1. 西日本新聞 星野松本のしゃべりぃよ
  2. 3-1|新聞社志望の就活生注目..
2025-02-18 41:09

3-1|新聞社志望の就活生注目!1年生記者が語る仕事のリアル…やりがいや苦労、過ごし方とは?

この番組は、西日本新聞社の記者たちが、就職活動や新人時代、プライベートの生活までざっくばらんにしゃべり通すポッドキャストです。今回は特別編です。2024年4月に入社し、現在は久留米総局で取材に励む1年生記者、杉野如海さんに、人事部採用担当の河北瑶子が根掘り葉掘り尋ねます。新人記者のリアルな声をどうぞお聴きください。

※一部音声が乱れています。収録機材の影響によるものです。ご了承ください。
※この配信回の収録は、西日本新聞社採用説明会の一環で行いました。


◆出演=河北瑶子(人事部、MC)、中原岳(人事部、質問コーナー担当)、杉野如海(久留米総局記者) /音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)


◆収録日:2025年2月6日


◆杉野如海記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/480/


◆西日本新聞社の採用ページ
https://c.nishinippon.co.jp/recruit/


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サマリー

西日本新聞ポッドキャストの特別編では、1年目の記者である杉野幸美さんが、新聞記者としてのやりがいや苦労について話しています。彼女は福岡大空襲の取材や地域の自転車盗難防止キャンペーンに関する経験を共有し、地域社会への貢献について考えています。このエピソードでは、自閉症の少年とその母親が企画した障害者の子どもたちのイベントについて、取材から得たリアルな体験と、記者としてのやりがいや苦労を語っています。さらに、自身の日常業務や取材の流れについても詳しく説明し、地域に密着した新聞社の役割を強調しています。西日本新聞社の新人記者として、彼女が仕事のリアルややりがい、苦労について語ります。取材を通じて得られる読者の反響や、自由な社風が彼女のモチベーションにつながっている様子が描かれています。1年目の記者が新聞社での仕事の挑戦ややりがい、日々の過ごし方について語っています。

1年生記者の挑戦
どうも、西日本新聞ミーです。
このアプリでは、あなたの知りたい記事から
福岡の経済、社会、子育て、教育、イベント情報、ライブカメラ、マップでわかる防犯情報に特集記事、調査を依頼できるあなたの特命取材班速報!
そう!福岡の味方、西日本新聞ミー!
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西日本新聞ポッドキャスト
星野松本のしゃべりぃよ
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や生活のあれこれをザックバランにしゃべるポッドキャストです。
今回は特別編です。
2024年4月に入社し、現在は久留米総局で取材に励む1年生記者杉野幸美さんに、人事部採用担当の河北陽子さんがねほりはほり尋ねます。
新人記者のリアルな声をどうぞお聞きください。
こんにちは。西日本新聞社人事部で採用担当している河北陽子です。
今日は星野松本のしゃべりぃよの特別編として、私がMCを務めます。どうぞよろしくお願いします。
今回は採用選考のシーズンが近づいているということもあり、新聞記者を目指すと就活生の皆さんが知りたい、聞きたい、エントリーシートや面接の参考にしたいということを、
どんどん杉野記者にぶつけていこうと思っているので、ぜひ最後まで聞いてくださいね。
それでは久留米にいる杉野記者とつないでみたいと思います。杉野さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ではですね、これから久留米総局に今記者として仕事をしています。杉野幸美記者に今日は来ていただいております。
杉野さんから自己紹介も含めて、現在のですね、担当のお仕事の内容などお伝えください。
はい、久留米総局で勤務している杉野幸美といいます。私は2024年の4月に新日本新聞社に入社して、今記者1年目です。
4月から7月いっぱいまでは本社で研修を受けて、8月から現在の久留米総局で勤務しています。
今の担当としては主に警察、久留米署と、あと隣の小小売署というところと、あと司法関係、警察とか裁判所、あとスポーツや町種と、小小売市立ちやらい町という自治体も久留米総局の管内になるので、そちら2つも担当しております。
仕事を複数担当を持っている中で、一番今ウェイトが大きいのは、警察関係と小小売市立ちやらい町の行政のお話だったりします。
いろんな担当があるとはいえ、幅広く取材を日々させてもらっているんですけれど、担当地域特有の話題だったりとか、あと季節に合わせたネタ、ここ数日だったら雪のお話とか、突発的に起こったものとかも、いろいろ対応しながら取材をしているという形になります。
【佐藤】今日はよろしくお願いします。入社されて、さっきありましたけど仮配属になってから博多どんたくで取材デビューされて、その後あれでしたよね、夏、高校野球取材に行かれて、なかなか人事部から離れてですね、編集局の研修に入られて、どうでした?最初の頃。
【佐藤】やっぱり実際にその記者として外で稼働し始めるってなったら、生活リズムというか、体力的に最初はちょっと不安というか大変な部分もありました。特に夏場の甲子園取材は前日炎天下の中だったので、同期がもう一人いるんですけど、その同期と一緒に励まし合いながら毎日乗り切ってたという感じです。
【森】ありがとうございます。その後、久留米総局に配属に8月からなりまして、どんなお仕事をされてきたのか、みたいなところを今から皆さんにご紹介いただきたいなというふうに思います。
記事を3つ持ってきていただいているので、それぞれの記事に沿って杉野さんにいろいろ聞いていきたいなと思います。よろしくお願いします。
福岡大空襲の取材
1つ目が、1945年の6月19日の福岡大空襲のときに、戦隊員として戦況を目の当たりにされていた99歳の藤井さんに取材をされたということで、その記事が2024年6月19日の日本新聞の一面に載ってまして、取材されたのが杉野さんということで、このあたり詳しくお話聞かせてください。
まず1つ目、こちらが9年の1月、2024年の1月から、今年が戦後80年ということで、戦争を取り上げた記事というものに力を入れてまして、その一角の一環として取材をさせてもらったものになります。
さっきおっしゃっていただいたように、6月19日ちょうど80年前のこの日に福岡大空襲というのがあった日に合わせて出した記事になるんですけど、当時取材したとき99歳、もう100歳になられた藤井さんを取材して入隊、調兵されてから実際に戦地に行くまでの訓練を受けている日々だったりとか、
あと入隊して数日で実際に福岡大空襲にあって、その時の様子から終戦までの日々っていうところをお話しいただいて、記事にしたものになります。
軍隊での日々の様子とかを聞くうちに、その方が実際に目の当たりにした武器とか軍服とかも全く実際はなくて、負けると思いながら日々過ごしていたっていうような内容だったりとか、
あとその訓練を受けて、実際に戦地まではいかなかったけれども、戦争のための道具というわけではないけど、この方がおっしゃったのは、当時の私たちは物消耗品だった、人間ではなかったっていうふうにおっしゃったんですけど、その言葉がすごく自分の中でグサッと残ったなっていうのが印象的な部分でした。
この記事をちょっと挙げさせていただいたのは、これはまだ本社での研修期間の記事だったんですけれど、自分がずっと戦争取材に興味がある、やってみたいですっていうことを就職活動も含めて話していた中で、先輩記者が一緒に取材をしないかと声をかけてくれたものになります。
実際に取材をさせてもらって、すごく貴重なお話を聞けたなっていうところだったりとか、あとは藤井さんが当時実際入隊してたのが、当時19歳、20歳っていう若さ、今の自分よりも年下の時期だった、その方がもう今100歳になられたっていう、この80年っていう時の重さ、それだけ当事者として語れる方もどんどん増えていって、
どんどん高齢化しているっていう現実を目の当たりにしたっていうようなところがありました。
ありがとうございます。ちなみに、先ほど取材した経緯っていうところで、先輩の記者から声かけをしてもらって、一緒に取材に行ったっていうところだったんですけど、最初藤井さんに取材に行こうっていうようなきっかけみたいなところっていうのは、どういったところから取材につながったんですか。
これは、先ほど言った戦後80年企画で、本市が軍歴紹介の企画を昨年の1月から始めていて、実際に軍隊に所属した経験がある方、またはそのご親族とかからのお手紙とかが複数届いていた中で、藤井さんもお手紙を寄せてくださっていたっていうのがあって、そこから連絡を取って取材に行くということになりました。
なるほどですね。ちなみにこちらの取材はどのぐらいの時間をかけて取材されたんですか。
お話を伺ったのが、たぶん2時間、3時間はいかなかったと思うんですけど、2、3時間経てお話を伺ってしまったね。やっぱり自分がその当時の様子とかは全く知らないので、一つずつ藤井さんが話してくださることに対して、こういう状況ですかとか、こういうことですかっていうような確認とかも含めながらだったので。
なるほど。丁寧に取材をしたなという記憶があります。
先輩と一緒に行かれたんですかね、取材の時は。
はい、そうです。
記事は杉野さんが書いて、先輩にも見ていただきながら掲載されたと。
はい、そうです。
1名に乗ったというところですね。なかなか1年目で1名に記事を飾るというところですね。緊張されながら頑張ったのかなというふうに思っていました。
杉野さんのそうした仕事に対する思いとか、その時感じたこととか、そういったところも今聞けたので。
こちらも苦しい気持ちで読みながらだったんですけども、そういうちょっと裏の話というところも聞けたので、やっぱりこうやって記者が実際に足を運んで、今残された少ししかもう残られてないけど、生の声を聞けて、それをこうやって紙面を通じて皆さんに伝えていくというところは本当に西日本新聞社の使命だなというふうに聞いていて思いました。
ありがとうございます。
自転車盗難の啓発
続いてこれ2つ目ですね。自転車の盗難の啓発強化の記事が、2024年の10月の16日に社会運営に乗りまして、その後逐5番に12月の27日に載った記事を持ってきていただいてますので、こちらもまた杉野さんからご紹介いただけると思います。
杉野は7月に久留米総局に配属になり、警察を担当するようになってからの記事なんですけれど、警察署の方と日々やり取りをする中で、久留米省の管内で自転車盗難がすごく浮上しているというような話が大きい。
その啓発のキャンペーンをやるので、ぜひ広報を込めて取材をしてほしいというようなお話もいただいていたので、そのキャンペーンの様子を取材したのは、まず10月16日付の社会面の方の記事になります。
そちらは警察署員の方が実際にワイヤー状、自転車に使える鍵を配って、二重ロックを呼びかけたというような記事になるんですけれど、なかなか一回の啓発キャンペーンとこの記事ですぐに効果が出る、盗難が減るということはなかなかなくなって、
その後もずっと継続して件数が増えているという状況が続いていた中で、何かもっと工夫して記事を出せないかと考えて書いたのが、12月の竹5番の方の記事になります。
警察の方は継続して複数回ワイヤー状を配って啓発するという活動をなさっていたんですけれど、なかなか同じような内容で何回も記事を出すというのは難しいので、啓発活動の様子とかそれにプラスして、
実際どれくらいクルメ所の管内で盗難が起きているのかというデータの部分だったりとか、実際に自転車を盗まれたという被害に遭ったことのある方の話を聞いたり、最後に自分の自転車を守るためにはどういった工夫ができるのかというところを警察の方、担当者の方にお話を聞いて、
いろんな要素を組み合わせて、より内容を膨らませた記事として12月の竹5番には掲載をすることができました。
なので、単純なキャンペーンものとか1回限りの話ではなくて、継続的にだったりとか、より要素を膨らませて記事を書くにはどうしたらいいだろうかっていうのを自分の中で試行錯誤した過程と結果の記事になるなと思って今回紹介させていただきました。
ありがとうございます。もうキャンペーンに留まらずですね、やっぱりあらゆる方面から多角的に工夫していくというところでさすがだなと思います。やっぱり先ほど冒頭というか前半部分にですね、求める人物像みたいな話もしてたんですけど、やっぱりなかなかその来た仕事を受動的に受けるだけじゃなくて、やっぱりそこからよりどうしたら地域の方にもっとちゃんと自分事として考えてもらって、
実際に予防しようという気持ちになってもらうとかですね、26実際にちゃんと徹底しようと思ってもらうとかですね、そういったところにどうやったらアプローチできるかみたいなところは、やっぱり杉野さんなりに考えて起こした行動によって、そこでまたさらに啓発活動がうまく回っていくみたいなところにつながるのかなというふうに思うので、先ほど前半に話していた話ととてもリンクするので、いいなというふうに思いました。
こうした記事を今からも楽しみにしています。続いてですね、3つ目のお仕事もご紹介を持ってきていただいています。
障害者イベントの取材
2024年の12月の12日の地区合板に載った障害者のある子どもたちのイベントの記事ですね、こちらも杉野さんからご紹介お願いします。
これはですね、障害がある子どもたちが自分が書いた言葉だったりとか、あとイラストだったりとか、あとはお洋服とか、それぞれの子どもたちが制作したものを持ち寄ってというか、合わせて一つのイベントをやったというお話なんですけど、
取材のきっかけがこのイベントがありますっていうチラシからスタートしたんですけれど、そのチラシの中にイベントのきっかけは一人の中学生だったっていう文言があって、その中学生がこの自閉症の少年だったんですね。
実際にそのイベントがありました、どんな様子でしたっていうようなお話じゃなくて、この自閉症の男の子とお母さんのこれまでの道のりだったりとかで、なぜこのイベントをやることになったのかっていうようなところを事前にお話を伺って、
そこからのストーリーを主軸にイベントのきっかけ、始まりから実際の当日の様子までをお伝えを、話を聞いて取材をしたという記事になります。
イベントの2日前ぐらいに親子に話を聞いて、実際に昔はどんな様子だったんですかとか、この男の子のことだったりとか、今回どういう思いでこのイベントになったんですかっていうようなことを聞いたんですけれど、
すごく話の内容が、自分が取材していてもグッと胸に来るものがあって、この男の子が自閉症で喋ることができなくて、なかなか小さい頃はお母さんがコミュニケーションを取ることが難しかった。
けれど、ふとした時に実は字を書いて文字で自分の気持ちを伝えられるっていうことに気づいて、そこから男の子とお母さんがやり取りをするようになって、それで書き溜めてきた言葉をこのイベントで展示したっていうことだったんですけど、
男の子の言葉一つ一つがすごく胸に来るもの。お母さんに向けたメッセージがすごくいっぱいあって、それを読んでいて私もグッと来るものがあったし、イベント当日来場した方々もじーっと興味深そうに眺めてメモを取ったりだとか、
っていう様子を見ていて、障害があるっていうところで、自分の中にも実は隠れた偏見を持ってたのかなというか、それが障害がある方に対する見方が変わったし、その方々の実際の声、一人一人の生の声を届けたいって見出しに取ってもらってるんですけれど、
生の声、生の思いっていうのを伝える一助になれた記事だったかなというふうに思いました。実際に自分が入ってきた中で一番どう書こうっていうのに苦労した悩んだ記事でもあったし、その分会社の先輩からも、後はこの取材で関わった人たちからもすごくいい記事だったねっていう反響を一番もらった記事だったので、
何山だったけど書いてよかったなっていうふうに思える記事でした。
【森】書き手の杉野さんの思いというかですね、そういったところが伝わる記事だなというふうに思いました。ちなみに、こちらの先ほどの一人一人の生の声を届けたいとかですね、こういったサブタイトルっていうのは杉野さんが考えられたんですか、それともどのようにして生み出してこういうサブタイトルになったのか、そのあたりとかを学生の皆さんにも教えていただけるかなと思いました。
【森】この一人一人の生の声を届けたいっていうのは、この地平床の男の子とお母さんと一緒にイベントを企画してた男性がもう一人いるんですけど、その方が介護施設とかの運営をなさっている会社の代表の方で、その方がイベントの企画の中でこういう一人一人の生の声を届けたいって思ってやってますっていうことをおっしゃってて、
その言葉いいなと思って原稿の中にも使ったんですね。原稿の中に使った言葉を、見出しを作るのはまた別の部署の方になるので、その方たちが原稿を読んだ上で、この言葉を使うとか、こういう見出しタイトルを付けようっていうことを考えてくれるので、その方たちに採用してもらったっていう形でこの見出しが作りました。
記者の日常業務
【森】人事部から今日中原というものがチャットルームにいるんですけれども、中原もさっき杉野さんが言われた編集記者を経験してまして、いわゆる記者には取材記者と編集記者がいて、その編集記者がそうやって見出しとかですね、こういったものを抜き取って組み立ててくれたってことですね。ありがとうございます。
今3つ杉野さんの記事をお伝えしたんですけれども、前半の部分でお伝えしたように、西日本新聞MEのアプリでも杉野さんのお名前を入れていただくと、杉野さんが書いた記事がこれ以外にもたくさん出てきますので、今日ぜひ参加した皆さん、西日本新聞MEを開いていただいて検索していただけると嬉しいなというふうに思います。
ここで伝えきれなかったいろんな記事があるので、ぜひ見てみてください。ではですね、わりと質問でも多くいただくので、今日はあらかじめ杉野さんに入れておいていただいたものを今映し出しているんですけれども、記者ってどんなふうに1日過ごしてるんだろうみたいなところ、やっぱり皆さん気になるようでして、ちょっと1日、毎日こうというわけじゃないと思うんですけど、取材も変則的ですし、ちょっと代表的な例というところでご紹介いただいております。
ご紹介いただいてもいいですか。
私の1日というところで、まず朝の気象がですね、だいたい午前7時、これは夜間、退勤した後から朝までのその夜の時間帯に事件や事故が起こってないかっていうのを警察担当としてチェックする必要があって、もしその事件事故が起こっていたら警察の方から広報分といって、
こういう事故が起きましたとか、こういう事件が起きて代々さんを逮捕しましたっていうような報道向けの発表が来るので、それがまず来てないかっていうのを確認します。
警察の方もですね、夜間は当直という当番制の体制を敷いているので、やっぱり夜間に起きたことはその時対応していた当直の人に聞くのがいいんだというふうに先輩から教えてもらったので、当直の方がまだいる時間帯、警察署が開く時間になると引き継ぎしてそのままその方たち帰ってしまうので、
その人たちが帰る前に確認をするって上司に報告するっていうような流れがあるので、真っ白に起きてそこから携帯のメールをチェックするっていうのがまず朝起きてからのルーティンです。
その後は新聞、西日本新聞と他紙も含めてチェックをしたりとかテレビのニュースを見たりとかしながら朝の支度をします。
大体取材に向かうのが9時半とか10時ごろに取材の予定を出ることが多いかなと思います。
大体午前中に1本、午後に1本とかいう流れが多いので、そのぐらいから動き始めて取材をして記事を書いてお昼ご飯を食べたりっていうような流れになります。
そうやって取材とか執筆をして、わりと日中は自分一人で車で移動して原稿を書いてっていうのをやるので、原稿を書く場所は会社に上がって書いたりとか、警察署の記者室っていうところを借りて書いたりだとかします。
あと先輩、私もたまにやるんですけど、気分転換でカフェに行ってここで記事を書いたりっていうようなこともしています。
大体夕方4時とか5時ぐらいに会社に上がって、オールリーといって実際に次の日に翌日の朝に配る紙面をチェックするのが午後6時ぐらいに完成した紙面の2本が送られてくることが多いです。
そこから紙面これで間違いがないかっていうようなことをチェックして、OKが出たら一応日の紙面作りとしての仕事は終わりになります。
そこからは大体退勤が8時ぐらい、ちょっと立て込んでいるときは9時とかになるんですけれど、退勤まで次の日の取材の準備だったり、やり残した記事ですね。
その日は使わなかったけど翌日使ううちに使うだろうという記事を書き上げてっていうようなことをして、大体午後8時ぐらいに退勤する流れになります。
西日本新聞社の強み
【森】ありがとうございます。なんとなく1日の動きの流れがちょっとイメージできたかなというふうに思うんですけれども、ちょっとですね、事前の質問でペンネームよだかのほしさんという方からですね、
いただいてた質問があるので、一つこのスケジュールに関するところなので、ここで聞いておきたいなと思うんですけれども、臨時の仕事で変則的な休日になる場合もあると思うんですけれども、
入社前と入社後の生活を比べてですね、生活リズムはどう変化しましたかというお問い合わせが来ています。いかがですか?
【森】そうですね、生活リズム、すごく激変したっていうほどまではないんですけれど、どうしても夜間に新聞大釣りっていう、実際の紙面をチェックしてっていうところまでがやっぱり一つの要になるので、ちょっと夜型になったかなっていうのは思います。
ただ、それでもやっぱり自分は睡眠時間を絶対に確保しないと動けなくなっちゃうタイプの人間なので、だいたい起床が7時っていうのはずらせないので、やっぱり日付変わる前には寝れるようにということを考えて、一人暮らしなので家事のことだったりとか、仕事との兼ね合いっていうのを考えながらやっています。
【森】ありがとうございます。ではですね、ここから質問を受け付けたいというふうに思います。少し時間が押してしまってますけれども、ここから前半と同じく次応答の時間に進みたいと思います。繰り返しになりますけれども、本日の質問はチャットで受け付けますので、ペンネームも合わせて質問をお願いします。
では、チャットルームに質問が来るまでの間に、いくつか事前質問をいただいておりますので、こちらに杉野さんにお答えいただきながら、皆さんからの質問を待ちたいと思います。まず一つ目ですね、ペンネーム京一さんからいただきました。多数の新聞社がある中で、西日本新聞社を選んだ理由と、実際に肌で感じた西日本新聞社の他社と比較した強みを教えてくださいというところで、こちらお答えいただければと思います。
どうですか?
まず選んだ理由なんですけれど、正直なところを言うと、新聞社を受けた中で、受かったのが西日本新聞社だけだったっていうところはまず一つあります。
もともと新聞とか出版関係の仕事に就きたいと思って、複数社受けてたんですけど、まず合格をいただけたっていうところと、ただその就職活動をやってて、実際入社したらどんなことがしたいですか、どんな記事が書きたいですかっていうようなのがやっぱり質問として投げかけられるんですけど、
それに答えを考えているときに、やっぱり地元である九州のことを取り上げたいっていうことで、どんだけ自分が地元九州に対する思いが強いんだなっていうのは感じましたし、それがまた採用担当の肌々にも伝わったのかなというふうに思っています。
肌で感じた強みなんですけれど、これは久留米総局に来てからの話なんですけれど、久留米を含めた地区語地区と呼ばれるところが、西日本新聞社の中でも優勢地区、読者が特に多い地区でして、その分、取材にかける人員も他社と比べて人員を多く配置しているところなんですね。
なので、その人が多い分、他社では行き届かない細かなネタ、よりローカルなネタっていうのも取材できるっていうのが強みかなというふうに思います。
先ほど挙げた障害のある子どもたちのフェスっていうのも、これ立ち洗いの地っていうところであったイベントなんですけれど、1日限りのイベントで全然他社が取材に来てたわけでもなかったですし、自分ももしかしたらイベントのチラシ見落としてしまっていたかもしれないんですけど、
新人記者の仕事のリアル
ただこれを取り上げて、障害者の方の福祉だったりとか、障害がある方々がどう思ってらっしゃるのか、その生の声を伝えるっていうと、すごくより中身のある記事が書けたっていうのは、やっぱりそのローカルなネタも逃がさないっていう西日本新聞社の強みなんじゃないかなというふうに思います。
ありがとうございます。じゃあもう一つですね、事前に来ているペンネームまいさんからいただきました。入社前とのギャップを教えてくださいというところで、はいどうですか。ズバリギャップはありましたか?
これは西日本新聞社というか、会社の中での新入社員っていう立ち位置に関して、いわゆるメンターの方がついて、すごく一つ一つと細かに指示が出るっていうようなふうに、仕事の仕方が新人のうちは続くのかなっていうふうに思ってたんですけれど、
研修はもちろんありますし、そこで必要なことは教えていただけるんですけれど、8月に配属になってからは一人の記者として使ってもらえる。
割とまずやってみて、そこから慣れていこうっていうようなスタンスだったので、それが苦手な方はあれかもしれないんですけど、実際自分がやりたいことに制限がかからないっていうのはすごく仕事をしていていいなというふうに、いい意味でのギャップだなというふうに思いました。
ありがとうございます。もう即戦力だったわけですね。
やっぱり自分が不安なこと、わからないことは上司に相談しながらですし、ただ自分がやってみたいようにやりなっていうところと、だからといって質問とか自分の悩みに全然答えてくれないっていうわけではなくて、相談したら教えてもらえるっていうところがすごく両輪としてあるのはすごく今助かっています。
前半部分で社風みたいなお話ししてて、自由活達な社風なんですよみたいな、やりたいって言ったことに自然と後押ししてくれるような社風なんですみたいなお話をしてたんですけど、まさに裏付けとなるようなエピソードが聞けたので、よかったなというふうに思います。
ではですね、そろそろ質問が届いたかなというふうに思いますので、質問ルームに投げたいんですけれども、今日は西日本新聞社人事部で同じく採用担当している中原が皆さんからの質問を受け付けるチャットルームにおりますので、呼んでみたいと思います。中原さん、質問来てますか?
はい、こちら質問受付ルームの中原です。質問たくさん来ております。まずペンネームカエルさんからですね、御社では幼児朝掛けのような取材をすることはないのでしょうかという質問ですね。まさに警察担当である杉野さんに伺いたいんですけど、幼児朝掛けっていうのは捜査関係者の家にですね、夜中とか朝とかにちょっといて取材をするというものですけど、
こういった幼児朝掛けは杉野さんはされてあるんですか?
私はですね、久留米に配属になって警察担当になってから大きな事件っていうのが起こっていないので、その本格的な幼児朝掛けっていうのはまだ経験したことがないっていうのが実際のところです。
ただ警察署員の方と日頃から接点を持っていく必要があるので、署以外の場所でもちょっと待ち伏せしてお話したりだとかいうようなことはあります。
あと昨年12月に北九州の方で中学生の2人が刺されるっていう事件があったと思うんですけど、その時とかは北九州の担当の記者とかはすごく幼児朝掛けっていう捜査員にも当たってっていうのをしたというふうにまた劇ではありますが、そう聞いております。
ありがとうございます。次の質問ですね。これはまさに総局にいる杉野さんに聞きたいんですけども、NMドンカラスさんからですね、地方支局の人数はどれくらいでしょうかという質問です。
クルメ総局には実際にコモニストに出て取材をする記者が4人と、デスクと呼ばれる原稿をチェックしたりする方が2人と、総局長っていうトップにあたる方ですね。
あとクルメ総局と、近藤地区と呼ばれるクルメが含めた地域に別で支局というものがありまして、そこは支局長が1人ずつ全部で4人、今クルメ総局とは別で支局長が4人いらっしゃいます。
ありがとうございます。同じ方から関連する形でですね、クルメ総局の中での関係であったり仕事業などについて、配属されてから感じたことをポジティブでもネガティブでもいいのでお聞きしたいという、なかなか答えづらい質問かもしれませんけどいかがでしょうか。
クルメの場合は、先ほど申し上げた取材に出る記者4人が全員女性なんですね。これは割とかと比べても女性率はちょっと高めではある。
あとデスクも1人女性がいらっしゃって、あと2人総局長とデスクも1人は男性という形になるんですけど、人間関係、プライベートというか仕事の上でもそうですし、仕事の取材に関しても、この話題あるんだけどやってみないとかっていうのを他の記者から振ってもらったりとか、
あと記者同士で全然飲みに行ったりとかもするので、人間関係は良好だと思っています。すごく楽しく過ごしています。一番年下ですけど。
【佐藤】そういう楽しい職場だということがわかりました。次の質問はですね、これまさに杉野さんにしか答えられない質問なんですけども、ペンネーム天心麻婆ドンさんからの質問ですね。先ほどの1日のスケジュールにおいてプライベートの時間が限られているように感じたのですが、ワークライフバランスについて教えていただけると幸いですという質問です。
【佐藤】そうですね。なかなか芸術、その仕事をしている中で思いっきりプライベートに割く時間っていうのは、学生時代と比べたら当然少なくなったなっていうところはあります。ただその分、休日とか、私はアイドルが好きなので、いわゆる推し活というものに休日は注力することが多いです。
なので、1週間頑張ったご褒美が待っていると思って、日々を頑張っております。
【佐藤】ありがとうございます。次もですね、警察担当の杉野さんならではの回答になればと思うんですけれども、ペンネームティンパニストさんからですね、取材過程や記事の執筆過程でセンシティブな部分に触れることがあると思いますが、その記事になる事件や事故に関わる方をできるだけ傷つけることなく記事にするために配慮していることがあれば教えてほしいというものですね。
【杉野】まずはやっぱり記事として出すときに、どの内容まで、自分が取材をして知り得た内容をどこまで出すのかっていうのは、報道として出すべき、出すことに意味があるっていうのと、あとはどこまで出していいのか、その当事者の方を傷つけないために出しても大丈夫な範囲になるというのが大事だと思います。
でも大丈夫な範囲というか、配慮の上で出すっていう、その2つをずっと攻め合いながら書いているっていうのは、これはまだ全然自分の中で明確な基準があるわけではなくて、やっぱりその取材相手にこういう意義があると思うから書きたいんですっていうようなことを、
自分というかその新聞としての考えをまずは一つは伝えるってできる限り理解してもらえるように努力するっていうようなところと、あとはそれでもどうしてもやっぱり相手からNGが出る場合もあるので、そういったところはこういう理由でダメだったんですっていうようなことはデスク上司にも報告して、やっぱり上司とかとも相談した上で記事としての折り合いをつけていく。
どこまで書けるかっていうようなところの折り合いをつけていくっていうような過程を毎回毎回、その記事があるたんびにやりとりをするっていう感じです。
読者の反響とモチベーション
【佐藤】なるほどですね。ケースバイケースというかですね、正解っていうのはないですよね、本当に。
分かりました。ありがとうございます。次の質問ですね。ペンネームキキさんからですね、記者として働く中での楽しさやモチベーションとなっていることがありましたら教えてほしいというものですね。
モチベーションは一番はやっぱり、自分の書いた経歴に対して、読者の方と僕からリアクションが、反響があるということです。先ほども言ったように、障がいのあるイベントの子どもたちの話は、すごい取材をさせていただいた方たちからも反響がありましたし、
一つ覚えているのは、警察官関係の取材をしていて、泡で流された男性の遺体が見つかったっていう報道発表が警察クルメ庶から出たときに、経としては全然あまり大きくないですね。
こういう状態で遺体が見つかった、その遺体の特徴とか分かる範囲、警察の方から教えてもらえる範囲で書くんですけれど、それを記事を出した翌日に、副署長から出してくれてありがとう、これで一つでも身元反面につながる情報があれば助かりますっていう風に言ってもらって、
すごく記事としては小さいんだけど、それで何か一つ進展につながるような情報になるかもしれないっていうところで、こういう日々の発生物の記事でも役に立てることがあるんだなっていうふうに実感できたものでした。
【佐藤】確かにそういった反響というかですね、読者の方からの反応というのは本当にモチベーションになりますよね。特に書くというのは読者との距離が近いところなのでありがとうございます。次にですね、ペンネームえんぴつさんからの質問です。大学時代はどのようなことを研究されていたのですか。今とのつながりももしあれば伺いたいという質問です。
【佐藤】私、大学時代は文学部に所属して、言語学、日本語学っていうものを専門にしていました。何を当ててもらっていると、現代の私たちが使っている日本語っていうのを研究対象にして、文法だったりとか文法発音とか、あとはその会話の上でどういった言葉遣いをするのかっていうようなところの研究をしていました。
やっぱり今の仕事を考えたときに、原稿を書く上でどういった表現にするか、女子と呼ばれるテニオ派の使い分けだったりとか、あと単語一つ一つを取ってみたときに、これを読んだ読者はどんなこと、どんな印象を受けるだろう、どんな様子をこの記事からイメージするだろうかっていうようなところを自分としてはすごく気をつけながら書くようにしていて、
その読者にわかりやすいかつ間違った情報を与えないっていうのは、もちろん新聞として当たり前のことであって、それを追求していくっていう上では、学生時代、言語学をやってたっていうことはすごく役に立っているなというふうに思います。
【佐藤】ありがとうございます。ちょっと時間が来てしまったので、最後お一人だけ、ペンネーム片つむりさんからですね、入社1年目で紙面の一面を飾られたと伺いましたが、その際の気持ちやどのようにどんなのか教えてほしいということです。手短にお願いします。
【佐藤】はい。正直言うと、自分の記事が一面に載るということはすごくびっくりしたというところと、自分が書き上げて先輩にチェックをお願いしますとなってから、じゃあこれを何日の何面に置こうかっていう話があったので、
【佐藤】はい、ありがとうございます。ということで川北さんの方に戻したいと思います。
【佐藤】杉野さんありがとうございました。本当にあっという間の1時間でしたけれども、本当に今日は1日ありがとうございました。
【杉野】ありがとうございました。
【佐藤】では杉野さんはここで退室となります。はい、いかがでしたか。新人記者がどんな仕事をしているか、どんな1日を過ごしているか、皆さんに少しでも伝わったのであれば嬉しいなというふうに思います。
3月には総合ビジネス部門で働く若手の社員にこのような形でインタビューをしたいと思っておりますので、またそちらでも聞いてくださいね。それでは失礼いたします。
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