1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
  2. 「卒業おめでとう」に正面から..
2025-03-22 48:31

「卒業おめでとう」に正面から喜べないまま大人になるんだ

1 Comment

そろそろアジカンの『ソラニン』がわかるようになる引っ越し予定の丹羽です。

大学の卒業式の日に、たくさんの写真を笑って取っていました。入学式から2回、3回生前半までの私とは別人だったように思います。

きっと成長とは違うような変わりようでしょう。

1人でできるようになることが増え、多くの段階を卒業していくとなぜか虚しくなってしまうのは私だけなのでしょうか?


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サマリー

大学を卒業する頃の不安や期待が交錯する中、卒業式の思い出や新しい生活への移行が描かれています。桜や引っ越し、卒業証書の手渡しなど、学生生活の終わりと新たな始まりが巧みに表現されています。卒業を迎えた主人公がフィルムカメラを通じて日常や思い出を振り返り、大学生活での成長や人との関わりを考察しています。また、卒業後の不安や新しい生活への期待と共に、自己受容についての思いを語っています。このエピソードでは、卒業おめでとうの言葉に対する複雑な感情と、成長に伴う虚しさについて触れています。特に、自分の成長に素直に喜べない気持ちや、大学生活を振り返る中での深い感慨が描かれています。

春の訪れと桜
3月22日、第121回目の、にわにわにわかに庭が広い。です。
2024年度、最後の実のつく日、そして私にとっては大学生として最後の実のつく日、です。
この3月の終わりがけっていうのは、なんかもう、すべてが畳みかけて終わってくるし、
それと同時に始まってくるっていう感じですよね。
なんかどうにもやっぱり、そういう環境の変化に素早く適応できないタイプなので、私は、
なんともうまく、いつも春だけ変頭痛というか、頭痛がひどかったりとか、
この間の3月頭みたいに完全に風邪をひいてみたりとかしてますね。
あまり春に万全でいられることってないんですけど、
なんとかギリギリ気持ち的に耐えれてるのは、桜が咲くおかげかもしれなくて、
なんやかんや桜の名所とかじゃない場所でポツッと咲いてる街中の街路樹の桜でも、
スマホでパシャッと写真に撮ってみたりするっていう。
なんかすごく、桜がなかったら春多分、
これよりももっと体調もメンタルも万全じゃなく過ごしてるんだろうなぁと思ってます。
別に桜が咲いたからといって、何かこう、そういう桜の花から元気が出る成分でも出てたらいいんですけど、
別にそういうわけでもないのに、なぜか桜を見ると一応気分は高揚しますね。
本当に桜には感謝してます。
まだ桜は開花のちょっと手前、本当につぼみぐらいにはなってきましたかね。
まあそんな桜の開花に、
こう少しだけ自分の気持ちの晴れやかさとかをかけてるような、
いろんな新しい生活が始まっていく不安も、
桜が開花満開になったら一回は忘れられたらいいなって思ってる。
引っ越しの準備
私にとっては大学生最後の日のつく日です。
2話のようけい上、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
今私は引っ越しを目前に控えていて、
今はまだこの学生時代4年間ずっと過ごしていた部屋なんですけど、
それの荷物をまとめ始めているので、
段ボールまみれの部屋で撮ってて、
なんかいつもと環境が違うので落ち着かないし、
冷蔵庫とか空にしないといけないので、
卵使い切らなきゃなーとか、
そういう引っ越しのバタバタ感に追われてますね。
4年前に実家から下宿先のこの部屋に来る時は、
家具も家銭も全部入居当日につくように、
新しいもの新調というか、私用みたいなものをどんどん買い揃えていったから、
全くほとんど荷物は洋服だけぐらいの状態でこっちに越してきたんですけど、
生活を4年もしていると、
一個ずつカラーボックスが増えていったり、
なんかチマチマしたものが増えていって、
それを入れる箱を買ってみたりとかっていう、
100均のボックスまみれになっている状態になってますね。
だから引っ越しっていうのは、実家からこっちに引っ越してくるのと、
今回と入れて2回目ではあるんですけど、
賃貸to賃貸は初めてなので、
この踏み立てられた家具とか、そこそこ大きな家電とかはどうなっていくんだろうって、
なんかもう明日、明日に入居日で電気とか確認しにだけ行って、
明後日にもう引っ越し日なんですけど、
なんかどうなっていくんだろうって思っちゃってますね。
これでやっとアジアンカンフージェネレーションのソラニンを聞くと、
よくわかるようになるんだろうな、
この昔住んでた小さな部屋は今はもう誰かが住んでんだと、
君に言われたひどい言葉もとかがリフレインして、
なんか虚しくなるような日が来るんだろうなーって思ってます。
今この部屋がどうしてもダンボールまみれなんで、
引っ越しの話をしたくなっちゃうんですけど、
まあ一回置いといて、
卒業式の話をしようかなと思っています。
卒業式の思い出
ちょうど先週になるんですね。
早いな、早い。
卒業式、今までの私じゃ考えられないぐらい笑ってたし、
写真撮ってて楽しかったですね。
式が楽しかったっていうわけじゃなくてね、
その式の1日が楽しかったんですよ。
卒業式は淡々と取り行われて、
あ、でも淡々とでもなかったですね。
なんか20分をしたみたいで、
あの午前の部、午後の部に分かれてて、
私は午前の部だったんですけど、
その学長のありがたいお話がとても長くなっていたみたいで、
そこでお済んだっていう推しをしていましたね。
だから午後の部も開始時間が遅くなって、
でも午後の部はそんなに長くはならずに終わったらしいです。
そんななんか話が長くなったりとか、
いろいろありながらも、
まあ式自体、全体の式自体はセレモニーらしく終わっていったんですけど、
その式の後に学科別で別教室に移動して、
そこで一人一人に証書渡すみたいな場面があるんですよ。
そう、なんか私は小学校の卒業式ぶりに、
手渡しで卒業証書もらったなぁと思ってましたね。
もしかしたら多くの人は中学校ぐらいまでは卒業式の練習ってあるのかわからないんですけど、
自分の場合は本当に田舎の何もすごくない中高一貫校だったんで、
だから中高と合同で卒業式が行われるんですよ。
そのおかげで椅子のところに証書が置いてあって、式の当日に。
教室とかでも名前を一人一人呼ばれて渡されたみたいな場面があった覚えが、
とにかく高校は一人一人そんなことしなかったんで、
多分中学校の頃もそうだったんじゃないか。
私、中学校の卒業式の時に、
手術、膝の手術なんで、大げさな入院じゃないんですけど、
入院してて、式の時にね。
そのせいでもしかしたらみんなは一人一人に手渡しする時間があったのかもしれないのに、
私はそういうんじゃなかったの。
私だけそうだったのかもわかんないですけど。
とにかく私は人から渡されて、
左右、どっちだっけ?
左右ですよね。
で、こうもらってお辞儀するやつを、
本当に小学校以来ぶりにやりましたね。
本当に。
まあでももう、学部別になってると全然教室に映っちゃってるんで、
そんなにこう、カッチリしてないから、
何にもあの、ちゃんと左右例みたいな、
カッチリしなさいって感じではないんですけど。
うーん、その学部別で教室に映ってるところでも、
一応、相次と当時があって、
なんかすごく印象的だったのは、相次。
だから自分たちの4回生の学年がU4ですね。
まあ学科、学部代表の子が、
1年生の時は不安でいっぱいだったし、
2年生の時はうぬかぬうぬかぬってて、
3回生になってゼミが始まって、
最高の仲間と出会いました。
そのところで泣き始めて。
そう。
なんかね、その涙にちょっとね、心打たれましたね。
心打たれましたねっていうのも変なんですけど。
なんかいい学校だったんだな。
いい学校、いい学部、いい学科だったんだなって、
なんか思いました。すごく素直に。
なんか自分のその心持ちが悪かったら、
多分そんな素直にいい学科だったなって思えるタイプじゃないんですよ。
結構皮肉屋というか、
そういう場面で車に構えるというか、
そういう部分もあるので、
そういうところでお涙ちょうだいをやられて、
すごく冷める自分が今までいることもよくわかってる。
多分今もいるんでしょうけどっていうのもよくわかってるからこそ言えるんですけど、
なんかその掃除の子が読んでたやつは、
嘘っぽくなかった涙で、なんかよかったなって。
なんか別にその子とすごく知り合いってわけでもないし、
同じゼミだったわけでもないから、変に肩入れしてるわけでもなく、
なんか本当なんだろうなーってすごく素直に思えた涙だったし、
なんか多分自分もそう思えたからなんでしょうね。
全然別なゼミにいたし、全然別なことを学んできたし、全然別な道にも行くんですけど、
なんか変に冷めない自分がそこにいたのが不思議でした。
多分自分で自分のことを思い返すと、小学校の時も中学校の時も、
高校は微妙ですけど、根性の別れではないなーみたいな風に思ってたというか、
どうせその地元にいるしな、小学校卒業しても。
私の場合は多くの人の行く中学には行かなかったけど、
でもまあこの辺に住んでるしな、引っ越すわけじゃないし、
中学校卒業する時はもうそのまま中高一貫の高校に行くしな、
でもそれでも同じところのルートに行く人でもすっごい泣いてる人とかいて、
本当にそれは訳わかんないなーって、
なんか変に冷たい感情になったりとかね、そういうお年頃でしたね、多分ね。
それお年頃で片付けるのはちょっと嫌なんですけど、
まあそういう時もあったし、高校の卒業の時もLINEとか知ってるしな、
今ほぼ消しちゃったLINEとかしてたし、
まあまあ高校の卒業の時は本当に、
もう早くこんなところはさらばだと思う気持ちの方が強かったし、
まあ卒業式あっただけっていう感じで、
名前も呼ばれなかったし、一人一人手渡しの式、
でも本当に高校の時はなかったから、
全部単白だったから特に何もこう思わなかった、
思う余地もなかったみたいな状態ではあるんであれですけど、
小中高と比べるとやっぱり卒業終わった後で、
みんな何をするのかっていうのが大きく、大学にまでなってくると違うじゃないですか。
小学校を卒業してもだいたい全然違う中学校行ったとしても、
大体教育課程っていうカリキュラムは同じだとは、
めちゃくちゃ都会の新学校とかじゃない限りは、
大体同じだし、たぶんつまずく勉強も同じことだし、
部活もそんなに個性ないし、
まあそれは中学校卒業して高校になってもそうだし、
高校卒業した後も多少バラバラにもなるけど、
専門学校行ったり、三大行ったり、大学行ったりにはなるけど、
なんとなく始まる立ち位置は一緒な感じはするけど、
大学を卒業した後の始まる立ち位置って全然違うような気がするなと思ってて、
だから素直に掃除の時に泣いている子を見て変にしゃにかまえたり、
皮肉っぽく思ったりしなかったんだろうなぁとは思うんです。
でもその小中高と比べてとかなくても、
当日その瞬間はなんか良かったなぁっていう感じに包まれてたんですよ。
なんか今はもう式から1週間も経ってしまったんで、
少しなんていうか落ち着いちゃって、
あの時こうだったなっていう後付けをいっぱいし始めちゃってるから、
こう余計にいろんなものと比べてる状態で、
なんかまあそれが真実でもないし、
そこにいた時のその感じで喋れてるわけでもないんですけど、
でもとにかくその時その瞬間はなんか本当に変に皮肉っぽくなってなかったなぁって思いますね。
それで全体での式、学科別での式も終わるともうみんな写真撮影タイムになるんですよ。
また今までの私と比べちゃうんですけど、
本当に今までの私では考えられないぐらい写真をたくさん撮りました。
本当に考えられないぐらい撮ったんですよ、卒業式の日。
たぶんその卒業式の日に私が写っている写真の枚数と、
今までその卒業式以前の私が写っている写真の枚数同じなんじゃないかっていうね。
今22年間生きてきた中で私が写っている写真と、
その卒業式の日に撮った私が写っている写真が等しいんじゃないかっていうレベルで本当に撮りました。
今までが極端に少なかったっていう話なんですけど、
あんまり集合写真も得意じゃない。
なんか別に集計恐怖があるとかそういうわけでもないけど、
なんかちっちゃい時からあんまり写真は好きじゃなかった。
だからなんかもう自分が中学生ぐらいの時にはもうみんなスノーとか流行りだしたから自撮りの世代になってきたんですけど、
全然自撮りで撮った写真ないんですよ。
そうだから本当にこんなに自撮りっぽいインカメでね、写真撮ったのも久しぶりだし、
指揮の時なんでいろんな学務の人、教務の人とかいろんな人が写真取りがかりとしていてくれたりするから、
人に撮ってもらったりした写真もあって、本当にすごい枚数あるんですよね。
まあでも多分私なんかよりも写真バシャバシャ撮る、元々バシャバシャ撮るタイプの人には枚数負けてると思うんですけど、
でも今までの私からしたら絶対一番撮った日でしたね写真。
もうないんじゃないかなーって思いますね。
フィルムカメラの思い出
私も私でその日フィルムカメラを卒業式の時に持って行ってて、
そうフィルムカメラでも撮ってもらったり、一緒に撮ったりしてまして、
なんかフィルムカメラ写るんですなんですけど、
最近コロナかちょい前ぐらいからカメラを趣味にしてて、
フィルムの趣味にしてる人がすごい流行りだして、
フィルムカメラも結構高額写るんですよ、高くなってみたいなの聞きますけど、
あんまりこう人物との写真を撮るようにフィルム使ってるんですかねみんな。
なんかそうじゃない気がするんだよな。
フィルムをガチでやってる、趣味でやってる人の感じだと。
日常の風景とかを撮ってるから、
そういうわちゃわちゃした場で写真を撮るためにフィルムを使ってる人ってあんまいないんじゃないかなと思いながらも、
フィルムカメラで、自分そのこのフィルムカメラは貰い物で、たまたまサークルで当たったもので、
だから何に使おうかずっと迷ってたんですね。
カメラガチでじゃないし、なんとなくの風景って何撮ったらいいのかなーって思ったりしてて、
だからこのカメラを使い切るのに多分5年以上、
今までの私のその写真を撮る枚数からして、5年以上ぐらいかかるんじゃないかなーって思ったりしてたんですね。
12月にその貰ったもので27枚入りだったんですけど、25枚残りがあるフィルムカメラっていう状態だったんですよ。
そうだから本当に5年ぐらいかかるんじゃないかなーと思ってたんですけど、
四季の日に持ってったら残り、なんと11枚になって大半が四季の日の写真になるフィルムカメラでしたね。
フィルムカメラ本当に人を撮る用として使ってる人いるのかなー?
なんか違うような気が取った後ですごいしてきました。
だって今の時代スマホで撮れるし、デジカメでも綺麗に撮れるし、一眼やる人もいるし、
そうやってデータになったら加工してね、みんな美しい状態にするわけなんですけど、
フィルムってこう人を撮ると絶対ボケたりとか目つぶってたりとか全然音もしないから、
なんかよくわかんないところでフラッシュたいてみたりとかするわけで、
だから絶対こう人を撮るものとして向いているものじゃなくて、
なんとなくこう雰囲気、日常の風景をちょっと遠目する用として今流通してるはずなのに、
卒業後の生活への期待
私はめちゃくちゃ人を撮ってしまって、どうなるかなーって思ってます。
フィルムカメラを持ってた理由、使い切るためみたいな実用的な理由だけじゃなくて、
ちゃんとあるんですよ理由が。
4月にだんだんあっていくにつれて、
卒業しても時々大学に顔出してねとかって言われるんですよ。
その学内バイトをしてた学務の方からもそうだし、
まぜみの先生とか学科の先生からもなんかちらほら言われるんですね。
でもなんか私は、そのなんていうかな、たまに顔出してねみたいな言葉を、
なんかどう信じるというか、どう行動に起こせばいいかあまり分かんないというか、
なんかこう、その言葉になんかあんまり信用ができないなーって、
高校の頃もなんかそういうふうに言われてきたけど、
あんまりだなーみたいな気持ちにもなってて、
すごいお世話になったけど、みたいなところはあって、
だから多分、なんだろう、
行く口実がないと私はダメだなーって思ったから、
その四季の日にフィルムカメラで持ってって、いつか建造すると思うんですけど、
建造した時には大学に戻って、そこで渡せたら、建造したもの渡せたら渡すためっていうその使命を持って、
大学また戻れたらいいなーって思ってるから、
それでアナログなフィルムカメラで写真を撮ってました。
タイムカプセルみたいだねーって言ってくれた友達がいて、
いい言葉だなーと思って、そのまま受け売りします。
多分、自分は本当になんか目的を持たないと、大学に行くのにすごい気を使うし、
いつでも帰ってきてねーみたいなのを信用していいかなーってすごい思っちゃうから、
でもなんか自分が目的あれば行けるかなと思ったんで、
そういう理由でね、フィルムカメラでいっぱい写真を撮りました。
本当に、卒業式はすごく写真を撮ったし、
ちゃんとムスくれないで笑って写真を撮れていたし、
いっぱい話したし、楽しかったです。
不思議だなーって思うぐらいには。
本当に大学入学当初、
よく大学入学時と卒業時を比べて、
なんやかんや成長したねーみたいになると思うんですけど、
私の場合は、人との関わり、愛っていうのを、
受け入れられるようになったのが、何回もこのポッドキャストでは言ってきてるんですけど、
大学1,2,3年の前半までも本当にバチッと遮断してたんで、
なぜかそれ以降からちょっとずつできるように、
人との関わりがね、できるようになったんですけど、
だから本当に、誰よりも考えられないなって思ってた。
誰よりもこの四季を笑って過ごせているのが多分不思議だなって自分でも思ったし、
おそらくそのゼミの先生とかゼミの同じだった子とかにも思われてて、
なおさら余計にたくさん写真をレイヤーキャラとして扱われて、写真を撮られたり撮ったりしてました。
だからなんか成長とか変化とか、
なんかそういう大きい言葉は、
なんか未だに私には合わないなぁと思っていて、
大学でね、ちょっとずついろんな人と関われるようになってきた人とか、
社会性を身につけた人とかとはもう次元が違うから、
何て表せばいいかわかんないんですけど、
突然どうしたんですか賞は多分あのいただけるかなって思ってます。
入学時と2年3年時と全然違う私が、
そこには来たなって思います。
4月からのにわにわ、にわかに、にわがひろいについて、
ということで、大それた1コーナーみたいなものを作ってしまったんですけど、
特に変わりはなく、
このにわにわにわかに、にわがひろいは、声日記として続けるつもりでいます。
本当に大きい変更は特にないと思います。
2のつく日に10日に1回のペースでやるのがすごく私はベストなペースだし、
だから多分2のつく日っていうのからは逃れない方がいいかなと思って、
そう考えると2のつく日にちなんだ番組名とか、
大人になることについて
にわさんっていう、マイクに向かっている自分とか、変えないのがベストだと思っています。
なんかそういうなんて言うんですか、合理的な理由だけじゃなくて、
私は今こうやって引っ越しを迎えたり、新しい卒業をして、新しい環境に身を置いたりっていうのがあって、
なんかでもどこかは現状維持しないと壊れちゃうかもなーって本当に思うんですよ。
桜の話じゃないですけど、毎年咲くからいいんですよね。
100年に一度桜が咲きますとか、3年に1回桜が咲きますとかだったらあんなに良くはなくて、
だから毎年リチギに咲いたり、10日に1回毎回やったりっていう、
なんかどこか現状維持している部分がないと本当に壊れるかもなーっていう気持ちもあるし、
だから4月からもこうやってお絵日記するつもりです。
今までみたいに大学生っていう肩書きはないし、
かといってなんか社会人とも呼べない雇用形態の人間なんで、
本当に脳肩書きになっちゃうんですけど、
だからその辺の誰かが23にもなろうとしてるのに、
なんかーとか、ずっとーとか、高校の時と比べてとか、
そういうことを言い続けるような、
そういうボソボソ喋るポッドキャストになっちゃうんでしょうけど、
続けはせるかなーって思います。
現状維持をしたいっていう理由もちゃんとあって、
本当にさっき卒業式の話だらだら長々喋ったんですけど、
卒業式であんなに入学式の時と比べて、2回3回の時と比べて、
笑ってたくさん写真を撮れたのは、
本当にこの庭庭庭かに庭が広いで、
声日記を続けられていたから、
なんか突然急に3回の終わりから、
コミュニケーション取り出したりとかを仕出して、
そこにすごく引っかかりを感じていたって、
なんか悔しさとかそういう部分を感じていたって言いながらも、
最後には素直に受け止められるような人になっていったのは、
ここでモヤモヤしたことをトロしたりとか、
前回も言ったんですけどね、
どうすればいいんだろうってだけ言ってみたり、
すごく昔の話をしてみたり、
どうにもならない前に進まなきゃいけないってだけ言って進まなかったり、
そんなことをずっとやってたから、
それがなんかできる場所としてすごく良かったんですよ。
なんかずっと一人喋りで話すのが苦手と言いながら、
長々喋っている矛盾とか、
なんかやることなすこと、
全部に一本筋が通っているポッドキャストではないとは思っているんですよ。
なんか私は逆にそういう風にならなきゃ、
一本筋が通ってないと、軸がないとダメなんだって
すっごい思うってことはできないんですけど、
一本筋が通ってないとって思う自分がいる中で、
庭さんになると、いろんな矛盾しながらでもいっぱい喋れるし、
コミュニケーション取ることが楽しいしっていう場所を見つけられたりしていて、
だから素直に庭庭庭かに庭が広いを純粋に続けたいっていう気持ちが強くありましたね。
なんか今すごくなんやかんや理由付けしましたけど。
でも大学生じゃなくなったらどういう内容を話すんだろうなーって、
話す内容あるかなーってすごく考えることではありますね。
だから今日これでもかーっていうぐらいにすっごいダラダラ、
卒業式の日の話をしていました。
前回もねすごいダラダラ話してたのは、
なんとなく大学生としてもうこんなに時間があることってないのかもしれないなーっていう思いがあったりしたからです。
頭の中でぐるぐるしてしまうこととか、
そういう時間があったからこそやっていた、
頭のぐるぐるとかをやってしまったこととかって、
やっぱなくなるのかなーって思うんですよね。
それがなくなったらこの番組の意味はあんまりないし、
なーとも思います。
そしてなんというか、この番組で何回も話してたその大人になるって、
そういうことなのかなって、
なんかあれこれ考えるというか、
もやもやしないで、そんな時間ないからさって言って、
やるやりきるとかそうなっていくのかなーとかって思います。
それでもやもや考えなくなって、
人と比べなくなって、
それは良いことなのかもしれないけどどうなんでしょうとかって、
そんなことも言わなくなって、
あとは純粋に本を読む時間とか、
映画見る時間とか減るんだろうなーって、
なんとなく想像をしています。
そうして意外にドラマを見るようになるかもしれないなって思う。
あとは多分音楽を聞く時間も減るんだろうってすっごい思うんですよ。
もうすでに聞かなくなり始めている感じはありますね。
なんか丁寧な聞き方じゃなくなってきたりとか、
なんか聞いてても新しいの探る新規性を求めなくて、
ずっと同じの聞いちゃったりとか、
去年、2024年のアップルミュージックのあれは、
すごいアーティスト数がね多かったけど、
今年は減るだろうなーとか思います。
なんかそうやっていろんなことに割く時間がなくなっていくのは、
きっと当たり前のことなんですけど、
当たり前のことだしみんなそうやってやって、
それを受け入れるんですけどね。
だから自分のすっごく内側に行く時間はきっと減っていくでしょう。
わかんないですけど、
どうしても内向的な性格だから人よりは多いとは思うけど、
でもそれでも大学生じゃなくなったら減るでしょうし、
なんかもうすでに引っ越しに追われて減りつつあるけど、
そうやってそういう時間じゃなくなったら、
きっとこの庭庭庭かに庭が広いで、ずっと言ってた。
大人になるってそういうことなんだろうなーって思うんですよね。
だんだん内側に向く時間が減っていく。
大人になるというか、社会に出るというか、
それはイコールなのかわかんないけど。
なんかうまく言えないですけど、
卒業に対する複雑な感情
本当に庭さんを保てるかはわからないし、
その裏にいる私も私でどうなるのかなっては思ってる。
どうなるのかなって思ってるって何も思ってないのと一緒。
不安っていうことですね。
あとは不安がってる暇もなくなったりとかするのかな。
それはそれで私のアイデンティティじゃないなとか思う。
多分、ずっと前に死にたい気持ちが消えたら私じゃないなーって思ってた自分がいたように、
不安感が消えた私は私じゃないなーってすごく思う。
大人になればなるほど、
特に不安とかがなくなればなくなるほど楽しいのもよくわかる。
卒業式の話みたいに社に構えなくなったりとか、
なんかそうやっている時間がもったいないとか言って、
何でも行動するようになったりとかするのが、
世の中的にはすっごく正しいのもわかってるけど、
なんかどっかでそれをする自分は自分じゃないとか、私じゃないとか思うんでしょ。
でもそう思う自分も多分だんだん減っていくのかなーとか。
結局は、
時間、自分との時間の問題なんだろうなー。
なんかそんなことを考えます。
だから自分がこう、自分の内側に行くためにも、
庭さんになる、庭庭庭かに庭が広いをとる、
10日に1回の時間は必要だなって思うんです。
でもそのうちに入るのと本当に真逆なんですけど、
庭さんとして、ポッドキャスターとして、
ポッドキャストでの交流をする、
お便りいただくとかコメントいただくもそうだし、
リッスンさんのイベントに出たり、
そこで知り合った人とお話ししたりするっていうのもできて、
どっちもすごいうちに入る時間も大切にできるし、
そこから出会いが生まれるのもあって、
すごい正反対なことを同時にしているこの場所は、
やっぱ大事なので続けます。
なんか急に4月になったら、
庭さんらしくなくなったら怒ってください。
そんな感じです。
そろそろ第121回目、
大学生最後の庭庭庭かに庭が広いを覚えようとしているところです。
何でしょう。
今回は、卒業式の話と今後の話をしました。
本当に卒業してしまったなぁと思いつつ、
それでも卒業おめでとうって言われると、
はにかみながらありがとうって言ってきました。
なんかおめでたいんだか、おめでたくないんだか、
卒業に関してはわかんないですね。
ずっと、俺は小学校の時とか中学校の時、高校の時から変わんなくて、
卒業おめでとうが素直にありがとうって思えないのと少し似てるのが、
自分一人でできるようになるものが増えていくと、
私すごく虚しいんですよ。
それこそ4年前、一人暮らし始めたての時に、
一人で買ったすごい大きめの突っ張り棒があるんですけど、
これ組み立て二人用ってなってて、
なんですけど、頑張って自力でね、一人で組み立てて、
多分突っ張らせるのに結構幅があるから二人必要って意味なんですけど、
頑張って一人でやっちゃった時に、
すごく悲しくなったりとかしてて、
できたことを素直に喜べない感覚。
なんかそれは今もどっかにあって、
最近はプレゼント放送がお店の人に詰めてもらってたけど、
なんかちょっと練習したらできるようになってきて、
意味わかんなくて本当に回転包みっていうやつができるようになってきちゃったりとか、
なんかすごい虚しかったです。
なんかできたのは、なんか嬉しいはずなのに素直に喜べなかった。
あとはその前はね、卒論も出しちゃったなーって思った。
卒業するんだなーって思った。
そんな感覚。
できたことが素直に喜べなくて、
大学生活の振り返り
成長してしまうんだなーって思う感覚。
ずっとある。
でもそんなことも言ってられなくなるんでしょう。
きっと。
私はなんかまだまだ人に甘えたいタイプなんだろうな。
こんなことずっと言ってるから。
全然人と接するの得意じゃないとか思ってたくせに、
そういう風に思うって意味わかんなくて。
大人になりたくないとか成長したくないとか変わりたくないとかずっと言えるのって、
わがままなだけなんでしょう。きっと。
でもなんか、
そういう自分がいちゃいけないけど、
社会的には。
でもなんか、抹殺してもダメだから、
なんか言っときます。
できたことが素直に喜べなかったり、
卒業おめでとうに、
なんか少しドギマギしながらありがとうって言ってしまって、
その後ですごく寂しくなる。
虚しくなる。
この感じ。
今はまだあるし、
しばらくあるかなって思います。
大学に入学して、なかなかすっごい明るい人として入れたわけじゃなかったけど、
でも最後には笑えてて。
でも、なんか全部がまるっと収まったっていうわけじゃなかったことも、
第1回目から第121回目までのにわにわにわかに庭が広いに戻ってくれば、
わかるから。
しかも取っておいたから。
大学時代は良かったって記憶しようって思います。
そんな感じです。
私の大学生活は。
そして、にわにわにわかに庭が広い4年間続けられてきたことも、
すごいいっぱい矛盾があるって言ってきたけど、
良かったんだと思います。
ここまで大学生活の最後の最後の回まで、
だらだらと長々喋っていたような、
ずっとなんかっていっぱい言っていたような、
にわにわにわかに庭が広いを聞いてくださって、
本当にありがとうございました。
急に何もかも心変わりするなんてことは、私はないと思うので。
また、荷のつく日には、
庭がにわかに広い庭を開きますので、
4月からも、なんか荷のつく日を、
なんとなく待っていていただけたら、
にわさんは嬉しいです。
では。
48:31

コメント

時間って無慈悲に過ぎていくから、その中で何を残すかは、もしかしたら意識的に時間をとるようにしないといけないかも、しれませんねぇ。まぁ生活スタイルによると思いますが。 落ち着いた頃にもしよければ写真を撮り歩きましょう〜フォトウォークも楽しいですよ〜