1. 西日本新聞 星野松本のしゃべりぃよ
  2. 6-2|365日仕事!なんて時..
2025-05-13 11:00

6-2|365日仕事!なんて時代もありました…。新聞社の変化を語ります。ゲスト/遊軍セクション 本田彩子記者②

この番組は、西日本新聞社の記者たちが、就職活動や新人時代、プライベートの生活までざっくばらんにしゃべるポッドキャストです。同僚にも初めて明かす悩みや失敗の数々。記者の仕事に興味があるみなさん、ちょっくら聴いてみませんか?

ゲストは本社遊軍セクションの本田彩子記者。入社からはや16年。あの頃の新聞社って?変わったところ、大事に残しているところ…。少しだけ振り返ります。

◆出演:星野楽(写真部)、松本紗菜子(経済担当)、本田彩子(遊軍セクション)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年4月25日

◆本田彩子記者の記事一覧
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◆星野楽記者の記事一覧
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◆松本紗菜子記者の記事一覧
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サマリー

本エピソードでは、本田記者が新聞社での16年間の変化や入社当初の体験について語ります。特に、熊本総局での仕事やミナマタ病の取材を通じて学んだことに焦点を当てています。

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西日本新聞ポッドキャスト、星野松本のしゃべりぃよ。
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や私生活のあれこれをザックバランにしゃべるポッドキャストです。
こんにちは。番組の進行を務めます、西日本新聞社写真部の星野岳人。経済担当の松本園子です。よろしくお願いします。
前回、ハッシュタグサスキューの話であったりとか、遊軍の話とかをしましたけれども、今回も引き続き本田さんによろしくお願いします。
よろしくお願いします。
新聞社での初期体験
本田さんが入社したのは、16年前ということになりますかね。
当時、今とはちょっと新聞社のイメージも違ったりするかもしれないんですけれども、どんな感じでした?
もう気づけば、16年もその間に入社したくらいの気持ちで、ブレッデーター怒られるかもしれないんですけど、
新聞社ってすごい男社会みたいなイメージで、実際現場はまだ男社会みたいな感じがすごい残ってたんですけど、
入社した記者自体は、私の同期くらいから男女半々くらいだったんですよ。
今は女性記者の方が多くなってますけど、男女半々で、
ただ職場の環境としては、上司は基本的にみんな男性。
なのですごく不規則で、イメージとしてももともとすごいきつくて、
でもいろんな現場に行って、いろんな人に会って、日々学びながら自分が成長できるんじゃないかなと思って、
そういうイメージで入って、その通りの現場でした。
良かったですね。
入社をされて初日が熊本総局ということで、私の先輩でもあるんですけれど。
思い入れとかありますか?
そうですね。私、当時入社して、今はしばらく研修があったりするんですけど、
5月にすぐ熊本総局に出まして、
早いですね。
そうなんですよ。当時はそういう配置が結構あって、何も右も左も分からない状態から入って、
一番初日に会ったのは、隣に助手席に総局長に乗ってもらって車の運転をするっていうところからだったんです。
熊本って路面電車が走ってて、結構運転が難しいのと大学出てすぐだったんで、東京の大学なんで運転してなくて、
裁判所と警察署とちゃんと回れるように運転からまず覚えなさいって言われて、
女性の総局長、上司だったんですけど、当時ですね。
そしたら私の運転が下手すぎて、うちゃくちゃ叫ばれて、それが怖くてもう自己理想でみんなから同情されました。
よく愛情深く乗ってくださったんですけど。
総局長が乗るっていうのが緊張の元ですね。
緊張で、そんな感じでしたね。それが一番最初でした。
なかなかですね、総局、人数も少ないというか、本省に比べるとですね、結構仲が良くなるというか、
総局長一等にですね。
そうなんですよ。でさっき、いわゆる本社じゃないところっていうのは、今はちょっとさらに縮小しているところあるんですけど、
当時の熊本総局は総局長が1人いて、デスクが2人いて、社が私含め4人なんですけど、少ない人数でやる。
一致団結してやらないと、やっぱ熊本っていう広い、もちろん市局長も各地にいらっしゃるんですけど、
結構その家族みたいな感じで過ごしていて、そこですごく自分は新聞記者として育ててもらったなっていうのを今でも思ってます。
基礎を作ってもらった場所だなっていう。
そうですね。
私はもう2人市局から写真部だったんで、そういう総局みたいにある程度の人数、少ないながら人数が5つ協力し合ってみたいなのも知らないので、ちょっと羨ましいなって思いますね。
そうですね。私も同じぐらいの人数でした。私がいた時に。
本当に家族みたいになりますよね。
ですよね。
あとなんかその出先、私本当1年生のスタートで出先熊本だったんで、他社、同業他社もみんな1年生が必ずいるんですよ。熊本ぐらいの拠点になると。
で、いまだに仲いいんですけど、同じ1年生同士で何もできないままで、いろんな悩みとかちょっと先輩の愚痴とかも言い合って過ごした仲間が、この間偶然NHKの同期だった記者と同じ福岡に今赴任してて、再会してすごい懐かしいなって思い出しました。
そうなんですね。
なんか本社では、本社でもあるかもしれないけど、やっぱりそういうのがありますね。民放の記者とかも同じ入社でずっと仲良かったり、ライバルですけど同じ仲間っていう。
福岡現場一緒になって。
一緒のことで悩んでそう過ごしたなっていうのをすごい思い出しました。
だいたい上司という共通の敵が。
そう共通の敵に向けて慰め合うみたいな。
そう的に協力し合いっていうんですね。
なんか総局内で過敏を取るみたいなこともあったり。
そうなんですよ。私、すごい一番最初に熊本に赴任した時に、ちょっと今だったら問題になるかもしれないですけど、その上司から365日仕事のことだけ考えなさいねって言われたんですよ。
それはおしゃれもしちゃダメだし、グルメも関心持ちちゃダメだし、恋愛もしないでねとか言われて。
私結構さらっと流しながら、流しながらもふんふんふんと思ってやりつけたんですけど。
でも実際すごく忙しくて、記者のショートって忙しくて。
総局から数百メートルぐらいのところに住んでたんですけど、ちょっと帰るのがめんどくさくて。
夜になったら結構総局に泊まったりして帰るよってすごい怒られたんですけど。
総局にシャワーがあったんですよ。誰も使ってないシャワーが。
それを私だけ使ってたんで、よくあんなシャワー使えるねって言って帰るの。
家汚いし、総局の方が綺麗だしいいかなと思って、そんなことを過ごしてた時代でしたね。
今じゃちょっとありえない。
ちょっとありえない。
ありえないですね。
シャワー室もない。
ないよ。
良かったですね。
私しか使わないシャワー室。
誰も汚くて使いたくないって言ってました。
そうなんですね。
一緒ですね。プライベートと仕事がね。
そうですね。
そっかそっか。なかなかそうなると息抜きとかも難しくなるだろうに。
それを考える間もなく仕事。
そうですね。でも楽しかったですけどね。
1年生はボロ雑巾みたいに使われるから覚悟しといてって言われたんですけど、
確かに仕事のことしか考えてなかったけど、
それはそれでいろんな経験ができて良かったですけどね。
これが一生は続かないわけで、その後も人生人生でいろんな働き方に変わっていくんですけど、
最初の総局で過ごした数年間は大きかったなって未だに思ってます。
そうですよね。
ミナマタ病の取材
あとはミナマタ病もご担当されていたということですけど、
すごくですね、昔から問題になっている大きなテーマで非常に取材も大変だったのかなと。
そうですね。私入社した時の課題図書みたいなものが、
ちょうどミナマタ病の公式閣連から50年の時に西日本新聞社がいろんな部で一緒に書いた
ミナマタ病50年っていう本があって、その本課題図書って読んでデポートとかも書いてたんですけど、
すごく西日本新聞社としても長年いろんな記者が関わって取り組んでる重いテーマで、
そのテーマを入社2年目の時に担当に、もちろんミナマタ市局がメインでやられるんですけど、
熊本県政の方でも担当が必ず一人は置くようになっていて、
その担当をさせていただいたことはすごくこんな長い歴史で、今まで表面的な教科書で知るような歴史として知っていたことが、
未だにこれだけの人が苦しんでいて、いろんな裁判が起きていて、裁判でいい結果が出てもそれが全く国の政策に活かされたくて、
長い歴史があることを知って、そこに携われたことはすごく大きかったなと思っています。
私も写真部のカメラマンとして、ミナマタ病の慰霊式の方に、以前も行ったんですけども、
その時に初めていろいろ知ったこととか、本当に文字でしか教科書でしか知らなかったなと思ったので、
取材してみるって結構本当に大事だなって思いましたね。現地に行ったりとか。
すみません、ちょっと話が変わってくるんですけれども、
本田さんはご結婚もされているということなんですね。
はい、知っています。
結婚と仕事の両立
結婚はいつ、送局の時にされたんですかね。
そうなんですよ。結婚自体は、これも入社2年目の終わりの方で結婚はしたんですけど、
共働きで、今もそうなんですけど、私も転勤がある、相手も全国転勤があるわけだったんで、
ずっと結婚したんだけど一緒に住んでなくて、いわゆる別居婚みたいな形で7年、8年。
長いですね。
そうです、長かったです。なかなか一致しなくて、会社が違う、同じ会社じゃないんで、一致しなくて。
なんで結婚しても、結婚するときはちょっと早いんじゃないって言われたりもしたんですよ。
でもあまり変わらない、ライフスタイルも全く変わらなくて、独身自体と同じような働き方を子供が生まれるまではしてたので、
新聞社っていう業界にいると結婚とか出産になると、なかなかやっぱりどう両立というか付き合っていくなんて難しいところがあると思うんですけれども、
その辺の話はまた詳しく。
そうですね、次回ゆっくり。
思うんですけれども。
お子さんもいらっしゃるということでね、子育てに関するお話もしっかり次回お伺いしたいなと思います。
ということで、今回もお時間が来てしまいました。
次回の配信では、子育てと仕事の両立をされている本田さんの生活についてお伺いしたいと思います。
西日本新聞社やこの番組を応援したいと思っていただける方、ぜひ西日本新聞、もしくはニュースアプリ西日本新聞MEのご購読をよろしくお願いします。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
本田さん、次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
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