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2025-03-30 18:15

大きな主語や分類を意識して避ける

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と言いつつ、つい時々言ってしまったりますが

サマリー

ポッドキャストでは、言葉や分類を意識的に避けることの重要性が語られています。性別や国籍のステレオタイプを再生産せず、人の能力をその人の経験やバックグラウンドに基づいて評価することが強調されています。このエピソードでは、ステレオタイプを再生産しないために大きな主語や分類を避ける意識について説明されています。また、村上春樹の作品に対する感想を通じて、時代に合わない表現への考えが共有されています。

言葉や分類の意識
こんにちは、ninjinkunです。
昨日の夜中に、3時か4時ぐらいに目が覚めてしまって、普段はね、あんまり睡眠問題ないんですけど、
たまたま起きて、ちょっとしばらく寝れなかったんで、こういう時のために用意してあるメラトニンを飲んだら、
めっちゃ効いてしまって、結果的に9時間近くぐーぐー寝てしまいました。
なんで今日は結構遅く起きて、いつもはね、もうちょっと早く起きていろいろやれるんですけど、
今日はまだぼんやり、こうやって朝ごはんを食べてから、小息をとってみています。
今日は、前からちょっと話してみたかったトピックについて話そうと思うんですけど、
内容としてはね、自分が普段意識して避けている言葉みたいなね、
分類みたいなことについて話そうと思うんですけど、もしかしたら聞いてて何か不快になる人はそんなにいないと信じたいけど、
自分は違うよって人は結構いるかなと思うんで、
まあ別にね、違う意見を持たれることはなんでしょうね、もちろん尊重されるべきなんで、
なんでしょうね、ちょっとね、自分の中のもしかしたら尖ってるかもしれない意見を言いますっていう感じです。
えーとね、私がですね、避けている言葉とか分類っていうのはいくつかあって、
例えば性別ですよね、男とか女に何かを還元するっていうのは基本避けている。
例えば、ちょっと前まではね、女性は論理的思考ができないとか、男性は細やかな気遣いができないとか、
なんかそういうことがことしやかに言われた時代があったと思いますし、場合によっては今でもまだ存在していると思うんですけど、
えーとこういうふうにして、なんですかね、その能力を性別に還元するっていうのは基本的にこう、なんですかね、自分としては拒否していきたい。
あんまりね、現実的に何でしょうね、意味がないと思うし、単純にステレオタイプを再生産するし、
まあどちらかというと自分は有害な言説だと思ってます。
で、やっぱりね、こう女性がどんどん職場に入ってくるようになって、残念ながらね、今の職場、女性そんなめっちゃ多いってわけではないんですけど、
特にうちの開発チームなんかは全員男性だし、なんですけど、普通に女性とね、働くことがあるわけですけど、
そこでですね、このセーサーみたいな話が出てくると、めっちゃややこしいし、なんていうんですかね、単純に危険ですよね。
だからこの人は女性だからこの部署につけようとか、そういうことをもう考えないし、
それやりだすと普通に差別になるし、単純に意味がないですよね。
結局人の能力というのはその人の経験とかバックグラウンドに寄っているっていうふうに考えた方が、
実際その人が活躍する部署につけやすいし、一緒に働くときもこの人はこういうことができて、こういう傾向があって、
でもそれはこの人のこういう性格とか、こういう今までの経験から来ているものだっていうふうに考える。
その時に男性とか女性っていうそのバイオロジカルな分類っていうのは基本的には考えないっていう方が自分としてはシンプルでやりやすいんで、
性別による分類の問題
単純に働くときにやりやすいからっていう理由もあるし、ステレオタイプに加担したくないというのもあり、そういうのを避けてますね。
ただ例えば女性の方が痴漢に合いやすいから女性専用車両を設けます。
これは当然必要なことだと思いますし、痴漢死ねでいいと思いますし、
あとは例えば理系の大学進学に女性が少ないから女性用の女子枠を設けます。
これも自分はとても賛成ですし、これはどちらかというと将来的に男女が同じ職種に平等につけるというふうに、
今までのステレオタイプを是正していこうという活動だと思いますんで、
こういうマクロで見て、将来は正差をなくしていこうというアクションは基本的に賛成しております。
そういう場合は男女っていう区別とか分類が意味を持つと思うんですけど、
それ以外の場合は基本的に自分は避けてるかなっていう感じですね。
で、あとね、まだ避けてるやつが国とか国籍ですかね。
特に日本人っていう言葉が出てくるときは自分は結構ね、自分ではあんまり言わないようにしてるし、
どこかに出てくるとちょっと警戒してますかね。
そう、日本人はね、こういう傾向があるっていうのはね、
なんていうんですかね、意味がある場合とない場合がね、結構ね、両方あるなと思ってて、
日本人はシャイだとかね、あんまり意見を主張しないっていう人がいますけど、
傾向として、そうか?
なんかね、それが統計的にとられてることなのか、
なんでかっていうと、別にシャイじゃない人もいっぱい知ってるし、意見をバンバン言う人もいっぱい知ってるんで、
それを海外の人と統計的に比べて、もしそうだったらそうなのかなと思うんですけど、
それが例えば自分が何か意見を言い出せないことの理由にしてたりとかね、
するのは、なんかね、ちょっとうまく日本人っていう分類使いすぎじゃない?って自分は思ったりするかな。
まあ英語、例えばね、日本人は英語ができないとかね、
そういうことは言えるかもしれないけど、それは確かね、数字があったような気がする。
でも別に英語ができる人いっぱいいるし、
なんでしょうね、そういう、なんかね、自分がそう言われたときに、
別に俺そうじゃないんだけどって思うことが結構あるんですよね。
し、そうじゃない範例いっぱいあるよっていう。
なんで、そのね、日本人とかね、日本っていう分類を出されたときに、
この人は、なんかそういうね、分類とか言ったらステロタイプを使って、
何かしらその、自分の意見をね、大きく見せようとしてるんじゃないかなっていうふうに自分は思うことがあって、
なんで、まあ自分としてはそういう言い方をまず避けてるし、
何かそういう言い方が出ると、その背後にあることってなんだろうっていうふうにちょっとね、探ってしまうっていう、
まあちょっと癖があるんで、こういうこと言うとね、自分の前で何か喋るときに誰かが緊張してしまったりするかもしれないですけど、
まあ事実としてやってるからしょうがないっていう感じですかね。
まああとね、そのね、よく聞くのはやっぱ、諸外国ではとかね。諸外国ってどこだよみたいな。
だいたい外国ではってときに出すのって、あの、西洋文明圏ですよね。
ヨーロッパ、北米が思い刺されていて、いや外国ってめっちゃあるんだけどみたいな。
だから何か日本ではこう、外国ではこうみたいなときに、いやそこに例えば何か北朝鮮とかね、入ってんのかなみたいなふうに思っちゃうから、
だったら国の名前とか、西洋諸国とか、あとはグローバルノースとか、もうちょっとそういう限定的な言葉を使ってほしいなっていうふうにね、思っちゃうんですよね。
まあ何かね、だから、そういう言説をするときにはよく自分がセットになっていると思うのは、だから日本は遅れているとか、逆に何かだから日本はいいっていうふうにも使われるし、
何かね、そういうのって自分としては、うーん、ちょっと卑怯だなっていうか、自分の意見を強く出すために何か上手いこと、そういう何ていうんですかね、
分類をね、使ってないっていうふうに思うので、自分としては遅れているっていう感じかな。
あとはその、例えばね、日本人って言ったときにその国籍をね、日本に住んでいると、日本人っていうのは日本の国籍を持っている人を基本的には察してるんじゃないかなと思うんですけど、
それもね、何かね、あの、場合によっては、例えば別に日本国籍を持ってない人もいっぱい周りに住んでるわけなんで、何かそういう人たちをね、排除する言説に同時になってないかなっていうのも気になるところで、
まあだから例えば自分は、日本語話者はとかね、そういうふうに言ったりするんですって、あとは日本に住んでる人はとかね、言ったりする。
もし文脈で、そう、そういう日本に住んでるっていう家庭、日本の国土に住んでるっていう家庭が必要だったら、できるだけそういうふうに言うし、
日本語について研究したいなら、日本人じゃなくて日本語って言うっていうね、はい。
何かしらね、そう、なんかそういうときに日本人はっていったときに、その周りに住んでる人はね、排除されてないかっていうのはとても気になるんですよね。
まあね、自分がやっぱこういうのを避けてるのは、こう、さっきもちょっと出たんですけど、こう、ステレオタイプをね、序章するっていうのがですね、
ステレオタイプに加担するっていうのが、こう、やっぱすごくね、嫌なんですよね。
で、これはまあちょっと、あの、わざと大きな話にしますけど、
こう、なんか今、いろんなところで起きているその分断とか、例えば、まあそうですね、最近だってやっぱアメリカの選挙に、
これ今、意図してアメリカという国の言葉、国名を使ってますけど、で、その明らかにそのリベラル派と保守派が完全にパッキリ分かれていて、
で、しかも保守派も相当専用化していて、結果的にトランプ大統領が誕生してるみたいな、はい。
えー、ことをね、見ると、こう、でしかも、まあね、その、そこでた、例えばなんて、人口妊娠中絶に、
えー、反対する人たちがなんかトランプが勝ったらいきなりなんか、女性に対してなんか、お前の体、俺の選択とか言い出して、
まあね、めちゃくちゃなことをね、いきなり言い出してるみたいなね、まあそういうことがね、起こってる背景には、
何かしらその、ステレオタイプでお互いを非難してるっていう状況があるんじゃないかなと思ってて、
まあ、例えば、まあ、男女もそうだし、えー、まあリベラル、まあまあ、右翼左翼もそうだし、えー、なんでしょうね、宗教もそうだし、
ステレオタイプを避ける意識
なんかね、そういう時に、なんかお互いがその、一対一で対話をするんじゃなくて、相対として相手を見て、
こ、これは相入れないっていう感じで、その非難をするところに、いろんな対立を生んでる原因があるんじゃないかなっていう風にね、
これは何かで勉強したんじゃなくて、ふんわり自分が思ってるだけなんですけど、
まあそういう、えー、構造が、自分としてはあるんじゃないかと思っていて、
なので、えー、自分としては、そういうステレオタイプはできるだけ避けていきたいし、
それをね、再生産する立場には回りたくないなっていう風に思ってるっていうのが、はい。
えー、このね、言葉、えー、まあ、男女とか、えー、国籍、日本人とかね、
えー、日本とか、えー、そういう言葉をね、避けてるっていう、
ことの背景にあるっていう感じです。
めちゃめちゃふんわりした話したけど、これでね、何か伝わるでしょうか。
自分としては、多少しゃべれてスッキリしたところはあるんですけど。
えーとね、まあこれ聞くと、まあ、あ、にんじんくんポリコレなのねという感じに思う人もいると思いますし、
まあ自分でも多分そうだなと思います。はい。
まあでも、自分はそれが正しいと思ってるからやってますって感じかな。
別にポリコレだと思われて否定する理由はないな。うん。
はい。なんで、えー、そういう風にね、人をなんか分類で話すっていうことは、
えー、自分としては危険だと思ってるし、できるだけ避けていきたいと思ってますね。
で、一方で、どちらかというと、1対1でのね、話した人とか、
えっと、相手のね、顔と名前が分かってる人がこう言ってたっていうことは自分はすごい大事にしていて、
まあこの前も、そのアメリカのね、ノースカラライナに行って、
えー、友達と話したこととかね。
まあそういう風にしてなんか、一人一人の顔が見えてくると、
まあ今ね、実際に起こってることのね、背景になんか自分としては血が通っていくようなね、風に思えて、
何かね、自分としては、やっぱその相対で語るよりもそうやって1対1で、
えっと、見たり聞いたりしたことを、えー、通してその理解していきたいっていう風に思いますかね。
まあこれは自分が多分、デザインに関わってるからっていうことも大きくって、
まあ特にその、まあUXデザインって呼ばれる分野ですかね。
UXって言葉好きじゃないですけど、ユーザー体験を設定するときには、
あのー、相対として考えるんじゃなくて、えっとー、一人一人のね、インタビューとか、
実際に使ってる場面とかを観察することで、ユーザーがね、何を求めてるかをキャッチアップして、
それで、まあそのいろんなね、もちろん使い方をする人がいるんで、
まあその人たちの一人一人のことをね、思い浮かべながら、
まあ全員がね、使いやすくなるようにデザインするというのは非常に品の技なわけですけど、
まあそれでもできるだけ多くのケースをカバーするように設計するっていうのが、
ユーザー体験のデザインになってくるわけですけど、
まあそのときには、やっぱりその、まあよくN1って言うんですけど、
本当にN1、一人一人の声をね、集める、
そしてそれをまあ、やっぱり自分でね、体験して自分の中で咀嚼するっていうことが、
まあデザイナーは大事だなと思ってるんで、
まあ自分としては、まあそういうものを内面化しているし、
デザインの外のこと、もうちょっとね、
まあその、まあ政治的なトピックだったり、社会的なトピックだったり、
そういうことも、どちらかというとそういうN1から捉えていきたいっていうふうに思ってますっていう感じかな。
はい、いやー、なんかあんまりまとまってないことをね、
ぼんやり喋ったなとは思うんですが、
これでもね、多少、多少考えてきた方です。
あの、前はもっとまとまってなかったけど、
これちょっと話してみたいなと思うから、
少し、あの、少し考えました。
はい、というわけで、
まあまずはね、その大きな志望を避けてます。
それは、そう、ステレオタイプをね、再生産したくないからですっていうことについてお話ししました。
あ、また付け加えていいですか?
村上春樹と古い表現
えっとね、あのね、自分は村上春樹の小説とか好きなんですけど、
今から読むとね、古いなって思うところもやっぱり結構あって、
それはね、やっぱね、あのね、女性はこういう傾向があるみたいなことをね、
やっぱね、言ってるんですよね。
特に昔のエッセイとかでは、女の人ってそういうとこありますとかね。
最近もなんかあったな。
ドライブマイカーにも入ってるんだよな。
女の人ってそういうとこがあるんですって言ってね。
いやー、やめてみたいな。
あなたはあるかもしれないけど、他の人はそうじゃないかもよっていう風に思っちゃうから、
やっぱそういうのを見るとね、
やっぱ村上春樹もちょっと古いなって思いますね、最近は。
多分ね、どこかではその考え方変わってるような気はするんですけど、
少なくとも10年前ぐらいの作品にはまだそういうものがあったんで、
今から見ると古いですよね。
ですし、あと村上春樹がそう言ってたから自分が、
女性はこういう傾向があるっていう風に内面化したところは多分結構あるから、
そういう意味では良くないものをインストールされたなっていうこともあり、
ちょっと今言及してみましたっていう感じですね。
はい、じゃあこの辺にします。ありがとうございました。
18:15

コメント

“総体で見るより1:1で見聞きしたことを通して理解したい” とても今の私の考えにフィットする言葉でした。人の能力や性質をプロトタイプに押し込める人っていますよね。モヤモヤします、そういう呪いのような言動。 ninjinkun さんはドキュメンタリ映画をよくご覧になっていますよね。それもn=1を大切にされたいという趣向の現れなのかなあと聴きながら思いました。(私はあまり見ないのであくまで想像なんですが)

ありがとうございます。何かしら響きあう部分があったなら嬉しいです。ドキュメンタリーは好奇心から見に行っているのですが、仰るようにn=1を大切にしたいという部分もあると思います。知らない外国の映画を見るのも同じかもしれません

最近考えていたことをドンピシャで言葉にしてくれていることに、救われた気持ちになりました。声で残してくれてありがとうございます。 村上春樹も、もちろん彼の考え方や作品を否定したい訳ではないけれど、その影響力やその作品を観て人格形成される人のことを思うとどうしたもんか…と感じています。 出来ていない時もありますが 自分も相手も「個」として尊重したいし向き合いたいという考えを強く持っているので、今回のエピソードにはとても心動かされました❤️‍🔥

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