西日本新聞ポッドキャスト、星野松本のしゃべりぃよ。
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や私生活のあれこれをザックバランに喋るポッドキャストです。
こんにちは、番組の進行を務めます、西日本新聞社写真部の星野岳人。
経済担当の松本佐賀子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと徐々に慣れてきた。渡るさんの人柄も分かってきたかなという感じですね。
いつも通りですか?渡るさん。
だと思います。
どうですか?緊張も解けてきてます?
だいぶいい感じになってきた気がします。
よかったです。
よかったです。引き続き、今回は新人時代ですね。入社してすぐの頃のエピソードであったり。
喜怒哀楽というか、その辺を聞いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
お願いします。
最初にお聞きしましたけれども、鳥栖市局で初任地だったということで、私も全く同じなので、個人的にもいろいろ気になるところがあるんですけれども。
鳥栖ってどんな町だったか、渡るさんの口からお願いしてもいいですか。
そうですね。鳥栖、佐賀県にある町ですけど、私が入社して天神本社で4ヶ月ぐらい研修をした後、鳥栖に配属されたんですけど。
行ってみて、天神に比べるとすごく田んぼとか畑とか多くて、はろかな町だなというのが第一印象でした。
ただ、結構意外と駅前とか商業施設とか、飲食店、飲み屋さんとか結構多いし、
あと有名ですけど、鳥栖ジャンクションがあって、すごく高速で車でドライブ行くっていうところではすごく便利な町でした。
すごく住みやすかったですね。
ちょうど黒鉄時代にパッと栄えた、交通の大事なところとして栄えた。
高地の飲み屋街というか、路地みたいなところがありますもんね。
ノスタルジックな、昭和の感じがいいですよね。
いいですね。
アイスキャンディ屋とかが見つかりますもんね。
いいですね。レトロですね。
そんな場所で過ごした新人時代ですけれども、仕事で苦労したこととかありました?
そうですね。記者としてという以前に、社会人として基本がなってないというのをすごく高地の上司から怒られました。
意外ですね。
いわゆる報連送、報告連絡相談というところが全然なってないと言われたんですけど、
いろいろ指導をいただいた当時の都市局の市局長というか、当時でいうと50代ぐらいの上司だったんですけど、
その人と2人だけで都市の管轄エリアを取材全部担当するという形でした。
ということなので、どうしても2人で全部回さないといけないということで、
市役所の取材も、事件事項の取材、スポーツの取材というのも全部2人で回さないといけないというのは結構大変でしたね。
そうですよね。ちょうど都市って結構読者の方が多いところでもあるので、
割と佐賀のデスクというか、都市の記事をどんどん出してこいというふうにもあったりとかですしね。
あと新人で来てるから、50代とか上司の方も千本ノックのようにどんどん記事を書いて、
実践学んでいけっていうような、そんな雰囲気がありますよね。
現場に出て覚えろという。
そうですよね。
ほうれん草がなってないというのは、いまだに私も言われますからね。
大事ですね。
ドキッとしましたけどね。
大事ですね。
そうですよね。
二利子局というのもすごいですよね。入社してすぐ。
そうですね。私の頃は結構そういう二利子局で新人で行くっていう人、
他にも同期とかでもいたんですけど、今はほとんどなくなりましたね。
二利子局自体があんまりなくなってますので、入社を考えている皆さんは安心してください。
随分減りましたよね。
安心してくれたらいいんですけどね。
結構もう本社で勤務とかが多くなってますもんね、新人の人が。
ちょっと人がいるところが多いですね。
優しい方々に運ばれながらっていうような、今の教育方針ですもんね。
そうか。私の大、渡るさんがよく言ってたスナックに私も引き継ぎのように行ったんですけれども、
そのスナックのママさんからは、渡るは本当に厳しい指導に応えとったよってずっと言われてたんですけど、そんなにあれでした?大変だったというか。
そうですね。よく上司が仕事終わった後にご飯に連れて行ってくれたんですけど、
だいたい1軒目が焼き鳥屋さん、2軒目でさっき言ってたスナックに行くっていうのが定番だったんですけど、
このスナックの辺りからちょっとお酒が回ってきて、だんだん気にしくことを言われるようになったんですよね。
最近全然得だね、取れとらんやないか、そんなこと言われましたね。
それでも、結構行くごとに毎回同じように言われるっていう感じですよね。
そうですね。何も言われなかった時が珍しい。ほっとして帰るみたいな。
それでも上司から今日は行くぞみたいなのに誘われてたっていうことですか?
そうですね。
その時はもう拒否権は行使できず。
なかなか。
そうですね。
当時はね、今はないですもんね。
新聞社って感じですね。
昭和次第ですもんね、そうなるとね。
でも、それはそれで勉強になったこともあったなっていうのは、今思えば思ってて。
そうですか。
例えば、私と上司は2人だけじゃなくて、他の取材先と一緒にスナックに行ったりすることもあったんですけど、
その上司というのは雑談をしながらも、次の取材のヒントになるような、そんな話をうまく引き出すっていうのがすごいなと思ってました。
もちろん取材の仕方っていうのは別にノミュニケーション以外にもいろいろあると思うんですけど、
そういうのも含めて取材の仕方みたいなアドバイスっていうのを自分も成長していって、
後輩に教えられるようになれたらいいなと思ってます。