラーメン戦争みたいな。
わかんないです。
南電関電とか神奈川沿いにすごいラーメン屋さんが何軒かあってすごい人気だったんですよ。
それの僕が行ったのは終わり90年代後半なんで終わり頃なんですけど。
テレビとかよく出てくる河原さんっていうマネーの河原とかに出てた南電関電。
最初はまだ店で。
集合に立ってて。
集合に立ってて。
それで福岡出身ですとか言ったらビールを送ってもらって。
だから東京に今みたいに一風土がちょうど出始めた頃ぐらいなんで。
出てなか、出たか出たかぐらいの頃なんで。
まだ豚骨ラーメンってそんなに食べれる状況じゃなかったんですよ東京では。
東京では。
その中でやっぱり南電関電とか九州ジャンガラとかなんかそういう。
食べれるところは限られてたけどそこはすごい人気。
当時人気だった。
当時は東京のラーメンよりやっぱり豚骨の方が好きだったんで。
今は東京のラーメンも大好きですけど。
結構豚骨ラーメンを食べにいろいろなところに行ってましたね。
東京の小平市というところに九州ラーメン市というお店があるということなんですけど。
そういうチェーン店っていうのはどんどん進出して。
90年代後半から2000年代の頃はずっと。
その一風土一覧みたいな。
今ではもう普通に豚骨ラーメン食べれるんですけど。
当時ではそれより前って本当に豚骨ラーメンって食べれなかったんですよね。
それで何個かこう散髪的にというか。
チェーンじゃなくて局所的に豚骨ラーメンが食べれるっていうのがあって。
一番最初っていうのが経過ラーメンって言われてるんですけど。
そこで豚骨ラーメンが食べれるお店ですね。
それが昭和43年1個目か。
経過ラーメンって久留米の。
熊本の。
昭和43年。
その方は社長が福岡に出そうかって言った時に。
いや福岡とか出さんで東京に出すって言って東京に出す。
熊本ってそういう土地柄なんとなく。
トレンドがどういくかっていうとテストの地域になるとか。
言いますよね。
僕らも若い頃はお洒落な言葉が熊本にはあったんですよ。
だから多分その考え方が多分あると思う。
熊本で売れたから福岡に出すっていう意識は全くなくて。
なるほど。
熊本で売れたのが東京だった。
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昭和43年に経過が出して。
それが多分大きな豚骨ラーメンの有名店で出したのは経過最初。
それ以外にも散髪的にあって。
その一つがグルメラーメン石というところで。
それで同じ時期ぐらいなんですけど。
小平市といえば小平市の小川西部線、西部何線ですかね。
そこまではあれです。
私ちょっと東京の施設は少し遠いので、
申し訳ない。JRが多いんですからね。
強い意味と弱みがある。
ごめんなさい。
小川駅だったかなっていうのはあるんですよね。
こう降りたらもうすぐブリジストン工場。
福岡の方ならすぐ分かるって話ですね。
それがグルメ工場に次ぐ工場として1960年にタイヤ工場ができたんですね。
小平市の。
なるほど。
それでそれに合わせてグルメから800人ぐらい従業員の方が移動したらしいんですよ。
転勤したんですね。
転勤して。
それでその工場は当時生産もすごいんで、
すごい工場は繁盛というかフル稼働してたらしいんですけど。
だんだん豚骨ラーメンが食べたいって声が上がり出したらしくて。
まあ分かる気がするんですよね。
私だってちょっとあるけど豚骨ラーメン屋さんを目指していってたわけですから。
やっぱりふるさとの味ってすごい恋しくなるじゃないですか。
それで豚骨ラーメンが食べたいって言って捨てをいろいろ頼って。
ブリジストマーケットっていうブリジストの聖教みたいな食べ物があったらしくて。
それで白羽の家が建てられたのが石橋さんという。
石橋さん。
ブリジスト関係ないですね。
関係ない石橋さんというのが奥様が久留米でラーメン屋さんを経営されていて。
その石橋さんというのはもともと大学生まで福岡にいて、
そこで奥さんのところでバイトまでしてて。
だから作ろうと思ったら作れる。
それでブリジストマーケットの方がその石橋さんの後輩で、
先輩、ラーメン場やりよったでしょうか。
ラーメン屋やりませんかみたいなことを言われて。
元々サラリーマンだったらしいんですけど。
じゃあ今の話は久留米のラーメン屋さんが移ったんじゃないんですね。
東京でサラリーマンをやっていた石橋さんに高校時代の後輩が来たら、
声がかかってブリジストマーケットで働いているけど、
従業員がラーメン屋みたいな。
だから作ってくれって。
仕事を辞めて。
それでじゃあ作ろうっていうことでブリジストマーケットに出したらしいんですよね。
そしたらもう大流行り。
もう夜中まで飲めやる大変な大騒ぎって言ってました。
ラーメンもあるし餃子も出して。
そんな感じで。
だからもうすごい大繁盛で大ヒット。
今はちょっと小川駅から歩いて、
7、8分くらいどこに移って、
ブリジストマーケットじゃないんですけど、
駅からも近いんですけど近づくとやっぱり豚骨ラーメンの匂いが。
そういう匂いがしたらすごい嬉しいですよね。
それで入って石橋さんがまた吸収顔なんですよ。
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吸収顔ってどんな吸収顔なんですか?
掘りの深い。
明らかに違うなって。
言葉ももう完全なちっこ弁。
今でもたまに東京で近く行った時は行くんですけど、
本当にすごい常連さんに支えられてるんですよね。
今でもブリジストの工場は今もあって?
今あるんですけど、もうタイヤ工場みたいな感じじゃなくて、
ちょっと最先端な研究所みたいになってるんですけど、
だから昔通ってた人、
引退して定年退職してもそこに通って、
工場なんで結構地方。
僕が行った時に東北から来た方とか、
そういう方ばっかりだったんですよね、店の中。
最初豚骨ラーメンとかすごい臭くて食い切れなかったけど、
今はもう食べてるっていう。
言いながらもう言葉までちっこ弁になってるんですよ。
そのお客さんが東北支社。
なんかそんな感じがすごいじゃないですか。
やっぱり産業と一緒に。鉄道だけじゃなくて。
私も1回目の方で初任地が八幡、北九州の八幡。
八幡で言えば製鉄の町なんで、
同じようにブリジストと同じように、
八幡からも千葉の近日ですかね、
製鉄所ができた時に八幡からかなりの方が
千葉の方に移住されてってことですね。
もしかするとやっぱり九州の味って
結構千葉の方でも求めるというか。
私はその近日の九州ラーメン日吉というところがあるんですけど。
近日にもあるんですね。
近日製作所ができた時に、
同じような感じのことが起きて、
それで戸端にいた客が近日に引っ越して、
そこでラーメン屋さん始めて、今でもあるんです。
それ豚骨ラーメンで。
去年から行ったんですよ、
暴走半島をずっと。
ラーメン取材。
ラーメン取材というか、ラーメン食べに行きました。
それで今2代目の方がやっていて、
当時は九州出身ばっかりの、
当時は九州出身の方ばっかりで、
黒いラーメンは食べきらんけん。
豚骨ラーメンは作って。
黒いラーメンで醤油ラーメンのことですね。
それで作ったら流行りで、
今でも豚骨ラーメンを作ってます。
豚骨ラーメンとおでん。
今でも2軒あります。
ちょうど台本に写真載せてますけど、おいしそうですよね。
これはあれですね。
石井さん。
石井さんの方なんですね。
九州顔っていうのがこの石井さん。
写真が。
これは岡田さんの本に載せてる写真ですよね。
そうです。
九州顔でしょ。
確かに。
いろんなところにいらっしゃいそうだと。
そんな感じで、スポーツの方では、
交通機関、鉄道とラーメンの話でしたけど、
実はこういった産業とも、
産業の発展ともラーメンという密接な繋がりがあるという話として、
やっぱりラーメンって奥深いですね。そう思うとですね。
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本当そうですね。
こんな話になるんですね。
ラーメンでもこれがおいしかった、あれがおいしかったみたいな、
グルメ的な番組かと思って聞いてた方もいらっしゃったかもしれませんけど、
実はこういう番組でしたという。
そうですね。
岡田さんのラーメンの本もですね、
まさにラーメン汽車救出をさせる楓編も、
まさにそういうお話ということで。
そういうことがいっぱい載ってますので。
やっぱり本を読むと業館から滲み出るような味がしますね。
味が。
ちょっとうまいこと言おうとして滑りましたけど。
そんな感じでですね、
もう少しお話は岡田さんから伺いたかったところなんですけども、
残念ながらまたお時間が来てしまいましたので、
この辺りで締めたいと思うんですけど、
横山さん改めてどうでした?2回目の本も。
いやいや、僕は小川さんの本のおすすめの読み方があって、
自分が行ってる店、
幼い頃通ったとか今行ってるとか、
思い出がある店からページを開いて、
僕が読むんですよ、結局。
知ってる店からね。
知らない店を探すというよりも。
横山さんご自身は知ってるんですか?
僕が知ってる店から探して、
とんびとんび全部読むというよりも、
あちこち読むんですけども、
今日の小川さんの話を聞いて改めてなんですけど、
これ通しで全部読んだら、
今日のような、いわゆる一つの物語になっていくのかなと思うと、
また読み直さないかなと思うところですね。
そうですね。中にはですね、
以前読みましたように付箋を、
色違いの付箋を貼って、
美味しかったところとそうじゃなかったところ、
色違いで使ってる方もいらっしゃるということで、
いろんな使い方ができる。
僕の読み方はそのタイプですから。
ありがとうございます。
最後に一つだけお知らせをさせてください。
高価なニュースアプリ、西日本新聞民に、
お得な年払いプランが誕生しました。
そろそろですね、
冬のボーナスも出る頃ということで、
概要欄から簡単に登録できますので、
どうぞよろしくお願いします。
小川さんからもですね、ぜひこの機会に
また本の紹介を改めてしていただければと思います。
今日お話したみたいな各店の歴史だったりとか、
店だけじゃなくて、
地域の歴史ですね。
そういう歴史を色々取材して書いていますので、
ぜひ書店に行ったらお手に取って、
立ち読みして、
気に入ればお買い求めください。
よろしくお願いいたします。
ぜひ皆さん買っていただけることを信じております。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
小川さんの記事は、
西日本新聞とニュースアプリ、
西日本新聞民でお読みいただけますので、
記事のリンクは概要欄に貼っております。
小川さんの記事が読みたい、
西日本新聞やこの番組を応援したいという
思っていただける方、ぜひご購読のほうを
よろしくお願いいたします。
本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。