1. 西日本新聞 星野松本のしゃべりぃよ
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2025-06-17 15:37

7-3|唐津くんちから原発取材まで。唐津のあたたかさに育てられました。ゲスト/福岡県政担当 飯村海遊記者③

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この番組は、西日本新聞社の記者たちが、就職活動や新人時代、プライベートの生活までざっくばらんにしゃべるポッドキャストです。同僚にも初めて明かす悩みや失敗の数々。記者の仕事に興味があるみなさん、ちょっくら聴いてみませんか?
ゲストは福岡県政担当の飯村海遊記者。新人記者として過ごした佐賀・唐津の魅力を語ります。

◆出演:星野楽(写真部)、松本紗菜子(経済担当)、飯村海遊(福岡県政担当)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年5月16日

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サマリー

福岡県の唐津市に関するエピソードでは、地域の温かさや唐津くんちの文化、さらには原海原発に関する取材経験が語られています。特に唐津くんちの独自の文化や地域住民との交流が印象深く描かれています。また、唐津のエネルギーや炭鉱に焦点を当てた取材活動が行われ、唐津の歴史やエネルギー関連の話題、佐賀での取材経験についても触れられています。

00:01
西日本新聞ポッドキャスト、星野松本のしゃべりぃよ。
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や私生活のあれこれをザックバランにしゃべるポッドキャストです。
こんにちは。番組の振興を務めます、西日本新聞社写真部の星野岳人。経済担当の松本園子です。よろしくお願いします。
今回も引き続き、福岡県政担当の飯村記者をお呼びしておりますが、緊張は解けてきましたかね。
大丈夫そうですか。
なんか順調ですもんね。
いいですね。引き続きよろしくお願いします。
唐津市の温かさ
ということで、初日が佐賀県の唐津市局だったと思うんですけども、どんな街でした?
私唐津大好きで、唐津市局担当で唐津と玄海町担当してて、本当に人が温かい。すごい面倒を見てくれる感じの方が多くて。
例えば玄海町の例なんですけど、同期がカヌーをしに遊びに来てくれたんですよね、玄海町に。
カヌーに乗っている途中に、私の携帯が鳴って取材が入ったと。
あるあるですね。
同期を水辺に置いて、私は取材に行ったら。
言い方。
街の人たちが同期をいろんなところに、玄海町のいろんな魅力的なところに案内してくれて。
でも同期も、すごい玄海町いい街だねって帰るときに、私が迎えに行ったときはすごい楽しそうで。
やっぱ温かいなって思いました。
それすごいですね。
放置していっちゃうのはしょうがないですよね。
そういうときもありますよね。
地元の人がいないんだったら、案内してやるかみたいな感じで。
優しい。
優しく頑張ってね。
唐津くんちの取材
唐津って言ったら、唐津くんちとかが結構有名で、パッとイメージすると思うんですけど。
くんちの取材とかはどうでした?
そうですね。唐津くんち、実は私が唐津局員だった1年間は本来の形で開催できなかったんですよ。
当時コロナ禍だったので。
そうか。
もう1日に縮小されて、なので取材もそんなにできなくて、本来通り。
ただその翌年、佐賀総局に行ってからもガッツリ、唐津くんち、ガッツリというか唐津くんちの取材をさせてもらいました。
もう3日間どっぷり唐津に入って、もうそれでもお酒も飲んで。
楽しそう。
なんかルポルタージュ書いていいよって言われたから、ルポのために、ルポのためっていうか、
いろんなルポを公実にやっぱりいろんなところに行って取材もさせてもらって、すごく充実して、本当にいい3日間でした。
唐津くんちの3日間を。
唐津くんちは私は写真部に来て、カメラマンとして行ったことはあるんですけど、
写真撮って終わりなんて、楽しいというより必死になるというか。
そうなんですよね。
走り回った記憶がありますね。
人が多い中で、ぎゅうぎゅうになりながらみたいな。
そうなんですよね。
唐津くんちも独自の文化もあって、私が聞いたのはその日本酒の太鼓という唐津の酒をお世話になって、
お世話になった人のところに配ったりとか。
あと、くんち料理というのも唐津くんちの名物というのであって、
引っ子さんたちが回りながら、お世話になっているお家とかお店とかに行って、
くんち料理を味わうというのがある。
味わうというか振る舞うというのがあるんですけども、
そういったのにも知り合いの引っ子さんに同行させてもらって、一緒にお世話になった人のところに配ったりとか。
その引っ子さんに同行させてもらって、一緒にいろんな家に行ってくんち料理をいただいたりとかしてました。
この文化は楽しいというか面白いですよね。外の人から知ったら特に。
私も初対面なんですけど、本当にみんなも昔からの知り合いのように喋りかけてくれるし、
飲んで聞いたら食べてってみたいな感じで。
くんち料理ってイメージがタイがあるみたいな。
そうです、そうです。
タイのニも?何なのかわからないけど、なんかえらい豪勢なものがずらっと並んでるイメージで。
味わったことないんですよね。
結構どっぷり地元に使ってというか、唐津に使って取材していく感じですよね。
そうですね。その三日川もがっつり唐津に使って取材しました。
色んな話も聞いたし、感動的な話も聞いたりしながら。
そうなんですね。
そうか、コロナ中っていうのはなかなかちょっと得意な時期だったっていう。
コロナで唐津くんちをやるかどうかみたいなところもありましたしね。
そうですね。私がいたときは一日だったしっていうようなところもあって。
やっぱり本格開催ってなると地元の人は本当に嬉しいですよね。
できるっていうことでも、宵山が夜明かりがついた瞬間とか、
やっぱ歓声も上がってみんな嬉しそうでした、すごく。
やっぱ唐津の大事なお祭りだし、やっぱ唐津の心っていうふうに言ってる人もいて、
すごく感じましたね、取材しながら。
あれ掛け声何でしたっけ?エインサーですか?ヨインサー?
そうです。なんか山によって一部違ったのかなと。
なんかちっちゃい子が金魚のかぶり物みたいな。
金魚のかぶり物?
かぶり物して真似してたの、覚えてるのと。
行ってみたくなります、話聞いてたら。
行ったことないですか?
行ったことなくて、まだ見たことないので。
ぜひ行ってみてください。11月です。
11月になるので。
原海原発の取材
なるほどね。唐津市局の仕事ってなると、
クンチ以外でも原発、原海原発もテーマだと思うんですけど、
その辺の取材のこととかはどうでした?大変でした?
そうですね、私の時は原海町長選があったので、無投票だったんですけれども、
やっぱそれで改めて原海町にとっての原海原発というのを取材したり、
原発と地域というのをメインに取材してました。
いろんな立場の人がいらっしゃるんですよね、中立の方だったり、
推進されてたりとか、基本的にはそういった方が多いんですけど、
90歳のおじいちゃんとかはずっと反対されてる方とかもいらっしゃって、
いろんな人といろんな立場の話を聞いて、取材して記事にしました。
直接会いに行くというか、どんな意見を持っている方でも、
会いに行って話してみたら割と納得できる部分もあったりとか、
そういう考えもあるみたいなのもあるんでしょうね。
そうですね、それこそ原海原発がなぜ原海町に誘致されたのかという歴史を知りたかったので、
そういったところ、もともと議長されてた方とかがいらっしゃって、
そういった人のところにお話聞きに行くと、やっぱり当時原海原発が来る前の原海町は、
佐賀のチベットと言われてて、本当に産業もない、苦しい、
みんな手稼ぎに行かないと生活していけないというような中で、
やっぱ原発が雇用を生むんじゃないかみたいな思いで誘致してきたんだという風に話されている方もいて、
一方でも90歳で反対運動で当初から活動されてた方とかは、
やっぱり東日本大震災もあって原発っていうのは危ないんだと。
その人の場合は原発も90歳なので、日本の戦争の時の話も知っているので、
そういったところの怖さというのを語っていらっしゃってて、
そういう地域でいろんな立場の人の意見を聞いて、
私自身そこはフラットに取材をしようという風には思っていたんですけど、
そういうのを聞きました。
一概に言えるのは民主党の方で、
どこに行ってもみんないい人で、
お魚釣ってきたから一緒に食べながら話そうかみたいな感じで対応してくださったりとか、
みんな県会長の人はいい人だったんですけど、
立場はいろいろで話を聞いていました。
一つの正解というのがないテーマですもんね。
そこで話し合いながらベタな選択肢を何かと。
結局、
経済部のテーマでもある。
経済部は給電産担当、給水電力担当という記者がいるので、
やっぱり企業側から取材することが多いですけど、
でもやっぱりですね、企業側もじゃあどこに置くのかとか、
そこに置いている地域とのつながりというのもすごくやっぱり大事にしているので、
でも少しでもちょっと小さな事故とかでもあったりしたら、
やっぱりしっかり記事にね、探すわけですね。
本当に安全性が担保されているのかどうなのかという視点はすごく、
どっちから取材をしても大事なのかなとは思いますね。
安全運転がもう絶対条件なので、そこはね、しっかりきちっと取材しないといけない。
そうですね。
でも最初、入社して1,2年とかで、そんな結構な大事なテーマとか、
そういうのがあっても、
そこはね、
やっぱり、
そうですね。
経験としては力がつくという感じですね。
そうですね。難しくはやっぱりあったんですけども、
という感じでした。
ちょうど唐津市局のときの市局長が私の同期だったので、
まあいろいろね、
飯村さんから聞く市局長の彼と、
私の同期だったので、
そこはね、
いろいろね、
飯村さんから聞く市局長の彼と、
唐津のエネルギーと炭鉱
私から見た彼は全く人柄が違うから。
そのとき市局長が不在だったんですよ。
だから市局員2人で、
市局長は総局長が兼任だと合わせよね。
だからもう若手2人で唐津市局に。
私からしたらもう市局長だから、私からしたらもう。
あれは市局長じゃなかった?
市局長じゃない。市局員2人なんですよ。
そうなんですか。
なんか市局長って言ってたような気がする。
私が言ってます。
私が市局長って勝手に呼んでました。
あ、そうなんですか。
でも結構頼りになる先輩?
結構頼りになって、
記事の書き方とか写真の撮り方、コラムの書き方とかも、
ちょっと入ってるコラム見て、
これは商品として読者に読んでもらうということをもっと意識して書いたほうがいいよとか言っていただいて、
そうだなってそこからコラムは意識するようになったし。
お前村って言ってましたね。
そうなんですね。
なんか唐津時代の飯村さんの写真で、
ぶどうの写真がすごい上手だって覚えてます。
上手いなと思って。
写真部の人が褒めてたよって、
過去市局長が言ってました。
写真なんか評価されてましたよね。
ありがとうございます。
すごい社内のショーというか。
そう、うちの中で旧写真奨励賞、今なんかビジュアル賞みたいな。
なんで横文字になったのか分からないけど。
月に1回。
月に1回ですね、毎月。
そこで受賞をしてましたね。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
初めてじゃない?
そうですね、実は確か2回目かな。
そっちで。
いや、実は3回目です。
何回目?
すごいね。
撮ったこと?
あります。
何回目?1回目?2回目?
でも同じくらい、3回ぐらいだと思います。
そうなのね。
でもやっぱ写真部の先輩には。
私1回しか撮ったことない。
でもすぐ写真部に行かれたからね。
どうなの?そういうことでしたか?
そうかそうか。
脱線しちゃったんですよ。
なんか主曲で、今結構大きな2つのテーマのことを話したと思うんですけど、他に自分で力を入れた取材だったりとかがあります?
そうですね、今話したエネルギー、カラツのエネルギー連載をしたんですよね。
だからカラツが、歴史で言うとやっぱ炭鉱火力発電。
原発、今計画ですけど養生風力とか、そういったエネルギーとものすごくつながりのある地域だったので、それを取材したり。
あとは炭鉱にすごい関心があったので、炭鉱の記事を書いたりしました。
大学時代の炭鉱に行ったって、前回言ってましたね。
本当当時来た時はコロナ禍で取材することがなかったので、
私は結構図書館にいて、長誌とか詩誌とかずっと読んでて、カラツとか。
その中でやっぱ炭鉱に対する記述で面白いものとかがあったので、それで取材してみたり。
結局それは事前にはならなかったんですけど、ちょっと別のところで書いたりとかして。
そうですね、カラツではそんな感じかな。
佐賀での取材経験
九州は結構炭鉱が厚く栄えたところが多いですよね。
そうなんですよね。
そうですよね。
そうですよね。
多いですよね、取材が。
そうなんですよ。
佐賀県警、その後すぐ佐賀総局に行ったので、そこからは警察担当で。
結構事件が多かったので、取材してという感じでした。
佐賀総局っていうのは、カラツから行ったのは佐賀市に佐賀総局っていうのがあって。
そうですそうです。
あれを佐賀全体をカバーしつつみたいな感じだったっけ。
佐賀市を中心にっていう感じでしたっけ。
佐賀市を中心にですね。
佐賀県警担当だったら、県庁とか県警とかあるので、そうなるとやっぱり全域カバー。
全域カバーってなんて言うんですかね。
ちょっとすみません。幅広くというか。
県民全体にというような仕様もあるので。
なんかヘルプが市局のほうであったら、取材に行ってみたいなのもあって。
はい、そういうのもありました。
なるほどね。私、鳥栖時代は総局に1回とか2ヶ月に1回とか、部会があって。
それで車で行って、
佐賀市のほうで。
そうです、鳥栖から佐賀市に行って、その日だけ次の日も休んでいいぞって当時の市局長に言われたんで、
たまにの総局の記者の人たちと飲んでみたいな。
それが結構楽しかった。
私たちのときもありました。
ありました。
あれは大事な文化。
そうですね。
ということで、今回もお時間が来てしまいました。
次回の配信では井村さんのプライベートなどに少しだけ迫っていきたいと思います。
西日本新聞社やこの番組を応援したいと思っていただける方、
ぜひ西日本新聞もしくはニュースアプリ西日本新聞民のご購読をよろしくお願いします。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございました。
井村さん次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
15:37

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