どうも、西日本新聞ミーです。
このアプリでは、あなたの知りたい記事から
福岡の経済、社会、子育て、教育、イベント情報、ライブカメラ、マップでわかる防犯情報に特集記事、調査を依頼できるあなたの特命取材班速報!
そう!福岡の味方、西日本新聞ミー!
今すぐダウンロード!西日本新聞!
西日本新聞ポッドキャスト
星野松本のしゃべりぃよ
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や生活のあれこれをザックバランにしゃべるポッドキャストです。
今回は特別編です。
2024年4月に入社し、現在は久留米総局で取材に励む1年生記者杉野幸美さんに、人事部採用担当の河北陽子さんがねほりはほり尋ねます。
新人記者のリアルな声をどうぞお聞きください。
こんにちは。西日本新聞社人事部で採用担当している河北陽子です。
今日は星野松本のしゃべりぃよの特別編として、私がMCを務めます。どうぞよろしくお願いします。
今回は採用選考のシーズンが近づいているということもあり、新聞記者を目指すと就活生の皆さんが知りたい、聞きたい、エントリーシートや面接の参考にしたいということを、
どんどん杉野記者にぶつけていこうと思っているので、ぜひ最後まで聞いてくださいね。
それでは久留米にいる杉野記者とつないでみたいと思います。杉野さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ではですね、これから久留米総局に今記者として仕事をしています。杉野幸美記者に今日は来ていただいております。
杉野さんから自己紹介も含めて、現在のですね、担当のお仕事の内容などお伝えください。
はい、久留米総局で勤務している杉野幸美といいます。私は2024年の4月に新日本新聞社に入社して、今記者1年目です。
4月から7月いっぱいまでは本社で研修を受けて、8月から現在の久留米総局で勤務しています。
今の担当としては主に警察、久留米署と、あと隣の小小売署というところと、あと司法関係、警察とか裁判所、あとスポーツや町種と、小小売市立ちやらい町という自治体も久留米総局の管内になるので、そちら2つも担当しております。
仕事を複数担当を持っている中で、一番今ウェイトが大きいのは、警察関係と小小売市立ちやらい町の行政のお話だったりします。
いろんな担当があるとはいえ、幅広く取材を日々させてもらっているんですけれど、担当地域特有の話題だったりとか、あと季節に合わせたネタ、ここ数日だったら雪のお話とか、突発的に起こったものとかも、いろいろ対応しながら取材をしているという形になります。
【佐藤】今日はよろしくお願いします。入社されて、さっきありましたけど仮配属になってから博多どんたくで取材デビューされて、その後あれでしたよね、夏、高校野球取材に行かれて、なかなか人事部から離れてですね、編集局の研修に入られて、どうでした?最初の頃。
【佐藤】やっぱり実際にその記者として外で稼働し始めるってなったら、生活リズムというか、体力的に最初はちょっと不安というか大変な部分もありました。特に夏場の甲子園取材は前日炎天下の中だったので、同期がもう一人いるんですけど、その同期と一緒に励まし合いながら毎日乗り切ってたという感じです。
【森】ありがとうございます。その後、久留米総局に配属に8月からなりまして、どんなお仕事をされてきたのか、みたいなところを今から皆さんにご紹介いただきたいなというふうに思います。
記事を3つ持ってきていただいているので、それぞれの記事に沿って杉野さんにいろいろ聞いていきたいなと思います。よろしくお願いします。
1つ目が、1945年の6月19日の福岡大空襲のときに、戦隊員として戦況を目の当たりにされていた99歳の藤井さんに取材をされたということで、その記事が2024年6月19日の日本新聞の一面に載ってまして、取材されたのが杉野さんということで、このあたり詳しくお話聞かせてください。
まず1つ目、こちらが9年の1月、2024年の1月から、今年が戦後80年ということで、戦争を取り上げた記事というものに力を入れてまして、その一角の一環として取材をさせてもらったものになります。
さっきおっしゃっていただいたように、6月19日ちょうど80年前のこの日に福岡大空襲というのがあった日に合わせて出した記事になるんですけど、当時取材したとき99歳、もう100歳になられた藤井さんを取材して入隊、調兵されてから実際に戦地に行くまでの訓練を受けている日々だったりとか、
あと入隊して数日で実際に福岡大空襲にあって、その時の様子から終戦までの日々っていうところをお話しいただいて、記事にしたものになります。
軍隊での日々の様子とかを聞くうちに、その方が実際に目の当たりにした武器とか軍服とかも全く実際はなくて、負けると思いながら日々過ごしていたっていうような内容だったりとか、
あとその訓練を受けて、実際に戦地まではいかなかったけれども、戦争のための道具というわけではないけど、この方がおっしゃったのは、当時の私たちは物消耗品だった、人間ではなかったっていうふうにおっしゃったんですけど、その言葉がすごく自分の中でグサッと残ったなっていうのが印象的な部分でした。
この記事をちょっと挙げさせていただいたのは、これはまだ本社での研修期間の記事だったんですけれど、自分がずっと戦争取材に興味がある、やってみたいですっていうことを就職活動も含めて話していた中で、先輩記者が一緒に取材をしないかと声をかけてくれたものになります。
実際に取材をさせてもらって、すごく貴重なお話を聞けたなっていうところだったりとか、あとは藤井さんが当時実際入隊してたのが、当時19歳、20歳っていう若さ、今の自分よりも年下の時期だった、その方がもう今100歳になられたっていう、この80年っていう時の重さ、それだけ当事者として語れる方もどんどん増えていって、
どんどん高齢化しているっていう現実を目の当たりにしたっていうようなところがありました。
ありがとうございます。ちなみに、先ほど取材した経緯っていうところで、先輩の記者から声かけをしてもらって、一緒に取材に行ったっていうところだったんですけど、最初藤井さんに取材に行こうっていうようなきっかけみたいなところっていうのは、どういったところから取材につながったんですか。
これは、先ほど言った戦後80年企画で、本市が軍歴紹介の企画を昨年の1月から始めていて、実際に軍隊に所属した経験がある方、またはそのご親族とかからのお手紙とかが複数届いていた中で、藤井さんもお手紙を寄せてくださっていたっていうのがあって、そこから連絡を取って取材に行くということになりました。
なるほどですね。ちなみにこちらの取材はどのぐらいの時間をかけて取材されたんですか。
お話を伺ったのが、たぶん2時間、3時間はいかなかったと思うんですけど、2、3時間経てお話を伺ってしまったね。やっぱり自分がその当時の様子とかは全く知らないので、一つずつ藤井さんが話してくださることに対して、こういう状況ですかとか、こういうことですかっていうような確認とかも含めながらだったので。
なるほど。丁寧に取材をしたなという記憶があります。
先輩と一緒に行かれたんですかね、取材の時は。
はい、そうです。
記事は杉野さんが書いて、先輩にも見ていただきながら掲載されたと。
はい、そうです。
1名に乗ったというところですね。なかなか1年目で1名に記事を飾るというところですね。緊張されながら頑張ったのかなというふうに思っていました。
杉野さんのそうした仕事に対する思いとか、その時感じたこととか、そういったところも今聞けたので。
こちらも苦しい気持ちで読みながらだったんですけども、そういうちょっと裏の話というところも聞けたので、やっぱりこうやって記者が実際に足を運んで、今残された少ししかもう残られてないけど、生の声を聞けて、それをこうやって紙面を通じて皆さんに伝えていくというところは本当に西日本新聞社の使命だなというふうに聞いていて思いました。
ありがとうございます。
ただこれを取り上げて、障害者の方の福祉だったりとか、障害がある方々がどう思ってらっしゃるのか、その生の声を伝えるっていうと、すごくより中身のある記事が書けたっていうのは、やっぱりそのローカルなネタも逃がさないっていう西日本新聞社の強みなんじゃないかなというふうに思います。
ありがとうございます。じゃあもう一つですね、事前に来ているペンネームまいさんからいただきました。入社前とのギャップを教えてくださいというところで、はいどうですか。ズバリギャップはありましたか?
これは西日本新聞社というか、会社の中での新入社員っていう立ち位置に関して、いわゆるメンターの方がついて、すごく一つ一つと細かに指示が出るっていうようなふうに、仕事の仕方が新人のうちは続くのかなっていうふうに思ってたんですけれど、
研修はもちろんありますし、そこで必要なことは教えていただけるんですけれど、8月に配属になってからは一人の記者として使ってもらえる。
割とまずやってみて、そこから慣れていこうっていうようなスタンスだったので、それが苦手な方はあれかもしれないんですけど、実際自分がやりたいことに制限がかからないっていうのはすごく仕事をしていていいなというふうに、いい意味でのギャップだなというふうに思いました。
ありがとうございます。もう即戦力だったわけですね。
やっぱり自分が不安なこと、わからないことは上司に相談しながらですし、ただ自分がやってみたいようにやりなっていうところと、だからといって質問とか自分の悩みに全然答えてくれないっていうわけではなくて、相談したら教えてもらえるっていうところがすごく両輪としてあるのはすごく今助かっています。
前半部分で社風みたいなお話ししてて、自由活達な社風なんですよみたいな、やりたいって言ったことに自然と後押ししてくれるような社風なんですみたいなお話をしてたんですけど、まさに裏付けとなるようなエピソードが聞けたので、よかったなというふうに思います。
ではですね、そろそろ質問が届いたかなというふうに思いますので、質問ルームに投げたいんですけれども、今日は西日本新聞社人事部で同じく採用担当している中原が皆さんからの質問を受け付けるチャットルームにおりますので、呼んでみたいと思います。中原さん、質問来てますか?
はい、こちら質問受付ルームの中原です。質問たくさん来ております。まずペンネームカエルさんからですね、御社では幼児朝掛けのような取材をすることはないのでしょうかという質問ですね。まさに警察担当である杉野さんに伺いたいんですけど、幼児朝掛けっていうのは捜査関係者の家にですね、夜中とか朝とかにちょっといて取材をするというものですけど、
こういった幼児朝掛けは杉野さんはされてあるんですか?
私はですね、久留米に配属になって警察担当になってから大きな事件っていうのが起こっていないので、その本格的な幼児朝掛けっていうのはまだ経験したことがないっていうのが実際のところです。
ただ警察署員の方と日頃から接点を持っていく必要があるので、署以外の場所でもちょっと待ち伏せしてお話したりだとかいうようなことはあります。
あと昨年12月に北九州の方で中学生の2人が刺されるっていう事件があったと思うんですけど、その時とかは北九州の担当の記者とかはすごく幼児朝掛けっていう捜査員にも当たってっていうのをしたというふうにまた劇ではありますが、そう聞いております。
ありがとうございます。次の質問ですね。これはまさに総局にいる杉野さんに聞きたいんですけども、NMドンカラスさんからですね、地方支局の人数はどれくらいでしょうかという質問です。
クルメ総局には実際にコモニストに出て取材をする記者が4人と、デスクと呼ばれる原稿をチェックしたりする方が2人と、総局長っていうトップにあたる方ですね。
あとクルメ総局と、近藤地区と呼ばれるクルメが含めた地域に別で支局というものがありまして、そこは支局長が1人ずつ全部で4人、今クルメ総局とは別で支局長が4人いらっしゃいます。
ありがとうございます。同じ方から関連する形でですね、クルメ総局の中での関係であったり仕事業などについて、配属されてから感じたことをポジティブでもネガティブでもいいのでお聞きしたいという、なかなか答えづらい質問かもしれませんけどいかがでしょうか。
クルメの場合は、先ほど申し上げた取材に出る記者4人が全員女性なんですね。これは割とかと比べても女性率はちょっと高めではある。
あとデスクも1人女性がいらっしゃって、あと2人総局長とデスクも1人は男性という形になるんですけど、人間関係、プライベートというか仕事の上でもそうですし、仕事の取材に関しても、この話題あるんだけどやってみないとかっていうのを他の記者から振ってもらったりとか、
あと記者同士で全然飲みに行ったりとかもするので、人間関係は良好だと思っています。すごく楽しく過ごしています。一番年下ですけど。
【佐藤】そういう楽しい職場だということがわかりました。次の質問はですね、これまさに杉野さんにしか答えられない質問なんですけども、ペンネーム天心麻婆ドンさんからの質問ですね。先ほどの1日のスケジュールにおいてプライベートの時間が限られているように感じたのですが、ワークライフバランスについて教えていただけると幸いですという質問です。
【佐藤】そうですね。なかなか芸術、その仕事をしている中で思いっきりプライベートに割く時間っていうのは、学生時代と比べたら当然少なくなったなっていうところはあります。ただその分、休日とか、私はアイドルが好きなので、いわゆる推し活というものに休日は注力することが多いです。
なので、1週間頑張ったご褒美が待っていると思って、日々を頑張っております。
【佐藤】ありがとうございます。次もですね、警察担当の杉野さんならではの回答になればと思うんですけれども、ペンネームティンパニストさんからですね、取材過程や記事の執筆過程でセンシティブな部分に触れることがあると思いますが、その記事になる事件や事故に関わる方をできるだけ傷つけることなく記事にするために配慮していることがあれば教えてほしいというものですね。
【杉野】まずはやっぱり記事として出すときに、どの内容まで、自分が取材をして知り得た内容をどこまで出すのかっていうのは、報道として出すべき、出すことに意味があるっていうのと、あとはどこまで出していいのか、その当事者の方を傷つけないために出しても大丈夫な範囲になるというのが大事だと思います。
でも大丈夫な範囲というか、配慮の上で出すっていう、その2つをずっと攻め合いながら書いているっていうのは、これはまだ全然自分の中で明確な基準があるわけではなくて、やっぱりその取材相手にこういう意義があると思うから書きたいんですっていうようなことを、
自分というかその新聞としての考えをまずは一つは伝えるってできる限り理解してもらえるように努力するっていうようなところと、あとはそれでもどうしてもやっぱり相手からNGが出る場合もあるので、そういったところはこういう理由でダメだったんですっていうようなことはデスク上司にも報告して、やっぱり上司とかとも相談した上で記事としての折り合いをつけていく。
どこまで書けるかっていうようなところの折り合いをつけていくっていうような過程を毎回毎回、その記事があるたんびにやりとりをするっていう感じです。