年末の甘いもの
2025年12月2日。 丹羽には、にわかに庭が広い。です。
ちょっと、第何回目のっていうのがないと変な感じがしますが、まあ久しぶり回の2回目という感じでやっております。
もう12月ですね。 早いです。
2025年も残すところあと何日って感じなんですけど、私はまだ年末感を味わってないから、なんか大丈夫な感じがします。
何が大丈夫かよくわかんないんですけど、その、なんか年末かーっていう、このドタバタ感はまだまだ来てないです。
そろそろ来そうな気がします。 クリスマスの商品とか、まああの、メルティーキスとか、
あと、あの無印良品の冬限定のトリフチョコとかも見て、私としては珍しいんですけど、
あの、冬季限定の商品出たら、割と毎年すぐメルティーキスとかに関してはすぐ買ってたし、
ここ数年はもう無印のトリフチョコのあれが大好きでよく買ってたのに、まだ買ってないんですよね。
でも自分個人としては、すごい甘いものが食べたいっていう状態に常に晒されてて、毎日なんか食べてるし、
もうなんかちまちま何か食べてないと落ち着かないみたいな状態だったりするんですよ。
もう今は、ローソンのあの50%増量キャンペーンの、もうなんか、見た目的には誰が買うの?って思うんだけど、つい買っちゃう生クリームたっぷりのシフォンケーキとか食べるし、
クッキー、ハーベストの焦がしバター味が美味しかったり、
あとは、あのお土産、東京お土産で、あのシュガーバターサンドをもらって、それをこうちまちま食べてたりとか、
スズカステラも見たら買っちゃうしとか、そんな状態なのに、なんかチョコの類の冬季限定商品だけは買ってないっていう。
なんかチョコが違うのかな?中でもチョコの方がまだ健康的な気がしてきたから、チョコに移行しようかな。
こんな感じで、口寂しいというか、甘いもの食べたいっていう状態が脳に植え付けられてるヤバい状態にも関わらず、チョコの類は食べてないっていう不思議な感じです。
夏はそんなじゃなくって、夏はむしろに食べたくなってたのが、グレープフルーツとか、そういうフルーツ系だったかな?まだ健康的やったなって思うんですけど、
今本当に11月というか急に寒くなってきてから、甘いもの?生クリームの類とかすっごい食べたくて、でもなんかそんなにまとめて買ってるわけじゃないから、
なんか切らした時に、なんかもうどうしたらいいかわかんなくて、今はきな粉と砂糖のなんか練ったものみたいなのをずっと永遠にそれ食べ続けるっていう、なんかヤバい粉水人間になってるっていうのがありますね。
そんな感じで甘いものの季節です。
映画体験と作品
庭のガーデニング。このコーナーでは私、庭の好きなものをお話しするコーナーです。
7月からの間で映画館に見に行った映画の話、あ、そもそもあんまり多分2025年になってから映画の話をここでしてないような気がするんですが、
というよりも自分自身が多分2025年に4本しか映画館で映画見てなくて、なんかでも満足度は全部高いせいかわかんないんですけど、
なんかすごい映画見たなーって感じに全部なってて、映画好きやなーっていうかまた見に行きたいなーってなんか思い出す率が全部高い映画。
なんかそうやって映画好きを錯覚させられるような映画をすごい見に行ってたなーって思いますね。
そうか、なんか冷静に見たら4本しか見てなくてちょっとびっくりはしてますけど。
今年見た映画は4本中2本が松井大吾監督のもの、で、あと2本は八番出口と国宝なんですけど。
今日はミーツザワールドの話をすごいしたいなーと思いながらいて、なんとなく映画記録見てたら2025年4本しか見てないってなって、
あー、なんかちょっと自分では意外で結構見に行ってるような、なんだろう、心持ちではいたんですけど。
だから映画すごいですねやっぱり、なんか今年のその国宝しかり、八番出口しかり、結構ロングランで話題作が多かったりして、
満足度というか映画好きやなーってさせるものが多かったなと思います。
なんか本当に4本しか見てないのが意外、なんかアニメ見た記憶あるけど、あれはアマプラとかで放送のアニメを追ってただけなのかな。
それも自分としては珍しいことではあったんで、なんだろう、なんか不思議な感じですけど。
私が2025年映画館で一発目に見た映画はリライトという松井大吾監督の映画で、
SFモノというより時間モノで、時間モノの報道、サマータイムマシンブルースとかを手掛けた上田誠さん、ヨーロッパ企画の客本をしてて、
私は好きな映画で、もうなんかこの松井大吾と上田誠ってだけでもうワクワクしてたんですけど、
なんだ、ヨーロッパ企画のyoutubeとかをコロナ禍に結構見てて、そこに松井監督が出てる回とかがなんかあって、
なんかすごい好きな2人組だったんで、めっちゃ嬉しいなぁと思いながら見に行って、上田誠監督ならではのというか、
時間モノの、なんていうんだろう、あの、設定をついてくるところがすごい面白いし、
あと松井大吾監督っぽいなぁというか、うまく言えないんですけど、その応答のベタな展開の部分が、
なんかちょうど癖になるぐらいの良くて、なんかすごい面白かったなぁっていう印象があって、
なんかその後、米田で時間を潰して、あれはこういうことだったのかなぁとか、いろいろ考えたりとかもすごいした映画でしたね。
次に見たのが、まぁ今年の一番の話題作、国宝ですよ。
国宝私いつ見たんだろう、7月末ぐらいかな、なんかこれね、ナイターで見て、
あ、なんだっけな、なんか三連休の一番最終日のところで見たような記憶があります。
鬼滅キッズたち、こんな遅い時間に映画館来るんだ、とか思った記憶ありながら、
国宝を夜の部で見てて、で帰り終わって真っ暗になってるんだけど、余韻に浸りたくて、
なんかここ東方シネマズ二条っていう、京都のあの二条城近くというか、二条駅の近くにある、
あのビビ二条っていう建物、ショッピングモールみたいなところの中にある枯れ山水とかが、こう床に通路のとこなってるようなすごい立派な東方シネマズなんですけど、
そこで見終わって、ナイターだったんで、もう終わりしまる、閉まってて、周りのショッピングモールの中のショップが閉まってたんだけど、
なんかわかんないけど、ショッピングモールを一周して出た記憶がありますね。
全然感想じゃないんだけど、なんか国宝の感想を噛み締める感じずっと、そういう映画だったなぁと思います。
なんか私個人としては、すごい話題作を見に行くとか、名作名作言われているものを見に行くことに、
なんかこう、自分がその名作と思えなかったらとか、感動しなかったらどうしようっていう不安が結構つきまとうから、見に行かないタイプなんですけど、
国宝はその告知、CM的なものはほぼない状態のSNSの声だけで広まって、
で、そのSNSの声が、私が見た7月ぐらいはそんなにネタバレが多かったわけじゃないから、なんかすごい興味そそられて、
まあ単純な、本当に珍しくて、自分もそうやって話題作者に構えてみたいな理由と、
まあ話題なのに自分が理解できなかったらどうしようの不安等の情報で見に行けないタイプなんだけど、
国宝に関してはそれを飛び越えてきた部分が大きくて、それで見に行って、それで良い日にしたてたので、
で、なんか映画体験としてすごい良いものだったなぁっていう記憶があります。
で、その評判が広まった上で国宝を見て、それで楽しかったっていうこの映画体験がすごい良かったっていうのがあって、
ミーツ・ザ・ワールドの衝撃
8番出口も私はその公開前からすごい楽しみにしていたっていうわけじゃなくて、
まあ気にはなってて、どんななんだろう。で、話題のゲームだったのの映画版って、なんか大体面白くないイメージ?勝手だけどがあった上で、でも二宮和成だしなとか、なんかいろいろ気にはなってたけど、なんか配信まで待つかぐらいのノリだったんですけど、
その口コミでやっぱ面白い、面白いというか意外と深いみたいなのを見て、なんかますます気になって、そのブーストをかけて、なんかまあ待つかぐらいのノリだった。
見はするけど待つかぐらいのものだったのを、なんか映画館で見るのが楽しいんだろうなと思って、で、ホラーも自分はあんま得意じゃないのが、
去年の変な家でわかってたりもしてたけど、まあ変な家より怖くないだろうっていう謎の自信があって、見に行って、意外と、意外とというか、その怖さの裏付けがちゃんと深いなっていうところがなんか面白いし、
そのニノの演技が、うわぁ、ほぼその2時間、ニノだけじゃだけなんですよ。それがなんかすごいなって思って、ニノに感動してたんですけど、なんか久々にそのイオンシネマで映画を見たから、なんかちょっと、
うん、イオンシネマの、なんかいろんな人がいる感じに、見終わった後なんか疲れちゃってとかあったりしたけど、まあなんか面白かったなーっていう、またこれも、なんか映画体験が良かったなーっていう映画だったなと思ってて、
で、まあしばらくそっから映画見てないのか、数ヶ月。まあその間とかなんか、私珍しくそうやって話題作とか見ないタイプだったのが見るようになりましたね。まだそんなガッツリって感じでもないんですけど、結構大きな変化だなと思ってたのが、
そうやって、映画館で国宝見たりとかしてたおかげかわかんないけど、アニメとか話題のアニメ、なんか鬼滅もちゃんとアニメ見たことなかったなーと思ってアニメ見たりとか、あとは、そう全編見たんですよしかも、映画は見てないんですけど、なんか全部ワーッと追っかけたりとか、
あとダンダダンですね。なんか去年ぐらいからもう曲だけ、曲だけというか、曲が先行してすごいバズった上でダンダダンというものがあるんだって私は知ったタイプで、でもなんかいつもその曲が好きでもアニメ面白くないかったらどうしようとか、アニメを楽しめたかったらなーみたいなのがすごいあって見なかったんですけど、
なんか今回はちょっとその、アイナジーエンドの革命道中がすごい気になって、だからそう、なんかめっちゃ好きで、あの歌のパワフルな感じとか、いろんなパフォーマンス動画が上がってるのめっちゃなんかグッと来てて、アニメ見るかーと思ってアニメ見だしたら、
まんまとその、えーと1期から2期までハマって、で2期もう終わってるもんだと思ってたら全然終わってなくて、残り多分5週分ぐらいあったんですけど、それ毎週楽しみにするようになったりとか、今年はそういうなんか話題作にちょっと乗っかるみたいなのができるようになった自分がいた年でしたね。
はい、何の話、なんかそういうのは個人的にはすごい新鮮で、まあなんかいろんなものを、最近その仕事とかでもそうなんですけど、いろいろ諦めてきたというか、なんか長いものには巻かれとこ精神が最近すごい強くなってて、
なんかねそういう感じだなーっていう、はい、1年でしたね。なんやかんや1年の総決算みたいな話しだして、まだ年末感ないって冒頭で言っときながら年末感のある話になっちゃったんですが、
まあ一番直近で見たそのミーツザワールドという、これも松井大吾監督の映画で、杉崎花が主演の、何と言っていいかわかんない、なんだろう、いい映画なんですけど、すっごいあのお腹のすく映画で、
見終わった後本当に一人焼肉行こうか迷うぐらいの感じで、なーってなりながら、これはアップリンク京都っていうところで見たんですけど、本当は一番近い書店があるのに、その1個先まで歩いて、無駄にね、無駄に歩いて、
原作との出会い
その1個遠い書店、大垣書店のカラスマの本店の方に行って、今回はパンフレットじゃなくて原作を買うことにしようと思って、原作買って帰るみたいな、余韻に浸るために歩く時間がありましたね。
なんか全部そうだったな、今年見た4本とも、そんな感じでした。
このミーツザワールドの何がいいかって言われたら、ただそれだけの事実をなんかかみしめたくなる映画だったなぁと思って、まあすごい多分これはクリープハイプの主題歌曲の、あのだからなんだって話に引っ張られてる感想なのかもしれないんですけど、
でも原作も読み切った上で、そう思いましたね。なんだろうこの、難しいけど、なんかとりあえず感。さっき私がチラッと言った、その長いものにまかれるじゃないけど、なんかこう、ただただ過ごすというか、そういう感じがあったなぁと思ってて。
あーで、それで言うと小説の読破が早かったのもめっちゃ久しぶりで私は。
なんかいつも、いつもというか、ここ数年は一冊読むのにどれだけ時間かかるんだよっていうレベルで、ちまちまちまちま読んで、進めたのにしばらく読まないからまた1から読み直してみたいな読み方ばっかりしてて。
多分このポッドキャストで5月ぐらいに言ってた、あの透明な夜の香りという千早茜さんの本も、9月にやっと読み終わったレベルで、ちまちまちまちま読んでて、それはそれで結構楽しいは楽しいんですけど、
今回そのミーツザワールド、11月の文化の日あたりの三連休に見に行って、そのまま原作買って帰って、買った時にもうちょっとずつ読んではいて、でもなんかこれ一気に読みたいものだなと思って、
それだけのためにちょっと電車移動みたいな、本読む時間作ろうと思って、電車にただ乗りたいみたいな理由で、和歌山になんか弾丸で、まあみかんのカフェとかないかなと思いながら、みかんのカフェを目印にして、電車旅をして。
で、電車乗ってる間ずっとミーツザワールド読みながら、で本当に和歌山着いて、みかんのカフェ行って、和歌山から帰ってくるみたいな、わけわかんないこと、交通費だけかける謎のことをしたんですけど、でもその1日で全部読み切って、
でもなんかその日も、あー読んじゃったなーっていう余韻もありながら晩酌をしました。みかんの、みかんピールと片手に、なんだっけあれ、なんかお酒を飲みました。
本当は焼肉が食べたかったなってずっと思ってましたね。はい。一人焼肉行こうかな。どんぐらいお金かかるんだろう。なんか全然その焼肉の流儀みたいなのがわかってなくて、1回も行ったことがないようなレベル。
多分親とかとは言ってるんでしょうけど、記憶がないので、なんかカルビーはいつ食べて、まずはタンから食べなきゃいけなくてとか、なんかタンは塩だとか、タレだとか、そういうの本当にわかんないので、
なんかなんか全然その焼肉ってどんななのかなレベルの人が一人でまず行けるものじゃないなって思って行けないって言うんですけど、
知り合いに最近一人焼肉行った人がいて、どんななんですかって話題になったりしながら、なんか本当にすごい食欲の映画であり、本であり、その場その場の感覚が大好きになる映画であり、小説でありって感じでした。
この主人公が、焼肉擬人化漫画Meat is Mineを声なく愛する婦女子のゆかり、恋愛経験ゼロで人生2度目の高校も失敗したかえり、新宿歌舞伎町で美しいキャバ女ライと出会う。
で、もうこれだけなんですよ。正直、この映画もこの小説も出会うだけ、なんかそっからまあ展開あるんですけど、もう出会ったことが全てというか、出会ったおかげでこの世界の広さをどんどん知っていくんですよ、ゆかりは。
まあその、婦女子だから、オタクだから世界を知らなかったとかいう感じで、まあ小説もまあまあ進んではいて、でもなんとなく自分の立ち位置とかはよくわかってるんですよ、この主人公のゆかり、杉崎花演じるゆかりは。
自分はこのレベルでこういう感じで、で、婦女子であることをアウティングしたらこうなるだろう、みたいなところまではわかって、なんかこう、世界はこう、で、小説、映画じゃやっぱり足りなかったなって思うのが、小説はずっとゆかり目線だけで進んでいって、で、すごいゆかりの頭の中が小説で書かれるんですね。
映画を見てから小説を読んだので、映画見てた時には本当にゆかりはオタクの子で、オタクというか婦女子で、なんか会話中にもそのミートイズマインのキャラクターがこう、ぽわぽわぽわって浮き上がってきちゃって、会話があんまり噛み合わないみたいな描写が何回か出てきたりとか、
自分を鼓舞する時もミートイズマインが出てきてとか、そういうシーンが結構あって、なんか自分がない子なのかなって、なんか見えたりもしたんですね、映画だと。
でも小説はゆかりが主人公でずっとしてもゆかりのまま動かないので、ぽわぽわぽわってそのミートイズマインが会話中に出てくるみたいな、もちろん小説だとそんな風には書けないような気もするんで出てこないっていうのもあるんですけど、
なんかもっとすごくいろいろ考えていて、まあ小説のナレーションも語りも、まあ進行も全部ゆかりがやってて、頭の中のゆかりもちゃんと書かれていて、
なんかこの時ここで思ってたのはゆかりこんなだったんだとか、本当はもっとこう解釈がブワーッと広がって、ゆかりの解釈がブワーッと広がっていたシーンだったんだとかが、小説読むことでわかって、なんかグーッとなってました。
その歌舞伎町で出会ったキャバ嬢のライに対しても、スカラサキーでライの友達として出会うホストのアサヒンに対しても、その2人がよく行っていた静寂っていうバーのおシーンに対しても、
映画だとそこにいる設定になってたユキっていう女性に対しても、映画だとその本当にゆかりの頭の中のおしゃべりは出てこなくて、だからただただ、まあ冒頭でそういう作品だったみたいにも言ったけど、ただただ歌舞伎町のキャバ嬢のライと出会って奇跡的に。
で、そこからゆかりの世界が行動的になった、広がっていったみたいな映画だって。
で、このいろんな登場人物たちに、歌舞伎町の人物たちに対して、ある意味巻き込まれていってる感もありながら、って感じてたんだけど。
でも小説を読んだら、その巻き込まれていってる感っていうよりかは、出会って何を思ったかがわーっと書かれてて、その映画ではミッドイズマインのカップリングがパーパーパーってなっちゃうんですけど、
それというよりかは、ごめん、語弊があるかもしれないけど、なんかこう、オタク特有の、というかその、そういう、難しい、オタク特有の内省癖というか、
まあそういう観点がすごいちゃんと小説だと書かれてて、出会って、巻き込まれてはいるんだけど、今までの自分じゃ考えられなくてキャパオーバーだなっていう、そのキャパオーバーさがすごい書かれてて、小説だと。
それが良くて。でも映画でもその、なんだろう、キャパオーバーで、みたいなところはすごい伝わるし、でもなんか、なんでここまでこう、ライ達に対して執着していくのか、ただただ見えない世界が見えていったからっていう理由だけなんだけど、小説でもまあそれだけっちゃそれだけなんですけど、
感情の変化と自己認識
小説の方がこう、より、まあでもこれ映画ありきじゃないと私は多分難しかったなとは思うから、まあどっちの優劣とかなくて、なんかこうどっちも見て読んだ上で、この行動ああいう思考になってたんだとか色々わかって、めっちゃ楽しい。
これも一個の映画と読書の体験だったなと思ってて、なんかすごい登場人物、というかカタカナの登場人物、全員好きになるなーっていう感じです。
さっき多分ユカリの主人公の紹介しかしてないけど、キャパ城のライは私はこの世界から消えなきゃいけない、そういうギフト、ギフテッドだっていう感じで、まあ生活をしているわけで、たまたまのきっかけでユカリと出会って、
ユカリはそんな、消えるギフトだって言い張るライに、綺麗だからっていう理由だけで生きててほしい、生きてなきゃ、みたいに最初はずっと言ってるんですよ。
これ映画で見た時も、なんかすごい思った違和感というか、なんかなんでキャパ城をやってるのかは問い詰めないんですね。
生きてなきゃダメだとは言うんですけど、なんかそれ、なんかこの穿った見方なんだろうなって自分はすごい反省した部分でもありつつ、キャパ城なんかやってるからだろうとか、なんかそのね、今までどういうことして過ごしてきたのとか、そういうのはほぼ聞かなくてユカリちゃん、なんかね、そこが東京やなーってめっちゃ思ってました。
で、それは小説では、なんかこういうこと言っては本当に消えてしまうんじゃないかということで、一歩踏み込めなかったみたいな部分はあと書かれてはいるんですけど、なんだろう、自分のに反省をさせられた部分ですごいあって、
で、だからずっとその、なんでこうなったのか、なんかどうしてとか、どうしてキャパ城やってるんだとか、キャパ城やってるからじゃないのかとか、そういうこう思っちゃったりとか、こう、ある意味一般的な眼鏡をかけてしまっていることに、なんかこう、自覚をだんだんさせられていくんですよ、この、ずっとこう、なんか大事なところ聞いてないような感じで進む話を見ていると。
うわーって思っていたら、そのさっきちらっと言った、静寂っていうお寺の経営する場によく来ている、映画ではね、小説ではちょっと違うんですけど、まあよく来てるユキっていう女性と、まあユカリがこう、その朝日の紹介で出会うんですけど、で、このユキの話になって、で、ユキがこう打ち上げたこと。
まあユキも、ユキは40歳いかないぐらいなのかな。で、若い時は、まあ、雷みたいにではないんだけど厳密に言えば、ユキは死にたかったって言うんですよ。
雷はこの世から消えなきゃいけないっていう、死にたいとは言わないっちゃ言わないっていう、そのなんか微妙な違いがあるんですけど、ユキはその若い時の死にたさの話をずっと知ってくれて、
そんなきっかけで、それに対してはユカリはどうしてって聞くんですね。で、まあいろいろ聞いて、いろいろ感情的になって、でもユキは淡々と喋ってみたいな。
で、なんかそのシーンは、なんかこう、何もこう、映画ではなんというかこの無言の間というか、そういうのでなんかこうグッとくるものがあって、やっぱ印象的だったんですよ。ユキは青井優さんが映画では演じてて、
とにかくこのユキという女性の、あの雰囲気というかあの感じ、そしてあのなんというか無言ではないんだけど、この演技がわーってなってて、まあ映画でもこのシーンはすごい重要なシーンだとは思ったんだけど、
小説でこのシーン読んだ時に、まあ映画ではそんな詳しくは書かれてなかったけど、とにかく重要なシーンであることは変わりなくて、そこで感情が、主人公ユカリの感情が大きく変わったっていうのをグッとこの静かな感じでこう受け止めざるを得ないシーンで、
これ小説で読んだらユカリの頭の中でいっぱいいろんなことを考えてて、でこの考えている部分の描写というかが、そのずっと持ってた違和感、なんでライはキャバ状なの?とか聞きたくなるこの一般的なというかこの感性、バイアスというか、
にすごい釘を刺してくるんですよ。この、だからユカリはいろんな人と、歌舞伎町のいろんな人と出会うことによってユキのその行動に対しての頭の中でいろんなことを考えてて、
これ考えなきゃいけないことだよなーっていう風になるっていうか、なんかちょっとだけ、なんかもう読み終わったんだけど、ここの部分にしおり挟んでて、ちょっとだけ読むと、
ユキの自分らしさ、個性とはまさに不幸であることなのではないだろうか。
映画のメッセージ
だとしたら、近代社会の求める自分らしさという生まれ持った資質によって、人の幸不幸はそれなりに定められていると言える。
しかし同時に医療は発達し、以前は手のかかる子、抜けている子、落ち着きのない子などと言われてきた資質の子どもたちに次々と病名が与えられ、その治療薬が開発され続けている。
自分らしさを大切に、でも社会の秩序を乱す可能性のある人には、当薬治療を続けさせ、社会生活に適応していきましょうというダブルスタンダードがまかり通っている現代において、
ゆきに精神科の治療を与えながら、何としてでも家庭を守るべきであったとも、あなたの判断は正しかったとも、私には言えない。
なんかこの、ここね、ここなんですよね。これマジで小説読んでよかったなーって思うところでした。
本当に考えなきゃ、考えなきゃいけないというか、言えなさというか、この漢字がすごい難しいよなぁ、難しいんだよってなるし、
私はどちらかといえば、死にたいと思った、今も来ることがある、その既死念慮的なやつとか、あと雷みたいにというか、この世で生きてちゃいけないというか、消えなければならないみたいな思考になったことがある人間として、
なんで生きてなきゃいけないのかっていうのは言われないまま、生きろって言われてるこの漢字にすごい違和感を持っていたにもかかわらず、この映画を観て初見、雷に対して、
なんでキャボ状やってるのとか、すごい問い詰めたくなった自分とかをすごい反省して、この難しさね。
ぐーってなっててずっと。
でも基本的にこの映画の根幹は、まあこういうところもそうなんですけど、でもただ出会ったそれだけっていうところもやっぱ大きくて、ただ出会って、ただ食べて、ただなんか、ゆかりはゆかりで好きなお仕事して、でそこに肉が来て、
で朝日の優しさとかおしんの優しさとか、この歌舞伎町っていう街のなんかこの感じ、歌舞伎町だからではない部分、その人との出会いっていう意味で言ったら、そこがすごいなんかこういろいろ入り混じってて、いいなーってなって。
まあ、ミスドワールド見終えて、読み終えて、もうなんか好きなもの食べようとりあえずって思ってて本当に。冒頭でなんか甘いものの話もしたけど、そう、なんかミスドまで40分歩いたりとかそういうことしてるし。
本当にそんな映画でした。なんか生きようと思えるみたいなポジティブさとかだけじゃなくて、その多様性を考えようってさせる啓発的なことじゃなくて、もうただ自分というかただ出会いというかそんな感じのことで、そういう映画でした。
映画の余韻と感想
そろそろ映画の話をした回を終えようとしているところです。なやかんやで長くなってしまいました。
いやーでも、今年のなんか見た映画はすごい余韻が大きい映画ばかりで、なんかでも他にも見てない気がするのは気のせいなのかな?
なんかもっと見た気が本当にします。そのぐらいなんか全部すごかったって感じなのかなと思います。
前回久しぶりににわにわにわかににわがひろいをあげて、デジタルデトックスを経てもう一度ということであげたんですけど、
なんかマイクに向かうのも久しぶりで、編集ソフト立ち上げるのも久しぶりで、いろいろ手こずりもしたし、緊張もしていたり、
なんかやっぱり話し方というか声のトーンが変わった自覚があるので大丈夫かなと思いながら言ったんですけど、
やっぱ声のトーン変わったねというか声全然違うねと言われつつ、ちゃんと聞いてもらえていることにすごく嬉しくなりながらおります。
まあなんか多分またねところどころこういろいろ私も完全に安定というか定期的にできるかどうかで言ったらわからないけど、
またやっていこうとは思っているので、ぼちぼちなんか聞いてなんか変わったなぁとか思ったら変わったって言ってもらえたらなと思います。
変わらないでいることにすごくこだわったりもしていたんですけど、なんかやっぱりいろいろ長いものに巻かれる精神に最近私はなってきてしまっていて、
なんか変わっていく結構受動的になんだなって思って、なんかそれの抵抗感も昔はあったんですけど、そういうのもなくなってきたなーって思ってます。
何の話や。まあとにかく今はなんかいろいろ食べたいものがあるぞっていう感じです。
はい。また二の佃庭、庭が庭かに広い庭を開きますのでお楽しみに。では。