唐津って言ったら、唐津くんちとかが結構有名で、パッとイメージすると思うんですけど。
くんちの取材とかはどうでした?
そうですね。唐津くんち、実は私が唐津局員だった1年間は本来の形で開催できなかったんですよ。
当時コロナ禍だったので。
そうか。
もう1日に縮小されて、なので取材もそんなにできなくて、本来通り。
ただその翌年、佐賀総局に行ってからもガッツリ、唐津くんち、ガッツリというか唐津くんちの取材をさせてもらいました。
もう3日間どっぷり唐津に入って、もうそれでもお酒も飲んで。
楽しそう。
なんかルポルタージュ書いていいよって言われたから、ルポのために、ルポのためっていうか、
いろんなルポを公実にやっぱりいろんなところに行って取材もさせてもらって、すごく充実して、本当にいい3日間でした。
唐津くんちの3日間を。
唐津くんちは私は写真部に来て、カメラマンとして行ったことはあるんですけど、
写真撮って終わりなんて、楽しいというより必死になるというか。
そうなんですよね。
走り回った記憶がありますね。
人が多い中で、ぎゅうぎゅうになりながらみたいな。
そうなんですよね。
唐津くんちも独自の文化もあって、私が聞いたのはその日本酒の太鼓という唐津の酒をお世話になって、
お世話になった人のところに配ったりとか。
あと、くんち料理というのも唐津くんちの名物というのであって、
引っ子さんたちが回りながら、お世話になっているお家とかお店とかに行って、
くんち料理を味わうというのがある。
味わうというか振る舞うというのがあるんですけども、
そういったのにも知り合いの引っ子さんに同行させてもらって、一緒にお世話になった人のところに配ったりとか。
その引っ子さんに同行させてもらって、一緒にいろんな家に行ってくんち料理をいただいたりとかしてました。
この文化は楽しいというか面白いですよね。外の人から知ったら特に。
私も初対面なんですけど、本当にみんなも昔からの知り合いのように喋りかけてくれるし、
飲んで聞いたら食べてってみたいな感じで。
くんち料理ってイメージがタイがあるみたいな。
そうです、そうです。
タイのニも?何なのかわからないけど、なんかえらい豪勢なものがずらっと並んでるイメージで。
味わったことないんですよね。
結構どっぷり地元に使ってというか、唐津に使って取材していく感じですよね。
そうですね。その三日川もがっつり唐津に使って取材しました。
色んな話も聞いたし、感動的な話も聞いたりしながら。
そうなんですね。
そうか、コロナ中っていうのはなかなかちょっと得意な時期だったっていう。
コロナで唐津くんちをやるかどうかみたいなところもありましたしね。
そうですね。私がいたときは一日だったしっていうようなところもあって。
やっぱり本格開催ってなると地元の人は本当に嬉しいですよね。
できるっていうことでも、宵山が夜明かりがついた瞬間とか、
やっぱ歓声も上がってみんな嬉しそうでした、すごく。
やっぱ唐津の大事なお祭りだし、やっぱ唐津の心っていうふうに言ってる人もいて、
すごく感じましたね、取材しながら。
あれ掛け声何でしたっけ?エインサーですか?ヨインサー?
そうです。なんか山によって一部違ったのかなと。
なんかちっちゃい子が金魚のかぶり物みたいな。
金魚のかぶり物?
かぶり物して真似してたの、覚えてるのと。
行ってみたくなります、話聞いてたら。
行ったことないですか?
行ったことなくて、まだ見たことないので。
ぜひ行ってみてください。11月です。
11月になるので。
なるほどね。唐津市局の仕事ってなると、
クンチ以外でも原発、原海原発もテーマだと思うんですけど、
その辺の取材のこととかはどうでした?大変でした?
そうですね、私の時は原海町長選があったので、無投票だったんですけれども、
やっぱそれで改めて原海町にとっての原海原発というのを取材したり、
原発と地域というのをメインに取材してました。
いろんな立場の人がいらっしゃるんですよね、中立の方だったり、
推進されてたりとか、基本的にはそういった方が多いんですけど、
90歳のおじいちゃんとかはずっと反対されてる方とかもいらっしゃって、
いろんな人といろんな立場の話を聞いて、取材して記事にしました。
直接会いに行くというか、どんな意見を持っている方でも、
会いに行って話してみたら割と納得できる部分もあったりとか、
そういう考えもあるみたいなのもあるんでしょうね。
そうですね、それこそ原海原発がなぜ原海町に誘致されたのかという歴史を知りたかったので、
そういったところ、もともと議長されてた方とかがいらっしゃって、
そういった人のところにお話聞きに行くと、やっぱり当時原海原発が来る前の原海町は、
佐賀のチベットと言われてて、本当に産業もない、苦しい、
みんな手稼ぎに行かないと生活していけないというような中で、
やっぱ原発が雇用を生むんじゃないかみたいな思いで誘致してきたんだという風に話されている方もいて、
一方でも90歳で反対運動で当初から活動されてた方とかは、
やっぱり東日本大震災もあって原発っていうのは危ないんだと。
その人の場合は原発も90歳なので、日本の戦争の時の話も知っているので、
そういったところの怖さというのを語っていらっしゃってて、
そういう地域でいろんな立場の人の意見を聞いて、
私自身そこはフラットに取材をしようという風には思っていたんですけど、
そういうのを聞きました。
一概に言えるのは民主党の方で、
どこに行ってもみんないい人で、
お魚釣ってきたから一緒に食べながら話そうかみたいな感じで対応してくださったりとか、
みんな県会長の人はいい人だったんですけど、
立場はいろいろで話を聞いていました。
一つの正解というのがないテーマですもんね。
そこで話し合いながらベタな選択肢を何かと。
結局、
経済部のテーマでもある。
経済部は給電産担当、給水電力担当という記者がいるので、
やっぱり企業側から取材することが多いですけど、
でもやっぱりですね、企業側もじゃあどこに置くのかとか、
そこに置いている地域とのつながりというのもすごくやっぱり大事にしているので、
でも少しでもちょっと小さな事故とかでもあったりしたら、
やっぱりしっかり記事にね、探すわけですね。
本当に安全性が担保されているのかどうなのかという視点はすごく、
どっちから取材をしても大事なのかなとは思いますね。
安全運転がもう絶対条件なので、そこはね、しっかりきちっと取材しないといけない。
そうですね。
でも最初、入社して1,2年とかで、そんな結構な大事なテーマとか、
そういうのがあっても、
そこはね、
やっぱり、
そうですね。
経験としては力がつくという感じですね。
そうですね。難しくはやっぱりあったんですけども、
という感じでした。
ちょうど唐津市局のときの市局長が私の同期だったので、
まあいろいろね、
飯村さんから聞く市局長の彼と、
私の同期だったので、
そこはね、
いろいろね、
飯村さんから聞く市局長の彼と、