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2025-12-08 17:48

61|ペシャワール会の村上優会長退任 故中村哲医師が活動、アフガンの現地NGO代表は継続

西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。アフガニスタンで人道支援を続ける福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の村上優会長(76)が11月に会長を退任されました。村上氏は発起人として会を設立して以降、40年以上にわたりアフガニスタンやパキスタンの支援活動を続けてきました。また、本業の医師としては立ち遅れていた精神科医療の変革や地域医療の再生に注力されてます。節目を迎えた「ペシャワール会」について、報道センターの本田彩子記者に話を聞きました。

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サマリー

ペシャワール会の村上優会長が退任するニュースが取り上げられ、故中村哲医師の活動やNGOの現地での取り組みについて詳しく語られています。ペシャワール会はアフガニスタンで医療活動や用水路の建設など、様々なプロジェクトを展開しており、村上会長の長年の貢献についても触れられています。退任後、村上会長の遺志を継いでアフガニスタンでの医療活動や支援が継続され、最近の地震への支援についても詳しく紹介され、地域における活動の重要性が強調されています。

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西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回は、報道センターの本田さんに来てもらいました。よろしくお願いします。
はい、報道センターの本田です。よろしくお願いします。
ペシャワール会の概要
福岡の方はね、多分知ってる方多いですね。ペシャワール会の話で、会長を長く勤められた村上先生が、今回退任するというニュースを読みましてですね。
改めて、それこそペシャワール会って何って、どうなんだろう、福岡以外の人はあんまり知らないという人もいるのかな、なんて思いながら、今回ちょっとその話題でいきたいなと思っているところでして。
そうなんですよ、ペシャワール会って、西日本新聞よく読んでる人は、多分説明がいらない、大組織だと思うんですけども、改めてペシャワール会って何ですか、からいきましょうか。
はい、分かりました。ペシャワール会は、福岡市に事務所を置くNGOなんですけど、2019年に亡くなった中村哲先生、お医者さんのですね、の現地での活動を支えるためにできた団体です。
1983年に設立されたんですけど、84年から中村先生がパキスタンのペシャワールの病院に任されました。
その活動を、現地での活動を支える資金を作る団体として、中村先生のお医者さん仲間だったり、高校の同級生だったり、山登り仲間だったり、
いろんな仲間が集まって、有志が集まって作った団体が、今も中村先生が亡くなった後も活動を続けている。
今は活動はパキスタンからアフガニスタン、お隣のアフガニスタンの方に移っています。
で、ザクッと、後から説明を一振りしてもらおうと思うんですけど、ザクッと、現地で何をやってるんですか?
ザクッと大きく言うと、一つ大きく三つの授業を展開されてまして、まずは医療活動ですね。診療所が一つあります。
二つ目が用水路の建設。干ばつがアフガニスタンひどいので、用水路を作って水を流すということをされていて、
三つ目が農地、その用水路からできた水を使って農業を広げるという三つの活動が大きな活動です。
村上会長の退任
なるほど、そういうことなんですね。で、今回11月の記事では、そのペシャワール会の会長を長く勤められた村上先生が退任されるというニュースになってたんですけども、
それこそ今ここまでの話で中村哲さんがやってたのがペシャワール会か、そうだそうだと思っていただいた方多いと思うんですけども、
一方でペシャワール会っていうのはアフガニスタンでの中村哲さんの活動を支援するための日本の団体、福岡の団体なんだけども、その会長を長年されてた村上さんという人もいるんですよっていうお話ですもんね。
そうですね。村上麻里先生は10年前からペシャワール会の会長されてるんですけど、ペシャワール会は資金を集めて現地での活動のための資金を集める団体なんですけど、
また現地にPMSという現地団体がありまして、PMSが実際アフガニスタンで要するに掘ったり侵略したりということをやってる団体、現地の人、アフガンの人がもうたくさんいらっしゃるんですけど、
もともとはPMSの代表を中村哲先生がされてたんですね。ペシャワール会が村上先生が会長されて、なんですけど2019年に中村先生が亡くなってからは村上先生がペシャワール会の会長をしながらPMSの総委員長っていう形でトップが同じっていう形になっていたんですよ。
これは中村先生が亡くなったっていう事態が起きたんで仕方なかったんですけど、ちょっとこのいびつな団体を解消したいっていうこともあって、ペシャワール会の会長の方は世代交代が必要ということで退かれるっていう形でね。
写真なんかで見たらすごいお若いけどもう76歳になられるんですね。そういうことなんですね。それこそ村上さんと中村哲さんっていうのは古い仲間でってことなんでしょ。出会いはいつ?
もともと中村哲先生は九州大学医学部のご出身なんですけども、村上先生も九州大学医学部なんですけど卒業でいうと村上先生は中村先生の人学年下。
下。先輩後輩なんですね。
後輩の関係で、大学時代はそこまで接点がなかったということなんですけど、大学で同じ精神科なんですけど、精神科の医師なんですけど、卒業した後に最初に研修医として入られたのが佐賀県にある当時は国立肥前療養所。今でいう国立病院機構肥前精神医療センターなんですけど、こちらでお二人とも医師としてのスタートを切った。
なるほど。大学の先輩と後輩で、その当時はそこまで知らなかったけども、同じ病院でスタートを切った。
そこから一番接点のつながりとなりましたね。お二人とも中村先生も有名なんですけど、登山が趣味で、中村先生も登山がお好きで、1979年まだペシャワルカリの活動が始まる前なんですけど、一緒にパキスタンの山に登ったり。
すごいですよね、動きですよね。
その時に、夜通し医療の現実とかに語り合って、命の不平等があるんじゃないかと。いわゆる日本だったら治る病気でも、アフガニスタンとかパキスタンだったら、薬も届かずに患者が亡くなってしまう、そういう現状がある。
この命の不平等に意思として自分たちはどう向き合うか、そういう話で意見をぶつけ合った。それがペシャワルカリの活動のその後の原点になっているということでした。
若きお医者さん二人がパキスタンの山小屋でみたいな話なんですかね。
そうですね。
そういうことなんですね。それがやっぱり後に、いわゆるパキスタンだったりアフガニスタンの市につながっていく。
そうですね。山登りとかされた後に中村先生が84年にパキスタンの病院に赴任されるんですけども、その前年にペシャワルカリが作られています。
村上先生は発足の時から関わられていますね。40年以上ですかね。会の活動で右腕相棒のような形で二人三脚でこうやって来られた方です。
それこそ僕もちょっと台本に赤字で書いてるんですけど、中村先生の言葉、いくつか象徴的な紹介していただいていいですか。
そうですね。皆さん中村先生の言葉に影響を受けた方もいると思うんですけど、記事で取り上げた言葉に、心ない戦争に不動の良心を退治する。
暗ければこそ明かりの価値がある。違いや矛盾を挙げつらって拳を挙げるよりも血の通った共通の人間を見出す努力が先。
いろんな言葉を残されていますけど、村上先生自身も人生のいろんなところで、やっぱりこの中村先生の言葉を支えにしてきたということをお話しされていました。
そうですね。改めてですけど、最初にペシャワール会とか中村哲さんの話を知った、聞いた時っていうのは、水路が先なんですよね。
そうですね。私もそうだったかも。
アフガニスタンで用水路を作って砂漠を野口に変える取り組みをされているすごい人がいるんだよ。出身は福岡なんだよっていうことを聞いてわーっと思ったら、よくよく多分新聞記事だと思うけど読むと、お医者さんでとかいう話で。
そうですね。
多分当時だったかもその後の記憶とごちゃごちゃになってますけども、トラクターに乗ってるちょっと背の低いかっこいいお医ちゃんが、この人お医者さんなのみたいな。そうなんですよね。
そうそうそう。で、あーってすげーなーとか思ったのがやっぱり覚えてますし、そうなんですよね。でなんですよね。村上先生っていうのは実はそのペシャワール会の立ち上げある種のメンバーで中村先生と一緒にそうやって活動を続けてきただけではなくてっていうところが今回記事であって。
僕は本当にこの話は全然知らなかったんですけど、精神科の医療の分野でもいわゆる尽力されていらっしゃる。
そうですね。精神科医としても村上先生は有名な方で、ちょうど1970年代からペシャワール会が立ち上がるぐらいまでの間は、今以上に精神科の患者さん、精神障害の患者さんっていうのは人権が過論じられてた時代があるんですけど。
その差別を受けたり。
偏見も非常に強かったし、重症の方は隔離されるっていうような時代があった中で、村上先生は研修一代から旧世紀の患者さんの入院先を閉鎖病棟から開放病棟に変える取り組みを肥前で行われていたりですね。
あとその依存症の問題でも積極的に取り組まれていらっしゃって、アルコール依存症だったり薬物の依存症の方たちの当事者団体を設立されたり、そういう医師としての活動と並行してペシャワール会の活動もされてきたという方でした。
スーパーマンですよね。
そうですね。私も詳しく初めてこの取材で知りましたけど。
そうですよね。お医者さんしてるだけでもすごくて、ペシャワール会してるだけでもすごくて、この足し算だけでもスーパーマンなのに、その上っていういわゆる活動にも取り組まれていらっしゃるってことなんですね。
そうですね。しかも現在もまだ医師として勢力が動いていらっしゃいまして、国立病院機構、魔法的な病院の建て直しに奔走されてますが、なかなか経営が厳しくて潰れてしまうような全国の国立病院機構も回られてですね、建て直しをするという活動を今もされてて、
今も岩手の病院国立病院機構の方に勤務しながら2拠点3拠点生活っていうのをずっと続けてらっしゃる方ですね。
そうなんですね。そうなんだ。
76歳で。
そうですね。やっぱお医者さんはよくおっしゃってたんですけど、医師は都市部に集中する傾向があって、どうしても地方の病院になかなか医師が行かないという現状があると、そうするとやっぱ地方の病院はすごく厳しくなるんですけど、そうなると地方で暮らす人たちの医療が十分な医療が受けられない。
そういう状況は違うんじゃないかということで、地方の公立の病院をしっかり建て直すってことを志して進めてるってことでした。
最近もううちの記事だったかな。いわゆる離島からお医者さんがやっぱり減っているとか。
そうです。
村上会長の退任と中村哲の影響
別の新聞社さんも読みましたけど、やっぱり過疎になればなるほど田舎に行けば行くほど、やっぱりその医療の問題っていうのは結構その、いわゆる都会の当たり前がそうでなかったりっていうのはありますもんね。
はい。
なるほど。そういうことなんですね。
はい。
そういった意味では今も岩手であったり。
そうですね。花巻の国立病院機構、花巻病院の委員長特任補佐として勤務されてますね。
そういった意味ではそれこそ中村哲さんとの出会いっていうのは大きかったんでしょうね。
そうですね。ご本人もおっしゃってましたけど、中村哲先生に出会ってなければこんな冒険みたいな人生は送ってなかったと思うなっておっしゃってました。
そうですね。新聞では哲ちゃんに出会ってなければって書いてますね。
そうですね。哲ちゃんって普段はおっしゃってますね。
そうですよね。中村先生にしても村上先生にしても冒険みたいな人生っていうのはまさにその通りなのかもしれないですよね。
それこそ改めてになりますけども、それこそ残念ながら中村哲さんはもう何年か前に銃撃されてお亡くなりになられましたし、
いわゆる設立の同志である村上先生も今回節目を迎えるということではあるんですけども、いわゆるペシャワルカイの活動っていうのはもちろんその後も続いていて、最近の活動をちょっと紹介していただければと。
最近の地震への支援活動
中村先生が2019年12月にお亡くなりになってもう間もなく6年なんですけど、授業はすべて継続されてます。最初にお話しした医療授業も養成料授業も農地の授業も進んでるんですけど、
最近はこの授業に加えて8月の31日、日本でいうと9月1日だったんですけど現地時間で8月31日にアフガニスタンで大きな地震がありまして、
この地震が起きた時もペシャワルカイは支援を実施されてます。主にですね、現地にちょうど日本人のスタッフも含め行ってまして、
ちょうどその地震の震源地の近くがペシャワルカイが普段活動しているエリアとものすごく近かったということもありまして、
ペシャワルカイ、PMSとペシャワルカイのスタッフの被害はなかったんですけど、被災された地域のために何かできることはないかということで、
約70万ドル、日本円にすると1億円ちょっと1億500万円を拠出されて、山の奥のですね、他の団体の支援が行き届かないような集落を中心に、
約1200家族に2ヶ月分の食料と毛布を配布したり、あと家がなくなって倒壊してしまった方のためにすごく立派な仮設用のテント、仮設住宅用のテントを3000張り配布されたりされてますね。
この時もスタッフが一軒一軒家を訪ねて回って、何が本当に必要なのか、必要な人にきちんと支援が行き届くようにという形で支援をされたという話でした。
すごいですね。1200家族に2ヶ月分の食料と毛布とさらにテント、それも他の支援が行き届かないような、言ったら山の奥の奥みたいなイメージですよね。
いろんな、世界各地とか政府とかいろんなところから支援を入ってたみたいなんですけど、この間現地報告会であったのが、国道沿いのすごく場所がいいところに支援が集中するので、さらに山奥に登ったところっていうのは、そちらに住んでる方が降りてこない限りは何十キロも歩いて降りてこない限りは支援が行き届いてないという現状があったそうで、
そういう中村先生も誰も行かないから行くっていうことを大事にされてたので、その信念が受け継がれて、そういう支援が行き届いてないところを中心に支援をされたということでした。
すごいですね。これはまずはじめに1億円の規模の支援ができるという、それ自体も僕はすごいと思うんですけども、やっぱり40年にわたる活動が、現地での活動があるから、どこに困ってる人がいて、どこに支援が行き届かないだろうということを知ってやったら、いわゆるこういったことができるということになるんですよね。
これも日本側のペシャワール会からやってくださいって言ったわけじゃなくて、現地のですね、PMSって現地のアフガンの人たち、スタッフがたくさんいらっしゃるんですけど、現地の方から自分たちで支援をしたいという声が上がって、ならやってくださいということで、ペシャワール会から資金を拠出するという形で行われたということでした。
本日はいつも新聞を心温まる気持ちで、もちろんそんな取材ばかりじゃなくて、今は存じ上げておりますけども、読ませていただいております。ありがとうございました。
ありがとうございます。
最後に西日本新聞からお知らせです。西日本新聞のベテラン記者によるニュース開設イベントを1月22日19時から福岡市天神で開催いたします。参加は無料。抽選で40名様をご招待いたします。お申し込みは概要欄からです。ぜひご参加ください。ここまで聞いていただきありがとうございます。今後とも番組の応援と西日本新聞、スマホアプリ西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
どうも西日本新聞MEです。このアプリではあなたの知りたい記事から福岡の経済社会子育て教育イベント情報ライブカメラマップでわかる防犯情報に特集記事調査を依頼できるあなたの特命取材班速報。そう福岡の味方西日本新聞ME今すぐダウンロード西日本新聞。
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