1. 西日本新聞me Podcast
  2. 03|ラーメン記者九州をすする..
2024-11-11 25:14

03|ラーメン記者九州をすする!(前編)

西日本新聞が取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me・ポッドキャスト」。 ラーメン店の歴史をひもとく「ラーメン記者」小川祥平さんから、九州の歴史や産業、社会と共に歩んできた、老舗ラーメン店の話を聞きます。 ◆関連記事 ラーメン記者、九州をすする https://www.nishinippon.co.jp/serialization/ramen_noodle_story/ ◆出演・スタッフ ・出演:小川祥平(ラーメン記者)、横山智徳(メディア戦略局)、中原岳(MC) ・音声編集:中富一史 ・映像編集:井上知哉 ◆収録日 ・2024年10月29日 ◆西日本新聞Podcast情報 ・Xの公式アカウントです。フォローをお願いします。メッセージは「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。→https://x.com/nishinippon_poc ・メッセージ受付フォーム→https://x.gd/O5RFS ・収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)→https://n-studiotenjin.jp/ #西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞mePodcast #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #ラーメン #ラーメン記者 #ラーメン記者九州をすする

00:11
西日本新聞me Podcast。この番組は、西日本新聞が取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しするポッドキャストです。
こんにちは、西日本新聞社の中原岳です。
同じく、西日本新聞社の横山智則です。よろしくお願いします。
はい、前回までは福岡の再開発についてお話を聞いてきたんですけれども、今回のテーマはラーメンということで、福岡の街を語るには外せない話題と思いまして、
本日、スタジオには本市が誇るラーメン記者に来ていただいております。小川さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは、私の方から小川記者のことを紹介したいと思います。小川翔平さんは、九州各地のラーメン店の歴史をひも解く通称ラーメン記者です。
西日本新聞社に入社し、長年、新聞などでラーメン屋さんの連載をしてきました。そして、今年2冊目のラーメン本となるラーメン記者九州をすする＀(前編を出版されました。
かなり2冊目になったということで、紹介するラーメン屋さん結構な数になったんじゃないかなと思うんですけど。
そうですね。今回は2冊目は100件ぐらい紹介して、前回が50件ぐらいなんで、150件ぐらい。
全部九州のお店という。
九州が中心。
東京とかがありますね。
すごいですね。ちなみに小川さんは、やっぱりこういったラーメン記者ということで、言ってみれば西日本新聞社の名物記者ということで、私は人事部なんで採用担当してるので、
今年の6月に福岡の民放の方と一緒に行った就活イベントで講師に来ていただいて、学生さんに西日本新聞に入るとこういう本も出せるよってことをしっかりアピールしていただいて、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、この辺で前振りをこの辺りにしておいて、月に一度、小川さんのラーメン連載というのが、西日本新聞長官のモット九州麺というところで行っておりますけれども、
西日本新聞の愛読者の方は楽しみにしている方も多いと思うんですが、小川さんがこうしてラーメン屋さんの取材を始められたのっていつ頃からになるんでしょうか。
15年ぐらい前に遡るんですけれども、当時佐賀総局って佐賀市内の事務所で記者をしてまして、そこで週1回かな、自分で面を担当の面があって、他の記者に割り振りをしたり、取材したりして埋めていくという作業があって、そこで毎週結構1面埋めるのって大変は大変なんですか。
1日目まるごと担当だったね。
それでこういろいろ考えたところですね。
自分で、もともとラーメンすごい好きだったので、それでラーメン好きなんで、自分で取材した方が自分も楽じゃないかということで、ラーメン取材をしようと思っていて、それで本もそうなんですけど、
ただ、グルメ冊子みたいにラーメン屋行きました、この味はどうたらこうたらです、みたいな感じでも面白いんですけど、すごい僕ラーメン好きでずっと行ってたんですけど、なかなかこう結構怖い対象って多いじゃないですか。
03:09
そうですよね。
それで、大体そういう印象で喋ったこともあんまりなかったんですけど、取材と称して声をかけてみると、そしたら意外にコアモテの店主はそうでもなかったり、ボロボロボロボロ面白い話が出てきたりとか、
そういう形でこういうテーマで取材するの面白いなということで、それがその後僕が転勤でいなくなっちゃったんでその返済終わっちゃったんですけど、
10何回ぐらいやったと思うんですけど、そこからもう味を占めたというか。
なるほど、まさにラーメンだけで。
それからですかね、だから15年前ぐらいの佐賀が始まり。
なるほどですね、ラーメン記者としての取材は佐賀が原点ということで。
その時の一番印象に残ってるお店っていうのをちょっとご紹介いただきたいなと思うんですけど。
当時もうなくなっちゃったんですけど、タンキューさんっていうお店が佐賀の玉屋デパートの迷惑屋になってて、そこに連載の何回目かでお伺いして、
その時にお話を聞いたのがすごい印象的というか、シカショさんという方が店主で、その話を聞くとすごい歴史を持った方でしたね。
ラーメンって、クルメで昭和10年くらい南京線料という店が豚骨ラーメンの始まりってよく言われる。
有名でした、僕も行ったことありますよ。
屋台のとこ。
屋台のとき。
屋台もあるんですよ。
屋台じゃない、店舗だった。
西鉄クルメ駅前に屋台があって、店舗もあるんですけど、今でも。
当時は屋台で始まったんですけど、そこを豚骨ラーメンの発祥の店って言われていて。
それで、ただ今よく食べられる白濁スープの豚骨ラーメンっていうのは、戦後のクルメ駅で始まったサンキューと言われてるんですよね。
クルメ駅。
クルメ駅。
クルメ駅の前ぐらいに屋台があったサンキューという店が白濁ラーメン発祥の店と言われていて。
南京ラーメンよりも後だけど、南京ラーメンは白濁ではない豚骨ラーメンなんですね。
豚骨よく言うけど、当時横浜の中華街、金貝とかでは中華そば、品そばみたいなの食べられてたんです。
それも豚骨使ってるんで。豚骨ラーメンって言ったら豚骨ラーメンなんですよね。
ただ、今僕たちが頭に思い浮かべる豚骨ラーメンってやっぱり濁っていくんですよ。
それの発祥は戦後のクルメ駅、前ぐらいに屋台があったっていうのを言われてるんです。
なるほどですね。
苦伝みたいな話なんで、どこまで正確かっていうのはあれなんですけど、今残っている話というか、そういう話ではそこが最初で。
そのサンキューという店をしたのが杉野さんという方がやられていて、数年後に小倉にサンキューの店を売り払って小倉に移ってるんです。
なるほど。
それで今でも小倉にその店あるんですけども。
それもサンキューなんですか?
宇佐町にあるんですけど、なんでしたっけ?
06:01
宇佐町?
宇佐町。
カミングシーですか?
カミングシーです。
でも当時の小倉というとやっぱり、八幡から繋がってくる青鉄でも結構有名で、当時の北九州はやっぱりいろんなところから人や物を吸い上げる力があって、初日が八幡だったんですけど。
そうなんですね。
やっぱりあの当時の北九州の勢いの、昔の人はよく話すんですけど、やっぱり今とはちょっと考えられないようなパワーが、今もそのパワーが北九州にありますけど、当時は本当に物理的なパワーが本当にあったようなんですよ。
あ、ありました。
自分の本でかい、自分の本で。
雷雷拳。
雷雷拳。
ありがちな。
ありがちというか、そこからどんどん広がった雷雷拳という意味でもあるんですけど。
そうなんですね。
それで雷雷拳に杉野さんという方が行っちゃったんですけど、四川町さんはその杉野さんと友人で、そのサンキューののれんを買い取った。
買い取った。
まあ、ただじゃないですからね。
それで、車駅前でサンキューというラーメンを四川町さんが始めて。
始めた。
そこで、そこから四川町さんって結構経営の才覚が。
今って、昔ってラーメン屋さんって始めたら、その場所で一台家族経営で、ずっとのれんを子供に受け継いで、ママに受け継ぐっていうのが多分一般的だったんですけど。
場所を変えたりとか、多店舗化。
はいはいはい。
その時代からやっていて。
それで、やめにも出したってお伺いしましたし、そのもう一つが多摩な。
多摩な。
多摩なしにも出したという。
その多摩のサンキューっていうのが起点というかとなって、熊本から来た職人、職人とかラーメン屋やりたいって言ってた人が、そこで学んで熊本市内に広げて。
小村崎さんとか、経過ラーメンさんとか。
経過ラーメン有名ですよね。
そういう店にもつながったっていう。
清書さんっていう。
久留米に行って、それから福岡山に広げたり、多摩なに広げてそこから熊本に広がったりとか。
久留米っていう立地が良かったのかもしれませんね。
いろんな方向に広がっていく。
そうか。
鉄道もあったし、3号線も多分あったと思うんで。
それでその多摩なし店とか久留米の屋台を閉めて戻ったのが佐賀のお家だったと。
なるほど。
どこで今佐賀に再度出てくるかちょっと不安になっちゃった。
前置きがなかったんですけど、そういう形で昭和30年ぐらいに佐賀に。
戻って。
戻ってというか新しい場所ですね。
そこで開いたのは同じ名前のサンキューと。
昔もうなくなっちゃったんであれなんですけど、のれんにサンキューって書いてあるんですけども、のれんを見ると久留米系ってわかるんですよ。
青字に竜がかかってまとってというか。
そういう久留米ラーメンにありがちなのれんのデザインというか。
そうなんですね。
久留米ラーメンののれんは青に竜があふらってあるみたいなのが多いですね。
09:00
私実は佐賀出身なんですけど、サンキューさん、佐賀も佐賀ラーメンっていうジャンルがあるんですけど、
サンキューさんがその佐賀ラーメンの元祖という言い方になるんですね。
一級犬さんとかが佐賀の中ではすごい古いお店なんですけど、
そこのサンキューさんで働いてた方が一級犬さんに味を教えて、
それで一級犬さんからまた弟子が広がって、
今人気のある店っていうのは結構一級犬さん系の流れがあったり、
その後新しく始める店も昔はラーメン作れるようになると、
ちょっとコンサルティング業みたいにするんですよね。
今でも同じじゃないですか。技術があったら独立支援してあげる。
そういう形で一級犬さんで働いてた職人さんに習って開業したって店って結構ある。
だから直接の一級犬さんの修行先ではないけれども、
そういうラーメンの作り方というのが後の世代に伝わって新しい店が開業されて、
あれも残ってるっていう店も結構多いですね。
佐賀ラーメンって言うと結構生卵が入ってる特徴が特徴かなと思うんですけど、
それもやっぱ三級さん始めたんですか。
三級さんも昔から始めてやっていたと。
なるほど。
発祥となると、発展としないところが。
そうですよね、懐かしいところですね。
今日テレビで偶然見たんですけど、でもそういう説もあるのかなっていう。
生卵乗ってるんですね。
そうなんですよ、生卵が乗ってる。
僕食べたことないかもしれない、生卵乗ったら。
食べたことないですか。
ないかもしれない。
意外に合うんですよ。
生卵、卵黄だけをピストルで。
味変になりますよね、途中で。
途中でこう割るみたいな。
三級さんで言えば、生卵がどこが始まるかちょっと僕は調べきれてないですけど、
出前の時にシャンプーハットみたいな。
ありますね。
スープがこぼれない。
あれを発明したのも三級です。
すごいですね、それはすごいですね。
私長崎にも行ったんですけど、長崎のシャンプー屋さんもそういうことやってましたよ。
特許取った?
特許取ったみたいな。
すごい。
あと紅生姜入れるじゃないですか、今博多ラーメン。
当時はシナチクを食紅で染めてたんですよね。
それを三級さんが入れてたんですよ。
紅生姜じゃなくて、もともとはシナチクを食紅で染めたやつを入れていて、
だからその流れにある店って結構赤いシナチクが入ってて。
多分そこから紅生姜に派生していったんじゃないかという。
トッピングにも歴史があって。
確かに。
紅生姜入れるの博多ラーメン?
そうです。
別に東京とかは入れない?
入れないですよね。
スープを汚しますから。
そうですね。
そうですよね。
楓玉の時に僕入れましたね。
最初から入れてた。
僕はデザートでしょ。
デザート。
シナチクを食紅で。
入れざるを得ない。
大人にとって。
12:00
ということはやっぱり小川さんとして一番好きなラーメンは取材の原点であっても佐賀ラーメンになってくるんですか?
そうなんです。もともと佐賀に行ってこの連載始めたんですけど、その前は福岡に住んでたんですけど、
福岡時代から佐賀ラーメンすごい好きで。
食べに行ったりしてたんですよね。
そうなんですね。
それがあって始めたっていうのもあるし、
それで当時はただ佐賀ラーメンって全然知名度もないし、
佐賀ラーメンって何?って言ってはあって、
当時始める時に店を紹介した店にデスクが食べに行って、
全然おいしくなかったみたいなことを今でも覚えてるんですよ。
だから趣味が合わないなと思いながら。
そういうことなんですね。
ただ今、当時はそうなんですよ。
佐賀ラーメンって一口目、二口目より三口目、四口目ぐらいがおいしくなる。
博多ラーメンとか結構パンチがあるというか、
一口目からガツンておいしいラーメンが多分主流だと思うんですけど、
佐賀ラーメンってちょっと違う。
だんだんおいしくなっていく。
優しい味?
優しい味。
あっさりとか薄味とか。
薄い味じゃない。
ただ豚骨の出汁はだんだんと意外というか濃いというか。
多分博多ラーメンより豚骨の風味はすごい。
いい意味で臭い感じがありますね。
だからそれで当時はそんな佐賀ラーメンが強いたげられていた時代だから、
私は応援していて。
最近は佐賀ラーメンって結構ですね、全国的にも。
知名ですね。
店からの冷凍で送ってるやつもすごい人気ですし、
東京の超有名ラーメン店主が佐賀ラーメン店を激推ししてたりとか。
今はもう佐賀ラーメンというブランドができつつある。
それはいいですね。
なるほど。
その佐賀ラーメンの話も先ほどちょっと少し触れた2冊目のラーメン本の
ラーメン記者吸収する怪談話編にも載っているんでしょうか。
もちろん。
佐賀ラーメン。
もしよろしければ、
今日動画をご覧の方には本を今からお見せしますので、
音声でお聞きの方はぜひネットで検索していただければと思うんですけれども。
はい、こういう形で。
これは似顔絵というか。
ラーメンをすすってらっしゃるのは、
表紙にラーメンをすすっている男性の絵が描かれてるんですけど、
これは小川さんなんでしょうか。
私の写真と。
あとこれは丸干しラーメン。
この総画を描いていただいたのが、
北九州市出身の牧野勲さんという画家の方なんですけど、
それで一応モデルじゃないですけど、
イメージ素材を持ってくれって言われて。
私は牧野さんと何度もご一緒してるのでわかるんですけど、
どういう店がいいかなって思った時に、
元祖長浜屋さんと丸干しラーメンがさやんで、
その2つの写真を見たら、
テーブルが赤い。
これは多分元祖。
この親父さんは丸干しラーメンの親父さんかなって。
なるほど。
なるほどですね。
表紙はじゃあ元祖と丸干しのコラージュですね。
そうですね。
この1冊目の方が50件で、
今回のかゆ玉編が100件。
15:00
100件ぐらい。
かゆ玉の方が量が多いという。
なるほど。
この本今はもう、
高橋市内や、
佐賀の書店でも見たことあるんですけど、
いろんなところで販売されてますね。
そうですね。
大きな書店だったらだいたい売っているとは思います。
ですのでお聞きの皆さん、
ぜひラーメン屋さんを巡る時は、
このラーメン記者吸収するかゆ玉編をぜひ手に持ち、
一緒にラーメン屋さん巡りをしていただければと思っております。
以前読者の方で買っていただいて読んでますっていう方とお会いして、
付箋がむちゃくちゃ付いてる。
それで行った店に付箋やって、
店主にもこれで来ましたって言いに行って。
ありがたいですね。
すごいありがたいです。
2冊も持っていて、1冊は保存用で、
もう1冊は付箋。
大変じゃないですか。
それで付箋の色が違うんですよ。
それで聞いたら、
むちゃくちゃ美味しかった。
美味しかった。
ちょっと違った。
たまにその色があるんですよ。
それが大きい色みたいな。
でもそのイマイチだったみたいなやつは開けなかった。
なるほどね。
すごい。
まさにレビュー本のような感じになってきたということですね。
この本ももちろん佐川のラーメンの話もあるってことだったんですが、
もちろん福岡博多のラーメンのこともたくさん紹介されてあるということで、
中には新幹線の開通がきっかけとなったお店もあるというふうに。
いろいろ先ほど言ったように歴史を聞いていく連載というか取材なので、
多分町とも不可分というか、
町が変わればラーメン屋さんも変わるという形で、
その中でやっぱり天神博多って再開発の歴史ってすごいあると思うんですけど、
そうですね。
そことやっぱり付随するような形でラーメン屋さんが生まれて、
当時は戦後だったりそれ以降行動成長期みたいなところっていうのは、
再開発で新しいビルが建ったりとか新しい商店街ができるときに、
必ずと言っていいほどラーメン屋さんが入ってきたりとかして、
そこをきっかけに入ってきて、そこで今でも続く名店に育て上がってきた。
そういう意味では今は再開発に入ってるじゃないですか。
ただ今、じゃあ新しいラーメン店入るかなって思ったら、
多分入らないと思うんですよね。
そうですね。なかなかそうですね。
今の再開発、いわゆるワンビルに入るかガーデンシティ大名に入るか。
なかなか。
全国的なチェーン店は入るんでしょうけど、
個人でやったり数件でやってるようなラーメン屋さんって入らないと思っていて。
だからそれはそれで別に悪いことじゃなくて、
今は多分違う店が入ると思うんですよ。
ただラーメンっていうのは当時のそういう心身経営の店だったという思いもあって、
その中で結構印象に残ってるのが、
先ほど言った新幹線できっかけにという土産工さんと、
あと名台ラーメンって知ってます?
僕らの会社の天神の近くで言うと、元コア?
天神コア。
天神コアの地下にあったお店ですね。
ありました。
それで今回再開発でなくなっちゃいました。
なくなっちゃいましたね。
それで博多駅にも地下街にあって、そこはまだあるんですけど、
18:00
そのお店っていうのが元々天神コアの成る前が稲葉町商店街。
そこで果物屋さんやってたんですよ。
元果物屋さんなんですか?
ホーリキという果物屋さんやっていて、
それで稲葉町商店街って結構火事があったりとかあったんで、
もう建て替えの噂というか、
いずれ建て替わるぞっていうようなことをずっと言われていて、
それでホーリキさんという方が社長なんですけど、
建て替えるときに間が空くじゃないですか。
だから何か違うこともやっとかないか。
ということでちょうど博多駅が、新博多駅があれはいつぐらいですかね。
ちょうどあの山陽新幹線が博多まで開通したのが1975年。
ちょうど今から、来年今50年。
それより前に博多駅が移動してるんですね。
そうですね。
たぶん昭和30何年くらい、昭和40年くらい。
博多駅移動して、もともともう少し海側というか、
祇園寄りの。
それから移動したときにちょうどホーリキさん、博多駅ができるから、
そこの地下街もできて、交通センターとかもできるから、
そこで店を出そうと。
稲葉町商店街だけでは不安だから。
それで出したのが名台ラーメン。
へー。
それが昭和40年代くらいですかね。
それでそこで出して、結構成功して、
それで今度は稲葉町商店街が大化に見舞われて、
それで完全に建て替えが決まって、
それで今の天神子はですね、昔で言う第一なんとかビルっていう。
今で言うとというともう今じゃない。
僕たちで言うとですね。
それでそこに入るときに、それができたときに、
名台ラーメンの天神店もできて。
だから博多駅が新しくなるから博多駅に出して、
それで稲葉町商店街が新しいビルになるからそこにも出して。
だからそういう今で言う再開発のところにこう入って。
それで我々も大佐の近くでよく行ってたじゃないですか。
サラリーマンが12時から満席でしたもんね。
だからそういう当たり前の店になってしまって、
その頃にも我々は行ってたんです。
でもほんとちょっと紐解けば新しい新山物で、
新しくなったときの新しい店だったという。
そういう再開発との絡みも面白くてですね。
名台ラーメンはいわゆる地元の豚骨系になりますよね。
一方でもう一個の先ほど少し言われた土産庫というと、
土産庫というとよく北海道生まれみたいな意味で伝うことが多いんですけど、
ということはこの土産庫は九州、豚骨系ではないっていうことなんですか。
豚骨は先ほど言ったように使ってるんですけど。
味噌ラーメン。
そうですね。
土産庫さんももともとは、これも昔バスセンターの時点で、
味のタウンってあったの知ってます?
知ってます。
それで今はソラリアステージか何かに移動してあるんですけど、
その味のタウンっていうのができるときに、昭和36年。
オープニングのテープカットが稲穂一さん。
21:00
できるときに、天太郎っていう珍麺で有名だから。
そこも知ってます。
ちょっと数年前になくなっちゃったんですけど、ソラリアステージに入っていて、
ずっとそこの味のタウンからソラリアステージの味のタウンにずっと入ってた店なんですけど、
この珍麺を発明したというか、
天太郎の経営者さんが1960年代ぐらいに全国的に味噌ラーメンブームって起きるんですよ。
それこそ土産庫っていう名前で。
すごい広がった時代があって、
そこにあやかって福岡でもと思って天太郎の社長が土産庫を始めた。
そうなんですか。
じゃあ同じ人がやってるんですね。
昭和の商店街で始めたんですけど、あんまりうまくいかなかったらしくて、
それでいとこが働いてたので、いとこにも譲ったらしい。
土産庫。
それでいとこがやってても、味噌ラーメンなんてそんなにあんまり評判というか、
博多って豚骨ラーメンばっかりになってた。
それであんまりだったんですけども、それこそ先ほど言った新幹線の前線開業です。
岡山までだったんですかね、当時は。
そうですね。一旦岡山までは山陽新幹線、岡山まで一旦できた。
その後博多まで延伸したっていう流れ。
それが昭和50、51年とかそれぐらいですかね。
40年の昭和ぐらい。
50年ですかね。
それで新幹線開業したら東京とかから結構出張客が来るんですよ。
なるほど。
それででも東京の人って豚骨ラーメン当時って全然食べたことないんですよ。
敬遠するんですよね。
今みたいに今だったら福岡来たら豚骨ラーメン食べて帰ろうってなると思うんですけど、
当時そういうわけでもなくて、そういう方たちが土産庫に来だしたらしいんですよ。
川端商店。
川端商店。味噌ラーメンがおいしいから。
そっからむちゃくちゃ売れだして。
それでだんだん売れて売れて博多の味みたいになっていく。
ですよね。
今では博多の味噌ラーメンみたいな。
そういうことなんですね。
確かに不思議ですもんね。
博多なのに昔からある老舗の味噌ラーメン屋そうですよね。
そうなんですよ。
なるほど。
こんな感じで天神とか博多の再開発や新幹線ができるという街の大きな変化に博多のラーメン文化もついていったというところで、
すごく興味深いお話があってですね。
本当は台本上もうちょっと紹介したいお店があったんですけど、そろそろお時間が来てしまいましたので。
横山さん今日のお話どうでしたか。
私も勉強になりましたけど、熊さんどうでしたラーメンの話。
名台ラーメン名台ラーメンってお母さんが言うけど、僕は今日の今日まで名台ラーメン。
いわゆる名札の名に時代の時代。
多分みんなそんな呼んでるんじゃないかな僕だけじゃなくて。
なんか聞いたんですけど、私も名台じゃなくて昔は名台とか名台。
私も最初は名台だと思ってました。
ですよね。
途中で名台って聞いたそうなんだと思って。
広沢虎蔵さんっていう老局の方がいて、名台になるかな東海道みたいな歌詞みたいなのがあって。
そこからつけたと。
24:01
名台で間違いない。
ということでちょっと話はつけないところであるんですけど。
最後にちょっと一つお知らせでございます。
今回番組のメッセージの受付フォームを作りました。
概要欄の方にリンクを貼っておりますので、番組の感想などぜひぜひお寄せください。
小川さんもしよかったら本のご紹介もいかがですか。
今年の春ぐらいに出してますけど東京はちょっとだけなんですけど。
九州全域で100件以上えりすぐり。
先ほど何度も言ったようにグルメガイドっぽくなくて。
歴史をまとめた異色のグルメガイドと。
自分で書いてますけどね。
そういうふうになってますのでお手に取ってください。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
小川さんの記事は西日本新聞とニュースアプリ西日本新聞MEでお読みいただけます。
記事のリンクは概要欄に貼っておりますのでよろしくお願いします。
小川さんの記事が読みたい。
西日本新聞やこの番組応援したいと思っていただける方ぜひご購読をお願いいたします。
次回も引き続きこの3人でラーメン屋さんの話をしていきたいと思っております。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
25:14

コメント

スクロール