1. 西日本新聞 星野松本のしゃべりぃよ
  2. 【特別編】西日本新聞・田川大..
2025-07-01 19:18

【特別編】西日本新聞・田川大介社長が登場!普段は聞けないあれこれ、聞いてみました/田川大介社長①|8-1

この番組は、西日本新聞社の記者たちが、就職活動や新人時代、プライベートの生活までざっくばらんにしゃべるポッドキャストです。同僚にも初めて明かす悩みや失敗の数々。記者の仕事に興味があるみなさん、ちょっくら聴いてみませんか?

今回は特別編!西日本新聞社の田川大介社長をゲストに招き、普段はなかなか聞けない学生時代や記者時代の話をあれこれ聞いていきます。

◆出演:星野楽(写真部)、松本紗菜子(経済担当)、田川大介(西日本新聞社社長)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年6月12日

◆星野楽記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/sp/writer/show/322/

◆松本紗菜子記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/446/

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#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #就職活動 #就活 #新人時代

サマリー

西日本新聞社の田川大輔社長が登場し、彼の経歴や社長としての経験についてお話しされています。さらに、ポッドキャストやラジオ出演の珍しい体験にも触れ、新聞社の今後の取り組みについての考えを述べています。田川社長は、入社試験や記者生活の経験を振り返りながら、若手社員への期待や会社の新サービスについても語られています。特に、社長としての考えや指導方針、そして温泉でのリフレッシュ方法についてもお話しされています。

ポッドキャストの趣旨
西日本新聞ポッドキャスト、星野松本のしゃべりぃよ。
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や私生活のあれこれをザックバランにしゃべるポッドキャストです。
こんにちは。番組の進行を務めます、西日本新聞社写真部の星野岳人。
経済担当の松本真子です。よろしくお願いします。
九州北部はようやく梅雨入りをしたということで、
連日雨だと気分が沈む時もあります。
今日も雨ですね。
昔から梅雨の時期の悩みが、天然パーマなので、髪がくるくるくるくるなってしまうんですよね。
言うこと聞かなくなりますね。
でもさっき松本さんに、いい感じのパーマですねって。
パーマかけてるかと思ってました。
ありがとうございます。今日は気分がいいですね。
よかったです。
今回は普段と違う特別版なんですけれども、
いつもは若手の記者の方だったり中堅の方をゲストに招いてですね、
入社前の話とかプライベートの話とかも聞いているんですけれども、
今回は西日本新聞社の田川大輔社長をお呼びしました。
社長が来るとなると私たちも固くなってしまったりするので、
フラッと飲みに来たような感覚でですね、楽しくおしゃべりをしたいと思いますので、
田川社長よろしくお願いします。
田川社長の経歴
飲みに行った感覚ってビールか焼酎か出てくるんですか?
すいません。何も出さずにすいません。
枝豆も?
この番組出たいなと思ってたんですよ。やっと呼んでもらえたなと。
嬉しいです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは最初にですね、私から田川社長の経歴を紹介しようと思います。
福岡市出身で3人兄弟のご長男ということですね。
地元の西南学院大学の文学部国際文化学科を卒業した後に、
1989年に西日本新聞社に入社しました。
鹿児島総局、本社社会部、東京支社報道部などを経て、
2016年に社会部長、2022年から2年間編集局長を務めて、
昨年6月に代表取締役社長に就任したということですね。
そうですね。あってますかね。
あってます。
ひと安心。
一生仕事を終えたような感覚ですね。
普段もポッドキャストを聞いていただいているということで。
時間があれば聞きますよ。西日本新聞のポッドキャスト。
ありがとうございます。もし好きな番組とかあれば教えていただきたいんですけれども。
星野松本に決まってるでしょ。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
仕込んでるみたいですね。
モチベーション上がりますね。
いいですね。
今回特別番で社長にということなので、
事前に質問とかもお送りしたりしたんですけれども。
ラジオ収録とかも先日あったということで。
まだ放送はされていないけれども、ラジオにも出られたということで。
結構そのラジオに出られるっていうのは社長では珍しいなとか、
初めて聞いたなという感じだったんですけど。
そういう今までもあったりは?
いや、私は初めてですね。
ただその番組は地元の企業の社長さんはいろいろ出てるみたいですよ。
そうなんですね。
松本さんが日頃取材してる。
そうなんですね。しっかり聞いておきます。
つながりますな。ネタになりますよ。
ありがとうございます。
なるほど。新聞社もですね、今やっぱりポッドキャスト我々がやっているように、
生き残りをかけた時代に入っているということで、
こういう新しい取り組みもどんどん挑戦していきたいなと思って。
こういう社長とお会いするというか、しっかりお話しするという機会も普段ないので、
今回は楽しみつつ、今後の新聞社のこととかも含めていろいろ。
新聞社の未来
何でも聞いてくださいね。
お聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いしますということで、
まず社長の入社前のお話などから聞くことがあるので、
お伺いしてみたいなと思うんですけれども、
もともと文章を書くのはお得意だったんですか?
得意というか、文章はですね、小学校の時から作文はよく書いてましたね。得意でしたね。
書けば書くほど、書くたびにコンクールで入賞するという、
もう嫌な子供ですよ。嫌な子供。
だって大人がね、何を書けば喜ぶ、評価が上がるというのを熟知して、分かって書くもんだから。
とね、今振り返ったらね、嫌な子供だったなと思いますね。
こういうの言うのはあれですけど、嫌な子供ですね。
いやいやって言った。
そうなんですね。
なんかちょっとちらっと噂を聞いたんですけど、
そのコンクールで優勝した賞金で、
文庫?
そうそうそう。当時通っていた金山小学校にですね、
大チャン文庫というのができて、
それ私のいろんな賞金で本を買ってできたわけですよ。
嫌でしょ。
素晴らしい。
ずっと今も残ってた?
いや、もういつの間にか無くなってましたね。
そうなんですね。
当時は。
なんか当時の新聞記事もちょっと資料で見せていただいて、
なんか子供たちの人気もなかなかいいみたいな、
なんかちょっと評判がいいみたいな、
ちょっと一文があったりして、
なんかいい取り組みだなという感じですね。
そうですね。
この時取材を受けられた?
その時いろいろ取材を受けましたよ。
西日本新聞とか、福日新聞とかですね。
あ、なるほど。
テレビも出ましたよ。
そうなんですね。
テレビに出て、その賞金、副賞で東京の往復航空券をもらった。
そんなこともありましたよ。
すごいですね、小学校で。
文化かけるというのは、それだけのやっぱり強いところがあるんですね。
ただ一方でね、作文以外は大嫌いですね。
まず体育が全くダメ。
幼稚園の時からドッジボールがまず嫌い。
野球とかとんでもない。
あと算数がダメ。理科がダメ。図工がダメ。
中学に入ったら英語もダメになりましたね。
理科も。
国語特化型の…
だけどね、国語も漢字はダメなんですよ。漢字は全くできませんでしたね。
どうして辞書を引いたら分かるのに覚えないといけないんだろうと。
辞書を引いて書いているうちにいつの間にか覚えるだろうと。
なぜ今覚えるのと。
だから国語の点数もよくはなかったんですよ。
なかなか発想が…
そこから就職かつ大学に行って…
みんな飛びますね。
すみません、飛んでしまいましたね。
ちょっと一つ聞きたい噂があるんですけど、
高校時代にいろいろ苦労されたということもありますか?
高校の時は今言ったように成績がずっと悪いからですね。
高校の1年生から2年生に上がれずに留年しましたよ。
私は西南学院高校に行ったんだけど、
当時の、今は西南学院高校、大失望が圧倒的です。
今は西南学院高校、大失望が圧倒的に増えましたけど、
当時はいろんな公立高校の滑り止めとしてみんな受ける人が多かったんですよね。
そうなんですね。
ただ私は勉強できなかったんで、西南学院に通ったら
どうせ公立を受けても落ちるに違いないと。
どうせ落ちるならもう受けんめえと思って、
受けずに西南学院高校に行ったわけですよ。
そしたら勉強しないまま行くからついていけなくて、
1年生から2年生に上がれずに落台生になりました。
4年通ったんですよ。
そうなんですね。
知ってました?
びっくりしました。
奥深いでしょ。
人生が。
こんな時じゃないと伺えないですね。
後ほどもうちょっと触れるんですが、そこでキリスト教とか出会うという。
西南学院っていうのはキリスト教の学校ですからね。
そこでの出会いっていうのは非常に大きかったですね。
特に、いわゆる宗教っていうのは、
信じたら救われるとか楽になるではなくて、
考えること、古典を通して。
それがやっぱり大事だなと思うんですよ。
特に聖書っていうのは逆説、パラドックスがたくさんあって、
弱いときにこそ強いとか、
ところの貧しい人は幸いとか、
あとは愚かなもの、取るに足りないものの選びとか。
一体これは何を言ってるんだろうかとかいうのを思いながら、
世の中を出来事を自分を見ていくという。
それは記者になってからも一つの大きな視点になりました。
だから留年はしたけども、そういう得るものもありましたね。
大きかったと思います。
プラスの方が大きいですね。
留年は一時の恥ですからね。
そこで得たということですね。
そうそう。
なんかそこから新聞社に行った経緯の中で、
大学時代にいろいろ新聞に触れるとかいうのもあったのかなと思ったんですけど、
就職の時とかってどうでした?
まず新聞に触れるって言ったら一つ、今思い出しましたよ。
中学校1年生の時に、遡るけど、
当時新聞係っていうのがあったんですよ。
新聞係。
いわゆる学級新聞を書いて、それをわらばん紙、
わらばん紙って今知らないかな。
ザラガメに印刷して、学校で配るという。
その新聞係になって、私が書いた記事。
全部書いたのが。
これ結構評判だったんですよ。
当時担任の比較的若い大原先生という女性が、
4月家庭訪問の時期でしょ。
家庭訪問で家庭をずっと回っていく。
ある人が、先生が車で家に家庭訪問に来てさ、
親と話した間に先生の車が劣化移動されとっちゃう。
これは面白いな、みんなに知らせたいと思って、
学級新聞の頭に大原先生、劣化移動されって書いて、
下手くそ内容を添えてね、車が持って行かれてるところを泣きながら、
待ってーって追いかけていく先生の絵を書いて、
それを印刷して配ったんですよ。
泣き笑いのようにして怒られました。
大スクープだし。
すごいですよね。
死亡記事もあったんですよ、その新聞記事。
そうなんですか、ちゃんとしっかり書いてたんですか。
学校の犬走り、知ってます?
校舎の一番下のところを犬走りって言ってたんですよ。
校舎の犬走りでヤモリが死んでいた。
ヤモリ氏って言って、ヤモリの絵を書いて、死亡記事付きでしたよ。
なかなか本格的でしょ。
本格的ですね。
今覚えだしたよ。
読んでみたい。
すごいですね。
じゃあ新聞読まれたりしてたってことですね、ちっちゃい頃から。
新聞は身近にあったからですね、家でも2支は取ってたので。
ずっとね。
読まなくても眺めてはいましたね。
そうなんですね。
当時、ホノボノ君っていうのが西日本新聞の漫画でしたけどね。
これのどこが面白いんだろうと思って見てましたよ。
ちょっと嫌な子供が続きますよ。
そういったこともあって、身近に新聞がある中で、就活の時。
就活、そうですね。
大学も、いわゆる大学生の中で、
国際文化学科と言いながら、現代日本文学のセブンに入って、
卒論は遠藤修作の沈黙なんですけど、
そういう日本文学を学ぶ中で、
さてと、就職どうしたもんかなと。
多分営業がしきらんやろうし、
今さらいろんな免許を取るのも成績が高いし、
大学に入って、
大学に入って、
大学に入って、
大学に入って、
今さらいろんな免許を取るのも成績が足りんし、
悶々としてたわけですよ。
その時に、西日本新聞社が、
西日本マスコミ入門講座というのを、
当時の水木学園予備校で、大教室で開いて、
それを聞きに行った。
親からこれぐらい行ってきなさいと言ったわけ。
結構これが面白かったんですよ。
当時の編集局長の講学があって、
その後、当時の社会部かな、
キャップと記者たちが前に並んで、
いろんな日頃の仕事のこと、苦労とかを話し合うわけですよね。
そのお互い話し合う目と目を見ながらの、
その姿を見て、
入社試験の苦労
なんか信頼関係があって楽しそうだなと。
なんか楽しそうだなと思ったよ。
それでこの会社行きたいなと思ったんですよ。
でもとても試験が難しいって聞いてたんで、
無理だろうけどなと。
しかし他に何かなるものがあるかなとか思いながら、
行ったわけです。
そうなんですね。
その入社試験、だいぶ前の話になるかもしれないですけど、
手応えとしてはどうだった?
全くダメですね。
当時は作文と論文があって、
この2つはなんとか書けたなと。
あとは一般教養、これは英語もあるんですよね。
あとは適正検査。
もう英語もマークシートなんだけど、
全くわからないから適当に1とか2とかを付けて、
入っていって塗りつぶしていきましたよ。
ダメかなと思ってたけど、通ってましたね。
作文で巻き返したんですかね。
そうそうそう。
道芸入試だったかもしれないですね。
当時なら。
意外な面があったんですけど、
実際に受かってから周りの反応はいかがでしたか?
特に大学の教授とかびっくりしましたね。
君みたいなのが通るわけないよとか言われて。
ただ、
内定はもらったんだけど卒業ができそうにないと。
特に自然科学とか一般教養の、
4年生まで3科目とも残ってたし、
英語も4年の後期まで2つかな。
残ってたんですよ。
これ勉強してないし、
これは内定はもらったけど卒業できんなと思っていたら、
いろんな親しく知ってる教授が、
その英語の先生の研究室を連れ回してくれて、
彼はね、新聞社に通ったけど今のままじゃ卒業できんから、
ちょっと考えてよって言っていただいてね。
それで多分負けてもらったんですよ。
記者生活の重要性
いい学校ですね。
そうなんですね。
そうやって記者になられてから、
今振り返ってみたんですけど、
いろいろ辛かったこととか、
俳優失敗もあったなみたいなのもあったんですよね。
辛かったことはいろいろあったけどもう忘れましたよね。
ただ、私あれなんですよ。
昭和最後の入社試験を受けて、
平成最初の入社試験に臨んだ組なんですね。
89年入社、1900年。
当時はまだまだ流行っていたCMが
24時間働けますかとか、
ああいうスポーツドリンクというのかな、
栄養ドリンクというのかな、
そういう歌が流行ってる時で、
当時は入社して1年間は会社に住み込み、
広島の総局だったんですよね。
総局のフロアがあって、
その横に6畳ぐらいの畳の部屋があって、
布団と着替えだけを持ってこいって言われて、
まさにその通り。
言って1年間そこに住んで、
絶望を持ったりしてね。
ただ今ではそんなことはありませんよ。
当時はね。
それはしっかり言っておかないと。
気持ちの汽車で、
そういう育て方だったんでしょうね。
今はもうとんでもないと思ってます。
そういうことは言いよかったです。
安心しました。
なるほど。
そうやって住み込みみたいな、
寮生活みたいなところで、
結構気持ちの切り替えとかも大事になるというか、
汽車をしてたら。
私よく取材先とかで、
怒られることが多いんですよね。
なんでこんなに怒られるんだろうね。
怒られそうに顔が出るもんね。
そうなんですよね。
恋もしに生まれてるんだもんね。
だけどそれだけ、
可愛がられてるってことですよね。
ありがとうございます。
そういうことにしておきましょう。
気分の切り替え方というか、
休日こういう仕事をしてたな、
みたいなのってあります?
私は温泉でしたね。
ところが、
霧島の温泉に休みの日は行って、
そこで山に登って、
自然の温泉に入ると。
それが一番の楽しみだったですね。
いいですね。
フレッシュ。
贅沢な。
温泉地はいいですよね。
私も熊本にいたときは温泉が多かったので。
温泉に行ってた?
行き抜きに行ってましたね。
サウナとか、
最近サウナ人気ですよね。
行き抜きに行ってる汽車多いと思うんです。
そうやって結構大変な時期の汽車を過ごされてきて、
いろいろあったと思うんですけど、
新聞社、別の道もあったかなって考えたこととかってありました。
別の道って、別の仕事?
そう、別の仕事。
なれるわけないですね。
本当にありがたかったと思いますよ。
新聞社に入ることができて。
それは良かったなと思いますね。
他の仕事は考えられないですね。
そうですか。
それは良かった。
今と昔で、
それこそもう今は24時間働くとかいう時代じゃなかったりするんですけど、
そういう中で今社長になられてて、
どういう新人たちにどう指導していったらいいかみたいなのって、
社長として何か。
そうね、指導というか今の若い人の方が圧倒的に優秀ですね。
そうですね。
そうそう。素直だし明るいし、あとは共感する力を持ってる。
それは汽車職もビジネス職も変わらず、
人に共感する。
同期でちょっと辛い思いをしてる人がいたら助けてあげようとか、
一緒に悩んであげたりとか、
そういう人は私たちの頃いなかったんで、
ああいいなと。
そういう人に共感することができるっていう、
そういう性格は営業でも汽車でもとても大事な資質だと思うんで、
今優秀な人が入ってきてるなと思って嬉しいですよ。
ありがとうございます。
おめでとうございます。
二人もそうです。
自分ごとに捉えてね。
ありがとうございます。
今回ちょっと次回は、そういうちょっとこの会社についてとかも聞いていくかな。
次回はまた厳しそうな。
切り込んでいきたいなと思います。
ということで今回は残念ながらお時間が来てしまいました。
次回は社長就任時のお気持ちだったりとか、日々のお仕事についてお伺いできるかなと思っております。
新サービスの紹介と期待
ここで一つお知らせです。
西日本新聞社では全国の新聞販売店さんに商品を新しく開発しましたということで、
スマホで簡単に操作できる新聞配達用のナビを販売しています。
配達先が順番に案内されて、初めてのスタッフさんも安心して配達できるという商品です。
人手不足でお困りの新聞販売店のお役に立てるサービスかと思います。
西日本新聞と取引がない新聞販売店さんもご利用いただけるということで、
お問い合わせ先を番組の概要欄に貼っておりますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。
ということで、西日本新聞社やこの番組を応援したいと思っていただける方、
ぜひ西日本新聞、もしくはニュースアプリ西日本新聞MEのご購読をよろしくお願いします。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
高橋社長を引き続きよろしくお願いします。
次回までに考えておきますね。
ありがとうございました。
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