寒い冬の日常
12月22日、第112回目の、丹羽には、にわかに庭が広い。です。
2024年の、最後の、荷のつく日です。
12月ももう、末なんですけど、なんだか気温的には、まあ寒いし、
初雪が、私の住んでる京都でも観測した、ということだし、
冬なのはわかるんですけど、結構まだ、
あのー、街中歩いてると、紅葉がちょうど見ごろ、
まだ葉っぱが落ちてなかったり、本当に一番綺麗な時期に見えたり、
まあ少しだけ、こう、イチョウとか、まあちっちゃいモミジみたいなのがヒラヒラしてるところもあるけど、
なんかまだ色づいた葉っぱは落ちてなかったりしたし、なんか全然綺麗に見えたので、
なんだこれって思いながら、なんだか今は何月なんだろうなーって思いながら、
この12月末を過ごしております。
自分の今一人暮らししている部屋が、角部屋っていうこともあってなのか、なんなのか、わかんないんですけど、
朝晩は本当に寒くて、夜寝る時はエアコンつけたくないので、乾燥もするし、電気代かかるし、ということで、
起きる2時間3時間前に暖房のタイマーにして、寝る間は切っているっていう状態なんですけど、
それでエアコンを本当に夜中2時間3時間切るだけで、部屋の温度が15度以下に毎日なってて、
ここ数日間本当に寒さで、途中で2時とか3時に目が覚めて、結局耐えられなくても暖房を入れるっていうことをしてました。
一応その電気毛布は使ってるんですけど、やっぱりなんだろう、顔とかそういう部分がすごい冷たくなるし、
電気毛布も、使ってる電気毛布が3時間のタイマーで勝手に切れるやつなので、
ちょうどそれが切れる頃にはもう部屋中冷え切ってて、エアコンも切れてるし、
なんか多分そのタイミングで絶対目覚めてて、うわーなんか嫌だなーってなってます。
ちょっと寒さによる、体調管理がうまくいってない時期が続いてます。
本当に寒いっていうのと、日常時間が短いのと、
あとクリスマスの街のにぎわいと、年末年始のハッピーな雰囲気についていけない感じとで、
元気がなくなって、ちょっと塞ぎ込まないようにしたいなと思います。
はい、そんな2024年最後の身のつく日です。
人間関係の考察
2話の陽形状、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
今回は自分の人間関係の話をします。
人間関係の話と言っても、私はこういう人とつるんでますっていう話をするわけじゃなくて、
うーん、だとしたら何なんだっていう話なんですけど、
そうですね、なんか一個あるとしたら、
そういうその、私はこういう人とつるんでますっていうのが言えない人間だなって思ってて、
なんか自分で言っといて何なんだって感じなんですけど、
つるむみたいな言い方が好きじゃないのもあるし、
つるむみたいな関係性を多分今まで持たことないなぁと思ってて、
自分のイメージするつるむっていうのは、
いつもその人たち、同じメンバーで喋ったりしているみたいなことを私は勝手につるむだと思ってるんですけど、
人間関係って言ってるんですけど、私の場合はそのつるむっていうのがあんまりないせいで、
自分の立ち位置がどういう場所にあるかみたいな話にもしかしたらなっていくかもしれないんですけど、
その高校生の頃までって、クラスっていう絶対的な環境があるじゃないですか、
まあほぼ固定みたいな、まあクラスより学年かな、
自分の場合はなんて言うんですか、マンモス校とかじゃなかったから、
本当に学年、一学年っていうのが少ない小中高だったので、
なんかほとんどあのクラス替えあっても、まあ変わらないかな、
まあ変わりはするけど変わらないかなみたいなところにいて、
高校生の頃までで一番例えが出しやすいのが、多分修学旅行なんですけど、
自分、高校の修学旅行の班、
なんだろう、一緒に入ろうねみたいな約束をしてた子がいなくて、
なんかこれを言うと友達がいない人、
まあ友達いない人なんでしょうけど、なんか誰ともずっと一緒にいなかったんですね、
なんか高校2年の時だったんですけど修学旅行が、
で2年ってもう理系文系分かれてる、
分かれてたので、文系の日本史取ってる人間だったけど、
なんか別に理系の子とも仲いいし、
なんか世界史取ってる人は人数少ないから、
まあそもそも世界史取ってる子の方がこっちに話し合えてくるし、
みたいな人も多かったし、
で日本史取ってる子たちの中でもなんかまとまりっていうものがあるじゃないですか、
クラスの雰囲気、なんかそういうのがあって、
私はそのまとまりの中にもいなかったし、
でもなんか一緒に例えば授業前とか喋る子とかはいたし、
でもなんかその授業前喋る子が結構ローテーションで違う人だったりとかはしてて、
まあもちろんこんなこと言うけど絶対に交わらない子もいたから、
なんか誰とでも明るく喋れるタイプでももちろんないんですよ。
そうだからなんか自分でもなんか自分が高校生の頃から現れた陰キャ陽キャって言葉現れたっていうかこうね、
人を2つに分けるために生み出されたすごい恐ろしいものがあって、
なんかその陰キャ陽キャだったら自分はどっちなんだろうって自分でも思う。
じゃあだからなんだろう、陰キャ陽キャの概念がよくわかんない立ち位置にいて、
修学旅行はだから結局自分はじめから余り物になるだろうって分かりきってたんですよ自分で。
どっかの人数調整要因になろうって思ってたら、なんか誘ってくれたじゃないけど、
なんかこの言い方をするとポジティブなんですけど、
絶対この子と一緒になりたくないみたいな子たちが集まってできた班があって、女の子たちの班で。
だからなんかね、みんな単独行動それぞれしてるような人たちだけど、
でもなんか別にいつもその例えばAさんとCさんがくっついててBさんとDさんがくっついてるみたいな光景もよく見るのに、
修学旅行は絶対そこペアは分かれたいみたいな、
AとCは一緒にいたくないってA側がずっと言ってるみたいな人がなんか途頭を組んでて、
最初から4人ぐらいで。
私はそれになんか巻き込まれたみたいな感じ?
巻き込まれたっていうか、誘われたっていうポジティブな言い方にしときますけど、
まあそういう状態の、なんか修学旅行の班一つとってもそういう感じで、誰ともつるんでなかったから人数調整用意になるみたいなタイプの人間だったんですよ。
小学校でも中学校でも同じように、修学旅行ならではの班っていうか、
なんか普段この人たちが一緒にいるところ見たことないよなーっていう人がこう寄せ集まってできた班に私いるなーって。
寄せ集まってって言ったら他の人にも悪いけど、なんかだからちょっと不思議な班だなーっていうところに私は毎回いるんですよ。
で自分でも不思議な班だなーっていう自覚があるの。
なんか分からないでその状況にはなってないっていうか、なんか変だなって私も思ってる。
でもそれを作ってるのは誰ともつるまない私のせいなんだろうなっていう自覚もあるっていうのを、なんか小中高、修学旅行になるとそれをひしひしと感じさせられて、
だから多分日常でも誰ともつるんでないっていうことがこう、分かるっていう、そんな状況だったんですよ。
コミュニティとの関わり
それでなんか大学生になってからは、なんかもう高校の頃のあのクラスっていう環境が嫌すぎて人と関わってはこなかった。
深い付き合いみたいなのはほとんどしてこなかったんですけど、3回生の終わりくらいからちょっとずつご飯に行くみたいなのができるようになってきたんですよ。
まあいい変化なのか、なんか私らしくないなぁとも思ったり思わなかったりもしつつ、まあまあいい変化だろうと思いながらいて、
そうは言うもののその、結局つるむができたわけじゃなくて、なんかご飯に行く、映画に行くとか、
まあどうでもいいことを喋れるようになるとか、なんかそれをそれぞれの場所でしてきたし、
なんかいろんなサークル行く、バイト行くゼミの人たちとか、いろいろコミュニティがある中で、
コミュニティ全体の人とご飯に行くとか食べるっていうんじゃなくて、そのうちの2,3人とご飯に行ったりなんか食べたりとかするんですけど、
なんかそのうちの2,3人と喋るみたいなことで、まあ別に普通の人のやってることだと思うんですけど、
なんかそのうちの喋る2,3人が固定されてるわけでもないなーって自分で自覚があって、
そう、だからなんか毎回この人たちと仲良くやれてるなーっていう感覚は、その場その場でなんか瞬時になくなっていくんですよ。
なんか人と人との輪が、例えばその1個のコミュニティの中であったとしたら、私はその輪の中には入れないんですよ。
でも、なんか個別であったりとか個人で喋ったりはできてて、輪の中にはいないけど輪の縁にいるみたいなことをやってるなーっていう自覚がすごいあります。
そのなんか輪とかつるむみたいなものが、私にはすごい見えるんですよ。見える、なんかスピリチュアルみたいな感じになっちゃいかねないのかわからないけど、
その、なんかこの人とこの人は仲良いんだなーとか、このコミュニティの中ですごいスムーズに話してる人たちだなーとか、
この3人はそういう感じなんだなーとか、この5人はすごいずっと一緒にいるなーとか、うち2人はもっと強固なものだなーとか、なんかそういうのがなんとなくその分かるようなのは多分気がするだけなんでしょうね、なんか。
そんなすごい人はいないからさ。なんとなくその輪っていうものを感じてしまうと、そこには入れないなーって頭ごなしに初めから思っている不思議が自分にあって、
それでもなんか最近はこう、その輪の中のうち1人の子とご飯に行くとかを何回かやってて、私それがすごい好きだなーって思ったんですよ、最近。そう。
例えば学内のアルバイトで言ったら、1個下の学年の子たち、女の子たちが4人ぐらいいるんですけど、その子たちすごい仲良い感じに見えてて、
その同学年だからっていう繋がりで、うちその4人のうち2人は同じ学部学科だからっていう、そういうのがあるんだなーって思って見てたんですけど、
なんかたまたまそのうち1人の子が今度ご飯行きましょうって私に言ってきてくれたので、
まあその時にこう、自分本当に社交場の経験がないからさ、こういう時はきっとチェーン店とかじゃないお店誘うんでしょうけど、
まあマクドナルドに、しかも夜マックに誘いまして、
友人関係の気づき
その時2人してサムライマックのダブル肉アスビーフ、あの炙り醤油風のものと、あの三角チョコパイをね頼むっていう、
ちょうど1000円だーって言って、それでなんか血統値爆上がりだやばいーって言って喋ってたんですけど、
そう、その1個下の学年の子たちの中で輪があるように見えてたけど、
うち1人の子と喋ってみると、なんかそこが強固なものっていうわけでもなかったり、
まあまあまあ、自分がそこの輪に入れるかどうかは別として、そのうちの1人の子とは喋れるんだなーっていう、なんか発見があったりしたんですよね、その時に。
喋れたり、まあ一緒にマック共有できるんだなーって、
私今関西に住んでるのにマックって言ってしまう。
マクドをね、共有できるんだなーっていうのがあって、なんかすごいそういう、そういう気づきがこう最近はありましたね。
本当につい1週間前のことなんですけど、その学内バイトの1個上の学年だった、だから今は社会人1年目の先輩がいて、
でまあその先輩も、なんか誰かとズルムをしていた人ではなくて、なんか結構濃な人だなーって、まあ勝手に見てたりはしたんですけど、
なんかその人と一緒にタルト食べて、その後神社に行ってからの教会に行くっていう、謎ないろんな神様を渡り歩く行動をしてたんですけど、
まあまあまあそんな1日があって、なんかその学内バイトの今の状況をずっと話してたわけじゃなくて、
神社行ったり教会行ったりした時は別に現状だけで入れたっていうか、お互い共通の話題みたいなのを無理やり出さなくても入れたのが、なんか自分的には無理してなかったなーっていう関係性だから、なんかすごく新鮮だったし。
そう。
なんかだから人間関係って、人間関係っていうか、
自分はすごくその人の輪みたいなものが入れない、無理だと思ってるからずっと一人でいようと思ってたけど、
そのうちの一人の人とか、まあ2、3人とかとは喋れたりとかするんだなーっていうのがすごい気づきではいりましたね。
なんかでもここまで言うと、友達が少ない方が落ち着く人みたいな俗に入るのかもしれないんですけど、
なんかそれ、友達が少ない方が落ち着く人っていう俗って、たぶんその、例えば5人ぐらいまでのお友達だとしたら、ずっと5人固定のメンバーなんだろうなと思うんですけど、
たぶん私の場合はその5人が固定とかじゃないだろうし、なんか5人を5として見てないし、
なんか友達が少ない方がいい人みたいな感じでも私ないんだろうなーってすごい自分で今考えました。
考えましたっていうか、だからいろんなところにいろんな関係性がある方が楽しめるタイプではあるんだけど、
そんなに王女体になると喋れなくなる人なのかな?
なんか喋れなくなるというか、その人の輪を感じて自分は入れないなーと思って一歩引いちゃうタイプの人。
うん、なんかそのでも、こうの関係でも別にいいんだなーって思えたのは最近のちょっとした成長だったような気はします。
2024年は人間関係の築きが結構いろんな場面で起こった年だったなぁと思います。
なんかそれは自分が少しその人間関係に対してというか、さっきちらっと言った
は、みたいなものを考えすぎなくて良くなったなっていうのはどこかであるのかなーって思いますね。
全く具体的には言えないので、うまくは伝わらないと思うんですけど、
その2024年の夏頃に自分が入ったコミュニティというか、まあ夏だけじゃないんですけど、
今までもちょっとだけなんていうんだろう、幽霊部員みたいな感じでちらちら顔だけ出してて、
今年の夏本格的に参加してみたみたいなコミュニティがあるんですよ。
内輪ノリの困難
その今年の夏に本格的に参加してみようと思ったのは、なんかここでの輪の中に私も入りたいって、
まあ去年をととしとかで思ったからであって、そう、輪に入りたいっていう気持ちがすごい強く出て、
夏頃に、今年の夏に本格的に頑張るかって思って頑張ってみたんですよ。
まあそこの自分の役割として任されてたものがあって、それが、
まあこのボランティア活動を通じてみたいなところを書くっていうのを任されてたんですね。
イベントレポートみたいなものを任されていて、それでまあ書くことも好きだし、今年の夏はこの輪の中に入りたいなと思って頑張ってみたんですね。
なんか頑張ったっていうと、ちょっと自分が積極的に声をかけに行ったみたいな感じに聞こえますけど、そうじゃなくて、
今までの自分がゼロすぎるから、それをちょっと上げたっていうだけで、なんか会う頻度とか手伝う頻度とかをちょっと上げたし、
まあ今までの私よりかは少し積極的に何かしたりとか、なんかあまり得意じゃないけど打ち上げじゃないな、打ち上げじゃなくて、
全員集まって、あのアイスブレイクの代わりにお食事するみたいな会。
まあそれに参加したりしてみたわけですよ。でも結局そこで私はよりそのコミュニティでの、
なんか元々できている輪関係性にすごい敏感になってしまって、自分が積極的に言った割には、割にはというか余計に敏感になってしまって、
私ここに入れないんだなってすごい強く思ったんですね。そのコミュニティのもうできている輪の中には入れないんだなーってすごく思って。
そう、それでアルバイトのバーとかゼミサークルともまた違う集団な感じがしていたので、
まあそのうちの一人の人とご飯に行くっていうのも多分ないなと思っていて、でなんかこうすごくそこにある輪みたいなのをすごい感じて。
でもその強くこの輪の中には入れないなーって思ったからこそ、そこにすごく憧れてしまったというか、なんかいいものに見えたんですよ。
なんかそう、その高校生までとかまあ今大学生になっても、なんかコミュニティの中に入れたっていう実感を今まで持ったことがないから、
こんなサバでこのいろんな人たちが輪を作ってるっていうのをなんか久しぶりに物語にして、
高校生ぐらいまでだとさ、クラスの中でなんとなく強固な人間関係があるなーみたいなのは掴めるけど、なんかこの2024年夏に関わったコミュニティは結構一家制のものだとも思っていたのに、
なんかそこで強い絆というか輪が結ばれていくのを目の当たりにして、
もともとある部分もあったからこそ、なんかよりこうギュッとなっていくっていうのもまた見えてっていうところが大きいんですけど、
そう、そのクラスともまた違うのにこんなに人は輪とかノリとかそういうのができるんだーっていうのになんかすごい憧れ、憧れっていうかさ、
そう、それを目の当たりにしてすごい良いなって思ったんですよね。
私はそのイベントレポートみたいなのを担当させてもらったので、なんか自分がすごくいいなって感じた目線で書きたいと思っちゃったんですよ。
そう、そしたら私その輪の中に入れてないのに、なのに内輪ノリのレポートだって言われて、
まあそれを受けて全部書き直すことになってしまって、
そのレポートがボランティアスタッフ間に出すっていうのならいいけど、
まあ広報として出すんだったら内輪ノリすぎてダメだーってなって、
ああ、まあ確かになーって思う。だから書き直すことになったんですけど、
今日コナーはコミュニティの一歩引いたところから見てて、
だからこそすごくそこに入れないけどなんかいいなって思って、入れないからこそなんかいいなって思ってっていうのをやってて、
だからそのボランティアやってる期間中、レポート書くってわかってたからメモ取ったりしてたんですけど、
ずっとメモってたことが内輪ノリ発言しかメモってなくて、
そうだから全編書き直すってなった時に、
ああもうダメだかもしれないってなってて、
そんな一大大きな私の、なんだろう、人間関係感を大きく変えたなんか出来事がありました。
なんか多分これからも私はいろんなコミュニティに出かけることはあるんだと思うんです。
でもその今年の夏に見たみたいな強固な輪の中に、私はこれからも入れないだろうって思う。
それは今までの私がそうだったからだし、
ちょっと頑張って入ってみようとした時に、だいぶ無理をしていた自分がいたから、
本当に性に合わないんだろうなあいう、なんだろう、ノリみたいなのに合わせていくみたいなのってって思って。
だからあの時本当に強く憧れた、憧れたというか羨ましく思って、あのノリを。
だからそのすごい内輪ノリというか、個人の発言をすごいメモっちゃったし、
そうそう反省、そのレポートとして書くのは良くなかったなって思って、反省をすごいしてて。
でもなんかその反面そこの、なんかその内輪ノリの感じに、そこのボランティアのグループの良さを感じたのは嘘じゃないから、
ちょっとは残したかったなあとも思ってて、良くないね。反省してないじゃんって思っちゃうけど。
でも羨ましいなあって、すごい強い気持ちで思った出来事が今年の夏にありました。
もっと話せたら良かったんだと思う。でその、そうレポート書いてる時もさ、なんかそういうの全部終わってからだから、
書くのってさ、オンラインでもできちゃうから、あの後一人でずっと書いてるの結構しんどくて。
でなんか書いてるだけだとニュアンス伝わらないなあっていうのも分かって、どうにかしたいなあって思ったりもしたけど、
結局うまくいかなくて、どうにかしたいっていう気持ちを伝えるのも、なんかその輪の中にいたらうまくいったんだろうかとかもすごく考えちゃったりとかして。
なんかだから、そう、私の人生の経験の中ですごい大きい出来事でした。
とにかく大きい出来事だった。でもなんかそこでその、そういうその内輪ノリというか、この強固なノリについていけない私がいることがよく分かったからさ、
なんか個々人ではお話できるっていうこともよく分かって、そっからマック堂行ったり、なんかタルト屋さん連れててもらったり、
そういうのはむしろ楽しめるんだなっていうところで、全力で楽しんだりできて。
本当になんかあの出来事はすっごい悔しいとも思った。
いや、ちゃんとできない私が悔しいとも思ったんだけど、でもいい経験だったなって思うことにしようって今決めた。
ずっと引きずってました。
そんな話、なんか多分人間関係の話をすると言いつつ、この2024年にあった自分のこの夏の大きい引っかかりを1回話しておきたくて、話しました。
そろそろ第112回目を終えようとしているところです。
人間関係と立ち位置
今回は私の人間関係というか、なんかクラスでの立ち位置、いろんな場所コミュニティでの立ち位置の話と、まあ2024年夏の大きい引っかかりを話しました。
私はその、和っていうものの中には入れない。
入ることはできないし、多分入ろうとしてない。
いや、入ろうとはちょっとしたんですよ。
今年の夏に、本当に。
まあまあだから結局入れないことがわかったんですけど、なんだろう。
和っていうものはそうやって苦手だし、不可能なものでもあるんだけど。
なんか縁は好きなんですよね。
あの、五縁の縁です。
途中まで緑みたいな感じを書いて、最後はあの、もしゃもしゃもしゃと書く縁ですね。
そう、なんかこの縁っていう字って、縁とも呼ぶじゃないですか。
だからこの人間関係というか、コミュニティの和の内側には入れないけど、
その縁までは近づけるんだなっていうのが近づけるし、その縁までしか行けないし、
縁にいるからこそ全体見た時に、
あ、こことここは和なんだなとか、そういうのがよくわかったりとかして、
和の中に入るのがすごい羨ましくもあり、入ってみようとしたけど入れなかったし。
でもすごい、その和みたいなの、の、のりは、実は嫌いじゃなかったりとか、そういうのがあるし。
でも縁まで行けてるから、一人一人とだったらご飯に行ったり、映画見たりできて、
私はそういう人なんだろうなって思って。
だからこの縁というか、縁というか、あの漢字がすごい好きですっていう。
漫画と自身の感覚
なんかたまたま本屋で目についた漫画の第一巻をたまーに買ったりしてみるっていうことをするんですけど、
今日たまたま、露望の富士居という漫画の一巻を手に取って、今さっき読んだんですよ。
鍋倉男さんっていう方が作者の露望の富士居、道端っていう意味の露望っていう漢字が書いてて、
で富士居がカタガナで、なんて言うんでしょうね。
この表紙で一人見つめてくる男の人が富士居なんですけど、
なんとこの漫画の出てくる人の中ではちょっと浮いてる感じのタッチで書かれている富士居なんですが、
この富士居の説明に裏表紙に書かれていることをちょっと読むと、
孤独で寂しそうな奴に見えても、近づいてみたら目が離せない。
処人欲求ともマウントとも無縁の男。富士居の生き様が魅惑的すぎる。
ということで、なんかこの富士居に関わる同僚の男の人、女の人のターンが1話ずつあって、
富士居が生活している、生活圏内で出会う人とのターンが1話ずつあって、
その人たちが富士居を見てどう思うかっていう漫画なんですけど、
なんかね、この富士居みたいな生き方に私は少し近いのかもしれないし、
まあ遠い部分もあるってよく分かったんですけど、
なんかその、つるむみたいな群れはなさないし、
でもだからといって大人数の場所が嫌いでもないっていうのが、
なんかちょっと似てるなと思って、すごいシンパシー感じたし、
なんかすごい1巻しか買ってないですけど、めっちゃいい漫画でした。
なんかとにかく私、2024年、いろんな人に出会ったような気がします。
それこそ縁です。
輪の中にも入れてないけどっていう。
人間関係というか就職活動とかもそうだし、
輪というかさ、その起業の中には入れてないけど、
顔を合わせるっていう縁までは言ってるのかなって思う。
ある意味で絶対に何も考えなければ喋ってない人と喋れてるわけで、
なんか例えば毎朝同じ自転車に乗ってる人がいたとしても、
喋らなければその人とは縁はないわけだけど、
でもね、就職活動とか、結局落ちた起業とかあっても、
まあまあ全部偽りの自分だったとしても、喋ったには喋ったから、
なんかそこで輪の中には入れないけど、
人と関わったっていう縁みたいなのは繋がってなくてもいいから、
なんとなく感じられたのかなって思うし、
なんかすごい自分の立ち位置じゃないけど、
その人間関係の深め方がよくわかった1年だったような気がします。
本当にたくさんの人と喋ったんだろうな。
いや、誰にも負けないぐらいいろんなタイプの人と喋った気がします。
そこ自信持っていいのかなって思うようにしようかなと思います。
自信ないんですけど、自信持ってみたいですね。
また2のつく日には庭がにわかに広い庭を開くことになるので、
2025年もよろしくお願いします。