サマリー
東京大空襲・戦災資料センターは江東区にあり、東京の空襲に関する資料を展示しています。特に3月10日の大空襲に焦点を当て、その影響や歴史的背景を紹介しています。また、空襲の証言や資料も豊富で、訪れる価値があります。
東京大空襲資料センターの紹介
こんにちは、ninjinkunです。 先日、東京大空襲・戦災資料センターに行ってきました。
これは東京のですね、東側の江東区にある資料センターでして、
ここは多分民間の運営だと思います。 名前の通り、東京の空襲に対する資料を展示しているところですね。
まず場所がね、かなり行きづらくて、 砂町っていうエリアらしいんですけど、
公共交通機関は、私は住吉駅という駅から歩いて行ったんですけど、 歩くとですね、だいぶかかります。
2、30分ぐらい歩いたんじゃないかな。 たぶん清澄白川駅からバスで行くのが一番行きやすいかなと思いますね。
というなかなか行きづらいところにあって、 結構ね、小じんまりした資料化になってますね。
入場料は300円だかな。 どうも、もともと東京都がこの東京大空襲の
記録を行う、そういう博物館を作る予定があったらしいんですけど、 どうもそれを市原都知事が撤回してしまったということで、
でも資料は結構もう集まっていたので、それを使って民間の人たちが寄付を募って、 この資料センターを設立したという、そういう経緯がありようです。
それもあって、省一村行政が運営している、 前に言ったピース大阪とか、ああいうものと比べると、 かなり小じんまりしている印象になってましたね。
資料としては結構最初に、このセンターのセンター長さんが喋っているビデオが流れていて、 その中で東京大空襲がどういうものであったか。
特に3月10日、 戦略45年3月10日の一番大きい10万人以上の死者が出たところに焦点が当てられていて、
それ以前から何回か小規模な空襲があったけど、 とにかくその3月10日がいかに地獄であったかということが語られていたり、
あとはちょっとユニークだったのは、 世界の空襲の歴史みたいなのを説明した資料もあって、
この東京だけではなくて、 例えば第一次大戦にイタリアが最初に空襲を行ったらしいんですけど、
そこでやはりその心理的な後悔みたいなことが強調されていて、
この東京大空襲でも民間人を無差別で爆撃するわけですけど、
その繊維を挫くための心理的効果を狙っているということも毎回どの空襲でも言われるんですけど、
そういうことが最初から言われていたりとか、
確かに直接目の前で家が破壊されたり人が殺されたら、 心理的効果はもちろん生まれるわけですけど、
それがいかに終戦に結びつくかというのは、 いまだに結構議論があるところらしいです。
そういう空襲の歴史が語られていて、
それは結構東京だけに関わらず、 例えばドレスデンとかロンドンとか、
いろんなところが第二次大戦中も空襲されたし、
その後も日本軍が中国で空襲を行ったりとか、
その後もベトナム戦争とかいろんなところで空襲が行われているので、
そういう空襲の歴史がまとまっているのはなかなか興味深かったですね。
訪問の感想と提言
資料として展示されているものは、 正直結構他でも見たことがあるものが多くて、
当時の風俗を記憶したいろんな配給切符があったかな。
あとよくあるのは空襲でとけたお金ですね。
これはいろんな戦争系の展示のところには だいたい置いてあるというのはありましたし、
あとはここの一番特徴は、 空襲にあった人たちの証言がかなりまとまっているという、
そういう聞き取りを今行ってきたらしくて、 これは行政のバックアップがあったらしいんですけど、
そういう聞き取りのビデオであるとか、 書類がかなり充実しているというのが、
ここの一番ハイライトかなと思います。
そのビデオが相当長く流れ出て、 多分あれ全部見ると1時間半ぐらいあるんじゃないかな。
私は時間の関係で多分15分ぐらいしか 見てないんですけど、
実際に空襲にあって逃げ惑った人たちの証言がね、
本当に目の前で人が燃えていたり、 自分にもヒノコが次々飛んできて、
お互いにそのヒノコを払い合わないと、 どんどん体が燃え出すみたいな、
そういう実態があったらしくて、
そのヒノコをお父さんが払ってくれたから 生き延びられましたとか、
本当にそれが間に合わなかったから 燃えてしまった人がいっぱいいたとか、
そういう証言が集まっておりました。
あとは橋がとにかく地獄絵図とかしたみたいな、
みんなやっぱり暑いから水を求めて、 特に隅田川の方に集まって、
一番小鳥取橋っていう今でもある橋がありますけど、
そこは本当に人がその上で、 重なって死んだり水に飛び込んで、
そのまま冬の3月なんで、真夏なんで、
体温が下がって死んでしまった人もたくさんいたりとか、
あとはプールに逃げて、 プールで亡くなった人とかもいたとかね。
とにかく火災がないとこをみんな探して、
動作をして、運よく火災が免れた地域に行けた人だけは助かったけど、
そうじゃない人は、特に東京大空襲3月10日で焼け払われたのは、
下町の木造のエリアですね。
なんでこの資料館があるエリアもそうだし、
主にやっぱり江東区とか、墨田区、台東区、
あとはその中央区の銀座の辺りとか、 その辺りが一気に焼け払われてるんで、
凄まじい火災で、次々と人が亡くなったということでした。
あとは、これは他の資料館でも知ってたんですけど、
最初の空襲のあたりでは、空襲の火災を、
市民がお前らが自分で止めろということがお達しされていて、
どうもそれに違反すると罰金があったらしいんですけど、
なんで焼夷弾とか落ちたら、水とか布団をかけて止めなければいけないっていう、
そういうお達しがあって、それで相当な人が亡くなったみたいですね。
焼夷弾っていうのは、結構ナパウム油なので、
そんなに簡単に火が消えないっていう事情があるんですけど、
しかもそれが木造に燃え広がるんで、
そんなに個人の力で消せるような火災ではないんですよね。
それを頑張って消そうとして、かなりの人が亡くなったというので、
東京大空襲自体は、空襲何回かあって、
3月10日以降の方が、実際は爆弾の数とか増えてたりするんですけど、
3月10日が一番死傷者が飛び抜けて多いのは、
この時はまだみんな自分たちで止めようとしたからということみたいです。
それ以降は消火しても無駄だし、
あとは建物疎開とかね、
そういう少し炎症を防ぐような仕組みができたのもあって、
死傷者はガクンと下がると、そういう効果はあったようですけど、
何にせよね、そういうふうにして、
上から言われて頑張って火を止めようとして、
亡くなった人がいっぱいいるっていうのは、
本当に当時の世相の恐ろしいところだなと思いますね。
はい、という感じで東京都の空襲を記録している
東京大空襲潜在資料センターに行ってきました。
なかなか行きづらいところではありますけど、
そうですね、やっぱり実際の、
特にやっぱり東京の街がどうなったかに興味がある人は、
ぜひ一回行ってみるといいかなと思いますね。
そんなにすごく、たぶんね、
1時間、パッと見るだけだったら1時間あれば十分だし、
本当にビデオ前じっくり見るなら、
2時間ぐらい見とく必要があるかな、
それぐらいのボリュームの資料館でございました。
しかし、東京都はこれをちゃんと
情勢で作るべきだったと自分は思いますけどね。
はい、ではありがとうございました。
09:34
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