サマリー
東京都戦没者霊苑を訪れた体験について語られ、そこでの展示や戦争遺族の証言が印象深く記憶されています。特に戦争の影響を受けた人々の実体験とその悲しみが伝えられ、聴く人に深い感銘を与えています。
戦没者霊苑の訪問
こんにちは、ninjinkunです。
これは先週のことなんで、思い出しながら喋るんですけど、 先週東京に行くときに
もともとは、この日は 高楽園にでも行ってみようと思って
ミュージアンパスにね、高楽園の入場券がついてたんで、 高楽園の方に電車で向かったらですね
地図に東京都の戦没者霊苑があるというのが表示されて、 ほうほう、どんなもんだろうと思って行ってみたら、
ここなんかセレモニーとかできそうなモニュメントとかが置いてある広場と、 横にあの
戦没者資料館みたいなのが、遺品展示室ですね。 これがあって、ちゃんとした建物があってですね、これが5時まで入場無料ということで
なんとなく吸い込まれて入ってですね。 展示の部分は、例えば戦地に出かける人の手紙、
戦地から送られてきた手紙、 あとは亡くなった人の、例えば軍服とか、使っていた
弁当箱とか、そういう遺品が展示されていて、 遺品と一緒にその
ご家族のコメントとかがあって、こういう人でしたとか。 これはいろんなところで目にしてきたものの
流れにはあるんで、すごく驚いたわけじゃないですけど、 やっぱり生々しい肉質で書いてある手紙というのは、
やはり力があるなと思いますね。 検閲されてるんであんまりネガティブなことは言えないというのはね、
割とこういうものを見るときには 必要な心構えなんですけど、
例えば家族を思っているコメントとかは本当だと思うので、 そういうものにグッと来るものがありますね。
ここでですね、戦争遺族の聞き取り調査のビデオがですね、
見れるコーナーがあって、
展示室自体全然人がいなくて、 自分が見てても3、4人ぐらいしかすれ違わなかったんですけど、
もうね、割と閉まる直前だったのもあって、 そのビデオコーナーをですね、私が独占してみれてですね、
これもなんとなく見始めてしまったら、 まず40分のビデオがあって、
これは
あれですね、 旦那さんが亡くなった方のビデオですね。
5人ぐらいの方のビデオがあって、 残念ながら2人分ぐらいしか見れなかったんですよ、時間的に。
見始めてしまったら引き込まれてしまって、 結局その
後楽園に行く時間がなくなって、もうこのビデオだけで1日終わっちゃったんですけど、それぐらい生の人のね、語りっていうのも迫力があって、
特に旦那さんが亡くなった方は、
旦那さんは東京芸大にね、一発で合格するぐらい前の才能があって、
定点とかにも入選したりしてたんですけど、
兵隊に行くことになって、 最初は現地から手紙が来てたけど、だんだん来なくなって、
どうもフィリピンの方に行っていて、
結構最後はどうも餓死で亡くなったらしいという、
戦死なんかじゃないんですよ、餓死ですよっていうのをね、残された奥さんは強調してて、
いかにね、ろくでもない作戦に巻き込まれたかってことをね、後から知ってすごい悔しかったっていうのをね、
語っておられて、本当になぁっていう、 戦争なんか本当にしたらあかんですよ、こんなになりますからねって言って、
それは何度も仰ってて、そうだなって気持ちになりましたし、
あとはもう一方はシベリア浴竜に連行されて、現地から浴竜が終わって生還して東京で暮らしてた男性の話もね、
証言から学ぶ戦争の悲惨
この人が40分あったんだな、さっきのお子さんの方が多分20分ぐらいあったんですけど、
シベリア浴竜もね、やっぱりこう、
どんどん周りで人が死んでいくっていうね、この方はバイオリンの心得があったんで、
楽団に入って、その楽器を演奏する仕事を割り当てられたから、比較的作業が軽くて済んだっていう、
はい、それで生き延びることができたらしいんですけど、
やっぱりその単行とかに入った人たちは本当にどんどん死んでいくし、
そうですね、やっぱり病気とか、
飢えとか、栄養失調で亡くなっていく人が本当多かったっていうのをね、語っておられて、まあ淡々と話されてるんですけど、
本当に戦争が終わってからもそういうふうにして、ひどい状況で亡くなった方が多かったっていうのも、
これも歴史の大事な一部だなという感じですね。
シベリア緑竜は最近、おととしぐらいかな、
ラーデリーから愛を込めてっていう映画をやってて、私は見てですね、
映画のストーリーそのものはあんまり自分の好きなタイプじゃなかったんですけど、
緑竜生活の作り込みはかなり気合が入ってたんで、そのリアリティをね、見るには結構良かった作品かなと思いますね。
なんで少しだけ解像度があったんですけど、
これもすごかったし、その方がね、戦後に現地にもう一回行って、
自分たちが働いてた工場とか、その後をね、巡って、
実際に人が埋葬されてる部分を突き止めて、そこにね、墓標を立てて回ったりとか、
日本語で書くとロシアに引き抜かれる恐れがあるから、ロシア語で書いている、立てましたとか書いて、
なるほどなーっていう、結構そういう帰国してからも、
帰国者たちの集いみたいので、現地にもう一回行ってみんなを弔おうっていう事業が何回かあったらしくて、
それで現地にもまた何度か行ったということでしたね。
ロシアもね、その後、当時はソ連で、その後ロシアになって、相当いろいろ変わって、
その方たちが働いたところはもう跡形もなさないみたいですけど、
それでもね、行って、いろいろ活動されたということで、
戦後とかその身内とかがなくなった人たちも結構そういう会があって、
そういう遺族会に入ったりとかして、結構皆さんね活動されていて、
そういうのも、なかなかそういう方がね、いろんな証言とか文集とかね、
そういうのを残しているから結構いろんな話が残っているんだよなと思って、
あとはね、相互に助け合ったりとか、そういう活動があったっていうのも、
こういうとこでね、生の人のビデオを見て知れることができたんで、
これも良かったなと思います。
たまたまね、フラッと入っただけだったんですけど、
結構思いのほか自分の興味の対象に刺さったんで、
これ湧いてて良かったなと思いますね。
というわけで、東京都戦没者霊園にフラッと入り込んだけど良かったよという話でした。
ありがとうございました。
08:05
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