1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
  2. 慣れてもいいと思えた11月の夏..
2023-11-12 33:39

慣れてもいいと思えた11月の夏日に反面教師になっていく

ワイヤレスイヤホンに買い替える機会を逃した丹羽です。

11月の夏日にしたことが、自分にしては珍しく清々しくポジティブな感想を2つ持っています。

“慣れ”は怖い変化ではないから慣れてみようと思えたこと。

「あなたではないみたい」という褒められ方を受け取り続けてきた自分として、どう過ごしていくか考えられたこと。 どちらもうまく言葉にならないまま話してしまっているけれど、自分にしては成長でした。

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サマリー

11月12日、夏日のような暖かさになっています。ボランティア活動を通じて頑張ったことを感じることができました。過去の達成感や褒められ方について振り返り、庭さんは自己の成長を感じています。庭さんは庭の掘り起こしボランティアに参加し、成長を実感しています。また、母親からの褒め言葉に対して受け入れる姿勢を持ちながら、自己成長を図る意識が芽生えました。11月の夏日に起こった特別な体験で、庭さんは自己の成長を感じることができました。庭さんはその経験を振り返りながら、ポジティブな気持ちになっていると述べています。

11月の夏日
11月12日、第72回目の、にわにわにわかに庭が広いです。
ここ10日間は、本当に夏日というか、夏でしたね。
なんていうか、堂々と半袖になって歩いてました。
去年も11月で半袖になったことはあったような気もしなくもないんですけど、
やっぱりそれはまあライブの最中だったりとかだったし、
でもちょっとそれでも半袖少ないから、気にしはしながら半袖になってて、みたいな感じだったんですけど、
今年はもう、全然ライブとかそんなんじゃなくても半袖になってましたね。
全然、むしろ長袖の方がきついでしょって思って、堂々と半袖になれました。
でももう寒い日々に戻ってきてしまったというか、
これからはもっと寒くなるなーっていう気温になりつつありますね。
なんか11月に全部の季節が集約してるような気がするような感じですね。
どうします?11月末とかで雪降ってきたら、どうなってるんだろう?どんどん思っちゃうな。
でも多分霜は降りますよね。例年だったらね。
暖冬って言ってるからどうなるかわかんないけど、
本当に11月に春以外の季節が集まっているような気はしなくもないんですけど、
なんか自分の周りではインフルエンザが流行っているっぽくて、
コロナに感染したって聞くよりインフルっていうのがよく聞くんですけど、
新型コロナがパンデミックしてた時ってインフルエンザ全く流行ってなかったじゃないですか。
ニュースでも言われてたと思うんですけど、
なんか今はそうじゃなくなってきたんだなーって思って、
イヤですけど、パンデミックのウイルスの流行りの違いだけで、
その時代が巡ったなって感じるのはイヤですけど、
インフルエンザなんだ今って。
なんていうかなこの感じ。
コロナではないんだな。
コロナも流行ってるには流行ってるんですけど、インフルの方が効くなーっていう感じなので、
なんかインフルエンザになってきたんだなーって。
この感想が果たしてうまく伝わってるのかわからないですけど、
そんな風に思っていました。
でもこんな寒暖差があったりとか急に雨が降ったりみたいな天気が続いているので、
風も低くし、うつるし、
暑かったからマスクも取れたりするし、
いろいろしょうがないよなーって思ってますね。
自分も数えてはいなかったんですけど、
頭痛薬飲む頻度が多いなーって思えてきて、
ちょっと気をつけないとなーって思いましたね。
でも気をつけても無理よねこの天気って。
思うしかないなーって思ってます。
そんな夏、秋、冬な11月です。
バイトからボランティアへ
2話の陽形状。
このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
そんな夏に逆戻りした日に、
具体的に言いはないから変な感じになるかもなんですが、
頑張ったなーっていうことがありました。
頑張ったっていうのを主観で言っていいのかとか、
そういう問題があるとは思うんですが、
普段学校以外でほとんどと言っていいほど外に出ない人間が、
3日間ほど外でちょっと、
アルバイトではなくボランティアって言っていいかな?をしてたんですね。
だから、自分の物差しで言うと、
頑張ったなって言っていいかな?ということでして、
ちゃんとこう、労働だなというか、体を動かして、
なんやかんややって、みたいなことを外でしていたし、
人ともたくさん触れ合ったし、みたいな出来事だったので、
自分物差しで言うと、頑張ったって。
珍しいことなので、頑張ったって言っていいかな?と思って、
頑張ったことをしました、みたいな入りをしました。
慣れてもいいと思えた
なんていうか、その3日間は普段体を動かさない人が動いて、
人とあまり喋らない人がまあまあ喋って、
頑張ったっていう感じで、疲れは出てくるんだけど、
アドレナリンみたいなのが、ドーパミンみたいなのが出てきて、
なんだろう、楽しいって思えたんですよ。
自分その前回とかに、楽しいってなんだろうとか考えちゃってっていう話もしたんですけど、
やっぱこう、動いていたこともあるせいか、
集中していたせいか、久々にその楽しい、よかった、みたいな感覚を味わったなと思いました。
なんかその点で頑張ったって言ってもいいかなと思えていて、
なんか、まあポジティブな体験でした。
実はこのボランティアみたいなものは、1年ぶりで2回目なんですよ。
1年前は、高揚感もあったけど、それこそ楽しいって言っていいのかなーみたいなことを考えたのが、
やり終えての感想だったし、やってる最中も集中しているというよりかは、
なんていうか、自分のことしか失敗したら迷惑かけたらどうしようって思い過ぎていたり、
なんかそれのせいか、気持ち悪くすぐなってきて、
なんかあんま話さない方がとか、そんなこと考えていてダメダメだったんですよ。
だからその最後の感想としては、楽しいって思えていい、楽しかったけど楽しいって思えていいのかわかんないなって思って、
迷いの感情の方があったから、
今年もやるやらないっていうのは、やらない方が強いかなって思ってたんです。
でもそのダメダメではあったし、楽しいと思えていいのかなーっていうのはあったけど、
なんていうんだろう、高力感っていうのがなんだろう、自分にしては珍しくなんか不安が膨らみすぎはしたんですけど、
その、ここにいてもいいかなーが、他の出来事より少し強くあったんですよ。
でもやっぱやっても迷惑かなーとも思ったりしたけど、結局今年もやることにしてみましたね。
今年の感想は最初に言った通りで、結構清々しく終えられたかなっていう印象で、
去年よりも自分のことばっかりにならずにできたなというか、
もっと具体的に言うと、自分にしては珍しく結構時間が経ってても笑えてたような実感がありまして、
だから普段の私を見てる人がいたらびっくりされるんだろうなって思うぐらい笑ってたなと思いました。
去年自分のことばっかりになってたっていうのは初めてのことだし、不安感もいっぱいあって、迷惑をかけないようにもいっぱいあって、
なんか全部ぐるぐるしてて、トイレにめっちゃよく行ってたり、そんなにトイレ近くないのに行ってたり、
まあ外の空気吸いに行ったりしてたんです。今年はそれもなくできたなっていう印象もあって、
まあ普通の人だったら一発で初めてで今年みたいな動きができていたのかもしれないなとも思って、
ちょっとブルーになったりもしかけたんですけど、それでもまあ笑えたなぁと思ったし、
自分から話しかけに行くことも多くあって、なんか久しぶりに自分からLINE交換しておきたいですなって言ったりしていました。
その、自分は慣れるのは、慣れっていうのは怖いことだって思っている人でした。
もしかしたらどっかの回で話したかもしれないけど、その変わりたくないと似たような理由が若干あるというか、
まあ人間慣れていってしまうものなんですけど、なんかそれが自然に起こるっていうのが、なんか自分が自分じゃなくなっていく感じがわからずに、
慣れが起こるのがものすごく不思議なことだし、大きな渦の中にいるみたいな感じがして怖いなと思ってるタイプで、
だったらその、ゼアミだっけ?が言ってたような、初心忘れるべからずというか、まあそういう言葉もあるからそっちでいるべきだし、
自分はその初期衝動とかにつられて何かしたこととかの方が楽しいなって思えたことも多いから、
なんか初めてな感じ、緊張した感じを持っている方がいいなって思っていたんですけど、
でもなんか去年と今年の、このボランティアみたいなものと比べると今年の方が良かったよなというか、
うーん、上手く言えないけど、慣れるのが嫌っていう感覚は決していいかなと自分で思えた気がします。
また回りくどい言い方になってるんですけど、なんだろうな、自分のことばっかりになって、
なんか迷惑をかけない方がいいとか、不安感の中にいて、いろんなところに逃げ込んだり避けたりするよりも、
うーん、余裕ってわけじゃないけど、周りが見えていた方がいいなって思えたというか、
まあきっと私はどんなに慣れても内向的で、なんかこう活発な、やっぱ慣れていたとしても陽キャには慣れないとは思うんですけど、
なんかたくさんの人と話すみたいなのは、なんだろうな、内向的であって、自分に軸を置きながら、
まあ人間でも人と喋るっていうのは、自分が広がったようですがすがすがしい気分でした。
なんだろうな、正直変わらない方がいいみたいなのはまだあるのはあるんですけど、
慣れっていう意味での変化っていうのは、いいかなというか、もうちょっとその変わらないままでいることよりも、
慣れていった方が、なんか素直な感じでポジティブなことなんだなって、
慣れて簡単に怒っちゃうから怖さっていうのはあったけど、そんなに怖がらずに慣れてもいいんだなと、
その大きななんか環境の渦みたいなのにだんだん巻き込まれていっても別に悪いことじゃないし怖いことじゃないし、
で多分私みたいな人は、内向的なまま慣れっていうか、自分が溶け出していくみたいな感覚も味わうとは思うけど、
庭の成長とボランティア参加
なかなかその自分軸みたいなのは、なんかそんなに消えるわけではないんだなっていうのを思えたから、
その環境が変わってすぐは緊張していったけど、だんだん慣れていくみたいな変化は怖いことじゃないんだなって思いました。
こんなことは普通の人って言っていいかな、は何も考えずにできてる変化なのかなって思うんですけど、
なんか時間がかかりました。
そんなことのあったね、日のうちにツイッターで今までやってきたことは無駄じゃなかったって言ってもいいかなと思えた日っていう、
なんか熱が冷めたらちょっといたポエムだなって思っちゃうつぶやきをできるぐらいには珍しくポジティブな気分というか、
なんか素直な気分だったなぁと思っています。
だからなんか慣れるっていう変化はいいかなって、ちょっとだけやっと思いました。
庭の掘り起こし。
このコーナーでは私、庭が思い出した過去のことを話すコーナーです。
これはその、庭の養計所のまんま話してもいいかなと思ったことなんですが、
まあというのもさっきのその頑張ったことの話の続きみたいなことなので、
それでもいいかなと半分は思ってるんですけど、
なんとなく庭の掘り起こしの方がいいかなみたいな風に思えたので、掘り起こしの方にしました。
このボランティアに参加するよっていう事前の報告を母に実はしていたりして、
終わってからも、まあ終わったよみたいなことを言ったりしたんです。
去年は実は事前には、母にも友達にも誰にも言わずにやったりしてたから、
まあその点で言ってもちょっと頑張ったというかね、成長みたいなことがあったような気がするなって、
ぼやかした言い方にはしますが、思ったりはしていました。
まあこのボランティアが終わった後で、
割とそのなんだ、ホームページ、SNSが更新されることもあったから、
母もいろいろ見ていたようで、終わった後に母からすごいね、あんたじゃないみたいってLINEが来ました。
でまあその2日後ぐらい、翌日だったかな、2日後か、に電話した時にも口であんたじゃないみたいっていうことをね言われましたね。
そういえば母はあんたじゃないみたいとか、誰がしたのこれっていうような言い方で褒める人でした。
あと日常と少し違う時、イベントごと、その修学旅行とか体育祭、運動会とかそういうイベントの後には疲れたでしょうって第一声で言う人でした。
今回もそのあんたじゃないみたいだねーっていうのと疲れたでしょうっていうのは、あと早く寝なあかんがセットでした。
そのなんて言ったらいいかわからないんですけど、それが褒められてるっていうことはものすごくわかっているというか、
褒められたな珍しくみたいな感覚はね、あるんですよ。
なんだろうすごく難しいんですけど、自分がさっき美容系上で言ったみたいに、変化の中でもまあ慣れっていうものは怖くないんだなって感じることができた成長みたいな部分までは母親に言えてないので、
だからやったよっていう事実だけがある状態なので、疲れたでしょう早く寝なあとか、あんたじゃないみたいだねっていうこの褒めっていうのはねぎらわれてるなあとは思うんですよ。
母親の褒め言葉と反面教師
だってまあ子供に対してというかね、20歳を超えた人間に対してすごいねとか偉いねって褒めるのはなんか正直気持ち悪いとは思うんですけど、
正しい褒め方、ねぎらい方みたいなのがわかっては自分もないからわからないけど、でもそのなんていうかな、思えば母親は小さい時からなんかやった後は頑張ったねとかより先に疲れたでしょっていう人で、
良い点数を取ってきた時もあんたじゃないみたいっていう人で、
なんかの作文とかが書けるようになった時とかでも誰が書いたのこれとかいう人で、
小学校1年生の時に漢字のテストで自分は、えっとね、雪って書いてある漢字を読みの問題で雪じゃなくて冬って読んだり、出発を出発って書いたりするっていうようなテストの間違え方をしたことがあって、
いまだにまだ言われるんですよ、母とか父にその話を。そのイメージがいつまでもあるのか知らないですけど、なんかね、官権取った時とか2級ね、まだ準一級取れてないんだけど、
中3の時に2級取れた時に、あんたじゃないみたいって言われたりしたし、作文もうまくなかったけど、なんかまあまあすんなり書き終わったのを母親が中学校かなんかのなんか文集、卒業文集じゃなくてなんか毎年やってるやつがあったんですけど、
それとか読んだ後で誰が書いたの?っていうような褒め方から、褒め方からというかそういう言われ方をしたなと思って、私変に悟ったというか、うまく言えないなぁこの漢字がなんかあるんですけど、
今の私の口癖は疲れたとか疲れそうだなぁとかだったりするし、あとここ何回かこのポッドキャストで話してる通り、なんかこう自分のことを一貫した人間だって思えない、一人の人間だって思えないような感覚がね、あるんですよ。
なんかこういうとこなんじゃないのかなぁみたいな、なんかやった後であんたじゃないみたいとか誰がしたの?みたいなこと言われたり、特別なことした後で疲れたでしょうが第一声だったりしてきて、今もそうで。
あーなんか、あー自分もそうなり、なってるんだなぁって思ったというか、うまく言えない、本当にうまく言えないんですけど、なんかこの自分のバラバラさ加減とか、すぐ疲れたって言っちゃうような感覚、疲れそうだって言っちゃいそうな感覚みたいなのは割と小さい時からあったのかもなって悟りました。
もし今自分が17歳ぐらいだったら、母親から今まで言われてきたこと、口癖というかまぁそういうものにこんな風に気づいたとしたらめちゃくちゃ憎んでたんだろうなというか、高校生ぐらいの時も反抗期みたいなものってあったりするじゃないですか。
なんか自分は母親に直接みたいな部分はなかったけどね、人のいないところでもものすごい泣いたりとか叫んだりとかするタイプだったから、もし自分がね17歳ぐらいだったらそうなってただろうなって思う。
なんかそういう意味でも、なんか本当に悟ったっていう感じ。
なんか憎むとも肯定するとも、なんて言うんだろう、そういうのとはまた違う感じ。
だからなんか受け入れるなのかはよくわからないけど、本当に悟ったなっていう感じがある。
うまく言えないけど、その悟ったなっていうのは、ああ、こう言われてきたなぁとか、未だにこう言うんだなぁとか、そういう風になんかこう事実を振り返ることができたっていうだけじゃなくて、
なんか自分はそういうのに気をつけようって、あの、気づく前に思えていたというか、なんて言うかなぁ。
自己成長と親への理解
卒論のテーマというか軸みたいなのが伝え方だったりしたんですよ。
だから、なんか、なんて言うんだろうな、親ができなかったと言ったらあれだけど、なんか多分正しい、正しいとかでもない、なんだろうな。
多分褒め方で言ったら赤点の方だった、この褒め方とか、なんか伝え方みたいな部分で、自分は、なんだろうな、100点を取ろうとしたいんだなって思って。
なんか多分、わかんないけど、官権とかなんかこだわって受けてみようって思えたのって、もしかしたらなんか出発のことで一発って書いたのがいじられたりしてたから、そういうところなのかもしれないし、
親たちは、そういうことがあったのに官権を受けるなんてね、みたいな言い方するけど、なんかそういうのがあったからなんじゃないのかっていうか、なんかそういう感じ?なんて言ったらいいんだろうな。
うーん、なんか補完してるじゃないけど、なんかそういうのあるのかもなって思えた悟りだったなぁっていうか。
なんて言ったらいいかな、なんかその、なんか多分あんまりいい話ではないような気はするんですけど、なんか動画描いてもなんかこう憎むじゃないけど、なんか嫌っていうわけでもないけど、
今はなんかそれを反面教師って言い方が正しいとして使っていいのかわからないけど、親ができなかったことみたいなものをこう自分は気をつけようって思えているんだなと思ったんですよね。
反面教師でいいのかな?そこまで立派なアレじゃないけどって思って、反面教師って言葉がね、自信持って言えないんですけど、思ったんだよな。
そう思えてるなぁって、その憎いとかじゃないし、その褒められてる、あんたじゃないみたいだねって言われてるのが褒められてないって思って、わーってなるとかじゃなく、
こう、褒めてくれてはいるんだなって受け取ることがちゃんとできてるし、なんかありがたいとも思えてるけど、でもなんかそこにある、なんか自分の中で毎回巻き起こってきた違和感とか、
親にそういう褒められ方をしたからじゃなく、自分がなんかバラバラな事故に至ってしまう日常のこととかを考えたりして、なんとなくこう、何かが、なんか本当に仕方がないというか諦めでもないけど、こういうものなんだなぁって。
母親、親、父親って、なんかこういうものなんだなというか、なんか自分はそれに対して、こういうことを、その反面教師的な動きを気づかないうちにとっていたなぁみたいな風に思ってましたね。
特別な体験を通じた成長の感じ方
その反面教師的な動きをとることって下手したら反抗期なんじゃないかって言われるかもなぁって思ったりもするんですけど、それはそれとして、私はうまく言えないですけど、成長を感じているなっていう風に思っていいかなっていう感じがあります。
また曖昧な言い方になってしまったけど、とにかく今回ね11月なのに、夏のように暑かった日にボランティアみたいなことして、なんかいろんな自分の扉が開いたなっていう風には思いました。
なんかそんな感じです。
とにかくポジティブな方向ではあるなって今は思ってます。
そろそろ第72回目を終えようとしているところです。
普段滞りの自分を喋っている庭さんにしては珍しく、割とポジティブな方向に足を運んだみたいな経験を喋ったなぁと思います。
不思議な言い方になっちゃった。
本当に素敵な体験だったなと思うし、母親にあんたじゃないみたいって言われてきて、それについて自分自身が考えることがあったりして、
なんか大人になったなって思ってしまったような気がします。
あと多分なんですけど、母親の言うあんたじゃないみたいとか、誰がしたのこれみたいなのの褒め方は、母親的には多分割と最上級の褒め方ではあったと思う。
あんまそれ以外聞いたことない気がするから、なんだけど、でもまぁ最上級な気がするから、
なんか自分褒められたんだなって今回思って、いろんな意味で総合的に全部振り返ってみて、やっぱりポジティブな方向の経験だったなぁとは思いました。
ワイヤレスイヤホンを購入しようとした経験
そう、だから、なんか頑張ったなぁとか、なんかそういうふうに思ってたから、たまたま電気屋さんに行く用事があったので、ちょっと大きめな、
そう、ワイヤレスイヤホンデビューしようって、ご褒美ね自分で買おうかなと思って、お金引き出して、
予算を1万円ちょい越しで、2万円以内、1万5千円ぐらいのワイヤレスイヤホン買おうかな、買うぞよし今回、今日こそはと思って出かけた日があったんですよ。
電気屋さんでプリンタのインク買うっていう日常のミッションも含め、それをやり終えてそのイヤホンオーディオコーナーに行って、
イヤホン、まず最初眺めてたんですね。何々が欲しいとか、ある程度はあったけど試着視聴してからがいいなと思って、
そう、店員さん呼ばなきゃなと思ってたんですけど、店員さんが一向に現れず、そのオーディオコーナーに。
で、なんかさすがに同じフロアが、まあだからオーディオ関係ですよね。イヤホンだけじゃなくてヘッドホンもあるし、
スピーカーもあるし、あと多分テレビかなんかもあった気がするんですけど、なんかそういうのがあったりする中、本当に何だろう、
イヤホンコーナーというかオーディオコーナーに人がいなくて、わざわざなんかその別な、同じフロアだけど別なところから店員さん呼ぶっていうのもなぁって思えたりしたので、
しかも大きい電気屋さんなのに一人しかいないみたいな状況も珍しくて、その店員さんがフロアに。
だからなんか30分ぐらいはイヤホンを見てたんですけど、一向に店員さんが来なくて、やっぱ試着してからがいいって気持ちがあったから、
買えずご褒美を。ワイヤレスイヤホンを買う機会がどんどん伸びていってます。
私は一生有線イヤホンで過ごせっていう感じなんですかね、こんな。
本当に店員さんいないの珍しいようなとこなのに、店員さんがいなかったなんてありえないなって思ってるんですけど、
さすがにそれ以上待てないしなぁって思いながら帰ってきました。
そう、オーディオテクニカーとかやっぱいいなと思ったし、
デノンの1万5000円ぐらいのやつもかっこいいなって思ったし、JVCとか、あとなんだっけな、ヤマハとかも全然良さそうじゃんって思ったり。
今回30分ぐらい見てたら、いろいろワイヤレスイヤホンの世界が広がってしまい、
ネットで買うにもまだ試着してないから怖い上、情報がいっぱいになっちゃって迷っちゃうなっていう結論になっちゃいましたね。
いやー、今年中にはワイヤレスイヤホンにしたいです。
そんな感じで、割とまだ楽しいというか、ポジティブな気分は残っている庭さんでした。
また荷の付く日には庭が庭かに広い庭を開きますので、お楽しみに。
では。
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